目 次 目 次 まえがき 序章 BC級裁判研究の視点 1 本書のねらい 2 裁判機構について 3 法廷通訳のむずかしさ 4 裁判の公平性と迅速性 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 第一章 マニラにおける﹁勝者の裁きⅶ 40 1 25 11 1 裁判記録にみるフィリピン戦 2 先例としての山下裁判 ix 3 本間裁判の場合 4 黒田裁判の場合 29 19 16 4 57 49 第二章 田村裁判にみる日本の捕虜政策 1 対中戦期 2 太平洋戦争期 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 71 97 3 被告人の個人責任 第三章 死の鉄道建設の鳥瞰図 1 敗戦国日本の弁明 2 連合国将兵による記録 3 石田裁判 4 板野裁判 5 工藤裁判 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 2 英印軍インド人捕虜の場合 1 南太平洋への中国人強制連行 第四章 アジア共栄の名の下に 106 79 3 豪ラバウル法廷での法見解 4 廣田裁判 5 安達裁判 6 加藤裁判 135 146 139 131 88 99 73 123 116 113 163 154 150 x 目 次 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 169 7 今村裁判 第五章 英植民地における﹁大英帝国の裁きⅶ 1 ビルマ方面虐殺事件 2 ラングーン裁判所の法見解 3 シンガポール華僑虐殺事件 4 裁判所の判定 1 検察側の主張 2 弁護側の反論 3 大日本帝国海軍の指令統制責任論 4 裁判所の結語 5 海軍が残した 239 1 BC級法廷にみる個人の刑事責任論 235 終章 事例からわかること ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 219 第六章 豊田副武海軍大将の弁明 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 188 183 173 242 2 誰のための正義か 3 裁判研究の今日的意義 xi 202 216 210 229 232 205 235 164 xii 注 291 本書で扱う戦犯裁判の一覧 索 引 文献資料 付録 あとがき 247 序章 BC 級裁判研究の視点 序章 ) 級裁判研究の視点 りょ ) しゅんげん この条項を全うするべく連合諸国は、首都東京に翌年一月、極東国際軍事裁判所を設置した。参加国は、降伏 ふべし。 ( のに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては峻厳なる正義に基き処罰を加 ふ 十条 吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するも 政府及び其の後継者の為に約﹂した。当のポツダム宣言には、つぎのような条項があった。 ( 1 定の連合国代表者が要求することあるべき一切の命令を発し、且つ斯る一切の措置を執ることを天皇、日本国 ﹁ⅷポツダムⅸ宣言の条項を誠実に履行すること、並に右宣言を実施する為め、連合国最高司令官又は其の他特 したる宣言の条項を日本国天皇、日本国政府及び日本帝国大本営の命に依り且つ之に代り受諾﹂したのであり、 府の首班が一九四五年七月二十六日ⅷポツダムⅸに於て発し、後にⅷソビエットⅸ社会主義共和国連邦が参加 式がとりおこなわれた。