非対称不完全情報下の保険市場 小 藩 康 夫 (弘前大学講師) 1.はじめに 最近、保険に関する諸研究の中で注目を集めている研究に非対称不 完全情報下の保険市場分析があり、特にロスチャイルドニスティグリ ッツ〔6〕〔7〕等によって分析が進められている。いままでの保険市 場に関するアプローチは完全情報下の保険市場を仮定し、そのフレイ ムワークの中で保険の諸問題を解津する傾向にあった'oっまり、事故 確率に関する正確な情報を被保険者ばかりでなく保険会社も同様にも っていることを前提として保険の諸問題を分析する傾向にあったので ある。しかしながら、このようなアプローチは保険市場の重要な特徴 を見失ったアプローチである。というのは、保険の諸問題の中で最も 難しい問題の1つにモラル・ -ザードの問題があることから容易に推 測できるように、保険市場では被保険者は自己の事故確率について正 確な情報をもつことが可能であるが、他方、保険会社はその事故確率 について正確な情報をもつことが困難であるからである。もちろん、 保険会社は費用をかければ事故確率に関する正確な情報を得ることが できるであろうが、しかしながらその費用は極めて大きな値であろう0 したがって、このような保険市場の重要な特徴である非対称不完全情 報を保険市場モデルに組み入れた場合にどのような結果が生じるのか を分析することは必要なことなのである。また、同時に保険会社が被 -213- 非対称不完全情報下の保険市場 保険者の事故確率について正確に知る手段も興味のある事柄であろう0 われわれはこのような問題意識から非対称不完全情報下の保険市場 を分析していくことにする。まず、第2節では完全情報下の保険市場 モデルを説明し、そのモデルを用いて簡単な比較静学を行う。第3節 では不完全情報下の保険市場を扱い、完全情報下のそれと比較してい かなる違いが生じるのかをみる。第4節ではスペンス〔9〕が提唱し たシグナル概念を保険市場モデルにとり入れ、保険会社が被保険者の 事故確率を知る手段を示すことにする。そして第5節では論点を整理 することにする。 2.保険市場モデル まず、われわれは保険市場モデルを提示するにあたって、エーリッ クエベッカー〔2〕のモデルを利用することにす草。 2-1.保険の需要 費初に保険を利用しないケースから考えることにしよう。 今、代表的個人がいると仮定し、彼の所得は次のような2つの状態 に直面しているとする。つまり、事故が生じない場合の所得(Il と事 (1) 故が生じた場合の所得do である。ここで、 2つの状態の初期所得は それぞれ_I今、 ICとし,また事故が生じる確率はPであるとするoそう すると、このような状態のもとで効用関数Uを用いて彼の期待効用を もとめるならば、 (l-P)U(Iチ)+pu (rt) (2) となる。ただし、この効用関数はU'>0、 U''<0とする。 次に保険市場が存在し、それを利用するケースを考えてみることに しよう。 -214- 非対称不完全情報下の保険市場 そこで、この保険市場に参加する保険会社はS7Tの保険料を受け取り、 Sの純保険金を支払うと仮定しよう.ただし、この7Tは「保険価格」で あり、 -dli/dl0-77-と定義づけられるo それゆえ、保険を利用した場 合のIlとIoの関係は次のような式で示すことができる。 !トIl - 77- (Io-IoA) このことは第1図をなかめることによって一層深く理解することが できようo この図において事故が生じない場合の初期所得がIfであり 事故が生じた場合の初期所得がI告であることから初期状態が点Aで示 されるのに対して、保険を利用した場合の所得は機会線( 2)式)と無差 別曲線が接する点Bで示される。すなわち、点Aと点Bを比較すれば わかるように、これは被保険者が保険を利用することにより点Aの状 態からS7Tだけの保険料を支払い事故が生じたときにはSの純保険金 を受け取ることによって所得状態を貴通な状態である点Bに移すこと を示しているのである。すなわち、保険を利用することにより所得パ ターンを点Aから点Bに変化させ、期待効用水準を高めるのである。 このことを式で示したものが(3)式である。 