早稲田大学大学院日本語教育研究科 修士論文概要書 論文題目 ソビエト連邦崩壊後のロシアにおける 日本語教育観を考察する ―ロシア人日本語教師への調査をもとに― グバーノワ アレクサンドラ 2015 年 9 月 1 本「修士論文概要書」は、修士論文「ソビエト連邦崩壊後のロシアにおける日本語教育観 を考察する―ロシア人日本語教師への調査をもとに―」をまとめたものである。以下に第 1 章から第 5 章まで、修士論文の概要を順に記述する。 第 1 章 問題の所在 第 1 章では、研究の背景、本研究を行うに至った問題意識を記述した。 1991 年にソビエト社会主義共和国連邦の崩壊とそれに伴う政治・経済・社会体制の変化を 背景に、日露両国間の経済的・文化的交流がますます盛んになる中、日本語のできる人材へ のニーズが高まり、日本語学科を設置する大学の数も、学習者の数も増加の一途をたどって いると述べ、筆者は、ロシアでの日本語教育は何を目指して行われているのか、何によって 規定され、何の影響を受け、実施されているのか、また、どのような伝統を持っているのか、 現在の日本語教育のあり方について問題意識を持ったと説明した。そして、今後の日本語教 育のあり方を考えるには、これまでどのような日本語教育が行われてきたかを把握し、その 特徴と問題点を明確にした上で、ロシアで日本語教育を実施している現役ロシア人日本語教 師の教育観を明らかにする必要があると述べた。まず、その準備段階として、20 世紀の始め ごろから現在に至るまでのロシアにおける日本語教育の発展を 20 年間のスパンに分類し、 考察した。それぞれの発展の段階を特徴づけ、ロシアにおける日本語教育の発展を概観した 結果、日本語教育が果たした役割は、国の必要性に応じて、当局が定めていたことが分かっ た。 そして、1991 年を境に、ソ連崩壊後のロシアにおける日本語教育は量的と質的な変化が見 られたとし、ソビエト連邦の崩壊とともに社会主義計画経済体制も崩れてしまい、政治、経 済、社会などの分野で変化が起こり、教育の分野でも様々な変化が見られ、中央集権的、画 一的な日本語教育が終わり、ロシアにおける日本語教育も新しい時代に入ったと説明した。 ロシアにおける日本語教育をロシア人教師こそが実施し、そのあり方と中身を決めているこ とからロシア人教師を本研究の対象にしたと述べた。 最後に、本研究で用いる用語の説明と、本研究の構成を記述した。 第 2 章 先行研究 第 2 章では、ソ連時代における日本語教育のあり方を反映した「日本語学習指導の基礎」 のレビューをもとに、当時の日本語教育について述べ、その特徴を把握した。それから、ソ 連崩壊後、つまり 1991 年以降のロシアにおける日本語教育の現状、問題点、課題を論じた 研究をレビューし、現在のロシアにおける日本語教育の特徴を示した。そして、本研究で扱 う「日本語教育観」の概念を定義づけるため、言語教育観に関する先行研究を取り上げ、そ れについて述べた。最後に、本研究の目的と課題を設定した。 2 ソ連時代に作られた「日本語学習指導の基礎」1(ゴロブニン著作)は、日本語教育の基本的 な原則、教室内の教育活動、教師の役割、モデル教案などについて記載されており、そこか らソ連時代に形成された日本語教育のあり方とその目標が明らかになった。主な教授法は文 法訳読法であり、書き言葉重視の教育が行われていたということが分かった。 次に、ソ連が崩壊する 1991 年から現在に至るまで、およそ 25 年間の期間を特徴づけるた めに、ソ連崩壊後のロシアにおける日本語教育の現状、その特徴、課題、問題点を取り上げ た研究のレビューを行い、見えてきた特徴の中で、前の時代から受け継がれた文法訳読法と 書き言葉重視の教育に本研究では注目する、と述べた。 それから、本研究で扱う「日本語教育観」の概念を定義付けるため、言語教育観と言語能 力観を取り上げた研究をレビューし、言語能力観を通して言語教育観を明らかにするという ことを説明した上、本研究の目的と課題を以下のように設定した。 本研究の目的は、ソ連崩壊後のロシアにおける日本語教育を把握し、それに直面している ロシア人日本語教師の日本語教育観を明らかにすることである。ロシアにおける日本語教育 は文法訳読法と書き言葉重視の教育が続いているが、それについてロシア人日本語教師がど のような意識を持って日本語教育を行っているのか、また、現在、日本語教育を行う上で、 どのような日本語能力観を持っているのかを調べ、ロシア人日本語教師の教育観を明らかに する、と述べた。