「講演要旨」

日本の金融の歴史と
預金保険システム・金融制度
2015 年 6 月 15 日
預金保険機構 理事長
三國谷 勝範
1
1 自己紹介 ··························································································4
2 日本の金融危機時を通じてなされた四つの政策 ······································4
3 バブルの生成と崩壊後の日本の金融史 ··················································5
(1) バブルの生成と崩壊 ······································································5
(2) 日本の金融危機 ············································································6
① 不良債権問題の発生と金融機関の破綻 ············································6
② 住専問題 ···················································································6
③ 金融危機の深化 ··········································································6
④ その後 ······················································································7
(3) リーマンショック ·········································································7
(4) 東日本大震災 ···············································································9
① 被災者、被災地域に対する弾力措置、便宜供与································9
② 決済機能の確保 ··········································································9
③ 市場機能の維持 ··········································································9
④ 金融機能強化策 ··········································································9
(5) アベノミクスの時代 ······································································9
4 銀行の再編、不良債権処理等 ···························································· 10
5 セーフティネットの構築の歴史 ························································· 11
(1) 預金者保護と金融機能の維持 ························································ 11
① 黎明期:1971 年-預金保険制度発足(保護限度額 100 万円、74 年に 300 万
円に引き上げ) ·················································································· 11
② 限度額の引き上げと資金援助方式の導入:1980 年代-金融自由化への対
応、1986 年に預金保険の保護限度額を 1000 万円に引き上げ・資金援助方
式の導入······················································································ 11
③ 全額保護、住専処理法と金融三法 ················································ 12
④ 1997 年 11 月の連続破綻と公的資金 ············································· 12
(2) 借り手対策 ················································································ 12
① ブリッジバンク構想と特別公的管理制度 ······································· 12
② 制度の恒久化とペイオフ ···························································· 13
(3) 決済機能の維持と決済用預金制度・ペイオフ解禁 ···························· 13
(4) 金融システムの安定を図るための金融機関等の資産及び負債の秩序ある
処理制度 ························································································ 14
(5) 住専処理の終結 ·········································································· 14
(6) 預金保険制度の変遷 ···································································· 14
