9 - 徳永直の会

-徳永直作「日本人サトウ」のモデル-
代表してあいさつする
記念会の首藤直一郎
ワキ 金野 文彦
前において第7回春年忌(どんぎゅうき)を開催されました。徳永
直の四人のお子さん'徳永光1氏'洋子さん'みちょきん'街子さ
二名のようです。佐藤三千夫の追悼会は通算七回だそうです。この
んも揃って参加されました。当日の参加者は記念写夷で見ると三十
碑の写貢で見ると道路瑞のようですo参加者は道をはさんで手前に
立っているのでしょう。熊本・徳永直の会からは次のようなメッセ
ージを送りました。
メ ッ セ ー ジ
宮城と熊本と、その地理的距離が'気軽るに往き来することを'
熊本・徳永直の会の私たちは'ふるさと熊本で'無祝されあるい
えさせて、「日本人サトウ」を呼び返して下さいました。
こととして受けとめられた佐藤三千夫記念会の人々が、日本海をこ
と'徳永直が'戦後の日本国民に訴えたことばを、もろに'わが
と思いこんでいる件への誤解をと-ことができるであろうか。
にかえって-るであろうか。いつ父親唯助は「国に迷惑をかけた」
「日本人サトウ」は'いつ日本海をこえて、故郷宮城県登米町
しく思います。
からの連帯のご挨拶をお送りすることができますことを、大変うれ
れます佐藤三千夫記念会のみなさま'及び参列者のみなさまに'心
佐藤三千夫顕彰碑なってはや7年'ここに第7回春年忌を開鮭さ
であります。
ったことに'この上もない心強さを感じている熊本徳永直の会一同
はばんでいますが'佐藤三千夫顕彰碑が'徳永直文学碑をより引き
佐藤三千夫記念会を ■
昨年二九八二 五月十日佐藤三千天顔彰碑を建立し
】 982. 5. 9
立てて'日本の民主主義のために'東西に二木のゆるぎない柱とな
第1回呑年忌
た佐藤三千夫記念会では、今年五月九日 (日)('その碑
第一回 春年忌 催される
佐藤三千夫の顕彰碑前で
常永直の会会報≡
(1) 熊本・徳永直の会会報第9号 1982. 8. 1
熊本・徳永直の会会報第9号 1 982. 8.
は白眼祝されてきた'徳永直に五年前帰ってきてもらいました。そ
してT年一年と彼の居場所を拡げる努力をしてまいりました。
しかし'いまや日本の国情を見据えますと'われらの行く手をは
ばむ幾多の障害物が'横たえられているのが見えます。それら障害
物は'減るどころか年々増えていく情勢であります。
<冬の時代> を危倶すればこそ'佐藤三千夫や徳永直のような
偉大な先覚者を呼び戻し'わたしたちの指針としたいと念願して止
みません。
第一回 春年忌 寓歳〃 熊太・徳永直の会
f九八二年五月九日
徳永直の文章・雑感
- 「比瞭表現辞典」 から 千 葉 昌 秋
先日のこと'「比愉表現辞典」 (角川書店発行)をめくっている
暇つぶしに'掲載されている直の用例文を数えてみた。ぜんぶで
と'徳永直の文章の引用が目についた。
文体)に魅力を感じた。「ペッと青味を帯びた懐中電灯の光が,鉄
●
蓋の開き度合に従って'霧のように落ちてきた」'「早天に喝ぐ魚
●
●
●
「スーツと'神経が二つところに凝結したような気味悪さ--」
●
のように'彼は怒鳴った」'「再びバンドを締め直したような気持」
(・は辞典でゴチック字体)というように、直は'彼の文章にとて
も新鮮な比倫(暗愉)を用いている。と-に「太陽のない衝」は'
直が情熱をこめて書いた作品として光っている。「これをかいたと
きの私は非常に熱心で'感動的であった--かいていて感情が激し
ては'また坐りなおした-」と'直はあとがさでのべている。
てきて'原稿用紙が涙にぬれてこまり'便所の手洗水で顔をあらっ
直の文章・文体には'持って廻ったような云い廻しやへひねった
ところがない。むしろ'不器用さ'(熊本人特用の)ゴツゴツした
感じさえある。直の作品の多-は'こつこつと働き、喜び'悲しみ'
そしてたたかう人びとの生活を'強い共感をもって受けとめるよう
な表現になっている。私は'そこにいつも魅かれる。
二九八二・七二一十)
「徳永氏の小説集に寄す」抄
﹃太陽のない街﹄以来'徳永氏の作品を私は愛読Lt尊敬してい
広 津 和 郎
千七百四十六あり'その中の百五だから数としては全く少ない。ま
る。近頃はプロレタリア文字とかブルジョワ文学とかいう文学の対
百五の文章を'引用してあった。もっとも'この辞典の用例文は六
た用例文の出典も'直の場合は「太陽のない街」ただfつに限られ
立が薄められ(略)私は徳永氏を現代の日本文壇で最も小説のうま
い作家の一人だと思っていた。誇張がなく'ツケ焼刃がなく'一番
ている。ほかの作家(全部で百九十八人)の中には'数多くの作品
から用例文が掲げられている。たとえば杯芙美子は「放浪記」T晩
身についた平易な文章によって適確に事象を描いて行くその技柄と
訓練とは'見上げたものである云々 (昭和十三年十月)
菊」の代表作の列に二十九の作品が、引用の対象になっている。
しかし'この辞典をめ-るうち、私はあらためて徳永直の文章(