同文書によると日本政府は、﹁合衆国、中華民国及びⅷグレート・ブリテンⅸ国の政 一九四五年九月二日、東京湾停泊中のミズーリ号甲板にて、日本と連合諸国代表者のあいだで降伏文書調印 B C 文書調印式に出席した九カ国 ア(メリカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、カナダ、ソヴィエト連邦、中華民国、 1 2 裁判﹂ないし﹁准 ( ) 級裁判﹂の名で知 とりずつだった 本(書では、これらの裁判を﹁田村裁判﹂﹁豊田裁判﹂ないし﹁東京継続裁判﹂と言及する 。)占領軍法務 局は当初、三つの継続裁判を東京裁判後に予定していた 太(平洋戦争期の閣僚数名に対する合同裁判、田村裁判、豊 ) ) これら三つの国際軍事裁判所のほか、連合諸国はアジア太平洋各地に特別戦犯法廷を同時期に設置した。従 ン准将が任についた そ(れぞれ七名からなる裁判所のメンバーは、残りすべてアメリカ人 。) ( 5 判では中国代表ジェイムズ・ヤンが参加、豊田裁判では裁判長としてオーストラリア代表ジョン・オブライエ だったが、占領軍当局の参加呼びかけに応えたのはオーストラリア、イギリス、中華民国だけだった。田村裁 僚裁判については断念したため、田村裁判と豊田裁判の二本立てとなった。田村・豊田裁判は形式上国際裁判 ( 田裁判 。 ) しかし、東京裁判の判決から通例の戦争犯罪について文官に刑事責任を問うのは困難と判断し、閣 4 級戦犯裁判﹂で知られるが、それは法廷の受理した証 ) 級犯罪﹂と称された 。 ) ( 7 級犯罪﹂と称されていた 東( 級裁判を主催したのは、アメ B C B C この類の国際犯罪は、アジア太平洋地域の戦犯政策関係者のあいだで当時﹁ 京裁判の主要な起訴事由だった平和に対する罪は、当時﹁ A 2 ニュージーランド、フランス と ) 、独立間近のアジア新興二カ国 イ ( ンドとフィリピン だ ) った。二八名からなる被告 グループの裁判 通(称東京裁判 が)当法廷にて約二年半にわたり実施されたのは周知のとおりだ。 軍当局は国際軍事裁判所ふたつをあらたに東京に設置し、後に﹁ 極東における国際刑事裁判は、しかしこれですべて完了ではなかった。東京裁判終了直前の一棚月末、占領 3 A られるようになった第二、第三の東京継続裁判が実施された。被告人は田村浩陸軍中将と豊田副武海軍大将ひ G H Q 来の研究によると、特別法廷の設置箇所は全部で五一、実施された裁判は二二四四件、裁かれた戦犯容疑者の ) B C 拠が、主に戦争法規を犯して実行された戦時下残虐行為⒡⒢いわゆる通例の戦争犯罪⒡⒢だったからであって、 数は五七棚棚名である。これらの裁判は、一般に﹁ ( 6 序章 BC 級裁判研究の視点 リカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、中華民国、フランス、フィリピンで、それぞれ自国領土ないし 占領地や植民地で裁判をとりおこなった。全被告人のうち有罪判決を受けたのは総計四四棚三名、無罪は一棚 一八名、有罪者のうち九八四名は死刑宣告を受けたが、のちに死刑が承認されなかったり減刑になったり、ま ) て独自の裁判を実施している。これらの裁判は非公開で実情が公にされていないが、ソ連に抑留された日本人 日本降伏の直前に参戦したソ連は、一連合国として東京裁判に判事と検察官を送ったが、そのほかソ連領に 国裁判は、占領期の一九四五年九月から一九五二年四月のあいだにすべて終了した。 ( た脱獄や自殺のケースもあり、実際に処刑されたのは九三四名に満たない。連合諸国による東京継続裁判と各 8 ) たという ソ(連政府により戦争犯罪人と確定された合計二六八九名はのちに帰国 。) ソ連当局は一九四九年一二月、ハ ( の回顧録等によると、約三棚棚棚名がソ連の刑事法に照らしあわせてスパイ容疑や反革命行為の容疑で裁かれ 9 ) ) ( ) Ρ との対峙と悔恨をうながす﹁改造﹂教育が数年かけて行われ、公開裁判は一九五六年に三件のみ実施している。 ったという。