銀河鉄道の夜 1 銀河鉄道の夜 宮沢賢治 銀河鉄道の夜 2 ご ご 一、午后の授業 い 「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、 カムパネルラが手をあげました。それから四五人手 に問をかけました。 とい けぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんな さ 黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白く つる と白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、 乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやり 銀河鉄道の夜 3 をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急 バンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも と、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョ いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だ 4 ジョバンニは勢よく立ちあがりましたが、立って見 るともうはっきりとそれを答えることができないので いきおい ところが先生は早くもそれを見附けたのでした。 「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう。」 み つ ないという気持ちがするのでした。 読む本もないので、なんだかどんなこともよくわから 銀河鉄道の夜 した。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニ を見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎ まぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた云 いました。 先生はしばらく困ったようすでしたが、眼をカムパ ネルラの方へ向けて、 め やっぱり星だとジョバンニは思いましたがこんども すぐに答えることができませんでした。 でしょう。」 「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何 銀河鉄道の夜 5 「ではカムパネルラさん。」と名指しました。するとあ ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれ バンニさんそうでしょう。」 すと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョ 「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ま 自分で星図を指しました。 さ 先生は意外なようにしばらくじっとカムパネルラを 見ていましたが、急いで「では。よし。」と云いながら、 もじ立ち上ったままやはり答えができませんでした。 んなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじ 6 銀河鉄道の夜 ぼく なみだ もちろん どもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいに なりました。そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパ ネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお 父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読ん 忘れる筈もなかったのに、すぐに返事をしなかったの はず 人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二 ページ 巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、 おお ルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から しょさい だ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネ 銀河鉄道の夜 7 は、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、 カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事 ネ ル ラ と も あ ん ま り 物 を 云 わ な い よ う に な っ た の で、 学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパ 8 るなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそ 。 先生はまた云いました あま がわ 「ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考え た。 ぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでし をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じ 銀河鉄道の夜 じゃり つぶ この砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨 きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似てい し ゆ ます。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かに うかんでいる脂油の球にもあたるのです。そんなら何 いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いとこ 天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深 天の川の水のなかに棲んでいるわけです。そしてその す ぱりそのなかに浮んでいるのです。つまりは私どもも うか いう光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっ がその川の水にあたるかと云いますと、それは真空と 銀河鉄道の夜 9 ろほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんや 中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両 先生とは つ 面の凸レンズを指しました。 り見えるのです。この模型をごらんなさい。」 10 中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレン す。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの ほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとしま んで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこの ちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶ 「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちい 銀河鉄道の夜 うす すなわ ズが薄いのでわずかの光る粒即ち星しか見えないので しょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光 る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く 見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。 さい。 」 なさい。ではここまでです。本やノートをおしまいな 祭なのですからみなさんは外へでてよくそらをごらん の理科の時間にお話します。では今日はその銀河のお 中のさまざまの星についてはもう時間ですからこの次 そんならこのレンズの大きさがどれ位あるかまたその 銀河鉄道の夜 11 つくえ ふた 星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに からすうり 桜の木のところに集まっていました。それはこんやの さくら ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人 すみ は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅の 二、活版所 なはきちんと立って礼をすると教室を出ました。 そして教室中はしばらく机の蓋をあけたりしめたり 本を重ねたりする音がいっぱいでしたがまもなくみん 12 銀河鉄道の夜 行く相談らしかったのです。 ふ えだ けれどもジョバンニは手を大きく振ってどしどし学 校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの と をぬいで上りますと、突き当りの大きな扉をあけまし つ の白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニは靴 くつ 家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大き な活版処にはいってすぐ入口の計算台に居ただぶだぶ た。 にあかりをつけたりいろいろ仕度をしているのでし したく 銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝 銀河鉄道の夜 13 た。中にはまだ昼なのに電燈がついてたくさんの輪転 た。 すわ 紙切れを渡しました。ジョバンニはその人の卓子の足 わた 「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の く棚をさがしてから、 たな ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子に座っ た人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばら テーブル に読んだり数えたりしながらたくさん働いて居りまし お ムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うよう 器がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラ 14 銀河鉄道の夜 はこ かべ もとから一つの小さな平たい函をとりだして向うの電 こ あわつぶ 燈 の た く さ ん つ い た、 た て か け て あ る 壁 の 隅 の 所 へ の活字を次から次と拾いはじめました。青い胸あてを しゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒ぐらい らいました。 ジョバンニは何べんも眼を拭いながら活字をだんだ んひろいました。 ぬぐ 四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷くわ 「よう、虫めがね君、お早う。」と云いますと、近くの した人がジョバンニのうしろを通りながら、 銀河鉄道の夜 15 ョバンニは 六 時 が う っ て し ば ら く た っ た こ ろ、はジ こ 拾った活字をいっぱいに入れた平たい箱をもういちど かばん 威勢よくおじぎをすると台の下に置いた鞄をもってお いせい 渡しました。ジョバンニは俄かに顔いろがよくなって にわ 人がやっぱりだまって小さな銀貨を一つジョバンニに ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計 算台のところに来ました。するとさっきの白服を着た て微かにうなずきました。 かす 人へ持って来ました。その人は黙ってそれを受け取っ だま 手にもった紙きれと引き合せてから、さっきの卓子の 16 銀河鉄道の夜 かたまり くちぶえ ふ もてへ飛びだしました。それから元気よく口笛を吹き いちもくさん 袋 買いますと一目散に走りだしました。 ふくろ ながらパン屋へ寄ってパンの塊を一つと角砂糖を一 三、家 いきおい 小さな二つの窓には日覆いが下りたままになっていま ひおお 空箱に紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって むらさき よく帰って来たのは、ある裏町の小 ジョバンニが勢 さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側には 銀河鉄道の夜 17 っか した。 れてあげようと思って。」 ぐあい 「お母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入 のでした。ジョバンニは窓をあけました。 ますとジョバンニの ジョバンニは玄関を上へやって行き きれ かぶ やす お母さんがすぐ入口の室に白い巾を被って寝んでいた げんかん は涼しくてね。わたしはずうっと工合がいいよ。」 すず 「ああ、ジョバンニ、お仕事がひどかったろう。今日 バンニは靴をぬぎながら云いました。 「お母さん。いま帰ったよ。工合悪くなかったの。」ジョ 18 銀河鉄道の夜 「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくな いんだから。」 「お母さん。姉さんはいつ帰ったの。」 「ああ三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれて あがり、姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ 「あああたしはゆっくりでいいんだからお前さきにお 「ぼく行ってとって来よう。」 「来なかったろうかねえ。」 「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。」 ね。 」 銀河鉄道の夜 19 置いて行ったよ。」 さら ジョバンニは窓のところからトマトの皿をとってパ ンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。 「ではぼくたべよう。」 20 かったと書いてあったよ。」 「だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよ そう思うの。」 「あああたしもそう思う。けれどもおまえはどうして てくると思うよ。」 「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰っ 銀河鉄道の夜 かんごく 「ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもし れない。」 はず 「きっと出ているよ。お父さんが監獄へ入るようなそ くるといったねえ。」 おお かに こう 「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもって くよ。一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕 なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行 いの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生 持ってきて学校へ寄贈した巨きな蟹の甲らだのとなか きぞう んな悪いことをした筈がないんだ。この前お父さんが 銀河鉄道の夜 21 「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすよう 「うん、けれどもカムパネルラなんか決して云わない。 「おまえに悪口を云うの。」 に云うんだ。」 22 うちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。 「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラの ように小さいときからのお友達だったそうだよ。」 「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちの 毒そうにしているよ。」 カムパネルラはみんながそんなことを云うときは気の 銀河鉄道の夜 とちゅう ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのうち に寄った。カムパネルラのうちにはアルコールラムプ で走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると 円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標の すす も家中まだしぃんとしているからな。」 「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつで 「そうかねえ。」 かったら、罐がすっかり煤けたよ。」 かま たんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつ あかりは汽車が通るときだけ青くなるようになってい 銀河鉄道の夜 23 「早いからねえ。」 ほうき 「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってく 「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」 「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。」 「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」 くんだって。きっと犬もついて行くよ。」 るよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へながしに行 からすうり と町の角までついてくる。もっとついてくることもあ うだ。 ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっ 「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒のよ 24 銀河鉄道の夜 るよ。 」 心配はないから。」 いっしょ 「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと一緒なら か。 」 「ああ、どうか。もう涼しいからね」 口を出ました。 「では一時間半で帰ってくるよ。」と云いながら暗い戸 ジョバンニは立って窓をしめお皿やパンの袋を片附 けると勢よく靴をはいて かたづ 「ああきっと一緒だよ。お母さん、窓をしめて置こう 銀河鉄道の夜 25 四、ケンタウル祭の夜 ニは、口笛を吹いているようなさびしい口 ジョバン ひのき 付きで、檜のまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たの 26 ぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの影ぼうし かげ 下りて行きますと、いままでばけもののように、長く 坂の下に大きな一つの街燈が、青白く立派に光って 立っていました。ジョバンニが、どんどん電燈の方へ でした。 