現代座レポート No.61 2015年2月1日発行

 ・51年目を迎えた現代座
(1)
・2014年度の主な出来事
(2)
・『約束の水』ものがたり
(3)
・『遠い空の下の故郷』
(4)
・SPレコード雑談会 ・ 緑町ふれあいサロン
(5)
・NPO 現代座を支える人々 第 18 回 桑原重美さん
(6)
・ヨガ教室はじまる 現代座会館・活動日誌
(7)
・全国の仲間から
(8)
NPO 現代座ホームページ http://www.gendaiza.org/
2015 年 2 月 1 日 発行
(通巻 464 号)
51
年 目 で も あ り、
70
月
◆統一劇場の時代
1964年
12
24
集 る 場 所 も な く、 1 9 6 5 年
月
日、
3
70
歳の若者たちは1965年
23
月、 統 一 劇 場 を 結 成。 試 行 錯 誤 を 続 け
平均年齢
多摩丘陵に集まって相談会を開きました。
1
ながら、とにかく生き続けました。
3
とから始め、3年目から本格的な芝居を
持って、全国を巡演するようになります。
けれど、若者たちの志望する道はさま
ざまです。1982年から話し合いを始
め、
﹁ ふ る さ と・ き ゃ ら ば ん﹂
、
﹁ 劇団希
望舞台﹂を設立。それぞれの自由意志で
年目でした。
所属を決め、1985に独立した道を歩
むことになります。創立
*統一劇場全国上演回数
4245回。
1995年、震災ボランティアに参加して制作。
則とし、創造形式を一つに縛らないで再
す。現代座は参加者全員の共生協同を原
を創って支援して欲しいと訪ねてきました。
が 解 散 し た こ と を 知 ら ず、 ぜ ひ 環 境 の 芝 居
と な っ た と き、 諫 早 を 守 る 会 の 人 々 が 劇 団
演劇の舞台は新たに加わった若者たちが
児 童 劇 で 生 き 生 き と 活 躍 し た 時 代 で す。
それがNPO現代座のはじまりです。
の 立 つ 海 ﹄ を 制 作、 全 国 を 巡 演 し ま し た。
東京を離れられぬ在京グループは音楽や そ こ で 有 志 が 集 ま り、 N P O と し て﹃ 虹
出発しました。母親グループは人形劇で、
作座から 人の若者が突如解雇されまし
◆現代座の時代
◆NPO現代座の時代
た。 明日からどうやって生きて行くのか。 残ったグループが後の現代座となりま 1 9 9 7 年、 諫 早 湾 締 め 切 り が 社 会 問 題
日、 職 業 劇 団・ 新 制
に時代と向かい合いたいと思います。
世 界 も 時 代 も 揺 れ 動 い て い ま す。 心 新 た
え ま し た。 今 年 は 戦 後
年目を迎
年目を迎えた現代座
51
2 0 1 5 年、 わ た し た ち は
発行責任者:木村快
〒 184-0003 東京都小金井市緑町 5 丁目 13 番 24 号 TEL 042-381-5165(代) FAX042-381-6987
最初は小集団5班で全国を訪ね歩くこ
*小集会用作品上演回数
*NPO全国上演回数
140回
364回
り、地域を対象とした活動を続けています。
全国公演の主力となり、全体を支えてく 以 後、 演 劇 N P O と し て 自 由 参 加 者 を 募
れました。
年﹃ 風 は 故 郷 へ ﹄
、 1 9 8 8 年﹃ 星 と 波
と風と﹄
、 1 9 9 6 年﹃ 絆 を つ く る 町 ﹄
など、地域の助け合いをテーマにした作
品を作り続けました。
1990年代になると全国的に過疎化
が進み、地域と結びついた公演活動は次
第 に 困 難 に な っ て き ま し た。 中 心 メ ン
バーの高齢化も進み、1998年、阪神・
淡路大震災から立ち上がる高齢者たちの
姿を描いた﹃絆をつくる町﹄の上演を最
年目でした。
後 に、 職 業 劇 団 と し て の 幕 を 閉 じ ま す。
それが創立
環境破壊の 50 年後を描く「虹の立つ海」
全国 175 自治体で上演。
NPO現代座
特定非営利活動法人
20
1 9 8 3 年﹃ 遥 か な る 島 ﹄
、 1985
1965 年 1 月 3 日 の多摩丘陵での相談会から始まる。
*現代座全国上演回数
2262回。
33
1967 年 2 月 18 日 第三種郵便物認可
現代座 通巻 464 号
現代座レポート № 61