中華人民共和国成立後になると、ソ連当局から引き渡しのあった戦犯容疑者に対して、戦争犯罪 ( おこなわれた。くわしい実態はわかっていないが、手続きは簡易化されており有罪判決の場合は即刻処刑もあ 実施しており、被疑者の回顧録等によると、﹁人民裁判﹂として知られる裁きが中国共産党軍により戦後とり では細菌兵器を開発・実験・実用したことを被疑者みずから認めた。中国共産党当局も独自の対日戦犯裁判を ( バロフスクにて唯一公開裁判を開催し、旧日本帝国陸軍の一二名 関(東軍の将官を中心とする を)裁いたが、ここ ヮ 被告人合計四五名はみずから罪を認め、有罪判決を受けたものの量刑は厳しくなかった。 3 ワ 1 本書のねらい 級法廷で広く適用さ 本書は、右に概観した 級戦犯裁判のうち主要なものを分析し、連合国諸法廷で展開された個人の刑事責 ⅫⅫⅫⅫⅫ 任論を検証することを趣旨とする。そのねらいは、戦争犯罪に対する責任の所在を理念的見地からだけでなく、 ⅫⅫⅫⅫⅫⅫⅫⅫⅫⅫⅫ 実践的な法理学上の見地から体系的に研究し、従来の戦争犯罪責任論に一石を投じてみることにある。なかで ともゆき も、米マニラ法廷で一九四五年末に裁かれた山下奉文陸軍大将 第( 一章で論述 以) 来、 級戦犯裁判から B C 級戦犯裁判が B C は﹁コマンド責任 論( ﹂) と訳さ command responsibility ﹁(奇襲隊﹂﹁コマンド隊﹂と ) の混乱も commando れた戦犯裁判では通説とみなされていた事実である。そのため各地の戦犯裁判では、軍司令官は部下に戦争犯 軍司令官の権限が﹁指令権﹂と﹁統制権﹂から成るという法見解は、すくなくとも第二次世界大戦後に実施さ 生じかねないので、本書ではカタカナ化は避ける。﹁指令統制責任論﹂と訳す論拠はふたつある。ひとつは、 れるが、﹁コマンド﹂という言葉は日本語に馴染みがなく、英語 なお、従来の国際刑事法に関する和文概説書では、 提供する法理学上の責任論が、戦時下日本による戦争犯罪の責任問題解明にどう寄与しうるかを考察する。 律上および事実上の認定⒡⒢といった点について踏みこんだ分析を試みる。つまり本書は、 浮き彫りになる戦争犯罪責任論の諸問題、すなわち⒡⒢ 1 ( 指 )令統制責任論に求められる犯罪命令や認識の要 ⅫⅫ 件、 2 ( 戦 )時下日本の政府・陸海軍各組織の指令系統の理論とその実態、 3 ( 政 )府・軍組織の刑事責任問題と ⅫⅫ 官吏・軍人個人の刑事責任問題のかかわり、そして 4 ( 被 )告人個々人の有罪・無罪の根拠について下された法 解をあきらかにし、法廷で形成されていった個人責任論の軌跡をたどっていく。そして、 に着目し、この法理論について各国裁判所が下した多様な法見 れた﹁指令統制責任論ⅶ (command responsibility) B C B C 4 序章 BC 級裁判研究の視点 罪の実行命令を下した 場合のみならず、軍司令官が配下将兵の統制を怠り (commission) 戦争犯罪が起 (omission) こる事態に至った場合も刑事責任が問える、という個人責任論がひろく展開された。すなわち、個人責任論と Ⅻ ⅫⅫⅫ ⅫⅫⅫⅫ Ⅻ には、 1 command responsibility ( 指 ) 令権 と 2 ( 統 ) 制権 から生 じるふ たつの 個人責任 論があ ると理 解さ して の に関 する 法理 論の 総括 を試 みた 歴史的 裁判 であ るこ とか ら、 こ command responsibility れたのである。ふたつ目の論拠は、本書の第六章で論じる豊田裁判で下された判決である。そこでは、 comⅫⅫⅫ を 1 ( 指 ) 令系統を通じて配下部隊に軍命令を伝え従わせる指令権と、 2 ( 配 ) 下に置かれた mand responsibility ⅫⅫⅫ 部隊が軍紀に従うよう上官がコントロールする統制権の意味がある、との法見解が示された。