6 わが国の資本参加法制······································································ 15
2
(1) 各種の法制 ················································································ 15
① 金融機関組織再編促進法 ···························································· 15
② 金融機能強化法の創設 ······························································· 15
③ リーマンショックと金融機能強化法 ············································· 16
④ 東日本大震災対策の中での金融機能強化法 ···································· 16
(2) 小括 ························································································· 16
7 預金保険機構の業務について ···························································· 17
8 おわりに ························································································ 18
(1) ポジティブサイドとネガティブサイドの同時進行性について ············· 18
(2) 金融システムと実体経済は車の両輪 ··············································· 19
(3) 国際化と IT 化 ············································································ 19
(4) 横断化 ······················································································ 19
(5) 本質と変わらざるもの ································································· 20
3
1 自己紹介
(1) ご紹介いただいた三國谷です。まずもってお招きいただいたことに多謝。
ベトナムとわが国は 2007 年に EOL を行うなど、長い間お互いに友好関係を維持
し、助け合ってきた。今般、ベトナムとさらに MOU を結ぶことができる運びに
なったことは、光栄なことである。今後さらに両国の協力関係が発展していくも
のと思う。
(2) 私は、この 3 月に預金保険機構の理事長に就任した。もともとは、1974 年
に大蔵省に入省し、2000 年の金融庁発足と同時に金融庁に移籍した。2011 年の
東日本大震災の対策を講じた後、同年 8 月に退官し、預金保険機構に勤務するま
では東京大学の教授を務めていた。
金融庁時代の私の主な仕事の一つは、金融セーフティネットのシステムを構築す
ることであった。今日、そのシステムを運用する立場になったことには、何かの
縁を感じる。
(3) サブプライムローン問題の顕在化からはや 8 年、リーマンショックからはや
7 年である。グリーンスパン氏は、今次の世界的金融危機を 100 年に 1 度の信用
津波と言った。しかし、日本はその前にわが国独自の金融危機を経験していた。
わずか 10 年ほどの間に 2 度の金融危機を経験したほか、東日本大震災も経験し
た。
私は、たまたまその時期、金融行政に従事してきたし、個人としては、この間、
金融関連法案の企画立案に携わってきた。本日は、そういった経験に基づき話を
したい。
2 日本の金融危機時を通じてなされた四つの政策 1
(1) 金融危機時を通じて、金融行政は四つの分野に取り組んできたと私は整理し
ている。
① 個別の金融機関の破綻処理や不良債権問題への取組
② 各般の金融セーフティネットの構築
③ 将来も展望した各般のインフラ構築
④ 消費者保護や利用者利便への取組
(2) 1998 年の国会以降、衆参両院で可決成立した金融関連法案は 100 本近くに及
ぶ。この数は、金融当局を含めた金融関係者の取組姿勢だけで説明できるもので
はない。わが国金融システムを取り巻く環境の変化が、いかに激しいかを物語っ
1
『一つの金融法制小史 第 1 回』
(2012.10.29)金融財政事情 67 頁。
4
ている。経済社会の発展、国際化と歩調を合わせて金融の空間も変化・拡大して
いる。この趨勢は今後とも不変と思われる。
3 バブルの生成と崩壊後の日本の金融史
(1) バブルの生成と崩壊
① バブル経済(1980 年代)
銀行の貸出は増加、企業・家計の債務は増大、地価・株価は上昇した。日本の
資本市場は発行市場だけではなく、セカンダリーマーケットも著しく発展してき
た。
一方で、株式市場が活性化する局面では、勢い余り、様々な市場のアビューズ
行為が頻発することも世の常でもある。この時期、日本の資本市場でも、リクル
ート事件、インサイダー事件、個別株式の乱高下など、様々な事象が生じていた。
このため、インサイダー取引規制制度の創設、株式の大量保有報告書制度の創設、
公開買付制度の見直しなど、資本市場に関する様々な制度の改革が行われた。世
界の中でのわが国の資本市場という長期的展望の中でも取り組まなければならな
い課題群であった。
おりしも、日本では、初めての消費税が導入される時期とも重なっていた。い
ろいろな意味で、日本は一つの分岐点にさしかかってもいた。
② バブルの崩壊
一転、1989 年末をピークに株価は急激に下落し始めた。土地をはじめとする資
産の価格が大きく下落し、経済全体のバランスシートが痛み始める。バランスシ
ート調整問題は、産業や経済全体に共通するものであったが、なかんずく、金融
機関にリスクが集中していた。
また、それまで、経済の右肩上がりを前提としていたわが国経済の諸システム