クトのメンバーだけでは手が足りない
階段や客席のイメージが暗いとの意
で、 今年は引き続き、 夏に再演する
は市民の間でかなり話題になったの
http://heiemon.org
シニアSOHO小金井「平右衛門プロジェクト」ホームページ
見があるので、もっと明るくしよう
◆『武蔵野の歌が聞こえる』舞台写真、上演の動画はシニアSOHO小金井のホームページで視聴できます。
ので、新たに﹁ 武蔵野の歌が聞こえる
⑥ 1 月、川崎平右衛門プロジェクトは 5 年目を目指す。
2014年度・主な出来事
3P
と言うことになり、今後のこともあ
サポーター﹂が結成されました。
ことになりました。
①大雪の中の﹃約束の水﹄公演 2
( 月 ) シニアSOHOでもホームページで るので思い切って階段をリフォーム そのための活動として、 昨年も一
﹃約束の水﹄公演は、まず稽古中に大
し、客席の椅子も新規に購入しまし
の発信が始まりました。
部の人に読んでいただいた﹃ 武蔵野
雪 が 降 り、 何 と か 雪 か き を し て 初 日 の
た。
の歌が聞こえる・概要 ﹄を誰でも簡
幕 を 開 け ま し た。 と こ ろ が 公 演 2 日 目
③盆踊りチームの編成 8
単に読めるようなブックレットにし
(月 )
⑤﹃武蔵野の歌が聞こえる﹄ 9
に ま た ま た 大 雪。 す っ か り 出 鼻 を く じ
(月 )
﹃ 武 蔵 野 の 歌 が 聞 こ え る ﹄の 稽 古 が
て、普及する活動を始めます。
レポート 号でお伝えしたとお
か れ て し ま い ま し た。 そ れ で も 会 員 の
追い込みになって、平和盆踊りの指導
ブックレットの出版は名古屋の支
り、 5 日 間 の 公 演 で は 間 に 合 わ ず、
皆さんの協力で五日間無事に終了しま
チーム編成の依頼を受けました。舞台
持者田中義二さんが担当してくださ
急遽1公演を追加しました。上演サ
し た。 残 念 な が ら 大 雪 の た め に 来 場 で
出演者は無理なので、急遽、劇団希望
ることになりました。 田中さんは名
ポ ー タ ー の 皆 さ ん が チ ラ シ を 配 り、
き な か っ た 人 が か な り お ら れ、 月 に
舞台の森ひとみさん、西村いずみさん
古屋の協同問題研究会で活動してお
さまざまな集会で訴え、会場を訪れ
追 加 公 演 す る こ と に な り ま し た。 (
の応援を受けて盆踊り指導チームを編
られ、 小さな出版社を経営しておら
る人々を迎えてくれました。
参照︶
成しました。
れ ま す。
﹁ この作品はテーマが協同
②﹁武蔵野の歌が聞こえる﹂
であるだけでなく、 芝居づくりその
⑥2015年の再演に向かって
④階段改修と 7月
上演サポーターの結成 4
(
)
(月 )
ものが市民の協同であり、 名古屋で
ブックレット出版を計画 1月
(
)
4 月 に 入 る と す ぐ﹃ 武 蔵 野 の 歌 が 聞 客席の椅子購入 9
(月 )
も広げていきたいから、 ぜひ出版の
﹃ 武 蔵 野 の 歌 が 聞 こ え る ﹄ へ の お 誘 平右衛門プロジェクトはいよいよ
お手伝いをしたい﹂とのこと。
⑤ 9 月、詰めかける観客を迎える案内サポーター。
60
5年目に向かいます。昨年の公演
④ 9 月、客席の椅子購入。7 月、階段のリフォーム。
い活動が広がる中で、現代座ホールの
③ 8 月、急遽、平和盆踊り応援チーム出発。
12
こえる﹄の上演準備が始まります。
① 2 月、開演中も降り積もる雪、少しでも歩きやすくと。
普及活動の面でも平右衛門プロジェ
②4月、武蔵野の歌が聞こえる上演サポーター結成。
(2)
2015 年 2 月 1 日発行
NPO現代座レポート № 61
(3)
◆廃墟の村で
T市の観光課にミツコと名乗る日系
ブラジル人の若い女性が﹁ 谷山村へ行
配されていた。
囲からはボケてきたのではないかと心
チヨが亡くなると急に無口になり、周
協力を受け、谷山地区へ乗り込む。そ
を連れ戻さねばと、林業作業士竹田の
子啓一と妻よし子はなんとしても父親
山の中に放置している﹂と噂する。息
くなったことを思い出す。そしてまた、
大したため、森が消え、泉の水は出な
時代、多くの村人が戻ってきて畑を拡
生きと語り始める。だが戦後食糧難の
き水を恋しがりながら息を引き取った
が、故郷の村の﹁ 約束の水﹂という湧
