34 - 徳永直の会

(1) 熊本・徳永直の会会報第34号1996. 7.
一
て蓬
茸露、き妻
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軍.Lf
一第19回孟宗忌 2月12日-
第34号
第2 0回孟宗忌に取り組もう
二十年の歳月は短-て長い。徳永直文学碑に献花をしていた少女
が'すでにl児の母親となっている.第一回孟宗忌に、元気な顔を
見せていた幾人かが'幽明を異にしている。高光義昭、緒方求也'
吉良敏雄'福田政雄。今年になって'〟私は'孟宗忌に毎年参加さ
がとうございました。父は'昨年五月に亡くなりました〟というハ
せて頂いておりました草野照夫の娘です。会報を送って頂き'あり
ガキを頂いたりした。私についていえば'熊本大学教育学部に'隣
の済々費から移ったばかりであったのに'やがて停年退官になろう
ない。
としている。事務局をどこにするかも、そろそろ考えなければなら
二十回ということは'案外むつかしいことではないのかも知れな
い。各種顕彰会なるものは'大体四'五十歳代の人が始めるもので
る。世話人の高齢化をどう若手に継暴するか。第二十回孟宗忌に取
ある。で二十年ぐらいは、すいすいと進む。だがその先が問題であ
(中村)
り組むに当って'そのことも火急のことと言わねばなるまい。
第20回孟宗忌予告
日時一九九七年二月十五日(土)
侭ぶ会 時間場所未定
場所 立田山登山口 徳永直文学碑前(午前中)及び未定(午後)
詳細は会報35号で知らせます。
熊本・徳永直の会会報第34号 1996. 7.
徳永直に関する覚え書き
永 村 敬 代
徳永直の旧居跡は熊本市黒髪一丁目五1三八にある.そこに標柱
十歳位の時'若宮米屋に奉公していた。店の前に毘沙門天がある。
仕事'便所にも本を持っていっていた。本を離したことがないと'
そこの銀杏が散るもんだから、それを掃いてそれが終わって米屋の
また'母親は芝居好きで'坪井座へ一週間に一回は行っていた'と'
米屋の娘のあやこさんは話していた。
ある時、父の磯吉が改築をして屋根を竹でふいていると'家主が
通り掛かってトラブルとなった。家主に断わらなかった改築だった
があり'
徳永直氏は明治三十二年花園町に生まれ六歳までに此処に移住
直は余所で勉強していたようだ。家ではしない。経塚(済々費の
ようで'磯吉は「え、えっ」とその仕事を止めて'立田山の方にさっ
とある。ここは俗に椋天神と呼んでいる神社の側で'岡本酒屋の
北側)の墓の先に友達がいた。警察は来たことはなかった。儀だっ
し黒髪校に入学したが六年生半ばに中退職工として働き家計を
斜め向かいにあった。徳永家の隣に住んで居た人の話では'畑を挟
たので'直の本を預かった。立派な包装をした本を預かって棚の上
さと引っ越していった。(*確認の必要あり)
んで平屋建ての貸家で'四軒共同の井戸があり'直の家はその際に
に上げてあったのを見たことがある。余所にも預けていたようだ。
助け作家を志して上京する二十三歳まで居住した。
あった。家族は'父磯書'母オソメ。直は長男。活動弁士の秋雄'
どんな人物かは知らなかった。その後'私が水道町の郵便局の窓口
その後東京へ行った。両親はずっと熊本にいて死んだ。私は直が
直は体が弱八色青ざめて弁当を持って活版社に行っていた。一
にいた時'直の話が出た。友達に印刷工が多かった。荒木精之など
電鉄の吉男、次に女二人いて'寅雄'タツメといた。
家は竹細工をやっていて、直も一緒にやっていた。小学校時代寝小
と交流していたようだ。その頃集会に誘われたが'文学的なことよ
「直さんは腰が悪かったもんな。」
よめが言った。
(永村敬代さんは現在八十八歳)
は何もしらない。ようしっちょる。あんどんな知らないき」と'ち
おじさん」と言った。長井さんは縁家'八百屋も来た。「そりどん
私の妹のちよめの誘いで孟宗忌に行った。タツメさんが「あら'
りキャッチボールをした。
便をした。
敷布団は竹垣に掛けてあった。そこは畑があって日当りがよかっ
た。
父の磯吉は日清戦争で輔重兵だった。馬をあつかうのを覚えて馬
の隣で'直は竹細工の仕事をしていた。物を言わない人で、読書が
車引きになった。おとなしい人であま-物を言わなかった。馬小屋
好きだったと聞いた。頭がよいかどうか、当時はそんなことは言わ
ないのが普通だった。
熊本・徳永直の会会報第34号 1996. 7.