は、経営や行政のあり方も含めて発想の転換が求められることともなった。
③ しかし、人間の営みとして、転換に適切に対処し、その効果を挙げるまでには、
相応の時間がかかる。私は、次の三つのラグがあることに常に留意しなくてはな
らないと考えている。
一つは認識ラグである。物事のトレンドが変化した場合においても、それが単
なる表面的なサイクルに属する事象であるか、それともトレンドの根本的な変化
であるかを認識するまでにはある程度の時間がかかる。
次に、対策ラグである。事象を認識したあと対策を打つまでにはまたいくばく
かの時間がかかる。制度や法律の改正を要するものであればなおさらである。地
道な取組を要するものであれば、それ自体が相応の時間を要する。
さらに、効果ラグがある。それらの対策の効果が現れるまでには、また相応の
時間を要することがある。
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これらを総合すれば、平時の備え、予見、スピーディな実行といえ、ごくごく
普通の課題に結びついていく。言うは易く行うは難しい普遍的な課題である。我々
は、これらのタイムラグが存在することに留意し、それを少しでも短くするよう、
有事・平時を問わず努めることが大事だと思っている。
(2) 日本の金融危機
① 不良債権問題の発生と金融機関の破綻
バブル崩壊後、不良債権問題が深刻になり、1991 年から金融機関の破綻も始ま
った。当初は救済金融機関が現れやすい状況にあった。譲り受けた資産の稼動、
譲渡益を含めた救済金融機関の対応や関係者の支援などにより、預金保険機構か
らの資金援助がペイオフコストの範囲内にあっても、預金は全額保護された。
しかし、金融システム全体の余裕が乏しくなっていく中で、救済金融機関は容
易に現れなくなってくる。このため、1994 年の二つの信用組合の破綻に際しては、
新たな救済金融機関の創設も行われた。このとき創設された金融機関は、後に整
理回収銀行(RCB)となり、現在は、預金保険機構の子会社の整理回収機構(RCC)
として、回収困難債権の回収業務などを行っている。
② 住専問題
1990 年代半ばには住専問題が顕在化した。金融機関等を母体とする住宅金融専
門会社が、多額の不良債権を抱え経営危機に瀕し、1995 年暮れには、6850 億円
の公的資金の投入を含む住専問題処理の閣議決定が行われた。
翌年の国会において、6850 億円の公的資金の注入をめぐって熾烈な議論が行
われた。そのときの通常国会の議論は、ただ一点住専処理問題であった。関与者
の責任、行政の責任論も含めて、壮絶な国会審議となった。このときの国会は「住
専国会」とも言われる。爾後、金融システムに対する公的資金の注入する議論は
タブーとされるような状況にもなった。
③ 金融危機の深化
日本において公的資金投入の議論が再び行われるようになるのは、日本の金融
危機が、さらに一段深化したときである。住専処理後も、日本の金融システムは
不安定な状態が続き、1997 年 11 月には三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券の
連続破綻があった。
私自身は、当時大蔵省証券局にいて、三洋証券と山一證券の破綻処理の一部に
参画した。これだけの規模の金融機関の破綻が続くことは過去に例がなく、状況
は緊迫した。
このような状況を背景として、再び金融システムに対する公的資金投入の必要
性の議論が行われるようになった。預金取扱金融機関に対する公的資本注入に関
する制度が翌年の国会で議論され成立した。これを受けて、21 行に対して 1 兆
6
8156 億円の資本注入が行われている。
この後、金融部局のうち、検査・監督部門が大蔵省から分離し、1998 年 6 月
に金融監督庁が創設された。また、この日を狙うかのように、日本長期信用銀行
に対する市場のアタックが熾烈化した。過去の経験から、預金取扱金融機関の破
綻処理に際しては、預金者保護のみならず借り手対策の必要性の議論も行われる
ようになり、ブリッジバンク構想等が議論されるようになった。参議院選挙では
野党が多数を占め、衆議院と参議院では多数政党が異なるという事態にもなって
いた。異例の真夏の国会審議は「金融国会」と言われるようになった。最終的に
は、議員立法により、新たなセーフティネット制度の構築や、公的資金注入制度
ができあがった。
このとき、私は大蔵省金融企画局の担当課長であり、盛夏の中、連日這いずり
回った。このときの経験は、今でも鮮明である。金融国会終了後まもなく、日本
長期信用銀行と日本債権信用銀行が破綻した。
現実世界は、予め破綻制度がきちんと整備されていて、それに基づく危機対応
が粛々と行われるわけではない。一方で目前の個別処理をしながら、一方では実
戦のさ中にリアルな制度の構築作業が行われる。国民感情、責任問題等、議論は
熾烈を極める。今日、リーマンショック後に世界各国で見られた現象である。デ
ジャヴー感がある。
また、制度が整備されていない時代にあっては、危機回避のために裁量的な行
政手法も採らざるをえないときがある。これがまた、後世批判されることともな
る。これらの経験を踏まえ、平時のうちに制度を整備し、有事に備えておくこと
が重要であるというのが実感である。
④ その後
2000 年には、金融部局のうち、企画部門も金融監督庁に合流し、現在の金融庁
が創設された。私は、そのとき金融庁に移籍した。
再三の対策にもかかわらず、日経平均株価はその後もアップダウンを繰り返し
ながら下落基調にあった。この間金融再生プログラムなど、不良債権処理のため
の各般の施策が講じられた。
ようやく日経平均株価が上向き基調になったのは、2003 年のりそな銀行への資
本注入後である。
(3) リーマンショック
日本経済に薄日が射し始めたときに今度はリーマンショックに遭遇した。リーマ
ンショックをめぐる局面の展開は、概ね四段階に整理できると考えている。
① 第一段階は、2007 年夏サブプライムローン問題の顕在化の段階であり、問題
の原因や将来の見通しに関する議論が主に行われた。
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サブプライムローンなどの証券化商品に対する日本の金融機関の直接のエクス
