佳 作 日本は支那を侵略していない 佳 作 ひで き 歳 日本は支那を 侵略していない おおいし 大石 英 樹 歴史講座講師(筆名 福住蟷螂) チャンネル ajer この論考は史料が主役である。史料たちに思う存分語らせたい。当時 の民衆の生活と暮らしの中の喜怒哀楽を思い浮かばせるものを中心に選 ドナルドは蔣介石の顧問であるから、蔣の意向も受けていると思われ る。そのドナルドに言わせれば「日本は……領土的要求はいっさいして いない」。満洲国の独立も認めているのである。元々、漢族の国土では ないからだ。この意味で日本は侵略していない。 明治憲法下の帝国議会も同じことを決議した。日米開戦二年ほど前の 昭和 年 月に、民政党から代表質問に立った斎藤隆夫が、有名な「反 汪精衛(南京政権と大軍閥を率いていた)のような中国人指導者や上海、 争を継続できたかどうか、きわめて疑わしい》とも書いている。 侵略とは何か。武力で他国を占領して自国領とし、その地域に絶対的 権力を持つ統治機構を樹立、資源を奪い住民を搾取して莫大な利益を自 うか。 日本軍が都市の治安を維持していたから、協力する支那人政治家や経 営者がいた。次のように、民衆にも協力者がいたのだ。 香港の多くの中国人協力者の全面的協力がなかったら、……日本軍が戦 ミアーズは《スチムソンは一九四〇年六月までにニューヨーク・タイ ムズに送った手紙の中で、日本軍は「泥沼に入り始めた」といっている。 〝本気〟で「聖戦」をしていたのである。侵略戦争ではないということだ。 追随して「聖戦貫徹に関する決議案」まで可決してしまった。日本軍は もの」と非難し、衆議院本会議で斎藤の除名を決定する。おまけに軍に ない戦争を批判したのである。ところが、議会が「聖戦目的を侮辱する である。侵略戦争を非難したのではない。「聖戦」と称する侵略的では 費や損害をどのようにして埋めるのか、と質問した。論理の通った弁論 し、領土や賠償を要求しない」と言う、それなら、これまで浪費した軍 軍演説」をした。政府が、事変を「聖戦」と呼んで「支那の主権を尊重 2 国に持ち去ること、と仮に定義する。日本は支那大陸を侵略したであろ 択した。 15 《蔣介石のオース ヘレン・ミアーズが次のように書いている。【史料1】 トラリア人顧問、W・H・ドナルドが〔昭和 年 月に〕ルソンの日本 2 料にも「ほぼ同じ内容の日本の公式声明が記録されている」と付け加え 土的要求はいっさいしていない」と語っている》と。アメリカの公式資 政治的調整」だけだった。ドナルドは「日本はこれらの提案の中で、領 蒙古から及ぶロシア〔ソ連〕の影響力の伸長を阻止するための内蒙古の 求は、 満州国の独立の承認、 華北の経済と開発に関する何らかの権利、「外 日本側の条件は中国側に「有利」なものだった……。つまり、日本の要 一九三八年から一九四一年の間に「十二の和平提案」を行なっている。 た。》 なって活動に専念しようとした。》そして《順義県新民会の役員になっ 民生活の向上などのスローガンに共鳴して教員を辞めて、同会の職員と ので、新民会の主張する日中提携による農村建設、教育文化の振興、農 話した。その《劉月勤さんは国民党政府の農村政策に批判を抱いていた 北京共産党政権寄りの学者笠原十九司が平成 年に支那民衆の話を聞 《極めて誠実な》友人のことを き取っている。【史料2】何権という男が、 軍捕虜収容所から解放されたあとのインタビューで語った……、日本は 20 日本軍が軍事制圧した町や村には、「新民会」という住民の自治組織 を作らせ、それを指導する。日本が軍政を布くわけではない。その指導 ている。 47 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 74 6 である。そのために多くの支那民衆が進んで参加・協同している。日本 めには、農民から作物を徴発する以外ない。過酷な収奪だったことは『マ 毛沢東共産軍は、一九三四年十月、「長征」と自賛する大敗走を始め、 支那北西の僻地延安地域に押し込められる。