日本科学教育学会研究会研究報告 Vol. 30 No. 1(2015) 数学指導における批判的思考に着目した授業ついて㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 A㻌Lesson with Focusing on Critical Thinking in Teaching Mathematics 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 谷口㻌 千佳㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 太刀川㻌 祥平㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 久保㻌 良宏㻌 TANIGUCHI,Chika*1 TACHIKAWA,Shohei*2 KUBO,Yoshihiro*3 網走市立第三中学校北海道教育大学大学院教育学研究科 北海道教育大学旭川校 *1 Abashiri Daisan Junior. High School *2Graduate School ,Hokkaido University of Education *3 Hokkaido University of Education,Asahikawa Campus 㻌 [要約]本稿は「批判的思考」の基礎的研究を踏まえ,これを数学指導で具体化した教材を 用いた授業実践の分析から,生徒の変容について検討するものである。「批判的思考」は,問 題の明確化,事実と価値の区別,正当な主張か否かの区別,一般化への注意,感情的な推 論の排除,他の解釈の発見,論理的思考,先入観の排除などが特徴として考えられる。 これを踏まえた授業実践から,生徒は他者の考えに目を向けこれによって考えが変容するが, 一方で,その考えは,数学の成績が高い生徒の発言に影響されることなどがわかった。ここで は,対話の有効性も認められるものの,先入観が先行する傾向があるとも捉えられた。 [キーワード]数学指導,批判的思考,教材開発 1.はじめに 私たちの日常の生活を振り返ってみると,与えられ た情報の適切性に疑問を持ち,さらに,事象を批判 的に考える必要があることが多々あるように思われる。 このような事象を批判的に考える「批判的思考」は, 私たちの日常生活だけでなく,民主的な社会を維持, 発展させる上で必要不可欠なものであると考えられる。 そしてこのような考え方は,次世代を生きる子どもた ちにも必要な力として捉える必要があると考える。 「批判的思考」は,21 世紀を生きる子どもが身につ けなければならない力として着目されているが,数学 教育研究では,「批判的思考」のあり方について,そ の根本に立ち返り検討したものはあまり見られなかっ た。そこで筆者らは,これまでに「批判的思考」を教育 学や心理学などにも着目して検討するとともに,これ を数学教育で具体化する視点について考察してきた (久保,2012;久保,201;谷口,2014;久保・谷口, 2014)。この具体化では,方法概念として, 「a.社会 的な問題の考察に数学を批判的に用いる」,「b. 算数・数学の問題の解決過程を批判的にみる」 , 「c: 数学そのものを批判的に捉える」の 3 点から考察 してきた。 本稿では基礎研究を踏まえた上で,特に上記の「a. 社会的な問題の考察に数学を批判的に用いる」に 焦点をあてて教材を開発し,この授業実践から,数 学指導における「批判的思考」について検討する。 2 研究の目的と方法 本研究の目的は,「批判的思考」の捉え方につ いて検討した上で,中学校の数学指導において, 「社会の問題の考察に数学を批判的に用いる」こ とについて具体例を示し,生徒の反応を明らかに することにある。 研究の方法は,基礎研究においては「批判的思 考」についての文献研究が中心であり,その具体 化については,調査研究(久永他,2014;谷口他, 2015)で用いた調査問題を授業で実践し,この授 業記録を分析する。 3.研究の結果 1)「批判的思考」に関する基礎的研究 ① 批判的思考の背景や考え方 教育学や心理学などの論考では,「批判的思考」 の着眼点は,論理的,目標志向,反省的,合理的と いった考え方にあるとされている(中野,2004)。ここ では,「対話」と「志向性」が重要であるとの指摘があ る(小柳,2003)。 我が国の見解では,自分の推論過程を意識的に 吟味する反省的思考(楠見,1996),自分の思考の 意識化(道田,2001),質の高い思考をするための知 識やストラテジーの必要性(中野,2004)といった主 張がある。また,田中・楠見(2007)は,「批判的思考」 の特徴を,問題の明確化,事実と価値の区別,正当 な主張か否かの区別,一般化への注意,感情的な推 論の排除,他の解釈の発見,論理的な思考と捉え ている。