顎関節症 顎(がく)関節症って? 表 1 のチェック項目を見てください。この項目に一つでも当てはまることが あれば、あなたは顎関節症の疑いがあります。たとえ現在は当てはまらなくて も、過去にこのような症状を経験したことがあれば、現在も顎関節症の疑いが あります。 こ の よ う に 、 顎 の 関 節 に 直 接 問 題 が 生 じ る こ と を 「 顎 関 節 症 (TMD:Temporomandibular disorders) 」と呼んでいます。顎関節症は、他に「頭 蓋下顎機能障害(CMD:Craniomandibular disorders)」と呼ばれたり、国際頭 痛学会では、口腔顔面痛(Orofacial pain)の一つに分類されています。顎の 動きは関節だけではなく、その周囲と協調しているので、他の部位にも症状が 出ることがあります。そこで、表2を見て下さい。表 1 に当てはまる人は、こ ちらでも当てはまることが多いと思いますが、表 1 に当てはまらないけれど表 2には当てはまる人は多くいるはずです。その方にも、この章を読む価値があ ると思います。 顎関節の仕組み 顎の関節は耳の穴の前にあります。耳の前に、両手を当ててみて下さい。そ れから、大きく口を開けて下さい。顎の動きとともに関節が動くことを感じる ことができると思います。関節に異常がなければ、左右の関節が一緒に動くこ とが分かると思います。もし、このときにがくんと感じたり、音がすれば、顎 関節症が疑われます。 関節は骨と骨の間に存在し、その形態により動く方向等が決められます。身 体にはたくさんの関節が存在していますが、その中で顎関節は非常にユニーク な構造になっています。そのために、非常に複雑な動きが可能になり、物を食 べたり、話をすることができるのです。 図1を見て下さい。耳の穴の前に関節の受けとなる部分(関節窩)があります。 そこに、下の顎の関節(顆頭、下顎頭)が入り込んでいます。そして、その間 に関節円板と呼ばれているクッションのような物があります。 顎の関節ははずれるのが正常 普通の関節は、動くときは回転運動をします。そして、関節がはずれること を脱臼といいます。ところが、顎の関節の動きは、回転しながら滑走運動をし ます。つまり、関節がはずれて前方に滑りだし、関節隆起を超えるところまで 移動します。このときに、関節円板も関節と一緒に動きます。(図1、2) たまに、顎がはずれてしまった患者さんがお見えになりますが、正常な人は 常に顎ははずれるようになっています。顎がはずれてしまった人は、正確には 「顎が元に戻らなくなったしまった人」です。このような方は、関節隆起から 関節を元の位置に戻すだけなので、比較的容易に直すことができます。 重篤なのは、滑走運動ができなくなってしまった場合、つまり関節がはずれ なくなった場合です。口がわずかしか開かなくなり、話すことや食べることが 非常に困難になります。これは、関節円板が変形したときに起こります。治療 は非常に難しくなります。 左右の関節がつながっている 顎の関節は、下の顎(下顎骨)の一部ですから、左右の関節が一つの骨でつ ながっています。ということは、必ず両方の関節が動きます。右の関節に異常 がある場合、左の関節にも影響があり心配をする必要があります。また、左右 の関節をつなぐ下の顎の骨には歯が並んでいます。ですから、普通の関節炎と 違い、病気ではない反対側の関節や歯も調べたり治療の対象になることが多い のです。 顎の動きの役割は、車と一緒 私は、顎の動きを説明するときに良く車に例えます。まずタイヤにあたるの が奥歯です。車はタイヤが動いて動くように、顎も主に奥歯で食べ物を咬みま す。 次にエンジンに当たるのが、筋肉になります。咬む筋肉は、主に咬筋、側頭 筋、外側翼突筋、内側翼突筋の咀嚼筋と呼ばれている4つの筋肉が行います。 その他に顎の下から首の回り肩にかけての筋肉も協調して動きます。 