海と私 H16年卒 松原 顕次 学生時代は上級生の先輩方や OB の先生方には多大な支援をいただき無事現役を終える ことができました。ヨット部の今年 50 周年の記念すべき年を OB のひとりとして迎えるこ とができヨット部関係者の皆様方に感謝申し上げます。 私が大学に入学したのは H10 年です。ヨット部に入部し、4 年生のときには順天堂大学 が主管をする東医体を経験することができました。主管の売り上げでセールナンバー JPN4070 を買い、翌年の東医体ではその艇に乗ることができました。しかし、結果は伴わ ず団体戦の成績は 10 位でした。当時、前後の世代と比べてしまうと決して良い成績ではあ りません。そして現役を引退後、2 年で順天堂大学が東医体、団体戦 4 連覇を行う時代が来 ることを当時は全く予想すらしていませんでした。 思い出されるのが、ヨット部員として活動をしていた学生のころは楽しいことばかりだ ったということです。経験することがすべて新鮮で、楽しいこと驚かされることが本当に 多かったとおもいます。まず、ヨット競技が高校までの一般的なスポーツの常識とは全く かけ離れていて驚かされました。驚いたことの 2 番目は六本木に新入生歓迎会で行くこと でした。そのほかにも様々な今にしてみればたいしたことがないものが学生の私には驚き の連続でした。 そんな楽しかった現役を終えたときに、気にしなければいいのですが自分の東医体の成 績をなんとなく思い出してしまうことがありました。そして、ヨットに対して挑戦したい という気持ちが心のどこかで残り続けることになりました。そんな私は、心にくすぶって いる感情を消そうとしてか、ヨットと同じ原理が通用するマリンスポーツのウインドサー フィンに挑戦するという手段を見つけました。ウインドサーフィンはプレイする場所もヨ ットと同じ江ノ島でした。ウインドサーフィンでは江ノ島ヨットハーバーの向いがわにあ るビーチから出艇します。夏には海の家が建つビーチです。ヨットほど沖にでることはあ りませんでしたがウインドサーフィンで出艇をするたびに学生のヨットを眺めることがで きることもあり、ヨットをしていたときと同じように海と自分の技術に挑戦する気持ちを 持つことができました。ヨット部の現役を終えて大学を卒業した私にはぴったりのスポー ツに運命的なものを感じたこともありました。ウインドサーフィンを始めたそもそものき っかけはヨット部の成井先輩がウインドサーフィンをしていたことでした。成井先輩はも ともと東医体でチームを組んでいたこともあり、それ以上に友人としての付き合いが濃厚 だった人です。そんな成井先輩と毎週朝1から真っ暗になるまで練習を続けました。部活 を思いだすかのような楽しくてストイックな練習だったと思います。ふたりのウインドサ ーフィンの技術は瞬く間に上達しました。15m/秒はある強風で、うねる波にもまれながら 江ノ島から逗子のビーチまでのロングトリップを経験したことも何度かあります。また、 マリンスポーツのメッカである静岡県御前崎のビーチに挑戦もしました。その後はハワイ のマウイ島やエジプトのダハブといった世界を代表するマリンスポーツスポットに出かけ ていきウインドサーフィンを楽しみました。 ウインドサーフィンにすっかり夢中になっていた私と成井先輩はヨット部卒業生の後輩 にウインドサーフィンの勧誘を行いました。ヨットを卒業してからも海を通して培った友 情の輪は再び海を通して拡がっていくと信じていたからです。しかし、ウインドサーフィ ンはヨットと原理が非常に似ているとはいえ独特のテクニックがあることと手軽ではない こともあり想像以上に海の仲間を増やすという思惑はうまくいきませんでした。そして、 私たちはどのようにしたら仲間が増えるだろうかと考え、ジェットスキーの購入に踏み切 りました。場所はやはり江ノ島です。ジェットスキーなら学生時代に取得した小型船舶免 許さえ失効していなければ特別なテクニックがなくてもすぐに乗れます。そして、ジェッ トスキーは仲間を増やすという効果がすぐにみられました。すでに、濱田君・伊藤君をは じめとし、他にもヨット部の仲間が集まっています。彼らと再び江ノ島の海でマリンスポ ーツを始めることができ、至福の時を感じることができました。 ヨットを通して身体を鍛えて、仲間たちと交流するというのが自分にとってかけがえの ないものであったことを今あらためて感じます。現役を離れて仲間たちと少し距離を置い たとき、学生のヨット部時代が幸せだったと強く感じるものだと思いました。そして現在、 私にとって、どのような形でも海、ヨット部と関わっていくことが楽しいことであると確 信しています。
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