﹃武蔵野の歌が聞こえる﹄ 市民プロジェクトが4年がかりで取 心のきずなをつくる劇場 井 が 協 力 し、 制 作 か ら 上 演 ま で、 す べ て市民の協同によって実現しました。 演劇など観たことがないという人が 半 数 近 く あ り、﹁ 現 代 座 の 地 下 に こ ん な 劇 場 が あ る と は ⋮⋮﹂ と 驚 か れ て い ま し た。 現 代 座 が 全 国 公 演 を し て い た 時 の 大 稽 古 場 で す か ら、 中 規 模 ホ ー ル の舞台設備を備えています。 客 席 は 8 0 ∼ 9 0 席 な の で、 す べ て が金銭で成り立つ現代では商業的活用 は 不 可 能 で す が、 肉 声 に よ る 心 の 共 鳴 脚本・演出 木村 快 スタッフ 演出助手 ニシカワダイ 作曲 福沢達郎 木の下敬志・東志野香・長谷川葉月 藤田尚希・中村保好・八木浩司 今村純二・みきさちこ・黒澤義之 出演者 企画制作 木下美智子 宣伝美術 東 志野香 写真撮影 山本幸則・加賀谷公一 ビデオ撮影 桑原重美・森岡甫宏 演出部 服部次郎 衣装製作 柳澤友季子 照明 高橋康孝 寺崎昌広 が 急 遽 9 回 の 上 演 と な り、 全 回 満 席 と 舞台美術 狩野和太郎 なりました。ありがとうございました。 〃協力 照明プラン 渋谷博史 り 組 ん だ 公 演 で し た。 8 回 の 上 演 予 定 全回満員御礼 発行責任者:木村快 〒 184-0003 東京都小金井市緑町 5 丁目 13 番 24 号 TEL 042-381-5165(代) FAX042-381-6987 ఽ া ఽ া ఽ া ఽ NPO現代座 特定非営利活動法人 を 実 現 す る に は 大 変 貴 重 な 空 間 で す。 矢川千尋・松下菊乃︵ピアノ演奏︶ ﹁ 心の共鳴﹂は現代が失った地域コミュ ︻市民参加者︼塚田善久・織壁哲夫 ) া NPO 現代座ホームページ http://www.gendaiza.org/ (通巻 463 号) ニティ文化の原点でもあります。 7 5 5 名 の 入 場 者 の 内 3 4 7 名 の 方 川崎平右衛門プロジェクト が 感 想 を 寄 せ て く だ さ い ま し た。 難 し 大橋元明・桐生悠一・木場征夫 塚田善久・織壁哲夫・環 笑子 田宮和夫・木野主計︵古文書解読︶ い 郷 土 の 歴 史 を、 舞 台 と 客 席 が 一 体 に のはありがたいことでした。 木 ( 村快 なって体験したという感想が多かった ੑ ୳ 五十嵐京子・井爪輝明・今井啓一郎 小川和男・梶間陽一・神田正美 孤島法夫・斉藤 浩・斎藤康夫 嵯峨山康夫・澤田 仁・篠原 煕 新谷友子・高橋金一・蔦谷栄一 蔦谷政子・能勢富美子・福島若葉 渡邊佳子 上演サポーター া ੶ো োৃ ・「武蔵野の歌が聞こえる」全回満員御礼 (1) ・新しい街おこしの広がりを・協同してみんなが豊かに(2) ・芝居に出たぞ ・平右衛門を演じて (3) ・「武蔵野の歌が聞こえる」舞台写真とものがたり (4)(5) ・NPO 現代座を支える人々 第 17 回 みきさちこさん (6) ・「約束の水」 ・活動日誌 (7) ・お知らせ (8) 2014 年 11 月 1 日 発行 公演は現代座とシニアSOHO小金 カーテン・コール 全景が収まりきらないため、客席部分と舞台部分の写真を合わせました。 入場者数と感想記入者数 1967 年 2 月 18 日 第三種郵便物認可 現代座 通巻 463 号 現代座レポート № 60 しかし、 小金井の桜と栗を知ってい ても創始者について知らない人が多 く、 平右衛門が活躍したご当地・小金 協同してみんなが豊かになる 西東京市 蔦谷栄一 仕 事 を さ れ、 農 業 長く農協関係の 評論家としても知 井市での無関心ぶりを残念に思い、 啓 蒙活動をしておりました。 平右衛門の 林の縁で知った川崎平右衛門に不毛の 田 開 発 で し た。 大 岡 越 前 守 忠 相 は 御 栗 断 行 し ま す。 そ の 重 要 施 策 の 一 つ が 新 て直しに将軍徳川吉宗は享保の改革を によって破綻寸前だった幕藩体制の立 大噴火など相次ぐ自然災害と放漫財政 江 戸 時 代 中 期、 宝 永 大 地 震、 富 士 山 びご来場の皆様に感謝申し上げます。 