豊田裁判は、 級 法廷 で展 開さ れた B の判決は重要である。ちなみに、英語圏では軍司令官の権限をひとくちに表現するとき、﹁指令と統制ⅶ (com- とよくいうが、これは軍事用語としても通用し軍関係文書や軍事用語集にみいだすことがで mand and control) ) 大さのため、未開拓部分が多い。裁判記録は、軍事戦略・軍事行動・軍事占領が戦争犯罪の発生とどのような ⅫⅫ 接点をもっているかを記録している点が特徴的であり、こうした史料を使って戦争を書き起こすことに歴史学 な史料群を構成しており、史料としての裁判記録研究は近年飛躍的にすすんでいる。しかし、その多様さと膨 犯裁判研究でもしばしば指摘されているとおり、戦犯裁判記録は、アジア太平洋戦争史を研究するうえで貴重 右の研究のねらいに加え、本書では、裁判記録の史料価値を照らしだす作業も副次的にとりくむ。従来の戦 ては、今後の戦犯研究の発展でさらなる議論がすすめられることが望ましい。 ( きる。本書では、これらの論拠から﹁指令統制責任論﹂という訳を試みた次第である。この用語の適訳につい ヰ 上、大きな意義があると考えられる。そこで本書は、 級戦犯裁判の法理学的見地からの研究を中核にすえ ⅫⅫⅫⅫⅫⅫⅫ ( ) ながらも、本書の研究対象とする裁判の記録を利用した戦争史の書き起こし作業にも実験的に試みる。 5 C B C  ̄ 級戦犯問題研究の歴史は内外で長い蓄積がある。英語圏では、フィリップ・ピッチガッロの ・フランク・リールの ) The Japa- ﹃(山下大将の裁判﹄一九四九年 だ )。この書は、米陸軍が The Trial of General Yamashita ( ヱ 駆的な研究書とはいえ学術書として物足りなさがのこる。裁判記録文書の実証的な研究として重要な書は、 ほとんどが新聞資料や裁判結果の報告書であって、裁判記録そのものは十分検討されていない。そのため、先 している。この書は英語圏において今日まで必須の参考書である。ひとつ難点は、研究に使われた一次史料の ﹃(対日裁判﹄一九七九年 が ) 先駆的研究書で、東京裁判も含めた極東戦犯裁判の全体像をあきらかに nese on Trial B C Beyond Nuremberg﹁(ニュルンベルクを超えて﹂一九九九年 で) ある。この論文は、法学者兼歴史学者であ ) だ。ただ、欧米における近年の研究は、 1 ( 法 )学的専門性が高い一方、今までの歴史研究の積み重ねが十分生 で急速に関心が高まった状況を反映しており、日本国内において稀だった法学分野での研究が主流なのが特色 くと誕生し大きな成果が挙がっている。これは、過去の戦犯裁判の今日的意義について、国際法学者のあいだ 英語圏では近年、ニュルンベルク・東京裁判をはじめ第二次大戦後の戦犯裁判に関する新しい研究がぞくぞ 論を、法理学上の視点からくわしく分析している点が特徴である。 ( ︳ 統制責任論をはじめ、ナチス・ドイツと大日本帝国の指導的立場にあった被告人に適用された個人の刑事責任 裁判を比較研究の視野から検証している。この論文では、国際刑事法の分野で近年とみに注目されている指令 るコーエン独特の学識を生かしつつ、ニュルンベルク裁判、ニュルンベルク継続裁判、東京裁判、そして山下 論文 に送りだしている。戦犯裁判研究の水準を高めた近年の作品で特筆すべきは、デイヴィッド・コーエンの学術 の一員であり、みずからの裁判体験と裁判公判記録を存分に活用し、回顧録ながらも実証性にあふれた書を世 アジア太平洋地域で実施した山下裁判のくわしい記述を提供している。リール自身はかつて被告人弁護チーム A 6 序章 BC 級裁判研究の視点 ⅫⅫ ⅫⅫⅫ かされていない、 2 ( 国 )別といった縦割り式が主流で、多国間の戦犯捜査や訴追努力の視点が欠落している、 3 ( 複 )数の著者による研究書の場合、それぞれ著者の語り口がバラバラで本全体に統合性が欠ける、といった ﹃(香港での戦犯裁判﹄二棚一三年 だ )。