西村豊 治 名誉 教授御逝去

1
一会術
一
一
究所幡勝山
.1
A
東駐屯時
⋮東京歯科大学同窓会会報 一
刊行間協
⋮
⋮
⋮
⋮
⋮一
男 発脚時恥
一
西村豊 治名 誉教授御逝去
西村隻治名営教授略歴
一 左記次第により同窓会主催による
一
一
一
開催 御
明治二十二年愛知県出生
大正元年母校卒業
令
A官
対日七百枠制献す崎ザヒ
知
六月)で お知らせ致します。
(
期日七月中旬より下旬
科目臨床各科目
中井武一郎
東京歯科大学同窓会長
口一腔外科内講師、埼玉県警察本部刑
事部顧問)
昭和三十七年四月十五日
義がなされている程である。今回は
歯科法医学について事例を示しなが
らその概略を解説致したい。(本学
科 の法医学は既に古くは野 口英世博
士の当時間 、博士によって最初の講
り、 歯 牙 に よ る 年 令、 性別 、 血 液
型 、死因の推定などをはじめ 、唆傷
歯痕などの分野にも及んでいる。歯
に説明致したい。
﹁日本における歯科法医学発達の
鈴 木 和 男 講師
現状 ﹂
歯科を中心とした法医学的事項に
ついての研究は最近とくに盛んにな
通
会員各位殿
は京日 f
ご
次く同
号閲窓
会催会
報致員
従 三位 に 叙 せ ら れ
勲 三等 瑞 宝 章 を 賜 わ る
*Illのし
東京歯科大学葬をもって送る
。下し
詳記ま
夏期講習会開催 のお知らせ
話しいたしたい。特に 、診療室一の設
計と患者との人間関係についてもカ
ラ│ スライドと映画によって具体的
・ 0・
02?一講演会を開催致しますので 、万障お
の医大歯学部にて 宮
の学位を受く。
一繰合せの上御参会下さい。
田和 三 年 慈 恵 会 医 大 よ り 学 一
記
位受領。
一
一 日時
昭
和 三十七年六月二十四日
一
昭和十五年より十九年まで
(日)午後一時 j 四時
大日本歯科医 学会会長
一
昭和十八年より昭和二十二年まで一 場 所 母校講堂
日本 歯科医師会専務理事および 一 ﹁医業経営の近代化は何から始め
副会長
一
一 ればよいか ﹂ 木 下 隆 治 教 授
昭和二十二年東京都歯科医師会 一
ト
一 歯不医業は企業ではなく家業的特
会長
一性があるため 、合理 化、近代化に は
田和二十 三年 厚 生 技 官 拝 命
昭和二十四年母校教授
↑自ら限界があることを曽って申し上
昭 和 二 十 六 年 学 校 法 ふ 東 京 歯 科 ↑げましわ。今回は皆保険の重圧下に
大学理事
、
一
あ
っ
て
どうしたら良い医療を広い
日和二十九年母校名誉教授
一
、
昭和=干二年よ り三 十四年まで 一階層に及ぼし 又収入と利益との関
一係は医業道徳の立場からどう処理し
母校同窓会会長
ていかねばならないか等についてお
演
すをく
去る 二月十二日午前九時三十分、 一 葬 儀 場 に は 厚 生 大 臣 、日本 歯科医
西村豊治名誉教授は脳出血のため自一師会、各歯科大学をはじめ各学会そ
享年七十一の他から贈られた花環が列び 、定刻
宅において御逝去された (
三才)。二月十六日には母校におい一前より多数の参列者が参集、
ては大学葬の礼をもって先生の御霊 一正午後一時間式された。
一
をお送り申し上げた。一大井清教授司式により導師一
なお 、先生生前の勲功に対し二月一入場、読経 、導師焼香につづ一
十六日付けをもって従 三位に叙せら一 いて福島葬儀委員長 、 石川母一
一
校理 事長、厚生省医務局長 、 一
れ、勲 三等 瑞宝章を賜わった。
一国立東京第二病院長 、日 本歯一
路一
科医師会長、東京都歯科 医師一
誉 一会 長 、中井同窓会長 、 友人代 一
一表の弔辞が読まれ 、多数の弔一
一
電が披露された。再び導師の一
一読経の中を御遺族をはじめ 参 一
講
予た咋
定め年
での好
あ講評
り習を
ま会は
西村豊治名誉教授大学葬行なわる ・
.
.
.
.
..
下 同 窓 会 講 演 会 の お 知 ら せ ::・:・・:::::;::ji--:::i
日 岡 田 満 ・ 萩 原 義雄両氏逝去 ・
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・
叩 第 六 十 七 回 卒 業 式 挙 行j
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バ 同 窓 会 評 議 員 支 部 長 顧 問 委 嘱 さ る ::・
ji--・:::・:ji--::4 い
汁 学 内 だ よ り j i-- :ji-:7 山
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松 宮 教 授 学 術 会 議 会 員 候 補 者 と な るji--:j ij
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-クラス会だより:::
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4
•
•
儲
豊
附
ぜ 一列 者 の 焼 香 が 行 わ れ た 。 一
つづいて福島葬儀委員長の一
葬儀は委員長 に福島秀策学長 、副 謝辞があり 、葬儀を終了 、午 出
委員長には中井武一郎同窓会長 、中 後二時より一般告別式に移り ・
引きも切らず延々と続いた。
村恒吉氏があたり 、浅草東本願寺に 各方面よりの参列者はのぺ千
おいて厳そかなうちにも盛大にとり 三百名を数え 、定刻二時まで
行なわれた。
浅草東本願寺における大学葬
第8
5
号
東京歯科大学問窓会会報
7
年 4月1
5日
(1) 昭和3
岡田満先生の御逝去を悼みて
慶応義塾大学医学部教授
生
同顧問、日本歯科医師会代議員、
母 校 同 窓 会 副 会 長 、 同福島県支部
長 、 母校評議員を.伊任
、
一、平 市 市 会 議 員、 同副議長 同議
長 、福 山 県 県 会 議 員 歴 任
、
一、 片倉製糸株式会社重役 平信用
略)
金庫監査役 、 そ の 他 (
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MU
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4d
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1J
1
沢先生の奥様の御挨修があった。そ
の中に﹃花沢は喜んで皆さんを迎え
ているでし ょう。そして本を読むの
をやめて 、 よくきてくれたと小さな
裟から出て手を振って拝んでいるに
違いない。そして私達が帰ったら 、
又小さなお墓に入って休むのでし ょ
う﹄というようなお言葉があった。
花 沢 先 生 逝 か れ て 十 三年にもなるの
に、 ここにまざまざと先生に御会い
する思いである。先生の花りし M の
力
感
こと 、今のことなどを憶えば 、交 々 つ き な い 感 激 を 党 ぇ 、身も心も
引き締まる思いがした。
花 沢 先 生 の 慕 参 の 後 、 同じ訟固に
静まっておられる 、 山山脇先生のお廷
に 一同参列 、香 花 を 供 え 、水をそそ
いでお詣りした。先ず学長が焼香 、
緩 本 先 生 、矢 崎 先 生 の 焼 脊 、 中 井 会
長 が 一同 を 代 表 し て 焼 存 、 これに和
して一同御礼を捧げた 。 ここでも一
同 血 脇 先 生 を お 似 び し 、明状を報告
し、 か つ 団 結 を お 誓 い す る 気 付 が 自
然と湧き出る思いがした ω時に十一
時十分。
それからグますや'という休み茶
屋で花沢先生の奥様の御心尽しの御
茶 菓 を 御 馳 走 に な っ て 休 恕 し た 。十
一時同一パスに乗って八柱軍岡を出
発帰途についた。途中おすしの折詰
井 会 長 、松宮先生 、 矢崎先生の順で
萩原義雄氏略歴
おいてとり行われましたが 、母校か
焼 香 、榎本先生は一 同 を代表して焼
らは福島秀策学長 、本会からは中井 明 治二 十 二 年 長 野 県 出 生
香 、 一同これに従って礼拝した。こ
武 二 郎 会 長 、 天 野博 徳、消信静夫両 明 治 四 十 四 年 母 校 卒 業
こで会長中弁先生御挨拶ののむ 、花
一、 大 ﹄十五年より福島県歯科医師
会 理 事、同副会長 、同会長(六期)
萩原義雄氏は母校評議員でありま
理事が参列しました。
花
u
先
