上小トピックス 校長室より 抱っこの宿題 平成27年7月17日 No.45 ~有意義な夏休みを~ 先日新任の小学校教師を主人公にした映画「きみはいい子」を観ました。悩みを重ねな がらもさまざまな人との触れ合いの中で希望を見いだしていく話でした。ふと、昨年読ん だ『日本一心を揺るがす新聞の社説』(ごま書房新社刊)の話を思い出しました。著者の みやざき中央新聞編集長の水谷もりひとさんが友人の平田さんから聞いたという話です。 今年の6月ある日のこと、小学校1年生のこはるちゃんが学校から帰ってくるなり、嬉しそうにこう 叫んだ。 「お父さ~~ん、今日の宿題は抱っこよ!」 何と、こはるちゃんの担任の先生、 「今日はおうちの人から抱っこしてもらってきてね」という宿題 を出したのだった。 「よっしゃあ!」と、平田さんはしっかりこはるちゃんを抱きしめた。その夜、こはるちゃんはお母 さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、2人のお姉ちゃんの合計6人と「抱っこの 宿題」をして、翌日、学校で「抱っこのチャンピオン」になったそうだ。 数日後、平田さんはこはるちゃんに聞いてみた。「学校の友だちはみんな抱っこの宿題をしてきと ったね?」 するとこんな悲しい答えが返ってきた。「何人か、してきとらんやった」。でも、世の中捨てたもん じゃない。次に出てきた言葉に救われた。「だけん、その子たちは先生に抱っこしてもらってた」 ステキな先生だなぁと思った。こういう宿題が出せるのは小学校1・2年ぐらいだろう。小学校3年 生以上になると恥ずかしがってしないから。 人間には抱っこが必要である。幼少期にしっかり抱っこしてもらった子は、そのときの体の柔らか さも、温もりも、覚えていないが、潜在意識が記憶している。 さぁ、ここから話は一気に精神分析医・フロイトの話に飛躍する。 抱っこは身体的に密着した状態である。当然赤ん坊はその密着状態が心地良いわけで、少しで も親から離れると泣き叫んだりする。歩けるようになると、ちょっとずつ親の懐から離れるようになる のだが、まだまだ親の目の届く範囲だ。 3歳ぐらいから本格的な親子分離が始まる。同時に子どもの心に芽生えるのが複雑な二面性だ。 すなわち、「抱っこされたい。でも拘束されたくない」「自由に遊びたい。でも親から離れたくない」 「親がうざったい。でも親にしがみつきたい」 幼児はこの心の葛藤を繰り返しながら少しずつ親から離れ、そして親が近くにいなくても耐えられ る力を獲得していく。この力を獲得するために欠かせない条件が、それ以前にどれだけ抱っこされ てきたか、である。 乳幼児期にたっぷりと愛情を注がれてきた記憶があると、帰りたいときにいつでも親(あるいは 親の代わりになる人)のところに戻れるという安心感が、心の真ん中に出来上がる。それ以降、自 立に向かって「人生のコマ」を次の発達段階に進めることができるのである。 幼児期にやり忘れた「抱っこの宿題」は、思春期に歪んで出てくる。男の子はずっと抱っこされ たいマザコンであり続けたり、女の子は親以外の大人に抱っこしてもらってお金をもらうという援助交 際に走ったり・・・・。 「抱っこの宿題」は子どもにではなく、親に課せられた宿題だったのだ。 明日から夏休み。誰にとっても6回だけの小学校時代の夏休みです。有意義なものにな ることを願っています。1学期間、保護者の皆様には様々なご支援ご協力をいただき、本 当にありがとうございました。
© Copyright 2024 ExpyDoc