みなとまちを「歩く・見る・聴く」 第五回 大谷鮎子

みなとまちを「歩く・見る・聴く」
第五回
大谷鮎子
みなとまちづくりマイスターインタビュー File No.5
山田
義彦氏(境港元気みなと商店街 会長
(有)山芳海産 代表取締役会長
72 歳)
元気みなと商店街の結束は驚くほど強い。
山田会長率いる「元気みなと商店街」の元気
の秘訣を伺ってみると…。
僕は長男で生まれました。4 人弟妹
山田
義彦氏
境港元気みなと商店街 会長
(有)山芳海産 代表取締役 会長
の長兄ですから、いつも下の者から先
に食べさせて自分は後でと母にしつ
けられました。母は「怒られやすい人
になれ。怒られても、ふて腐れない。いじけたりするな。怒られやす
いと人に可愛がられる」と言われ続けて育ちました。
―――東日本大震災が起こった 3 月 11 日はどちらにいらっしゃいましたか。
自宅で昼食を食べるのを日常としていますので、この日も自宅でテレビを見て
いて、平成 12 年に起こった鳥取県西部地震(境港市の震度6強)を思い出して
危機感を募らせていました。西部地震は、職場である境港魚市場の岸壁が大きく
破損し、液状化現象に伴って荷揚げ場が 1 ㍍あまりもせり上がり、上屋の柱が宙
に浮いていましたからね。テレビを見ながら、これは他人事じゃないぞ、新潟県
佐渡島沖地震の余波で境港市の津波は3㍍ 20 の予測も出ているし、真剣に地震
対策を考え込みましたね。
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―――魚市場の中卸業で既に地震の脅威を体験なさった…。
境港は港湾
が基幹ですが、
もともと漁業
が盛んな港で
す。松葉ガニや
紅ズワイガニ
は日本一の水
揚げ量を誇っ
ております。紅
ズワイガニの
カニ篭漁船は
荷揚げがいち
どきに集中し
ないように上
水揚げされた紅ズワイガニ
手く調整され
ていて値崩れを起こさないような仕組みを市場で作り上げてきました。私は祖父
の代から境港の魚市場で中卸を始めて三代目になります。長男でしたが跡を継ぐ
気はなく、大学を出てそのまま東京でサラリーマンになりました。ところが八年
目に転機が訪れたのです。以前から商店街の中に土地を持って貸していたのです
が、そこが空いて向えが八百屋だったこともあり、魚の小売店を開いたらどうか
という話が家族間で出てきました。自分ではサラリーマンの限界も感じてきてい
て、もともとの商売人の血が騒ぎ出したわけです。28 歳にして初めての小売店商
売でした。従来の長靴・ゴム合羽の魚屋でなしに、きれいでハイカラな魚屋にし
て、東京からも周囲からも笑われないような店にしようと自分に誓いました。
―――「おさかなロード」計画を始
められるきっかけは?
昭和の年代までは魚がよく売れ、
食べられていましたが、だんだんと
魚離れが進み、ふと気づくと商店街
に 20 軒あった魚屋が次第に閉店・
廃業、櫛の歯が抜けるようにシャッ
ターが下りたままの商店街になっ
第一号オブジェ“トビウオ”
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てきました。そんな中、境港市出身の
漫画家水木しげる氏のゲゲゲの鬼太
郎をはじめ妖怪のブロンズ像がこの
商店街のすぐ隣までわずか 800 ㍍の
間に 150 体も並び、現在は観光客が
年間 300 万人を超えるほど人気の観
光エリアになってきました。境港の美
味しい魚を観光客にも存分に味わっ
てもらい、美しいみなとの風景を見て
帰ってもらいたいとの願いを込めて、
「水木しげるロード」の続きに、境漁
港に水揚げされる魚のオブジェを商
松葉ガニのオブジェ
店街に設置して観光客の流れを誘導
しようと計画したのです。魚のオブジェは、実物の魚から型を取り、錫の鋳物で
制作する「メタル・フィッシュ」。トビウオ、ヒラメ、スズキ、松葉ガニ、鯖、ス
ルメイカ、アカエイ、鮫、紅ズワイガニ、沢ガニが出来て商店街に設置されまし
た。これから鯛、ハマチ、カワハギなど計画中です。一体が 30 万円の寄付金で
制作、設置できます。
―――ところでお生まれはどちらですか。
鳥取で生まれ、小学校 5 年生の時に境港へ移住しました。父母は天津で海運業
を営んでおりましたが、裸一貫で日本に帰ってきて、昼夜をついで働き続けてお
り、5 年生の私がかまどで
ご飯を炊くことが日課でし
た。
―――子供時代のエピソー
ドお聴かせください。
少年時代は大変な引っ込
み思案でした。小学校も中
学校でも腕白小僧ではあり
ませんでしたね。高校でボ
学生時代はボート部でキャプテンとして活躍
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ート部に入部、大学もボート部で 4 年生でキャプテンになりました。仲間をぐん
ぐん引っ張っていくというより、みんなの話をよく聴くキャプテンだったと思い
ます。
―――どんな一日をお過ごしですか?
午前 6 時か
ら魚市場のセ
リ場で 8 時ま
で過ごし、8 時
30 分に店に顔
出し、午後 2 時
まで居て、2 時
から 3 時頃ま
で昼食に自宅
へ戻ります。午
後 3 時からは
地域の活動や
奉仕団体の会
元気みなと商店街チームの勇姿
合に出席し、6 時から行きつけの喫茶店へ。ここが「元気みなと商店街」のたま
り場になっており、三々五々集まってくるメンバーと「元気みなと商店街」の活
性化に向けての話し合いをします。趣味はゴルフ(月に1~2回)とボートで、
なかでもボートはペーロン競漕大会を開催して年々活況を呈しています。ペーロ
ン船を何とか手に入れたいと仲間 6 人で頼母子講をやり 100 万円溜まったところ
で長崎まで行ってペーロン船を 2 艇買ってきました。平成 2 年のみなと祭りに第
1 回ペーロン競漕を8チームで開催、今では 40 チームが参加しています。
―――今、願っておられることはありますか。
境港を東洋のバルセロナと言われるようにしたいと思っています。海岸通にベ
ンチが点々と置かれ、老人がベンチに憩う姿が絵のように美しい光景を夢みてい
ます。また、牡蠣やイカを焼いて食べさせるテント小屋を作って、潮風の匂いを
嗅ぎながら子供たちに本物の魚の美味しさを教えていきたいと願っています。
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大谷鮎子
―――今後の計画実現に向けてのお考えを教えていただけますか。
「元気みなと商店街」は、NPO法人格を取得して、大きく前進していこうと、
現在、取得に向けて膨大な資料作りに大童です。事務局長の役割りを果たしてく
れているのが、メンバーの溜まり場「喫茶クロ」のオーナーである柏木真穂実さ
ん。パソコン苦手なメンバーが多いので、NPO法人取得は若い真穂実さんの双
肩にかかっています。4 月には晴れて資格取得の予定です。
法人格が取得できれば、自治体などの補助金や助成金の申し込み手続きも出来
ますので活動の幅も大いに広がり、全員で楽しみにしているところです。
プロフィール
昭和 16 年(1941 年)鳥取県生まれ。鳥取県立境高校を経て立教大学卒業。東
京トヨペット入社。1968 年家業の山芳海産(境港市)を継ぐ。1982 年代表取締
役社長就任。2012 年、山芳海産 代表取締役会長に就任。
境港ボート協会長などを務め、ペーロン競技の導入などの実績で 2010 年からウ
ォーターフロント開発協会認定の「みなとまちづくりマイスター」就任。
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