1 -P)U(Iチ)+PU(K) < (1-P)U(I?)+PU(I?) ところで、彼が保険を利用する場合の最適条件はIfーIl - 7T<IoI5)の制約下で期待効用EU… l -P)U(Ii)+PU(Io)を極大化する ことによって導出できる。つまり、 Max EU…( 1 -P)U(Ii)+PU(Io) s.t. tf-Ii - Trih-I^) そこで、ラグランジュ乗数人を用いて、極大のための第1階条件を求め るならば、次のようになる。 -215- 非対称不完全情報下の保険市場 PUo-Att- O l-P)Ui-A- 0 K-II -7T(Io-Ie) ただし、 U'l… ∂U/oli、 U'o… ∂u/ao。ここで、 (5)式を整理するなら ば(6)式となり、この式より彼が保険を利用して状態1と0の最適所得 パターンを選択することの意味づけが明白になる。 Pub 7T= 1 -P)Ui すなわち、その意味づけは次のようになる。 (6)式において容易に理解 できるように左辺は機会線の傾きであり、右辺は無差別曲線の傾きで あることがわかるo なぜなら、機会線I争-Il-77-Uo-Ie)より -dli/dlo- wが得られ、また( 1 -P)U(Ii)+PU(Io) -constantよ り-dli/dlo du-0 -PUb月(1-P)Ui│ が得られるからであるO それゆえ、 (6)式が意味していることは第1図で示しているように、保 険を利用することによって無差別曲線と機会線が接する点まで所得パ ターンを変化させ、それによって貴通所得状態が得られるということ であるOつまり、事故が生じない状態においてI仁I?-S7Tだけの保 ト 非対称不完全情報下の保険市場 険料を支払い、事故が生じたときにはIだ-K-sの純保険金を保険会 社から受け取るという所得パターンを選択するのである。このように 保険を利用することによって状態1と0における所得パターンを変化 させ、それによって初期状態の期待効用水準よりも大きな期待効用水 準を得ることができるのである。したがって、ここにおいて保険需要 が生じるのである。 次に、この保険モデルを利用して事故確率(P)が変化した場合の保 険需要に及ぼす効果および保険価格ir)が変化・した場合の保険需要に 及ぼす効果を分析することにしよう。 そこで、われわれは比較静学を用いて、これらの分析を行うため、 まず、先ほど得た極大のための第1階条件を仝微分することにより次 の式を導出することにする。 PUo dIo ( 1 -P)Ui -1 dIl dA -1 最初に事故確率(P)が変化したときの保険需要に及ぼす効果から検 討することにしよう。この効果は(7)式から次のように示される。 -吉(Uo+Ui打) ,0 ただし、 △= -PU0-7T2( 1-P)U'i>0<すなわち、事故確率が高ま るにつれて被保険者はより多くの保険を需要するのである。このこと -217- 非対称不完全情報下の保険市場 は容易に理解することができよう。なぜなら、事故確率が高まるにつ れて彼はより多くの保険を購入し、それによって事故が生じない場合 の所得を事故が生じる場合の所得により多く移転させようとするから である。 事故確率の変化が保険需要に及ぼす効果は図を用いることによって 一層理解を深めることができる。第2図はこの効果を示したものであ る。第1図と同様に保険を利用しないときの状態は点Aで示され、そ して点Bは事故確率が変化しない場合に保険を利用したときの均衡状 ll 第2図 態を示している。ここで事故確率が増加したとしよう。すると無差別 曲線の傾きの絶対値が大きくなることがわかる。なぜなら、先ほど示 した無差別曲線の傾き(dli/dlo au-0 -PUb/l(l-P)Ui[より次 の式が得られるからである。 志-dli/dlo │ <iu-o ) Ub 1 -P)2Ui > 0---・一一一(9) したがって、事故確率(P)が増加するにつれて傾きは険しくなり、点 -218- 非対称不完全情報下の保険市場 Cにおいて新しい均衡が得られるのであるo点Cの純保険金はIS:-I合 であり、事故確率が増加する以前の純保険金IぎーI合よりも上回ってい ることが確認できる。