プ ロ ジ ェ ク ト、 上 演 サ ポ ータ ー、 お よ 察力と情熱、 皆様の演劇に対する前向 した。 木村快さんのシナリオ作りの洞 してこの度の演劇上演の運びとなりま 学校六〇周年記念・朗読劇の上演、 そ 劇として結実し、 二〇一一年の第三小 を積み重ねた成果が現代座によって演 と郷土史の学習や史蹟の実地見聞など クト﹂ がスタートしました。 平右衛門 打診し、四月に﹁ 川崎平右衛門プロジェ 下美智子さんに平右衛門の演劇作りを 治 水 に 成 功 し、 石 見 銀 山 を 再 興 し ま す を 成 功 さ せ ま し た。 そ の 後、 美 濃 国 の 的手法と農民との共同により新田開発 に平右衛門を活かした地域興しに発展 演が平右衛門への関心の広がり、 さら 門に学ぶところがあります。 今回の上 政難は当時の状況に似ており、 平右衛 助、 協 同 し て い く こ と が 欠 か せ な い、 一人では小さな力しかない農民が自 ら内発的に取り組んでいくには相互扶 り組んでいくことが肝心であり、 一人 は農民の目線をしっかりと獲得してい ること。 そして農民自らが内発的に取 にあるとしている。 その心は、 政策に 当たる側は農民の立場を十分に理解し ていることが必要であり、 このために 本劇は川崎平右衛門が農民の立場で 新田復興を図り、 農民自身の助け合い 精神を引き出すことによって、 協同の 村 を つ く り あ げ て い く ス ト ーリ ーを 描 い て い る が、 ﹁ 今回の作品制作の意図 は川崎平右衛門の伝記ではなく、 不毛 の大地と言われた武蔵野台に、 なぜ新 し い 村 々 が 誕 生 し た の か を 探 る こ と﹂ 場する役者たちの個性的で納得性の高 い演技、 そしてシンプルであるだけに 美しくかつ力強く響く歌声・合唱に感 嘆 さ せ ら れ た が、 同 時 に 強 力 な メ ッ セ ージ を 発 し て い る 脚 本 の 持 つ パ ワ ー が印象的であった。 ﹁ 武 蔵 野 の 歌 が 聞 こ え る ﹂ で は、 登 された。 の一員として奮闘 られる。サポーター 活躍は大岡忠相との出会いから始ま り、 平右衛門の知恵と多くの人々の支 え合いが事業を成功に導きました。 平 右衛門を知ってもらうには人々の生き 様を描く演劇が最適と思っておりまし 台地だった武蔵野の新田開発に当たら きな取り組みに敬服を表します。 が、 小 金 井 時 代 の 経 験 が 生 か さ れ て い *公演当日プログラムの﹁ 挨拶﹂より。 することを願っております。 小金井桜として今に続いてます。 ま す。 玉 川 上 水 の 堤 に 植 え た 桜 は 名 勝 と 埼 玉 県 鶴 ヶ 島 市 に 陣 屋 を 構 え、 独 創 現在の東日本大震災と原発事故、 財 せ ま し た。 平 右 衛 門 は 現 在 の 小 金 井 市 シ ニ ア S O H O 小 金 井、 川 崎 平 右 衛 門 二〇一〇年三月、 NPO現代座の木 加した協働とご支援の賜です。現代座、 た。 この度の演劇上演は多くの方々が参 相談役︵前代表理事︶ シニアSOHO小金井 NPO法人 大橋元明 新しい街おこしの広がりを (2) 2014 年 11 月 1 日発行 というところにある。震災から復興し ﹁み んなが豊かになる﹂ために、特に協同性 が大事だということは、実はまっとうに 生きている多くの人の心の中にある思い であるからこそ深く胸打つものがあった ように思う。 今、安倍政権がすすめつつあるアベノ ミクスとTPPへの執着は、経済成長と ﹁ 選 択 と 集 中﹂ に よ る 格 差 拡 大 を 前 提 と する真逆なものであって、自分だけは豊 かになっても﹁ みんなが豊かになる﹂こ とはない。そこには﹁ 地方創生﹂という 言葉遊びがあるだけで現場目線は皆無で あり、農協批判とその改革意見の中身は 協同組織の壊滅を狙っているとしか考え られない。それだけに震災からの復興は 難しく日本の再生はかなわないことにな る。しかし本劇は地域という相対的に小 さな、限られた舞台であれば、皆が当事 者となって地域とかかわりをもち、しか るべきリーダーを確保し協同性を発揮し ていくことをつうじて、希望を手繰り寄 せていくことは可能であることをも示唆 しているように受けとめた。 