からブラジルに移住したミツコの祖母
憶を呼び戻そうと努力していた。三郎
いわれを書いた案内板を立て、昔の記
な畑を耕し、あちこちに集落の特徴や
り、かつて住んだ家を手直しし、小さ
◆約束の水を求めて
転倒し、﹁ もう終わりだ﹂とうなだれる。 息子の啓一が突然﹁ 約束の水を探そ
三郎は抵抗するうちに足を踏み外して
し て 力 づ く で 街 へ 連 れ 帰 ろ う と す る。 人はいなくなった。
きたい﹂と訪ねて来た。戦前に谷山村 三郎はひそかに廃墟の谷山地区に戻
という。ミツコはその﹁ 約束の水﹂を
にとって、村はまだ生きていたのだ。 見かねたミツコは﹁ おじいさんとお
を失っていたのだ。一同はかつての村
う﹂と言い出す。自分たちは大事な夢
◆新しい暮らしが始まる
一目見たいと言うのである。だが、谷
人の集落となっている。かつて谷山村
を終生恋しがったというミツコの祖母
せない。しかし、見捨てられたこの村
いて尋ねられるが、どうしても思い出
詰められていた小石の一つだった。
それは﹁ 約束の水﹂の水受け場に敷き
ブラジルへ持って帰って、おばあさん
が復活していた。ミツコは﹁ この水を
祖 母 の 形 見 だ と い う 小 石 を 差 し 出 す。 ﹁ 約束の水だ!﹂
。 森の奥に小さな泉
の記憶を辿り、泉探しを始める。
で生まれたというミキと靖夫がミツコ
の話を聞き、なんとしても探してやり その石を見つめるうちに三郎はみる
会いできただけで十分です﹂とお礼に
を案内することになるが、泉探しは難
みる生気を取り戻す。自分も戦前、満
山村は今はもうない。T市の山奥の無 三郎はミツコから﹁ 約束の水﹂につ
航する。
たいと思った。
蒙開拓青少年義勇軍に参加し、この小 一同は改めて谷山地区を見直し、三
を言う。
のお墓にかけてやります﹂と一同に礼
◆高齢者と呼ばれて
◆親父を連れ戻せ
郎の経験に学びながら、新しい心の場
ミツコたちは谷山地区で山中三郎と
石をお守り代わりに持って満州へ渡っ
5. 小さい一歩だけれど、村の心がよみがえり始める。
いう老人と出会う。山中三郎は長い間 時 折 姿 を 消 す 三 郎 の 行 方 を 怪 し ん
4. 差し出された小石は、遠い記憶を呼び起こす。
としてよみがえらせようと思った。
3. 三郎は怒りのあまり足を踏み外し、転倒する。
たという。三郎は昔の村の様子を生き
2. 息子の啓一は父親を連れ戻そうとするが
で、街の人々は﹁ 山中の息子は父親を
約束の水
1. ミツコは廃墟の村で一人の老人と出会う。
寝たきりの妻チヨを介護していたが、
*写真撮影 1 桑原重美 2・4 山本幸則 3・5 加賀谷公一
12 月追加公演も無事終了しました。桑原重美さん、山本幸則さん、
加賀谷公一さんが舞台写真を撮影してくださいました。
﹃遠い空の下の故郷﹄
∼ハンセン病療養所に生きて∼
月 日︵日 ︶ 長野県
佐久市
う私の訴えを受け止めてくださって、早
この遺産をどう生かすか
戦時中の紙芝居
年から昭和
雑談会でこれが話題になりました。
トばかり保存されています。年明け
までの戦争中に使用された紙芝居が
現代座の書庫に、昭和
速仏教会の事務局の方と相談してくださ り、秋の講演会の講師に決めてください
ました。
ラ
「 ポール佐久 と
」 いう斎場を会場
に佐久市と南佐久のお寺の檀家の方が
250人ほど集まってくださいました。
て く だ さ っ た 桃 源 院 が あ り ま す。 そ う
ハンセン病の語りを2回もお寺でやっ
く だ さ っ て い る 佐 々 木 都 さ ん や、 こ の
佐 久 市 に は、 昔 か ら 公 演 に 協 力 し て
きました。ありがとうございました。
杯丁寧に語り、いっしょに歌うことがで
ださるご婦人達に支えられて、私も精一
かけつけてくれました。熱心に聞いてく
たが、松本市から今村純二・俶子夫妻も
ことが分かって、話がはずみました。
私と長野市の中学校の同窓生だという
と が で き ま し た。 お 話 し し て み た ら、
の 会 長 の 岡 村 富 子 さ ん に お 会 い す る こ ︵木下美智子︶
い う 方 の お 力 添 え で、 春 に 仏 教 婦 人 会
敗戦、引き揚げの大混乱期、そして教科書
のない時代を通り過ぎました。
﹃ 南 の 棟 領 ﹄は 南 方 戦 線 に 派 遣 さ れ た 大
