『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』 の基礎的研究 金 天 鶴 1 問題の所在 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』 (以下、 『大意略抄』と略す)は非常に短 い文献であるが、それにもかかわらず奈良時代から平安時代にかけて日本 の初期華厳宗の思想を知る上で欠かせない幾つかの重要な情報を含んでい る。この文献の成立背景について岡本一平氏は成立年代(テキスト ・ 作者 ・ 1) 撰述時期) ・ 思想の特色の二点について論じられている。その重要な研究成 果は次のように二点にまとめられる。 ① 作者は道雄門下の誰かで成立年代は901年より早い。 ② 円別二教判より天台思想との類似性が見られる。 他に『華厳宗一乗開心論』が道雄の作となる可能性を提示している。し かし、この文献に対する思想の特徴などは諸教判や系譜からも取上げられ るので研究の余地は未だ残っていると考えられる。また、本稿を進める際 に大竹晋氏から『大意略抄』に関する未完の原稿を見せて頂いている。こ こでは岡本氏の先行研究と大竹晋氏の未完の原稿から寄せられた貴重な情 2) 『大意略抄』の諸問題について詳論してみたい。 報を踏まえながら、 まず、 『大意略抄』の文献の情報や引用文献に関して調査する。次に『大 意略抄』の華厳思想の特徴について四点にわけて検討する。一には円教に 対する教判的解釈である。 『大意略抄』の円教解釈は岡本氏の追究の通り天 (1) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 台寄りの教判であるが、終教などの関係を含めもっと掘り下げてその意図 について検討する。二には円教の以外の諸教判における問題点を取り上げ て、その意味合いを探ってみる。三には成仏論について検討する。 『大意略 抄』の成仏論は法蔵の信満成仏論に基礎をおきながらも、六相を取り入れ た新しい概念が用いられているからである。四には華厳史観を検討する。 この文献の末尾に華厳の祖師名が連ねてあるが、それより作者の華厳史観 を垣間見ることができ、日本の初めての華厳史観であり三国史観でないこ とを確認する。 2 文献の基礎的検討 (1)書誌及び撰述年代 この文献は海印寺の開基である道雄(-851)の門下によって著されたと 3) 推定されているが、作者と成立年代ともに未詳であり、刊本としては『大 正蔵』(T72、No.2336)に収録されている。その脚註に示されている底本 や他の写本をみると、 『大正蔵』は高山寺古写本を底本としており、甲本 (1868年写、高山寺石水院本) 、乙本(1682年写、高山寺石水院経蔵本)に より校訂されている。岡本氏が取上げたように底本には判読しがたい箇所 があったと考えられ、その具合は大正本の註より確認される。 撰述年代については大竹氏の未完の原稿に追究されており、それをまと めれば次のようになる。 『大意略抄』の華厳祖師の中に、インドの馬鳴、竜 樹、堅恵があげられるが、この三人を華厳の系譜に入れたのは三論宗の道 詮の作となる『群家諍論』にも同様であることに注目されている。末木文 美士氏は『群家諍論』の撰述年代について864年~868年より多少先立つと 4) するが、大竹氏は『大意略抄』の撰述年代がこの時期と重なるとみている。 しかし、 『群家諍論』の中国華厳の系譜が覚賢、喜覚、法業、智炬、慧光、 5) 僧範、曇衍、霊裕、慧蔵、慧覚、法敏、道英、智嚴、法蔵となっているが、 (2) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 後に検討するようにこれは『大意略抄』の系譜とは異なる。すると、後に 『大意略抄』によって中国華厳の系譜が訂正されたことも視野に入れられる ので、撰述年代は少し遅れることもある。 (2)引用文献からみた思想の傾向 この文献は華厳宗の五教判と十宗判を簡略にまとめたものである。よっ 6) て『五教章』第四分教開宗に対する「私記」とみてよいが、実際は『五教 章』 「行為差別」、 「修行時分」 、 「断惑分斉」からの取意が多い。また、通常 の華厳教学とはかなり異なる独自的な五教の理解が目立つ。 『大意略抄』に よると、五教とは一小乗教、二大乗始教、三大乗終教、四大乗頓教、五一 乗円教をいう。これらについてはそれぞれ文献を引用しながら詳しく説明 をしている。また、十宗とは一我法倶有宗、二法有我無宗、三法無去来宗、 四現通仮実宗、五俗妄真実宗、六諸法但名宗、七一切皆空宗、八相真徳不 空宗、九相想倶絶宗、十円明具徳宗であるが、これに関しては各宗につい て割註形式で簡略に書き込んだ後に「具五教如上巻云云」と記述するのみ である。その次に「華厳宗祖師」が綴られている。 さて、 『大意略抄』に引かれている引用文献は次のようである。 図1 各教別引用文献 五教 小乗教 引用文献 所依経論及び備考 倶舎に関連する「略頌」を引用。愚法小 『倶舎論』(4)、「略頌」 乗教 大乗始教 『法鼓経』、『唯識論』 般若 ・ 深蜜等経。喩伽 ・ 唯識等諸論 大乗終教 『五教章』(2) 法華経、涅槃経、法界無差別論、起信論、 智度論 等 大乗頓教 『五教章』 維摩経 ・ 思益経 ・ 五蘊論 一乗円教 『五教章』、『大乗同性経』 華厳経 ・ 華厳論 ・ 起信論 <図1>の中、まず、五教判の名称についてみる。『五教章』第四分教開 (3) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 宗における五教判の名称は「一小乗教。二大乗始教。三終教。四頓教。五 円教」となっており、終教、頓教に大乗を冠しておらず、また、円教にも 一乗を冠していない。この『大意略抄』とまったく同様の五教判の名称が 7) 見られるのは『華厳五教止観』においてである。ところが、この『大意略 抄』の内容の展開は、 『五教章』の文にそったものではないのと同様に、 『華厳五教止観』の文にそったものでもない。 <図1>からわかる通り、経論を合わせても引用文献は少ない。引用の パターンから看取されるのは以下の内容である。まず、小乗教において、 「略頌」が引用されているが、これは、 『一乗義私記』(T72、24a)と写本 8) 『立教義私記』についても、同じく「略頌」が確認されることからみて、 『大意略抄』は平安私記類に共通にみられる特徴をもっているといえる。