なお、本劇は基本80席という限られ た空間のなかでの肉声によることにこだ わったものであったが、それであるがゆ えにメッセージが直截に伝わり説得性を 持つことを実感するという貴重な経験を 得た。あらためて空間というものが劇に 生命を吹き込むにあたってきわめて大き な要素であることを実感し、正直驚かさ れもした。 芝居に出たぞ 織壁 ︵おりかべ︶哲夫 ば 筋 肉 や 骨 を 痛 め や す い そ う だ。 こ れ に は ま い っ た、 子 供 の こ ろ か ら 体 が 硬 て も、 太 鼓 腹 に は き つ い。 大 声 出 し た 平右衛門を演じて 黒澤義之 演 ず る と い う プ レ ッ シ ャ ーが か か っ た。 平右衛門という人物の具体像をど 人物は、 何に興味をもち、 何が好き うつくるか。 様々な事績があるこの 長いが、江戸時代の人 で何がきらいだったのか。 その具体 現代劇のキャリアは 間となると、簡単では ない。若い俳優をリー 代座とシニアSOHO小金井の皆さ これからに生かしていきたいと思 う。 ◆詳細な内容、舞台写真、上演の動画はシニアSOHO小金井のホームページで視聴できます。 いのは自慢だ。 市 民 も 出 演 す 次 に 発 声 練 習、 腹 式 呼 吸 を 求 め ら れ べきだというこ と で、 塚 田 善 久 つもりでも声は通らない。 ﹁ あー、あー﹂ と 音 階 を 追 っ て 声 を 出 す。 こ ん な こ と 評価する声ばかりだった。なにより﹁ 役 かった特色をもった作品の主人公を ん と の 協 同 作 業 と い う、 今 ま で に 無 いう回答がなかったので安心した。 http://heiemon.org/ シニアSOHO小金井「平右衛門プロジェクト」ホームページ さんとわたしが 日やれば⋮⋮﹂ とまではいかなかった が、面白かった。 役者は、 稽古前には柔軟体操が不可 欠。 芝居の動作というのは、 ともすれ 者 ら し く な い 変 な 奴 が、 見 苦 し い ﹂ と 協 力 出 演 す る こ は 生 ま れ て こ の 方 や っ て な い よ。 そ れ 的な人物像は、 やはり彼の事績から ド し な が ら 悪 戦 苦 闘 。 とになった。 二時間ほどのうち十分に で も 少 し ず つ 声 が 出 て く る。 劇 を 見 た しか見つけ出せなかった。仁、義、礼、 もみたない出番で、 合唱と少しのフリ 人 か ら﹁ 声 が 聞 こ え ま し た よ ﹂ と 言 わ 智、 信、 を生き方の信条としたであ この三月の末に初顔合わせがあっ だけだった。 れて恥ずかしいやらうれしいやら。 ろう人物。 常に弱者の立場に立ちつ 最初の出番は村名主からの呼びかけ 出 番 に は タ イ ミ ン グ が あ る。 舞 台 に て か ら、 七 月 に 入 っ て 週 末 の 稽 古 が づけ、そこから様々な事績を積み重 に 応 え、 ﹁ 武 蔵 野 大 地 は わ が 大 地、 力 い る 役 者 の セ リ フ に 合 わ せ て 出 て い か は じ ま り、 本 番 を 迎 え る ま で に 四 十 ねた人物。 こうしたヒントから導き をつくし掘り返せ⋮﹂ と合唱しながら な い と い け な い。 本 番 直 前 ま で ト チ ッ 数 回 の 稽 古 を 数 え た。 出 演 者 全 員 が 出したのが、今公演の私なりの平右 鍬を振るうフリの踊りをした。 テいた。 ﹁ 皆の衆⋮﹂ と呼びかける場面 そ れ ぞ れ の 仕 事 を か か え な が ら こ の つぎの出番は﹁ 急げや急げ、 夜が明 に 皆 の 衆 が 足 り な い、 と 思 っ た ら 自 分 作 品 に 参 加 す る と い う 困 難 を か か え 衛門像だ。 気持ちはあせれど、中々入らない ける。 小金井橋はもうすぐだ⋮﹂ と飢 の 出 番 だ 。 幕 の 袖 に い る ス タ ッ フ か ら な が ら の 日 々 だ っ た。 当 然、 出 演 者 セリフ、 歌詞、 メロディ。 白状する 饉救援にかけつける。 小金井橋は私の 肩 を 叩 か れ て あ わ て て 出 て い た 。 全員が顔を合わせた稽古が出来る日 が、 全九公演中、 まともなセリフの 家のすぐそばの橋だ、 と親近感。 助け 立 ち 位 置 は 問 題 だ 。 前 や 後 ろ の 人 に はきわめて少なく、私個人も合唱構成 合いに立ち上がる場面はジーンときた カ ブ っ て は い け な い。 