「福島を何とかしたい」― 熱き思いが地域を作り、人を集める

地域と医療・介護
タイムスレポート
「福島を何とかしたい」―
熱き思いが地域を作り、人を集める
医療法人誠励会(福島県平田村)
医療法人誠励会は福島県平田村でひらた中央病院を中心に、
クリニックやさまざまな介護施設を展開している。また2011
年3月11日の東日本大震災の発災以降、被災者の健康と地域
の復興を目指し、
果敢な取り組みを行ってきた。そこには佐川
文彦理事長の
「福島県を何とかしたい」
との思いとともに、復興
の中心には医療・介護こそが必要との強い信念があった。
取材●田川丈二郎
養老人ホームや老健施設が小学校、体育館に避難して
いた。医療・介護の手が差し伸べられることはなかっ
たのだが、行政、さらには他の医療機関からの要請に
より、
グループが救済にいった。すなわち避難所から、
ひらた中央病院に収容することとなったのだ。最終
ひらた中央病院
的には188人の高齢者を収容した。全職員がこれまで
職員全員が避難せず
被災者の救済に尽力
の入院・外来患者に加え、新たに負担を強いられるこ
3月11日直後のことを、佐川氏に尋ねるとまず
「ま
で救済の活動にあたったという。
さか福島第一原発が爆発するとは思わなかった。絶
また医師・看護師が不足しているとの報道がされる
対に大丈夫という安全神話があったからなおさらだ」
と、遠くはハワイからもボランティアがひらた中央
と語った。平田村は原発から45キロに位置する。混
病院に駆けつけた。医師は15人以上、看護師は100人
乱の様相を見せる中で、80キロ区域までは避難しな
以上、延べ数でいえば2カ月間で460人以上のボラン
さいとの情報が医師のネットワークで飛び込んでき
ティが集まったという。これら職員とボランティア
た。その情報が正しいか否かは判然としなかったが、
の結束により、発災直後の混乱を乗り切り、地域を守
いくら避難命令がきたとしても避難できる立場では
ることができた。
ととなったが、誰ひとり文句をいうことなく不眠不休
なかったと佐川氏は振り返る。
りの割合を占めている。避難区域外の医療機関、介護
県民の不安を払拭
自己負担の被曝検査を実施
施設に避難させるとなると、2次災害が発生する危惧
現在、誠励会グループ内に公益財団法人震災復興支
があったのだ。そこで佐川氏は、
「当院は避難をしな
援放射能対策研究所がある。これはいち早く被曝検
い」
と決定した。職員を全員集め、避難するかしない
査を行うために立ち上げた機関である。
かは各自の問題だが、病院として避難はしない。私を
佐川氏はいう。
「福島県で一番心配なことは何かを
信じて皆が残ることに期待すると語りかけた。理事
考えていくと、放射能を浴びていないかどうかという
長を信じて、
全職員が残ったという。
こと。そこに県民の不安があった」
当時、入院・外来を合わせるとグループ全体で1日
本来ならば行政が早急に手を打つべきだろうが、な
1000人程度の患者がいた。まずはその動向の確認か
かなか動かない。それでは官民一体の民である自分
らはじめた。残った職員で手分けをし、訪問などでき
たちが先に手を打とうということで、ホールボディカ
ることを全て行い、1人ひとり安否の確認を行った。
ウンター(WBC)
、さらには子どものためのベビース
避難した患者もいたが、おおむね1カ月以内に皆戻っ
キャンによる検査を無料で開始した。それは2011年
てきて、
診察に通ってきたという。
10月のことだ。WBCはそのために米国から購入した。
通常の診療とともに、行ったことは避難所にいる高
募金による支援はあったが、公的な助成は一切なく、
齢者などの救済だった。原発事故以降、周辺地域の特
グループの自己負担となった。当初原発は国策とし
なにしろ同グループの患者、利用者は高齢者がかな
24 医療タイムス 2015年8月24日
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て推進され、その延長での事故なので、自分たちの活