銀河鉄道の夜 ふ こ は、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり こうばい 手を振ったり、ジョバンニの横の方へまわって来るの でした。 おおまた こうじ えりの尖ったシャツを着て電燈の向う側の暗い小路か とが り過ぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新らしい とジョバンニが思いながら、大股にその街燈の下を通 前の方へ来た。） くの影法師はコムパスだ。あんなにくるっとまわって、 ぼくはいまその電燈を通り越す。そうら、こんどはぼ こ （ ぼ く は 立 派 な 機 関 車 だ。 こ こ は 勾 配 だ か ら 速 い ぞ。 銀河鉄道の夜 27 ら出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。 ていました。 たがもうザネリは向うのひばの植った家の中へはいっ 「何だい。ザネリ。」とジョバンニは高く叫び返しまし ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中 きぃんと鳴るように思いました。 その子が投げつけるようにうしろから叫びました。 さけ 「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」 う云ってしまわないうちに、 「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまだそ 28 銀河鉄道の夜 ねずみ 「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんな ことを云うのだろう。走るときはまるで鼠のようなく せに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うの はザネリがばかなからだ。」 ばん の 石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って星のよ ガラス 赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝 め オン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの れた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネ せわしくいろいろのことを考えなが ジョバンニは、 あかり えだ かざ ら、さまざまの灯や木の枝で、すっかりきれいに飾ら 銀河鉄道の夜 29 めぐ 飾ってありました。 まん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で ゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。その うにゆっくり循ったり、また向う側から、銅の人馬が 30 ぐってあらわれるようになって居りやはりそのまん中 お そのとき出ているそらがそのまま楕円形のなかにめ だえんけい それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さ か っ た の で す が そ の 日 と 時 間 に 合 せ て 盤 を ま わ す と、 ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入り ました。 銀河鉄道の夜 ばくはつ には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯 になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあ げているように見えるのでした。またそのうしろには あし へび びん ぼんやり立って居ました。 をどこまでも歩いて見たいと思ってたりしてしばらく だのそらにぎっしり居るだろうか、ああぼくはその中 かっていました。ほんとうにこんなような蝎だの勇士 さそり をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がか けもの ていましたしいちばんうしろの壁には空じゅうの星座 かべ 三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っ 銀河鉄道の夜 31 にわ ふ らしい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹い くちぶえ の都のように見えるのでした。子どもらは、みんな新 中に沢山の豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚 たくさん 包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、 店の中 空気は澄みきって、まるで水のように通りや なら を流れましたし、街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で す て大きく手を振って町を通って行きました。 つな上着の肩を気にしながらそれでもわざと胸を張っ かた それから俄かにお母さんの牛乳のことを思いだして ジョバンニはその店をはなれました。そしてきゅうく 32 銀河鉄道の夜 たり、 つゆ いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊 「ケンタウルス、露をふらせ。」と叫んで走ったり、青 んでいるのでした。けれどもジョバンニは、いつかま くらい台所の前に立って、ジョバンニは帽子をぬいで ぼうし した。その牛乳屋の黒い門を入り、牛の匂のするうす におい ずれのポプラの木が幾本 ジョバンニは、いつか町うは か も幾本も、高く星ぞらに浮んでいるところに来ていま いくほん がったことを考えながら、牛乳屋の方へ急ぐのでした。 た深く首を垂れて、そこらのにぎやかさとはまるでち 銀河鉄道の夜 33 ぐあい たれ もら 「いま誰もいないでわかりません。あしたにして下さ 云いました。 にあがったんです。」ジョバンニが一生けん命 勢 よく いきおい 「あの、今日、牛乳が僕 んとこへ来なかったので、貰い ぼく 出て来て何か用かと口の中で云いました。 老った女の人が、どこか工合が悪いようにそろそろと と て ま た 叫 び ま し た。 す る と し ば ら く た っ て か ら、 年 「今晩は、ごめんなさい。」ジョバンニはまっすぐに立っ も居たようではありませんでした。 「今晩は、」と云いましたら、家の中はしぃんとして誰 34 銀河鉄道の夜 い。 」 こす その人は、赤い眼の下のとこを擦りながら、ジョバ ンニを見おろして云いました。 「おっかさんが病気なんですから今晩でないと困るん ぎ 十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、 辞儀をして台所から出ました。 じ 「 そ う で す か。 で は あ り が と う。」 ジ ョ バ ン ニ は、 お う行ってしまいそうでした。 「ではもう少したってから来てください。」その人はも です。 」 銀河鉄道の夜 35 向うの橋へ行く方の雑貨店の前で、黒い影やぼんやり やって来るのを見ました。その笑い声も口笛も、みん 吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜の燈火を持って あかり 白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛を 36 がつまったように思ったとき、 「川へ行くの。」ジョバンニが云おうとして、少しのど ちへ歩いて行きました。 て戻ろうとしましたが、思い直して、一そう勢よくそっ もど 子供らだったのです。ジョバンニは思わずどきっとし な聞きおぼえのあるものでした。ジョバンニの同級の 銀河鉄道の夜 「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」さっきのザネ リがまた叫びました。 続いて叫びました。ジョバンニはまっ赤になって、も 「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」すぐみんなが、 いました。 さ ジョバンニは、遁げるようにその眼を避け、そして に 怒らないだろうかというようにジョバンニの方を見て おこ ムパネルラは気の毒そうに、だまって少しわらって、 ましたら、そのなかにカムパネルラが居たのです。カ う歩いているかもわからず、急いで行きすぎようとし 銀河鉄道の夜 37 カムパネルラのせいの高いかたちが過ぎて行って間も ふりかえって見ていました。そしてカムパネルラもま 曲るとき、ふりかえって見ましたら、ザネリがやはり なく、みんなはてんでに口笛を吹きました。町かどを 38 が 面 白 く て か け る の だ と 思 っ て わ あ い と 叫 び ま し た。 おもしろ ぴょんぴょん跳んでいた小さな子供らは、ジョバンニ と す る と 耳 に 手 を あ て て、 わ あ あ と 云 い な が ら 片 足 で とも云えずさびしくなって、いきなり走り出しました。 歩いて行ってしまったのでした。ジョバンニは、なん た、高く口笛を吹いて向うにぼんやり見える橋の方へ 銀河鉄道の夜 おか まもなくジョバンニは黒い丘の方へ急ぎました。 てんきりん 五、天気輪の柱 や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこ みちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草 く連って見えました。 ゆるい丘になって、その黒い平らな 牧場のうしろおは おぐまぼし 頂上は、北の大熊星の下に、ぼんやりふだんよりも低 銀河鉄道の夜 39 小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされて なら ようだとも思いました。 いただき かお にわ こらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたというよ ゆめ られたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そ 亘っているのが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけ わた の林を越えると、俄かにがら そのまっ黒な、松やあ楢 ま がわ ん と 空 が ひ ら け て、 天 の 川 が し ら し ら と 南 か ら 北 へ こ ンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりの からすうり 小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバ あったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す 40 銀河鉄道の夜 ぴき うに咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って 行きました。 やみ ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかど かするからだを、つめたい草に投げました。 ずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。 シャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のは 丘 の 草 も し ず か に そ よ ぎ、 ジ ョ バ ン ニ の 汗 で ぬ れ た あせ び声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、 町の灯は、暗の中をまるで海の底のお宮のけしきの さけ ようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫 銀河鉄道の夜 41 りんご む そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列 車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも 旅人が、苹果を剥いたり、わらったり、いろいろな風 42 こは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて せんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そ ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の 云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われま あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。 云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。 銀河鉄道の夜 こと 仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴の星 またた きのこ べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように こ が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何 長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまで そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつ 六、銀河ステーション 大きなけむりかのように見えるように思いました。 がやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの 銀河鉄道の夜 43 こうせい はがね ほたる の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の ほたるいか ぎな声が、銀河ステーション、 するとどこかで、ふし い 銀河ステーションと云う声がしたと思うといきなり眼 す。 うな、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったので ました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のよ や うごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたち こ した。それはだんだんはっきりして、とうとうりんと うに、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ま かぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のよ 44 銀河鉄道の夜 しず 火 を 一 ぺ ん に 化 石 さ せ て、 そ ら 中 に 沈 め た と い う ぐあい と 工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくなら こんごうせき たれ ないために、わざと穫れないふりをして、かくして置 いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ば ま たのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、 ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけてい た。 ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいまし こす ら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、 銀河鉄道の夜 45 の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外 すわ こしか かべ しんちゅう 鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたん ねずみ 天蚕絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、向うの び ろ う ど を 見 な が ら 座 っ て い た の で す。 車 室 の 中 は、 青 い 46 もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなり どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、 に気が付きました。そしてそのこどもの肩のあたりが、 かた すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、 せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているの が二つ光っているのでした。 銀河鉄道の夜 ました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたと き、俄かにその子供が頭を引っ込めて、こっちを見ま した。 それはカムパネルラだったのです。 （そうだ、ぼくたちはいま、いっしょ ジョバンニは、 かった。」と云いました。 よ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかな 「みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまった おく ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに 居たのと云おうと思ったとき、カムパネルラが 銀河鉄道の夜 47 にさそって出掛けたのだ。）とおもいながら、 むか 「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎いにきたんだ。」 ムパネルラは 「どこかで待っていようか」と云いました。するとカ 48 ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、 しまいました。 があるというような、おかしな気持ちがしてだまって とジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたもの カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔い ろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。する 銀河鉄道の夜 すいとう いきおい もうすっかり元気が直って、勢よく云いました。 も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥の停車 「ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳 場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。 た。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ て一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでし くその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿っ を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まった そして、カムパネルラは、円い板のようになった地図 川 の 遠 く を 飛 ん で い た っ て、 ぼ く は き っ と 見 え る。」 