舞 台 に 出 る だ け 言えたステージは一ステージもな 劇という全く経験のないスタイルに というアンケートの声も多かった。 私 で 精 い っ ぱ い だ。 他 人 の こ と は か ま っ かった。 これは観客の皆さんにおわ と ま ど い、 こ れ で 本 当 に 幕 が あ く の もぐっと涙がこみ上げて、歌った。 びしなければならないが、明らかに て い ら れ な か っ た が、 次 第 に 決 め ら れ か、というのが正直な気持ちだった。 フ ィ ナ ー レ﹁ 力 合 わ せ る 里 と な る。 た場所にスッと立てるようになった。 ト チ っ た と わ か る シ ーン で も 観 客 の 桜花咲く里となる﹂とのどに力を入れ、 ﹁ お り か べ さ ん! 目 が 泳 い で い ま す 台 本 は 上 演 稿 ま で 実 に 十 二 稿 に 及 皆さんはヒクことなく見続けてくだ 空を見つめる姿勢で合唱した。 よ。 泳 い で い る と 自 信 な さ そ う に 見 え び、 そ の 後 も 細 か な 改 稿 を つ づ け る さった。 これは本当にありがたかっ 最 初、 ﹁ 立 っ て い る だ け で い い ﹂ と ますよ﹂と、歌っているときは上を向き、 な ど、 作、 演 出 の 快 さ ん の 苦 労 も 大 た。そして助けられた。 言われ、 切符を売るための﹁ 人寄せパ 一点を見つめるのだ。自信をもって! 変 な も の だ っ た ろ う。 そ し て 私 に は、 今回のプロジェクトに参加できて ン ダ ﹂ と 自 認 し て 出 た が、 ﹁ 役 者 は 三 今 回 の 上 演 は 好 評 で ア ン ケ ー ト で も ﹁ 平右衛門プロジェクト﹂ として、 現 貴 重 な 経 験 を さ せ て も ら っ た こ と、 NPO現代座レポート № 60 (3) 「時は宝永 4 年」と語りが始まる。 この世の末か、富士のお山が火を噴いた。 富士山南東部に残る宝永噴火口、現 ・ 宝永山。 ものがたり 武蔵野の歌が聞こえる 合唱構成劇 (4) 2014 年 11 月 1 日発行 ★ 必 要 に 応 じ て、 や や こ し い 江 戸 時 代の用語を楽しく説明する三人娘。 ★新田開発の大任を背負った大岡忠 相は、民間人から意見を聞き集める。 ★さあ、村の衆、武蔵野に 新しい村が出来るぞ! ★お慈悲を︰︰、新田開発は進まず、 崩壊の危機に追い込まれる農民。 三百年前の江戸時代、 日本列島にいっ り、幕府は大混乱に陥ります。 ④困難な新田開発 たい何が起こったのでしょうか。 耳を澄 ③八代将軍吉宗による享保の改革 し か し、 新 田 開 発 は 思 う よ う に 進 ませてみましょう。 かすかに武蔵野の歌 吉 宗 が 将 軍 に 就 任 し た と き、 幕 府 は み ま せ ん。 武 蔵 野 は 火 山 灰 が 堆 積 し 四〇万両に及ぶ負債を抱え、 財政は崩壊 て 出 来 た 土 地 で、 保 水 が 難 し く、 農 が聞こえてきます。 寸前でした。 世襲の役人では改革の実行 地 を 改 良 す る の に 長 い 時 間 が か か り は難しく、 吉宗は大岡越前守忠相を奉行 ま す。 そ の 上、 当 時 は 寒 冷 期 で あ っ 第一幕 宝永の大地震と享保の改革 に抜擢し、﹁ 享保の改革﹂に取り組みます。 た た め 天 候 不 順 が つ づ き、 享 保 の 大 大岡忠相は民間から専門家を集め、 不 飢 饉 救 済 の た め 幕 府 の 財 政 は 再 び 危 ①富士が燃える ︻合唱︼富士が燃える 毛の大地と言われた武蔵野台に大新田の 機に追い込まれます。 十八世紀のはじめ、 日本列島は元禄大 開発を計画します。江戸時代の経済は ﹁ 石 ︻合唱︼苦しみの歌 地震、 宝永大地震と相次ぐ大地震と大津 高 制︵ こ く だ か せ い ︶ ﹂と言って領地か 波に襲われます。 特に宝永大地震では富 らの年貢を基本にしていたため、 まずは ⑤崩壊する武蔵野新田 開発を始めて十六年目の元文三年、 士山の噴火が十六日間も続き、 関東一帯 畑の面積を拡大するしかなかったからで 武蔵野新田は完全に崩壊状態でした。 の米作に致命的な打撃を与えます。 す。 