したがって、事故確率が増加するとき保険需要 も増加することがわかるのである。 われわれは事故確率の変化が保険需要に及ぼす効果を分析したので、 次に保険価格Uの変化が保険需要に及ぼす効果をながめることにし よう。その方法は先ほどの事故確率変化の効果と同様に比較静学によ る分析と図を用いることによって理解できる。 この効果は(7)式を用いることによって得られる。つまり -左上( l -P)Ui+(Io-Iの汀( -P)Ui〕 < 0一一一(10) この式が意味していることは、保険価格が増加するならば保険需要は 減少し、逆に保険価格が下落するならば保険需要は増加するというこ とである。このことは図を用いることによって一層理解を深めること ができよう。第3図はこの保険価格が増加した場合の保険需要に及ぼ す効果を示したものである。 この図において点Aは先ほどと同様に保険を利用しない状態を示し、 点Bは保険価格Oのもとで保険を利用した最適状態を示しているO ここで、保険価格か7TOから7Tl-増加したとしよう。そうすると最適 な状態は点Cとなる。つまり、保険価格が7TOのときの純保険金が tBt l0-1分であったのに対して、保険価格が7TOから7Tlに増加した場合に は純保険金は減少してtCtA l0-loとなるのであるoこのように保険価格と 保険需要は逆の方向に動くことがわかるのである。 以上の比較静学からわれわれは保険需要に関する次の性質を知るこ とができた。すなわち、事故確率が増加(減少)するにつれて保険需 -219- 非対称不完全情報下の保険市場 要も増加(減少)し、保険価格が増加(減少)するにつれて保険需要 は減少(増加)するということである。 Il 2-2.保険の供給 いままでわれわれは被保険者の立場から事故確率および保険価格が 保険需要に対していかなる影響を与えるかという、保険需要の側面に ついてのみ分析してきた。しかしながら、保険市場を分析するために はもう1つの側面である保険の供給についても保険市場モデルの中に 組み入れていかなければならない。そこで、次に保険の供給について ながめることにしよう。 前項の保険需要で説明したように保険の供給者である保険会社は事 故が生じない場合には被保険者からS7Tの保険料を受け取ることができ、 逆に事故が生じる場合には被保険者にSの純保険金を支払わなければ ならない。ここで保険会社は危険中立的であり、期待利潤だけに関心 があると仮定しよう。そうすると、保険会社の期待利潤は次のように 表わすことができる。 -220- 非対称不完全情報下の保険市場 ( 1 -P)S7T-Ps さらに、保険市場は完全競争・自由参入であると仮定するならば、期 待利潤はゼロとなる。それゆえ、保険市場の競争均衡より得られる保 険価格は P l l> となる。 したがって、保険の供給者である保険会社はOfl式の条件を満たすよ うに保険を供給することになるのである。 2-3.保険市場 われわれは保険の需要と供給とレiう2つの側面について個別に考餐 してきたので、次にこの保険の需要と供給から成立する保険市場の均 衡について分析することにしよう。 先ほど示したように被保険者にとっての貴通条件は(6)式であり、保 険会社にとっての均衡条件は(lか式であった。つまり、 PUo IT- 1 -P)Ui すなわち、 (6)式と(ID式からわかるように両者を満たす保険市場の競争 均衡は P P U♭ 1-P 1-P Ui -221 - 非対称不完全情報下の保険市場 つ'Ml, Uo-Ui であることがわかる。この式が意味していることは保険を利用した場 合の被保険者の所得は事故が生じない場合も事故が生じる場合も所得 を等しくするということである。このことを図示するならば、第4図 のようになる。 ここで、先ほど示した保険需要と事故確率の関係および保険需要と 保険価格の関係を利用して、保険市場の均衡下における保険需要と事 故確率および保険価格の関係について分析することにしよう。 ll l.A いま、事故確率だけが増加したとする。先ほどの保険需要の側面だ けを分析の対象にしていた場合には、事故確率の増加は保険価格に何 も変化を与えなかった。