大 乗始教において般若 ・ 深蜜をセットして取り扱うことも『一乗義私記』と 9) 同様である。所依経論の『起信論』が終教と円教とのに両方に位置づけら れるが、これは日本華厳宗の教理に『起信論』が円教に近い経論として評 10) 価される形態が根強くあることを示唆しているのではないかと考えられる。 また、 『五蘊論』が頓教の所依の経典となることは異様である。 『大意略抄』 以外の華厳宗の文献において『五蘊論』に対する引用は見当たらず、 『五蘊 論』はむしろ主に中国唯識派において多く用いられる論書である。これが 頓教として認識された例は『大意略抄』が唯一であろうが、その当否はさ ておいて、 『大意略抄』の著者と日本法相宗との親しい関係を物語る例では ないかと考えられる。 なお、この『大意略抄』は岡本氏の指摘のとおりに、凝然の『華厳宗経 11) 論章疏目録』に「五教十宗大意」とあるのが目録上の初出であろうが、同 時期の尊弁の『起信論抄出』 (1307年作)には「二乗は唯だ煩悩障を断ずる のみ、未だ不染の無知を断じていない。菩薩は二無知を倶に断じる。既に 12) 所断の差別があることが知られる」とあり、これは『大意略抄』の文「今 (4) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 此教の二乗は唯だ染汚無知を断除す。 (中略)菩薩は染汚と不染汚の二無知 13) 『起信論抄出』は『大意 を断ずる」と似ている。その引用名がないにせよ、 略抄』を参考にしていたと考えられる。 3 華厳思想の特質―円別二教判― 『大意略抄』は一乗円教を円教門と別教門に分けており、それぞれの説は <図2>のようにまとめられる。 図2 円教門と別教門(T72、199b) 重要教義1 重要教義1 所依経論 円教門:終教中広顕 方便三乗令入一乗故 真理門 円融無碍法界成 華厳経 ・ 華厳論 ・ 不対二乗。直顕法界 仏理 起信論等所説 成仏理。一念間六位 重作成仏 別教門 <図2>にみられる円教門の「円」の字は『大正蔵』の『大意略抄』に おいては「同」の字になっているが、校訂の写本には両方とも「円」の字 となっている。これは、岡本氏の指摘の通り、そのくだりの文の内容から、 14) 校訂本の「円」でないと通じない。そうなると、言わば円別教判とも言う べき奇妙な教判であるが、華厳の伝統的な教判ならば同別二教判である。 華厳文献にどうしてこのような教判が現れたのか。管見によれば『大意略 抄』以外の華厳宗の文献の中には一乗円教を円教と別教と分ける例は存在 しない。岡本氏が提示されたように、むしろ天台宗の円珍(814-891)の 『諸家教相同異略集』の中に華厳学派の教判として円別二教の文句が紹介さ れている。 五は大乗円教である。その中に二つがある。第一は別教、第二は円教であ 4 4 4 4 4 4 る。東大寺の律師がいうには、別教は華厳本会を含み、円教は華厳末会並び (5) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) に法華を含む。具体的にはかの法蔵法師の『華厳疏』や法蔵法師の『五教 章』の通りである。 (五大乗円教。就中有二。一別教。二円教也。東大律師云。別教摂華厳本 15) 会。円教摂華厳末会并法華也。具如彼法蔵法師華厳疏并法蔵法師五教章也) (T74、311ab) また、大竹氏は安然(841-915?) 『真言宗教時義』巻一も、華厳五教の 仏身について、華厳一乗を円別教判として理解していると判断している。 それは次の文である。 五は円教の仏である。即ち、天台円教の仏である。分けて二仏とする。た だ、華厳の円教には二つある。第一は円教一乗であって、法華がそれであ る。第二は別教一乗であって、華厳がそれである。 (五円教仏。即天台円教仏。分為二仏。唯彼円教有二。一円教一乗。法華是 也。二別教一乗。華厳是也)(T75、391b) となる。だが、この場合の‘円教一乗’の‘円’の字は甲乙本に共に ‘同’の字となっており、そのくだりを読んでも‘円’となる必然性は認め られないので、必ず安然が円別二教と理解していたとは限らない。 兎に角、 『大意略抄』の円別教判は明らかに東大律師に似ている教判と言 える。これにより円別教判を主張する一派が存在していた可能性まで言わ 16) 『大意略抄』においては、円別二教の円教を説明する際に、 “五 れている。 教上巻云。此円教。説乗会融無二”云々とあり、この個所については『五 教章』の全てのテキストにおいて「円」字が「同」字となっている。こう なると、 『大意略抄』の作者が元のテキストを自分の意図に合わせて書き変 えて引用した可能性も否定できない。 (6) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 円珍の引用によると‘東大律師’は既存の華厳師とは異なる思想の持ち 主であるが、 『大意略抄』の作者はそのような東大律師に連なる一面を持っ ていると推定できる。そうすれば、東大寺に天台寄りの華厳家の系譜が認 められるようになるのではないか。東大寺寿霊の『華厳五教章指事』を読 17) むと明らかに天台宗そのものを高く評価し好意をもっている。しかし、彼 に法蔵の同別二教を円別教判に変えるような発想はなかったはずである。 よって天台寄りの華厳家を寿霊と関係付けることはできない。ここで、東 大律師について辿ってみる。円珍の『諸家教相同異略集』には次のような 記録がみられる。 問う。古人が皆な伝えていうのによると、彼の華厳師がこの天台の大白牛車 を盗んだのみであるというが、 [これについては]不審な点がある。答える。 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 この事は実際にある。彼の金鐘寺唐院の恵雲律師が作った『法華四車義』の 中に見られる。もしそれが知りたいなら、行ってそれを確認してみなさい。 (T74、313a11) (問。古人皆伝云。彼華厳師盜此天台大白牛車而已。有不審。答。此事有 実。見彼金鐘寺唐院恵雲律師所制法華四車義中者也。若欲知之。詣往而尋之 耳)(T74、313a) この文によると、華厳の大白牛車の原点については、恵雲の『法華四車 義』にみればわかるということだが、恵雲は鑑真とともに日本へ渡ってき 18) 『僧綱補任』第一巻(日仏全123)によると798年条から律師として た人で、 名前が記録され、810年には「辞歟滅歟可尋」となっており、その後記録か ら見られなくなる。