2章 【各論 5】 資本市場の 環境変化:高まる 被買収リスク

特集1
成長戦略としての
コーポレートガバナンス
本稿では日本企業を取り巻く資本市場の環境変化につい
て、金利低下・カネ余り、企業規模、株式市場の評価およ
び株主構成といった被買収リスクに関連する要因に注目し
て概観する。被買収リスクに注目するのは、資本市場との
関係構築と密接な関係にあることに加え、近年、フィナン
2章 【各論5】
資本市場の
環境変化:高まる
被買収リスク
シャル・バイヤーおよびストラテジック・バイヤー両方の
視点から同リスクの上昇を示す環境変化が多く見られるた
めだ。
世界的な金利低下≒カネ余り
最初に世界的な金利低下に注目する。フィナンシャル・
バイヤーを含む投資家にとって長期金利はリスクフリー・
レートであり、
投資を検討する際の損益分岐点に相当する。
高金利下ではリスクが高いあるいはリターンが低いため投
資に値しないと判断される買収案件であっても、低金利下
では判断が変わる可能性がある。金利の低下は被買収リス
未来経営研究部
上席主任研究員
深澤 寛晴
クに直結する要因と言える。
<図1>に主要国の長期金利(10年国債利回り)を示す。
米英独では2000年代には4%を超えていたが10年代は2%
台へと大きく低下している。特にドイツでは直近は1%を
割り込んでいる。従前から金利水準の低い日本では低下幅
は欧米ほどではないものの、金利が低下している点では同
様だ。
このような金利低下と密接な関係にあり、かつ見逃せな
い要因が世界的な資金量の増大である。ボストン・コンサ
ルティング・グループの調査※1によると、世界の資産運用
会 社 の 運 用 資 産 額 は02年 の32.6兆 米 ド ル か ら12年 の
62.4兆米ドルへと10年間でほぼ倍増している。同社が直
近に行った調査※2では13年には68.7兆米ドルに達してい
る。東証の株式時価総額は4.5兆米ドル※3だから、資産運
用会社が運用資産の6.6%を用いるだけで東証上場企業を
全て買収できる計算になる。
これまでにない低リターンあるいは高リスクを許容でき
る巨額の投資資金が資本市場を飛び回っている現状をひと
言で表現すると、
まさに「カネ余り」ということになろう。
カネ余りの中、懸念されるのは一部の投資ファンドなどが
議決権の過半数取得を目指すといった狭義の被買収リスク
だけではない。通常の機関投資家であっても、運用資産額
が増えれば特定企業の株式を大量保有するケースが増える
ことが想定される。その場合、株価低迷が長期化すれば、
株式を大量保有する機関投資家と経営陣の間で意見が対立
する可能性は否定し難い。実際、機関投資家が面談や書簡
EY総研インサイト Vol.3 February 2015
23
図1 主要国における長期金利(10年国債利回り)の推移
5.0%
4.42%
4.5%
12%
4.62%
11%
4.15%
4.0%
2000年代平均
3.5%
2010年以降平均
直近
3.0%
2.49%
2.17%
2.5%
1.93%
1.95%
8%
0.88%
0.66%
0.42%
(注)直近は2014年11月末
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
ドイツ
2007
英国
2006
米国
出典:QUICKよりEY総合研究所(株)作成
2005
5%
2004
日本
6%
2003
0.0%
9%
7%
1.5% 1.44%
0.5%
10%
2.59%
2.0%
1.0%
図2 東証時価総額の世界の株式市場に占める割合
出典:世界取引所連盟よりEY総合研究所(株)作成
(注)同連盟非メンバーを含む
などを通じて経営改善を要求する、株主総会における議決
の主要な株式市場における上場会社の平均時価総額を示
権行使で会社提案に反対する、といった行動に出ることも
す。東証は1,313百万米ドルと平均の53%に止まり、全
珍しくないようだ。投資ファンドのみならず(通常の)機
18市場の中で6番目に小さい。NYSE、NADAQ OMX(と
関投資家を含むフィナンシャル・バイヤーによる、広義の
もに米国)
、ユーロネクスト(フランスなど)
、ドイツ、お
被買収リスクが高まっていると考えるべきだろう。
よびロンドンといった主要市場に比べると、際立って小規
模な企業が集まっていることが分かる。
企業規模:日本企業は相対的に小さい
規模が小さいということは、事業会社を中心とするストラ
近年、多くの業界で世界的な合従連衡が進み、諸外国の
テジック・バイヤーによる被買収リスクを示す、大きな要
企業に比べて日本企業が規模で劣後するケースが増えてい
素の一つとして指摘できよう。
る。M&Aにおいて「小が大を飲み込む」ケースがないわ
けではないが、規模の大きな企業が小さな企業を買収する
ケースが大半なのが実際である。特にストラテジック・バ
イヤーによる被買収リスクを想定する場合、相対的な企業