銀河鉄道の夜 49 ばん ようにおもいました。 さんかくひょう した。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見た 青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありま だい だ い 黒な盤の上に、一一の停車場や三角標、泉水や森が、 50 ぼくたちの居るとこ、ここだろう。」 「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いま たの。 」 ジョバンニが云いました。 「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかっ 「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」 銀河鉄道の夜 かわら ジョバンさニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、 すぐ北を指しました。 「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」 そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろ の空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさら て、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高 は云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になっ ゆかい 「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニ た。 さらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでし 銀河鉄道の夜 51 くちぶえ ふ けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水 はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。 て、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、 く星めぐりの口笛を吹きながら一生けん命延びあがっ 52 むらさき ものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄 燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠い りんこう ど ん 流 れ て 行 き、 野 原 に は あ っ ち に も こ っ ち に も、 虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどん にじ 眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、 め は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき 銀河鉄道の夜 ある いなずま くさり いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、 或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、 さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでし ふ た。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに 「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバン は云いました。 「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニ をつくように、ちらちらゆれたり顫えたりしました。 ふる の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息 振りました。するとほんとうに、そのきれいな野原中 銀河鉄道の夜 53 ニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いま た。 「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いまし した。 54 だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いま 「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋 走って行くのでした。 角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、 びこう ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そ らのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三 銀河鉄道の夜 した。 咲いていました。 しばくさ へりになったみじかい芝草の中に、月長石で 線路きの ざ でも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないう ち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行 「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから。」 た。 てみせようか。」ジョバンニは胸を躍らせて云いまし おど 「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗っ 銀河鉄道の夜 55 きました。 雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるよ のきいろ と思ったら、もう次から次から、たくさん わ な底をもったりんどうの花のコップが、湧くように、 56 いきなり、カムパネルラが、思い切ったというよう 「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」 七、北十字とプリオシン海岸 うに燃えるように、いよいよ光って立ったのです。 銀河鉄道の夜 せ い に、少しどもりながら、急きこんで云いました。 だいだい ジョバンニは、 （ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つ のちりのように見える橙いろの三角標のあたりにい ラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こら おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネル んなことでもする。けれども、いったいどんなことが、 「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、ど さいわい た。 ）と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。 ら っ し ゃ っ て、 い ま ぼ く の こ と を 考 え て い る ん だ っ 銀河鉄道の夜 57 えているようでした。 「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにい たれ ないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。 さけ 「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃ 58 っと白く明るくなりました。 俄かに、車のなかが、こぱ んごうせき つゆ 見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派 にわ した。 ルラは、なにかほんとうに決心しているように見えま かさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネ いことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっ 銀河鉄道の夜 かわどこ さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を さ 水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、 ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでし じゅうじか こお た。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるよ は、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブ りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たち 「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起 光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。 雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円 い うな、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の 銀河鉄道の夜 59 すいしょう じゅず りんご ムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのよう ほほ した。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カ つつましく指を組み合せて、そっちに祈っているので いの ルを胸にあてたり、水晶の珠数をかけたり、どの人も 60 銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、 向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、 やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその そ し て 島 と 十 字 架 と は、 だ ん だ ん う し ろ の 方 へ う つって行きました。 にうつくしくかがやいて見えました。 銀河鉄道の夜 きつねび たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりす るのは、やさしい狐火のように思われました。 それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、す すきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、う さんが、まん円な緑の瞳を、じっとまっすぐに落して、 ひとみ か、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼 あま た。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたの 鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいまし く、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ しろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さ 銀河鉄道の夜 61 まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るの つつし うなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の り白い柱とが、 早くも、シグナルの緑の燈と、ぼんや いおう ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄のほのおのよ あかり 「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」 「もうじき白鳥の停車場だねえ。」 そっと談し合ったのです。 はな みに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語で、 ことば たちはしずかに席に戻り、二人も胸いっぱいのかなし もど を、虔んで聞いているというように見えました。旅人 62 銀河鉄道の夜 下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もな くプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正 しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがっ や て、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来て ダイアル 〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。 まいました。 なは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってし さわやかな秋の時計の盤面には、青く灼かれたはが ねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みん とまりました。 銀河鉄道の夜 63 つ たれ 人 は、 停 車 場 の 前 の、 水 晶 細 工 の よ う に 見 え る いち二 ょう 銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこか の、影もなかったのです。 かげ せんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人 あかぼう 紫 がかった電燈が、一つ点いているばかり、誰も居ま むらさき 二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口 へ か け て 行 き ま し た。 と こ ろ が 改 札 口 に は、 明 る い かいさつぐち 「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いまし 「降りよう。」 た。 64 銀河鉄道の夜 はば ら幅の広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っ ていました。 か一人も さきに降りた人たちは、もうどこへ行った かた 見えませんでした。二人がその白い道を、肩をならべ いくほん た。 カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌に てのひら 間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来まし かわら 輻のように幾本も幾本も四方へ出るのでした。そして や 室の中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の へや て行きますと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある 銀河鉄道の夜 65 ゆめ 「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思 「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」 いるのでした。 ひろげ、指できしきしさせながら、夢のように云って 66 きり ひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水 た。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手を なぎさ また稜から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでし かど 原の礫は、みんなすきとおって、たしかに水晶や ト河 パース しゅうきょく 黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、 こいし いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。 銀河鉄道の夜 素よりももっとすきとおっていたのです。それでもた う しかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたっ りんこう たとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手 首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげ かげが、何か掘り出すか埋めるかしているらしく、立っ ほ に沿って出ているのでした。そこに小さな五六人の人 上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている が川 け 崖の下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川 た。 て、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりまし 銀河鉄道の夜 67 かが そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきの尖った とが 「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議 ました。 欄干も植えられ、木製のきれいなベンチも置いてあり らんかん が 立 っ て、 向 う の 渚 に は、 と こ ろ ど こ ろ、 細 い 鉄 の 〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物のつるつるした標札 せ と も の ちの方へ走りました。その白い岩になった処の入口に、 ところ 「行ってみよう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっ りしました。 たり屈んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光った 68 銀河鉄道の夜 たくさん くるみの実のようなものをひろいました。 ない。岩の中に入ってるんだ。」 「くるみの実だよ。そら、沢山ある。流れて来たんじゃ 「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこし 波がやさしい稲妻のように燃えて寄せ、右手の崖には、 いなずま 二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、 またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚には、 ら。 