しかしながら、保険市場均衡下では事故確率 の変化は保険価格も変化させることがわかる。なぜなら、保険会社に とっての条件式(10式より dn ∂ (1-p2 >0 -222- 非対称不完全情報下の保険市場 が導き出されるからである。すなわち、事故確率が増加(減少)した ならば保険価格も増加(減少)しなければならないのである。したが って、第5図で示しているように事故確率がPLからPHへ増加した場 合には保険価格も7TLから7THへ増加し、その結果、新しい均衡点Cは もとの均衡点Bよりも南西の方向に位置することになるのである。す なわち、点Bと点Cを比較すれば容易にわかるように、保険市場の均 衡が生じる場合には、事故確率が増加するならば保険料は上昇し、純 保険金は逆に減少することになるのである。 I) 以上のように、われわれは簡単な保険市場モデルとその性質につい て分析してきたので、次にこのモデルを応用することにする。 -223- 非対称不完全情報下の保険市場 3.不完全情報と保険市場 いままでわれわれは保険市場の均衡を分析する場合に、保険会社が 被保険者の事故確率について完全に知っていることを前提としてきた0 しかしながら、保険市場の特徴の1つとして非対称不完全情報があげ られる。これは被保険者は自己の事故確率について正確な情報をもっ ているが、しかしながら保険会社は被保険者の事故確率について正確 な情報を得ることができないということである。 本節ではこのような保険市場の特徴である非対称不完全情報が保険 市場にいかなる影響を及ぼすかを分析することにする。 今、事故確率だけが異なる2種類の被保険者がいると仮定しよう。 一人は事故確率がPHという高リスクの被保険者であり、もう一人は事 故確率がPLという低リスクの被保険者である。そしてその関係は当然 Ph>Plである。ここで保険会社がこの2種類のタイプの被保険者を それぞれ区別することができるとしよう。そうするならば、保険会社 と被保険者の間にはリスクのタイプごとに市場が成立することになる0 このことは再び第5図を用いることによって理解できよう。 第5図において点Bは事故確率がPLという低リスクの被保険者と 保険会社の間で生じる均衡点であり、事故確率がPHという高リスク の被保険者と保険会社の間で生じる均衡点は点CとなるOただし、7TL は事故確率がPLのときの保険価格であり、打Hは事故確率がPHのと きの保険価格であるOこの図をながめることによってすぐに気がつく ように、この場合の保険料と純保険金はリスクごとに異なっているこ とがわかる。つまり、低1)スクのケースでは保険料はIf-Ifであり純 保険金はtBtA lo-loであるのに対して、高リスクのケースでは保険料は IF-Iチとなり低1)スクのケースにおける保険料を上回り、純保険金は -224- 非対称不完全情報下の保険市場 IE-ICとなり低1)スクのケースにおける純保険金を下回っていること がわかるのである。 このように保険市場に均衡が生じる場合、リスクの相違は無差別曲 線の傾きを変えるばかりでなく保険価格にも影響を与えることから、 高リスクほど純保険金は低下することになるのである。 しかしながら、いままでの分析は保険会社が被保険者の事故確率に ついて正確な情報を持っているという完全情報を前提としてきた。そ れでは情報に関して非対称的なケース、つまり、被保険者自身は自己 の事故確率について知っているが、保険会社はそれに関する正確な情 m 報を持っていないケースではどのような分析結果が生じるであろうか0 そこで、まず、高リスクの被保険者とその事故確率について正確な 情報をもっていないために低リスクと判断する保険会社のケースを考 えようO 第6図はこのことを示したものであるO この図において点B は保険会社が被保険者の事故確率を完全に知っている状況での均衡点 であり、点Cは保険会社の情報が不完全をために高リスクの被保険者 を低リスクと判断した状況でのものであるo点Bの純保険金IぎーIaと 点Cの純保険金IE-I告を比較すればわかるように、このケースでは高 リスクの被保険者は「過剰保険」を受けることになる。