筆者らは,これに先入観の排除を加え検 討した。なお,ここには反省的思考や論理的思考 が含まれているが,「批判的思考」は反省的思考と 比べ,民主的な社会をより一層志向し,「批判的思 考」は論理的思考と比べ,文脈依存型の思考として 公平・平等を含む価値(社会的価値)や倫理観など にも目を向けることが特徴であると捉えている。 ② リテラシーとしての批判的思考 「批判的思考」はリテラシー研究でも着目され,リテ ラシーの重要な側面として捉えられている。ここでは, ユネスコや OECD の考え方が重要な役割を果たして ― 21 ― 日本科学教育学会研究会研究報告 Vol. 30 No. 1(2015) おり(長崎,2011),後で検討するパウロ・フレイレの主 張(フレイレ,1979)やキー・コンピテンシー(ライチェ ン他,2006)への着目が重要である。教育という視点 からは,キー・コンピテンシーの「異質の集団における 交流能力」にも着目する必要がある。 ③ 批判的教育学 「批判的思考」は,教科教育にも影響を及ぼしてお り,ここでは,西洋思考から受け継がれる論理の規則 性や根拠の示し方に関心が向けられる。一方,教育 方法学においては,フレイレの主張を根底に置き, 教師と生徒の関係に焦点があてられている(例えば, 黒谷,2001)。ここでは,社会における抑圧の構造や 支配の関係についての共通の理解を背景とする教 育の制度的な機能(権力の不平等,学ぶ機会の喪失 等々)に関心が向けられる。これは批判的教育学と呼 ばれている。 筆者らは,教科教育で検討される「論理的・分析 的」な読み取り能力の育成といった点に着目する必 要があると考えるが,批判的教育学の見解を根底に おいて検討する必要があると捉えている。 ④ パウロ・フレイレの主張 先に示したパウロ・フレイレ(ブラジルの教育学者) は,代表的著作である『被抑圧者の教育学』(1979) の中で, 「銀行型教育」と「課題提起型教育」という対 立する 2 つの教育の概念について示している。 「銀行型教育」とは,生徒の頭は何も入っていない 金庫であると見なされ,教師はこの金庫にできるだ け多くの知識を預金するというものである。ここ で,教え込みの教育という問題だけにとどまらず,教 師は支配者,生徒は被支配者という関係に目が向け られる。「銀行型教育」は,順応で管理しやすい人間 をつくることにつながるとする(フレイレ,1979) 。 これに対し「課題提起型教育」は,人間は単に世 界の中にある傍観者ではなく,世界や他者とともに存 在する再創造者となることを目指すものである。ここ では,教師は預金のためのコミュニケ(communiques) を発するのではなく,教師と生徒の矛盾を解決し「統 合」へと進めるコミュニケーション(communication)が 重要な意味を持つ。そして,教師と生徒の関係は, 生徒であると同時に教師であるような生徒と,教師で あると同時に生徒であるような教師が登場してくるとし ている(フレイレ,1979)。 ⑤ 可謬的に捉える態度 数学的リテラシー研究では,数学や数学教育自身 を批判的にみることや可謬的に捉えることの重要性 が指摘されている(阿部,2011 など)。 ここでは,ユークリッドのパラダイムに代表される公 理に立つすべての真理の把握の中に,批判の存在 を見いだしている。また,数学的リテラシーを批判的 教育学に着目して検討するなかで,社会や文化で用 いられている数学の使用に関する正当性を批判的に 検討するという「数学を評価するための数学的リテラ シー」が強調されている。 ここには数学を可謬的に捉えるという考え方(アー ネスト,2015)が根本に置かれている。 ⑥ 数学教育における批判的思考 これまでの検討から,「批判的思考」は,西洋思考 から受け継がれる論理の規則性や根拠の示し方に 重点が置かれる一方で,これを社会にまで広げた批 判的教育学の考え方にも目を向けて検討する必要 があると考える。 そしてこのような点から,数学教育における「批判 的思考」は,「対話により課題が明確になり,その解 決に向けて情報を精査し,自他の考えを対比しなが ら他者の立場に立って検討し,公平,平等といった 概念を加えながら先入観にとらわれることなく真実に より近づいていくもので,そのすべての過程において 民主的な社会の構築という目的に対する態度形成が 求められるとともに,文脈に適切な背景となる知識や ストラテジーが重要な意味を持つ」と捉えることができ ると考えた(久保,2013)。 2)「批判的思考」の教材開発 筆者らの研究グループでは,上記のように検討 した基礎的研究を踏まえ,数学指導における「批 判的思考」の具体化について考察した。方法概念 で示した「b.