時代に生き、 歴史を支えた 人びとの姿を読みとる 歴史の舞台に、人びとの姿が見えるとき、生徒は身を乗り出して考えはじめる 綿花に水をやる百姓の姿から、 綿花が村を変え、 社会を変える動きを読みとる 第 2 章 (6)家族と別れる防人の歌 ムラに住む人びとの悲しみと祈りから、奈良 時代、律令制を考える 第 3 章 (6)市に集まる人びと 真っ白にはじける綿花には、農具の工夫と、金で買う 市に集まる男女、旅する人の姿に、荘園と都 肥料が必要だった。 をつなぐ人と物の流れが見える 村では、 糸紡ぎと機織りがはじまり、 問屋が生まれる。 第 4 章 (7)村に入ってきた秀吉 着物を変え、船の帆を変え、漁師の網を変える。 検地役人を迎える人びと、戦国の世の終わり やがて、 米づくり中心の社会のしくみに変化を起こす。 を村から考える 第6章 (1)アメリカの大地に生きる トウモロコシを育てる北アメリカ先住民、民 主政治の源流を読みとる 第7章 (7)民衆がつくった憲法 林業と養蚕の町の青年たちの姿に、自由民 権運動の息吹を聞く 帯を売る女性、 油を売る商人の姿に、 都と村の新しい動きを読みとる 1 底ぬけタンゴ □ 〈大蔵永常『綿圃要務』八尾市立歴史民俗資料館彩色〉 (2)綿花と底ぬけタンゴ あな おけ 2 底ぬけタンゴの桶〈八尾市立歴史民俗資料館蔵〉 □ ̶産業の発展̶ おけ ▶穴のあいた桶 かわち わた さいばい 河内(大阪府)の村々では,17世紀末には,綿の栽培がさかんになり ひゃく しょう ひ がん ました。水田を綿畑につくりかえる百姓も多くなりました。秋の彼岸 ま のころになると,村は,はじけた綿の実で一面真っ白になります。 ち いき 綿を育てるには,多くの水と肥料が必要でした。この地域の百姓は, く ふう 綿に水をやるために,独特の桶を工夫しました。桶の底に十円玉より大 5 つつじょう きめの穴をあけ,筒状の布をたらします。この桶を, 「底ぬけタンゴ(担 かつ ぼう あぜ 桶) 」とよびました。百姓は担ぎ棒でかついで,畦の間を歩き,桶の中 なえ せん い 3 綿の花と綿花 □ (綿のタネを包む白色の繊維) にある棒を引き上げてせんを開けて水をやります。綿の苗がのびはじめ たころは,葉をなでるように水をかけ,大きくなると根元にかけました。 じんぷんにょう しもごえ ほ ほし か , 百姓は,肥料に人糞尿(下肥 )や,イワシをゆでて干したもの( 干鰯 ) しぼ 10 しめかす ニシンから油をとった絞りかす( 〆粕 )を買い,大量に使いました。下 く じゅう く り はま き い ,〆粕は 肥は町から,干鰯は九十九里浜( 千葉県 )や紀伊( 和歌山県 ) 1 さまざまな職業〈『 七十一番職人歌合』(模本)『三十二番職人歌合絵巻』東京国立博物館・東北大学附属図書館蔵〉 □ え ぞ ち 蝦夷地(北海道)から運ばれてきました。 (11)職人歌合の世界 めん か ▶綿花は村を変える て ま 綿づくりは,手間や肥料代がかかりますが,上手に育て,天候にめ ぐまれれば,米をつくるよりずっと多くの現金収入が得られます。村 4 糸車〈菱川師宣『和国百女』国立国会図書館蔵〉 □ ̶産業の発展と惣村̶ じょう ず めん し おび おうぎ ■ 帯と扇のネットワーク 15 ちん かせ きぬ おり もの の女性は,糸車で綿をよって綿糸をつくる賃稼ぎをしました。豊かな 京都の絹織物は,中国から輸入したものに次ぐ高級品でした。 き いと そ その原料の生糸も, おもに中国から輸入していました。生糸を染め, 118 ぬの あきな 布に織るのは,女性の仕事でした。織った絹織物を手広く商う女 おび ざ かめ や ご い じょ はん い けん 性もいて,帯座の亀屋五位女は,京都の広い範囲で,帯を売る権 り 利をにぎっていました。 5 ほ てい や げん りょう に 扇づくりも,女性の仕事でした。布袋屋玄了尼は,3人の女性 おうぎ ざ おさ をやとい,自分も扇をつくっていました。彼女は扇座の長として, はん ばい けん 京都での販売権の半分をおさえていました。扇は,暑いときあお ぐだけでなく,行事のときにも,しばしば用いられました。有名 え し ね だん な絵師が絵をかいたものには,高い値段がつきました。また,中 ちょう せん 7 人びとの姿から こう えき とら 国や朝鮮に数多く輸出され,朝鮮との交易では,扇5本が,虎の まい あさいと つむ みんしゅう 2 麻糸を紡ぐ女性/民 衆の衣服は麻だった。 □ こうかん 皮1枚と交換されています。 ぜに か ▶銭が行き交い、栄える京都 10
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