もちろん、こ のケースにおける保険会社の期待利潤は負となるであろう。この場合、 点Cを通る無差別曲線EUCは点Bを通る無差別曲線EUBよりも北東 に位置していることから理解できるように、被保険者は保険会社が完 全情報を有している状況よりも一層高い期待効用を得ることになるの である。このようにして、保険会社が高リスクの被保険者を低リスク と判断するときには高リスクの被保険者に対して過剰保険が生じ、そ の結果、保険会社の期待利潤は負となるのである。 それに対して、逆に低リスクの被保険者が保険会社の不完全情報か -225- 非対称不完全情報下の保険市場 a i." iも 第6図 ら高リスクと判断されるならば、どのような結果が得られるであろう か。第7図はこのような状況を示した図である。この図において点B は先ほどのケースと同様に完全情報のケース、つまり保険会社が被保 険者の事故確率について完全に知っている状況の均衡点である。そし て点Cは保険会社の情報が不完全なために低リスクの被保険者を高リ スクと判断した状況でのものである。したがって、点Bにおける純保 非対称不完全情報下の保険市場 険金TBt l0-1分と点Cにおける純保険金E-I合を比較すればわかるように、 このケースでは低リスクの被保険者に「過少保険」が生じ、そして保 険会社の期待利潤は正となるのである。この場合、点Cを通る無差別 曲線EUCは点Bを通る無差別曲線EUBよりも原点に近く位置してい ることから理解できるように、被保険者は保険会社が完全情報を有し ている状況よりも一層低い期待効用を受けることになる。このように して、保険会社が低リスクの被保険者を高リスクと判断するときには 低リスクの被保険者に対して過少保険が生じ、その結果、保険会社の 期待利潤は正となるのである。 以上のように、保険会社が得る情報が不完全であるときには被保険 者に対して過少保険あるいは過剰保険をもたらし、その結果、保険会 社の期待利潤はゼロではなく正あるいは負となるのである。このよう にして;非対称不完全情報のもとでは第2節で示したような均衡が得 られないことになり、それゆえ、ここにおいて保険会社は被保険者を高 リスクな主体か低リスクな主体かを識別する必要が生じるのである。 - 227 非対称不完全情報下の保険市場 4.事故確率の選択とシグナル 前節において示したように保険会社のみが事故確率に関する正確な 情報を得ることができないという非対称不完全情報のもとでは、保険 市場に均衡が存在しにくいことがわかった。そこで、本節では保険会 社がこの非対称不完全情報のもとで個々の被保険者に関する正確な事 故確率を知るにはどうすればよいかを考えることにする。 われわれはこの間題をA. M.スペンスの提唱したシグナル概念を応 m 用して解決することにする。このシグナルとはわれわれの考察する保 険市場モデルでは保険会社が観察可能な被保険者の特質である。つま り、被保険者が有するなんらかの変更可能な特質が事故確率とある関 係をもっていると保険会社が判断し、しかもそれが観察可能を場合、 その被保険者の特質は保険会社にとってシグナルとなるのである。そ 0 してこのシグナルはそれを増加していくのに費用がかかり、その費用 は低リスクの被保険者よりも高リスクの被保険者の方が大きいと仮定 しよう。このようなシグナルは保険会社にとって被保険者の事故確率 を知るうえで重要な情報である。保険会社のこのシグナルに関する利 用の仕方とILて、次のようにするO保険会社は経験上からある大きさ のシグナル(S事)を基準にして被保険者を高リスクの被保険者である か低リスクの被保険者であるかを判断する。つまり、被保険者がもつ シグナルの大きさが0からS*未満の場合には保険会社はこの被保険 者を高リスクの被保険者と判断し、逆に被保険者がもつシグナルの大 きさがS'以上であるならば保険会社はこの被保険者を低リスクの被 保険者であると判断するのである。このような状況のもとで保険会社 が正確な事故確率を見出す過程を第8図と第9図を用いて考察するこ -228- 非対称不完全情報下の保険市場 とにしよう。 