算数・数学の問題の解決過程を批判的 にみる」では,中学校を中心に,誤った図を生徒に提 示ずる教材,論証において仮定と結論の要素を入れ 換えて新たな命題をつくり,これの真偽を考えさせる 教材などについて検討した(谷口,2014)。 㻌 本稿では,「a: 社会的な問題の考察に数学を批 判的に用いる」に焦点をあてた教材について述べ るが,ここでは次のような「航空機の安全運行(運 航)」と題された教材が開発された。 㻌 これは,イギリスの「ボーランドマス」で示され ている「航空機の着陸から離陸までの過程」を参 考に,これを JAL の「羽田,旭川」便の場合につ いて考えさせるものである。航空機が着陸してか ら離陸するまでに必要な時間について,安全な運 行という視点から情報を批判的にみることがで きるかをみるものである。 なお,この問題の解決に必要な数学の内容や数 学的方法は, 「算数・数学の力」 (長崎,2011)に 照らして検討された。その結果,「分類・整理す る力」, 「見通しを立てる力」, 「多面的に考える力」 , 「結果を吟味する力」 , 「表を利用する力」などが 当てはまると考えた。 この教材は次の通りである。以下に示すものは, 生徒を対象とする「批判的思考」の調査研究(久 永他,2014)で示したものであるが,教材の内容 はこの調査問題の中にすべて述べられている。 ― 22 ― 日本科学教育学会研究会研究報告 Vol. 30 No. 1(2015) 航空機の国内線の場合,羽田空港や福岡空港などの大都市空 港と異なり,多くの地方空港では,飛行機が空港に到着すると, その便は,飛んできた空港に引き返すということがあります。 例えば,東京の羽田空港と北海道の旭川空港を結ぶ便は,JAL の場合,羽田空港から飛んできた飛行機は、同じ飛行機(機材 と呼んでいるようです)が旭川空港から羽田空港に飛んでいく というわけです。旭川空港に着陸した飛行機は,主に次の表に 示す作業を行い,また羽田に向けて飛んいきます。 仕 事 時間 A 乗客を飛行機から降ろす 10 分 B キャビン(客室)の清掃 10 分 C 燃料の補給 10 分 D 荷物を貨物室から降ろす 15 分 E 新たな乗客を飛行機に乗せる 15 分 F 荷物を貨物室に積み込む 15 分 G 出発前の最終チェック(パイロット・アテン 5分 ダント)を行う (なお, 「C:燃料の補給」は,燃料の搭載量によって行われな い場合もある.また,乗客が客室にいるときは燃料を補給する ことはできない.) また,JAL の「羽田⇔旭川」便の「時刻表」(3 月 30 日~5 月 31 日)は,以下の通りです.(例えば,羽田発 7:50 の 1103 便は,旭川空港に到着すると,同じ飛行機が,旭川発 1100 便 となって羽田に向かいます. (なお,羽田に到着した飛行機は, 旭川以外の空港に向かうこともあります。) この内容を知った共子さんは,「これで安全な運行ができる のだろうか?」と言っています.この共子さんの思いについて, あなたはどのように考えますか?あなたの考えがみんなにわ かるように,説明してください。 この問題では次のことを考える必要がある。 ・時刻表から飛行機が旭川空港に着陸してから離 陸するまでの時間が 40 分であることを読み取る。 ・仕事を示した表から,単純に仕事の時間を合計 すると 80 分であることを知る。 ・旭川空港の滞在時間が 40 分であるのに対し, 仕事の合計時間が 80 分であることがわかること から,これで安全な運行ができるかを批判的に考 える(共子さんの思い) 。 ・同時進行できる作業がないかを考える。 ・同時進行できる作業を時系列に整理し,説明す る。例えば,次のような表をつくって説明する。 経過 時間 0 5 10 15 20 25 30 35 40 飛行機の中で行 われる仕事 A:乗客を飛行機 から降ろす 飛行機の外で行 われる仕事 B:キャビン(客 室)の清掃 E:新たな乗客を 飛行機に乗せる C:燃料の補給 積み荷に関係 する仕事 D:荷物を貨物 室から降ろす F:荷物を貨物 室に積み込む G:最終チェック ・上の表から,時間的にはすべての仕事が 40 分 で終ることを理解する。 ・上記の検討から,安全な運行が可能かを考える。 3)授業実践からの検討 ① 授業計画 生徒調査で用いた問題で,平成 27 年に北海道の 中学校において授業を実践した。この授業の目的は, 「社会の問題の考察に数学を批判的に用いる」こ とについての具体的な問題の解決において,自身 の考えを明確にしながらも,他者(友だち)の考 えと自身の考えを照らして,考えがどのように変 容するかを批判的思考の観点から分析し,授業に おける生徒の反応について検討することにある。 授業では,ワークシートを配布して,以下に示 す段階ごとに,「ア.安全性に問題はない」,「イ.