工さんの話。実はあの戦争では兵士だけで
なく、技術を持った民間人も、軍属として
年
セッ
軍隊の一部に組み込まれていたのです。
年になると﹃ 玉砕軍神部隊﹄
、
﹃山
本五十六元帥 ﹄
、
﹃ ブ キ・ テ マ 高 地 ﹄な ど、
大本営発表の戦況を伝える作品が多くなり
経験をお持ちでした。紙芝居については特
思想が偏っているという理由で投獄された
協会の会長を務めておられました。戦前は
︶から頂いた物です。川崎先生は巌谷
1980
小波門下の児童文学者で、日本児童文学者
いました。母の顔、隣のおばさんの顔、町
やがて玉砕︵ 全滅︶する硫黄島に向かって
わが家もその頃、父が母子5人を置いて、
らも、複雑な気持ちで観ていたでしょう。
出していましたから、強い関心を持ちなが
ます。ほとんどの家庭が肉親を戦地に送り
別にお聞きしませんでしたが、今になって、
の人々のたたずまいなど、いろいろな光景
が目に浮かびます。
これらの紙芝居を見ていると、わたした
ちは何か大切なことを忘れていたのではな
年目であり、平和を考える
節目の年でもあります。あの戦争中だって、
年前までの日本
いかという気がします。
と呼ばれ、小さい大人として扱われた世代
の入学です。
﹁ こども﹂ではなく、﹁ 少国民﹂
木
( 村快
います。
とだと思
)
人の生活の様子について、語れる人は語り、
現代の生
活と突き
ることも
比べてみ
わたしは植民地時代の朝鮮生まれ。戦争
大事なこ
です。4年生から5年生にかけては空襲、
が始まってすぐの昭和
年、国民学校2期
いかにあるべきかを語る紙芝居です。
こ こ に﹃ 奮 へ ふ
( るえ !
) 日本少国民 ﹄
という作品があります。戦時下の少国民は
不安を持って暮らしていました。
日 本 人 は や っ ぱ り、 喜 び、 悲 し み、 恐 れ、
今年は戦後
かと思い返しています。
先生はわたしたちに何を託されたのだろう
援 し て く だ さ っ た 川 崎 大 治 先 生︵
昭和
月の
1902-
て い る 秋 の さ わ や か 講 演 会﹂ に 呼 ん アコーディオンの松本真理子さんの演
「
こ れ は 統 一 劇 場 初 期、 親 身 に な っ て 支
でいただきました。
奏と私の語り、という二人のチームでし
佐久仏教会と仏教婦人会が毎年やっ
18
1 20
16
17
70
16
ハ
「 ンセン病療養所 で
」 生きてきた
女 性 の 人 生 を 語 る こ と で、 皆 さ ん と 差
18
11
別についていっしょに考えたい、とい
70
(4)
2015 年 2 月 1 日発行
東海林太郎と言えば
緑町ふれあいサロン
くて、つい時間をオーバーしてしまいま
で、みんなで自己流に詩吟をうたってみ
す。最近では詩吟を習っている方の先導
名 で す が、 実 は 南 満 州 鉄
﹁ 赤城の子守唄﹂などが有
雑談会は2010年から始まりまし
そして奇数月には、現代座に出演して
SPレコード雑談会
回
道 通
( 称満鉄 に
) 勤 務 し た 時 代、 左 遷
さ れ た 経 験 を 持 ち、 ロ シ ア 革 命 で 亡 命
いる長谷川葉月さんが朗読をやっていま
2014年のSPレコ ード雑談会は
イ ラ イ ︶﹄
﹃ 支那の夜 ﹄な
渡 辺 は ま 子 は﹃ 何 日 君
つことをやりたい、というNPO現代座
地域の人といっしょに、地域の役に立
行 さ れ て い る と 聞 き、 受 刑 者 に よ る 作
刑者がまともな裁判もないまま刑を執
﹁ 日本人にとって満州とはいったい何
人収容所での慰問活動を続けています。
だ っ た の か を 考 え て み よ う ﹂ と 言 う こ ま た、 フ ィ リ ッ ピ ン 戦 犯 収 容 所 の 受
職した方や、どんな人でも気楽に集まっ
年 寄 り や、 子 育 て 中 の お 母 さ ん や、 退
民 生 委 員 さ ん が 世 話 役 で す。 地 域 の お
市の緑町第2町会の女性の役員さんや
ちょうど9月に山口淑
近 所 同 士。 毎 回 顔 を 合 わ せ る の が 楽 し
話してみればすぐ近くに住んでいるご
た め に 満 州 人 歌 手・ 李 香 蘭 と し て 売 り
し て 地 域 デ ビ ュ ー し た ば か り の 方。 病
て も お し ゃ れ を 楽 し ん で い る 方。 退 職
