沖縄市戦後文化資料展示室

沖縄市戦後文化資料展示室
ヒストリート
ヒストリートはパルミラ通りの商店街の空き店舗を借りて
開設された。商店街の活性化にも一役担っている。
日本の敗戦後 1950 年代の米軍基地建設によって純農村が一変します。職を求める人々が移住し急激な都市化を
とげ、1956 年にはコザ市になります。そして、1972 年 5 月に祖国復帰を果たすまで、「27 年間」の米軍による
統治を余儀なくされました。いわゆる「アメリカ化」の時代です。この「27 年間」は米軍人・軍属による住民殺害、
婦女暴行など、いろいろな事件事故を経験する一方で、音楽や食生活、ファッションなど異文化との接触の中から「コ
ザ文化」、「チャンプルー文化」と形容される個性的な文化を創出した時代でもありました。
沖縄市は「基地の街」、「沖縄戦の縮図」と形容されてきた街の責務として、戦後の歩みを肌で感じることができる
資料館を開設しました。2005 年 9 月にヒストリートが、2009 年 9 月にヒストリートⅡがオープンしました。
※復帰後の 74 年には沖縄市が誕生しますが、慣れ親しまれた「コザ」の名前は今も沖縄の人々の心の中に、そして生活の中にも生き続け
ています。
降伏文書
1945 年 9 月 7 日に
交わされた降伏文書。
南西諸島を守備する
日本軍の各司令官が
9 月 2 日の全面降伏
に従い、正式に琉球
列島の無条件降伏を
することが記されて
いる。旧越来村森根
(現嘉手納基地内)で
戦車や武装兵が待機
し、大勢の米兵が見
守る中、降伏調印式
が行われた。これに
より名実ともに沖縄
線は終結し、住民は
戦闘の脅威から解放
され、戦後の地方行
政がスタートした。
A サインバーを再現したカウンター
危険な不発弾のおもちゃ
実寸大の米軍基地フェンスの模型
対戦車ロケットランチャー
グラスファイバー製の軽くて取り扱いやすい対戦車兵器。
終戦後の沖縄には、いたる所に不発弾や未使用の弾薬が
散在し、子どもたちの遊び道具として普通に使われていた。
例えば、手りゅう弾を海に投げ込んで爆発させたり、銃弾
から抜きとった火薬に火をつけて燃やす遊びが流行してい
た。時には不発弾が爆発して死んだり、手足が吹き飛ばさ
れた子どももいた。
軍用地の標柱とパイプライン
米軍は軍人軍属の健康と福祉の増進を目的に、風俗業施設の認可基
準を設け、基準に合格したバー、キャバレー、クラブ、飲食店などに「認
可」を与え、米軍人軍属の店への出入りを許可した。A サインの「A」
は、この「認可」を意味する英語の「APPROVED」の頭文字。
コーラびんのコップ
米軍上陸により、
軍の飲み物だったコカ・コーラが沖縄に流入。戦後の物不足の頃、
人々は手に入れたコーラの空きびんを利用して様々な生活用具を作った。瓶の胴部
に針金を巻いて摩擦熱を起こした後、冷水に入れるか、あるいはガソリンを含ま
せたヒモを捲いて火をつけ冷水に入れると、上下二つに割れた。下半分はコップ、
上部は風鈴、漏斗に変身。人々はこのコップでお茶を飲み、泡盛を酌み交わした。
F15 戦闘機の残骸 F15 戦闘機は全天候の攻撃・航空装置を備え、強力
なエンジンを搭載した本格的な大型制空戦闘機で、米
空軍のほか、航空自衛隊が主力戦闘機に使用している。
1994 年 4 月 4 日、同型機が嘉手納基地を離陸直後
※
に嘉手納弾薬庫の黙認耕作地に墜落、大破した。その
残骸の一部が展示されている。
在沖米軍の燃料送油線のこと。住民地域でのオイル流
出事故が再三発生し、環境上、防災上、都市計画上の点
から常に問題になっていた。復帰後は特に民間地域から
の撤去を求める声が高まり、現在は普天間飛行場と嘉手
納弾薬庫に送油するラインが残るだけ。
米軍のロケット弾
戦時中、米軍はこれらのロケット弾や砲弾、爆弾を沖縄
各地に雨あられのように打ちこんだ。
やっ
薬きょう利用の道具
薬きょうを利用して、灰
皿、花瓶、ランプ、アイロ
ンなどの生活道具がつくら
れた。青年たちは薬きょう
を輪切りにして指輪をこ
しらえたり、弾丸で作った
ペンダントを相手の女性に
贈った。また、ある楽団は
薬きょうを切って作った
シンバルを演奏に用いた
という。
※耕作地を米軍基地に接収された農家の人たちは、生きんがため
に「黙認耕作地」の使用を願い出た。やっとのことで許可され
るが、出入りするには米軍発行のパスが必要であった。
毒ガス移送“レッドハット”作戦
「沖縄に毒ガス兵器を配備」
「米軍、沖縄にも毒ガス部隊配置」
1969 年 7 月 19 日に県内新聞の 1 面に書かれた「毒ガス」の文字が県民を恐
怖に陥れた。米国紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」が、前日に在沖米軍
ち ばな
基地内でのガス漏れ事故を報道したことで明らかになり、知花弾薬庫に毒ガス兵
や ら
器 1 万 3 千トンが貯蔵されていたことがわかった。屋良行政主席は厳しく抗議し、
県民ぐるみの撤去運動が展開された。
ところが、毒ガスの移送先がなかなか決まらず、ようやく移送されたのは 1971 年
1 月(第 1 次移送)だった。第 2 次移
送は 7 月から行われ、56 日間(実働
36 日)にも及び、真夏の炎天下、中
部地区 86 校の休校やお年寄りの避難