大 岡 忠 相 は 最 後 の 手 段 と し て、 武 蔵 武蔵野に八十以上の新しい村ができる 野 の 名 主・ 平 右 衛 門 に 新 田 百 姓 の 救 というので、 それまで自分の畑を持てな ②混乱する幕府 済を要請します。 宝永大地震の後わずか十年の間に第五 かった農家の二男 三 ・ 男が関東一円から 平 右 衛 門 は 救 済 の た め に、 自 分 の 代 将 軍 徳 川 綱 吉、 第 六 代 将 軍 徳 川 家 宣、 集まってきます。 村に備蓄していた食料を小金井橋へ 第 七 代 将 軍 徳 川 家 継 と 相 次 い で 亡 く な ︻合唱︼新しい村をつくれ 運び、飢えた百姓たちの救済に当た ★ 平 右 衛 門 一 党 は 新 田 農 民 救 済 の た め ★身にまとう衣類もない悲惨な現状。まず人 ★男も女も子供も老人も、力を合わ に小金井橋へ向かう。 間らしさを取り戻さなければならない。 せて井戸を掘れ。水が出たぞ! 売 し、 そ の 金 は 村 の 福 祉 に あ て ま し た。 武蔵野台は十年の歳月をかけて豊 か な 畑 作 地 帯 へ と 姿 を 変 え、 新 田 開 発を見事完成させます。 最 後 に、 平 右 衛 門 は 新 田 農 民 の 憩 い の 場 と し て、 玉 川 土 手 に 桜 の 苗 を 植 え さ せ ま し た。 こ れ は 後 に﹁ 小 金 井 桜 ﹂ と 呼 ば れ、 江 戸 近 郊 の 名 所 と なりました。 ⑨別れ ★ 平 右 衛 門 は 桜 咲 く 武 蔵 野 を 去 り、 水 害救済のため美濃の国へ向かう。 ︻合唱︼さくら咲く村 新田開発を成功させた平右衛門は、 幕府の要請で水害に苦しむ美濃の国 へと旅立つことになります。 玉川土手に桜が咲きはじめたころ でした。 ★ 百 姓 の 組 合 で 話 し 合 い、 荒 れ た 武 蔵 野を緑の大地へ変えるのじゃ。 克服するため、 幕府から資金を借り、 六 ります。 ⑦協同の村へ 暴れ川と呼ばれる多摩川河畔で育った 年間で返済する営農方針を立てます。 ︻合唱︼小金井橋へ急げ 平右衛門は、 水害対策や復興のための村 八十二か村をまとめて百姓に組合をつ 民による協同の仕組みについては熟知し くらせ、 農民同士の話し合いで開拓をす 第二 幕 協同の村をつくれ すめ、 開拓した土地は開拓者に無償で分 ていました。 平 右 衛 門 は 子 供 や 老 人 の 救 済 を 優 先 譲します。 ⑥新田 は 回 復 で き る か 大 岡 忠 相 は 改 め て 平 右 衛 門 に 代 官 の 参 し、 老人や赤ん坊も一緒に生きられる村 作物は江戸で需要の高い薬草などの生 産を奨励し、 肥料は農閑期の底値の時期 謀役である新田世話役を要請します。 づくりをすすめます。 平 右 衛 門 は 全 農 家 を 戸 別 に 訪 問 し て 実 平右衛門は治水工事の専門家でもあり を見計らって大量購入し、 自由に貸し付 情 を 調 べ、 尋 常 の 手 段 で は 回 復 不 可 能 と ましたから、 幕府が準備する公共施設の けて収穫物で返済させることにします。 判 断 し ま す。 し か し、 幕 府 に は 百 姓 救 済 建設を商人に頼まず、百姓自身で建設し、 こうして、 現代の協同組合と同じ考え の資金はありません。 その日当で当面の食料を確保します。 同 方を普及させ、 農民の生産意欲を高めま 幕 府 の 救 済 を 待 つ だ け で は 自 滅 し か な 時に村民は各地から集まった新田村なの す。 さらに、 かつて離村した農民が戻っ い。 な ん と し て も 百 姓 自 身 が 生 き る 意 欲 で、 協 同 の 仕 事 を 通 し て 新 し い 心 の コ てくれば、 三両の立ち帰り料を支給した ため、 離農者たちも戻ってきて、 耕作放 を 取 り 戻 す 方 法 を 考 え な け れ ば な り ま せ ミュニティづくりをすすめます。 棄地は姿を消してゆきました。 ん。 ︻合唱︼協同のよろこび 人 口 も 増 え、 新 田 面 積 も 倍 増 し ま す。 平 右 衛 門 は 大 岡 に、 役 人 に よ る 支 配 型 さらに飢饉に備えて毎年収穫の一割を協 の 営 農 政 策 に 見 切 り を つ け、 百 姓 自 身 に ⑧百姓組合を作る 平右衛門は肥料を買う金もない現実を 同で備蓄し、 備蓄量を超えると江戸で販 よる協同方式を提案します。 