「サウンド・オブ・ミュージック」が史実と違う?

リリオだより
雑学シリーズ 114
ドイツと類似した点の多く、親類同士のような関係の両国です。
2015/7/21
「サウンド・オブ・ミュージック」が史実と違う?
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前号で書いたように「エーデルワイス」の歌は、地元オーストリアでは人気
がない。
「サウンド・オブ・ミュージック」というミュージカル自体も知らない人
が多い。どこが気に食わないのか?不思議でしようがない。
今回はこのことについて考えてみたいと思います。
「エーデルワイス」の歌は、ドイツに侵略されて消えゆく祖国オーストリア
オーストリアで生れたモーツアルトは、自身の手紙の中で「れっきとしたド
イツ人として」などと繰り返し書いているので、自分は「ドイツ人」と自認し
ていたようです。また、ヒトラーはオーストリア出身であるし、ユダヤ人の絶
滅政策で有名なアイヒマンもオーストリア人でした。
ナチスに併合される以前のオーストリアは、自由で民主的とはほど遠いシュ
シュニック政権というファシズムの独裁政権で、ナチスと同じようにファシズ
ム体制に反対する民衆を弾圧していました。
「サウンド・オブ・ミュージック」の物語は、実話をモデルにしていますが、
を想い、オーストリアの象徴としてエーデルワイスを愛でて歌っている歌、と
映画の中で「エーデルワイス」を熱唱したトラップ大佐という人物は、実際は
考えるのに、我々日本人には何の違和感もありません。
シュシュニック体制の支持者でした。
ところがオーストリアの人たちには、当時のオーストリアの現実と全く異な
るものであることに違和感を持たれているらしいのです。
よそ者のアメリカ人が考えたフィクションに過ぎない。アメリカ人が勝手に
捏造した架空の「オーストリア愛唱歌」だから、愛せないし歌えない。何をお
節介なことをしてくれるのか!
主義者かのように見えますが、ファシズム体制同士の権力争いに負けただけで、
亡命するしかなかったのです。
彼は一家で亡命する道を選びますが、
「♪すべて山に登れ」に歌われているよ
うな7人の子供たちと共に、アルプスの山を徒歩でスイスまで逃避行するよう
その心理は分かんでもないけれど、それでも私は納得できません。
音楽は世界共通のものです!
映画では、トラップ大佐は一見するとナチスの支配に抵抗して亡命した民主
いい歌なら国境を越えて歌われています。
サウンド・オブ・ミュージックが史実と違うというが、それはどういうことか?
な現実離れの行動はしていません。一家は鉄道でスイスに亡命しています。
原作はオーストリア人のマリア・フォン・トラップさんによる自叙伝「トラップ・
ファミリー合唱団物語」です。
それは、当時のオーストリアが、積極的にナチスドイツに加担していた、と
この自叙伝は、
「サウンド・オブ・ミュージック」より 9 年前の 1956 年に、西ド
いう史実があります。この古傷に触られたくない潜在的後悔の意識がオースト
イツで Die Trapp-Familie(日本では「菩提樹」)という題名で映画化されてい
リアの人たちの中にあり、
「サウンド・オブ・ミュージック」が国民感情を逆撫で
ました。もちろん中で歌われている歌は全く異なりますが、ドイツ語圏の国で
することになってしまっている、らしいのです。もう少し深く考えます。
は「サウンド・オブ・ミュージック」の不評とは対照的に、この映画は、1950 年
代で最も成功した映画といわれています。
ナチスドイツがオーストリアを武力で強引に併合してしまったのではなく、
同じ原作による二つの映画なのに、この差は何なのでしょうね?
オーストリア国民の大多数が併合に賛成していたのです。
だから作品の描かれているようなナチスは悪者という意識は、当時の状況と
してはなかった。つまり史実と違っている、というのです。
オーストリア人の「サウンド・オブ・ミュージック」に対する思いとは裏腹に、
この映画でザルツブルグは有名になり、映画のロケ地を巡るツアーが人気で、
そもそもオーストリアという国はゲルマン系言語であるドイツ語を母語とし、 今でも莫大な観光収入を地元に落としています。
亀岡弘志(記)