これらの筋肉の力は、100キロ前後の力をだすことができます。ただし、 食事のときはそんなに大きな力を出している人は少ないでしょう。10 20 キロの範囲で咬んでいると言われています。 さて車では、タイヤ、エンジンをコントロールするものとして、ハンドル、 アクセル、ブレーキがあります。顎では、その役割を前歯と神経が行います。 上下の歯を軽く咬んだまま、前や横に自由に動かして下さい。理想的な噛み合 わせをしている人は、前歯だけが当たるはずです。 例えば出っ歯の人であれば、前歯に沿って下の顎は、前の方に動くはずです。 ところが、ウサギの歯のように、前歯が内側に傾いている人は、下の顎は下の 方に動きます。このように、前歯の角度や噛み合わせによって、顎の動きが制 限されます。 前歯は、奥歯に比べて構造上弱い形態をしています。しかし、根と顎の骨の 間に歯根膜と呼ばれる繊維に神経のセンサーがたくさん存在しています。そこ で、少しでも大きな力が弱い前歯に加わると、そのセンサーにより神経を介し て脳に伝わり、咀嚼筋を弱めるように指示が出ます。いわゆるアクセル、ブレ ーキの働きをするのです。このようにして、我々は、硬い物や、柔らかい物を 瞬時に判断し適切な力で咬んでいるのです。そして、過大な力から、歯や関節 を守っているのです。 顎関節症の原因 なぜ音がしたり、カクンとしたりするのでしょうか。 前述したように関節は、回転だけではなく滑走運動をします。そのときに、 関節円板と呼ばれているクッションが関節(下顎頭)と一緒に移動します。そ れで、関節はスムーズに動くことができます。また、このクッション(関節円 板)が過大な咬む力から関節を守ってくれます。ところが、後述するいろんな 原因の為に強い力が長時間かかると、関節円板が変形をして動きを悪くしてし まうのです。ひどい状態になると、関節からクッション(関節円板)がはずれ てしまい、ほとんど口が動かなくなってしまったり、クッション(関節円板) からはずれたり乗ったりするときに、音がしたり、痛みが出たりします。 ところが、そのようなひどい状態が続くと、関節やクッション(関節円板) や筋肉をつないでいる部分がゆるんできて、だんだん痛みが取れて顎が動くよ うになります。一見治ったように思われるのですが、関節の周りの異常はます ますひどくなり、治すのはさらに困難になります。ですから、関節に症状が出 たら、なるべく早く治療することが大事になります。 それでは、なぜ関節円板が変形するほどの過大な力がかかるのでしょうか。 交通事故やスポーツ等で顔や顎に強い力が加わると当然関節にその力は伝わり ます。最近コンタクトスポーツでは、歯や顎関節を守る為にマウスピースの着 用を義務づけることが増えています。しかし、これらは一部の人に起こる話で す。他にどのような原因があるでしょうか。 噛み合わせ 先ほど顎の動きを車に例えました。歯の噛み合わせ、特に前歯の噛み合わせ が狂っていれば、当然顎の動きは異常なものになります。すなわち、顎を動か す筋肉つまり咬む筋肉が狂う訳ですから、関節に異常な力が加わってしまいま す。しかし、噛み合わせや歯並びが悪い人は大勢いますが、全ての人が顎関節 症になる訳ではありません。 ストレスと噛み合わせ ストレスがあると歯ぎしり(ブラキシズム)、くいしばり(クレンチング) をすると言われています。歯ぎしりの音を聞いたことがありますか。あれだけ の「きりきり」した音を歯をこすって出すわけですから、このときに前述した 100キロ前後の力が歯に加わっているのです。歯ぎしりをしない人でも、ク レンチングは歯をもっている人ならだれでもしています。 このことは「睡眠」と大きく関係しています。睡眠には、レム睡眠とノンレ ム睡眠があります。レム睡眠は眼球運動をしている状態で、浅い眠りのことで す。我々は、一晩眠っている間に、深い眠りのノンレム睡眠と浅い眠りのレム 睡眠を交互に繰り返しています。レム睡眠のときに、夢を見て、ブラキシズム やクレンチングを行います。 