NPO現代座レポート № 60 (5) 第十七回 が現代座大ホールの観客の耳目を引きつけ、いつしか た﹁ 語りの会﹂で、ハンセン病療養所に生きる二人の 二 〇 一 二 年 か ら 快 さ ん の 劇 場 講 座 の 一 環 で ス タ ート し やはり声を生かすパフォーマンスが多いようである。 女性の独白を描いた﹁ 遠い空の下の故郷﹂の朗読など、 三百年前の江戸時代にタイムスリップする。 肉声で芝居のできる役者 新しい朗読に挑戦したい 小生が脚本に関わったタクシードライバー物語﹁ わ すれものはありませんか﹂にも、みきさんは登場して 痰 が つ か え て 声 が 出 な く て﹂ 。 上演三日目の一番きつ 役を演じている。 全編、車椅子に座ったままの演技で 秘め、車椅子生活を余儀なくされる頑固な一人の老女 いる。 最愛の息子を亡くし故郷を追われた過去を内に かったという回を小生は観たが、全然気づきませんで ある。 劇が終わって観客への挨拶で、車椅子から立ち みきさんは﹁ 快さんのお芝居は構造がしっかりして した。 ほかの観客の方々も、 事情を話すと一様に吃驚 ﹁ 弁士役をやるに当たって、 ︵ 作者兼演出家の︶木村 いて、年代が同じだからでしょうけど、むつかしいけ 上がって礼をされた時、本当にどきッと致しました。 快さんからは、劇中の要所要所で解説を、私と三人の みきさんは快さんが月一回開く﹁ 昭和を考えるSP れどわたしの感覚には合ってます﹂と言う。 代 劇 風 に や っ て、 と だ け 指 示 が あ り ま し た﹂ と い う。 女性トリオがやりましたが、三人は現代風に、私は時 も増え、舞台に出演す るようになった。 上演五日間、九回とも満員御礼の札止めとなった合 唱構成劇﹁ 武蔵野の歌が聞こえる﹂に登場した役者さ ん達は全員、きらきらと輝いて見えた。 演技が上手い 腰痛対策のため、週二回三〇分、プールに入って歩 レコード雑談会﹂の常連メンバーでもある。 昭和の流 あり、それが役に立ったのかもしれないとのこと。 いている。 水の浮力が体の負荷を和らげて歩きやすい そんなことが出来るだろうかと不安だったけれど、若 快さんは﹁ みきさんは、よく頑張ったと思う。今は、 そ う だ。 最 後 に﹁ 現 代 座 が い つ ま で も 続 い て ほ し い。 行歌と朗読を組み合わせた作品を思い描いている。 肉声で語れる役者がいなくなったんです。 彼女は数少 これからもみんなと一緒に参加したいと思っていま い頃、発声の訓練のため和泉流の狂言を学んだことが ない役者の一人です﹂と絶賛する。 みきさんと快さん 下 手 な ん て ど う で も よ く、 と に か く 思 い を 伝 え た い、 伝えなければならないといった使命感のようなものを 観ている人間にひりひりと感じさせた。 小生も歳のせ いか最近涙もろくなり、この度は、訳も分からず感動 の嵐に襲われて何度も目頭が潤んでしまった。 この芝居の全篇を独特の節回しで語りつないでいる す﹂と目を輝かしている。 ︵了︶ あります。 の編集局長。 NPO 現代座正会員でも 武本英之さんは専門紙﹁ 東京交通新聞﹂ ※ こ の シ リ ーズ を 担 当 し て い る 筆 者 の は同年代のお生まれである。 いちいち背景を説明しな のが弁士役をお務めになった、みきさちこさんである。 三 百 年 前 の 江 戸 時 代、 日 本 列 島 で は 一 体 何 が 起 こ っ くても、お互いが何を言おうとしているのか、あうん の呼吸で分かるらしい。 ル﹂ 、青ヶ島をモデルにした﹁ 遙かなる島﹂の朗読役、 の 大 工 場 地 帯 で あ っ た 川 崎 の 街 を 描 い た﹁ タ ー ミ ナ みきさんの現代座での上演歴を振り返ると、かつて たのでしょうか︱︱と始まる﹁ 語り﹂と﹁ 問いかけ﹂ 。 映画の歴史に詳しい人なら、ここで徳川夢声といった 活 弁 士 を 思 い 浮 か べ る こ と だ ろ う。 ﹁ 武蔵野の歌が聞 こえる﹂の弁士は女性である。 朗々とした格調ある声 仰天。脱帽です。 時はテレビが生放送 だったため、舞台俳優 ﹁ 涼 し く な っ た と 思 っ た ら、 急 に 暑 く な っ た り、 温 度 と 同 じ 訓 練 を 必 要 と 差 が 激 し い 時 が あ っ た で し ょ。 