従業員名簿から浮かび上がる大陸横断鉄道の建設風景 ―"I`ve Been

従業員名簿から浮かび上がる大陸横断鉄道の建設風景
―"I've Been Working on the Railroad"に込められた労働者の悲哀―
社会科学研究室 宗像俊輔
廣池千九郎は『新版 道徳科学の論文』①の「第三諸言」中の「第二条 将来モラロジ
ー研究所において引き続き研究を必要とする諸項目の大要」で、「(23)労働問題の道徳
....
的解決に関する研究」ならびに「(30)人口問題・食糧問題・移民問題及び道徳の相互関
係における研究」(傍点は報告者による)を挙げている。移民受け入れ国の多くで、企業
は移民を安価な労働力として雇い入れてきた。企業側は人件費を抑えることに成功した
が、移民労働者側は労働環境の改善を求め数々の争議を起こしている。別々の議論に見え
るが、両者は密接に、複雑に絡み合っている。そしてこれは歴史的な問題であり、現代的
な問題でもある。
鉄道もこの議論の例外ではない。むしろ、鉄道事業ほど移民を多く受け入れ、労働問題を多
く引き起こしたものはない。本報告で扱った、アメリカ合衆国の大陸横断鉄道(カリフォルニ
ア州サクラメント~ネブラスカ州オマハ間)の敷設(1862~69 年)は、廣池が示した上記の
研究課題に取り組むうえで好例であるといえよう。
すでに先行研究で、大陸横断鉄道の建設労働者はアイルランド人と中国人で占められていた
ことが解明されている。その上で報告者は、敷設労働者の「働き方」について関心を深めてき
た。「働き方」に焦点を当てることは、建設中に頻発した労働争議の要因を解明することにつ
ながるからである。
報告では特にサクラメント~ユタ州プロモントリーまでの西半分を担当したセントラル・パ
シフィック鉄道を対象とし、「従業員名簿(Payroll)」と呼ばれる史料を分析して、彼らの
「働き方」を分析した。この「働き方」について報告者が念頭に置いた要素は、「職種」「勤
務日数」「給与体系」の 3 つである。
第一に「職種」である。「敷設労働者」という語で一括されがちだが、計画線を調査する
測量士、建設現場では現場監督や技術職、単純労働者と多様であることがわかる。第二に
「勤務日数」である。測量士はおおむね勤務期間が一か月間だったが、建設労働者はどの
職種も作業員の雇用期間がまちまちで、一か月に一日未満の作業員も多く存在した。第三
に「給与体系」である。現場監督のうち最高責任者(Superintendent)と呼ばれる人々は
月 175 ドルが与えられたが、その他の作業員は日給制であり、しかも食費や機材の購入を
差し引かれた。このため、単純労働者にいたっては給与がゼロの場合もあった。
労働者に細かな役割を与え、給与によってその序列を明確にするセントラル・パシフィ
ック鉄道の方針が透けて見える。しかし、鉄道の敷設自体が過酷な作業であり、さらに厳
しい自然環境にも晒された現実を考慮すると、労働者にとってその給与水準が適正であっ
たかは疑わしい。現場で労働争議が頻発したのもうなづけるのではないだろうか。
「線路は続くよどこまでも」という童謡の原曲である"I've Been Working on the
Railroad"は、大陸横断鉄道の敷設の様子を表したという説がある。歌詞中には毎日厳しい
作業をさせられる労働者の悲哀がにじみ出ている。ストライキの多発や高い離職率を招く
には十分すぎる要因が、鉄道敷設現場にそろっていた。今回分析した「従業員名簿」とあ
わせるとその深刻さがさらに伝わってくるようだ。
現代倫理道徳研究会(2015 年 5 月 13 日)
幸福論研究(3):科学的研究の成果から
生命環境研究室 犬飼孝夫
本発表は「幸福」
(happiness, well-being)をめぐる最近の(1)哲学・思想的な研究、
(2)社会
科学的な研究、(3)心理学的な研究、
(4)脳科学的な研究について、概論的に論じたものである。
哲学・思想的な研究については「効果的な利他主義」(effective altruism)をとりあげた。これは、
プリンストン大学教授のピーター・シンガーが提唱している概念である。シンガーは金銭的に最も効
果的な利他的行動を行うべきであるというのだが、果たしてそれは「利他主義」のあるべき姿と言え
るのだろうか。
社会科学的な研究については「快楽の踏み車」
(hedonic treadmill)という概念をとりあげた。米国
ノックス大学の心理学教授ティム・キャサーは、過去 50 年間にアメリカの経済的豊かさは2倍になっ
たが、アメリカ人の幸福度は頭打ちになっていると指摘している。自動車や大きな家を持っても幸福
度は 50 年前と変わらないのである。日本でも状況は同じであり、1958 年から 2000 年までの間に、一
人当たりの実質 GDP(国内総生産)は6倍以上も上昇したが、その間の「生活満足度」はほとんど変
化していない。
「快楽の踏み車」ないしは「快楽のルームランナー」の上を走るがごとく、われわれの
欲望には終わりがなく、富やモノを手に入れることだけを目指したとしても、真の「幸福」を得るこ
とはできないのである。
心理学的な研究については「幸福な貧困者」
(happy poor)という概念をとりあげた。イリノイ大学
の心理学教授エド・ディーナーらによる幸福度調査によれば、インドのコルカタにある貧民街の住民
とイリノイ大学の大学生の幸福度はほとんど同じであった。
「快楽の踏み車」に囚われた先進国の人々
に対して、コルカタの貧民街で暮らしていようとも、感謝の心で精神的に満たされ、心豊かな幸せな
生活を送っている人々は「幸福な貧困者」と呼ぶことができよう。
脳科学的な研究については「脳の可塑性」(plasticity of human brain)についてとりあげた。フラ
ンス人のチベット仏教僧であるマチウ・リカールは、ウィスコンシン大学教授のリチャード・デーヴ
ィッドソンと共に、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いて瞑想と脳の関係について研究した。彼ら
の研究によれば、他者に対する思いやりの気持ちを発揮する利他性の訓練をすると、脳に構造的・機
能的な変化がもたらされる。
ベネディクト会の修道士デヴィッド・スタインドル=ラストは、誰もが「幸福」を望んでいるので
あり、それは「感謝の心」を持つことによってもたらされると述べている。
「感謝生活」は文化や宗教
の違いを越えて万人が受け入れることのできる倫理の一つと言えよう。
「幸福」に関する、脳科学的研
究をはじめとする様々な研究成果は、21 世紀の「新たな黄金律」を構築し、人類社会と地球生態系の
「持続可能な調和」の実現に資する可能性を秘めている。総合人間学モラロジーの視点から、今後も
研究を深めていきたい。