軍と官僚集団を維持するた り、毛沢東は延安を〝強制収容所〟にした。彭徳懐が言ったように、共 な部分が、たちまち遊撃区に変わった。百団大戦の前、わが軍に残って 一九四〇年三月前後から七月までのあいだに、華北の抗日根拠地の大き が抗日根拠地はますます縮小し、部隊の物資補給は困難になった。…… ると、かいらい軍やかいらい組織は拡大し、敵の占領区も拡大して、わ 策をとってきた。こうして日本軍がいわゆる「治安強化」政策をすすめ 【史料4】 《日本軍は、軍事攻勢のほか、 彭徳懐が次のように嘆いている。 政治面での投降の誘い、経済封鎖、文化面での欺瞞といった多面的な政 の最大のものである。だから、南京市民が大歓迎したのだ。 いる。【史料6】 情報を知らせ、多額のドル紙幣を持たせて、折田を上海まで脱出させて このお陰で、戦後、折田の戦犯問題が出てきたとき、国民政府の高官が てくれば直ぐに知らせてくれる。兵士にとって楽しい〝作戦〟である。 手伝わせる。これが近隣に知られて治安区域が広がる。共産軍が潜入し 交流させる。病人がいれば治療する。川があれば橋を架ける。農作業を 行為を停止し、徹底した宣撫工作をする。兵士に支那語を学ばせ住民と 宣撫工作を徹底して実行したのが、華北の済南に本部を置く第五九師 団である。共産軍のゲリラ戦に手こずっていたので、参謀折田貞重中佐 のである。 て、またまた、国民軍が引きあげて行ったときには、村のおもだった人々 《まもなく興隆の八路軍は、全部どこかに行ってしまい、まったくひっ 48 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● 方針は《日中提携による農村建設、教育文化の振興、農民生活の向上》 が、強権的な統治機構を組織して人民を支配しているのではない。 オ、誰も知らなかった毛沢東』に詳しい。【史料5】農民は極貧で飢えに 八四歳だった李伯潜さんに「汪精衛政権をどう評価するか」と質問する 産軍の「抗日根拠地」からの「部隊の物資補給」は、毛沢東軍の死活問 苦しみ、逃げ出せば処刑される。もともと孤立した地帯で脱出困難であ ミアーズが日本の協力者として言及した汪精衛〔汪兆銘〕はどうか。 笠 原 十 九 司 が 平 成 年 に 南 京 を 訪 れ て い る。《 聞 き 取 り を し た と き に と「汪精衛が役人や軍隊を連れて南京にもどってきてくれたので南京の いた県城は、太行山の平順と、山西省西北部の偏関だけであった。》 興隆に駐留していた二四〇連隊第一大隊は、終戦後、民間人二百人余 を伴う約千人で、長城を越えて北京に脱出した。しかし、出産を控えた 「かいらい組織」は既に説明した新民会のことだ。「かいらい軍」は新 民会の住民からなる武装組織である。武器供与と訓練は日本軍がする。 はわれもわれもとその後を追い、村は老人と子供だけが残された感じで るか使役に使うため連行するからである。八路軍は恐ろしい武装集団な このように、村民の「おもだった人々」が共産軍を恐れて逃げだして いる。残ったのが老人と子供だから、成年男女が逃げている。兵士にす そりとした不気味ななかに、国民軍が村に入って来ました。日ならずし 「文化面での欺瞞」とは、笠原十九司が聞き取った「日中提携による農 した。再び八路軍が入って来ました。》 日本軍の制圧は、農民が「物資」を共産軍に奪われないことを意味す る。更に、農民が兵士やゲリラにされることもない。 成果をあげている。 村建設、教育文化の振興、農民生活の向上」のことである。戦闘せずに の提言を入れて新作戦を採用する。やむを得ない防禦以外の一切の戦闘 「遊撃区」とは、共産軍にとって敵地であり、これから戦闘によって 自軍の支配地に繰り入れたい地域のことだ。自分たちの支配地を、日本 が分かる。 題だったのである。共産軍の軍事行動が民衆の犠牲の上に行われたこと 華日和平を巡って蔣介石と対立していた汪兆銘は重慶を脱出し、昭和 年 月、日本を後ろ盾に南京国民政府を樹立する。