例えば、8時間たっぷり寝たはずなのに起きたときに「目覚めが悪い」「首 の周りがこっている」「昼間に眠くなる」という経験は誰もがあると思います。 これは、ノンレム睡眠が少なくレム睡眠が多いので、脳の疲れがとれていない だけでなく、クレンチングをしているので筋肉を使いすぎてしまうからです。 それでは、ストレスがあるとなぜ人間は 咬む ということをするのでしょう か。 人が生まれるときのストレス 人は、生まれる前は母親の子宮の中で育ちます。羊水に満たされた子宮の中 で、赤ちゃんは臍の緒を通じて母親から栄養をもらいます。そして、母親の心 臓の音聞いて育つ訳です。さて出産です。母親の産道を通り、赤ちゃんは外の 世界にでます。そのときに初めて空気が肺に入り呼吸を始めるのです。 おぎ ゃー と赤ちゃんが泣くことで、周りの人間は元気な赤ちゃんであることを確 認します。 このときの赤ちゃんの状況はどうでしょうか。始めて肺に空気が入る、たぶ んかなりの痛みを伴うでしょう。普段聞いていた母親の心臓の音が聞こえない。 寒い。野生の動物と違い目もほとんど見えず、身体を動かすことすらもできな い。人生最大のストレスといえるのではないでしょうか。 そこで、母親は赤ちゃんを抱いて母乳を与えます。赤ちゃんは、いつも聞い ていた母親の心臓の音を聞きながら、あたたかい母乳を飲み安心して眠ります。 ところで赤ちゃんはどうやって母親の母乳を飲んでいるのでしょうか。「おっ ぱいを吸う」といいますが、赤ちゃんはストローを使うように吸っている訳で はありません。歯ぐきでおっぱいの乳輪の部分を咬んで飲んでいるのです。ま さに顎を動かして咬んでいるのです。 つまり、人生最大のストレスを経験した後に、それを補う程の「快感」が咬 むことなのです。我々は、出産時のことを忘れてしまいます。でもその経験は、 大脳の深いところに記憶として残されるのです。 赤ちゃんから成長し、はいはいしたり歩くようになると、いろんな物を口に 入れようとします。離乳がすすむと指しゃぶりをしたり毛布を咬んだりします。 学校に上がると鉛筆をかんだり、大人になっても爪を噛んだりする癖が残る人 もいます。煙草をやめようと思っても口元が寂しくて、なかなかやめられない 人がいます。歯を含め口には、食べる、話すだけではなく、ストレスをコント ロールする働き、つまり人間しかない高度な神経システムと密接につながって いるのです。 顎関節症の治療法 では顎関節症になってしまったらどのような治療をするのでしょうか。 1患者教育と自己管理 2行動認識療法 3心理療法 4薬物療法 5理学療 法 6整形的装置療法(スプリント) 7咬合療法 8観血的療法(外科手術) これらの治療法が現在おこなわれていますが、患者さんの実態に合わせて、こ れらを組み合わせて行われることが多いです。この中で良く行われる方法とし て、整形的装置療法(スプリント)と理学療法について説明をします。 整形的装置療法(スプリント療法) 前述したように顎関節症は、ストレス等によって過度な力が顎関節(関節円 板)に加わることが直接的な原因となります。これを簡単に除去する方法とし て、上下の歯の間にプラスティックで作られた板を装着します。そのことによ り、過大な力で噛みしめても関節には力が加わりにくくなり、歯ぎしりから歯 を守ることもできます。上の歯につけるタイプが主流です。主に夜間の装着に なりますが、急性症状がある場合は、1 日中つけることもあります。 この方法のいいところは、調整をプラスティックの板の上で削ったり足した りしますので、直接歯を触りません。また自分で自由に取り外すことができま す。ただし長期間使い続けると歯の位置が変わったりすることも報告されてい ますので、使用期間は主治医の指示に従うことが大事です。また、最近インタ ーネット等で通販のスプリントも宣伝されています。