合気道小話「試合」 群馬杉武館代表 杉本 久 合気道は試合というものがない。審査演武というもので昇級や昇段の試験を受ける。 試合があった方がよいかどうかは意見の分かれるところであるが、試合というものを やればルールを決めなければならないし、ルールというものは格闘技の種類や指導団体 や国際間で取り決めなければならず、組織力の大きい方が有利に規則を決められる。 一般論で言えば、体が大きくて力の強い人が有利になるので、体重別にランクを分けた り、年齢別や男女別でルール分けをしなくてはならなくなる。 その点、合気道は、試合がないからルールなんて決める必要はない。 体の大小も関係ない。体が大きい方がすべて有利とは限らないのだ。 なぜなら体が大きいと「的」が大きいから、攻撃範囲が広まって不利ということも考え られるし、逆に小さければ攻めるのは困難となるだろう。 ゴルフでピンそばにつけても、なかなかホールアウトできなくて苦労したことがあるで しょう? 合気道の演武にも、半身半立ち技というのがあって、 「仕手」は座っており、 「受け」は 立って攻めてゆく。受けにしてみると的が小さいから攻めづらく、座っているのにミズ スマシのように滑らかに動かれると、とにかくやりづらいのだ。 試合の勝敗によっては相手との確執が生じ、怨恨が残る場合も出てくる。 勝つことによってごう慢になり、負けることに寄って自信を失うことも考えられる。 それらの勝敗をバネにして人生を送るのが武道やスポーツなのだろうが、未熟な若年時 にどれだけ判断できるだろうか? それらのキビが解るのは、ずっと人生を送ったあとにしみじみと理解できるものなのだ。 試合形式をとらないと、勝ち負けにこだわらずにすむので、おおらかな気持ちで臨める。 合気道が「和の武道」と呼ばれる所以である。 しかしそうとはいえ、合気道を試合形式に取り入れた先生たちもいる。 とみき 合気会富木流の富木先生がそれで、その大会を日本武道館で見たことがある。 柔道や空手のように審判が旗を上げて判定するもので、試合する当人たちは一方がゴム 製の短刀で突きを入れて行き、ルールで決められた相手の然るべき部分に当たると旗が 上がる。他の一方は素手で対応し、相手の繰り出してくる短刀をさばいて、合気道の技 で押さえ込んでしまえば勝ちらしい。 しかしながら、喩え短刀が急所に入らなくても、本物の短刀であれば、あれだけ手足や 身体に傷をつけられたら、私など出血多量で戦意喪失してしまうに違いない。 養神館からも試合形式を取り入れて、一派を興した人がいる。 元、養神館の師範であった櫻井文夫先生である。 先生は東京の八王子に、実践合気道「合気道S.A」というのを創設され、その第一回 の記念大会に私も招待を受けた。 試合は体重別に分かれていてトーナメント制で行われたが、まだこの時点ではルールが 確立されていなかったようで、試合途中に「待て」が入り、櫻井先生が審判たちをその 場で集めて、ひそひそと相談をし、「只今のは…」などと会場に説明していた。 それだけルール作りは難しいのだ。 その後、櫻井先生はビデオを作成したり、武道雑誌に案内を発表しているようだから、 元気にやっておられるに違いない。
© Copyright 2024 ExpyDoc