安 全性に問題があるかもしれない」,「ウ.安全とはいえ ない」から考えを選択させ,その理由を書かせなが ら授業を進める。 想定した授業展開は次の通りである。 【1:時刻表から運行について考える段階】 時刻表を配布して,航空機の運行についての理解 を深めるとともに,直観的に「40 分で出発する」ことの 安全性について意見交換をさせる。 【2:出発までに行う仕事について考える段階】 出発までに行う仕事についての資料を配布する。 これについて生徒が検討し,仕事量の多さとこれに 要する時間(80 分)を知ることを通して,問題点 について意見交換させる。 【3:生徒の考えを把握する段階】 ア,イ,ウのどの選択肢を選んだかを発表させ,そ の理由についても述べさせながら,同調する考え,反 論などを板書していく。 【4:同時進行できる仕事について,数学的に説明 する段階】 「同時進行できる仕事がある」といった意見を取り 上げこれについて意見交換させる。「3」の段階と重な る面もあるが,「4」の段階は,同時に行える仕事につ いての様々な考えが出されることを想定している。 【5:第三者(共子さん)を登場させ,これまでの意見 交換から第三者に対して考えを述べる段階】 上記 )で示した調査用紙の「共子さんの考え」 (「これで安全な運行ができるのだろうか?」)を 示し,共子さんが納得できるような説明を考えさせる。 ここでは,表やグラフなどを用いて説明できるかがポ イントであると考えている。 【6:考えを,黒板などを使って説明する段階】 表やグラフなどをつくって,同時に行える仕事を整 理した考えを取り上げ、黒板で説明させる。 【7:授業を終える段階】 この問題に正答はない。最終的には,航空会社が 安全な運行のために最大の対応を行っていることは 示すが,公の交通機関である航空機の運行のあり方 ― 23 ― 日本科学教育学会研究会研究報告 Vol. 30 No. 1(2015) を事実に照らして理解を深めた上で,安全性の判断 は,生徒個々の考えに委ねられると捉えている。㻌 ② 授業の実際と考察㻌 ①で示した授業の流れに照らし,北海道の公立中 学校第 2 学年の 40 名(男子 19 名,女子 21 名)に対し て,平成 27 年に授業を実践した。(授業者:谷口千佳) 㻌 授業はビデオカメラで記録され授業記録が作成さ れたが,本稿では,授業記録をもとに検討された内 容について記す。 授業は予想以上に時間を要し,「4」の段階の「同 時に行える仕事がある」ことについて,「数学的に説 明させる段階」に入ったところで授業を終えることにな った。生徒の考えは「3」の段階までしか明らかにでき なかったが,すでに実施した個人で考える調査とは 異なり,授業では共に学ぶ友だちの考えによって,個 の考えが変容する様子が見られた。授業の初めでは, 問題の意味がなかなか理解できない生徒もいたが, 生徒間の意見交換が活発になるにつれて,何を考え なくてはならないのかが明確化された。この意見交換 が,本研究で着目する「対話」に成りえているかはさら なる考察が必要であると考えているが,少なくとも,発 言に対してその反論が示され,さらにこれが修正され ていくといった場面が見られた。㻌 また,数学の得意な生徒(㻿㻟)が最初の場面から 所々でつぶやいた「同時進行(が行えるから安全)」と の発言が,その後の生徒の考えに影響を与えている ことも確認できた。ここでは先入観を排除できない生 徒の存在を見ることができる。なお,生徒個々の変容 の様子や,早い段階で「同時進行ができる」ことに気 づいている生徒が 㻿㻟 の他にもいたがこのような生徒 の存在が他の生徒にどのような影響を与えていたの かなどの分析は十分にできていない。さらなる検討が 必要であると捉えている。 4.おわりに 㻌 本研究では,「批判的思考」の基礎的研究を踏まえ, これを数学指導で具体化した教材を用いて実践した 授業の分析から生徒の変容の様相を検討した。 㻌 授業実践から,生徒は他者の考えに目を向け,こ れによって考えが変容するが,一方で,その考えは, 数学の成績が高い生徒の発言に影響されることなど がわかった。ここでは,対話の有効性も認められるも のの,先入観が先行する傾向があるとも捉えられた。 なお,本稿は科研(基盤(C),課題番号 24531090) 『数学教育における「批判的思考」に関する教育方法 学的視座からの研究』(研究代表:久保,平成 24~26 年度),およびこれの継続科研の成果の一部である。 引用および参考文献 阿部好貴:数学的リテラシーに関する動向,数学に おけるリテラシーについてのシステミック・アプロー チによる総合的研究,科研基盤(B)研究成果報告 書,82-90.2011. 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