ところがスプリント作製 の大事な点は、上の歯(顎)に対しての下の歯(顎)の位置になりますので、 実際の関節の状態、上下の歯(顎)の位置を診断しないと効果がある物は作れ ません。 この装置を作るには、歯の型を取らないといけないのですが、ひどい顎関節 症の場合口が開きません。顎関節症になっている人の筋肉は過緊張しているの で、そのままでスプリントを作製しても効果は低いものとなります。そこで、 次にあげるマニュプレーションを作製前にすることが大事になります。 理学療法(マニュプレーション) 顎関節症により口がほとんど開かない人は、関節円板に向かって下顎頭が非 常に強い力で押し込まれているので、それを患者さんの咬む力を利用しその力 の方向を変えて下顎頭を下方に引き下げます。その後可能であれば下顎頭を関 節円板にのせて、顎の動きがスムーズになるように運動をさせます。約15分 から30分で口が大きくあけるようになりますので、そこで型を取りスプリン トを作製します。ある程度口があける人であっても、顎関節症の方は、関節円 板に強い圧力が加わっているので、簡単なマニュプレーションをおこなってか らスプリントを作製します。 このマニュプレーションにおける顎の動きを患者さん自身が理解できるよう になると、自分で顎のトレーニングができますので、治癒が早まります。 顎関節症の予防方法 直接関節に強い力が加わることはなるべく避けます。 1 硬いものを長時間咬まない。 2 左右の歯を使って咬む。片がみをしない。 3 頬杖をつかない。 4 うつぶせ寝をしない。 5 高い枕を使用しない。 6 重い物を持つときや力を入れるときに奥歯を咬まない。 7 ストレスのコントロールをする。 噛み合わせ、下顎の位置と身体 顎関節症の患者さんの治療や、スプリント治療、噛み合わせ調整を行ってい ると身体全身に影響が現れることをたまに経験します。 「慢性的な頭痛や肩こりがよくなった。 」 これは、噛み合わせの筋肉と同じ場所の筋肉の問題ですから、良く起こりま す。 「腰や膝が痛いのが良くなった」 人間は2本足で立っています。そのことにより脳が発達したのですが、その 大きな頭を背骨と骨盤で支えています。ところが、咬む筋肉に左右の偏りがあ ると、頭の位置が傾きます。それを補正する為に、背骨や骨盤にゆがみが生じ ることがあるのです。 ボクシングを見ていると、下あごにパンチが当たると選手はあっけなくダウ ンします。下あごが身体のバランスをとっていることが分かります。最近スポ ーツ選手で筋肉を鍛える為にスプリントを使用することが増えています。例え ば、ゴルフをするときにスプリントを装着すると飛距離が伸びることがありま す。オリンピックを見ていても、投てき競技や重量挙げのように力を使う競技 では、ほとんど選手が声を上げて口を開けています。力を出すときには、奥歯 でくいしばったほうがいいような気がしますが、実は反対です。 「生理不順がよくなった」「不妊症であったのに子供ができた」 えっと思われるかもしれませんが、私の患者さんで本当にあったことです。 まだ噛み合わせとの関連は証明されていません。噛み合わせにより甲状腺等の ホルモンのバランスに変化があることが言われています。西原克成先生による と生物の進化の転換点はいつも口の周りで起きているようです。そのことから しても、口と全身は深い関係があるようですので、このようなことが起きるの かもしれません。 参考文献 TMD 治療の最新ガイドライン Charles McNeill 編 顎 と 顔 の 痛 み Joseph A.Gibilisco,DDS Charles McNeill,DDS Harold T.Perry,DDS 頭頚部・顎関節の痛みと機能障害の臨床 Harold Gelb,DMD 編 オーストリア咬合学 Rudolf Slavicek チェアサイドで行う顎機能診査のための基本機能解剖 小出馨 顔の科学 西原克成
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