5月の校長講話『浅川石油井戸跡のお話』

りんご花咲く
……浅川小学校 校長室だより……
5月の校長講話『浅川石油井戸跡のお話』
2015/05/20(水)
皆さんは、ここがどこか知っていますか? そう、浅川か
ら飯綱高原や戸隠高原に行く時に通るループ橋「浅川ルー
プライン」ですね。ループ橋の近くに、木でできた茶色の
小屋が建っているのですが、
見たことがある人はいますか。
近くにマレットゴルフ場があるので、ちょっと見ると「公
衆トイレかな?」と思う人が多いのではないでしょうか。
でもそうではありません。中をのぞいて見ると、こんな機
械のようなものが置いてあります。これは何の機械でしょ
うか。近くにこんな看板が立っています。
「石油井戸跡」
。
……実は、ここ浅川真光寺地区には、昔々、地下深くから
石油を掘る井戸がありました。この機械は深い地面の下か
ら石油をくみ上げるために使っていたポンプなのです。
今から231年も昔の本に、浅川真光寺で石油が採れる、
ということが書いてあるのだそうです。その頃は、石油の
ことを「臭水(くそうず)」と呼んでいました。字のとおり「く
さい水」という意味ですね。今でも石油が手に付くと嫌な臭いがしますよね。そのころの浅川で採れ
た石油は、水やいろいろなものが混じって黒くネバネバドロドロした、あまり良い石油ではなかった
ようです。しかし当時の人々は、夜になると家の中でその石油に火をつけて、家の灯りに使っていた
ようです。自分の家でも使おうと、遠くから浅川へ石油を買いに来る人もいたのだそうです。
今から168年前の5月8日、善光寺では今年と同じ「ご開帳」が行われ、日本中からたくさんの
人たちがお参りに来ていました。ところが、ちょうどそこに「善光寺地震」という大地震が起こりま
した。この「善光寺地震」は1万2千人もの方が亡くなったという大地震だったのですが、その頃の
浅川地区も大きな被害を受けたようです。その「善光寺地震」の時には、浅川の川の流れの近くから
たくさんの石油や天然ガスが吹き出しました。これはたいへん珍しいことなので、たくさんの人が見
物に来たそうです。浅川の人々は、その天然ガスでお湯を沸かして飲んだり、石油でお風呂を沸かし
て入ったりしたようで、当時のそんな様子を描いた絵が残されています。
この石油を売って商売にしようと考えた人もいます。
「善光寺地震」の9年後には、本格的に石油井
戸を掘って石油を汲み上げ、今の千曲市や松本市にまで売って歩いた人もいたそうです。
今から144年前の明治4年、石坂周造という人が、浅川で掘った石油を質のよいきれいな石油に
加工して売る「長野石炭油会社」という会社を作りました。
「石炭油」というのは「臭水」
、つまり「石
油」のことです。この「長野石炭油会社」は、日本で最初にできた石油会社です。ですから、浅川の
石油が日本の石油会社や石油工業をスタートさせたことになります。
そしてまた、会社の名前もすぐに「長野石油会社」に変わりました。今では日本中の人がだれでも
使う「石油」という言葉ですが、初めて使われたのはこの「長野石油会社」の名前なのだそうです。
浅川の「臭水」が日本で初めて「石油」という名前に変わり、その「石油」という新しくできた言葉
が、ここ浅川から日本中に広がっていった、と言ってもいいでしょう。
さて、浅川で掘った石油は、馬や荷車に乗せて長野の町の石堂町にあった長野石油会社の工場に運
び、水分や混じり物を取り除いて、質のいいきれいな石油に変えて売られました。そのころは、まだ
電気はありません。それまでは夜になると、菜の花の種から搾った油、
「菜種油」を燃やして灯りにし
ていましたが、ちょうどそのころは、石油を燃やして照明にする「石油ランプ」が日本中に広がりは
じめた時代だったのです。ですから、この「長野石油会社」はだいぶもうかったようです。
その後、今から95年前、真光寺に住んでいた酒井実
という人は、石油井戸を掘って石油や天然ガスを採り、
それを燃やした熱を使ってガラスの器を作る工場を作り
ました。病院で使う薬を入れるガラス瓶をたくさん作っ
て、長野日赤病院へ売っていたのだそうです。今残され
ているループ橋の近くの「石油井戸跡」は、このガラス
工場でガラスを熱するために使う石油を掘っていた石油
井戸の跡なのだそうです。しかし、このガラス工場は、
もう石油があまり採れなくなってしまったからなのでしょうか、今から48年前にガラス瓶を作る仕
事をやめてしまい、長い歴史をもつ浅川の石油も、ついに掘る人がいなくなってしまいました。
実は、今からちょうど50年前の4月30日に、小学校3年生だった私はこの浅川小学校に転校し
てきました。浅川小学校に通っていた時、実際に浅川で石油を掘っているのを見た記憶があります。
あれは小学校3年生の秋の遠足だったと思うのですが、学校への帰り道でこのガラス工場の近くで休
憩しました。その時担任の先生が、
「あの機械で石油を掘っているんだよ。
」と教えてくれ、とてもび
っくりしたことを覚えています。石油というのは、アラビアなどの砂漠の広がる遠い遠い外国でしか
採れないものだと思っていたので、
「浅川って、すごい所だな!」ととても感動したのをはっきり覚え
ていますし、家へ帰って家族に「浅川で石油が採れるんだよ! 見てきたよ!」と興奮気味に話し、家
族もびっくりしていたことも覚えています。今回いろいろと調べてみて、あの懐かしい小学校3年生
の秋の遠足から2年後くらいに、ガラス工場が仕事をやめてしまったことを知って、
「私は、浅川で石
油を掘っている様子を、実際に自分の目で見ることができてラッキーだったな!」と感じています。
みなさんの故郷である浅川地区のことをもっともっと知って、浅川地区をもっともっと大好きにな
ってほしいと思い、今日は浅川で石油が採れた頃のお話をしました。終わります。
浅川小学校に赴任してから、いつか話そうと温めていた話題でした。
『長野市制 100 周年記念誌 ふ
るさと浅川』、
『長野県民新聞(H26.6.15)』、
『NHK タイムスクープハンター「ドリーム 石油発見!
山奥に埋蔵する石油を探せ!」
(H26.7.26 放送 越後国が舞台でした。)
』等を参考に、子どもたちの
郷土を愛する心を更に深めたいと願い、浅川真光寺の「石油井戸跡」について話しました。
(文責 浅川小学校長 大久保 英幸)