動は近い将来には行政にバトンタッチできるだろう
と考えていたというが、現在までのところ、
「何もな
かったし、
いまだに何もない」
状況だという。
被曝検査は県民を動揺させ、周囲の風評被害を助
長させる行為ではないかという考えがあったのでは
ないかと佐川氏は語るが、
「しかし、全く放射能の影
響はないと事実を県民に伝えることが大事ではない
事務長の二瓶正彦氏、齋藤院長、佐川理事長(左から)
か」
と逆に強調する。これまで県とは協定を結んでい
転した。川内村の遠藤村長と会った佐川氏は、何かお
ないが、福島県、茨城県、栃木県の23市町村と協定を結
手伝いできることはないかと打診。そのときいわれ
び、子どもを中心に、学校単位で定期的に検査を行っ
たことが、診療所に医師が足りないので何とかならな
てきたという。そこで大切なのは、市町村の本気度。
いかということだった。川内村は12年1月から帰村
「単に住民が不安がるから検査をするという後ろ向き
宣言を行った。そのために診療所の充実は不可欠だっ
な発想ではなく、こちらも本気でやっているのだか
たので、非常勤で整形外科・消化器内科の医師を派遣
ら、そちらも本気でやってほしいとお願いしてきた」
することとなった。さらに川内村から搬送される2
と佐川氏は語る。事実、議会対策として検査を行おう
次救急については全て受け入れている。震災前につ
とした自治体とは協定を結ぶことはなかった。今で
いては救急患者の受け入れが1人もいなかったのに
は周辺の4つの産婦人科とも連携し、妊婦の母乳検査
対し、昨年度は50件の受け入れをした。
「うちも医師
も実施している。
が少ないところでの医師派遣などは非常に厳しいも
検査は一切無料だったが、5年目を迎え、今後の継
のがあった。しかし、村を作るには医療・福祉は欠か
続も考えて19歳以上は今年4月から甲状腺5000円、
せないものだ。その存在が帰村を促進させる」
WBCは3000円の自己負担をお願いしている。18歳以
その一環として今年10月には、川内村内に特別養護
下は当初からの無料検査を続けている。
老人ホームのオープンを目指している。これは13年
これらの活動に対し、福島県としては
「特定の病院
に遠藤村長から相談を受けたことに端を発する。そ
を評価することはできない」
と、現在でもにべもない
れは、帰村したくとも介護施設がないために戻れない
反応だという。
「各部署からはお礼も言われているが、
高齢者、さらには家族がいること。一方で、帰村して
トップの意向が全く見えてこない。医療機関として
も働く場がないこと。これらを解消するために、特養
福島を守りたい、復興させたいとの思いで取り組んで
老人ホームを開設できないかというものだった。実
きたことなのに」と佐川氏は指摘。ただ、
「ここまで
は村としては東京都内の事業者に開設を打診してい
やってきて、やめられない。私ども考えとしてはこの
たのだが、人材の確保が困難として辞退。佐川氏に白
取り組みは10年間続けていきたい」
と決意を述べた。
羽の矢が立ったのだ。
オープンに向け、取材時には約8割のスタッフが確
帰村と雇用を推進
村初の特養老人ホームを建設
保できているとした。中には遠く静岡県から応募し
福島県川内村は、福島第一原発から20キロ圏内に
をはじめとしたスタッフの熱意が波及したようだ。
入っており、全村避難を実施。郡山市に役場機能を移
また昨年10月には、相馬中央病院元院長である齋藤
てきた職員もいたというから驚きだ。まさに佐川氏
行世氏をひらた中央病院の院長に招聘。この4月か
らは齋藤氏自身の専門である内視鏡センターを立ち
上げた。最先端の施設により、地域医療に貢献すると
いう。
これまでもさまざまな場面で、
「地域を作るのは医
療・福祉」
との言葉を聞いてきた。その実態はなかな
か見えづらいものだったが、佐川氏を中心とした法人
の活躍は、まさにそれを体現している。地域を作り、
人を作り、
さらには復興の中心として、
医療・介護が必
復興のシンボルとなる特養老人ホーム
要と実感した。
医療タイムス 2015年8月24日 No.2220 25