」 「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるか もいたんでない。」 銀河鉄道の夜 69 かいがら こわ ほ いけない、いけない。なぜそんな乱暴をするんだ。」 たまえ、スコープを。おっと、も少し遠くから掘って。 「そこのその突起を壊さないように。スコープを使い とっき しい人たちに夢中でいろいろ指図をしていました。 むちゅう たり、スコープをつかったりしている、三人の助手ら に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴をふりあげ つるはし ると、一人のせいの高い、ひど だんだん近付いてな見 がぐつ い近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳 たのです。 いちめん銀や貝殻でこさえたようなすすきの穂がゆれ 70 銀河鉄道の夜 やわ の白い柔らかな岩の中から、大きな大き 見ると、そ けもの たお つぶ な 青 じ ろ い 獣 の 骨 が、 横 に 倒 れ て 潰 れ た と い う 風 に ひづめ あしあと なって、半分以上掘り出されていました。そして気を つけて見ると、そこらには、蹄の二つある足跡のつい めがね 百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。 「 く る み が 沢 山 あ っ た ろ う。 そ れ は ま あ、 ざ っ と きらっとさせて、こっちを見て話しかけました。 「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡を がつけられてありました。 た岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号 銀河鉄道の夜 71 ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、 こは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできた 「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、こ い 「標本にするんですか。」 たくさん居たさ。」 れたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔は むかし そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿でやってく のみ このけものかね、これはボスといってね、おいおい、 に、 そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。 この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこ 72 銀河鉄道の夜 しょうこ と い う 証 拠 も い ろ い ろ あ が る け れ ど も、 ぼ く ら と ち がったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるか どうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えや しないかということなのだ。わかったかい。けれども、 はず 「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」ジョバ 腕時計とをくらべながら云いました。 うでどけい 「 も う 時 間 だ よ。 行 こ う。」 カ ム パ ネ ル ラ が 地 図 と て走って行きました。 に肋骨が埋もれてる筈じゃないか。」大学士はあわて ろっこつ おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下 銀河鉄道の夜 73 ンニは、ていねいに大学士におじぎしました。 いそ 二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれ しそうに、あちこち歩きまわって監督をはじめました。 かんとく 「そうですか。いや、さよなら。」大学士は、また忙が 74 そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈 こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれ ると、ジョバンニは思いました。 した。 に走れたのです。息も切れず膝もあつくなりませんで ひざ ないように走りました。そしてほんとうに、風のよう 銀河鉄道の夜 すわ がだんだん大きくなって、間もなく二人は、もとの車 室の席に座って、いま行って来た方を、窓から見てい ました。 と 八、鳥を捕る人 それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い がいとう がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、 二人のうしろで聞えました。 「ここへかけてもようございますか。」 銀河鉄道の夜 75 きれ ふえ か あかひげ わ ら ラは、車室の天井を、あちこち見ていました。その一 てんじょう 車はもう、しずかにうごいていたのです。カムパネル と前の方で、硝子の笛のようなものが鳴りました。汽 ガラス がして、だまって正面の時計を見ていましたら、ずうっ ニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気 いながら荷物をゆっくり網棚にのせました。ジョバン あみだな て挨拶しました。その人は、ひげの中でかすかに微笑 あいさ つ 「ええ、いいんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめ のせなかのかがんだ人でした。 巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯 76 銀河鉄道の夜 かぶとむし つのあかりに黒い甲虫がとまってその影が大きく天井 にうつっていたのです。赤ひげの人は、なにかなつか しそうにわらいながら、ジョバンニやカムパネルラの ようすを見ていました。汽車はもうだんだん早くなっ き 「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり 「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか。」 赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人に訊き ました。 た。 て、すすきと川と、かわるがわる窓の外から光りまし 銀河鉄道の夜 77 悪そうに答えました。 こし ほほ その人は別に怒ったでもなく、頬をぴくぴくしながら おこ つい顔を赤くして笑いだしてしまいました。ところが とこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、 た帽子をかぶり、大きな鍵を腰に下げた人も、ちらっ かぎ 思わずわらいました。すると、向うの席に居た、尖っ なり、喧嘩のようにたずねましたので、ジョバンニは、 けんか 「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラが、いき も行きますぜ。」 「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまでで 78 銀河鉄道の夜 返事しました。 まえる商売でね。」 「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつか がん 「何鳥ですか。」 「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすま 「いいえ。」 たのですか。」 「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかっ 「鶴はたくさんいますか。」 「鶴や雁です。さぎも白鳥もです。」 銀河鉄道の夜 79 き んと水の湧くような音が聞えて来るのでした。 わ 二人は眼を挙げ、耳をすましました。ごとごと鳴る 汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころ め して聴いてごらんなさい。」 80 の川の砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね、 こご 「そいつはな、雑作ない。さぎというものは、みんな天 ぞうさ ら答えました。 「鷺です。」ジョバンニは、どっちでもいいと思いなが 「鶴ですか、それとも鷺ですか。」 さぎ 「鶴、どうしてとるんですか。」 銀河鉄道の夜 そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、 あし おさ 鷺がみんな、脚をこういう風にして下りてくるとこを、 えちまうんです。するともう鷺は、かたまって安心し そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押 「おかしいねえ。」カムパネルラが首をかしげました。 か。 」 「標本じゃありません。みんなたべるじゃありません 「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」 押し葉にするだけです。」 て死んじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。 銀河鉄道の夜 81 ふしん 鷺の三日月がたの白い瞑った眼にさわりました。頭の つぶ 「眼をつぶってるね。」カムパネルラは、指でそっと、 ちぢめて、浮彫のようにならんでいたのです。 うきぼり だが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒い脚を 白な、あのさっきの北の十字架のように光る鷺のから じゅうじか 「ほんとうに鷺だねえ。」二人は思わず叫びました。まっ さけ 「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」 きました。 て、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解 「おかしいも不審もありませんや。そら。」その男は立っ 82 銀河鉄道の夜 やり ふ ろ し き 上の槍のような白い毛もちゃんとついていました。 ひも たれ 「ね、そうでしょう。」鳥捕りは風呂敷を重ねて、また た くるくると包んで紐でくくりました。誰がいったいこ ら訊きました。 「鷺はおいしいんですか。」 包みを解きました。すると黄と青じろとまだらになっ ありませんからな。そら。」鳥捕りは、また別の方の と売れます。雁の方がずっと柄がいいし、第一手数が がら 「ええ、毎日注文があります。しかし雁の方が、もっ がん こらで鷺なんぞ喰べるだろうとジョバンニは思いなが 銀河鉄道の夜 83 そろ ひら て、 なにかのあかりのようにひかる雁が、ちょうどさっ 「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しおあが なって、ならんでいました。 きの鷺のように、くちばしを揃えて、少し扁べったく 84 ちょっと喰べてみて、（なんだ、やっぱりこいつはお それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは、 「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは、 ているように、すっときれいにはなれました。 ぱりました。するとそれは、チョコレートででもでき りなさい。」鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっ 銀河鉄道の夜 か し 菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれど か し や も、こんな雁が飛んでいるもんか。この男は、どこか そこらの野原の菓子屋だ。けれどもぼくは、このひと をばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、 ども、 えんりょ 「ええ、ありがとう。」と云って遠慮しましたら、鳥捕 い した。ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれ 「も少しおあがりなさい。」鳥捕りがまた包みを出しま くそれをたべていました。 大へん気の毒だ。）とおもいながら、やっぱりぽくぽ 銀河鉄道の夜 85 もら 帽子をとりました。 ぼうし かぎ お と と い 障が来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、 させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故 んか、なぜ燈台の灯を、規則以外に間〔一字分空白〕 ひ 「いや、すてきなもんですよ。一昨日の第二限ころな 鳥の景気は。」 どり 「いいえ、どういたしまして。どうです、今年の渡り わた 「いや、商売ものを貰っちゃすみませんな。」その人は、 た。 りは、こんどは向うの席の、鍵をもった人に出しまし 86 銀河鉄道の夜 渡り鳥どもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通 るのですから仕方ありませんや。わたしぁ、べらぼう とほう め、そんな苦情は、おれのとこへ持って来たって仕方 こ がねえや、ばさばさのマントを着て脚と口との途方も きから、訊こうと思っていたのです。 「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カムパネルラは、さっ すすきがなさくなったために、向うの野原から、ぱっ とあかりが射して来ました。 はっは。」 なく細い大将へやれって、斯う云ってやりましたがね、 銀河鉄道の夜 87 「それはね、鷺を喰べるには、」鳥捕りは、こっちに向 うでなけぁ、砂に三四日うずめなけぁいけないんだ。 「天の川の水あかりに、十日もつるして置くかね、そ き直りました。 88 何か大へんあわてた風で、 が、思い切ったというように、尋ねました。鳥捕りは、 たず ぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラ 「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。」やっ になるよ。」 そうすると、水銀がみんな蒸発して、喰べられるよう 銀河鉄道の夜 「そうそう、ここで降りなけぁ。」と云いながら、立っ て荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていまし た。 「どこへ行ったんだろう。」 て、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを 燐光を出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立っ りんこう た い ま の 鳥 捕 り が、 黄 い ろ と 青 じ ろ の、 う つ く し い 外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら、たっ 二人は顔のを見合せましたら、燈台守は、にやにや笑っ て、少し伸びあがるようにしながら、二人の横の窓の 銀河鉄道の夜 89 見ていたのです。 ぱし きたい ふくろ て来る黒い脚を両手で片っ端から押えて、布の袋の中 かた をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降り すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足 いっぱいに舞いおりて来ました。するとあの鳥捕りは、 ま が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、 がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たような鷺 ききょう う ち に、 早 く 鳥 が お り る と い い な。」 と 云 っ た 途 端、 とたん た鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かない 「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体だねえ。きっとま 90 銀河鉄道の夜 ほたる に入れるのでした。すると鷺は、蛍のように、袋の中 でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていま したが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなっ あま がわ て、眼をつぶるのでした。ところが、つかまえられる ひら じゃり と ようこうろ は鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二三 銅の汁のように、砂や砂利の上にひろがり、しばらく しる 縮まって扁べったくなって、間もなく熔鉱炉から出た ちぢ と、足が砂へつくや否や、まるで雪の融けるように、 いな に降りるものの方が多かったのです。それは見ている 鳥よりは、つかまえられないで無事に天の川の砂の上 銀河鉄道の夜 91 度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もう 袋に入れてしまうと、急に 鳥捕りは二十疋ばかりて、 っぽうだま 両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって、死ぬときの ぴき すっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。 92 ちょうど かせ 見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、きちん ききおぼえのある声が、ジョバンニの隣りにしました。 とな いでいるくらい、いいことはありませんな。」という 「ああせいせいした。どうもからだに恰度合うほど稼 の形はなくなって、却って、 かえ ような形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕り 銀河鉄道の夜 とそろえて、一つずつ重ね直しているのでした。 か。 」 ジ ョ バ ン ニ が、 な ん だ か あ た り ま え の よ う な、 「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんです あたりまえでないような、おかしな気がして問いまし も考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれど も、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうして たいあなた方は、どちらからおいでですか。」 「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜん た。 銀河鉄道の夜 93 赤にして何か思い出そうとしているのでした。 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの むね 川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、 あれが名高いアルビレオの観測所です。」 「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。 九、ジョバンニの切符 きっぷ ように雑作なくうなずきました。 「ああ、遠くからですね。」