慶 応 義 塾 大 学 名 物 教 授 岡 田 満 先 生 が母校東京歯科並びに同窓に示され
し
たと同時に 、 前本会会長河村弘氏
には 、 去 月 二 十 二 日 御 朝 食 後 の 御 話 た陰の御力は数多くあり 、 母校発展
つづいて矢崎正方氏のもとに副会長
の途中 、突 如 脳 出 血 様 症 状 を 現 わ し のため母校誇教室における研究論文
として本会のために永らく御尽力さ
意 識 を 失 な わ れ ま し た 。 御 家 族 の お 審 査 の 労 を 借 ま ず 、 母校同窓より数
れさらに今回中井武一郎氏の会長就
手 厚 い 御 看 病 、 東歯大市 川病 院 内 科 多くの医学博士を生み出しておりま
任にあたってもその手腕を蝋望され
の皆様 、本 学 山 口 与 市 教 授 の 日 夜 を す
。
て再度副会長の職につかれたばかり
わ か た ぬ 治 療 の 効 も な く 、 二十八日
先生が歯科学にのこされました御
であって 、本会のためにも惜みても
午前十一時三十分ついに御永眠なさ 仕事は 、歯 科 予 防 衛 生 の 先 鞭 、大日
なお余りあるものがあります。
a
れました。短い期間ではありました 本 歯 科 氏 学 会 の 創 設 、所諮問団式緩
が、先生に御煎陶をいただきました 圧装置応用アタッチメント義歯の研
私は 、謹んで哀悼の 怠を捧げますと 究業績と私共歯科に生きる者の忘れ
共に 、 在 り し 日 の 先 生 の 面 影 を 偲 ん ることのできね数々があります。先
でおります。
生は歯科学指導の面にはきびしい反
先生一は幼にして芯をたて 、単 身 上 師、私事の面における御相談ごとに
京 早 稲 田 中 学 を 経 て 、血 脇 先 生 を し は細管周到且つ慈父の温容を惜しま
昭和三十二年名脊教授御就任とと
たい 、 東京歯件俣市守に学び 、講 師 在 れなかったことも諮りったえられて
職の時北米ワシントン大学歯学部に おります 。
ー
・
ー
学 び 卒 業 後 、 彼の地において 、 歯 科
L
補 綴 矯 正 を 専 攻 し 、大医じ年対朝後 もに現職を退かれ 、 あの静かな市川
間もなく本学の限ベ宇部創設に当り 、 の御宅で 、 樹々をかすめる松風を愛
血脇先生の命 のままに 、前 科 山 身 朽 し、美しい 促の縁をながめつつ奥様
の御助力による著詐御就筆に専心さ
れておられます時 、私共は先生病い
として本邦最初の医学部教授として
し て の 先 鞭 を つ け ら れ ま し た 。 以 来 に倒れるの報に接しました。既でに
御 就 任、 現 在 の 氏 系 内 歯 科 出 身 者 と
=一十八年の永い年月 、多 数 の 門 下 生 先生と幽明境いを異に致しました現
を指導し侠学部における歯科の在り 在、私北ハは再び先生に接し得ず 、唯
A
り
夫
方を示されると共に 、民 科 の 方 々 に ひたすら先生の御冥福をお祈り申し
歯科認識を一一層深くするよう努力さ 上げますのみです。
れてこられました 。尚この間、 先 生
萩原義雄同窓会副会長逝去
沢
、水 を そ そ ぎ 、先ず学
4 え
V
月卜八日 、 日附 、同窓会の企 一に待作化 h供
一
一
画で 、花 沢 先 生 が 亡 く な ら れ て 丁 度 一長焼香、次いで花沢先生の奥州伸、中
十三回忌に当られるので(先生の御 ↑
Hは ニ刀 二十 二日)先生のお必詣
A叩
りが行われた 。 か ね て 参 加 討 を 本 集
しておったが 、 当日の参加者は 一般
会円以、目下校関係会川、ぃ州剛山学教室関
引であった。こ
係の会員で大体八00
の円幸いに附犬 、予約のデラックス
パス ニムロが八時間イ万.分頃大山一寸前に
到着 、すでに待ち構えていた会員は
直ちに乗車した。九時十分頃発車 、
女車乍の指示する方法に従って思い
思いに背紋(椅子)を調節しながら 、
業な姿勢をとることが山来た。本郷
浅川午を通り 、必戸に抜け 、 八柱霊園
に着いたのは十時十分凶であった。
往路 時間のパスであったが 、 デラ
ックス ・パスのゆっくりした附をと
れたことと 、燐り同志楽しい話をし
ながらの旅であったのでちっともた
いくつを感じさせなかった。
パスは花沢先生のお墓のところま
で行けたのでまことに好仰合。墓前
旨
村 言
保
か ね て 病 気 御 療 養 中 で あ っ た 本 会 一日胃絡のため御逝去されました。
墓
北
お
f
受
不
ナ
副会長萩原義雄氏は 、去る二月十五 一 なお御葬儀は二月十七日御自宅に
り
5
百
さ
会
お
の
ってか 、まことにおいし く中食がと
れた。パスの中でのお茶の味も亦格
時間はよしでお腹が減ったせいはあ
が同窓会から配られた。天気はよし
生
先
別。かくて松戸を通って東京に入り
沢
時 で あ っ た 。 (三頁 五 段 け へつづ く)
町の方から大学に帰った
浅 草 、 上野 、本郷を経てさらに神保
ω 丁伎十二
花
の
教
中
(2)
第8
5号
東京歯科大学問窓会会報
1
1
白
,
f
l
J
3
7年 4月1
5日
新会員一三七名を迎う
去る 三月二十五日(日)、例年の如 事長の祝辞(復本美彦氏代続)があ
く母校ホ1 ルにおい て専門諜程第六 り、本会からは会を代表して中井武
十七回卒業式が挙行され 、 ここに新 一郎会長が祝辞をのベた。 これに対
して卒業生を代表して古川正君の謝
会 員 二 ニいし名を数えることとなっ
た。(新会員氏名は別記の通りであ 辞が読まれ 、 一同校歌合唱のうちに
式は終了した。
る)
さらに同日夕刻からは東京会館に
午後一時三十分長尾再長教俊司会
のもとに間一人﹁君が代﹂一唱につ づ おいて卒業生主催による謝恩会が開
いて証窓口授与式が行われたが 、今回 催され 、本会に対しても御招待があ
は福島秀策学長より卒業生個人側人 り、中弁会長が代表して出席した。
、
卒業生氏名
に対して証占段与をされると同時に なお卒業式にさきだち 、恒例に従い
土)午後 三時より母校
親しく握手を交わして親愛の情を深 三月二十四日 (
めるという今までになかった新形式 講堂において新入会員になられる卒
を採り 、更に式中はたえずベ ー トー 業生諸君を御招待して 、心 ばかりの
ベン第九シンホニ ー のメロディが流 歓迎会を催し 、全員に対して本会会
さ れ、厳粛なうちにもなごやかさが 員バッジを贈呈した。
漂ったものであった。
r
証書授与後学長止ロ静、石川幹武理
a(
飯塚正人(栃木県)、石井秀人(神奈
川県)、 石川恭(大阪府)、柄本勝典
一、 猫の口蓋粘膜における弾性線維について
(長崎県)、井沢敏雄(愛知県)、岩
一、 歯科低溶陶材の焼成条件が物理的性質に及ぼす
川
都
)
、
淵徹(茨城県)、浜野文秀(来 日
本一臣
影響についての実 験 的 研 究 松
前山
片制重雄一(新潟県
鍛柄引均 一 (
、
に関する実験的研究 同 本 協 子
)
県)、綿 田尚夫(、
岡山県)、川野哲也 一 歯科用銀錫アマルガムのクロ l
、
野晃
(埼玉県)、上矢美代子(神奈 川県)、 一 おはぐろに関する 研 究 耐 酸 性 に つ い て 清
町 比 奈子
勝田英和(三重県)、小池敬子 (
東京 一、 お は ぐ ろ に 関 す る 研 究 歴 史 的考 察 関
都)、神原常。
経(徳ぬ県)、河原茂市一
神奈 川県)、清野
島県
)
、 鹿野晃生 (
第十二回母校衛生士学
東京都)、金山
茨城県 )、小坂剛也(
(
佐藤洋子 (東京都)、白
晃 (北海 道
公彦 (
山 梨県)、序出允(広島以)、梨
校卒業証書授与式挙行
)
、
)
奈
子
東
京
関
町
比
(
井保明(静、
岡
県
原玲子 (
広 島県) 、 川 越 俊 介 (群馬
去る三月二十七日(火)、午後一時
鈴回那介
都)、 広川裕祐 (
新潟県
県)、小 室甲(京都川)、松本 一臣(東
)
愛知県)、志水透 (秋田、
県)、清水忠 より母校﹁ホl ル﹂において第十二
(
京都)、前同和男(米京町仰)、東山政
(愛媛県 て 旧村忠昭(新潟県)木村剛 回東京歯科大学衛生士学校卒業証磐
実(富 山県
興仰健(ぃ米京都)、松坂
、
茨城県)回中 久 授与式が挙行された。新卒業生は二
) 岸美智子(岡山以て 高 (宮山県) 白井陽二 (
泰(群馬県、
、
、
、
)阜県)、 松浦フ遠(大阪 雄(三章一以) 矢内融 (群馬県)、吉田 十 六名で 全国にさきがけて母校に
谷貞之 (
岐