定なのですが、おしゃべりが止まらな
サロンです。
の思いが実現した、小さいけれど大切な
楽しんでいました。
始まると、みんなワクワクして紙芝居を
﹁ 満州 中
( 国東北部 ﹂を
) 考えた年でした。
2月の﹃約束の水﹄の公演を観た後だっ
ど 大 陸 物 の 歌 謡 で 有 名 で す。 中 国 で 軍
再来︵ホーリ・チン・ツァ
た の で、 主 人 公 の 山 中 三 郎 が 満 蒙 開 拓
たり、季節の歌をうたったり。
転レコードの音源が中心です。毎回テー
した白系ロシア人たちとも交流してい
す。 今 年 1 月 は 朗 読 で は な く﹁ 紙 芝 居﹂
年以前の
マ を 決 め、 そ れ に 応 じ た 資 料・ 音 源 を
ます。
﹁ キャラバンの鈴﹂﹁ 国境を越えて﹂
をふたつ。太鼓がドンと鳴って紙芝居が
た。 使 用 す る 曲 は 昭 和
木村快が用意し、コーヒー、紅茶、ビー
などを吹き込んでいます。
毎月第3木曜日にやっている
緑
「町
と に な り ま し た。 満 州 に 関 係 す る 歌 を
詞 作 曲﹁ モ ン テ ン ル パ の 夜 は 更 け て ﹂
て お し ゃ べ り で き る 集 い を や ろ う と、
え ま す が、 自 ら 残 留 を 希 望 し、 残 留 邦
吹き込んでいる田端義夫、 東海林太郎、
を レ コ ー ド 化 し、 受 刑 者 救 済 の た め の
回覧板や口コミで呼びかけました。
いることが話題になりました。
渡辺はま子、李香蘭 山
( 口淑子 を
) 2回
活 動 を つ づ け、 フ ィ リ ッ ピ ン 大 統 領 に
地 図 が 張 り 出 さ れ、 時 に は 満 州 映 画 の
子 が 亡 く な り ま し た。 日
ずつ取り上げました。
現代座2階の和室の壁には昭和8年
ニュ ースなどを織り 交ぜながら、 改め
み に な っ て い る よ う で す。
歳を越え
本人でありながら国策の
出 さ れ、 中 華 民 国 の 裁 判 で 売 国 奴 と し
院で腎臓透析を受けながら駆けつける
ました。
て 死 刑 を 求 刑 さ れ る な ど、 数 奇 な 生 涯
方。毎回 人を越える人が集まります。
年のデ
ビ ュ ー で、 青 少 年 の フ ァ ン
を 送 っ て い ま す。 例 会 で は 主 と し て 李
田端義夫は昭和
が 多 く、 少 年 開 拓 団 の 宿 舎
1時半から3時半までの2時間の予
国語 ﹂)などを聴きました。
香蘭時代の﹁ 紅い睡蓮﹂
﹁ 何日君再来 中
(
90
では﹁ 国境千里﹂
﹁ 蘭の花咲く満州で﹂
﹁黒
竜江の船唄﹂が愛唱歌だったようです。
10
14
てそんな時代があったことを振り返り
最初は初めて顔を合わせた人たちも、
訴え、ついに全員帰国させています。
ふれあいサロン も
」 やり始めて1年以
上 が 過 ぎ ま し た。 現 代 座 の あ る 小 金 井
隊の慰問活動をしていたとき敗戦を迎
78
青少年義勇軍に参加した過去を持って
ルを飲みながらの気楽な講座です。
35
の満州事変記念として発行された満州
NPO現代座レポート № 61
(5)
NPO現代座を支える人々
桑原重美さん
第十八回
記
武本英
之
教 養・ 生 活 情 報 の カ メ
ラ マ ン を 担 当 し て い た。
1991年以後フリ ーカ
メラマン。
1934年東京都生ま
れ。
長 年 N H K で 報 道・
﹁ 現代座 年の歴史映像﹂を
歴史の記録者︱︱そんな言葉がぴったりの人が桑原
歳。
さんである。 現代の歴史を映像カメラを担いで記録し
て い く こ と に 情 熱 を 燃 や し て お ら れ る。 た だ 今
年目を迎える。 数々残る芝居の映像や写真を集
年以上になる。 現代座と知り合った1990年
にとどまらず、上演前の観客の様子、出演者の緊張し
原さんの記録映像の特筆すべき所は、単に芝居の記録
以降、ほぼ全ての上演芝居を撮り続けてこられた。 桑
りは
NHKカメラマンのご出身である。 現代座との関わ
の歴史の映像化に木村快さんと一緒に着手された。
作 し、
﹁ こ れ か ら の 人 た ち に 遺 し ま し ょ う﹂ と 現 代 座
大成して﹃ 映像で観る現代座﹄と題した記録映像を制
今年
その情熱はいよいよ盛ん、統一劇場・現代座の仕事は
80