鳥捕りは、わかったという 94 銀河鉄道の夜 トパース め サファイア その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉と ずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだん 黄玉の大きな二つのすきとおった球が、輪になってし だん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ く だんだん横へ外れて、前のレンズの形を逆に繰り返し、 そ 中心と黄いろな明るい環とができました。それがまた わ のは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の もだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青い れいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それ とつ 進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、き 銀河鉄道の夜 95 とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、 こまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡っている ねむ になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にか 黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風 96 ぼうし ていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、 をかぶったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立っ しゃしょう 「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子 鳥捕りが云いかけたとき、 とりと 「 あ れ は、 水 の 速 さ を は か る 器 械 で す。 水 も ……。」 ように、しずかによこたわったのです。 銀河鉄道の夜 小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、す ぐ 眼 を そ ら し て、（ あ な た 方 の は？） と い う よ う に、 指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出し ました。 か 大 き な 畳 ん だ 紙 き れ に あ た り ま し た。 こ ん な も の たた ていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何 あわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っ 鼠いろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかり ねずみ ら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さな 「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていました 銀河鉄道の夜 97 入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、 な気がしました。 は証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるよう にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれ 直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心 た。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに まっすぐに立ち直って叮寧にそれを開いて見ていまし ていねい 構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌は 紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの 98 銀河鉄道の夜 だいじょうぶ 「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」 車掌がたずねました。 「何だかわかりません。」もう大丈夫だと安心しながら サウザンクロス ジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。 も全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめ カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ね たというように急いでのぞきこみました。ジョバンニ 渡して向うへ行きました。 の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに 「よろしゅうございます。南十字へ着きますのは、次 銀河鉄道の夜 99 からくさ と鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。する こ 字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中 ん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの 100 の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あ はず 持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次 げんそう い、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃな 「 お や、 こ い つ は 大 し た も ん で す ぜ。 こ い つ は も う、 云いました。 銀河鉄道の夜 なた方大したもんですね。」 ながらそれを又畳んでかくしに入れました。そしてき また 「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答え まりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をな 三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較べ みくら 「もうじき鷲の停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、 わし かりました。 いうようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわ がめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだと 銀河鉄道の夜 て云いました。 101 と ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかに さぎ なりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺を それをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりした つかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれで 102 かわら て百年つづけて立って鳥をとってやってもいいという うの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立っ さい わ い でもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんと ために、ジョバンニの持っているものでも食べるもの を一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りの ように横目で見てあわててほめだしたり、そんなこと 銀河鉄道の夜 だま ような気がして、どうしてももう黙っていられなくな き ぬ りました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何で すか、と訊こうとして、それではあんまり出し抜けだ ふ あみだな から、どうしようかと考えて振り返って見ましたら、 鳥捕りの広いせなかも尖った帽子も見えませんでし とが めんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの のかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいち をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度をしている したく には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足 そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚の上 銀河鉄道の夜 103 た。 たこともないと思いました。 ちは、 ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云っ は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気も 「僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕 じゃま 「ああ、僕もそう思っているよ。」 僕はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」 ぼく 「 ど こ へ 行 っ た ろ う。 一 体 ど こ で ま た あ う の だ ろ う。 そう云っていました。 「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやり 104 銀河鉄道の夜 りんご におい 「何だか苹果の匂がする。僕いま苹果のこと考えたた のいばら めだろうか。」カムパネルラが不思議そうにあたりを 見まわしました。 「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨の匂もする。」 かみ そしたら俄かにそこに、つやつやした黒い髪の六つ ばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひど にわ の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。 らでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨 ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓か 銀河鉄道の夜 くびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだ 105 とな 立っていました。 の 木 の よ う な 姿 勢 で、 男 の 子 の 手 を し っ か り ひ い て たせいの高い青年が一ぱいに風に吹かれているけやき ふ しで立っていました。隣りには黒い洋服をきちんと着 106 うで ト州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わ 「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカッ 議そうに窓の外を見ているのでした。 しい女の子が黒い外套を着て青年の腕にすがって不思 がいとう のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛ら かあい 「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年 銀河鉄道の夜 たしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしる め しは天上のしるしです。もうなんにもこわいことあり ま せ ん。 わ た く し た ち は 神 さ ま に 召 さ れ て い る の で い しわ す。 」黒服の青年はよろこびにかがやいてその女の子 それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの 席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、 がら男の子をジョバンニのとなりに座らせました。 すわ で、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いな に云いました。けれどもなぜかまた額に深く皺を刻ん 銀河鉄道の夜 きちんと両手を組み合せました。 107 こしか ず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬ 座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云え ばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に 「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛けた 108 いらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはい ます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待って あるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃい 「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事が ててしくしく泣いてしまいました。 れた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあ 銀河鉄道の夜 まどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみん なと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわって あそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心 配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさ インクル、リトル、スター をうたってやすむとき、 いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あす の立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツ 「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あ 「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」 んにお目にかかりましょうね。」 銀河鉄道の夜 109 こですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っていま 泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見まし た。 青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。 す。 」 110 助けられて、心配して待っているめいめいのお父さん たちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたし とこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂 わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまの 「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。 銀河鉄道の夜 やお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、も うじきですから元気を出しておもしろくうたって行き なぐさ ましょう。」青年は男の子のぬれたような黒い髪をな で、みんなを慰めながら、自分もだんだん顔いろがか にわらいました。 「いえ、氷山にぶっつかって船が沈みましてね、わた しず しわかったように青年にたずねました。青年はかすか うなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少 「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。ど がやいて来ました。 銀河鉄道の夜 111 た したちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さ も船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちに トは左舷の方半分はもうだめになっていましたから、 さげん りましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボー きり もう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりあ のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾き かたむ いたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日 きのう す。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれて きに本国へお帰りになったのであとから発ったので 112 銀河鉄道の夜 さけ いの く 人たちを乗せて下さいと叫びました。近くの人たちは すぐみちを開いてそして子供たちのために祈って呉れ ました。けれどもそこからボートまでのところにはま お だまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とて りはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうに しました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよ だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようと しはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務 も押しのける勇気がなかったのです。それでもわたく 銀河鉄道の夜 この方たちの幸福だとも思いました。それからまたそ 113 の神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも トの中へはなしてやってお母さんが狂気のようにキス きょうき いるとそれができないのでした。子どもらばかりボー 助けてあげようと思いました。けれどもどうして見て 114 だ うか た。誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけ たれ だけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていまし うすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、浮べる かくご た。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はも ぐに立っているなどとてももう腸もちぎれるようでし はらわた を送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっす 銀河鉄道の夜 すべ かんぱん こうし れども滑ってずうっと向うへ行ってしまいました。私 は一生けん命で甲板の格子になったとこをはなして、 三人それにしっかりとりつきました。どこからともな く〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまち いたのです。この方たちのお母さんは一昨年没くなら な いてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来て もう渦に入ったと思いながらしっかりこの人たちをだ うず た。そのとき俄かに大きな音がして私たちは水に落ち にわ みんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいまし 銀河鉄道の夜 れました。ええボートはきっと助かったにちがいあり 115 こ はげ ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまない たたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。 さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さと こお かったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小 （ああ、その大きな海はパシフィックというのではな んやり思い出して眼が熱くなりました。 め そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカ ムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼ 船からはなれていましたから。」 ません、何せよほど熟練な水夫たちが漕いですばやく 116 銀河鉄道の夜 ような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのために こ いったいどうしたらいいのだろう。）ジョバンニは首 を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまいました。 「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどん 燈台守がなぐさめていました。 「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るため 近づく一あしずつですから。」 きごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に とうげ なつらいことでもそれがただしいみちを進む中でので 銀河鉄道の夜 にいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」 117 うにそう答えました。 青年が祈るよ きょうだい す。 くつ え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさ その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見 幻燈のようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、 げんとう ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸 を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで りんこう だった足にはいつか白い柔らかな靴をはいていたので やわ もうつかれてめいめいぐったり席 そしてあの姉弟ねは む によりかかって睡っていました。さっきのあのはだし 118 銀河鉄道の夜 ん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたは のろし ききょう もっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりし た狼煙のようなものが、かわるがわるきれいな桔梗い におい ろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすき きれい ん にかかえていました。 ろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝の上 ひざ 向うの席の燈台看守がいつか黄金と紅でうつくしくい き 「いかがですか。こういう苹果はおはじめてでしょう。」 りんご とおった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいでした。 銀河鉄道の夜 「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここ 119 らではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんと らわれを忘れてながめていました。 た一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしなが うにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられ 120 ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃく 下さい。」 「さあ、向うの坊ちゃんがた。いかがですか。おとり ぼっ 青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見 ました。 「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」 銀河鉄道の夜 にさわってだまっていましたがカムパネルラは て一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニ 「ありがとう、」と云いました。すると青年は自分でとっ りょううで も立ってありがとうと云いました。 青年はつくづく見ながら云いました。 「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大て 立派な苹果は。」 「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな 燈台看守はやっと両腕があいたのでこんどは自分で 一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。 銀河鉄道の夜 121 ね ま やくそく お できます。米だってパシフィック辺のように殻もない から いてい自分の望む種子さえ播けばひとりでにどんどん た ります。農業だってそんなに骨は折れはしません。た いひとりでにいいものができるような約束になって居 122 にわかに男の子がぱっちり眼をあいて云いました。 おりになって毛あなからちらけてしまうのです。」 なそのひとそのひとによってちがったわずかのいいか だってお菓子だってかすが少しもありませんからみん たのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果 し十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたが 銀河鉄道の夜 とだな ゆめ 「ああぼくいまお母さんの夢をみていたよ。お母さん がね立派な戸棚や本のあるとこに居てね、ぼくの方を 見 て 手 を だ し て に こ に こ に こ に こ わ ら っ た よ。 ぼ く お っ か さ ん。 り ん ご を ひ ろ っ て き て あ げ ま し ょ う か 「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだね いたのですよ。」青年が云いました。 「その苹果がそこにあります。このおじさんにいただ りんご なかだねえ。」 云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車の 銀河鉄道の夜 てるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、 123 りんごをもらったよ。おきてごらん。」 せっかく む ケットにしまいました。 二人はりんごを大切にしポ げ えだ 川下の向う岸に青く茂った大きな林が見え、その枝 には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林の に光って蒸発してしまうのでした。 形になって床へ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろ ゆか いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのような ぬ 喰べるようにもうそれを喰べていました、また折角剥 た 姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあ ててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを 124 銀河鉄道の夜 まん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオー し ケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずき れいな音いろが、とけるように浸みるように風につれ て流れて来るのでした。 つゆ かす またまっ白な蝋のような露が太陽の面を擦めて行くよ ろう だまってその譜を聞いていると、そこらにいちめん 黄 い ろ や う す い 緑 の 明 る い 野 原 か 敷 物 か が ひ ろ が り、 ふ 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしまし た。 銀河鉄道の夜 うに思われました。 125 からす また何気なく叱るように叫びましたので、ジョバンニ しか 「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラが ばれた女の子が叫びました。 「まあ、あの烏。」カムパネルラのとなりのかおると呼 126 延びてますから。」青年はとりなすように云いました。 「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと の微光を受けているのでした。 びこう さんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川 まったく河原の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたく かわら はまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。 銀河鉄道の夜 さ ん び か 向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に 来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあ の聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌のふしが聞 えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいの どもいつともなく誰ともなくその歌は歌い出されだん たれ た。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれ ました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいまし そっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座り すわ でした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺん 銀河鉄道の夜 だんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカ 127 いっしょ ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一 つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっ 「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。 「あ孔雀が居るよ。」 くじ ゃ く ました。 びきや風の音にすり耗らされてずうっとかすかになり へ そこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひ そして青い橄欖の森が見えない天の川の向うにさめ ざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまい かんらん ムパネルラも一緒にうたい出したのです。 128 銀河鉄道の夜 さっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげた りとじたりする光の反射を見ました。 い 「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネル ぴき ラがかおる子に云いました。 「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」 わず ジョバンニは俄かに何とも云えずかなしい気がして思 にわ うに聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。 「ええ、三十疋ぐらいはたしかに居たわ。ハープのよ 銀河鉄道の夜 とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。 129 ぼうし 川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん ゆる 中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛 そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号 い 服 を 着 て 赤 い 帽 子 を か ぶ っ た 男 が 立 っ て い ま し た。 130 ふ まっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも た。 す る と 空 中 に ざ あ っ と 雨 の よ う な 音 が し て 何 か まるでオーケストラの指揮者のように烈しく振りまし はげ してうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげて しきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗をおろ しているのでした。ジョバンニが見ている間その人は 銀河鉄道の夜 てっぽうだま 鉄砲丸のように川の向うの方へ飛んで行くのでした。 ききょう ジョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっち た空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組も幾組 いくくみ を見あげました。美しい美しい桔梗いろのがらんとし 「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあ た。 「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いまし た。 もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでし 銀河鉄道の夜 のやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて 131 きょうき あお を出して美しい頬をかがやかせながらそらを仰ぎまし ほほ 二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔 幾 万 と い う 鳥 の 群 が そ ら を ま っ す ぐ に か け た の で す。 その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた 「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」 青い旗をふって叫んでいたのです。 さけ いんとしました。と思ったらあの赤帽の信号手がまた れたような音が川下の方で起ってそれからしばらくし の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰 つぶ 狂気のようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥 132 銀河鉄道の夜 た。 のきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけ 「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそら ましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思い 「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっと 込めて地図を見ていました。 こ ました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ た。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻り もど ながらだまって口をむすんでそらを見あげていまし 銀河鉄道の夜 カムパネルラにたずねました。 133 「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかの なりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかった ぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんと ろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しお 134 ぼく ふ い。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのよう とこころもちをきれいに大きくもたなければいけな （どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっ ました。 