允(群馬県)、張崇民(台湾省)、菅沼 おいて採 用さ れた二年制衛生士 学校
府)、倉繁瑞枝(鳥取県)、松川徳子
第一回目のものである。
昭雄(愛知県)、添島義 和(熊 本以
内
島
(愛知県)、森島英祐(滋賀県)、山
、
)知
愛
鳥居広彩(愛知県)、流義 孝 (
第十二回卒業者氏名
一郎(栃木県)、皆葉巧樹(茨城山小)、
愛知県)、綬木正(新潟
県 杉戸勲 (
長崎県 )、宮 川保 範(長野
溝上陸男 (
、
、
、
) 土屋博 (
茨 加藤木恵美 河田道子 上野美子
県、
長野県)、鈴木行雄(
、
、
、
)
城、
県)、若月英 三 (山梨県)、 八木正 福田陸子 深川美津子 松崎朱美
熊谷淑子 、川島陽子 、多国敏子 、石
岡栄子 、鈴木すみ 、永井久仁子 、石
本 允 明 (静岡 県)、水 上良子
県
)
、
笹
安部井寿彦 (川県京都 て 安藤 二一
見 (山梨
一
(栃木県)、中
県て説明下問l ・
一
(
山形県)、秋元信克(宵城県)、
嶋徹治(岐阜県)、 長野陽子(新潟
校窓司(茨城県)、秋岡省 ご 大
、
)
県
野
間
弘
康
(
宮
崎
県
)
難
波
市(神奈
、小倉夫
阪府)、盆子原光美(北海道
、
一
川
県
)
中
弁
仁
(
北
海
道
)
、
)生
遠藤義弘(福島県)、 青木一
世
(
東
京
都
)
、
鈴
木
美
彦
(
北
海道)、 大
、
(愛知県)、藤井典子(広烏県)、
儀
見
重
夫
(
東
京
都
)
中
村
靖夫(東京
福武公雄(岡山県
、
芦刈姉妹
岡
本
協
子
(
岡
山
県
)、阿国王義
都
)
)
(大分県)、浜田明、
大(
車円余県
(
山
形
県 )、岡 本日
(
栃
木
県
奥
山
宏
)
、
)
林達夫(長野県
羽田筒抜 、
(
愛
鳥
取
県
深
沢
一
売(
山 梨県 )、荻
出
夫
(
)
、
)
知県)、花上弘、
昭(神奈 川県)、
)
、
野 村悦司(岐阜
(
沼
善
也
茨
城
県
藤居克二 (
滋賀県 て 平林てつ
(
福
島県)、小野美念
県
)
、
斎
藤
光
正
、
(東京都)、初鹿繁和(山梨県)、
子
(
東
京
都
)
大
鶴
問暗(山梨 県)、佐
平井勝子(北海道)、 平 田 陵 則
木
明
子
(
北
海
道
)、大 菅 武 ( 富 山
々
(和歌 山県)、古川 正 (
福島県
泉
和夫 (
神 奈 川県)、芦田都
県
)
、
酒
、
)愛
堀光成 (
東京都)、穂積 啓子(
県)、関口威身(群馬県)、遠
子
(
石
川
知県)、池田満之(神奈川県)、 藤直樹 (
徳島県)、前田洋 一郎(鹿児
卒
業
論
文
正
原尚子 、望月和 、小川玲子 、島 田美
穂子 、神谷洋子 、細川暢子 、須 田泰
江、 藤沢宏子 、 内田雅子 、 近藤泰
子、大島敦子 、 立原千賀子 、向田瑛
子、保母道子
}
I
I
欧米旅行談の午後 の部に移ることと
なった。
県)、山崎博通(東京都)、山 田洋文 (
二頁五段目よ りつづく )
(北海 道 )、横田秋 三朗(愛知県 )、山
一同万事好都合に行った ことを喜
崎頼任(宮附県)、 山路阿彦(広島 び合いながら本日午前中の同窓会の
県 桜山阿子(東京都)、吉 田欣司 行事は終った 。一時間休憩 、午後 一
)
、
、
)
根
賀
川
日
田
幸
(
徳
品
県
(、
神
奈
川
県
)
時から松宮教授の花沢先生の御遺 徳
本博之 (
東京 都)
をお偲びするお話 、次に関根教授の
新 潟以 )、高江洲義短 (沖縄)、山
栄(
東京
崎 庄 子 (長野県)、滝沢 一雄 (
長
都)、山 口普(東京都)、谷脇克彦(
崎県)、渡辺俊二(福島県)、山 島栄
子(東京都)、続孝(静岡県)、山 脇俊
男 (愛知川小)、山内 英仙沼(東京都)、総
津文夫(福島県)、 柴 田 行 雄 ( 栃 木
古
第六十七回卒業証書授与式挙行さる
第8
5号
東京歯科大学問窓会会報
(
3) 昭和37年 4月1
5日
東京歯科大学同窓会会報
昭和3
7
年 4月 1
5日
第8
5号
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お知らせ致します。
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(5) 第 85号
をゆずり 、 口腔外科の真価を世間に
知らしめ 、益々隆盛を来らしめた。
腔外科教室を遠藤教授にそのバトン
外 科 部 長 よ り 、保 存 部 長 と な り 、 口
遇をうけた。
一
同 二 十 六 年 に は 、東 京 歯 科 大 学 理 一
院 歯 科 医 長 と な り 、放 西 野 院 長 の 知 一
昭和二十三年には国立東京第二病 一
委員となり 、 又同十八年一月には官 った。いうまでもなく 、 天性温厚篤
選による日本歯科医師会専務理事と 実で責任感の強い人で 、病院にあっ
、
なり 、 次いで日本歯科医師会副会長 ても精励し 部下の面倒をよくみら
及び会長代理をつとめ 、 又東京都歯 れ、終始一貫真面目に勤められた。
斯の如く我歯科界に於ける 、模範の
科医師会々長の要職につかれた。
医療事務取扱 、 同十七年厚生省専門 相照らしほんとうに心の通う仲であ
委員 、同十年内務省衛生局事務取扱 し、 又観劇が好きのこととて 、能く
として歯科医政の端緒を聞き 、同十 二人で芝居見物に行ったものだ。そ
三 年 内 務 省 警 保 局 歯 科 医 療 事 務 取 うして時々旅 行もして 、愉快に世事
扱、 同十四年傷兵保護院業務局歯科 や臨床の話に華をさかし 、淘に肝胆
整に努め 、 同年東京府健康保険審査
任された。昭和九年歯科衛生材料規 ら独酌され 、 又来客があれば酒を進
格調査委員として衛生材料の規格調 めるなど 、生来の好酒家であったの
だ。僕とは毎月一 、 二回は必ず会食
昭和三年七月には 、 医学博士の学 であったし 、酒は好物中の好物で 、
位を授与され 、 又同七年社団法人大 晩酌にはいつも一一 、 三合位は 、 かか
日本歯科医学会副会長及び会長に就 することなく 、 日略 、祭日には朝か
欧州各国 、 及び米国に於ける歯科医 お伴したので 、先生の風格を受け 、
学教育のありかたなど 、悉さに視察 円熟教化されたことと思う。
研究し 、現在に至るまで 、 五十余年
君 は 若 か り し 頃 は 、 北は北海道か
の問我国歯 科教育及 び医政方面に 、 ら南は九州に至るまで 、 全国的の民
多大なる貢献をなしたるのである。 謡をよく歌われ 、 又なかなかの食通
酔法について﹂外 、 その他十数編の
トル 、 メデチl ネ、 デンタリエの学
君は周知の如く 、 血脇校長 、奥村
位を授与され 、 国際的にもその名を 学長及花沢教授等に師事して 、能く
知られるようになり 、 ﹁下顎伝達麻 補佐の役をつとめ 、特に血脇先生に
は、 日本歯科医師会専務理事として
論文も作られた。帰途独乙国を始め 所謂鞄持ちの役を勤めて 、 全国的に
﹁人類の球部質麟蝕に関する組織学 腕の骨折にて 、約 三 ヶ 月 の 入 院 生 活
的研究﹂という主論文により 、 ドク をよぎなくされた。
大正十三年十二月には母校より 、 科大学同窓会々頭に推挙された。翌
瑞西国チュ l リヒ大学に、留学を命 年八月四日には病院よりの帰途 、不
ぜられ 、 二ヶ年の勉学も空しからず 幸にもオ ー トバイ の奇禍にあい 、右
次いで大井教授が之を継承して現在 事となり 、 又東京歯科大学名誉教授 一
の如き大いなる発展を見るに至った に任命された。
のである。
昭和三十二年十一月には 、 東京歯
つ外講てたに医授ぜ校
とのたが床十池田恰交つにた申を
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西 て 科 義 は の 始 学 に ら の 大 は こ の 、に ー の 忌 度 々 落 至 、せ 知 凡 嬰 度 ) い た ち 、君 い 事
村 い 学 と 福 で め 部 任 れ 助 正 、 つ が 元 つ 日 ほ に 本 胸 胆 る 御 、ら て 鎌 は 併 て 。 主 誠 は た に
教 た の 臨 島 あ て に 命 、手 元 全 て 、気 い 電 と 招 年 に さ ま 家 全 ぬ 万 と 必 し い 近 で に ほ 。 よ
授 。 講 床 尚 る 近 於 さ 大 と 年 く い 耳 あ て 話 り か 二 迫 れ で 族 く 、物 し ず 常 た 来 、情 ん