熊本・徳永直の会会報第9号 1982. 8. 1
輝きあふる∼徳永直の作品
木 庭 克 敏
含んでいる。しかし'徳永直を総合的な観点でみた場合'そんなマ
ィナス面を考慮に入れても、文学的に、そして政治的にも決して歴
史から消えさる事のない存在だと思う。というのも、たとえふらつ
てきたからではなかろうか。それは彼の出生の強味が働いていたと
きながらも'各時代にその時代の庶民達'勤労人民に密着して書い
ク的手法がつかわれ'その中には労働者の斗いあり'恋愛あり'犯
ない街」であった。相当よみでがある長篇だが'映画のカットバッ
いさらけだしても、彼の文学のもつ輝きは'いよいよます事はあっ
潮があると聞-。私は残念だと思う。彼の恥部や臓物をあらいざら
徳永直がもつ弱点や欠点のため、彼の全集をだすのに消極的な風
も言えるのだが。
罪ありで'すこしもだれきった所や退屈な個所がな-、一気に読み
ても'よわまる事は決してないと確信するのである。
徳水面の著作をはじめて読んだのは大学時代で、作品は「太陽の
あげてしまった。「太陽のない街」が面白いので'それでは他の直
の作品を読んでみたいと思うならよかったのだが'残念ながらそう
はならなかった。そして「徳水直の会」に入会してから、「太陽の
ない街」以列読んでいないのでは申訳がたたないと思ったので早速
事務局担当の中村青史が'九月から来年二月まで'内地留学
事務局一時移転のお知らせ
ったのは'徳永直の様に時代の状況を正直すぎる-らい反映した作
で東京へ行きますので、その間の事務所を1時岩本税宅に置く
図書館の本を三十冊くらい読んだであろうか'その時つくづく思
県立図書館に行って徳永直の作品を借りだした.
家は他にすくないという事である。「太陽のない簡」は労働運動の
ことにしました。岩木宅の住所及び電話番号は左の通りです。
宅へ。
×
×
×
電話 四四-六二二七
会報第一〇号の原稿を募集します。原稿の送り先は右岩本税
×
熊本市黒髪ニー二三-二四 〒八六〇
高揚した時期の所産であるLt権力の弾圧が強くなると'「冬枯れ」
のように表面的には転向したが心までは敵に屈服していないという
テーマの作品群を書く。弾圧がもっとすすめば'一見当時の国策に
のった感じがないものでもない満蒙開拓団をテーマにした「先遣隊」
を書-。戦後の民主主義の時代の代表作は'労働者の斗いを描いた
「静かなる山々」である。
たしかに7生を非転向でとうした多喜二・百合子は立派である.
それにひきかえ直の生きざま'作品はあやまった点や弱点を数多-
事務局だより
△ 七月九日 (金)午後六時より中村研究室で
出席者 千葉・木庭・岩本・中村・(乎普f郎氏バセドー氏病
で入院中)
別項のように一時事務所を移し'責任者を岩本税氏にすること。
会計係りを今後岩本税氏にすること.第六回孟宗忌の打合せ会は
<参考>
1982年2月∼1982年6月現在
繰越金+残高 65,375
収入 60,500 支出38,115牽至高 22,385
その他口座 12,513
中村青史
十二月にもつこと。その会には熊大学生も代表を参加させること。
117,320
支 出 74,330
会 費
50,500
会報5.6 34,000
偲ぶ会会費
13,500
孟宗忌 9,29 0
寄 付
45.320
通信費 7,54 0
8,nOO
封 筒 22,000
会報9号を出すことなど申し合わせた。
熊本・徳永直の会会計報告
(1981年2月∼1982年1月)
収 入
短篇集売上げ
領収書綴 1,500
42,990
繰越し金
(4
熊本・徳永直の会会報第9号 1982. 8. 1
大 切 な 雑報
「同和」教育副読本﹃きずな﹄ (熊本県同和教育研究協議会編)
の芽」が掲載されています。教育現場で実践された万は'本会報
小学校高学年用に「こんにゃ-を売る子ども」'中学校用に「麦
に是非'手ごたえ等をお寄せ下さい。
﹃方位﹄ (熊木近代文学研究会編集)第五号は徳永直小特集と
なります。乞御期待。
t二四七点'参考文献四九1点。大正九年から昭和五
浦西和彦編﹃徳永直﹄ (人物書誌大系1)が刊行されました。
著作目録T
十五年十7月までのものが収められています'巻末には直の年譜
ものせてあります。徳永直の作品にかかわりのあるアンケートや
座談会などを収録'また参考文献も文芸時評で触れられたものも
含めるなど'細か-目が届いています。(日外アソシエーツ発行'
紀伊国屋書店発売'三八〇〇円。)
今春以来'急にやせ出して心配していた事務局メンバーの平晋
一郎氏は'バセドー氏病とわかり一安心。
高光義明氏の病状'一進一退。
熊本近代文学館(企画段階では県立としては全国で初めて)が
二年後には'熊本市は画津湖のほとり画津花壇に建設される予定
です。徳永直は大事な目玉になります。それには生の資料が必要
です。手紙などお持ちの万は大切にしておいて下さい。そしてそ
の節はよろし-お願いします。
(
印刷所 ㈱昭L欄印刷 四四-五二五二・四三-三八八六