そして、この目的のために、以下 2 つのリサーチクエスチョン(以下、RQ) をたてた: RQ1 ソ連崩壊後のロシアにおける日本語教育で主流である文法訳読法と書き言葉重視の教 育について、ロシア人日本語教師はどう思っているのか。 RQ2 日本語教育実践の基となっている、ロシア人日本語教師の言語能力観はいかなるもの であるのか。 以上のリサーチクエスチョンへの答えを得るために、質的研究法の一つである半構造化イ ンタビューを採用すると述べた。 第 3 章 研究方法と研究の手続き 第 3 章では、研究方法と研究の手続きについて述べている。 まず、本研究では、質的研究法を採用したことを述べた。Merriam(1998)を引用し、質的研 究法を採用した理由を説明した。Merriam は、質的調査法は「われわれの日常世界は、人び とがその社会的世界と相互作用しあうことによって構築されている」(p.6)とし、また、質的 研究の目的は「人びとがこの世界と世界のなかで培ってきた諸経験に対して、いかなる意味 づけをするのかという点である」(p.6)と述べている。本研究で焦点を当てているロシア人日 1 ロシア語: «Основы организации преподавания японского языка» (Головнин И.В.,1978) 3 本語教師の日本語教育観について検討する本研究の視座と、「経験の意味づけ」に焦点を当 てる視座は一致しているため、本研究で質的研究法を採用したと説明し、具体的な手法は半 構造化インタビューである、と述べた。半構造化インタビューとは、質問が事前に明確に準 備されているものの、調査対象者の意識の流れや内省を重視して、柔軟に対応していく調査 手法とされている(村岡 2002)。 次に、調査協力者の選出、調査の手続きと研究倫理について説明した。調査協力者は、現 役のロシア人日本語教師である。3 名の承諾を得て、B 教師、F 教師、N 教師の 3 名のロシア 人日本語教師にインタビューを行ったが、最終的にその中の二人、B 教師と F 教師のインタ ビューから得られたデータを分析対象にした。N 教師から得られたデータは分析に不十分で あったと判断し、分析対象にしなかった。B 教師と F 教師のプロフィールを概観した上、具 体的な調査手順を述べた。 最後に、データ分析と記述について説明した。調査協力者の語りの中から、三つのカテゴ リーが見えてきて、それは、B 教師と F 教師の①「日本語学習者としての経験」、②「日本 語教師としての経験」、③「日本語関係の仕事や副業の経験」の 3 つである。それぞれのカ テゴリーに当たるインタビューデータを適宜引用し、ロシア人日本語教師の文法訳読法と書 き言葉重視の教育に対する認識と日本語能力観をこの三つのカテゴリーと絡めて解釈する、 と説明した。 第 4 章 調査結果と考察 第 4 章では、調査協力者 B 教師と F 教師のインタビュー分析を行い、総合結果をまとめ、 リサーチクエスチョンに答えた。それから考察を行った。 インタビュー調査から得られた回答は 3 つのカテゴリーから展開した。そのカテゴリーと は、調査協力者の B 教師と F 教師が語った自分の①「日本語学習者としての経験」、②「日 本語教師としての経験」、③「日本語関係の仕事や副業の経験」の 3 つである。インタビュ ー内容をこの 3 つのカテゴリーに分類し、B 教師と F 教師の文法訳読法と書き言葉重視の日 本語教育に対する認識と日本語能力観を明確にするため、インタビューの該当箇所を引用し、 筆者が解説を述べた。 RQ1 である、「ソ連崩壊後のロシアにおける日本語教育で主流である文法訳読法と書き言 葉重視の教育について、ロシア人日本語教師はどう思っているのか」への答えは、「日本語 学習者としての経験」と「日本語関係の仕事や副業の経験」の二つのカテゴリーから見えて きた。それは、B 教師と F 教師が、大学で文法訳読法をもとに、書き言葉を重視した教育を 受け、翻訳と通訳の能力を身に付けたことが結果的に日本語をどの仕事分野でも、どの日本 語関連の活動でも使え、応用できる、いわゆる「日本語応用」観につながったという結論に 至った。 