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又考え様によっては太く短かい 、 五一いらしい事を巾上げてすまぬとは岡山一々紹介してくれた。爾来十有七年間 一
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出ては全国の国立病院及び療養所等一 円以に諮み恨んで 、友人を代表して
の視察にも亦官庁方面にもよく勤め一北刷しく追憶の一端をしたため 、永遠
られ 、友人 に対し寛容を以てし 、後
一 り
mお 別 れのはなむけの言葉とする。
進の世話をよくされた。従って君を一 希くば君よ 、{女けく御冥福を衷心
中心として 、保親会、保水会、豊 友 士日ら御祈り申 上げます。
会等があり 、周囲の人々から 、 常 に
一 因に 、 二月十四日には自宅に於て
尊 敬 の 念 を 以 て 迎 え ら れ て い た 。 一 筏葬を執行 、十六日には東京歯科
この杭を終るに臨み 、国立東京第一 大学葬を浅草東本願寺に執行され
二病院に於て 、解剖の結果 、頭 脳 、 一 会葬者は約千三百名であった。
心臓 、肝臓その他の臓得には何等の一
法名郎、た院釈諦道合掌
異常を認めなかったことを絃に附記一
てよく盤石の地位を築かれた。一
二月十七日日本橋烏安にて
十 五 年 の 過 去 を 迫 怨 し て ム た 。 一 う が 、あまりにも普通人ばなれした一会長を続け得たのも 、偏えに君の激 一
今回 、 西村監治行の引間報天朝に達一
互楽会 (思い出 会)
明治四十二年駒場法科大学実科の一人間味あるれの情誼に 言わざるを得一 励 、指導、援助によるものであり 、 一
するや 、幸いなるかな 、天皇陛下よ一 追憶や君の努繁と 梅 かをる
農学科を受験 、幸い合格。四十日間一ないのだ。西村君ゆるしてくれ。一官選会長も殺の為めであった。先年 一
り畏くも 、祭菜料として御下賜料を一 君去りて思い出かたるや春寒むし の夏季実習をするうちに 、労 働 過 激 一 学 生 時 代 夏 季 休 暇 帰 省 の 折 、豊橋一君が同窓会会頭に就任した時、上 京 一
賜り 、 且つ又 、従 三位勲三等瑞京章一 君逝きて観る 人もな く梅 の花
からかえって病気にかかると聞き 、 一に下車一泊した事も思い出であり 、 一盛儀に参州し 、福島学長の隣に席を 一
を絞与せられ 、 西村家にとっては、一 惜しむべし歯 科界 の恩人、 西村豊 九月入学の東京歯科に受験入学する一君が大正十三年学校から留学させら一指定せられ 、 一言祝 辞を述べさせら 一
身に余る栄誉といわなければならな一 治京今や忽然として 、現世を去り 、 事になった。残留組と思われる 三人一れ 、見送りに出た時京阪神をつきま一れたのも君との友交を承知しておら 一
白幽明境を異にす 、鳴呼1 哀しいか 掛の数列 、そのあとに合格一番らし一とい迷惑をかけたものだ。それにも一れる学校当局の御配慮であり 、君の 一
君はいうまでもなく 、常に家庭に一よ仙、呼 べども答えず 、切 々として痛 い西村君が総代に選ばれ 、教務課と一かかわらず 、不快な様子も見せない一為めでもあり 、厚く御礼を申上げた 一
あっては 、慈父として御令闘を始め一附国の情 、胸に迫り感無量なるものが の連絡が実にうまく 、音吐朗々報告一し 、 五十五年間に 君が立腹した顔を一ぃ。
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御親族の方々をよくいっくしみ 、 又7の
頭脳極めて明噺、 出 来 る 人 だ と 思 い 二 度 も 見 た 事 が な い 。 君 の 人 徳 の し 一 福 島 学 長 は じ め 東 歯 大 幹 部 の 方 々 一
そ の 近 く に い た 僕 は 接 近 し 始 め た 。 一 か ら し む る 所 だ 。 一 の 大 部 分 は 、君の誘導によって絞江 一
こ こ に 西 村 君 と の 交 友 第 一 歩 が 始 ま 一 卒 業 前 奥 村 先 生 から 、助手として一を訪ねてくれている。これも君のた 一
、僕にも相 -めであり 、君も前後十数 回来松し て 一
った 。 一 学 校 に 残 る 様 交 渉 が あ り
影の形にそう如くという 一
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葉通り一談があった。君の様な俊秀な人は長一くれた。又出雲地方同窓は皆君の息 一
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いつも君と一緒だった。いな 、僕が一く学校に残り 、歯科界の為めに尽し一のかからぬものはない。
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悪友としてひき出し迷惑をかけ通し一てくれと賛成し 且つすすめた。そ 一 君の卦を市内の同窓に電話させた 一
だった。三崎町あたりの洋食屋 、す一れほど君は秀才で 、銀時計を受領し 一時 、君の死を悼むと共に 、僕が落胆 一
き焼屋に誘惑し 、 いつも勘定は知ら一た。僕は一年間日本橋の水野寛爾先一するだろうと 、見舞の言葉を伝えて 一
ね中に終っていた。又いつも金がな一生の診療所で実地の研究をする事に一くれた。これも友情によるものだ。 一
くなると 、無心を言って弓町の下宿一なり 、 この一カ年の聞に友訊は 層一君より問カ月年下の僕も老後を楽し 一
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に借りにゆき 、御 馳 走 に な っ た も の 一 深 ま っ た 。 一 み た い と
だった。君が戸崎町 の、た し か 十 二 一 大 正 三年帰国 、松江市に開業する一で 、秋には君をお迎えしようと思っ 一
番地に家を持った時、金を借りにい一ゃ 、その夏御尊母様 、奥様、御舎弟一ていたのに 、それも無駄となってし 一
く事になり 、水道橋あたりから小雨一の奥様 、その坊ちゃんの五人で 、 は 一まった。
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今朝九時三十分脳出血で御亡くなり 番傘をさし左小脇に何か包物を持つ一東京地方には湘南があり房総がある 一てみえた。君が先か僕が先かとも考 一
になりました﹄。僕の顔は忽ちくも てやってくる。﹃佐和君早いね﹄と言一のに 、どうして速い速い裏日本の煤一えてみた事もあったが 、 こんな急変 一
ったろう。傍にいた妻が 、何か変っ ってお早く帰ってしまった。田舎育一煙に染まってまでも来てくれたのだ一があろうとは忠わなかった c
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た事ですかと聞く。﹃ああ 、 西村君 ちの世故になれない僕はその姿を見一ろう。矢張り 、君も僕を慕っていて 一 いずれ僕もその中に君のあとを遣 一
がなくなった﹄と一一一一言 、もとの寝床 て、初めて高別で借りて融通し御馳一くれたのだね。有難い、有難い c 血 一ってゆ く G暫くまっ ていて呉れ 、 L
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にもぐりこんで諸団を引きかぶり泣 走までしてくれる。弓町の下宿屋時一脇 、奥村 、花沢三先生にも特別可愛一して永遠に友交を続けよう。
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いた 、泣いた。ほんとうに思う存分 代もきっとそうであったろうと 、 九一がってもらったのも 、君 の お 蔭 だ っ 一 で は 西 村 君 。 安 ら か に 静 か に ね む 一
一って待っていてくれたまえ。
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泣いた。衝撃をうけた僕は蒲団を押 段の下宿に帰って考えさせられ 、 そ一た G
しのける力さえない。
の 情 誼 に 泣 か さ れ た 。 い つ か 話 そ う 一 昭 和 五 年 、島 根 県 の 会 長 に な っ た 一 で は 暫 く の 問 、さようなら 、さよ 一
﹃傷心の我には蒲団のけられず﹄
話そうと思って遂に五十年を経過し一時 、非常に喜んでくれ 、その秋の同一うなら。