ポージャーは、米国や欧州の金融機関のそれと比べれば桁が一つ少ないものであ
った。
9 月には、当局は日本の金融機関のサブプライム関連商品保有額を公表してお
り、日本の金融機関の抱えるサブプライム商品関連リスク総量に関する不透明感
を払拭した。
また、金融担当大臣の下に「金融市場戦略チーム」が組成され、問題の原因と
将来見通しに関する検討が行われた。同チームの二回にわたる報告書は、その内
容とスピードにおいて、高いレベルのものであると思っている。
② 第二段階は、2008 年 9 月のリーマンショック後である。各国とも経済の底割
れ防止のための臨時異例の措置を採った。この頃は、金融システム全体の脆弱性
に関する議論が主に行われている。
日本の金融庁においても、9 月 15 日の米国リーマン破綻の際、間髪おかずに、
わが国のリーマンブラザーズに資産の国内保有命令や業務停止命令をかけ、対策
に乗り出している。
リーマンショック後、経済の底割れ防止のため、各国において臨時異例の措置
が講じられた。わが国の場合、金融機関のサブプライム関連商品の保有額が少な
く、金融システムへの直接の打撃は米国や欧州に比べれば相対的に少なかったが、
為替や実体経済を通じて大きな影響が生じ、株式市場は危機の発端であった米国
や欧州よりも下落し、これがまた金融機関への自己資本に影響を及ぼすこととも
なった。国債レポ市場も混乱した。また、社債・CP 市場は機能不全の状態とな
り、これが貸出市場への逼迫にもつながっていった。
これらの事態に対応するため、わが国においても、金融システム全体のリスク
テイク能力を高めるための各般の措置が講じられることとなった。
③ 第三段階は、各国の対策により事態が小康状態になったときである。ここでは
危機の再発防止対策や、金融規制の再構築の議論が行われた。バーゼルⅢなどで
ある。私も、当時の白川日本銀行総裁とともに、バーゼルⅢ交渉に参画した。日
本は、過去の独自の経験をもとに、金融と実体経済の好循環が必要であり、過度
な規制の急激な導入よりも漸進的なフェイズインを主張し、これが最終合意に反
映されていった。
④ 第四段階は、その後から現在につながる段階である。EU はなお回復に時間が
かかっており、一部の国において、財政危機と金融危機の複合現象が起きている。
米国ではさらに独自の規制の動きがあり、その影響の大きさから、各国も対応に
追われている。バーゼルでは、さらに各般の規制導入の議論が行われている。
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(4) 東日本大震災
2011 年 3 月 11 日、日本は東日本大震災に遭遇した。金融行政面では次のよう
な対策が講じられた。その東日本大震災では、私どもは概ね次の事柄について対
策をとっていった。時系列的にも大体以下の順である。
① 被災者、被災地域に対する弾力措置、便宜供与
第一は、被災者、被災地域への弾力対応、便宜供与策である。通帳やカードを
紛失した場合でも弾力的な預金の引き出しができるようにしたり、災害による手
形の支払いの不如意に対する弾力対応などである。これにより、致命的な問題に
なったという話は聞いていない。
② 決済機能の確保
第二は決済機能の確保である。現地への日銀券供給は、車両の確保、通行許可、
ガソリンの確保など、極めて泥臭い地道な作業の積重ねである。
枢要な決済計算センターへの電力供給確保は、エネルギー関係者への説得と理解
を得ることが必要であった。
③ 市場機能の維持
第三は、市場機能の維持である。いろいろなルーマーが乱れ飛ぶ中で、震災か
ら 3 日後の月曜日に市場は通常通り開くとともに、マニピュレーション対策の徹
底を図ることを、日曜日のうちに大臣談話で明言した。
④ 金融機能強化策
第四は、経済全体のリスクテイク能力の強化策である。政策金融機関や日本銀
行による市場への流動性供給策、借り手のリスクテイク能力向上のための諸施策
のほか、金融機関のリスクテイク能力の強化策も図られた。金融機関自らも被災
者となっていたが、金融機関は復旧復興を支える存在でもある。このための政府
による資本参加制度の充実などが図られた。
金融システムの中から生じる有事と、自然災害から生じる有事ではおのずから
その性格や対策が異なってくる。しかし、いずれにも共通するのは初動の重要性
だと思う。有事の際には、後から振り返るのとは異なり、その時点で得ている情
報は少ない。初動では、いかに速やかにできる限りのファクトファインディング
をできるかが大きいと思う。そのうえでの瞬時の決断ということになる。リスク
への対応それ自体が何らかの形で別のリスクをとるものでもある。しかし、それ
は避けるものではなく、乗り越えなければならないものだと思う。
(5) アベノミクスの時代
これらの試練を経た後、わが国は現在アベノミクスの局面を迎えている。金融
行政や政策においても、成長貢献のための様々な取組が行われている。日経平均
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は 2 万円を超える水準になっている。新たな展開に応じた対応が進められる必要
がある。
4 銀行の再編、不良債権処理等
(1)このような金融史の中で、1990 年代から都銀・地銀など多くの金融機関に
おいて、破綻のほか、統合・再編も行われ、現在に至っている。
1990 年頃、協同組織金融機関を含めれば 1000 を超えていた預金取扱金融機関
の数は、現在では 600 強になっている。
また、1991 年以来、当預金保険機構が手がけた破綻処理件数は 180 件を超え
る。最近では、日本振興銀行の破綻処理が行われ、初めてペイオフが実際に発動
された。
(2)その原因となる金融機関の不良債権については、1990 年代以降、様々な取
組が行われてきた。
① 一つには情報開示の強化がある。不良債権の開示範囲の明確化、拡大のほか、
自主的開示から法令による義務付けへの変更などが行われた。貸出債権の評価の
厳格化や企業会計基準の整備なども行われた。
② また、1998 年には自己資本比率という客観的な指標に基づいて講じられる早
期是正措置制度が導入されたほか、2002 年には自己資本比率に反映されない指数
等についてもモニタリングする早期警戒制度も導入された。