のでだまってこらえてそのまま立って口笛を吹いてい くちぶえ のですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかった 銀河鉄道の夜 な小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかで ほて おさ つめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめる んだ。 ）ジョバンニは熱って痛いあたまを両手で押え るようにしてそっちの方を見ました。（ああほんとう るで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでし ジョバンニの眼はまた泪でいっぱいになり天の川もま なみだ しろそうに談しているし僕はほんとうにつらいなあ。） はな いだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおも にどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはな 銀河鉄道の夜 た。 135 がけ くのでした。そしてちらっと大きなとうもろこしの木 の岸を下流に下るにしたがってだんだん高くなって行 そのとき汽車はだんだん川からはなれて崖の上を通 るようになりました。向う岸もまた黒いいろの崖が川 136 は の窓を見ましたときは美しいそらの野原の地平線のは らび思わずジョバンニが窓から顔を引っ込めて向う側 増して来てもういまは列のように崖と線路との間にな な実もちらっと見えたのでした。それはだんだん数を 美しい緑いろの大きな苞が赤い毛を吐いて真珠のよう ほう を見ました。その葉はぐるぐるに縮れ葉の下にはもう 銀河鉄道の夜 てまでその大きなとうもろこしの木がほとんどいちめ んに植えられてさやさや風にゆらぎその立派なちぢれ こんごうせき つゆ た葉のさきからはまるでひるの間にいっぱい日光を 吸った金剛石のように露がいっぱいについて赤や緑や だろう。」と答えました。そのとき汽車はだんだんし んでしたからただぶっきり棒に野原を見たまま「そう たけれどもジョバンニはどうしても気持がなおりませ 「あれとうもろこしだねえ」とジョバンニに云いまし きらきら燃えて光っているのでした。カムパネルラが 銀河鉄道の夜 ずかになっていくつかのシグナルとてんてつ器の灯を 137 過ぎ小さな停車場にとまりました。 な野原のなかにカチッカチッと正しく時を刻んで行く 正面の青じろい時計はかっきり第二時を示しそ そふの りこ の振子は風もなくなり汽車もうごかずしずかなしずか 138 たれ た。全くもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰も たけたか とりごとのようにこっちを見ながらそっと云いまし に流れて来るのでした。「新世界交響楽だわ。」姉がひ こうきょうがく を遠くの遠く そしてまったくその振子の音のたえま せんりつ の野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のよう のでした。 銀河鉄道の夜 ゆめ みんなやさしい夢を見ているのでした。 ゆかい になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしい （ こ ん な し ず か な い い と こ で 僕 は ど う し て も っ と愉 快 のだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひど とおった硝子のような笛が鳴って汽車はしずかに動き ガラス ようにして向うの窓のそとを見つめていました。すき につらい。）ジョバンニはまた両手で顔を半分かくす な女の子とばかり談しているんだもの。僕はほんとう はな い、僕といっしょに汽車に乗っていながらまるであん 銀河鉄道の夜 出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛を 139 吹きました。 め そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろう まるでひどい峡谷になっているんです。」 きょうこく 「ええええ河までは二千尺から六千尺あります。もう 「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ、」 こへ播かないと生えないんです。」 ま 「とうもろこしだって棒で二尺も孔をあけておいてそ あな いう風ではきはき談している声がしました。 しろの方で誰かとしよりらしい人のいま眼がさめたと たれ 「ええ、ええ、もうこの辺はひどい高原ですから。」う 140 銀河鉄道の夜 か、ジョバンニは思わずそう思いました。カムパネル りんご ラはまださびしそうにひとり口笛を吹き、女の子はま とつぜん るで絹で包んだ苹果のような顔いろをしてジョバンニ の見る方を見ているのでした。突然とうもろこしがな おお いちもくさん さな弓に矢を番えて一目散に汽車を追って来るのでし つが 鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり小 うで きそのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが白い 新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧 わ く な っ て 巨 き な 黒 い 野 原 が い っ ぱ い に ひ ら け ま し た。 銀河鉄道の夜 た。 141 「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。ごら 黒服の青年も眼をさましました。ジョバンニもカム パネルラも立ちあがりました。 んなさい。」 142 ら云いました。 りょう るか忘れたという風にポケットに手を入れて立ちなが するか踊るかしてるんですよ。」青年はいまどこに居 おど 「いいえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。猟を るんでしょう。」 「走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけてい 銀河鉄道の夜 まったくインデアンは半分は踊っているようでし た。第一かけるにしても足のふみようがもっと経済も たお とれ本気にもなれそうでした。にわかにくっきり白い その羽根は前の方へ倒れるようになりインデアンはぴ どん小さく遠くなり電しんばしらの碍子がきらっき がいし そしてその鶴をもってこっちを見ている影ももうどん かげ た。インデアンはうれしそうに立ってわらいました。 たインデアンの大きくひろげた両手に落ちこみまし こから一羽の鶴がふらふらと落ちて来てまた走り出し つる たっと立ちどまってすばやく弓を空にひきました。そ 銀河鉄道の夜 143 らっと続いて二つばかり光ってまたとうもろこしの林 には川がやっぱり幅ひろく明るく流れていたのです。 はば はほんとうに高い高い崖の上を走っていてその谷の底 がけ になってしまいました。こっち側の窓を見ますと汽車 144 ました。 早くなったでしょう。」さっきの老人らしい声が云い うからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん ません。この傾斜があるもんですから汽車は決して向 けいしゃ んにあの水面までおりて行くんですから容易じゃあり 「ええ、もうこの辺から下りです。何せこんどは一ぺ 銀河鉄道の夜 どんどんどんどん汽車は降りて行きました。崖のは じに鉄道がかかるときは川が明るく下にのぞけたので す。ジョバンニはだんだんこころもちが明るくなって 来 ま し た。 汽 車 が 小 さ な 小 屋 の 前 を 通 っ て そ の 前 に へやじゅう 腰掛にしっかりしがみついていました。ジョバンニは こしかけ どんどんどんどん汽車は走って行きました。室中の ひとたちは半分うしろの方へ倒れるようになりながら きなどは思わずほうと叫びました。 しょんぼりひとりの子供が立ってこっちを見ていると 銀河鉄道の夜 思わずカムパネルラとわらいました。もうそして天の 145 はげ ました。汽車はようやく落ち着いたようにゆっくりと た。うすあかい河原なでしこの花があちこち咲いてい かわら たらしくときどきちらちら光ってながれているのでし 川は汽車のすぐ横手をいままでよほど激しく流れて来 146 「さあ、わからないねえ、地図にもないんだもの。鉄 いました。 「あれ何の旗だろうね。」ジョバンニがやっとものを云 向うとこっちの岸に星のかたちとつるはしを書いた 旗がたっていました。 走っていました。 銀河鉄道の夜 の舟がおいてあるねえ。」 か 「ああ。」 かきょう 「橋を架けるとこじゃないんでしょうか。」女の子が云 いました。 「発破だよ、発破だよ。」カムパネルラはこおどりしま はっぱ どぉと烈しい音がしました。 はげ その時向う岸ちかくの少し下流の方で見えない天の 川の水がぎらっと光って柱のように高くはねあがり けれど兵隊のかたちが見えないねえ。」 「 あ あ あ れ 工 兵 の 旗 だ ね え。 架 橋 演 習 を し て る ん だ。 銀河鉄道の夜 147 した。 さけ れて円い輪を描いてまた水に落ちました。ジョバンニ の柱のようになった水は見えなくなり大きな鮭や まそ す ほう 鱒がきらっきらっと白く腹を光らせて空中に抛り出さ 148 「あの鱒なら近くで見たらこれくらいあるねえ、たく したことない。いいねえ。」 なになってはねあげられたねえ。僕こんな愉快な旅は 「空の工兵大隊だ。どうだ、鱒やなんかがまるでこん した。 はもうはねあがりたいくらい気持が軽くなって云いま 銀河鉄道の夜 さんさかな居るんだな、この水の中に。」 込まれて云いました。 こ はなし 「小さなお魚もいるんでしょうか。」女の子が談につり 「居るんでしょう。大きなのが居るんだから小さいの すいしょう 右手の低い丘の上に小さな水晶ででもこさえたよう おか きなり窓の外をさして叫びました。 さけ 「あれきっと双子のお星さまのお宮だよ。」男の子がい ふたご 直って面白そうにわらって女の子に答えました。 おもしろ えなかったねえ。」ジョバンニはもうすっかり機嫌が きげん もいるんでしょう。けれど遠くだからいま小さいの見 銀河鉄道の夜 149 な二つのお宮がならんで立っていました。 き んと小さな水晶のお宮で二つならんでいるからきっと 「あたし前になんべんもお母さんから聴いたわ。ちゃ 「双子のお星さまのお宮って何だい。」 150 かさんお話なすったわ、……」 「そうじゃないわよ。あのね、天の川の岸にね、おっ でてからすと喧嘩したんだろう。」 けんか 「ぼくも知ってらい。双子のお星さまが野原へ遊びに 「はなしてごらん。双子のお星さまが何したっての。」 そうだわ。」 銀河鉄道の夜 ほうきぼし 「それから彗星がギーギーフーギーギーフーて云って 来たねえ。」 ふえ ふ 「いやだわたあちゃんそうじゃないわよ。それはべつ の方だわ。」 「そうそう。ぼく知ってらあ、ぼくおはなししよう。」 のよ。 」 「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃった 「いま海へ行ってらあ。」 「するとあすこにいま笛を吹いて居るんだろうか。」 銀河鉄道の夜 151 にわ こ やなぎ せばできるんだろう。」ジョバンニが云いました。 い 「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃や た。 くしく酔ったようになってその火は燃えているのでし よ た。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつ は高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでし ききょう 岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむり きちらちら針のように赤く光りました。まったく向う 川の向う岸が俄かに赤くなりました。楊の木や何か もまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときど 152 銀河鉄道の夜 さそり また 「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして 答えました。 「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」 「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。 てあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫され さ 「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけ 「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」 「蝎って、虫だろう。」 てあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」 「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるっ 銀河鉄道の夜 153 ると死ぬって先生が云ったよ。」 つ こ よ。 そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、 いの どうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたの おぼ り前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もう ういたちに押えられそうになったわ、そのときいきな おさ すって。さそりは一生けん命遁げて遁げたけどとうと に ある日いたちに見附かって食べられそうになったんで み やなんか殺してたべて生きていたんですって。すると むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫 「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯う云ったのよ。 154 銀河鉄道の夜 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとった かわからない、そしてその私がこんどいたちにとられ ようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それで もとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあ この次にはまことのみんなの幸のために私のからだを さいわい をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうか たちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心 まっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらい く てにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだ 銀河鉄道の夜 おつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつ 155 か蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になっ あの火それだわ。」 までも燃えてるってお父さん 仰 ったわ。ほんとうに おっしゃ て燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。い 156 見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしい 三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを 大きな火の向うに三つの ジョバンニはまったくその うで 三角標がちょうどさそりの腕のようにこっちに五つの りの形にならんでいるよ。」 「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそ 銀河鉄道の夜 さそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。 におい その火がだんだんうしろの方になるにつれねてみんな は何とも云えずにぎやかなさまざまの楽の音や草花の 匂のようなもの口笛や人々のざわざわ云う声やらを聞 叫んでいました。 ねむ たジョバンニのとなりの男の子が向うの窓を見ながら 「ケンタウル露をふらせ。」いきなりいままで睡ってい つゆ そこにお祭でもあるというような気がするのでした。 きました。それはもうじきちかくに町か何かがあって 銀河鉄道の夜 ああそこにはクリスマストリイのようにまっ青な 157 とうひ ほたる 「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねえ。」 ました。 んの豆電燈がまるで千の蛍でも集ったようについてい まめでんとう 唐檜かもみの木がたってその中にはたくさんのたくさ 158 男の子が大威張りで云いました。 したく 「もうじきサウザンクロスです。おりる支度をして下 お お い ば 「ボール投げなら僕決してはずさない。」 ぼく すぐ云いました。〔以下原稿一枚？なし〕 「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」カムパネルラが 銀河鉄道の夜 さい。 」青年がみんなに云いました。 た。カムパネルラのとなりの女の子はそわそわ立って 「僕も少し汽車へ乗ってるんだよ。」男の子が云いまし 支度をはじめましたけれどもやっぱりジョバンニたち がこらえ兼ねて云いました。 ジョバンニ いっしょ 「僕たちと一緒に乗って行こう。僕たちどこまでだっ 「厭だい。僕もう少し汽車へ乗ってから行くんだい。」 いや 口を結んで男の子を見おろしながら云いました。 「ここでおりなけぁいけないのです。」青年はきちっと とわかれたくないようなようすでした。 銀河鉄道の夜 159 きっぷ しそうに云いました。 よ。ここ天上へ行くとこなんだから。」女の子がさび 「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないの て行ける切符持ってるんだ。」 160 「そんな神さまうその神さまだい。」 まが仰っしゃるんだわ。」 お 「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さ いけないって僕の先生が云ったよ。」 たちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁ 「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼく 銀河鉄道の夜 「あなたの神さまうその神さまよ。」 「そうじゃないよ。」 いながら云いました。 「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑 ほんとうの神さまです。」 「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうの 「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」 でなしにほんとうのたった一人の神さまです。」 「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなん 銀河鉄道の夜 「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方 161 がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちと た。みんなほんとうに別れが惜しそうでその顔いろも お 手を組みました。女の子もちょうどその通りにしまし お会いになることを祈ります。」