「新民会」的組織 市民は喜んだ」と率直に語った》という。【史料3】 13 砂山節子は幼い二人の子供と残留する。その砂山の手記がある。【史料7】 3 軍の宣撫工作によって、わずか五カ月ほどで、ほとんど失ってしまった 15 佳 作 日本は支那を侵略していない 会社の病院へ入れる等親身になつて恩恵を施した為、部落民は今度は会 導し終には水田の作り方迄教え、部落民の子弟は会社の学校へ、病人は 家庭に女、子供でも出来る簡単な手工業、家畜の飼育等を副業として指 【史料9】 《満蒙毛繊公社……は満洲で得た体 三笠宮崇仁の証言もある。 験を活用し……た。会社は部落民の労働力を利用すると共に、部落の各 農民も喜んでいる。 満洲だから共産軍であろう。隠匿武器発見のため一斉に高粱を刈らせ たのだと思う。案の定、武器が出てきて、その地域が「安穏」になり、 いう話も聞いた。 》 器も発見、撤去され、村は安穏となり、野菜や鶏五十羽程を贈られたと たりもした。すると、見晴らしもよくなり、中国の軍隊が隠していた武 らしい。時には、村長達に命じて、共同で高 粱 畑の刈り取りを実施し 由を知らせる講演活動、飛行機からのビラ撒きなどが、主な任務だった かった」と話していた。満鉄の宣撫班として奥地に進み、皇軍進出の理 『正論』に「主婦の目 ママの声」という連載コラムがあった。筆者 《祖父は「人殺しなどしな の祖父が満洲で宣撫活動をしていた。【史料8】 八百人の部隊なのだから、砂山親子三人を連れて行くのは難しくない。 この手記から、日本人が支那農民や国民党軍と共産軍から恨みを買っ ていないことも分かる。 もし日本人が襲われる懸念が少しでもあるなら、 のだ。 信者の井上実は、これが当時の「一種の通説であった」、天からの声の 満州事変勃発の日、海竜領事館に支那人から「満洲の人民は善政を布 く人なら誰でもよい、その人の指導に従う」という電話が来ている。受 も知らない。 は、国家の意味を理解しない日本人の通弊からである。満洲民衆の歴史 たからである。大人の女性が分からないほど、満洲国の統治が巧みで優 して生活ができたのは、満洲国と関東軍が満洲全体の治安を維持してい のある生き方をして」いたから、平和で仲良く暮らせた「『国』じゃな 族協和」の麗しい光景である。民族の違いを越えて「個々人として誠意 女性の言葉である。日本人が引き揚げる時も、皆親切だった。まさに「五 こだわること自体考えつかない》二十八歳の時ハルビンで終戦を迎えた ろだったという感慨しかないので、日本の侵略がどうこうといった点に たいらっしゃい」と手を振った。明るくて暖かい、人間的に豊かなとこ してくれたし、全財産を捨てて引き揚げるときは、集まった群衆が「ま き方をしているかどうかなんですよ。「国」じゃなくて「人間」なのね。 ら、私たちが戦勝国の人間であっても、要は個々人として誠意のある生 と と は 違 う の。 あ そ こ は も と も と、 中 国 人、 朝 鮮 人、( 革 命 を 逃 れ た ) 】 れていたのだ。聞き手である評論家佐藤健志がこのことに気づかないの くて『人間』」が問題なのだ、と上田は言うが、それは違う。皆が安心 敗戦後だって、知り合いの中国人は、処罰される危険を冒しても親切に ロシア人、ユダヤ人と、祖国に頼れない人ばかりが暮らしているんだか 社の為警戒部隊の役をつとめるようになり、この三十六ケ町村という広 ように聞こえたと書いている。【史料 こう りゃん 大の地帯の中に一人でも敵側の者が入つてくると、部落民は直ちに会社 へ報告するという状態で華北の共産軍地区の真中の此の広い地帯は、日 本兵一人も居らずに完全に治安は維持されたのである。》 朝鮮族として満洲に生まれた金文学氏は生まれ故郷の瀋陽で《「現在 の共産党時代は国民党時代より劣り、国民党時代は日本の満洲国時代よ り劣る」「もしも満洲国がそのまま維持されたならば、現在のようなみ じめなことはなかった。