初等教育教員養成課程美術専修二年 西本 きよら (平成27年4月から約

初等教育教員養成課程美術専修二年
西本 きよら
(平成27年4月から約一年間、官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学 JAPAN~日本代表プログラ
ム~」第2期生としてカンボジアに留学中)
【はじめに】
はじめに、このレポートに書く内容をとても悩みました。海外に興味を持ってもらえるような内容や
カンボジアの思い出話や「トビタテ!留学 JAPAN」制度の魅力を伝える内容など、書きたいことはたくさ
んあります。しかし、ここでは私が最も伝えたいことを中心に書きたいと思います。
私が一番伝えたいことは、「生きる意味」です。これは決して堅いことでも難しい話でもありません。
また、私の生きる意味が必ずしもみなさんと同じなわけでもありませんし、強制する気も全くありませ
ん。この2ヶ月の間に、このことについて新たに考えさせられたのでレポートしたいのです。
【なぜカンボジアで学びたいのか】
私は今、美術教育と美術による支援のあり方をカンボジアで考えるために一年間留学をしています。
カンボジアと私の関係は、
元をたどれば私が 12 歳の頃に次兄が東南アジアに旅に行ったのをきっかけに、
カンボジアは私が死ぬまでに行きたい国の一つになりました。そして大学一年のときの近代芸術の授業
ではじめて、ポル・ポト政権の時代にカンボジアの文化人や知識人が虐殺されたことを知りました。「文
化が一旦ゼロになった。」そう聞いて、美術が大好きな私はその国の実態や真実を知るべくカンボジア
に去年2回行きました。
すると、確かにマーケットで売られている絵は機械的で、学校には美術の授業はもちろんなく、美術
館もありませんでした。しかし、私が子どもたちに似顔絵を描いてプレゼントするとみんなキラキラし
た瞳で私が描く線を真剣に見つめ、とびきりの笑顔で喜んでくれました。
さらに、嬉しいことに「文化がゼロ」ではなかったのです。戦争がまだ終わらない中で日本の友禅染
職人がカンボジアの伝統織物復興で人々や村を興し、活性化させていたのです。無償で美術を教えてい
る日本人女性もいました。
いつの間にかカンボジアという国から、文化や美術が人や社会にとってどれほど大切なものかを教え
られていました。そのため、私はこうして今カンボジアで学んでいるのです。
【カンボジアでの活動、様々な出会いと体験】
カンボジアでの活動は大きく 4 つです。
①カンボジアで芸術や教育を使って支援をしている団体や個人の元で支援の方法などを学ぶ。
②学校や孤児院に行って美術・図工教育実践をしながら、カンボジアに合った教育方法を研究する。
③カンボジアのアーティストやアートプレイスに出会いに行き、これからのカンボジアのアートについ
て考える。
④フィールドワークやホームステイなどを通してカンボジアの生活や人々のことなどを知る。
カンボジアに来て今日で2ヶ月が過ぎました。たくさんの出会いがありました。
首都プノンペンのイオンモールに行く道の狭い小道に貧しい人々が暮らしている場所があります。そ
こで、ある女性と出会いました。46 歳の彼女は戦争で家族全員殺されたそうです。何の力も持っていな
い私に、涙を流しながら自分の事について話してくれました。体が悪い彼女は韓国人からもらった車椅
子に座って裁縫や編物をしてなんとか生計を立てています。
正直、初めは彼女のことを信じることができませんでした。貧しいと言ってお金を騙し取られるかも
しれないと思っていました。騙されないように、殺されないようにといつも考えます。しかし、本当に
怪しいと思うまで彼女の事を知りたいと思いました。3回目の訪問のとき、私は彼女と一緒に絵を描く
ことにしました。すると近所の子どもたちや女性がやってきてみんなで絵を描きました。彼らは黙々と
真剣な顔で自分の好きな村の風景やお花やアンコールワットを描いていました。その時間があったこと
で私は彼女を信じることができました。本当に依存したり騙したりする心があるならダンボールにクレ
ヨンで真剣に何枚も絵は描かないでしょうから。
非常に貧しい村の近くにある学校にも授業をしに行きました。村人は体が悪い人が多く、栄養不足の
ために髪の色が抜けた幼い子どもが道に力なく座っていたりします。ここには筏船に乗って川を渡って
いきます。川を渡るのは乾季には気持ちがいいですが、雨季には激しい流れで渡ることが非常に大変で
す。村には首の高さまで水位が上がります。そのため、継続して支援をすることが困難な環境にあるの
です。
しかし、ここの学校の子どもたちはとても元気で明るいです。私は子どもたちが普段触っている土を
使って絵を描く授業をしました。土絵の具を作ってダンボールに友達の顔を描くのです。テラコッタ粘
土、水、腐食土、絵の具や炭を自分たちの手で混ぜて作った土絵の具で、大きく友達の顔を手のひらで
描きます。子どもたちはみな絵を描いたことがなかったのに、驚くほどのセンスを持っています。初め
て触るテラコッタ粘土の感触や色の美しさに子どもたちも先生もキラキラした眼差しで学びます。しか