青年はつつましく両 162 ときでした。見えない天の川のずうっと川 ああその だいだい じゅうじか 下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架 ですから。」 「さあもう支度はいいんですか。じきサウザンクロス あげて泣き出そうとしました。 少し青ざめて見えました。ジョバンニはあぶなく声を 銀河鉄道の夜 わ がまるで一本の木という風に川の中から立ってかがや きその上には青じろい雲がまるい環になって後光のよ うにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざ わしました。みんなあの北の十字のときのようにまっ やかにゆるやかに繞っているのが見えました。 めぐ 面になりあの苹果の肉のような青じろい環の雲もゆる りんご ばかりきこえました。そしてだんだん十字架は窓の正 声や何とも云いようない深いつつましいためいきの音 ちにも子供が瓜に飛びついたときのようなよろこびの うり すぐに立ってお祈りをはじめました。あっちにもこっ 銀河鉄道の夜 163 「ハルレヤハルレヤ。」明るくたのしくみんなの声はひ をききました。そしてたくさんのシグナルや電燈の灯 あかり からすきとおった何とも云えずさわやかなラッパの声 びきみんなはそのそらの遠くからつめたいそらの遠く 164 した。 「じゃさよなら。」女の子がふりかえって二人に云いま んだん向うの出口の方へ歩き出しました。 「さあ、下りるんですよ。」青年は男の子の手をひきだ 架のちょうどま向いに行ってすっかりとまりました。 のなかを汽車はだんだんゆるやかになりとうとう十字 銀河鉄道の夜 「さよなら。」ジョバンニはまるで泣き出したいのをこ おこ め らえて怒ったようにぶっきり棒に云いました。女の子 はいかにもつらそうに眼を大きくしても一度こっちを ふりかえってそれからあとはもうだまって出て行って ふ そして見ているとみんなはつつましく列を組んであ の十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいていまし き込みました。 こ い俄かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹 にわ しまいました。汽車の中はもう半分以上も空いてしま 銀河鉄道の夜 た。そしてその見えない天の川の水をわたってひとり 165 ガラス の神々しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来 ろの霧が川下の方からすうっと流れて来てもうそっち きり の呼子は鳴らされ汽車はうごき出しと思ううちに銀い よびこ るのを二人は見ました。けれどもそのときはもう硝子 166 す かあい そのときすうっと霧がはれかかりました。どこかへ らのぞいているだけでした。 円光をもった電気栗鼠が可愛い顔をその中からちらち り 木が葉をさんさんと光らしてその霧の中に立ち黄金の き ん は何も見えなくなりました。ただたくさんのくるみの 銀河鉄道の夜 行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがあり ました。それはしばらく線路に沿って進んでいました。 そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその あいさつ つ 小さな豆いろの火はちょうど挨拶でもするようにぽ い渚にまだひざまずいているのかそれともどこか方角 なぎさ そうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白 さ ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかりつ小 る くなってしまいほんとうにもうそのまま胸にも吊され かっと消え二人が過ぎて行くときまた点くのでした。 銀河鉄道の夜 もわからないその天上へ行ったのかぼんやりして見分 167 けられませんでした。 バンニが云いました。 「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョ いな涙がうかんでいました。 なみだ 「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれ からだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」 や そりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕の さいわい どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさ ジョバンニはああと深く息しました。 「 カ ム パ ネ ル ラ、 ま た 僕 た ち 二 人 き り に な っ た ね え、 168 銀河鉄道の夜 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。 あな い新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いま わ 「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱ した。 ぶくろ がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこ おく なまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底 でぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大き とこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまる ラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひと さ 「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」カムパネル 銀河鉄道の夜 169 すってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと とみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこ 「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっ やみ 痛むのでした。ジョバンニが云いました。 170 な野原を指して叫びました。 さけ よ。 」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれい にわ の天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだ れいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとう 「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてき までもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」 銀河鉄道の夜 ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼん やり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラ が云ったように思われませんでした。何とも云えずさ うで びしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向う までカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラ すわ ニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいま こ 「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバン ように赤い腕木をつらねて立っていました。 の河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだ 銀河鉄道の夜 の形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていまし 171 ど てっぽうだま らもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一 の 乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれか した。そして誰にも聞えないように窓の外へからだを たれ た。ジョバンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりま 172 ほほ ジ ョ バ ン ニ は ば ね の よ う に は ね 起 き ま し た。 町 は く熱り頬にはつめたい涙がながれていました。 ほて ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中 につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかし おか ぺんにまっくらになったように思いました。 銀河鉄道の夜 つづ すっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴っては ゆめ いましたがその光はなんだかさっきよりは熱したとい う風でした。そしてたったいま夢であるいた天の川も こと やっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な いっぱいに思いだされたのです。どんどん黒い松の林 まつ ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。まだ 夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸 いの位置はそんなに変ってもいないようでした。 には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんた さそりざ 南の地平線の上では殊にけむったようになってその右 銀河鉄道の夜 173 さく が何かの樽を二つ乗っけて置いてありました。 たる には誰かがいま帰ったらしくさっきなかった一つの車 さっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。そこ の中を通ってそれからほの白い牧場の柵をまわって 174 「あ済みませんでした。」その人はすぐ奥へ行って一本 「今日牛乳がぼくのところへ来なかったのですが」 「何のご用ですか。」 ちました。 「はい。」白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立 「今晩は、」ジョバンニは叫びました。 銀河鉄道の夜 ぎゅうに ゅ う び ん わた の牛乳瓶をもって来てジョバンニに渡しながらまた云 いました。 かりしてこうしの柵をあけて置いたもんですから大将 「ほんとうに、済みませんでした。今日はひるすぎうっ 「いいえ。」 「ええ、どうも済みませんでした。」 「そうですか。ではいただいて行きます。」 してね……」その人はわらいました。 早速親牛のところへ行って半分ばかり呑んでしまいま 銀河鉄道の夜 ジョバンニはまだ熱い乳の瓶を両方のてのひらで包 175 むようにもって牧場の柵を出ました。 の方、通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあか そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てま たしばらく行きますとみちは十文字になってその右手 176 なあかりがいっぱいなのでした。 ひそ談しているのです。それから橋の上にもいろいろ はな ところがその十字になった町かどや店の前に女たち が七八人ぐらいずつ集って橋の方を見ながら何かひそ のそらにぼんやり立っていました。 りを流しに行った川へかかった大きな橋のやぐらが夜 銀河鉄道の夜 ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったよう に思いました。そしていきなり近くの人たちへ 「何かあったんですか。」と叫ぶようにききました。 ジョバンニは橋の袂から飛ぶように下の広い河原へ おりました。 たもと 巡査も出ていました。 じゅんさ で い っ ぱ い で 河 が 見 え ま せ ん で し た。 白 い 服 を 着 た ンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。橋の上は人 の人たちは一斉にジョバンニの方を見ました。ジョバ いっせい 「こどもが水へ落ちたんですよ。」一人が云いますとそ 銀河鉄道の夜 177 みずぎわ もう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰 からすうり てにも火が七つ八つうごいていました。そのまん中を その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせわし くのぼったり下ったりしていました。向う岸の暗いど 178 だったマルソに会いました。マルソがジョバンニに走 ジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょ ジ ョ バ ン ニ は ど ん ど ん そ っ ち へ 走 り ま し た。 す る と 河原のいちばん下流の方へ州のようになって出たと こ ろ に 人 の 集 り が く っ き り ま っ 黒 に 立 っ て い ま し た。 す いろにしずかに流れていたのでした。 銀河鉄道の夜 り寄ってきました。 「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」 「どうして、いつ。」 あとカムパネルラが見えないんだ。」 てよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれども がすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押し もんだから水へ落っこったろう。するとカムパネルラ る方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれた お 「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れ 銀河鉄道の夜 「みんな探してるんだろう。」 179 み つ 「ああすぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来 たれ みんなもじっと河を見ていました。誰も一言も物を 云う人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわ めていたのです。 着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つ 尖ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を とが ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きまし た。 そ こ に 学 生 た ち 町 の 人 た ち に 囲 ま れ て 青 じ ろ い られてった。」 た。けれども見附からないんだ。ザネリはうちへ連れ 180 銀河鉄道の夜 くわく足がふるえました。魚をとるときのアセチレン ランプがたくさんせわしく行ったり来たりして黒い川 おお の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見え るのでした。 たのです。 ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のは ずれにしかいないというような気がしてしかたなかっ 下流の方は川はば一ぱい銀河が巨きく写ってまるで 水のないそのままのそらのように見えました。 銀河鉄道の夜 けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から、 181 ある 「ぼくずいぶん泳いだぞ。」と云いながらカムパネルラ め カムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おう ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、 ぼくはカムパネルラの行った方を知っていますぼくは 「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」 だ り云いました。 た。けれども俄かにカムパネルラのお父さんがきっぱ にわ いるかというような気がして仕方ないらしいのでし ない洲にでも着いて立っていて誰かの来るのを待って が出て来るか或いはカムパネルラがどこかの人の知ら 182 銀河鉄道の夜 あいさつ としましたがもうのどがつまって何とも云えませんで 思ったものですか、しばらくしげしげジョバンニを見 し た。 す る と 博 士 は ジ ョ バ ン ニ が 挨 拶 に 来 た と で も ていましたが く時計を握ったまままたききました。 にぎ ジョバンニは何も云えずにただおじぎをしました。 かた 「あなたのお父さんはもう帰っていますか。」博士は堅 りがとう。」と叮ねいに云いました。 てい 「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はあ 銀河鉄道の夜 「いいえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。 183 お と と い なさんとうちへ遊びに来てくださいね。」 船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課後み おく りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。 「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便 184 と思うともう一目散に河原を街の方へ走りました。 牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせよう ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいで なんにも云えずに博士の前をはなれて早くお母さんに そう云いながら博士はまた川下の銀河のいっぱいに うつった方へじっと眼を送りました。 銀河鉄道の夜 月 日発行 底本： 「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社 6 5 15 １９９４（平成 ）年 月 日 刷 底本の親本：「新修宮沢賢治全集 第十二巻」筑摩書房 月 １９８９（平成元）年 銀河鉄道の夜 55 6 1 6 １９８０（昭和 ）年 入力：中村隆生、野口英司 校正：野口英司 185 13 １９９７年 月 月 11 10 日公開 日修正 1 28 このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫 青空文庫作成ファイル： ２０１０年 186 す。 ） で 作 ら れ ま し た。 入 力、 http://www.aozora.gr.jp/ 校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんで （ 銀河鉄道の夜
© Copyright 2024 ExpyDoc