この本は、 Hong Kong’s War Crimes Trials 難点が指摘される。これらの三つの特徴は、つぎに紹介するふたつの裁判研究にも顕著にみられる。 ひとつは、スザナ・リントン編 英国当局が香港で実施した一連の裁判四五件に着目し、それらを包括的かつ多分野的視点から検証を試みた画 期的作品とされる。しかし、実際はイギリス香港裁判の資料を使っているほかに、何ら理論上あるいは方法論 上の共通項がなく、複数の著者が相互に関係しないトピックについてマチマチに論述をすすめている。ほとん ﹃(オーストラリアの戦犯裁判﹄二棚 Australia’s War Crimes Trials どの寄稿論文は、専門性の高い法学・法理学の諸問題を狭くあつかっており、歴史研究の要素が薄弱である。 他 方 、 ジ ョ ー ジ ー ナ ・ フ ィ ッ ツ パト リ ッ ク 他 編 の ( 一五年刊行予定 は ) 、一カ所のみで実施された少数の裁判群だけでなくオーストラリア主催の戦犯裁判三棚棚件 ) すべてを網羅している。編者間の長年にわたる綿密なチームワークも功を奏して、法研究と歴史研究のバラン スがよく、総論と各論のテーマも相互に関連性のつよい整った構成となっている。しかし、﹁国別﹂という枠 組みを適用したため豪州当局の戦犯政策にもっぱら光を当てており、連合諸国間の連携作業についての記述や 検証が欠落している。たとえば、豪・英・米・中・蘭・仏当局とのあいだで戦犯政策が協議されたことや、戦 争犯罪容疑者の捜査・逮捕・拘留・裁判に当たり共同作業があったことについては記述が限定される。また、 Ⅻ ⅫⅫⅫⅫⅫⅫ 連合国間で次第に形成された戦犯裁判の法理学上の遺産⒡⒢たとえば、指令統制責任論について国境を越えて 形成されていった判例⒡⒢についても、国別という縦割りアプローチに制限され統合的に検証できていない。 日本での戦犯裁判研究でも、国別という枠組みが根強い。しかし、視点の設定のしかた、分野の専門性、語 7 ー 級戦犯裁判研究で 級戦犯裁判ⅴ 二(棚棚五年 が) り口、といった研究手法の諸側面について英語圏のそれと様相を異にする。たとえば、 基盤をなす重要な書に、岩川隆﹃孤島の土となるともⅴ 一(九九五年 や)林博史﹃ ﹃フィリピンと対日戦犯裁判ⅴ 二(棚一棚年 も)国別で 裁判の複雑な歴史的流れとその内容を秩序立ててわかりやすく説明するうえで、便宜上十分納得のいく手法と いえる。林博史﹃裁かれた戦争犯罪ⅴ 一(九九八年 と)永井 分析がすすめられているが、それは、英・比当局の主催した戦犯裁判をそれぞれの国家近現代史という歴史的 級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会﹃法廷の星条旗ⅴ 二(棚棚四年 は)、米横浜裁判を歴史的文脈 コンテクストのなかで再構築するためであって、これも歴史学上の手法として筋が通っている。例外的に、横 浜弁 護士 会 研究の手法は、﹃香港での戦犯裁判﹄と﹃オーストラリアの戦犯裁判﹄に近い。しかし、複数の著者が寄稿文 級戦犯裁判のうち本書で研究対象にするのは、冒頭で言及したふたつの東京継 にてバラバラに論述をすすめる体裁ではなく、横浜弁護士会の研究グループとしての語り口でまとめられてお り、統合性で優れている。 二二四棚件以上にのぼる 整っていない。筆者自身の言語上のハンディも相まって、今回は英語と日本語のみで研究がすすめられる戦犯 ダ・中華民国・フランスの戦犯裁判資料はいまだ公開に制約があり、研究をすすめるための史料開示が内外で ある。第一に、英・米・豪・比裁判は公判内容や書証等の裁判記録がすべて一般公開されているが、オラン った一二件 主(要被告人は将官級 の)合計一四件である。