− アジアの民族造形一漆 金子量重 多様な凭の1こ漆の樹液を塗ることで器の水漏れを防ぎフもの″の大雨を優雅に装い、かつ丈 夫にする造形技法を″漆塗り“という。森林に入り塗料にふさわしいG年以上の漆樹を選ぶ漆掻き 職人は、夏から秋にかけて漆の幹に傷をつけ採集する。掻きとった樹液は乳白色を呈レ陽光の もとで撰挫して水分が蒸発すると「生漆」ができる、韓国ではかって火漆(hoa chi1)とよび、幹を大 きく穿ってそこに火を焚いて漆を採集したが、カンボジアの森で見ることができた。これらが主な 採集法だが、さらに朱、墨、緑、黄などの顔料を加えて色漆を完成する。また海底で神秘的に蝉 く貝を象嵌した螺釧は、韓国や中国からベトナム、ラオス、カンボジア、タイなどに民族独白の優 品が見られる。漆の主成分は日、韓、中が「ウルシオール」、東南アジアから南アジアは、ゴム質 を含んだ「ラッコール」や「チチオール」と異なる。秋を彩る紅葉した漆は日本の象徴だが、岩手や 茨城の産地も近代化で衰退レ現在中国やベトナムから輸入している。伝統の漆の造形技法を 伝承するために払漆畑の振興や「漆かき」の養成が望まれる。漆を造形する匠を「塗師屋」(ぬし や)とよぶが、「食の造形」に限らない汀祈りの造形」の神仏像から中尊寺や、ラオスのシェントン 寺院に見る、荘厳具や献賤具や経典類、家屋の内装や調度から、「遊びの造形」の玩具にいた るまで、漆で形造る領域はまことに広い。これらを含めて「漆器」と総称する。アジアの地域性や民 族性から、用途に洽った形や線や色や模様の特色に基づいて、私は「漆の民族造形」とよぶ。 日本・韓国・中国の漆の造形 世界には各種の塗料が開発されたが、漆に勝る塗料は現れていない。わが国では昭和元年(I 926)、青森県ハ戸市郊外の是川中居遺跡(縄文晩期=約3o00年㈲から多量の漆器が、1970年代 には福井県の島浜貝塚から縄文前期(約6000年前)や、その後青森県山内丸山遺跡(約5500年 前)からも梨打で造形し、朱や黒漆を塗り分けた漆器が出土している。中国では長江下流域のカ ボト遺跡(約7000年前)や長沙漠墓からも水製晶をけじめ布、竹、紙、金属、陶器とともに、数多くの 漆器が出土した,門川省のイ談は独特で多彩な造形技法を堅持する。韓国新羅の雁鴨池(アー ナッブ刊遺跡などから金銀装の平服や螺釧の優品が発見された。民族造形では先進地域の韓 国や中国から渡来した匠から、日本人は多くの造形技法を学んだ。法隆寺の楠打の玉虫厨子に は、俳談の匠が釈迦の『本生譚』を描いている。やがでやまと談"にふさわしい、日本化した金平 文の『常麻曼荼羅厨子』を造った。平安時代の官廷内には半文や螺釧の調度が置かれる。同時 に質実剛健の気風に富む朱塗りの根来漆器も誕生。鎌倉や室町時代を径て、江戸時代の消費 ブームに伴って寺社や大名や商家でも、蒔絵や根来や漆絵などの多彩な漆器が用いられる。各 蒲の殖産振興策として、津軽や会津や輪島など漆造形の産地が隆盛レ膳、箪笥、椀、盆、茶 躾、酒樽等が庶民にも普及する。多彩な漆の造形は「」apan」とよばれ海外にも輸出された。 東南アジアの漆の造形 れた漆の造形の伝統が息づいている。アジアは世界的な漆器の産地であり、水、竹、紙、布、金 − 東南アジアをけじめ、ブータン、ネパール、インドからイランなど、アジアの諸民族の開には、優 − 属、革、土器、陶器など、多様な目的に洽って漆の造形を開発した。だが、インドネシアや南の一 部と西アジアには漆樹はなく、甲虫の体液を用いるヅうるじに“漆"の漢字を用いて「漆器]と書く のは、漢字文化圏の日本、中国、韓国、琉球列島攻び台湾である。同じ漢字でも日本では「シッ キ」と読むが、中国では「シー-ギ」、韓国では「チルギ」と発音する。ただし東南アジアには「漆」を 意味する表現はなく、下記のように民族独白に「光る水」、「輝き」のほかに「クーン」(タィ)や 「ユン」(ミャンマー)のように民族名でよぶ場合もある。 ベトナム ソン・マイ (Son ラオス サー・ナム・キエン (Sa nam タイ クラン・クーン (Klan khoon) カンボジア クモック・マリア (Khmok ミヤンマー ユン(Yun)またはユンテ(Yunthe) インドネシア ベンダ・ラック (Benda mai) kien) nmrk) lac) 日本、韓国、中国の漆器は木胎が多いが、東南アジアの漆器には竹を素材に用いた藍胎が 多い。とくにミャンマーが1000年の歴史を誇るパガンは、ビルマ族の仏教王国として栄えた。当時 王宮や寺院の内装や調度など漆の造形は活況を呈した。そこで造形に従事した匠の技を厳選し て「パン・セ・ミョウ」㈲n hse mo=10種の花)と称え、漆工(I)an-yun=漆の花)も含まれていた。その優 れた匠の技はミンカバ村などで継承されている。藍胎には竹を箭(ワ・チン=wa !)編み胎漆器(ワ・ュン・ジン=wa 2)捲き胎漆器(ワ・ュン・デー=wa 箭」ツン・オック=hsun tin)状に編んだ yun jin )と、竹を細く裂いてヒゴを造り、それを丹念に巻いて造る yun htay)とがある。中でも釈迦への供え物を人れる「献賤用食 owk)はビルマ族独特の形で他には類を見ない。器体ができると下塗りや 中塗りを終えたあとに、漆に樹脂や籾や牛の骨を焼いた粉(ター・ョー)を混ぜ両手でもみながら、 大小の紐を造る。これを「タヨー・パン・ジュア」げha yoe nan kywa)という。この紐で草花、鳥獣、 神彿などあらゆる模様を構成し彫刻的な効果をたす、優れた造形技法を編みだした。それらには 朱漆や黒漆を塗り、その上にガラス象嵌や金箔を貼った、まことに豪華絢爛な漆器が多く造られ た。このようにアジアには、世界に誇る豊かな構想と堅実な造形技法が今なお生き続けている。 参考文献:(金子量重苦) 1.ビルマの漆器 「季刊民族学」31咎 国立民族学博物館 D85年新春号 2.先史から高麗の韓国漆工芸 「目の眼」 里文出版 199()年8月号 3.『民族造形学序説』 1㈲4年 芙蓉書房 1997−8年 屯『アジアの民族造形』全3巻「住まいと折り」毎日新聞社 5.「Asian Kthno-Forms -Lacquer」* Myanm訂National Cmbodia・Sun Museum Way Hote1 2001年 2001年 間際交流基金主催) 韓国国立中央博物館 7.「ミャンマーの民族造形一漆」* 2005年 栃木県さくら市ミュジアム (*印は展覧会図録) − 2003年 6.金子鼠重寄贈亜細亜民族造形品*
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