認知症を馬鹿にするな 認知症って誰もがどんな病気だと思うだろう。脳の組織が破壊されて正常な状態ではな くなる。だから自分たちはその人にどんなことを言ったって、全く平気よ、と。実際には どうでしょう。 ある女性の認知症の人の話です。わたしが彼女をディサービスに預かったのは、所長に なってすぐのことでした。彼女はディサービスの始まる前から訪れて、掃除機で掃除を始 めます。それからテーブルを拭き、皆さんに使用するコップや湯呑を洗います。その間、 わたしと職員はそれを横目で見ながら、お手拭きの支度を始めます。タオルを熱湯で消毒 し冷ましながらくるくると巻いて行きます。彼女は洗った湯呑を人数分をテーブルに用意 し、沸かした湯をポットに入れたり急須とお茶っ葉を用意します。まるで彼女は介護員の 一人に見えます。実はこの前に職員が湯呑など洗っています。彼女の好意は受け止めても、 安全面で彼女に洗い方には問題があり、こっそり内緒でそれを指示しています。皆が帰っ て後も同じような経過を辿ります。それが毎日続きます。しかし突然朝来ない時がありま す。そうすると介護職員が迎えに行きます。彼女のマンションは玄関が暗証番号を押さな いと扉が開きません。だからそれを知っている数名に行く人が限られます。わたしも行く ことがあります。すると「何だ、男が来たのか」と呟いたりします。 ではディサービスに来ない時にはどうしているかと言いますと、ヘルパーが訪問して洗 濯したり、料理を作ったり、掃除をしたりします。だが時々介護保険の事業所に現れます。 彼女は肉親が一人もいない身で、生活保護を受けており、事業所で預かっている区役所か らの入金された金を受け取りに来ます。本来は、金は本人名義の口座に振込まれるのです が、管理能力がないので、これは事業所に取って違反行為なのですが、やむを得ずそうい った処理をしなければなりません。振込は日にちが月の5の付く日と決まっていますが、 それが理解出来ないので、仕方なく事務所で管理しています。こういった処理は事業所の 利用者の3~4 人いて全てが認知症の人です。彼女のもその一人です。しかしここでいろい ろの問題が発生します。彼女はかなり重症の認知症で自分は全て分かっているし、正しい と思っていることです。特に金の問題はヘルパー全員を騒動の渦に巻き込みます。彼女は 金を盗まれたとは言わない人でしたが、金がないから預けてある金を下さいとやってきま す。彼女はいつでも金を貰えるものと思っています。此処で対処法を知らないと飛んでも ないことになります。しかし大抵のヘルパーはそれを知りません。事業所の所長も認知症 の人の扱いを熟知していません。言われた通りに金の残高がある間は彼女に金を渡してし まいます。それがまたとんでもない方向に導いて行きます。金のことで言い争いが生じま す。わたしは毎日介護している人に、金のことを聞きますがはっきりしません。それでわ たしも含め、二、三人で彼女がディサービスに行っている留守に、彼女の部屋の探索です。 彼女が介護を受けていない空白の時間は要注意です、部屋がどうなっているか分かりませ ん。入口を用心深く開け、玄関が異常がないか目で確かめます。特に靴は危ない。それに 玄関も。玄関は乾燥しています。靴にも異常がありません。一先ず安心です。部屋はヘル パーが毎日のように来ているので散らかる事はありません。問題はベッド周辺です。これ も異常ありません。掛け布団を捲って見ます。変化なし。ではとベッドを三人掛かりで持 ち上げます。思った通りです。ベットの端はしに千円札や、小金の百円玉や十円玉も、あ ちらこちらに置いたままになっています。彼女がお金を使った後金を隠そうとします。そ れがベッドの下に隠す行為をします。これではお金が幾らあっても足りなくなるのは当た り前です。わたしたちはベッドの隣にあるタンスの上の金属製の物入れに注目しました。 そこを一段ごと調べるといくらかのばら銭が出てきました。これを回収して彼女の生活費 に当てることにしました。又こういった部屋に入るときの用心はそれなりの理由がありま す。彼女は便所のあり場所が分かりません。従って玄関先とかで、小便や大便をします。 妙なことに大便は靴の中にします。わたしたちはその用心のため、最大な注意を払うので す。 そしてまた別の日、ディサービスでの団欒です。ゆったりとした気持で、この数日の自 分の身に起こったことを話します。 「昨日ね、弟が来て金が足りなくなったから貸してくれ って言うのよ」この話を聞けば正常者と何ら変わりがありません。しかしヘルパーの全員 がそれが彼女の病気のせいだと分かっています。 「それで3万円も上げたのよ」彼女の身内 は誰もいません。まして弟なんか存在する訳もないのです。 彼女の病気の症状の特徴は、 「金を盗まれた」とヘルパーを非難し、免責になる事はあり ません、それに徘徊もしません。ただ病状は悪化し24時間体制の看護が必要になってき ています。彼女のための会議を開催します。結論は何処か施設で預かってくれる場所を探 さなければならない。しかし生活保護を受けていてそんな施設に入れる資金がありません。 それに東京の施設は超満員です。幸い彼女を見舞いに来る人もいません。茨城県に良い環 境の老人ホームを見つけて、そこへ彼女を移すことに決定しました。しかし彼女には絶対 の秘密です。丁度そのときクリスマスの時期にぶつかります。多分それが此処にいる最後 になるでしょう。正月には引っ越さなければなりません。わたしはクリスマスケーキを注 文し、弁当もどうするか検討します。老人ばかりですから脂っこいものは駄目です。手作 りもありますがそれだけそこに人間が取られてしまい、肝心の職員の気配りがとどこうり になります。何時も決められた業者に依頼します。プログラムは練習の機会が少なく少々 心もとない。事業所の所長から挨拶を受け愈々開催です。介護者が一番興奮するのは、プ レゼントの発表のときです。予め各自籤の番号を引いています。一番から順番に言うので はなく、上にある品の番号を言います。これは意識的にそうしているのでなく、包装する 時にランダムに入れて順番に番号を探すのが大変なだけである。 そうしてプログラムは順調に進んで行きますが、ふっと彼女が漏らした言葉に介護職員 はフリーズしました。 「わたし施設に行くのね」後から聞いても誰も彼女にそんな事を言っ ていないと言いますし、多分そうでしょう。ただ何となく訪問するヘルパーの態度や雰囲 気で感じ取ったとしか思われません。こういった人は兎角に神経が敏感になっています。 多分彼女はわたしたちが通常でないのを察知したものと思われます。彼女は全てを知って いたのです。それから彼女は施設に送られて1~2月経った頃その施設から連絡がありま した。彼女は動脈瘤破裂で亡くなったそうです。
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