③ 不良債権処理についても様々な方針が採られた。
2001 年には、一定の不良債権について、既存のものは 2 年以内、新規発生分
は 3 年以内にオフバランスするとする「2 年 3 年ルール」が導入された。また、
2002 年には、一定の不良債権について、1 年以内に 5 割、2 年以内に 8 割を処理
することとする「5 割 8 割ルール」が導入された。
2002 年 10 月の金融再生プログラムでは、2 年後に主要行の不良債権比率を半
分程度に低下させることとされた。この施策は果敢に進められ、目標は前倒し達
成された。この間、2002 年と 2003 年には、金融庁による特別検査が実施された。
(3)一方、実体経済との関係についても注意が払われた。
地域金融機関の不良債権処理については、主要行とは異なる特性を有するリレ
ーションシップバンキングのあり方の問題として整理された。
リレーションシップバンキングとは、地域金融機関や中小金融機関などにおい
て、クライアントとの長期的な取引関係に基づいたきめの細かい金融仲介機能を
発揮しようとするものである。今日では、地域密着型金融として、さらにその地
道な展開が期待されている。
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(4)不良債権処理については、まず、資産の適正な査定、次にオフバランス化、
そのうえでの資本注入の順で進めていくことが大事である。日本は、時間はかか
ったが、このプロセスを入念に繰り返してきた。今次の世界的金融危機において
は、最終的に資本注入により解決されるケースが多かったと記憶しているが、そ
の前の二つのプロセスについてはそうとは言い切れない。適切な資産査定とその
オフバランスがなければ、金融システム問題の根本的な解決につながらないとい
うことに留意すべきである。
5 セーフティネットの構築の歴史
日本の金融セーフティネットは、このような日本の金融危機の深化の中で進化
してきた。セーフティネットの構築は、伝統的には、預金取扱金融機関、保険会
社、証券会社毎に分野で行なわれてきたが、最近では横断的な仕組みも整備され
始めてきている。ここでは、預金保険制度による預金取扱金融機関のセーフティ
ネット構築に絞って説明をしたい。
セーフティネットの機能については、現状次の四点に整理され、これらの機能
は、以下の順で概ね時系列的に整備されてきていると思っている。
① 預金者の保護
② 善意かつ健全な借り手に対する金融仲介機能の確保
③ 決済機能の確保
④ 金融システム安定のための秩序ある処理
(1) 預金者保護と金融機能の維持
① 黎明期:1971 年-預金保険制度発足(保護限度額 100 万円、74 年に 300 万
円に引き上げ)
社会経済の高密度化と金融の国際化への展望と、その中での金融効率化の必
要性という背景と視点がある。今日に連なる流れである。その中で、預金者保
護と金融機関保護を分離し、金融危機の際には預金者に対して直接的に保険金
を支払う預金者保護制度が導入された。ただし、この段階ではまだ、預金保険
制度の実際の発動にはいたっていない。
② 限度額の引き上げと資金援助方式の導入:1980 年代-金融自由化への対応、
1986 年に預金保険の保護限度額を 1000 万円に引き上げ・資金援助方式の導入
金融機関の自己責任原則と信用秩序の維持の要請の調和が一層の課題となっ
た。金融機能の維持という観点からは、金融機関の破綻の際に預金者に保険を
支払う方式よりも、救済金融機関に対して相当額を援助する方式が望ましいと
いう考え方から資金援助方式が導入された。以後の破綻処理は、基本的にはこ
の資金援助方式によってきている。
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③ 全額保護、住専処理法と金融三法
1990 年代、東邦相互銀行の破綻(1991 年)を皮切りとして預金保険制度が
実際に発動されるようになった。その後も、破綻の数、規模とも増大するとと
もに、住専問題の顕在化など、わが国の金融システムが揺らいできた。
このような状況の中で、1995 年 6 月、当時の大蔵省から「金融システムの機
能回復について」という考え方が公表され、5 年間、2001 年 3 月までは預金を
全額保護する方針が打ち出された。その理由として次の三点が示された。
‐預金者に損失の負担を求めることについての国民的なコンセンサスが当時は
未だ形成されていなかったこと。
‐金融機関が不良債権問題を抱えており信用不安を醸成しやすい状況にあるこ
と。
‐ディスクロージャーが実施過程にあり、預金者に自己責任を求める情報が提
供されていないこと。
1995 年の末に住専問題処理方針が閣議決定された。6850 億円の公的資金の
投入をめぐる世論や国会審議は極めて厳しかった。今次の世界的金融危機後の
各国の公的資金に対する感情と同一なところがある。
この住専対策のときに、その処理のため、預金保険機構の抜本的な改組と機
能の拡充が行われた。今日の預金保険機構の組織は、実質的にこのときに淵源
を持つ。その後の金融危機の進行の中で、預金保険機構の役割は一層重要なも
のになってきた。
1996 年の国会では、預金保険法の改正も行われた。不良債権の 5 年以内の早
期処理を行うこととし、それまでの間の時限措置として、預金を全額保護する
こととした(2001 年 3 月まで)。
④ 1997 年 11 月の連続破綻と公的資金
しかし、状況はますます厳しくなってきた。1997 年の 11 月には、三洋証券、
北海道拓殖銀行や山一證券等の連続破綻があった。このような情勢の下、金融
システムへの公的資金投入の必要性の議論が再び高まった。預金保険法改正が
行われるとともに、金融機能安定化緊急措置法が成立し、預金取扱金融機関に
公的資金投入の途が開かれることになった。
(2) 借り手対策
① ブリッジバンク構想と特別公的管理制度
しかし、その後も、厳しい状況が続いた。一方で、これまでの現実の破綻の経
験の中で、破綻処理に際しては預金者の保護のみならず、善意かつ健全な借り手
に対しても配慮が必要ではないかという考え方が強くなってきていた。
1998 年 6 月、金融監督庁が大蔵省から分離した。日本長期信用銀行に対する