その時に辞退をしたのか没したのかは未詳とあるが、 円珍より一世代ほど上の東大寺の僧であることは間違いない。しかし、こ こに問題がある。唐院とは鑑真の高弟法進が天台義を広めた根拠地だった (7) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 19) のである。法進は天台教学を根本としながら、東大寺戒壇院の第二和尚と 20) 21) なった人物である。また、最澄の『長講法華経後分略願文』巻下には、法 進の次に「恵雲大律師」とあり、恵雲も法進と同様の思想の持ち主である ことは想像できる。乃ち恵雲は天台を根本としている律僧として華厳宗を 批判したことになる。大竹氏が取上げられたように他に円珍の『授決集』 巻下に以下のようにある。 また、讃州の慈勝和上と東大の勝行大徳と(どちらも讃岐の人である)は同 じく『法華経』の意にしたがって定性二乗の決定成仏を説くと聞いている。 私はいつも[そのことを]心に留めて随喜している。彼の両和上は実は円機 の人であって、円教を伝えるのみである。かつて親戚の間の話の中で、かの 和上等が外戚であり、これ因支の首氏(今は和気公に改める)であると聞 き、さらに随喜を増した。近いうちに対面して、同じく妙義を説き、妙法を 弘伝したいと願っている。 (又聞。讃州慈勝和上東大勝行大徳(並讃岐人也)、同説約法華経意、定性 二乗決定成仏。余恒存心随喜。彼両和上実是円機、伝円教者耳。曾聞氏中言 話、那和上等外戚、此因支首氏(今改和気公也)。重増随喜。願当来対面、 同説妙義、弘伝妙法也。)(T74、304a) 22) 慈勝は、 『元亨釈書』によると道雄に『成唯識論』を教えたという。ま 23) た、 『溪嵐拾葉集』の中、天台の血脈相承の中に見られる。よって明らかに 天台系の人物である。なお、 「東大勝行大徳」は律師という表現もなく、ま た、 『法華経』意によって定性二乗の成仏を説いているのは華厳宗では珍し くないので、それをもって天台寄りの華厳宗の人とみるのは必ずしも妥当 ではない。二人とも円機と言われているので天台宗の人物だった可能性が 高い。 (8) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 以上三人を見たが、結局のところ、 「東大律師」という確証は得られな い。もう一つ注目したいのは、 『選択伝弘決疑鈔』の註釈を行った聖冏 (1341-1420)の『決疑鈔直牒』では、東大寺律師について道慈(?-744) に比定している。それは道慈を三論、華厳、真言の祖師とみている認識に 24) よる。しかし、上述したように東大寺律師は天台寄りの人物であり、道慈 は大安寺を中心に活動していた。また、東大寺造営の勅願を発布したのが 743年で、道慈が東大寺律師となるのはありえない。701年に唐に留学して 718年に帰国した道慈に『五教章』や『探玄記』を熟読した可能性がないと は言えないが、それに関して異見を出すほどだったのかは疑問である。よっ てこの説はひとまず取らない。 ところで、果たして「東大律師」が必ず天台寄りの華厳思想家といえる のか。以上の例から見ると、円珍が引用する華厳関連の説を出しているの は、むしろ東大寺の天台宗と言うべき人物である。ここで注意すべき一点 を取り上げたい。 『大意略抄』は円別の順であるが、東大律師は別円の順で いう。華厳宗ならば同別二教であり、 ‘同’の代わりに‘円’となっている だけである。しかし、天台宗では別円二教がよく論じられている。よって 「東大律師」も天台を根本としている律師と見たほうが妥当である。円珍は 『五教章』において円別二教となっていると陳述するが、その可能性は低 く、東大律師が『五教章』の‘同’字を‘円’に変えた可能性が高い。或 いは円珍がそうしたことも想定できる。 『大意略抄』は華厳宗の人物の作であるにもかかわらず、なぜ円別教判を 取り入れたのであろうか。 『大意略抄』の華厳祖師の最後に記載されている 道雄は最澄の『勧奨天台宗年分学生式』に従って、受戒後十二年の寺門不 25) 出を定めるなど、天台宗に好意を抱いていたという。こうしたことからみ ると、道雄の一門とみられる『大意略抄』の著者が天台宗について親近感 を持っていたことが推察できる。 『大意略抄』が円別二教判を取り入れたこ (9) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) とは、寿霊以来の華厳 ・ 天台の融和の傾向がさらに強化された証拠である と考えられる。 ここでもう一つの例をみたい。良忠(1199-1287)の『選択伝弘決疑鈔』 は東大律師について次のように引用している。 五.大乗円教。此中有二。一別教。二同教。山王院諸家教相集云。東大寺律 師云。別教摂華厳本会。同教摂華厳末会並法華也。 (T83、40a) 下線の同教は『諸家教相同異略集』においては両方とも‘円教’となっ ている。これが異本ではなければ、元の「円」の字を華厳宗に合わせて 「同」の字に直したことになる。このように『大意略抄』も『五教章』の元 の「同」の字を天台宗に合わせて「円」の字に直したとみることもできる。 上の例を勘案してみると、 『大意略抄』に円別教判を取り入れられているの は、天台宗の華厳宗に対する教判的な理解をそのまま用いるためではない だろうか。要するに天台宗の別円教判においては、別教である華厳経より 円教である法華経のほうが優位に立つ。しかし、円別教判の内容を華厳宗 の同別二教判に適用すれば、華厳経である別教が優位に立ちながらも、円 教の枠に法華経を収めることができる。それで『大意略抄』では『五教章』 の‘同’字を‘円’に変えてまで、天台に対して好意を持っていたと想定 できる。 まとめると、東大寺には天台を根本としている一群の律師がいて、華厳 教学を天台学に合わせて解釈し、それを天台宗に好意を抱いていた『大意 略抄』の作者が取り入れて奇妙な華厳教判を成立させたことになる。 ( 10 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 4 各教の説明における問題 (1)大乗始教 大乗始教については、愚法二乗を大乗に入らせる‘引小門’と凡夫から 直接大乗に入る‘直進門’とに分ける。