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暫くにして我にかえり 、細く長い 、 た今日 、死人に泥をねる様な質屋通一窓会に出席した時、全国 の会長に一 一﹃出雲より来ればつめたき 小さ き箱﹄ 一
主
西村豊治博士を偲び
﹃東京へ泣きにゆかむと雪にたつ﹄
いつもたら背をまるめ 、 ステッキを
持った君が 、東京駅頭に出迎えてく
れるか 、或は丹前を羽織った君が目
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日 一を細めて奥株と二人で 、玄 関 に 出 迎
υ・
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戸則 一えてくれるのだが 、今凶はそれがな
4 一ぃ。五十五年の交友を一一瞬にしてた
昨 一ちきった 、 去る二月十二日は 、 丁度
和 一風邪気味で病床におった。﹃東京の西
一村桜から電話です﹄の取 次にドスン
ときた w電話につくと﹃ 西村先生が
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電気生理学的研究
歯科学報臼巻2号昭和幻年
( 主 査 伊 藤、副 査 田 村 、上 条)
吉田滋美 (島根県)
顎骨内に発生する嚢胞の生成機
序に関する 生化学的研究
歯科学報臼巻2号昭和幻年
(
主 査 大 井 、副 査 長 尾 、鈴木)
藤波潔 (
東京都)
感嘆ある口腔筋手術創の細菌学
的研究特に嫌気性菌について
歯科学報臼巻 2号昭和幻 年
主 査 長 尾 、副 査 米 沢 、 三崎)
(
清水堅三(
長野県)
ポリウ レタンの接着力に関する
研究 │特に の苫
5田
口
々 zgを主
剤とする接着剤の歯科学応用に
関して
歯科 学報臼巻 2号昭和幻年
(
主 査 溝 上、副査 北 村 、上回)
恩 田 稔 彦 (東京都)
人の顔の形と歯列弓の形及び歯
冠の形との相互類 似性に関する
研究
歯科学報臼巻 3号田和幻年
(主査斉藤、副査北村、上条)
学位受領者氏名及び論文名
~
~
名 〔験 博
枝、 歯に士 此
大 主
市 主
市 主
堀主
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ン乳 之 査 つ 日 川 査
関宿 江査 歯 幼津 査 成 歯
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の位終学
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) 年 齢 ) 年 形
氏が試院
高橋一夫。 衛 生 H荘 浩 、 藤 村 豊 、一
一
孝
。 放射線 H島野達也 、尾内能夫。
大西延治 、河合正計 、久保田重孝。一 法医 Hよ野正士口。 耳鼻 H佐藤重一 、
一
生理 日大久保信 一、早川貞夫、鈴木一 皮泌日 篠田倫三。 眼科 H緒方 鐙 ω
一
美絵路 、木村義浩。 保存 H山下又次一 医事 法制 日高木 圭一郎。 社会歯科 目
一
郎、西条征男 、松山茂樹 、
武石義弘 、
一
水
野
鈍
太
郎
。 市病外科 H彦 順元
堀江英二 、補綴 H河辺清治 、饗庭格一
(以上 三七 ・四 ・一発令)
一
太郎 、野本種邦 、阿 部 勤 、懸回利一
時石時 三 時~~
ト一 一 一 一 一 一
、
、
挨
拶
授
1
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宮
誠
候補者として推薦する
回はいよいよ本学より出馬の順序に
なったものと考えられます ωあまり
にも長い空白期間のため 、各種の不
便 、不利を味って来た本学の教授会
は、斯界の重大時期に鑑み 、万難を
排して同会議に会員を送る必要を痛
感いたし 、松宮誠一教授に立候補を
願い 、 快諾を得ましたので 、満場一
と生れており 、日本学術会議の使命
は、 年とともにその重要性を加えて
いるのであります。
ω
本年十一月には第六期日本学術会 の立候補者に協力しましたので 、今 致、 同教授を第六期日本学術会議会
員候補者 (
第 七 部 歯 学) に推薦い
議会員選挙が行われます。御承知の
たしました。今回は 、歯科界でも 他
大学より有力な数名の候補者が立候
補される模様にて 、 かなりの激戦が
予想されます。われわれ本学関係者
は全員打って一丸となり 、 この目的
達成に遜進せねばなりません。
誌に同窓各位に以上の推薦経過を
報告申上げ御同意願う次第です。
東京歯科大学同窓会長 中 井 武 一
東京歯科大学学長 福島秀
松宮教授を日本学術会議会員選挙に本学より
拶といたします
補者の立つ他の大学の準備態勢を見
るとき 、非常なる苦戦が明らかに予
想されるのであります。
以上立候補の決意を披援してご挨
選挙 対 策 本 部 か ら の お 願 い
選挙対策委員長教授米沢
第二会場では 、感染 、化学療法、免
疫、 血清反応 、結核菌など四三題。
第三会場では疫学 、細菌形態、 スピ
ロ
ヘ ー タ等 、細菌分類、真 菌、 ウイ
ルス 、 リケッチアに関する三九題。
その他示説が二二題と 、合計一四三
題が発表された。別にシンポジウム
米沢和一
仁 小l
円
υ
r
一
本会欧文誌九JJM) に関する予算
及び決算が議せられ 、次で本年度物
故会員曽良忠雄氏に弔意を表した。
現在会員数はわたしが彼員をしてい
る関東支部の千名弱 (
九頁 三段目へ )
教室を代表して出席した。秋葉朝一
郎総務幹事を中心にして本会並びに
れた。一他に無菌動物を利用する感染機構の
同
研究と題する。名大医学部病理学宮
学会は三会場及び一示説会場にわ 川正澄教授の特別講演もあった。
かれている G第一会場では細菌の生
同
第一日の午後三時より 、 学会評議
理、代 謝、菌体成分、毒素、変異、
遺伝に関する三九題が発表せられ 、 員会があり 、 わたしも本学微生物学
一として 、 腸内細菌の薬剤耐性伝達
昭和三十七年四月一日(日
二日一の機序 (演者 五、司会者落合国太郎
、
)
(
三日 (火)、名 古屋市駅
月
前
愛
知
一
博
士
)
、同 上気道 、 口腔 、 及び消化
、
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、
、
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小
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管
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常
在
菌
の
生
態
(
演
者
五
医学部小笠原一夫教授を会長とし一同広木彦古口教授)、削細菌 学教育 (
演
て、本年度日本細菌学会総会がもた一者三 、 同川喜田愛郎教授)があった。
ω
教授
第三十五回日本細菌学会総会見聞記
ここに立候補を決意いたしました 一
同幹事長教授近藤郎
たし 、 ここに立候補の決意を固めた 以上 、 各位の御期待に副うべく 、微
一、 すでに選挙有権者としての資 一
の通知を受けられた方へ
力を尽して、われわれ歯学界のため
しだいであります。
格のある方へ
一 本文をご覧になりしだい 、直ちに
申上げるまでもなく 、 日本学術会 また母校のため 、 一意適進する覚倍
今回は対策本部よりとくに関係の 一
本部、上記両名 のいずれかに 御連絡
議はわが国学術の最高審議機関とし であります。
書類を御送り申上げませんでした 一
下さ い
。
て、科学の向上発達をはかり 、行政
幸い 、 選挙対策委員長に米沢和一
が、十月中旬から十一月上旬にかけ 一 三、今回新たに選挙有権者となる
産業および国民生活に科学を反映浸 教授 、幹事長に近藤三郎教授が教授
て日本学術会議中央選挙管理会から 一
ことを申請される方へ
透させることを目的といたしており 会から選ばれ 、その豊かな経験と非
お手許へ送付される投票用紙を大切 一 申請用紙 (
登録用カl ド) の提 出
ます。
凡なる手腕とに対しては 、全教授各
に保管しておいて下さい。なお 、今一期限は四月三 十日です 。未提出の方
そして昭和二十四年成立いらい 、 位と同様に 、私も絶大なる信頼を捧