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市場のアタックも激烈化してきた。このような情勢の下、米国の制度などを参考
に金融仲介機能をも考慮するブリッジバンク制度の検討が進み、夏の臨時国会に
法案が提出された。
国会審議は連日の激烈なものであったが、最終的には議員立法により、金融再
生法、預保法改正、金融再生委員会設置法、金融早期健全化法が成立した。
このときに、臨時措置ではあるが、金融整理管財人制度、ブリッジバンク制度、
特別公的管理制度、資本注入制度などが整備された。このとき制度の骨格は今日
の制度につながっている。
金融国会終了後、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻し、両行には特
別公的管理制度が発動された。特別公的管理制度とは、金融危機対応会議の議を
経て、債務超過になった銀行の株式を一気に公有化するものである。株式は預金
保険機構が取得する。
② 制度の恒久化とペイオフ
その後、特例措置終了後の預金保険制度及び金融機関の破綻処理制度のあり方
について、当時は大蔵省の審議会であった金融審議会において、ペイオフの解禁
も含めて精力的な審議が行われた。1999 年の答申を受けて、2000 年の国会には
預金保険法改正案が提出され、可決された。これにより、
金融整理管財人、ブリッジバンク、特別公的管理など各種制度の恒久化が行わ
れた。
2001 年 3 月までとなっていた預金全額保護を、その時点では 2002 年 3 月まで
延長し、ペイオフ解禁を 2002 年 4 月とするとともに、流動性預金については 03
年 3 月まで全額保護とすることとした。
(3) 決済機能の維持と決済用預金制度・ペイオフ解禁
① 2000 年改正により、預金者保護、善意かつ健全な借り手対策については相当
の制度整備が進んできたが、預金取扱金融機関の中核的機能の一つである決済機
能については、いまだ検討にとどまっていた。
2002 年 7 月、当時の小泉首相から、「ペイオフは予定どおり実施すべきである
が、一方、決済機能の安定確保のための方策を検討し、必要な改革案をまとめる
ように」との指示がなされた。
2002 年 10 月の「金融再生プログラム」においては、決済用預金を 2005 年に
導入、それまでの間不良債権処理の加速と預金者の不安感払拭のため、ペイオフ
の完全実施を延期することとされた。
これらの流れを受けた検討と制度の構築が精力的に進められ、決済用預金制度
が 2005 年 4 月から導入されることとなった。無利子、要求払い、為替取引等に
利用されることの三要件を満たす決済用預金と、仕掛中の特定決済債務は全額保
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護されることとなった。
② この流れを受け、ペイオフについては、定期性預金については 2002 年 4 月か
ら、流動性預金を含めた全体については 2005 年 4 月から解禁されることとなっ
た。
2010 年 9 月には、日本振興銀行の破綻処理において初めてペイオフが発動さ
れることとなった。
(4) 金融システムの安定を図るための金融機関等の資産及び負債の秩序ある処理
制度
今次の世界的金融危機は、21 世紀型金融危機と言われるものであった。市場発
の危機であり、証券化商品を通じて危機は瞬時に世界中に伝播した。
リーマン・ブラザーズ等インベストメントバンクのほか、モノライン問題や AIG
等、預金取扱金融機関以外の金融機関も金融システム危機の発火点となった。
このような経験を経て、FSB 等において、実効的な破綻処理枠組みの検討が進
んできた。
この流れの中でわが国においても、2013 年に預金保険法の改正が行われ、
「金
融機関の秩序ある処理」の枠組みが導入された。世界的金融危機を経て、預金取
扱金融機関のみならず、保険会社・証券会社等を含む金融セーフティネットシステ
ムの構築が目指されている。
(5) 住専処理の終結
1996 年の住専処理にあたり住専処理は 15 年内を目途として完了するとともに、
生じうる二次損失については、政府と民間が二分の一ずつ負担することとされて
いた。
この方針どおりに、2011 年 5 月に改正預保法が成立。住専勘定は廃止された。
15 年に及ぶ住専処理に幕を閉じた。日本の金融危機の克服の一つの象徴であると
思う。
(6) 預金保険制度の変遷
以上のポイントを預金保険制度の方法論という観点からまとめれば次のとおり
である。
・1971 年:預金保険制度の発足
・1986 年:資金援助制度、仮払金支払制度の導入
・1996 年:預金等全額保護の特例措置の導入
特別保険料の設定等保険料率の引上げ
預金等債権買取り制度、預金者代理制度の導入
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信用組合に対する公的資金の途
整理回収銀行
・1998 年:預金取扱金融機関に公的資金の途
整理回収銀行の業務拡大
・1998 年:善意かつ健全な借り手対策、金融危機対応措置
(金融整理管財人、ブリッジバンク、特別公的管理銀行)
整理回収機構(住宅金融債権管理機構と整理回収銀行の統合)
・2000 年:各種制度の恒久化
・2002 年:定期性預金のペイオフ解禁
・2005 年:特定預金の全額保護が終了
決済用預金と特定決済債務は全額保護
・2013 年:金融システム安定のための金融機関等の資産及び負債の秩序ある処理
・2015 年:保険料率の引下げ
6 わが国の資本参加法制
(1) 各種の法制
金融システムと実態経済は車の両輪である。両者の状況に応じて、不良債権処
理が喫緊の課題となることもあれば、金融仲介機能をはじめとする金融機能の維
持強化が重要な課題となることもある。金融仲介機能の強化については、状況に
応じ、金融政策や政策金融で行われることもあるが、民間金融機関の体力強化に
よる金融機能強化により、その後の実体経済との相乗作用を通じて、経済全体の
好循環につなげていくという手法も開発されてきた。
このような観点から、セーフティネットとしての公的資本注入とは別の流れと
して、より前向きに金融機能強化等の観点から国が金融機関に資本参加するとい
う法制も整備されてきた。
① 金融機関組織再編促進法