4 RQ2 である、「日本語教育実践の基となっている、ロシア人日本語教師の言語能力観はい かなるものであるのか」への答えは「日本語教師としての経験」のカテゴリーから見えてき た。それは、B 教師と F 教師の日本語教育実践現場についての語りから、教えている大学生 を卒業試験に向けて訓練し、合格させることが求められていることが分かった。彼らが大学 生の最終的な日本語学習の目標として大学卒業試験に合格することだ、と思っているように 捉えられると述べ、いわゆる「卒業試験合格」観につながったという結論に至った。 最後に、B 教師と F 教師が持つ「日本語応用」観と「卒業試験合格」観、といった二つの 日本語教育観について、ロシアにおける日本語教育の歴史的な発展に併せて、考察した。 第 5 章 結論 第 5 章では、本研究の全体的な議論、本研究の意義、限界性と今後の課題について述べた。 歴史的な関係性の中でソ連崩壊後のロシアにおける日本語教育観を探るために、その準備 段階として、20 世紀の始めごろから現在に至るまでのロシアにおける日本語教育の発展を考 察し、それぞれの発展の段階を特徴づけた。それから、ソ連時代における日本語教育の原則 とあり方を分析し、その当時に築かれた日本語教育は今、ソ連崩壊後の時期にも生かされて おり、採用されている教授法は文法訳読法であるということを明確にした。そして、ソ連崩 壊後の日本語教育における特徴を把握した上、現役のロシア人日本語教師を対象にインタビ ュー調査を行い、彼らが持つ日本語教育観について論じた。それらを踏まえた上で、明らか になってきた日本語教育観から日本語教育にどのような示唆を与えることができるかについ て議論した。 本研究の意義は、20 世紀の始めから現在に至るまでのロシアにおける日本語教育の発展、 そのあり方と特徴を把握し、現在ロシアで日本語を教えているロシア人教師の日本語教育観 について論じた点である。 今後の課題としては、ロシアにおける日本語教育を検討する際、今回のインタビュー調査 で話題になったが、分析の対象にならなかったテーマ、とりわけ、「ロシア人日本語教師対 学習者の関係」、「学習環境の問題点」などについて考える必要があると思われる。また、 学習者の視点に立って日本語教育を捉えなければならないと考えられる。さらに、国内経済 の状況を背景に、ソ連崩壊後のロシアにおける日本語教育の発展を 2 つの時期、つまり 1991 年から 1999 年までと 2000 年から現在に至るまでの時期に分けて見ていくことをもう一つの 課題として挙げられると述べた。 5 参考文献 参考文献 アルパートフ、ウ.ミ.(1992)『ロシア・ソビエトにおける日本語研究』東海大学出版会. 川上郁雄(2005)「言語能力観から日本語教育のあり方を考える」『リテラシーズ』1 くろし お出版 pp.3-18 細川英雄(2002)『日本語教育は何をめざすか一言語文化活動の理論と実践』明石書店 細川英雄(2011)「日本語教育は日本語能力を育成するためにあるのか―能力育成から人材育 成へ・言語教育とアイデンティティを考える立場から」『早稲田日本語教育学』9 早稲 田大学大学院日本語教育研究科 pp.21-25 村岡英裕(2002)「質問調査:インタビューとアンケート」『言語研究の方法』くろしお出版 pp.125-142 Merriam, S.B. (1998). Qualitative research and case study applications in education. San Francisco: JOssey-Bass Publishers. 八木公子(2004)「現職日本語教師の言語教育観一良い日本語教師像の分析をもとに」『日本 語教育論集』20 国立国語研究所 pp.50-59 Алпатов В.М. (1988). Изучение японского языка в России и СССР. М.,Наука. Головнин И.В. (1978) Основы организации преподавания японского языка. Методическое пособие. М. Кафедра японской филологии ИСАА при МГУ. 6
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