た表情、スタッフの慌しい仕事ぶりなどがきっちりと
の打ち合わせ風景が写し撮られており、上演への道の 生きた証しとして
りの一端を垣間見ることができる。 さらにカメラを自
シーンであるばかりではなく、第三者の人間が観ても
ら回しながら、インタビューを行い、芝居に関わった 桑原さんの映像記録は、関係者に懐かしい思い出の
人 達 の そ の 時 々 の 声 を 記 録 し て い っ て い る。
﹁ 武蔵野
演に打ち込んでこられたか、この映像インタビューは
ております﹂と率直にお話になっているが、いかに上
さんは﹁ 今日は最後の公演。 明日から何をするか困っ
塚田善久さんのインタビューが収録されている。 塚田
す。﹂と快さんは決意を新たにしている。
これからの人たちのために残さなければと思ってま
て く れ た お か げ で、 良 か っ た こ と も 悪 か っ た こ と も、
分たちではよく判らないんです。 こうして撮っておい
記 録 と な っ て い る。
﹁ 自分たちがやってきたことは自
のうた﹂ では川崎平右衛門プロジェクトのリ ーダ ー・ ﹁ そ う な の か﹂ と い っ た 事 実 を 知 ら し め る 貴 重 な 映 像
切り取って見せる。
こ こ ま で 桑 原 さ ん を 動 か す 原 動 力 は 何 か。
﹁ 快先生
に入れ込んでいるだけです。 演劇のことはよく知りま
悲しみや喜びを共有しようという快先生の理念が好き
ブラジル公演1万キロの旅
桑原さんが現代座と本格的に関わったのは、ブラジ
ですね﹂と桑原さん。 ちなみに桑原さんの一押しの木
せん。ニュースの映像で飯を食ってきた人間ですから。
年目の帰郷と日本の現実を描いた﹁ もくれん
村快作品は地域医療に奮闘する人々を描いた﹁ 朝の風
ル移民
のうた﹂のブラジル公演︵ 1994年︶である。 カメ
都市
に 吹 か れ て﹂
︵ 1992年∼1994年全国上演︶だ
日間、 5州
ステージ、1万キ
ラを担いで、
そうである。
業で、それをスタジオで編集します。 このときは全部
の聖地巡礼。 これはNHK時代、市民大学講座﹁ 沖縄
を続けている。
史と風土に心惹かれ、以後、機会あるごとに沖縄訪問
の歴史と文化﹂で撮影を担当したことから、沖縄の歴
本には当時の日系移民の
武本英之さんは専門紙﹁ 東京交通新聞﹂
※ こ の シ リ ーズ を 担 当 し て い る 筆 者 の
ま で 記 録 さ れ て い る。 一 昨 年 5 月 に は﹁ 友 の 呼 ぶ 声﹂
あります。
の編集局長。 NPO 現代座正会員でも
ら上演本番まで記録されている。
の長野県松本市公演に同行、塩尻、松本の舞台設営か
上演都市の風景から日系ブラジル人の観客のどよめき
者はそれを1本のDVDに編集した﹁ もくれんのうた 年 ︶
、
﹃ 続・ 南 島 の 聖 地 と 祭 り ﹄ 2
( 012年沖縄学研
ブラジル公演1万キロの旅﹂を観させていただいたが、 究所刊︶を出版されている。
︵了︶
貴重な記録映像がぎっしりと詰まっていたはずだ。 筆 写真集とエッセー﹃ 南島の聖地と祭り﹄
、 2
( 006
持 参 し た 1 2 0 分 テ ープ
絶えず不安でした。﹂と振り返る。
一人でやりましたから、音声がきちんと取れているか
日 で し た﹂ と 桑 原 さ ん。
﹁ 現 役 時 代 は 音 声 と 撮 影 は 分 桑原さんの現代座以外のもう一つの関心事は、沖縄
ロ を 現 代 座 の 人 々 と 旅 し て 回 っ た。
﹁ 緊張と不安の毎
15
くわはら しげみ
カメラに収められている点だ。
36
50
最新作の﹁ 武蔵野の歌が聞こえる﹂では、舞台稽古
12
30
51
20
30
(6)
2015 年 2 月 1 日発行
NPO現代座レポート № 61
(7)
号﹂発送作業
月∼1月
活動日誌
月1日﹁ 現代座レポート
現代座会館
日﹁ 緑町ふれあいサロン﹂
60
日∼﹁ 約束の水﹂稽古
日
現代座スタッフ・出演者会議
月5日∼8日
﹁ 約束の水﹂公演
1月
日﹁ 緑町ふれあいサロン ﹂ 日
平右衛門プロジェクト会議
日
愛知書房・田中氏来訪
出版打合せ
日 ブラジルから﹁ ニッケイ新聞﹂深沢編集長来訪
∼
日∼会館東側壁面修理塗装開始。
日 新年会
日
平右衛門プロジェクト 会議
日
﹁ 緑町ふれあいサロン﹂
日﹁ SPレコード雑談会﹂
月 ∼
月 .