それぞれの内容を要約すれば以下 の<図3>のようになる。 図3 大乗始教 教の趣旨 修行の果 成仏の時 所依経論 重要教義 引前愚法二乗 分断所知障 廻心向大後経 般若 ・ 深蜜等 引小門 三乗五姓差 令入大乗初門 不愚法声聞 三祇成仏 経。喩伽 ・ 唯 別 ・ 三性説 ・ 従凡夫而直入 見道以後得 頓悟経五位三 識等諸論。法 生滅八識 直進門 鼓経 大乗 智 ・ 断惑 僧祇劫成仏 引小門は『五教章』行為差別の‘廻心教’に当たり、直進門は‘直進教’ に当たる。ところで<図3>の修行の果に言及する際に、 「前の小乗の中で は但だ見 ・ 修の二惑のみを説くが、この教の中では見[惑] ・ 修[惑]の差 26) 別を分けない」と述べているが、‘見 ・ 修の差別を分けない’という説は 『五教章』「断惑差別」の終教を説明する際に「よって、二障において見 27) [惑]と修[惑]を分けない」と出てくる。要するに華厳宗における始教の 説としては相応しくない。 また、 『大意略抄』には「地前に三十の心あって、それは十住 ・ 十行 ・ 十 28) 迴向である。また、十信は十住の初發心に摂める」とあるが、『五教章』 「行位差別」は直進教において、地前に四十心をおくが、十信、十解、十 29) 行、十廻向である。結局『大意略抄』には「十信」がないわけであり、 『大 意略抄』には「十信摂十住初発心」とあるが、これは基の『法華経玄賛』 に次のように出るのと一致する。 初地の已前を小樹と名づけ、初地已上を大樹と名づける。不退を証するから ( 11 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) である。大小の二樹にはそれぞれ下 ・ 中 ・ 上があり、十住 ・ 十行 ・ 十迴向を 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 小樹の三とする。十信は初発心住に摂する。四決択分の善根は第十迴向が摂 する。 (初地已前名小樹。初地已上名大樹、証不退故。大小二樹、各有下中上者。 4 4 4 4 4 4 4 4 4 十住。十行。十迴向為小樹三。十信即是初発心住摂。四決択分善根即第十迴 向摂) (T34、83a) この基の説は十信を別立せず、ただ十住中の初住に摂するというもので 30) ある。日本の法相宗の真興(934-1004)の『唯識義私記』も十信を十住の 31) 初発心住に摂するのを正義とし、それは基も同様であるという。また、下 線のように四善根と十廻向の第十との関連も述べており、 『大意略抄』に三 十心の‘十廻向’に続いて「四善根摂第十法界無量廻向也」とあるが、基 からの影響であることが窺える。しかし、 『五教章』の始教の説明に四善根 は十廻向の他に別立するので、 『大意略抄』と『五教章』との間には相違が 32) 『大意略抄』より後の私記である『一乗義私記』も四善根を十廻 見られる。 33) 向の他に別立するし、凝然の『五教章通路記』も「十廻向の修行を満足し 34) てから初地の正位に入ろうと欲するので、四善根を立てるのである」と述 べる。 こうしたことから『大意略抄』の始教説は、華厳宗の教理からみた始教 ではなく、法相宗の教理に基づいて理解された始教であることがわかる。 しかも法相宗の深い道理によって終教と円教とを摂すると述べ、彼(『成唯 35) 識論』)に詳しいと言うほどである。このように『大意略抄』と中国の華厳 教学との間では始教に対する認識が異なる。これは『大意略抄』のもつ特 質であるし、唯識に通じていた道雄とも関連できる。また、日本の初期華 36) 厳宗以来、華厳宗において唯識説が重要な位置を示していたが、 『大意略 抄』はこうした流れに沿っている。しかしながら、華厳宗の人でありなが ( 12 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) ら、法蔵の元意に背いたと言わざるを得ない。 (2)大乗終教 大乗終教については、心生滅門としての「教論法相門」と、心真如門と しての「広顕真理門」とに分ける。それぞれの門の要点を表すと次のよう になる。 図4 大乗終教 教の趣旨 修行の果 成仏の時 所依経論 建立心生滅門頼耶 此教意少分 二乗分断無明煩悩、 識。立不生不滅和合。 於性相(五 始教中直 信大乗中道。菩薩定 教論法相門 具分八識 教 章 下 巻) 不定二種、三僧祇成 進門小分 (心生滅門) 引先始教中不愚法二 法花 ・ 涅槃 門 仏、無量僧祇、速疾 乗并菩薩。令入此終 等、法界無 成仏 教 差別論 ・ 起 心真如即一法界大総 於一身煩悩一断一切 信論 ・ 智度 相法門体、即第八識 断。初発心時便成正 論 等所顕 広顕真理門 純顕終教 心生滅真如、依如来 覚。倶分証位、非究 等所顕具分 (心真如門) 道理 蔵有生滅心云云即法 竟位。経三祇一念等 八識真如中 道理也 云云 当天台宗意 性真如海 4 4 4 44 4 4 4 4 44 4 4 4 4 44 <図4>の所依経論の「五教章下巻」とは断惑分斉の終教を指すが、そ れを‘教論法相門’として理解し、本当の終教を‘広顕真理門’として天 台宗に配当している。全体的には主に『起信論』の構造にしたがって解説 しているが、結局、 「今の此の教は一相のみの円融を顕し、いまだ重重の無 37) 尽円融の道理を明かさない」と結論して、この終教を超える円教を想定す る。しかし、続いて「故法花涅槃等経摂三乗終教一乗円教也」と教判的規 定を改めている。ここは広顕真理門の所依経論が一乗円教とも関わる意味 として捉えられる。それは終教の教論法相門が始教ともかかわることと同 様である。よって広顕真理門が純粋な終教であるように、純粋な一乗円教 が想定されることが推測できる。だが、始教において「但以法相宗深理、 ( 13 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 攝終教及円教」 (T72.198c)とし、始教である法相宗の道理において終教は さることながら円教までみとめる。仏説である以上円教の道理がどの経典 にも含まれていることを意味すると思うが、 『大意略抄』に詳しい説明はみ られない。 ここで識説について検討する。まず、<図3>始教の重要教義をみると、 生滅八識とある。後の具分八識と対となっている。 ‘生滅八識’いう表現 は、華厳文献には慧苑『刊定起』 、澄観 『疏』に用いられているが、時期 的に慧苑の『刊定起』をベースにしている用語であろう。 『刊定起』による と生滅八識とは生死の根本であり涅槃の因となる。よって有為法である。 次に<図4>の始教中の直進門の少分門に当たる教論法相門においては、 「心生滅門の頼耶識を立てる」 、または、 「不生不滅と和合した具分八識を立 てる」とされている。ここでの阿頼耶識は始教中の生滅八識に似ている側 面であろうが、この阿頼耶識も究極的には具分八識であるというのが『大 意略抄』の意図のように読み取れる。 心生滅門の頼耶識とは紛れもなく『起信論』による。 『起信論』には「心 生滅者、依如来蔵故有生滅心、所謂不生不滅與生滅和合、非一非異、名為 阿梨耶識」 (T32.567b)とあり、 『大意略抄』の説明はこれに則ったのであ る。なお、‘具分八識’とは、 『大意略抄』の純終教に当たる広顕真理門の 中において‘具分八識真如’として用いられるが、心真如門において説か 38) れることに注意すべきである。すると、教論法相門には、心生滅門と心真 如門という『起信論』の二門構造を前提として展開されていくことがわか る。こうした二門構造は広顕真理門において明確に再び論じられている。 すなわち、『大意略抄』 (T72.199a)では、心真如については「即是一法 界大總相法門體。即是第八識也」とあり、心生滅真如については「依如来 蔵有生滅心。云云。即法性真如海」とある。まず、心真如についてみると、 具分八識真如が第八識となることがわかる。 ‘具分八識’とは『刊定起』の ( 14 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) ‘具分唯識’から発した用語であろう。 『刊定起』によると、 ‘具分唯識’と は一切唯心造の一心となるが、同文献によると、その‘具分’とは真性如 来蔵を備えるという意味で捉えられる。なお、心生滅真如であるが、それ は『起信論』にそっての説明である。しかし、それを‘即法性真如海’と するのはどういう意味だろうか。これは法蔵が『無差別論疏』の中に、 「起 信論云、真如者、即是一法界大総相法門体。又云。法性真如海」 (T44、 63b)と述べたような理解を受けている。ここで‘一法界大総相法門体’ とは『起信論』の真如門における説明であるので、 『大意略抄』では‘法性 真如海’を生滅門の真如として理解していたのである。要するに如来蔵で ある。平安末期に著された『種性義抄』にも心生滅真如について論じなが ら、 ‘法性真如海’をあげ、それが衆生界の中の真如として性種性と理解さ 39) れているが、 『大意略抄』の考え方が伝承されたと思われる。なお、心真如 が第八識となるのは、 『起信論』の構造より異様ではあるが、その意味合い が‘具分八識’であるので可能な定義となる。 こうしてみると、 『大意略抄』においては、生滅八識と心生滅門の阿梨耶 識が非一非異の関係にあり、心生滅門の阿梨耶識は心真如門の第八識と非 一非異の関係にあるのではないか。要するに始教と終教が教論法相門によっ てつながり、教論法相門と広顕真理門とが終教の枠組みに属して、鎖のよ うに関係している。これは始教にも、終教にも円教の領域をみとめる『大 意略抄』の独特な教判体系により生まれたものであるといえる。 (3)大乗頓教 大乗頓教についても以下の<図5>のように分類する。 ( 15 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 図5 大乗頓教 教の趣旨 修行の果 成仏の時 所依経論 不論成仏不成仏 維摩 ・ 思益等経 ・ 五蘊 等論。 『五教章』 絶言真如門 諸言真如門 唯理非事門 ここで「不論成仏不成仏」というのは『種性義抄』(T72.46b)に出てく る表現であることに注意しておきたい。上述した終教での類似性を含め『大 意略抄』の思想が『種性義抄』まで影響を及ぼしていることが確かである。 (4)円教-法界成仏論- 円教については成仏論が主に説かれている。一乗円教においては一念の 間に成仏ができるとの説が出されているが、それは法界成仏を直示すると 40) いう『五教章』の別教一乗の立場からの成仏論である。 問う。仏道を成ずるには必ず三祇を経るはずである。どうして初位は後位を 摂し、後諸位においても[同時に]成仏するのか 答える。初位に在る時は六相の方便を以て十玄の円融道理を顕す。よって一 念の初心に断じて、究竟位に円満す。(中略)三乗は教えが方便に滞る門な ので立てるのが異なる。 (問。成仏道必経三祇者也。何初位摂後。後諸位成仏耶。答。在初位時。以 六相方便顕十玄円融道理。一念初心断、究竟位円満也。(中略)三乗者教滞 方便門立異也)(T72、199b) こうして別教一乗としての円教の成仏論が三乗とは異なると主張する。 中略している部分は『華厳経』をもって経証とする個所であり、その経証 とは、一地に一切諸地を普く摂することと、 「初発心時便成正覚」の文句と ( 16 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) である。ところでその後“どうして初発心して若干劫を経て成仏するのか” と問われるが、それについては“この一乗円融の教えは、理と事とが円融 することを覚り、生死と涅槃を分離しない。円機の凡夫心が、凡に即し聖 41) に即する理由は、心を離れて別の仏はないからである”と答える。 ここで円教といっても初発心して若干劫を経るというのは異様であるが、 それは次に紹介する問答のように行布門による解釈である。 問う。此教の三僧祇と三乗教の三僧祇は何の差別があるのか。 答う。三乗始教は一大僧祇を一数とし、数十を第二とする。このように祇を 展転して成仏する。 [問う]。円教の速疾成仏は道理に合わない。 答う。そうなるといえども、須臾を経るので速疾である。但し次第行布門を 顕すのでそうである。 (問。此教三僧祇与三乗教三僧祇。有何差別乎 答。以三乗始教一大僧祇為 一数。数十為第二。如此展転祇成仏。円教速疾成仏不道理 答。雖然、須臾 経故速疾也。但顕次第行布門故之爾耶)(T72、199c) 原文の最初の答えに脱文があるようであるが、次第行布門において須臾 の時間を許容するのが判る。よって『大意略抄』は「初発心時便成正覚」 について円融門と次第行布門の二つの観点から理解していると言える。