ロンドン - ZAQ

ロンドン
7 月 21 日金曜日、858 発の列車でドーチェスターを発ち帰国の途
につく。ロンドン ウォータルー駅には昼前 1131 に到着。
とりあえずスーツケースをアールズコートにある宿泊予定のホテルに
預けた後、午後ウェストミンスター寺院 Westminster Abbey を参観
する。夏休みなので、かなり長い行列が出来ていたが、2 時過ぎには
入場できた。英国国教会の中心聖堂であり、戴冠式など国家行事を
挙行し、かつ英国の歴史そのものを刻む役割を持つこの教会はさすが
に壮麗、堂内は撮影禁止なので案内パンフレットにある写真を添えて
おく。国王の廟所や歴史上の偉人の記念碑など見所も多く、また国家
と宗教あるいは歴史との関わりなど感慨の一端を述べたい気持ちを
抱くが、今はそれには触れない。
写真 5—9
ウェストミンスター寺院
Westminster Abbey
詩人のコーナーは北側袖廊 Transept にある参観者入り口から王家
の聖廟、戴冠式の椅子を廻った南側袖廊 (図 5 – 4 参照)にあり、
英国文化の発展に寄与した文学者、芸術家の遺骨、遺灰が納められ
図 5—4
11~13 詩人のコーナー
Poets’ Corner
それを祈念する銘板 Plaque が飾られている。
図 5—3 西側、聖歌隊席をみる。
(案内パンフレットより)
ハーディの銘板はコーナー真ん中よりの床面にはめられていた。日本人としては偉大な死者の遺骨を納
めた墓所や牌を足で踏みつけて歩き回るのにはいささか躊躇を覚えるが、19 世紀に被葬された人々の銘板
の中には長年、踏まれ続けたため刻銘が読めなくなっているものもある。シェークスピアやチョーサーは
云うまでもないが、その他日本人にもなじみのある著名な被葬者の名前を興の赴くままに手帖に書き留めて
おいたので以下に紹介しておく。
G.F. ヘンデル、 S. ジョンスン、 マコーレー、
W. ワーズワース、
J. オースティン、
R. ブラウニング、A. テニスン、
C. ディケンズ、
ブロンテ姉妹、
G. エリオット、
W. ブレーク、
L. キャロル、
H. ジェームズ、
R. キプリング、
D. H. ロレンス、
D. トマス、
W. H. オーデン、 J. メイスフィールド、T. S. エリオット、
L. オリヴィエ。
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E. ブランデン、
政治家だったマコーレー、桂冠詩人のテニスン、王家の保護のもとに活躍したヘンデルの名は当然として
ロレンスは意外であったし、生前ほとんど評価されることがなかったディケンズ、オースティンやブロンテ
姉妹などはどのような経過をへて被葬されたのだろうか、また優れた業績を上げながらここに葬られなかっ
た人々はいかなる理由でそうなったのかも知りたいところである。
ウェストミンスター西出口には第二次大戦時の戦死者、犠牲者、指導者の慰霊碑があり、もちろん
チャーチルの廟もある。参観を終わって大扉より西日差す町中に出るとともに、二週間にわたるウェセッ
クス周遊の旅も終わりを迎えた。
翌22日土曜日早朝にヒースロ-を発ち、
途中ミラノを経由して23日午前、
酷暑の関西空港に降り立ち無事に帰国した。
出 典
Ref. 5 – 1
Ref. 5 – 2
Ref. 5 – 3
Ref. 5 – 4
Ref. 5 – 5
Ref. 5 – 6
The Two on a Tower – Chap. seventeen
Jude the Obscure – Part Ⅱ-ⅰ
ibid. - Part Ⅱ-ⅵ
ibid. - Part Ⅱ-ⅳ
ibid. - Part Ⅵ-ⅲ
ibid. - Part Ⅵ-ⅰ
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