後必要に応じて本部より連絡を申上 一は、至急御提出になるか 、 当本部へ
げております。しかし 、母校の九年
げます。一御連格下さい。
間の空白は余りに大きく 、今回 、候
二、選挙有権者としての資格喪失一
教
このたび第六期日本学術会議会員 わが歯学界からは故花沢鼎先生 、故
の選挙にあたり 、本学教授会より満 奥村鶴士口先生をはじめ他の歯科大学
場一致を以て立候補の御推薦をいた の学長 、教授各位がそれぞれ会員に
だきました。浅学葬才 、もとよりそ 選出され 、斯界のために大いに尽、感
の任ではありませんが 、学長先生を せられました。しかし 、科学の進歩
はじめ 、会教授各位の溢れるばかり と時勢の進展とに伴ってわが歯学会
の御熱意に心から感銘いたし 、また の向上発達に欠くべからざる 、きわ
めて重要な問題が新たに次から次へ
歯学界の現状の重大性を深く考慮い
'-
如く日本学術会議は 、本邦最高の科
学行政並に審議機関で 、きわめて重
要な地位を占めております。本学よ
りは第一期に故花沢鼎先生 、第二期
に故奥村鶴吉先生が立候補され 、 い
ずれも当選されましたが以後第三 、
四、 五の三期間(九年間)は他大学
郎策
(8)
第8
5
号
東京歯科大学同窓会会報
昭和 3
7
年 4月1
5日
同窓会講演会開催さる
Hh戎久憎
kt 世-
U)、何 校 講 立 に 加 え て 戴 き 、先生の尊い御生涯につ
去る二月十八日 (
おいて予報の如く講演会が開催され 一いて講演を終えられた。来場の会員
松宮誠一教授ならびに関似永滋教授 二 同は先生に対する思慕の念をさら
一に一一層強くした。なおこの講泌終了
からそれぞれ講演が行われた。
一
けが故花沢州 後会員の一部より花沢先生の胸像建
今回は 、 二月 二十 一
、
教授の十三回忌にあたるので 、講一創立の件がのべられたが 全日これに
会にさきだち午前中は関係弁ならび -賛同、この突の実現には同窓会があ
に東京近県有志多数による八柱霊園 一たることとなった。
への先生のお慕参りを行って御笑福 一 ついで関根永滋教授の﹁欧米視察
をお祈り申し上げ 、小忠の後 、貸切一談﹂と題する講演が行われた。即ち
パスで帰学 、 午後は一川より何校講昨年九月より十二月までの 三ヶ月に
堂において講演会が開催された。わたって欧米歯科事情を制察された
が、その慈眼をもってみられた諸外
国歯科教育及び歯科大学病院の実情
、
一について 主としてスライドを示さ
一れ卒直な意見を加えられながらお話
一をなされた。
、
1
1
1
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ゑ止
授四
を
教 4ー
一
守口 一
人命
一
司'h舟1
先ず故花沢先生未亡人御釆席のも とに先生の御霊に対して黙秘をささ 一
げた。ついで講泌会に人り 、松 宮 教 一
授は﹁花沢鼎先生の遺徳を偲びて﹂
と題する追向講演を行われた。同教 一
授は花沢先生の、氷年にわたる 、 わが 一 そして特に 、極めて多数の歯科教
国歯科医学の発展に叫ほされた不朽不育 、機関、研究室 、 病院を詳細にか
滅 の 偉 大 な 功 績 に つ い て お 話 を さ な り 時 間 を か け て 視 察 、 それらの状
れ、さらに東京前科阪学院時代から況業績については関係者と凶接意見
の貴重なかっ珍らしい記録写真 、映 を 交 換 さ れ 、同教授の豊富な学識と
函を上映されながら 、またその各々 一経験をもって我が同前科氏学の研究
については来場の友人 、後就からの 一業績を諸外国へ直接紹介なされたこ
公的あるいは私的の思い出話をつけ 一とは誠に意識深く感じられた。
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λ
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hMUM
一
系の奇岩のそそり立つ両岸の春景色 一肇助教授 、大阪歯大からは 総本芳夫一
(
八頁下段より続き)
、
、
を含めて一五 二O名で 、 一般会員よ 一を楽しむ事一時間半。途中五か所の 一教授 森政和助教授ほか 九州歯大 一
、
難所があり 、水しぶきを浴びてス リ 一からは秋貞泰輔教授ほか 岩手術研 一
り今回新たに評議員として 、ヒ海辺 一
、
、
一
一から中野弥所長カ出席され 地元か 一
支部五名
O名)、同じく東 三 ルを満喫した。下船後 モンキ ー セ
(
計
二
一
一
1
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ま
岡
本
清
綾
歯学部長 、福島万寿雄一
ンタl見学 、 パスで小牧市田県神社一病船学教授 、
(
計二ハ)、関東一 一(
計 一 九 二 、北 一
武井盈細菌学教授など 一
、
、
一 経由 名古屋駅前帰着 午後五時解 一の出席で 、 約四O名の盛況であっ 一
陸 O (一二)、 中岡 ・同国 三 (
計二
、
O)、九州 一 計二 一)の合計二七名 一散したが われわれは当夜市内﹃ミ 一た。わたしの司会で 、昨年の横浜の 一
が新任され 、評議員総数 三間七名とヵド﹄における評議員懇親会に出席 一学会以来一年ぶりの顔合せでもある 一
した。 B班はトヨタ自動車工場行、 一ので 、 畳 食 を と り な が ら 種 々 懇 談 一
なった。名誉会員には新らたに 、現
一
一
! 一 班 は 円 本 陶 器K Kと名古屋市内の 一し、午後二時散会して学会場にもど 哩
評議員野辺地慶三博士が推されたの一
一
一見学であった。
一った。第三日の午前の最後一不説に 、
一
で、
現
存
者
の
合
計
一
同
名
と
な
っ
た
い
同
一
﹃
口
腔
内
ppLOの分離について﹄
、 当方竹内太刀夫講師が
本年度日本制限学会浅川口は﹃薬知 一
(一と越し
耐性の伝達に関する研究 ﹄ に対し 、 一 肖微生物学教室では第 一日の午前一した。以上の他歯科関係の泌題は 、
﹃ 細菌、赤血球凝集反応発現機序に
東大医学部秋葉朝一郎教授及び名古 一に﹃口悦内好気性レプトトリキアの 関体内石灰化について﹄を高添一郎 一閃する研究﹄(医歯大 、 清水文彦、
屋市立城東病院長沼 AHM太郎博士に 一
助教授が発表し 、第 二 日 の 午 前 に 一
橋本旅一氏ほか 、 ﹃新種ナイセリア
授与され 、第三日の午後一時よりそ 一
8 宮52530) の感染防御試験﹄
50Zlox仏によるサ 一
2-5宮
21
一
一(Z・
正 5。一
一一
の記念講演があった来年度の本 f
Y
一ッカロミl ケスの呼吸川欠損変異に 一一 背 封 ぷ
会 総 合 、 内川一 けより
ついて﹄(静岡楽大微盛物学 三洲
一
二
一
方究﹄引一重大微生物 、 山間潔氏)、
-六四日本民主主の分科会として 、 一
、
教授ほか)と 、﹃抗真菌抗生物質パリ 一目
政 LK一
悶月三 、 肉の両日大阪で 、阪大官
一
﹃づ歯牙トリポネ17の超薄切片法
f一
物病研究所藤野恒一 一
面 所 長 が 分 科 会 一オチンの生合成機構に関する研究﹄ 一による電子顕微鏡的研究﹄(大歯大 、
、
、
民の下行なわれることとなった 。 な 一 (京大応川微研の田中信男氏一はか) 一侮本芳夫 森 政 和 佐川克典氏ほ
一の一一組の内長をわたしが務めた。終 一か)、﹃ぷ虫病リケッチアの所属につ
お本会会川改点試本も,向、
って正午、会場にさし向けられたパ 一いて ﹄ (日前大制附、緒方脱却氏)、
が、今 一度 紋 り な お す こ と に な っ 一
一一
スに便乗して 、名古屋市千種区末盛一示説とれて﹃細的ミトコンドリアに
た o 以上の決議が学会第 一円の夕方 一
川
一
の会員総会で公表され、かつ次期会一通りにある愛知学院大学歯学部に什 間町則一一一一一
↑
⋮
⋮
一
↑ぃ、同会議五にて本年度口腔細菌ザ 一
一
長(分科会長)の炊凶作があり一一市二談話会をもった。本学からはわたし 鋭的の庖薄切パ法による屯⋮則的研
、
ほか)勺
て浅川賞の慢公式カ行われたリ間約 一
ρ
取山人制関 高木行 氏
と共に高が 一郎助教授 、竹 内 太 刀 夫 次 々 JV
c
き会此懇親会が学会場内の示説会場 一
講師ほか計七点刷出版したが 、ゲスト 一かあてた
同
でもたれ 、数百名の会ハμそろって山 一として同立東京第一病院研究検査科 一