そ れを六相について論じる個所で割注として顕すが、それによると次第行布 42) 門の六位の差別は有名無実である。しかしながら、円教の立場から成仏す る際に若干劫を要するというのは、 「初発心時便成正覚」を「分見」とみる 天台宗の立場と相通する。よって円教の成仏論は華厳教学としての円教そ のものの立場ではなく、天台との調和を計ったことが判明する。 『大意略 抄』の成仏論の特徴はこれだけではない。すでに拙論で取り上げたように ( 17 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 『大意略抄』においては一念間における六位重作成仏が論じられている。こ の成仏論は後に『種性義抄』にも影響を与えるが、法蔵の信満成仏の変形 43) であり、華厳教学とのずれはそれほどない。しかし、ここでの六位とは資 44) 糧 ・ 加行 ・ 見道 ・ 修道 ・ 等覚 ・ 妙覚の六つであり、当然十信より仏地に至 る華厳本来の六位ではなく、これは法相教理との調和を計ったと考えられ る。 以上のように『大意略抄』は、日本の法相宗、天台宗との相違を言いな がらも、それらの宗派との共通点を提出することによって教理的な融和を 図ったと理解される。また、教判を立てる際に、始教から終教までを単純 に区分するよりも、始教から終教までの関連性を保っていたことからもそ ういえる。このように『大意略抄』の華厳教学は東アジア華厳伝統の解釈 ではないことを確認しておきたい。 5 華厳思想史観 『大意略鈔』においては、同書の著述時期と密接に関連する「華厳宗祖 師」の名前の羅列が見られ、先学によって多く取り上げられている。吉津 宜英氏は、これを主な証拠とし『大意略抄』における元暁系の華厳の影響 を想定する。しかし、岡本一平氏は内容を掘り下げることによって、吉津 説に疑問を投げかけ、むしろ『大意略抄』には天台教学との類似性がある 45) と指摘している。また、大竹氏は『大意略抄』には法相宗、天台宗、三論 宗の影響はあるものの、元暁の影響はないとみている。 ここでは『大意略抄』の華厳史観に三国史観は現れておらず、むしろ新 羅の系譜も同等に取り扱っていることを確認しながら、その系譜の特徴に ついて述べたい。 『大意略抄』の「華厳宗祖師」を系統別に分けて記すと以 46) 下の通りである。番号と地域名は便宜上筆者の補足である。 ( 18 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 華厳宗祖師 ①インド:普 賢菩薩 文殊菩薩 馬鳴菩薩 竜樹菩薩 堅恵菩薩 覚賢菩薩 日昭菩薩 ②中国 :杜順菩薩 智厳菩薩 法蔵菩薩 ③新羅 :元暁菩薩 大賢菩薩 表員菩薩 見登菩薩 ④日本 :良弁菩薩 実忠菩薩 世不喜菩薩 総道菩薩 道雄菩薩 47) この系譜は東西交流の歴史が改変される実例として取り上げられている。 それは、インド→中国→新羅→日本という伝来を時系列として想定した場 合、人物の生没年代に齟齬が生じてしまうこともあり、実際にはまったく ないはずの人物の相互交渉が想定されてしまうこともあるからである。こ のような系譜も一役を買って、室町期のものとみられる華厳の系譜におい ては新羅の元暁が法蔵の弟子慧苑の下におかれ、残りの三人が元暁から順 48) にそって置かれている。 しかし、 『大意略抄』の場合、インドから中国、新羅を経て日本に華厳思 想が入ったという伝来の事実と、各地域における華厳思想の伝承とを別々 に考える場合、それほど無理のある系譜とは言えない。例えば、インドか ら覚賢菩薩によって華厳思想が中国に入ったとの想定の上で、日昭菩薩は 中国における華厳思想の伝承に属するのではなく、インドにおける華厳思 想の伝承に属するとみる場合、日昭菩薩が智儼と関係ないことは問題にし なくてもよい。同様に中国の智儼から新羅の元暁に華厳思想が入ったとす れば、元暁は中国における華厳思想の伝承に属するのではなく、新羅にお ける華厳思想の伝承に属するので、法蔵が元暁より年下であることは問題 にならない。また、新羅の元暁から日本に華厳が入ったとすれば、見登は 新羅における華厳思想の伝承に属し、朗弁は日本における華厳思想の伝承 に属するので、見登が明らかに朗弁より年下であることも問題にならない。 ( 19 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) このようにみると、 『大意略抄』の華厳思想史観は、全体的に華厳がインド →中国→新羅→日本に入ったとする伝来史観と、それぞれの地域において も華厳の伝承があったという二つの意味合いをもつ華厳宗祖師の系譜を表 現していることが分かる。 華厳宗の祖統説は宗密によって始めて認識されたということが通説であ る。その後宋代に至って宋の浄源(1011-1088)によって杜順→智儼→法 蔵→澄観→宗密という五祖説が提示され、また、馬鳴と龍樹を入れる七祖 49) (T72、297a) 説も打ち出されている。後になるが凝然は『五教章通路記』 において普賢と文殊を馬鳴の前に置き、龍樹の下に世親を置く十祖説を提 示している。そして日本の古徳の祖統説は定められていないと述べるが、 実際には、 『大意略抄』の系譜はインドの世親を入れないにせよ、日本の華 厳宗の祖統説として先駆になるものである。 次に、インドの系譜において馬鳴菩薩が入っているのが注目されるべき である。これは『大乗起信論』が華厳宗の典籍として認識されていること を意味する。 中国の華厳祖師の中からは、法蔵の弟子の慧苑が省かれている。慧苑の 著作は奈良時代の寿霊の時期から頻繁に引用され、特に『刊定記』は東大 寺における華厳経講義のサブテキストとして利用されており、平安時代の 50) 六宗本書の一つとされる『開心論』においても慧苑が重視されている。そ れにもかかわらず慧苑が系譜から省かれているのには、慧苑を重視しない 何らかの背景があったと考えられるが、今のところは不明である。 なお、新羅の華厳祖師が元暁から始まるというのは円珍においても見ら れる認識であるが、大賢菩薩、表員菩薩、見登菩薩が挙げられるのはどう だろうか。ここでの共通点を探すと、大賢と見登とについては、 『起信論』 を顕揚した人物であることが注目される。 