し、もし誰も彼らに何かを教えたり伝えたり能力を引き出さなければ、誰も、彼ら自身もそのことを知
らぬまま成長して低賃金の労働環境で働き、最悪は飢えていってしまいます。貧しい村でもなんとか環
境を作って継続して図工教育ができるようにしたいと思いました。この村に出会ったことで、環境や自
然と共存できるような美術図工教育を研究したいと思うようになりました。
カンボジアの映画監督、コンテンポラリーダンサー、工芸職人、美術家を目指す学生やゴミで服を作
ることを勉強している学生とも出会いました。全員に共通している思いがありました。それは、
“確かに戦争でたくさんの人が悲惨な目にあった。あの過去は変えられないし、もちろん忘れてはいけ
ない。向き合わなければいけない。しかし過去ばかり見つめず未来を作っていくことがわたし達にはで
きる。”
ということです。 文化は戦争には壊せないのです。次世代が、若い力が新たな文化を作り上げていくこ
とができるのだと強く再認識しました。
【カンボジアで感じた「生きる意味」】
プノンペンで1ヶ月が過ぎた頃、私は熱中症で 3 日間倒れていました。夜眠れないほどの高熱になり、
朝には熱が引いた為シャワールームに行くと吐き気と手足のしびれとめまいが襲い、意識がなくなって
しまうのではないかという状態になりました。必死でベッドに横になると意識が戻り、たまたまゲスト
ハウスのオーナーが私の部屋を横切ったので助けを求め病院に連れて行ってもらいました。このとき、
もし私がお金もなく、海外旅行保険にも入っていなくて、人もあまり来ないようなところに住んでいた
らと考えると本当に怖いものでした。この期間に初めて日本が恋しくなりました。家の手作りジュース
が飲みたい。美味しい家庭のご飯が食べたい。友達に会いたい。そのようなことを考えてしまい何度も
泣きました。
しかし、ホームシックは意味が無いと思い、すぐに未来のことを考えました。一週間後に実践したい
活動のこと。6月に行く孤児院の子どもたちのこと。これからお世話になる受入機関先でのこと。この
留学の自分のミッションをどのように達成していくかということ。すると、心がわくわくした気持ちで
溢れてまた涙が流れました。学びたいという意欲が、自分の生きる喜びになっていると体全身で感じる
ことができました。
今まで出会ったどの子どもも若者も、何かを学びたいという意欲が大変強く、驚かされます。孤児院
の子どもも学んだことを応用する力を持っています。学ぶことは生きる上で大きな力を持っていて、学
ぶ場所、学び合う仲間、学びを表現・応用する場所がある「学校」という存在がどれだけ人々に重要か
が分かりました。なんのために学ぶのか。それはひとりひとり違います。私は、教育次第で困難に打ち
勝つ力を持てると信じています。政治や歴史に左右されないで生き抜く力をつけることができるはずで
す。
なんのために生きるのか。どのように生きていきたいか。そして、そのための学びを自ら手に入れる。
それを手に入ることが簡単ではない人が大勢いる中で、自分の置かれた環境をどう生かしていくか。海
外に行かなくとも、国内でできることもたくさんあります。生きる目的ができたら、私達はきっとたく
さんの手段を持っていて、それを使うことができます。私はそれが重なりに重なって、今カンボジアと
いう「場所」でトビタテ!留学 JAPAN という制度を「活用して」、美術教育や美術でできる支援のあり
方を研究する「生きる意味につながる学び」に至りました。
そして、この 20 年間と 10 ヶ月でたくさんの人に支えられました。人との出会いは私を精神的にも成
長させ、生きる目的にいくつもの道を作ってくれました。人との出会いで私の人生が作られています。
これは、人間関係がいつも良好というわけではありません。今でも後悔していることもあるし、大学で
孤独な気持ちになったこともあります。それでも生きる目的のために前進し続けることで、新たな出会
いがたくさん生まれ、必ず自分の人生に不可欠な人々になっていきました。ありがたいことに、このよ
うにして私は人に恵まれてきました。その人々のおかげで夢が生まれ、意思が生まれていきました。人
もまた人に生きる意味を与えてくれます。
残りの留学期間約 8 ヶ月、そしてこれからの人生もいつもこうして私は生きていきます。
生きる目的は何ですか。
そのための手段は何ですか。
場所はどこにしますか。
誰としますか。
人生を自ら作っていくことができる幸せな環境をどう生かしますか。
最後に、長くなりましたが、私は決して高みから発しているわけではないということをどうか分かっ
てください。計算は得意ではないし、不得意なことは多く、いつも本当に分からないことだらけでいま
す。どうかこれを読んでくれた人が「すごい」という他人事の言葉で終わらず、自分の意見を心の中で
私にぶつけてくれることを望みます。
残りの留学期間も、今まで出会った人たちに恩返しができるほどに学んできたいと思います。
子どもたちのセンスに毎日驚きます!
お寺の孤児院にて出前図工授業
現地で出会った女性や子どもたちとお絵描
土絵の具をみんなで作って友達を描きまし
きタイム
た
(平成27年6月現在)