規模はM&Aおよび被買収リスクを考える上で重要な要因
の一つと言える。ここでは、企業の規模(時価総額)に注
目して最近の状況を見てみよう。
<図2>に東証の時価総額の世界の株式市場に占める割
合の推移を示す。06年から11年まではリーマン・ショッ
ク直後を除くとほぼ一貫して低下傾向が続き、水準は従前
の10%前後から6%台へと切り下がっている。安倍政権誕
生後の株価上昇局面でも円安や米国の株高に相殺されたこ
ともあって従前の水準を取り戻すには至っていない。株式
市場の単位で見た場合、日本企業の相対的な規模(時価総
額)が小さい、すなわち日本企業より規模の大きな外国企
業が多い状況が常態化していることの表れと言える。
次に、個別企業の単位で見てみよう。<図3>に先進国
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このように個別企業で見た場合でも日本企業の相対的な
図3 上場企業の平均時価総額
(100万米ドル、2014年9月末)
NYSE(米国)
SIX(スイス)
アイルランド
ユーロネクスト*
ドイツ
NASDAQ OMX(米国)
平均
香港
ロンドン
NASDAQ OMX Nordic*
シンガポール
オスロ
東京
ウィーン
TMX(カナダ)
ニュージーランド
テルアビブ
BME
(スペイン)
0
9,863
6,389
3,753
3,708
2,804
2,765
2,499
1,929
1,926
1,673
1,624
1,616
1,313
1,267
595
465
460
340
2,000
4,000
6,000
8,000 10,000
出典:世界取引所連盟よりEY総合研究所(株)作成
* ユーロネクストはパリ、フランス、オランダ、ベルギー、ポルトガル。NAXDAQ
OMX Nordicはスウェーデン、デンマーク、フィンランドなど
Feature
ためと解される。潜在的な買収者が、今後もROE改善は
株式市場の評価
持続する、あるいは自らが買収することによりROE改善
ここでは株式市場の評価に注目する。企業の実力の割に
を持続させることができる、と考えた場合、その買収者の
株式市場の評価が低い場合、すなわち株価が割安で放置さ
目には日本企業は極めて「お買い得」な状態に映るだろう。
れている場合には被買収リスクの高まりが懸念される。
<図4>は横軸にROE(自己資本利益率=業績)、縦軸
にPBR(株価純資産倍率=市場の評価)をとり、安倍政
株主構成:進む持ち合い解消
権誕生前後の11年と13年で比べたものだ。通常は業績が
最後に株主構成の変化について見てみよう。<図5>に
高いほど市場の評価も高くなるからおおむね右上がりの分
示す通り、1980年代には金融機関(都銀・地銀等および
布になっている。
生損保の合計)および事業法人などが60%超を占める一
11年には12カ国中9カ国でROEが10%を超える中、日
方、外国法人などは5%前後に止まっていたことが分かる。
本企業は5.6%と平均(12.1%)を大きく下回る最下位と
前者は主に安定株主と考えられるから、当時の日本企業は
なっている。PBRも同様に外国企業を大きく下回る1.0倍
安定株主中心に株主構成だったと言える。しかし、90年
に止まっている。全体の傾向線をやや下回っているから割
代を通じて事業法人など、90年代後半から直近にかけて
安ではあるものの、おおむね低業績に見合う低評価(低株
金融機関の比率が大きく低下する一方、外国法人などの比
価)ではあったと言える。
率はおおむね一貫して上昇している。13年度には外国法
次に13年を見ると欧州やカナダの企業でROEが大きく
人などの比率は30.8%に達し、金融機関および事業法人な
低下した結果、10%を超えるのは6カ国へと減っている。
どの合計(30.0%)を初めて上回った。日本企業の株主構
日本企業は平均(10.4%)には及ばないものの12カ国中
成は安定株主中心から機関投資家中心へとシフトしたと考
8番目の9.0%へと大きく改善しているが、PBRは1.2倍と
えるべきだろう。
小幅な改善に止まっている。その結果、11年と比較する
株式持ち合いに代表される安定株主が株主構成の多くを
と傾向線からの乖 離 は0.4倍から0.7倍へと大きく拡大し
占めていた時代、日本企業にとって被買収リスクを意識す
た。業績の改善に比べると株式市場の評価の改善は限定的
る必要性は乏しかった。しかし、80年代以来の長いトレ
であり、したがって株価は一層割安になっていると言える。
ンドの中で日本企業の株主構成には大きな変化が生じてお
足元のROEが改善しているのに株価が割安となってい
り、被買収リスクを意識せざるを得ない環境になってきて
るのは、株式市場がROE改善の持続性を疑問視している
いるようだ。
かい り
図4 主要国企業のROEとPBR
3.5
3.5 【安倍政権誕生前
(2011年)】
3.0
スペイン
1.5
1.0