メッセージ
戟後五十年とは、どういう歴史の地点であったのでしょうか。
点であることがわかります。
徳永直の作品群を読んでい-と'平和を求める波が沸き起こる転換
卑屈・屈従・沈黙などあらゆる庶民の「弱き」を知っていた直だ
から'彼らと同じ痛みを骨の髄まで知り尽-Lt戦中を生き抜いた
のでした。だからこそ'徳永にとって、平和の尊さそれが絶対に守
り築き上げなければならないことがわかるのです。
今年は'﹃妻よねむれ﹄ の連載が「新日本文学﹄ で始まって、五
十年です。連載と小説の進行が'季節が厳しい冬から明るい春へ移
は再評価しなければならないでしょう。
り変わるように'民主主義日本で飛躍する徳永直の軌跡を'私たち
佐藤三千夫記念会
冬の寒さがまだ残る登米の地から'春を呼ぶ熊本の地へ'今年も
また「五十年」の挨拶を送ります。
第十九回孟宗忌万歳!
一九九六年二月十二日
会報第35号原稿募集
第35号は記念特集号としたいと思います。何らかの形で今まで係
わって来られた方々は'何か一言でもお寄せ下さい。今年の年末締
め切りとします。
一 偲ぶ会風景(中央の老人が永村敬代氏) -
便 り
事務局だより
われた。参加者約三十五名。開会挨拶を岩本税'経過報告を中村
▽第19回孟宗忌は'好天気の二月十二日(日)徳永直文学碑前で行
永らく失礼致しまして心よりお詫び申し上げます。御貴家様にはお
拝啓 平成七年も残り少なくなりました。
変わりな-お元気でいらっしゃる事と思いますが'寒さが強くなり
分)を田上貴昭'献花西田光子'献酒光岡達之、来賓代表挨拶を
青史、漢詩吟詠を森上幸義、作品朗読(「太陽のない街」冒頭部
井上栄次'閉会の辞を上妻四郎の各氏が担当した。その後'熊大
ますのでお体にお気をつけて下さいます様。私も老年の体でなんと
か生かさせていただいて居りますが耳の聞こえが悪く電話は声は聞
差引残高213,910
に会場を移し偲ぶ会を催した。直の若き日を'永村敬代さんが語っ
第19回14,073
こえますが文句がわからず電話には出ない様にして居ます。夜は娘
支出合計86,.942
たりして'にぎやかな中に来年を期待して散会。
収入合計300,852
支出
会報32号18,540
通信費他19,943
名刺受4,800
孟宗忌費用第18回11,046
33号18.540
が居ますが'食事は老人としては多い方です。お蔭様で左半身のシ
光岡達之棟
▽永村保氏の参加記は紙面の都合で次号に回しました。
徳永街子様、大野たつめ様
金野文彦棟、上奏四郎様
林田幸子様、小山英史様
ビレも少しつつ取れて参りました。
し-お願い致します。又二月にはお世話様でございます。
大野たつめ
寄附117,000
同封の金わずか一万円で奉仕させていただいて恐れ入りますがよろ
よき新年をお迎え下さいませ。
中村青史様
一九九五年十二月十五日
拝啓 うっとうしい梅雨でございます。永らく御無沙汰致しまして
先生'奥様はじめ皆様お元気でいらっしゃいますか。来年平成九年
は孟宗忌二十年EEEだそうで、いろいろとお世話様でございます.
私は何んにも出来ませず、わずかばかりの志です。三万円同封致し
なのでわかりませぬが'よろし-お願い申し上げます。
ますのでよろし-お願い致します。当日出席出来るか、病体の老人
梅雨が終わ-ますと暑い夏がやって来ます'お体にお気をつけて下
繰越金71,852
奥様
印刷所㈱昭和雪三四四圭l五二・三四三主八八六
振替〇一九四〇-二-二四九八番 熊本・琴水直の会
〒鮒 熊本市黒髪二-四〇-1 熊本大学教育学部中村研究室
会費112,000
さいませ。御多幸お祈り申します。 合 掌
収入
TEL(〇九六)三四二-二五八四
会計報告
中 村 青 史 様 大 野 た つ め
1995.1.30-1996.7.12
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熊本・徳永直の会会報第34号1996. 7