分析対象を英米系の戦犯裁判に限定した理由はいくつか 続裁判⒡⒢田村・豊田裁判⒡⒢と、英・米・豪・比当局が主催した裁判のうち指令統制責任問題を主にあつか B C 8 B C あるが、国別という枠組みは、それぞれの著者の手元にある膨大な裁判記録文書を整理し、連合国による戦犯 B C から再構築するというより、法学・法理学の見地から諸問題をテーマ別に分析するアプローチを適用しており、 B C 序章 BC 級裁判研究の視点 裁判に絞るのが賢明と考えられた。 第二に、英・米・豪・比四カ国間では、裁判手続きと適用法がほぼ同じであり、比較研究をする十分な法的 ( 根拠がある。しかし、オランダ・中国・フランス裁判は、英米系の戦犯裁判規程を模範とするわけでなく、そ ) れぞれの国の刑法をむしろ基本とし裁判法がお互いに相違している。つまり、いわゆるコモン・ローの伝統を 共有する英米系の四カ国とそれ以外の連合国三カ国のあいだに大きな隔たりがあり、比較研究には困難が予想 される。そこで本書の研究では、比較研究として成立しやすい英米系裁判のみに光を当て、オランダ・中華民 国・フランス裁判は将来の宿題とすることにした。 第三に、研究対象の裁判件数を一棚余件に限ったのは、戦犯裁判の資料がじつに膨大であって、すべての裁 級戦犯裁判を網羅 判を研究対象とするのが現実的ではないという問題に起因する。一件の裁判記録は、二υ三頁だけからなる簡 易な事例もあれば、公判記録から書証を含めて数万頁に及ぶ事例もすくなくない。もし るにあたり、本書ではつぎのような基準ふたつを適用した。 な事例とみられるものに限定し、まずそれらを体系的に研究する方針とした。なお、﹁代表的事例﹂を決定す になんらかの実際性を備えるのが望ましい。そこで本書では、二二四棚件以上にのぼる戦犯裁判のうち代表的 の史料も無尽蔵にある。このように史料があまりにも膨大な場合、研究範囲にある程度限定を設け、研究題材 録だけでなく、裁判の準備から完了までのあいだに作成された各政府・軍当局の行政文書、戦犯捜査団のあつ ⅫⅫ めた各種証拠文書や各種報告書といった、そのほかの裁判関係文書も分析対象としなければならない。この類 するならば、裁判記録だけでも合計一棚棚万頁は超えると推定される。しかも、裁判研究の基本資料は公判記 B C ひとつは、将官級の被告人を中心とした裁判を研究する、という方針だ。概して連合諸国は、指令系統の下 9 ︱ 図 2 シンガポールで骨と化した連合国軍兵士 の死体を発掘しているところ.立ち会った英軍 医は,「目隠しに使われたとみられる布切れ」 を棒で拾い上げている.Ξ Imperial War Muse- 実施された裁判 東( 京裁判を含む か) らの積み重ねが生かされている。ただし、この反対の例もある。終戦直後 ⅫⅫⅫⅫ にマニラで開催された山下裁判や本間裁判の場合は、将官級の被告人が先立って裁かれており、指令系統の下 ⅫⅫ ⅫⅫⅫⅫ ⅫⅫⅫⅫ 位にあるものが後に裁かれ、訴追順序が逆転している。本書では、こうした先取り型とその対極の後追い型両 してはいわば一石二鳥となる。先に言及した田村・豊田裁判にはこの論理が該当し、これらの裁判では早期に り陸海軍の将官らを裁く傾向があった。そのため、後半期に実施された将官級の被告人をあつかった裁判に着 ⅫⅫⅫⅫⅫⅫⅫ 目すれば、その特定の裁判だけでなく、そこに至るまでの一連の裁判群をも垣間みることができ、研究手法と 級兵士から上へ順番に裁判をすすめ、基本的な犯罪事実がだいたいあきらかになったところで上位の者、つま 図 1 英領香港のスタンリー刑務所にて英諜報 機関員が戦犯容疑者の顔写真を撮っているとこ ろ.Ξ Imperial War Museums (SE6510) ums (SE6153) 10
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