劇好﹁ サボテンアミーゴ﹂公演
日
﹁ 希望舞台﹂稽古
日
日
演劇ユニット﹁ チャンぷる﹂公演
月9日
﹁ シアター青芸﹂稽古
月1∼8日
﹁ 約束の水﹂稽古・公演
月 ∼
日
﹁ 約束の水﹂稽古
月3日
﹁ シアター青芸﹂稽古
︻現代座ホール︼
月 ∼
月1日
岡田京子﹁ めだか大学﹂
︻三階小ホール︼
・ ・
・ 日
﹁ 希望舞台﹂稽古
月3日
津田﹁ リトル・コンサート﹂
1月 ・
︻定期使用
二階サロン︼
31
12
毎水曜日
熟年パソコンサークル
隔木曜日
ip a d熟年講座
毎火曜日 東志野香のヨガ教室︵3F︶
毎月曜日
子どもクラブ・バンビーノ
毎日曜日
早稲田ラジオスクール︵学生支援︶
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いる俳優です。
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私がヨガを始めたのは、偶然でした。
膝が悪いのでピラティスをやってみた
い と 思 い、 見 つ け た ス タ ジ オ に ヨ ガ ク
ラ ス も あ っ た の で、 や っ て み た ら﹁ ヨ
ガ の ク ラ ス の 方 が 好 き だ な ﹂ と 感 じ、
続 け て み る と、 悩 ん で い た 頭 痛・ 肩 首
の 慢 性 的 な こ り、 女 性 特 有 の 自 律 神 経
の乱れによる体調不良に効果抜群だっ
たので、ハマってしまいました。
私 が 出 会 っ た ヨ ガ は、 じ っ と ポ ーズ
す る よ り も、 呼 吸 に 合 わ せ て 動 い て い 座布団など、家に有るような物を使って、
る 時 間 の 方 が 多 い も の で す。 普 段、 同 気軽に始められるヨガ教室が実現しまし
じ 姿 勢 で 同 じ 筋 肉 を 同 じ 方 向 に 使 う 事 た。
が 多 か っ た の で、 全 身 の 様 々 な 部 分 を ﹁ 身 体 が 硬 い﹂ な ど の 不 安 で す が、 ヨ
様 々 な 方 向 に 動 か す こ の ヨ ガ は、 私 に ガは、自分の身体と意識︵心︶と呼吸を
合 っ て い ま し た。 ヨ ガ に は た く さ ん の 繋げていくもので、完璧なポーズよりも
種 類 が 有 り、 違 う 種 類 の ヨ ガ だ っ た ら 自分の身体の動かし方を知る事や、それ
続 け な か っ た か も し れ ま せ ん。 こ れ か に よ っ て 感 じ る 事、 が 大 切 で す。 ま た、
ら ヨ ガ を 始 め た い 方、 一 度 や っ て み た 補助する道具を使ったり代替のポーズな
け ど 合 わ な い と 思 っ た 方、 ほ と ん ど の ども研究され、ヨガも進化していますの
ヨガスタジオに体験クラスがあるので、 で、身体の柔軟性はさほど気にする事は
是 非、 い ろ ん な 種 類 の ヨ ガ を 試 し て み ありません。また、私もそうですが、今
て下さい。
は解剖学を勉強し、
﹁ ケガをしないヨガ﹂
﹁ ヨガって凄く効果があるから、やり を目指す先生が増えていますから、ヨガ
な よ﹂ と、 友 人 知 人 に 言 い 回 っ て い る を始めるには良い時期だと思います。そ
と﹁ 身 体 が 硬 い か ら 不 安﹂ の 他 に﹁ ス して、自分のペースで、自分の身体と仲
タジオに定期的に通う時間が無い﹂
﹁ 見 良くなること、他人と比べない、頑張り
学 に 行 っ た ら 皆 オ シ ャ レ な ヨ ガ ウ ェ ア すぎない事が大切です。発売されている
を 着 て い て 気 後 れ し た ﹂ と い う 声 が。 本やDVDなどは、とても参考になりま
自 分 が 教 え ら れ れ ば 手 っ 取 り 早 い の に すが、身体は個々人で違います。ケガを
と 思 い 始 め、 ま た、 ヨ ガ を 知 る 程、 こ しないためと、効率よく効果を得るため
の 有 用 な 情 報 を 皆 で シ ェ ア し な い と 勿 には、初めは先生の指導を受ける事をお
体 無 い と 思 い、 イ ン ス ト ラ ク タ ー資 格 すすめします。
を 取 得 し ま し た。 週 に 一 度 で す が、 現
ぜ
ひ
、
チ
ャ
レ
ン
ジ
し
て
く
だ
さ
い