『大意略抄』の作者が『起信論』 について華厳宗の思想を表すものとして重んじていたことや、馬鳴をイン ( 20 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) ドの華厳祖師に入れていたことも、華厳宗が『起信論』を顕揚するという 背景から理解できよう。なお、表員の著作としては『華厳文義要決問答』 があり、寿霊の『五教章指事』に引用されることからわかる通り、早くか ら注目されている。また、799年最澄の写経仏事の際にも写経されているこ 51) とからわかる通り、日本においてよく名前が知られていたことが系譜に入っ たきっかけになったと考えられる。 日本の祖師については、石井公成氏によっても指摘されたように、日本 華厳思想の基礎を築き上げたといっても過言でない審祥や慈訓が無視され 52) ている。また、実質的に法蔵の『五教章』の註釈を現した智憬や寿霊の名 前が見られないことも意外である。審祥は日本において初めて華厳経を講 義したし、慈訓と智憬とは華厳講師を務めている。また、寿霊は『指事』 を著しており、新羅の華厳祖師に挙げられている見登の著述において引用 されるほど、知名度があったと考えられるからである。その代わりに名前 が見える良弁、実忠は東大寺の建立の実務役を担っており、華厳宗の思想 53) とはそれほど関連がないことは石井氏により指摘されている。中国や新羅 の祖師は華厳宗の思想との関連が深い人物を取り上げているにもかかわら ず、どうして日本の系譜に華厳宗の思想との関連性が少ないと見られる人 が取り上げられたのか。 大竹氏は凝然の『華厳法界義鏡』と『三国仏法伝通縁起』の記録を分析 して、 『大意略抄』の作者が大安寺系の人であると推測している。日本の祖 師は良弁 ・ 実忠 ・ 世不喜 ・ 総道 ・ 道雄となっている。凝然の『華厳法界義 鏡』をみると、日本華厳宗の系譜は ┌崇道 良弁-実忠-等定┤ └正進-長歳-道雄 ( 21 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) との流れがあり、道雄まで続く系譜は凝然の『華厳宗要義』においても 54) 同様である。ところが、凝然の『三国仏法伝通縁起』においては、良弁→ 55) 崇道天皇となり、崇道が大安寺に東院を立て華厳宗を広めたとある。世不 喜は『東大寺要録』巻三においては「世不羇者」となっているが、文武天 皇の第二王子で、良弁の弟子である。総道も『東大寺要録』の同じ個所に おいて実忠の弟子と明記されている。このように、日本華厳宗の系譜に関 しては、良弁→実忠、世不喜、総道、或いは実忠→総道、等定→総道とな るなど、やや時代のずれがみられる。兎も角、大安寺総道→東大寺道雄の 関係は成立し難くなるが、 『大意略抄』が著される時代の華厳宗の勢力とも 関連するのではないかと考えられるのみである。 日本の華厳祖師の中でもう一つ注目すべきことは、 『起信論』と結びつけ られる人はいないことである。その中で道雄をみると、 『元亨釈書』巻二に おいては、道雄は慈勝に唯識を学び、因明にも通じているとある。また、 長歳から華厳を学び、空海に密教を学んだとある。また、海印寺を開創し 56) 年分度者は二人になったとある。さらに、 『元亨釈書』巻一の空海条におい ては、道雄は三論の道昌、唯識の源仁、天台の円澄とともに華厳の代表と 57) して述べられている。よって道雄は空海の教えを受けたといえども華厳の 人であることがわかる。しかし、彼と『起信論』との関係は見出せない。 6 まとめ 以上のように『大意略抄』について検討したが、そこには幾つかの特質 が見出された。まず、五教について述べる際に、五教の内容を、華厳教学 本来の立場からではなく、法相宗や天台宗の立場から構築していることが 挙げられる。また、始教から円教に至る教判は相互に部分的に重なりあっ ており、始教を述べる際には法相の深義が円教と同様であると言われ、円 教を述べる際には天台と法相との調和を図る姿勢が読み取れる。このよう ( 22 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) に、 『大意略抄』について言えば、円教優越主義を採るのではなく、各教と の調和を計りながら、円教の優れている世界を各教が共有していると認識 しているのがその特徴であるといえる。これはその時代の日本華厳宗の立 場としての、他宗との緊密な関連の保持を反映していると考えられる。最 後に『大意略抄』と他の『私記』類との関連を指摘すれば、例えば、 「六位 重作成仏」 「円機凡夫」といった用語は『種性義私記』と関連の深い概念で 58) ある。 道雄を最後とする華厳祖師の名前の羅列からは、 『大意略抄』の作者が道 雄の門下であり、華厳宗がインド→中国→新羅→日本へと伝わったという 仏教史観を持つことが理解される。そして、 『華厳経』の思想の伝承と『起 信論』の思想の伝承とをあわせる系譜となっていることから、日本華厳宗 における『起信論』重視の傾向が『大意略抄』の作者においても根を下し ていたと見られる。但し、日本の系譜に『起信論』関連の人物が連ねない ことから、これには『大意略抄』が著される時代の日本華厳宗の勢力や系 譜観が関連していると考えられる。 注 1)岡本一平[1998] 「『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の成立背景」 『駒沢大学大学院仏 教学研究年報』31、65-73頁。 2)大竹氏の未完の原稿に対しては、必要に応じて根拠を示すこととする。 3)石井公成[1996]『華厳思想の研究』、序論、9頁。 4)末木文美士[1990] 「道詮『群家諍論』について」 『三論教学の研究』 (春秋社、573- 593頁) 5)蓮剛『定宗論』(T74、321c) 6)「第四分教開宗者。於中有二。初就法分教。教類有五。後以理開宗。宗乃有十」 (T45、 481b) 7)『華厳五教止観』(T45、509a) 8)金天鶴[2005] 「平安時代の私記『華厳宗立教義』の研究」 『東方』107号、41-54頁 9)金天鶴[2005] 「増春の「『一乗義私記』の一乗義の意味について」『仏教文化』15 号、九州龍谷短期大学仏教文化研究所 ( 23 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 10)奈良期における『起信論』観については、金天鶴[2004] 「東大寺の創建期における 華厳思想と新羅仏教」『東大寺論集』2号を参照されたい。 