2002 年、金融システムを取り巻く環境が変化していく中で、わが国金融機関は、
収益性の向上と経営基盤の強化が求められるようになってきていた。合併等の組
織再編はそのための有力な手段の一つであるが、合併等によって自己比率が低下
することになる金融機関も生じうる。その際、低下した自己資本比率を回復する
ために必要な金額について国が資本参加する仕組みが 2012 年に構築された。
② 金融機能強化法の創設
2004 年、わが国の金融機関が金融機能を十全に発揮していくためには、企業再
生や不良債権処理問題への対応など、リスク対応への体力を高めることが適当で
あるという金融機能強化の観点から、政府の資本参加制度として、2004 年に「金
融機能強化法」が制定された。
「金融再生プログラム」にその沿革を持つものでも
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あった。
③ リーマンショックと金融機能強化法
2008 年、リーマンショック後、日本においても、資本市場は干上がり、預金取
扱金融機関に対する借入れ需要も急激に高まった。一方、金融機関のリスクテイ
ク能力も減退の懸念があった。経済全体のリスクテイク能力を高めるための様々
な措置がとられる中で、金融機関についてもリスクテイク能力の向上策として金
融機関の資本増強措置が再び課題となった。そこで、2008 年までの申請を対象と
していた金融機能強化法の申請期限を 12 年 3 月まで延長するとともに、状況に
対応して申請条件の緩和などを内容とする金融機能強化法の改正が行われた。実
質第二次金融機能強化法である。
④ 東日本大震災対策の中での金融機能強化法
東日本大震災後、地域の復旧・復興のために金融機関が担う役割は大きかった。
しかし、今次の災害では金融機関自身も被災者であった。このような情勢の下、
地域における面的な金融機能を維持強化するとともに、預金者に安心してもらえ
るよう、再度の金融機能強化法の改正を実施した。申請期限を 17 年 3 月末まで
延長、震災特例 2制度も設けられた。
さらに、今次の災害の特徴として、特に沿岸部の協同組織金融機関については、
営業地域のほぼ全域が被災するというところもあった。また、これらの地域の金
融機関こそ、災害からの復旧・復興のために地域を支える存在でもあった。この
ような実情に応じた地域の金融機能強化を図るため、協同組織金融機関等につい
ては、国と中央機関が共同して資本参加を行なう枠組みを設けることとし、これ
らの活動の結果資本が大きく毀損したような場合においては、預金保険の資金を
活用しうるようにする制度も設けられた。
(2) 小括
金融機能強化法による国の資本参加制度は、歴史の中で資本参加の条件も変遷
してきた。これは、
「経験の蓄積」と「資本参加のニーズの違い」の二つに由来す
ると思われる。
① 一般に、民間の経済活動に対して国が介入することについては、公正性、効率
性、モラルハザードの問題がある。このため公的資金の投入に際しては、厳格な
要件が付されることが多い。金融機能強化という前向きな施策の場合でも同様で
ある。他方、厳格な条件を付すことが利用の抑制を招き、かえって全体の効率性
を損なう場合もある。
2
東日本大震災の影響により自己資本の充実が必要となった金融機関については、国の資本
参加に際して経営責任が問われないことを明確化すると供に、収益性、効率性当の向上の
ための具体的な目標は求めない、など。
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② 一方、現実の金融機能強化法のあり方は、金融機能強化策が必要とされる背景
により自ずから異なってくる。わが国においては、立法の必要性の由来に応じ、
国の資本参加の条件が変遷してきた。
当初の金融機能強化法は、わが国の金融システムからの内発に由来する現象に
対応するものとして措置された。
第二次金融機能強化法は、リーマンショックという、海外に起因する金融シス
テム危機に対応するものとして措置された。
震災版金融機能強化法は、金融システムの外の自然災害に対応するものとして
措置された。
それぞれ状況は異なる。背景の違いに応じて、経営者の経営責任などの資本参
加の際の条件が異なってくることは合理的と思われる。
③ もう一つには、長い金融危機対応の中での公的資金活用の経験の蓄積である。
かつて、セーフティネットシステムの中で注入されてきた公的資金は、その後国
の利益が伴う形でその相当部分を回収されてきた。日本の金融危機の克服の歴史
は、これらの施策が結果を伴うものであったことを物語る。
④ これらの経験の蓄積と状況の変化の中で資本参加法制は進化してきた。背景、
理論、実践の相互作用の中で、制度の意義、評価、受容度も異なってくる。各国
の制度には、そのたどってきた歴史が反映されると思う。
7 預金保険機構の業務について
最後に、近時の預金保険機構の業務について一言述べる。
① 今日、日本の金融システムは、例えば格付け一つを見ても、世界の中でも安定
していると位置づけることができると思う。しかし、今日のこの状況は、過去四
半世紀にわたる長い蓄積の上に築かれていることを忘れてはならない。平時は有
事の延長上にあると思う。この四半世紀の日本の金融史は、濃密な歴史が詰まっ
ている時間だと思う。
② 過去の時間が濃密なものであるとするならば、これからも同様であると思われ
る。取引の高速化、複雑化、国際化などの拡張、IT 発展等による革新など、今後
ともますます新たな展開が予想される。リアルタイムは即時のグローバル化でも
ある。平時が有事の延長線上にあると同時に、有事はまた、平時の延長線上にも
あるとも言える。金融システムを取り巻く環境は日進月歩で変化していく。どの
ようなシステムであっても、とどまったままでいることはできないというのが実
感である。
③ 預金保険機構の責務は、備えていることにあると思われる。セーフティネット
は、整備を怠らず、そのうえで発動されないような状況であることが一番望まし
い。日本のことわざには「備えあれば憂い無し」というのがある。
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④ セーフティネットのシステムは、信用秩序の維持への大きな役割を果たす反面、