席した。第二日午後にはエキスカl 一中村正夫細的室主任やライオン柄府 一 今般の名古屋出張に当り 、小守原
研究所の佐藤新一博士が参加した 一学会長に深謝するとともに 、 われわ
ションが 竺班にわかれてねたれた。 一
、
A班は犬 山口本ライン下りで 、われ 一円大歯学部からは内土均 一教段 池 一れの悩舎である名古屋市東区小川町
一間正助教夜 、飯高孔博士ほか 、H本 一三三 、中部屯力健保会館のお世話や
われ七名を介む百余点引が 二台のパス 一 一
歯大からは渡辺武彦専士ほか 、阪商 一FJ、
4,
/ 市京切符の入手その他に関して
ー一
一
で会場を立ち 、名古犀空港 、小枚 l
ー一当教室出身である名古屋市高鹿屋ピ
l
大からは医学部微生物学の清水文彦
一
一
+
内戦場 、犬山柄、美濃太田を経て今
、
一
教
授
歯
学
部
口腔納関学の制川高大 一ル歯科院長の穂積敏夫博士(昭和一
波にて 川舟五隻を辿ねて木曽 川を下 一
教授、近藤 H助教授ほか 、同口腔術 一一 年母校卒業)に大変お世話になっ
った。犬山の桃太郎 公開まで水成岩 一
生学の大西正男教授、 同病恕山下 山本 一たことをここに銘記して感謝する。
7
(関根教授)
昭和 3
7年 4月1
5日
東京歯科大学問窓会会報
(9) 第 8
5
号
(
1
0
)
第 85
号
東京歯科大学同窓会会報
寄稿
・・..,'・',, ~ "..'''' - ''向、
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之八
六十 二年 前 の 高 山 歯 科 医 学 院 時 代 を 偲 ぴ て H
川部井口
第十一二回国際歯科医学
会議のお知らせ
(第五 日)歯科矯王学における最近
の諸問題
ホl ファ l教授(イタリア)、 ス コ
ット教授(イギリス)、 シュワルツ
ファストリ
教授 (
オー ストリア
)、プラナス教
ヒト教授 (
メキシコ、
)
授 (スペイン )
(
第 三日)歯牙加出不全における術
総的処位
コイブス教授(フィンランド)、 ル
ユ- シュ教筏(フランス)
(第四日)口腔外科学における最近
の諸問題
イギリス )
ワルド教授 (
(第二日)歯科保存学における最近
の諸問題
シャイニン教佼(フィンランド
、
)、
エストピ │ 学長(ノ │ ルウエ l)
へルド教授(スイス)
エl デ ン )
(
第 一口)似蝕発生に関する巌近の
研究
松宮誠一教授(臼本)、ヶlズ教筏
(アメリカ)、 エリタソン教授 (ス
には 、十同名の特別法演者が発表を
行う。
床家などが参加し 、華々しい学術の
祭典が繰りひろげられる。この総会
の主催によるもので 、 四年目ごとに
聞かれる世界最大の歯科学術会議で
ある。今回の会議には 、地元の西 ド
イツ ・欧洲 ・米国 ・アジア ・濠洲な
ど全世界諸国から数万に及ぶ学者臨
第十三回国際歯科医学会議は 、 七
角の上にふさのさがったつばのない 月七日から十四日まで西ドイツの古
一
都ケルン市において開催される。こ
一ものでありました ω
F・
D ・-)
一 さて前科の凶家試験制度は明治十 の会議は 、国際歯科述盟(
一として尊敬される者になります様御一転車も漸くちらほら来ってる人があ 一は何もありませんでした。事務室の
せん。
一る位で 、 人の服装も全部和服。洋服一方には 、 血脇守之助先生が在宿して
これ等新博士の双肩には東京歯科 一御指導御綴援の程御願いします。
大学大学院竿業というまことに重大 一 (東京歯科大学大学院研究科長) 一の人は特定の官吏に 止まっていたか一色々と学院の世話をしておられまし
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::J一ら私等学生は木制の衣類に木綿の裕一た。この学院は夜間授業で 、午 後 三
ごといういでたちでありましたが 、帆一時より八時迄。教授は大部分昼間白
同窓会事務局よりお願い
、同 窓 会 本 部 へ 必 ず 一 一子だけは各学校特布の制帆ーをかぶり一宅で診療しており 、夜間登校したの
一住所の
改
姓
等
が
あ
り
ま
し
た
ら
移
転
、
変
更
、
ニ ま し た 。 高 山学院の定めはアメリカ一ですから休識が多く 、 一週何時間も
ニ
一
一受講山米ませんでした。(以下次号)
によざし
私等学生としては歯科
又 三名は家挺の事情で中途退学を余 一校の名誉のため頑張ってくれ給え。一で幾分今巡に学校から報仇された記 一
儀なくされ 、更に一名の者は事故れ 一諸君は大学院の長男として後進に範一録と重復する点もあるやと忠います 一たおに対して何者かの指導を一校けて
傷 で 最 大 限 二ヶ年の休学療養も及ば 一を 示 さ な け れ ば な ら な い 。 一 が そ の 当 時 を 判 断 し て あ り の ま ま を 一 草 え た だ け で も 非 常 に 利 す る 処 が あ
υ
ず遂に退学の止むなきに至リ 、結川 一同 窓 の 各 位 日 一 泊 べ さ せ て 頂 き た い と 存 じ ま す
一りました ω 学院の位はは巾し述べる
十一名の学少が順調に勉学にいそし - 東 京 歯 科 大 学 歯 学 博 士 と い う 肩 書 一 私 が 高 山 学 院 に 人 っ た の は 明 治 二一一迄もなく 、芝区(現在港区)伊肌子
み研究に励み 、主任教授の指導のも 一が愈々生れました。この度はこれ等 一十 二年同月で 、閃は H清 戦 争 終 了 後 一町で 、高輪ム口 町 との内側辺路の.角
、奥
H 閉口しハ問
とに漸く研究業績が実り 、昨年特よ 新博士は全員講師に任命され 、各講一間もない時代で 、米自川小川仰も比ハ凶は丈 一にありました。校 Arは
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化科皮も低く 、e
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市 Jも 或 る 限 一
行 三聞か川聞かと忠われましたが 、
り本年一 片迄の聞に夫々山年間にげ 一座に残り 、更に研究に或は臨床に継 一
一
一
る独創的研究の論文を発表し 、災の 一統して精励することになりました。 一られた範閉だけにしか使川されず 、 一玄間人口のお側が教宅 、庄側がが務
市中交通機関としても人の輸送には 一
室、宿直室であったかと思います 。
審査と最終試験に無事合的情し 、去る 一大学院卒業とは申せ未だ学窓を巣立 一
三月三十日本学としてはじめて栄あ 一ったばかりの青年学徒であります。一人力車。これは 一人釆り 、 二人乗り 一教室としても 川市似があるだけで 、 左
る歯学博士の学位記を授与するに歪 一皆様の御支援によりこれら新博士が一とがありました。又 、今 の 屯 車 に 代 一右の窓の上に卒業生の名札がかけら
ったことはまことに御同慶に堪えま一立派な歯科医とし社会人とし又学者一る鉄道馬車がありました。従って白一れていた以外には 、教材というもの
hr
科医学院時代を思い起し較べてみる一七年に大政官布告で制定されたが 、
もに急速に軌近に釆り 、 あの伶大な 一を期待される優秀な新進学徒である 一
体力と絶倫の気力 、綴宥明敏な頭阪 一ことは言うまでもない筈でありま↑時うたた感慨無量とならざるを得な 一その当時は受験生のための教育機関
と経験にものをいわせ 、 政治力と温 ↑す 。 一 ぃ 。 特 に 私 は 六 十 二 年 前 高 山 歯 科 阪 ↑ が 日 本 に は 未 だ 一 つ も な か っ た 。 高
、今尚八 十 一 才 を 以 二 山紀斎先生は明治 二十円年頃アメリ
和な接捗により全教佼陣の協力を得 一新 博 士 諸 君 よ 日 一 学 院 に 在 学 し
-バ 一 諸君の今日迄やって来た研究生活一て健在。その当時の学友としては恐 一カから帰凶されたがその直後 、歯 科
て着々と進捗し 、昭和 三十 三年 二
には茅山皮 く完成し文部省の認可も 一に花が咲き 、突を結ぶのはこれから一らく私以外に見当らない現状におい 一教育のために私財を投じて学院を創
設されたのであります。私は共の八
得 て 第 一同の入学生を迎えました ω の努力如何にかかって府る。研究の一て今回新たに本学制窓会々長になら 一
一講座 一名 の制年元同で開講﹂ lじ講道は果しなく続き終りはない。どう一れた中井武 一郎先生からの利か高山 一年後に人予したわけであります。そ
.