風 邪 に や ら れ ま し た。 し、演劇仲間との交流 何 と 毎 日、 点 滴 を 打 っ て 舞 台 に 上 が っ て い た そ う だ。 NHKの養成所に学 堂々たる弁士役を演じきった、 みきさんだが、 実は ぶ。 卒業後、 仲間と劇 上 演 期 間 中、 最 悪 の 体 調 だ っ た と い う か ら、 驚 き だ。 団三十人会を結成。 当 みきさちこ 江戸時代へのタイムスリップ 記 武本英 之 みきさちこさん NPO現代座を支える人々 (6) 2014 年 11 月 1 日発行 NPO現代座レポート № 60 (7) 三 郎 は ミ ツ コ か ら﹁ 約 束 の ◆廃墟の村で T 市 の 観 光 課 に ミ ツ コ と 名 水﹂ と 呼 ば れ た 泉 の こ と を 尋 乗る日系ブラジル人の若い女 ね ら れ る が、 ど う し て も 思 い 性 が﹁ 谷 山 村 へ 行 き た い﹂ と 出 せ な い。 し か し、 見 捨 て ら 訪 ね て く る。 戦 前 に 谷 山 村 か れたこの村を終生恋しがった らブラジルに移住したミツコ というミツコの祖母の話を聞 の 祖 母 が、 故 郷 の 村 の﹁ 約 束 き、 な ん と し て も 探 し て や ら の水﹂ という湧き水を恋しが ねばと思った。 りながら息をひきとったとい ◆親父を連れ戻せ う。ミツコはその﹁ 約束の水﹂ 時折姿を消す三郎の行方を を 一 目 見 た い と 言 う の で あ 怪 し ん で、 街 の 人 々 は﹁ 山 中 る。 だ が、 谷 山 村 は 今 は も う の息子は父親を山の中に放置 な い。 T 市 の 山 奥 の 無 人 の 集 し て い る﹂ と 噂 す る。 息 子 啓 落 と な っ て い る。 か つ て 谷 山 一と妻よし子はなんとしても 村で生まれたというミキと靖 父 親 を 連 れ 帰 ら ね ば と、 林 業 夫がミツコを案内することに 作 業 士 竹 田 の 協 力 を 受 け、 谷 山 地 区 へ 乗 り 込 む。 そ し て 力 なる。 づくで街へ連れ帰ろうとす ◆高齢者と呼ばれて ミツコたちは谷山地区で山 る。 三 郎 は 抵 抗 す る う ち に 足 ﹁ もう 中 三 郎 と い う 老 人 と 出 会 う。 を 踏 み 外 し て 転 倒 し、 山中三郎は長い間寝たきりの 終わりだ﹂とうなだれる。 妻 チ ヨ を 介 護 し て い た が、 チ ◆約束の水を求めて ヨ が 亡 く な る と 急 に 無 口 に 見 か ね た ミ ツ コ は﹁ お じ い な っ た た め、 周 囲 か ら は ボ ケ さんとお会いできただけで十 て き た の で は な い か と 心 配 さ 分 で す﹂ と お 礼 に 祖 母 の 形 見 だ と い う 小 石 を 差 し 出 す。 そ れている老人である。 れ は﹁ 約 束 の 水﹂ の 水 受 け 場 ◆自分を取り戻したい 三郎は天気のいい日を見計 に敷き詰められていた小石の ら っ て は、 ひ そ か に 廃 墟 の 谷 一つであった。 山 地 区 に 戻 り、 か つ て 住 ん だ その石を見つめるうちに三 家 を 手 直 し し、 小 さ な 畑 を 耕 郎 は み る み る 生 気 を 取 り 戻 し、 地 区 の あ ち こ ち に 集 落 の し、 昔 の 村 の 様 子 を 生 き 生 き 特徴やいわれを書いた案内板 と 語 り 始 め る。 一 同 は 心 打 た を 立 て、 昔 の 記 憶 を 呼 び 戻 そ れ、三郎を助けて﹁ 約束の水﹂ を探しはじめる。 うと努力していた。 月 活動日誌 号﹂発送作業 10 59 日 小金井平和盆踊り・踊り指導 日 ﹁ 武蔵野の歌が聞こえる﹂公演 日﹁ SPレコード雑談会・李香蘭について②﹂ 日﹁ 緑町ふれあいサロン﹂ 日 川崎平右衛門プロジェクト 会議 日﹁ 武蔵野の歌が聞こえる﹂公演チーム会議 日 東志野香のヨガ教室スタート 日﹁ SPレコード雑談会・李香蘭について①﹂ 日 川崎平右衛門プロジェクト会議 日﹁ 緑町ふれあいサロン ﹂ 日∼ 日﹁ 武蔵野の歌が聞こえる﹂上演サポーター集会 日 川崎平右衛門プロジェクト会議 ∼ 日﹁ 緑町ふれあいサロン﹂ 日﹁ 武蔵野の歌が聞こえる﹂上演サポーター集会 日 川崎平右衛門プロジェクト会議 