現在国際的な議論が行われているように、モラルハザードの問題も回避する必要
がある。金融システムの崩壊を防ぎ経済を支えるという要請と、金融システムの
規律の維持という要請の合一点を見出す努力を常に続けていく必要がある。
⑤ わが国の預金保険制度は、1990 年代は主にアメリカの仕組みを学びながら整
備してきた。アメリカでは、1929 年危機や S&L 危機などを受けたセーフティネ
ットの制度整備が進んでおり、多くの学ぶべきものがあった。
しかしながら、日本の金融危機が深化するにつれ、わが国独自の仕組みも開拓
する必要が生じてきた。現実世界では、金融危機の深さとセーフティネットの整
備度は相関する。今次の世界的金融危機の中で、各国は新たなセーフティネット
を急ごしらえした。その相当部分は既に日本では経験済みというものが多かった。
現在、日本のセーフティネットシステムは世界で最も洗練されたものの一つだと
思っている。残念ながらそれは、過去の日本の金融危機の深刻さを物語っている
と思う。
8 おわりに
最後に、金融制度の傾向について、私が個人的に感じていることを若干申し添
えて結語としたい。
(1) ポジティブサイドとネガティブサイドの同時進行性について
過去の私の経験に照らすならば、長期的視点に立ったインフラの改革と、破綻
処理などのネガティブサイドの対策は同時並行的に行われる。
過去において、住専処理対策や、公的資本増強制度などのセーフティネット構
築のための法案整備と、現在の日本の金融制度の羅針盤となった金融システム改
革、いわゆる金融ビッグバンとは同じ時期に行われた。
別の例として、1996 年の当分の間の預金全額保護方針の決定の理由の一つにデ
ィスクロージャーが整備段階にあることがあげられた。企業会計基準の大改革な
どは、個別の不良債権処理や破綻処理と併せて、この時期、日本版ビッグバンの
一角として精力的に進められていた。
過去も、同一国会において、セーフティネット関連法案と、インフラ整備等金
融システム改革法案が、複数同時に提出され審議された例は枚挙にいとまがない。
近年においても、日本の金融資本市場の強化策が、サブプライムローン問題が進
行する中で行われている。
現実の経済事象の進行は、一つ一つの課題を順序だてて整備することによって
予定調和的に解決されていくものではない。現実世界は、あらゆる事象を同時並
行的に処理していかなければならないことが多い。
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(2) 金融システムと実体経済は車の両輪
金融システムの安定、究極的に経済の安定は、金融と実体経済という車の両輪
の好循環のうえに成り立つ。その時々の情勢によって、不良債権処理が重要な課
題となることもあれば金融仲介機能の維持強化が重要なこともあるが、いずれも
究極の目的が金融システムの安定であることに変わりがないものと考えている。
(3) 国際化と IT 化
国際化と IT 化により、実体経済及び金融の空間がますます拡大している。リア
ルタイム化は即時のグローバル化でもある。
国際化は、一国の行政が国内ルールだけで成り立つことが少なくなり、国際的
アリーナでのルール整備に大きく影響されるようになることをも意味する。今次
の世界的金融危機以降、この傾向が一気に強まった。
IADI 活動も広い意味でその一環としてとらえることもできる。アジア各国はお
互いに支えあうことが重要である。その意味で、今日、ベトナムと日本の間で
MOU を結ぶことができた。かつ、その締結の際に、こうしてベトナムにお招き
いただき、このように皆様の前で講演する機会をいただいたことは、誠に光栄で
あるとともに、大変に大事なことと思っている。今後とも、両国間の結びつきを
強めていくことが極めて重要なことと認識している。
(4) 横断化
滔滔たる経済活動の営みは、クライアントの利便性に呼応して、他分野、他業
種と交わっていき、活動領域がだんだんシームレス化していく。
日本においても、過去には、銀行、証券会社、保険、信託などに分かれていた
役割分担は、だんだん垣根が低くなっていき、それとともにそれぞれの業界固有
の規制が、クライアントと交わる平面において横断化してきた。
わが国の金融商品取引法は、金融機関の行為規制分野における横断化の流れで
あるし、近時整備された預金保険法における秩序ある資産や負債の処理制度は、
セーフティネットにおける横断化の流れでもあると思われる。
かつて、銀行業と証券業の関係を論じた日本の「銀証問題」はいまや、日本語
では同じ発音であるが、銀行と商業の関係を論じる「銀商問題」とも言われる。
現在の金融庁では、決済の観点などからもこの問題への取組が始まっていると承
知している。
横断化により、広く経済活動や行政活動に携わるものに要求されるカバー範囲
が拡大する。金融関係者も既に、各業法の横断的な把握にとどまらず、破産法制、
IT 関連知識、国際性なども要求されるようになった。
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(5) 本質と変わらざるもの
それと同時に、世の中が如何に変化していこうとも、その原点にあるものは不
変かつ普遍であるとも思う。世の情勢がいかに変化しようとも、金融行政の重要
な目標の一つが金融システムの安定であること、預金保険機構の目的が預金者の
保護と秩序ある破綻処理であることに変わりはない。
金融の空間がいかに拡大しようとも、その中心にある金融資本市場の健全な発
展という軸は動かないとも思う。金融システムへの参加者の保護と経済の活性化
策を併せ講じることにより、健全な金融市場を発展させていくことである。
戦後の日本の金融法規のほとんどは、その第一条の目的規定において、顧客の
保護と、金融市場の健全な発展ということが謳われている。預金保険機構におい
ても、預金者の保護というものが常にその中枢にあることについては、多くを申
し述べる必要はないものと思う。
それらの上に、現在の日本の金融システムがある。日本の主要行格付けの相対
的位置付けの変化は、この間の日本の金融史を如実に物語っていると思う。
(以上)
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