H べても
ハ
名 の入学が許可されましたか研精不擦の精神をもって初志を貫一学院附代の思い山訊を -t述
座 中i ・
一の旬。川でありましたから乍川、救佼
、
、
が、内 一名は入学と同時に来権し 、 き、吾々の大なる期待を満たし 、母一らいたいとの御依州がありましたの 一陣 別問呼は十分ではなかったが
本学の前ん子長政一奥村鶴市先んいの永な責務が荷せられた訳であります一あの神間 三附町 の.灼に高層雄大
い待望の夢であっ允本学大学院の佐 一が、勿論卒業生諸君はこの屯立を白 一なる建物の伶界を誇る我が東京歯科
設 行 事 は 現 福 島 秀 策 学 長 の 帰 校 と と う に 値 す る 実 力 と 今 後 の 活 綴 な 発 展 一 大 学 も 、 その背の本学の前身高山前
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昭和3
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東京歯科大学同窓会会報
(
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号
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別以来の地方会貝と過ぎた川年の昔 合でした。集まった顔振れは 、 田部
、
岩
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話しに旧交を温めたいという事に尽 井、 柴同(謙)、渡辺 鎧
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入
小谷 、山 本 、天野、 久松 、
久保
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江、、
松本 (
宜}、 山辺 、佐 藤、 堀内 、
深田 、 牛久保 、 河内 、 長 瀬 、 柴田
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(誠)、 名 波、 酒向、 小川(優
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)林 、
保 、 猪子 、 出村、荻原 、本 多、
凶の問九の 一。 弥 政 官 士 妹、武 蔵
野市晩七凶 三。三島平 太 郎 、 世田
ヶ谷区成城町﹂ハの六九屯(同 一六 )
三八六三。伊藤正雄、大阪白川堺市
協和町白原病院。高間 企也 、名古
屋市熱田区波寄町一竺。中川俊
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彦、広島市炭午北町九の--一
帆足逆郎 、 熊本県宇土 布 ?上 町 二
田本 、 佐 和 、 林、 中凶 、 北 村 、 高
四 三 。 矢 沢 誠 、北 多 摩 郡 米 村 山
田、 小泉 (
正 高山 、栗田の諸氏で
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的 場 勝 、岡山県大供表町二ノ
町
した。尚間部
井
林
佐
和
氏
深
田
三九七。
は夫人同伴 、席上で 二十 周年記念に
診療所・米肱の符さんの写真をあつめ 尚現住所変更は幹事迄 一報 あ ら ん 事
υ (山本 、 天野)
従事していますので御安心下さい。
十 六 会 幹 事 村 川記)
(
在ではすっかり恢復し元気で診療に
てア ルバムを作ることに決定しまし を願います。
私 事 に て 誠 に 恐 縮 で す が 、昨 年 七
た。そのための準備として五O O円
を御送り願いたいと思います。写真 月交通事故に際し会より御一
JR な御
見舞を頂き有難うございました 。 現
六会
も至急御送り下さい
十
陽春の候十六会諸兄にはその後益
きの 点は幹事宛御 一報下さ い ο
胤悠川温泉
@本年度クラス 会は今秋山
にて行う予定です。前回にも附して
多数御参加下さるよう。行制は近日
したが 、本 会の名簿ができましたの
で先日発送いたしました。不備なと
ころが多々あると思います ω お気付
ました。東京大ぃ午の御長男と一⋮男二 々御元気のい山すと存じます c お知らせ
千
秋会
女で 、 御噂父は御健在の山 。 十川会
訳ありません。昨年
が
大
変
巡
れ
て
山
は在京会を聞き 同引の御一只福を祈り 十.月第卜ぃハ中
川総会をい米京五反問の @皆さんお元気ですか 、大 変 巡 れ ま
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きるのであって 順次東北 、 九州、北
海道と廻りたいと存じます。これに
己
丁
会
が三月十三 、
四
日
頃
逝
去
せ
ら
れ
ま
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は地方会員の参加が第一条件になる
一
た 由 、淘に痛惜の情に堪へません。
わけで 、 従って一人でも多く参加出
本会は久し娠りで在京主びに近県一
一‘こ謹んで哀悼の意を表します。
来る様な日程を組む事は勿論です
の会員に呼びかけ左記により会合を一
一
丁巳会在京世話人若井金合
、近 隣 お 誘 い 合 せ の 上 御 出 席 さ れ
が
催しました。
一
一
佐竹健造
る様お願いします。
一、 日時 三月六 日(火)午後六時 一
lili---lil
i- -相 羽 正 男 、茨 城 県 猿 烏 郡 岩 井 町 猫 美
一、 会 場 至 誠 堂 歯 科 医 院 ( 京 回 一
一
更始
会
伊 ケ 崎 貞 男 、京都市 小京区壬生森川
消重郎君宅)江戸 川 区小岩町 一
、
、
今回は新装せられました武田沼の 一 昨 年 イ 一月の会で来年のクラス会 同五 三浦涼太郎 崎玉県入間郡福
、
、
新築医院の御座敷を持伯して開催致 一は卒業三イ五周年になるので これ 岡上智台尾田義郎 愛 知 県 阿 尾山中
畑町一三今井倭武 、名古屋市千属区
しました。一を記念して盛大にひらこうと相談が
、
当夜の出席会員 、 沢口減作、岸得一まとまり 仙台の 梅津義男君を 中心 末盛通 二
愛知学院大学歯学部
一、 宗国清重郎 、若井金吾 、佐竹健 一に東北の方々でお枇話下さることに
ぎまりました。色々と協議の結果 、
一
計
報 、 去る 三片岡 山県波
金光
造(以上在芸 、矢沢鶴雄(千葉県)、 一
町淵野強肩が急逝され 、岡山の梅削
君が葬儀に参列されたと報告があり
一左 の 如 く 決 定 し ま し た の で 会 員 各
宮下勇三郎 (
埼玉県
位 、 今 か ら 予 定 を た て て 、是 非 一 人
以上七名にて市回君の御好意により 一
烏鍋を炊きながら会員一同団らんの一でも多く御参加下さることを切望致
裡に近状を語りつつ健康を祝し 、併 一します。
、
せて母校の隆盛を祈って午後九時半 一 日 時 ・六月十六 J 七日(土 日)
十六日仙台に集合
併せて御泣族の御健勝を祈念して御 八鉱にて こ十 三名の出席のもと盛大
散会した。当夜の欠席会員は溺井授 一
香典をお送り致して置きました。十 に開催いたしました。報告事項、①
一、 宮下武夫、脇献一郎 、宮 永 登 起 一 会 場 ・仙台を中心に適当な処
翌日は観光。くわしいことは当番よ 四会は 三三 年に大沢君 、 ・1凶作にじけ 昨年六 、 じ月の水害地見舞の件。河
斎藤悦朗 、
森時男の六君でした。 一
雄、
田建土君 、 三五年には落合君 、 六 合 、有 川 、川川川引が床下日以水 、② 橋 本
なお岡本消綬君の近信によると同一りそれぞれ御通知します。
二い
年に住井和と今また淵野れと相一
次
君は五月中に二ヶ月間の予定で欧米 一
行小一れが名古屋愛知大学歯学部へ転
一 十四
会
で悲報を送ることを悲しみます。各 勤 。 協 議 事 刷 、米年以総会を関西に
の歯科医界視察の為出張せらるる一
由 、 更に今秋十月乃至十 一月には 名 一 前から話題になっていた総会の地 位 に は 尚 一層健燥に留意され米る関 て凶催の判 、本件を藤居正太郎君に
古 屋 市 に 於 て 丁 己 会 の 全 国 会 員 の 御 一 方 開 催 を 今 年 は 実 行 す る 事 に 在 京 会 西方面の総会には是非共元気でお目
鰍沢 町 三2 二 。 渡 部 一 雄 H新宿
=.山.)八八
区市ヶ谷甲良 町 一電 (
七三。(北野記
)
00。高原淳 ニH山梨県商巨摩郡
久保岡英雄H川県区上Hm⋮川の 二
二三 凶。名取駿 H渋谷区 向山 町一
中にお知らせします。
一任。
尚 今 年 以 総 会は 日下準備中 、詳細 @名簿の訂正 、変更をお知らせしま
。
は後円お知らせ欽します。先日会資 す
徴収の件につき地区役員の諸兄には
にかかりましょう。
(
附 三 じ ・川 ・4 高橋初記)
員会で決定数しました。
参集を得て大会を開くことを企劃せ ↑
られて居ります。我々在京会員も大 一 今 年 は 十 一月に京都市で全国学校
歯科医大会が開催されるので 、 その
いに期待し併せて協力して盛大なら 一
御 多 忙 中 早 速 御 配 慮 下 さ れ 、続 々 と
昨年十一月のクラス会は兵庫県の 会 計 宛 御 送 金 が 参 っ て お り ま す 。 厚
燦志会
しめたいと念願して居ります。何卒 一日程の前かあとで近くの温泉地で開
会員各位の多数御参加 せられんこと 一く事に方針を決め 、具体的な日程を
を 今 よ り 希 望 致 し ま す 。 一 充 分 検 討 し て 詳 細 を 近 い 便 り で お 知 林幹雄君その 他 の御世話で二十年娠 く御礼申上げます e
現住所変.史の御知らせ。
最後に岡本君の通知によれば会員 一らせする事に致しました。
り の 顔 が そ ろ っ て 京 都 、神 戸 港 、 六
我 妻 正 巳 、東 京 都 太 田 区 田 園 調 布
竜田恒君(兵庫県挽保 郡 太子 町筋) 一 総 会 の 地 方 開 催 の 第 一 目 的 は 、 一 甲山ドライブ等楽しい思い出深い会
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本博之兄が此伎めでたく卒業されま
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Uえば昭和 二十一年秋 、 予科
入学よりイ七年H に立派に卒業され
たわけで 、 我々一同心からお慶び致
に 、 その努力に深く深く敬意
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を衣し 、今後同兄の御白愛御発展を
山崎
形玉
祈 る 次 初 で あ り ま す 。 尚 、今 後 母 校
放射線乍教室において三崎教授並び
員
に令介凡と共に斯学の研究に従事さ
れる山であります。
マ 去 る 川 川 一 日 付 で 級 友 羽 賀、 関
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、坂田の三兄が講師から助教授に
状
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界任されました。総本兄の卒業と三
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凡の昇任とは 、 一期会の発展を約す
ものと心からお慶び欲します。
マかような和主なる度中をみた一期
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香保)は益々楽しみになります。何
の御参加を今から重ねてお祈
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り致します。(見明
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品
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︽和 書 ︾ 針 に よ る 臨 床 検 査 法 市 山立
横山内パ次郎編 小 沢 光 常 用 新 築 の 薬 理 同
日本歯科医師 寺田春水勝旧恒夫北ハ者解削夫沼田
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第十 五 号
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