11)岡本一平[1998]前掲解、66頁『日仏全』1、254頁。 12)『起信論抄出』「二乘唯斷煩惱障。未斷不染無知。菩薩二無知倶斷之。既知所斷有差 別」(T69、536c) 13)『大意略抄』「今此教二乗唯断除染汚無知。(中略)菩薩断染汚不染汚二無知(‘断’ 字が抜けたか)惑証理」(T72、198a) 14)岡本一平[1998]前掲論文、69-71頁。 15)‘法蔵’二字は、 『智証大師全集』(中巻、580b -581a)により補足した。法蔵が反 復されており、やや落ち着きのない書き方ではなるが、後述のように、東大寺の律 師は天台系の人物であろうから、 『華厳疏』を著作したとは思えないからである。岡 本一平[1998]前掲論文、69-71頁。 16)岡本一平[1998]前掲論文、71頁。 17)金天鶴[2001]「寿霊の三乗極果廻心説の批判について」『仏教学研究』3号(韓国 語)、127-154頁。 18)木内尭央抄訳[1990]「入唐求法巡礼記」『大乗仏典 中国 ・ 日本篇 最澄 ・ 円仁』 第十七巻、中央公論社、164頁。 19)『天台付法縁起』「大安唐律注戒経於比蘇。東大僧統、注梵網、於唐院。両聖師弘天 台義」 『伝教大師全集』巻5、38頁。東大僧統は法進を指す。ここは大竹氏が取上げ られた。 20)島地大等[1924] 「東大寺法進の教学について」 『哲学雑誌』443([1931] 『教理と史 論』、261-287頁) 21)『伝教大師全集』巻四、263頁。 22)『元亨釈書』(『日仏全』101、33b) 23)『溪嵐拾葉集』(T76、834b) 24)「今私云山王院者、智證大師也。東大寺律師者、道慈律師也。此師三論華嚴眞言三宗 祖師也」(浄土宗全書検索システムより検索した)http://www.jozensearch.jp/pc/ index.php 25)佐伯有清[1989]『智証大師伝の研究』吉川弘文館、59頁。 26)『大意略抄』「前小乗中但説見修二惑。此教中不分見修差別」(T72、198b) 27)『五教章』「是故二障不分見修」(T45、494a) 28)『大意略抄』「前地有三十心所。謂十住 ・ 十行 ・ 十迴向也。又以十信攝十住初發心」 (T72、198b) 29)『五教章』「又彼地前有四十心。以彼十信成位故」(T45、488b) 30)深浦正文[1954:1976 5刷]『唯識学研究』下、664頁。 31)『唯識義』 「今案新翻経云。十住十行十廻向(云云)以此為正。十信摂十住初発心住。 不為別位。故以云三十心為正義(中略)基師唯識疏同於泰説」(T71、357c) ( 24 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 32)『五教章』「以信等四位為資糧位。十廻向後、別立四善根為加行位」(T45、488c) 33)『一乗義私記』 「資糧位者。地前位中四十心位。即十信十住十行十迴向也。加行位者。 地前位中四善根也」(T72、27a) 34)『通路記』 「十迴修行滿足。然後欲入初地正位。而有別方便。即四善根」 (T72、510c) 35)『大意略抄』「但以法相宗深理攝終教及圓教具如彼云云」(T72、198c)終は乙本によ る。 36)金天鶴[2004] 「東大寺の創建期における華厳思想と新羅仏教」 『東大寺論集』2号。 37)『大意略抄』「今此教顕一相円融。未明重重無尽円融之理」(T72.199a) 38)『種性義抄』「心生滅門眞如者。法性海上吹無明風。令起三細六麁五意六染諸波浪。 名衆生界。此衆生界所有眞如名性種性云也」(T72.59c) 39)『大意略抄』「二廣顯眞理門。純顯終教道理。即心眞如門。以法花 ・ 涅槃等 ・ 法界無 差別論 ・ 起信論 ・ 智度論等所顯。具分八識眞如中道理也(T72.198c) 40)『略抄』に『五教章』上巻と引用するが、法界成仏を直示する文は『探玄記』 (T35、 114b)からの引用である。 41)『大意略抄』「問。何初發心經若干劫成佛耶。答。今此一乘圓融教。覺理事圓融。不 分生死涅槃。所以圓機凡夫心即凡以即聖。離心別無有佛故。」(T72、199b) 42)『大意略抄』「此教有二門。一次第行布門。説六位差別有名無實。一圓教相攝門。一 位攝一切位速疾成佛。云云」(T72、199c) 43)金天鶴[2008] 「平安時代の華厳私記類における成仏論」『印仏研』56-2、653- 659頁。 44)『大意略抄』(T72、199b) 45)岡本一平[1998]を参照。 46)この系譜については、見登、 『孔目章記』、 『華厳十玄義私記』の年代を推定するため 活用したことがある。ここでは華厳史観を探るためもう一回活用することとなるが、 仕方なく重複する部分もある。これに対しては叙述目的が異なるため一々註記は避 けたい。金天鶴[2010] 「『華厳十玄義私記』に引用された新羅文献の思想史的意味」 『仏教学レビュー』7、129-153頁。 47)石井公成[1996]『華厳思想の研究』序論、9-10頁。 48)高山寺典籍文書綜合調査団 編[1988]、 『高山寺善本図録』 (東京大学出版会)の中 に入っている「華厳血脈」。 49)吉田 剛[1997]「中国華厳の祖統説について」『華厳学論集』鎌田茂雄博士古希記 念会編(東京:大蔵出版)485-504頁。 50)金天鶴[2007] 「『華厳宗一乗心論』の思想的特質」『仏教学研究』17、55-81頁。 (韓国語) 51)金天鶴[1999] 「『華厳経文義要決問答』の基礎的研究」 『調査研究報告』44(学習院 大学)、15-39頁。 52)石井公成[1996]『華厳思想の研究』序論、9-10頁。 ( 25 ) 『華厳宗所立五教十宗大意略抄』の基礎的研究(金) 53)同上。 54)『華厳宗要義』「自辨弟子有實忠和尚。次等定大僧都。次正進律師。次長歳和尚。次 道雄僧都」(T72.197a) 55)『三国仏法伝通縁起』「良弁僧正臨終、以華厳宗付崇道天皇。崇道受嘱、於大安寺、 建立東院、弘華厳宗」(日仏全101・21b) 56)『国史大系』31巻、53頁。 57)『国史大系』31巻、37頁。 58)金天鶴[2008] 「平安時代の華厳私記類における成仏論」『印仏研』56-2、653- 659頁。 ( 26 )
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