日本みたいに発展したはずだ」 「日本人は残虐 だ、悪人だと言うけれど、わたしはそんな日本人には会ったことはない。 「日本兵一人も居らずに」というのは、三笠宮の間違いである。共産 軍はゲリラといえ、日本軍がいなければ撃退できない。日本軍が治安を 維持しているから「三十六ケ町村という広大の地帯」が「桃源郷」にな 56 】 仲良くやりましたよ」》と聞いている。【史料 】 ったのだ。 【史料 昭和 年に、総山孝雄氏が支那人歯科医師たちとの懇談で、「蔣介石 が勝っていたらよかったですね」と言ったら即座に「汪兆銘だったらも 49 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 11 漫画『フイチンさん』を描いた上田トシコの談話がある。 《 〔歴史学者と〕そこ〔満洲〕の空気につかって育った人間が感じたこ 10 12 幹部が全員反対する中、スターリンも拒絶したのに、毛沢東は朝鮮戦争 を始めさせた。ソ連からの武器援助に加えて、武器製造技術伝授、工場 れた人物だ》 と書いている。【史料 】 林郁は次のように聞き取っている。 逃れる日本人の保護に努め、侵入してきた中共軍に抵抗して遂に処刑さ 東は日本側に帰順し、昭和二十年満洲国崩壊の後もソ聯軍の侵略暴行を 民から感謝されて大団円となつてゐる。この抗日武装蜂起の指導者謝文 人権も持たない。 那人民は共産党政権の〝侵略〟を受け、搾取されている。国民は基本的 互いに〝侵略戦争〟を続け、その勝者が唯一人毛沢東である。今も、支 ったのではない。そして、各武装政権は国民のための政策を実施せず、 99 した罪で佳木斯で処刑され、さらし首になった》。謝文東は漢奸(国賊) 児や避難民数十人を手厚く保護した。…一九四六年冬、彼は日本に協力 りあげられた。そして、戦後の混乱期に彼は日本開拓団の死にかけた孤 年後に捕えられ、満州帝国の翼賛団体であった協和会の上級幹部にまつ 日本国民は甘受しなければならないであろう。しかし、そのような事件 もし仮にこれが真実なら、日本の敗戦後、支那大陸全土で、日本軍将 兵と日本人居留民への大虐殺事件が多発したであろうし、そのことを、 ている」という物言いは、許し難い。 以上述べて来たことから考えれば、田原総一朗の「朝生『2006元 旦スペシャル』」での「日本は中国を、侵略し、やたら、めったら殺し 】 《謝文東は土龍山蜂起のあと、関東軍の討伐軍に追われ続け、五 として処刑されるのを覚悟で、日本人を助けた。上田さんの言う「処罰 は全く起きなかった。逆に親切にされている。満洲でも、支那大陸でも、 ジ ャ ム ス される危険」も同じだ。支那では、日本人に限らず外国人に協力にする 多くの日本人が、満州人と支那人に助けられて帰国している。虐殺し、 共産党が最低の評価であることには、明確な理由がある。毛沢東は、 中華人民共和国建国以前から、民生のための予算を殆ど認めず、軍事大 間違っている。 実であるという検証をしていないと公言している。吉田清治の慰安婦強 虐殺・強姦〝証言〟について、私が認識している限りでは、二つしか ない。本多勝一の『中国の旅』と『南京への道』については、本人が真 国民政府系の北支那臨時政務委員会主席王克敏は「第一等国に恥じな い戦いをした。堂々と帰っていただきたい」と言っている。【史料6】 数千人の軍人と看護婦を不法に拘束し、長期間内戦に従軍させている。 国建設に注ぎ込んだ。 中華人民共和国建国後も人民の生活に目を向けず、 このように、満洲事変を契機に満洲国ができて、民衆が安心して暮ら せるようになったのだから、満洲事変を侵略の始まりという歴史認識は 帰国を阻んで死に追いやったのは、ソ連軍と毛沢東軍である。毛沢東は と、漢奸として過酷な処罰を受ける。これは、文化大革命でも繰り返さ 【史料 15 50 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● っとよかった」 と言い返されたので、 日本人一同呆気にとられていた。