ドイツ
フランス
英国
オランダ
香港
日本
カナダ
豪州
2.0
スペイン
1.5
フランス
1.0
英国
ドイツ
オランダ
スイス
y = 8.745 x + 1.053
香港
日本
0.5
0.5
0.0
0.0%
米国
スウェーデン
2.5
(PBR、
倍)
豪州
2.0
【安倍政権誕生後
(2013年)】
3.0
スウェーデン
カナダ
y = 10.326 x + 0.862
2.5
(PBR、
倍)
米国
スイス
5.0%
10.0%
15.0%
20.0%
(ROE)
0.0
0.0%
5.0%
10.0%
15.0%
20.0%
(ROE)
出典:Capital IQ、QUICK、および有価証券報告書よりEY総合研究所(株)作成
(注)日本は日経平均株価(電力除く)、米国はS&P500、英国はFTSE100、フランスはCAC40、ドイツはDAX、香港はHang Seng、豪州はS&P ASX200、カナダはS&P/
TSX、スペインはMadrid Ibex35、オランダはAmsterdam AEX、スウェーデンはOMX Stockholm、スイスはスイスSMIの各指数の採用銘柄。暦年(日本のみ年度)。
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Feature
図5 投資部門別株式保有状況
35%
外国法人等
30.8%
30%
25%
金融機関*
事業法人等
21.3%
20%
事業法人等
外国法人等
15%
10%
金融機関*
8.7%
5%
0%
FY86 FY89 FY92 FY95 FY98 FY01 FY04 FY07 FY10 FY13
* 都銀・地銀等、生保、損保の合計
出典:東京証券取引所よりEY総合研究所(株)作成
最近の動きについても見てみよう。<図6>にリーマン・
図6 主要金融機関による政策保有株式売却額の推移(兆円)
ショック以降の主要金融機関による政策保有株式 の売却
2.25
額の推移を示す。09年度の売却額は1.92兆円だったが、
2.00
その後は徐々に減少し11年度には1.45兆円に止まってい
1.75
※4
る。当時は金融機関による持ち合い解消が一巡したとの見
方もあった。しかし安倍政権誕生後に株式市場が上昇に転
じると、銀行を中心に売却額が増加に転じている。
またリー
1.92
1.87
1.72
1.45
1.50
1.52
損保
(大手3社)
1.25
1.00
銀行
(大手5行)
0.75
マン・ショック直後に比べると損保の売却額が増えている
0.50
点も特徴として指摘できる。この5年間で売却額の累計は
0.25
8.47兆円と東証の時価総額※5の2.6%に達しているが、今
0.00
後、株式市場の上昇局面が続けば金融機関による持ち合い
出典:各社有価証券報告書よりEY総合研究所(株)作成
解消はさらに進む可能性も指摘される。
日本企業における対応
生保
(上場大手2社)
FY09
FY10
FY11
FY12
FY13
(注)会計上のその他有価証券の売却額
買収提案などの有事を想定すると、社内における危機対
応体制の整備や買収防衛策導入などの被買収リスクに限定
本稿では被買収リスクの視点から、資本市場の環境変化
した対応では不十分なことが分かる。平時からIR戦略およ
についてまとめた。結論として金利低下を含むさまざまな
びコーポレートガバナンスの整備・強化を含む、「点」で
要因が、日本企業の被買収リスクの高まりを示しているの
はなく「面」で対応することの必要性があらためて指摘さ
が現状と言える。
れよう。
買収提案など被買収リスクが顕在化した場合には株主の
支持がポイントとなるが、株式市場がROE改善の持続性
を疑問視している現状では、株主が買収者側を支持する可
Capitalizing on the Recovery”より。
能性は否定し難い。このようなケースで企業(経営者)は
※2 The Boston Consulting Group“GLOBAL ASSET MANAGEMENT 2014:
IRにおいて独自の企業価値向上策を掲げて対抗するのが通
Steering the Course to Growth”より。なお、
“GLOBAL ASSET MANAGEMENT
常だが、経営者は一般株主と利益相反の立場にあるから、
数値には言及していないが改訂されている可能性があり、データの連続性につ
これが買収提案よりも株主共同の利益に資すると主張する
ため、経営者から独立した社外役員などからの支持が不可
欠となる。
26
※1 The Boston Consulting Group“GLOBAL ASSET MANAGEMENT 2013:
2014…”では本文中の12年の数値を改訂している(60.9兆米ドル)。02年の
いては注意が必要。
※3 世界取引所連盟より。
※4 会計上、「その他有価証券」として処理されている株式。
※5 この間の平均時価総額は320兆円。