古代集落における「祭祀具」・「祓具」としての墨書土器 -下総国印幡郡村神郷の出土事例から- 友納 千幡 はじめに 千葉県印旛沼西岸域における古代集落の竪穴建物址から多く出土する墨書土器は、その 主な用途が「祭祀・儀礼」とされている。その中から多文字墨書土器を抽出し、判読可能な 文字や竪穴建物址における遺物の遺存状況などを検討して、祭儀の内容を明らかにするこ とを試みる。研究の対象とする古代集落遺跡は、多文字墨書土器を多く出土していること、 本遺跡を取り上げた研究論文が断片的なものを除いて無いことなどにより、かつての古代 律令制下の下総国印幡郡村神郷(現在の千葉県八千代市)に存在した上谷遺跡とする。 1 研究の意義と研究方法 古代集落から出土する墨書土器の主な用途は祭祀・儀礼であったとされているが、具体的 にどのような場面で、どのような目的で用いられたかは、いまひとつ明らかにされていない ように思われる。本研究において、多文字墨書土器は個人的な祭祀に用いられた祭祀具であ ったこと、竪穴建物址における一・二文字の墨書土器は竪穴内の遺存状況から建物・竈廃棄 時における儀礼に用いられた祓具であったことを検証できた。 研究方法は、発掘調査報告書『上谷遺跡』1~5 分冊1で報告された竪穴建物址遺構 201 棟 およびそこから出土した遺物、主として土器の図面・写真を詳細に調査し、必要に応じて土 器の実見や発掘担当者への聞き取りを行った。 2 論文構成 1) 先行研究 墨書土器が日常の食膳具と明確に区別される祭儀具であることは、大方の意見の一致を 見るが、以下は先行研究で明らかになっていないか、意見が分かれる点である。 (1) 墨書土器を用いた祭儀がどのように執り行われていたのか、その内容は必ずしも明ら かになっていない。 (2) 研究者間で、多文字の釈文にある「召代」の解釈に違いがある。 (3) 研究者間で、墨書土器を祭祀具とした場合「依代」とするか、「供膳具」とするか。 (4) 多文字墨書土器になぜ「丈部」多く記されているのか。 2) 出土状況からみた上谷遺跡における祭儀性 多文字墨書土器と竪穴建物址内出土遺物の遺存状態を通して祭儀性を窺うことのできる 遺構を、1~5 地区から 16 事例抽出して検討した。 3) 上谷遺跡における多文字墨書土器の祭儀性 2)の検討により、1~5 地区の 12 遺構から出土した 17 点の多文字墨書土器における欠字 や不鮮明な部分を含めた釈文について、一つの可能性としての復元を試みた。その結果、ク ニ名から始まる本貫地、人名、目的、日付を墨書した甕形土師器が少なくとも 4 点、全ての 情報は記されていないが、多文字の坏型土器が 13 点出土している。 4) 上谷遺跡における墨書土器と祭祀・儀礼 3)の検討により、全ての多文字墨書土器は神を降ろす「招代」(神にとっては「依代」)と して個人的祭祀に用いられた祭具である。一方、一・二文字の墨書土器(非墨書土器の場合 もあるが)は建物やカマド破棄に伴う儀式に用いられた祓具である。 武藤健一 2001『千葉県八千代市上谷遺跡』第 1 分冊、朝比奈竹男 2003 第 2 分冊、朝比奈竹男 2004 第 3 分冊、朝比奈竹男 2004 第 4 分冊、朝比奈竹男 2005 第 5 分冊(八千代市遺跡調査会) 1 20
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