【史 】 )農民と市民の生活がより貧窮す 聞く耳を持たなかった。(以上 【史料5】 料 満洲で多くの日本人が民衆に襲われた。治安が崩壊したため、 終戦後、 掠奪し放題の状況になったからだ。日本人が地元民に恨まれた事例が、 ることはあっても、楽になるはずがない。毛沢東一人独裁政権だからだ。 大国路線は現在も継続しているから、多くの人民が貧しい。 建設援助を得るためだ。開戦一年半後、金日成が停戦を懇願したのに、 開拓民などの手記を読んだ限り、 ほとんどない。暴徒は遠方の者であり、 支那全土と支那人全体を毛沢東一人が〝侵略した〟と言ってよい。軍事 】暴動になれば 借地や租界を認めたのであり、奪われたのではない。それも、ごく狭小 冒頭の「侵略」の定義に戻る。これが正しいとすると〝近代中国〟は 他国から侵略されたことがない。他国との条約で、他国に期限付きの租 満洲と言えば、先住者から土地を不当に安く買い取って奪ったという ことになっている。これも史実に反する。私が調べた限り、土竜山事件 %の主権は支那にあり、国民は外国の統治下にあ の土地だけだ。残る 14 しかない。中村粲が《この事件は購入価格の適正な修正で、むしろ土着 現在でも、多くの国で掠奪が起きている。 はどうせ取られるならと知人たちに与えている。【史料 近くの者はよそ者が掠奪するのを見て自分たちがほしいと思い、日本人 13 れ、現在でもその思想が続いていると思われる。 14 佳 作 日本は支那を侵略していない 制連行証言と同じように、史料としては無価値である。 シベリヤでの五年間の抑留後、毛沢東に引き渡されて撫順管理所に六 年間監禁され、 「自白しないと帰国させない」という精神的拷問を受け て洗脳された「中国帰還者連絡会」会員の証言も信用できない。日本国 憲法にも 「不当に長く拘禁された後の自白は証拠とすることができない」 とある。 田原総一朗ら多くの知識人、 『朝日新聞』を始めとするマスメディア、 更に、岩波書店とある種の〝学者〟が吹聴した虚偽によって、日本人が 洗脳されている。その洗脳された国民の責任も重大である。 51 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 歴史を学び、我が祖国日本に誇りを持ってほしい。 参考文献(引用順) 史料 ヘレン・ミアーズ・伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』メディアフ ァクトリー 史料 笠原十九司『日本軍の治安戦─日中戦争の実相』岩波書店 史料 同『体験者 人が語る南京事件』高文研 史料 『彭徳懐自述』サイマル出版会 史料 ユン・チアン、ジョン・ハリデイ・土屋京子訳『マオ、誰も知らな かった毛沢東』講談社 史料 伊藤桂一「参謀記」 ( 『かかる軍人ありき』光人社NF文庫所収) 『正論』平成 年 月号、田辺 史料 砂 山節子『熱河宣教の記録』未来社( 敏雄の論考より孫引き) ( 『正論』平成 年 月号 史料 三重の主婦えみ子「主婦の目 ママの声」 掲載) 『復録 日本大雑誌 昭和戦後篇』 〈流 史料 初 出『改造』昭和 年 月号。 動出版〉 『フイチンさん』と近代日本」 ( 『正論』平成 年 月号掲 藤健志「 佐 載) 史料 8 6 12 6 18 16 』 文藝春秋編『されど、わが「満洲」 『阿片』で巨利!」 ( 『歴史通』平成 文学「毛沢東は日本軍と共謀 金 年 月号掲載) 12 月号掲載) 11 2 史料 史料 24 総 山 孝 雄「 孫 文 の 遺 書 か ら 始 ま っ た 私 の 日 中 関 係 体 験 史 」(『 正 論 』 平成 年 月号掲載) 1 14 林郁『満州・その幻の国ゆえに』筑摩書房 ( 『正論』 年 中村粲「NHKウォッチング」 15 史料 史料 史料 27 1 5 4 3 2 7 6 8 9 10 12 11 25 13 15 14
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