日﹁ 現代座レポート 8月∼ 現代座会館 8月 9月 月 26 16 15 11 30 28 22 18 11 3 25 22 21 20 15 4 日 劇団﹁ 影法師﹂稽古 日 ﹁ ながめくらしつ﹂稽古 18 30 月 ∼ 日 劇団﹁ 希望舞台﹂稽古 月2日 劇団﹁ 燐光群﹂稽古 11 26 8月 ∼ 日 八峯企画﹁ シアワセの種﹂稽古 日 演劇サークル﹁ 夢さしの﹂公演 日 チーム・クレセント大道具製作 12 19 22 毎火曜日 東志野香のヨガ教室︵3F︶ 隔木曜日 ip a d熟年講座 毎水曜日 熟年パソコンサークル 毎月曜日 子どもクラブ・バンビーノ 毎日曜日 早稲田ラジオスクール︵学生支援︶ ︻定期使用 二階サロン︼ 月 ∼ 9月 ∼ 10 16 11 ︻三階小ホール︼ 月 ∼ 27 10 音楽と朗読﹁o toy om i﹂公演 月3∼4日 9月 ∼ 8月 ∼ 17 28 7月∼9月 ﹁ 武蔵野の歌が聞こえる﹂稽古・公演 ︻現代座ホール︼ 23 15 各回 80 名の予約制です。TEL:042-381-5165 FAX:042-381-6987 メール:[email protected] 10 10 10 10 10 現代座ホール 小 中 高 1000 円 14:00 14:00 14:00 19:00 2014年 12 月 人 3000 円 5 日(金) 6日(土) 7日(日) 8日(月) 大 上演日程 日系人ミツコ 矢川千尋 林業作業士竹田 黒澤義之 市役所職員ミキ 東 志野香 山中靖夫 八木浩司 山中よし子 木下美智子 山中啓一 寺崎昌広 山中三郎 今村純二 12 月 5 日∼8日 約束の水 合唱のある二幕四場 2014 年 11 月 1 日発行 (8) お知らせ 合唱のある二幕四場 約束の水 遠い空の下の故郷 作・演出 木村 快 音楽 岡田京子 美術 出川三男 ∼ハンセン病療養所に生きて∼ 佐久仏教会「秋のさわやか講演会」 会場 現代座ホール ー 2014 年 12 月 5(金) 6(土) 14:00 7(日) 14:00 8(月) 14:00 参加費 大人:3000 円 小中高:1000 円 ※各回 11 月 16 日 ( 日 ) 13:30 19:00 ー ー ー 80 名の予約制です。事前にお申し込み下さい。 NPO 現代座 TEL:042-381-5165 現代座会館をご利用ください 佐久市新子田 ラポール佐久 ( 長野県 ) 公演の DVD・さし上げます 会員の皆様に 2014 年9月公演「武蔵野の歌 が聞こえる」の DVD をさし上げております。 過去の作品でも、ご希望の作品を DVD にしますので お問い合わせください。 東志野香のYOGA教室 ヨ ◆地下ホール(地下 2 階吹き抜け) ガ 日々の心身の疲れをリ 空間は 15 メートル× 12 メートル×天井高 5.5 メートル。 フレッシュ♪初心者向 中ホール並みの吊り物、舞台装置、照明を設置できます。 通常は客席部に80席を準備していますが、全面をワンフ けのクラスです。ヨガ ロアにすることもできます。 はストレッチ体操では ◆3F小ホール 舞台とグランドピアノ、客席 40 席。 ありません!ですから、 ◆2Fの集会室 20 ∼ 30 人。 体が硬いかた、よく見 ◆1Fのロビー 15 ∼ 20 人。 これらの設備は地域の活動や様々な創造活動に使っていた だきたいと思います。 使用料その他、お気軽にお問合せください。 かける難しそうなポー 毎週火曜日 10:15 ∼ 11:15(60 分) ズに不安を持っている 参加費 1000 円 (1 レッスン ) 方、是非、ご参加下さい。 会員の新規入会・継続・寄付ありがとうございます 2014 年 7 月 26 日∼ 2014 年 10 月 22 日までの間に入会、継続、寄付をいただいた皆さま。(敬称略・五十音順) NPO現代座の会員になってください ●年間4回発行の活動レポートをお送りします。 ●会員による企画行事をお知らせします。 ●お申し出があれば、上演舞台の録画DVDをお送りします。 ★年会費(現代座レポート購読料を含む) 一般会員 3,000 円 協賛会員 10,000 円(1口以上) 郵便振替口座番号 00110-7-703151 NPO現代座
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