入院、移送時間帯には昼食を持って避
難するなど地域住民の生活を振り回し
ながら行われた。
うさぎの役割
米軍は万が一、毒ガスが漏れた
時のために移送車にウサギを乗せ
た。ウサギが毒ガスにいち早く反
応し、ガス漏れに気づくことがで
きることが理由だった。
沖縄全島エイサーまつり
毎年、旧盆明けの最初の週末に行われる。1956 年の「コザ市誕生」を機にスタート
し、今では沖縄の夏の風物詩として日本を代表する「まつり」の一つとなった。
「本祭」は、沖縄市コザ運動公園で開催される。会場に鳴り響く三線、歌、太鼓のリ
ズムに酔いしれ、その迫力あるばちさばきに感動しながら、本場のエイサーのだいご味
を思う存分味わうことができる一大イベント。
ふ てん ま
ぎ
の わん
普天間基地と宜野湾市の
取り組み
さつまいも
普天間基地
戦前の普天間飛行場には宜野湾村役場や国民学校などがあり、村の行政 ・ 政治の中心地で、さとうきび畑や甘藷畑が広がっていました。1945 年の沖縄戦では 4 月 1 日に米軍が沖縄本島に上陸し、占領と同時に住民を捕虜収容所に収容し
ず け らん
ました。そして強制的に土地を奪い、日本本土を空爆するため重爆撃基地として普天間飛行場が建設されました。普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧の面積を合わせると市面積の約 32.4%になっています。上の写真は普天間第二小学校屋上から
見える基地の様子です。
普天間第二小学
▲屋上で説明を受けています。
普天間第二小学
校の南側は米軍普
天間飛行場とフェ
ンス越しに向かい
合 っ て い ま す。 そ
の た め、 輸 送 機、
ヘリコプターの発
着時の爆音に悩ま
されることも多く、
運 動 場 や 体 育 館、
教室での授業が中
断 さ れ た り、 行 事
などに支障が出て
います。
▲校区は南北を基地に囲まれています。
▲基地に向けてカメラが設置されています。
▲グランドで遊ぶ親子。
訓 練
普天間基地では住宅上空での旋回飛行訓練が早朝から深夜にかけで時間に関係なく離発着訓練(タッチアンドゴー訓練)が行われている。常駐機は
52 機(2010 年 2 月現在)ある。
2004 年 8 月、普天間飛行場を飛び立った米海兵隊所属の大型ヘリ CH-53D が沖縄国際大学本館ビルに墜落激突後、爆発炎上するという重大事故
が発生し、地域住民に心的ストレス障害を発症するなど強い衝撃と不安
を与えた。2012 年 10 月には県民の反対にもかかわらずオスプレイが
12 機配置された。
日米合意事項が遵守されない実態
①航空機騒音規制措置が遵守されない。
学校、病院を含む人口密地域上空の飛行。
22:00 ~ 6:00 の飛行制限時間帯に上大謝名地区で 515 回の騒音を
確認。
②低空飛行訓練の実施。
右は現在の様子
▲
▲上は校舎に残る事故の後(当時)
③普天間飛行場所属機の酷使、老朽化問題
普天間基地に所属の米軍機が老朽化していることが判明した。海兵
隊所属機は設計上の飛行時間率の 2 倍から 3 倍のペースで使用されて
おり、日常的に市内住宅上空で飛行訓練していることから、普天間飛
行場周辺における墜落の危険性がますます高まっている。
しょう が い
基地渉 外課、基地跡地対策課
宜野湾市の基地政策部には基地渉外課と基地跡地対策課が設置されて
いる。
・世界一危険な米軍基地と言われている普天間飛行場の危険性の一日
も早い閉鎖。
・変換を実現し、市民に安全な住環境を提供する。
・返還後のスムーズな跡地利用の実現を目標とし、市民に対して
①普天間飛行場から派生する様々な問題について、市民の窓口と
なり、基地問題について改善・解決するよう働きかける。
(関係機
関と調整を行う)市民の声を関係機関に届けるパイプ役。
②跡地利用に関して地権者や国県との調整。
を行っている。
米軍基地から派生する
環境被害
被害としては雨水、汚水、油の流出が
ある。また、米軍機の住宅地上空飛行の
際にテレビの受信障害が起こっている。
さらに、米軍機から排出される排気ガス
が住宅地に押し寄せ、騒音とともに大き
な被害を受けている。宜野湾市は施設を
提供している国に対し、健康への影響を
調査し、改善するよう求めている。
町づくりへの阻害
普天間飛行場は宜野湾市の中心部に位
置し、市の 25%を占める。飛行場周辺
は住民地域となっているため、道路交通
網の遮断、公共施設の適正配置、下水道
の敷設当による経済的損失など地域振興
上の阻害要因となっている。
基地被害110番に
関する業務
米軍用機の飛行に伴う騒音被害や墜
落の不安に対する市民の声、訴えを 24
時間体制で吸い上げ、集約し、米軍に
FAX 抗議するとともに要請行動の際に
データとして活用している。
基地入域(立入り)に
関する業務
普天間飛行場が米軍に強制接収されて
造られた経緯から基地内には、多くの墓
や由緒ある参拝地が存在している。
法事、
参拝等にて基地内への立ち入りできるよ
う、米軍に申請許可手続きを行う。
跡地利用に関すること
資料は宜野湾市基地政策部基地渉外課より
「みんなで考えよう」普天間飛行場跡地のまちづくり
資料左は基地跡地対策課の町づくりの
学習の展開に向けた取り組みで「普天間
飛行場跡地利用に関わる学習テキスト」
より