編集長から

▪▪▪▪▪▪▪
編集長から
▪▪▪▪▪▪▪
浅輪田鶴子という生き方
増田 一世
弊社の新刊,浅輪田鶴子さん著「助け
てと言えない人たちのために 浅輪田鶴
子という生き方」
(2012 年1月)をお読み
いただけただろうか.
浅輪さんは,さいたま市障害者協議会
会長であり,知的障害のある娘さんの母
親でもある.2001(平成 13)年に3市が
合併しさいたま市が誕生,さいたま市障
害者施策推進協議会で初めてお目にか
かったと記憶している.歯切れよく発言
され,小柄だがエネルギーに満ち,存在
感のある人という第一印象だった.推進
協議会での浅輪さんの発言は,埋もれが
ちな障害当事者の声やニーズを検討の俎
上に乗せようという意思が明確だった.
その後,さいたま市での学習会の企画
や,障害者自立支援法が始まって,応益
負担の軽減を求めるさいたま市への請願
署名行動など,さまざまな場面で行動を
ともにさせていただくようになった.
個人的なことになるが,私の母とほぼ
同世代であり,ずっと気になる人でも
あ っ た.本 誌 の「家 族 に 注 目」 の コ ー
ナーの第1回は浅輪さんに登場していた
だいた.そこで浅輪さんの人生の一端を
伺い,障害のある子の母としてだけでは
なく,1人の女性として,そして,障害
のある人への支援者としての実践録をま
とめられないかと思うようになった.
浅輪さんをよく知る人たちと編集会
議を開いたり,何度か聞き取りをさせて
いただいた.結局,女性編集者の草分け
的存在でもある浅輪さんは,ご自分の人
生,その後障害のある娘さんを抱え,仕
事と育児の両立に悩みつつ,障害のある
人を支えるという新たな仕事に出会い,
邁進してきたその道のりを書きおろして
くださった.
歯切れのよい浅輪さんの語り口と同
様,小気味よい書きぶりの文章が届き,
改めて本づくりの醍醐味を実感した.
編集の仕事は,人との出会いが出発点
となり,さまざまな人との共同作業で本
や雑誌を生み出していく.浅輪さんは,
編集や執筆の仕事から,障害当事者や家
族と出会って,障害者支援の仕事に軸足
を移すが,その双方の仕事の芯には浅輪
さんを熱くする共通のエッセンスがあっ
たのではないかと思う.
好奇心旺盛,人が好き,おかしなこと
には黙っておれない正義感,必要なこと
には躊躇せず取り組む行動力,そんな浅
輪さんの泣き笑いの人生が,そのエネル
ギーが,周囲を動かしていったのではな
いか.道なき道を切り開き,障害のある
人の権利を1つ1つ獲得していく.そこ
に浅輪さんを取りまく重層な人の輪がで
きていったのだと思う.
―71―