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代座会館3階で、バスタオルを敷き、
︵東
志野香 ︶
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15
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現代座ホールの階段にて
持ち物 バスタオル 1 枚(床に敷いて使います)または、ヨガマット スポーツタオル(長方形のタオル)1 枚・飲み物(水、スポーツ飲料など)
動きやすい服装
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東 志野香は現代座の舞台に出演して
東志野香 メール [email protected]
NPO 現代座 TEL 042-381-5165 FAX 042-381-6987
お問い合わせ&お申し込み
参加費 1000 円(1 レッスン)
毎週火曜日 10:15 ∼ 11:15(60 分)
初心者向けのクラスです
NPO 現代座 東志野香のYOGA教室
場所 現代座会館 3F(階が変更になる事もあります)
*着替える場所は有りますが、ロッカーは有りません。
全国の仲間から
山崎さんから新米の贈り物
●お申し出があれば、上演舞台の録画DVDをお送りします。
●年間4回発行の活動レポートをお送りします。
●会員による企画行事をお知らせします。
現代座には各地の会員さんが、色々な産物
を送ってくださいます。 昨年は北海道北見市
の信田直哉さんからジャガイモ、北海道赤平
市の青柳省三さんと鷲津信子さんからは茄子
やトマトなどの野菜、北海道八雲町の赤井義
範、睦美夫妻からはサンマ等々、嬉しい贈り
物がたくさん届きました。 そして秋の収穫が
終わる頃、毎年沢山の新米を届けてくださる
のが長野市川中島の山崎清隆さんです。
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★年会費(現代座レポート購読料を含む)
一般会員
3,000 円
協賛会員 10,000 円(1口以上)
郵便振替口座番号 00110-7-703151 NPO現代座
NPO現代座の会員になってください
なにが私たちとの付き合いをここまで続け
させたのですかと聞くと﹁ 金はなく、貧しい
暮らしでありながら、自分の好きなことを精
一杯貫いている姿に﹃ 生き方﹄を学んだ﹂と
言います。 奥様の幸子さんも一緒に活動した
いわば﹁ 仲間﹂でした。
山崎さんは退職した今、お父さんの残した
農園でリンゴやモモを栽培しています。 特に
白桃は絶品です。お米も﹁ 冬期湛水・不耕起・
無農薬﹂という農法で挑戦しています。 冬場
にも水を張った田んぼにはカモたちがやって
来ます。
毎年自然との根比べで、苦労もあるとのこ
とですが、出来たお米はNPO現代座のため
に毎年沢山送ってくれるので、私たちはこの
長 野 県 は 統 一 劇 場 時 代 か ら 公 演 回 数 も 多 ﹁ 山 崎 さ ん の 新 米﹂ を 楽 し み に し て い る の で
く、協力者も大勢います。 今回いつもお世話 す。いつもありがとうございます。
になっている今村夫婦︵ 純二・俶子︶が山崎 ︵今村純二︶
さんのもとを訪ねました。 3年前の﹁ 友の呼
ぶ声﹂長野公演では久しぶりに昔の仲間と実
行委員会に参加してくれました。
山崎さんは長野マラソンに参加したり、日
帰りで八ヶ岳縦走をしたり、フットワークの
軽 い 歳、 ひ と 言 で い う な ら﹁ 気 の 良 い 男﹂
です。
山崎さんは 歳の時、川中島町の青年団体
﹁ サークルつどい﹂に参加しました。
﹁ ひとり
ぼっちの青年をなくそう﹂という合い言葉に
心を動かされたのだそうです。 1970年代
は、まだ地域に支えられる青年団やサークル
が沢山ありました。
﹁ サ ー ク ル つ ど い﹂ が 統 一 劇 場 の 公 演 を 主
催することになり、山崎さんは実行委員会の
一人として公演成功のため駆け回り、統一劇
場とのつきあいが始まりました。
2 月 1 日発行の予定が遅くなってしまいました。まだ今年の公演の日程も決まっていませんが、
「武蔵野の歌が聞こえる」公演の他に、3F小ホールでの 「 語り」などをやりたいと思っています。
(木村快))
編集後記:
(8)
2015 年 2 月 1 日発行
山崎清隆さん(真ん中)と右側・今村俶子、今村純二