第8図は高リスクの被保険者のケースを示したものである。この図 の期待効用水準EUBとEUCは先に示した第6図の無差別曲線EUB とEUCに対応している。すなわち、高リスクの被保険者がシグナルを 0からS* 未満だけ保有しているときには保険会社はこの被保険者を 高リスクの被保険者として扱うことから保険市場で成立する被保険者 の期待効用水準は第6図の点Bを通る無差別曲線、つまりEUBとな るのである。それに対して、この高))スクの被保険者がシグナルをS事 以上有しているときには保険会社はこの高リスクの被保険者を低リス クの被保険者と判断することから保険市場で成立する被保険者の期待 S' I-ォb′ 非対称不完全情報下の保険市場 効用水準は第6図の点Cを通る無差別曲線、つまり虫Ucとなるので ある。ところで、シグナルは増加するにつれて費用も増加するため、 期待効用水準をもとめる際にこのシグナルの費用を考慮するならば第 8図の期待効用水準はシグナルの費用を計算にいれないケースを示し た実線(abとcd)と異なり、点線(ab′とC'd')のようになる。なぜ なら、これは費用をさしひいた期待効用水準を示しているからである0 ここで考察しなければならないことは、被保険者がシグナルをどれだ け手に入れようとするかである。この間題は第8図をながめれば容易 に理解することができるように、この高リスクの被保険者はシグナル をもつことを拒否する。というのは、いかなる大きさのシグナルをも っていてもその際に得られる期待効用水準はシグナルをもたないとき のそれを下回っているからである。したがって、高リスクの被保険者 は合理的に行動することからシグナルを一切持たないことになる。そ して保険会社はこの被保険者がシグナルを一切持たないことから、つ まり S*未満のシグナルであることから、高リスクの被保険者である と判断することができるのである。このようにしてシグナルを利用す ることにより保険市場に均衡が得られることになるのである。 それでは低リスクの被保険者のケースではどのようになるであろう か。このことを示した図が第9図である。この図の期待効用水準EU BとEUCはそれぞれ第7図の点Bおよび点Cを通る無差別曲線EU BとEUCに対応しているものである。第9図では先ほどと同様にこ の低リスクの被保険者がシグナルを0からS*未満の大きさだけ保有 しているとき保険会社は彼を高リスクの被保険者と解釈し、S*以上煤 有しているときには保険会社は彼を低リスクの被保険者と判断するの である。したがって、低リスクの被保険者が高リスクあるいは低リス クと判断されることによってそこから生じる被保険者の期待効用水準 -230- 非対称不完全情報下の保険市場 はEUCおよびEUBとなる。ただし、このような期待効用水準はシグ ナル獲得のための費用を考慮していない場合の期待効用水準である。 そこで、このシグナルを獲得するための費用をモデルの中に組み込む ならば第9図の点線(ab'とC'd')のようになる。これはシグナルを増 加するにつれて費用も増加していくことを仮定している。しかしなが ら、ここで注目しなければならない特徴は次のことである。つまり、 低リスクの被保険者がシグナルを獲得する費用は高リスクの被保険者 のそれに比べて低いということである。そうすると、この低リスクの 被保険者はシグナルをどれだけ獲得しようとするであろうか。まず、 全くシグナルを購入しない場合をながめるならば、その期待効用水準 はEUCつまりoaとなるo それに対してシグナルをS事だけ購入する ならば期待効用水準はS*C'となる。それゆえ、低リスクの被保険者に とって最も高い期待効用水準をもたらすシグナルの大きさはS* であ ることがわかる。なぜなら、図から明らかなようにS*C'>oaである からである。したがって低リスクの被保険者がS* のシグナルを購入 することから保険会社は彼を低リスクの主体と判断するのである。こ のようにして、高リスクの被保険者ばかりでなく低リスクの被保険者 の場合にもシグナルを利用することにより保険会社は事故確率につい て正確な情報を得ることができるのである。 - 231 非対称不完全情報下の保険市場 5.まとめ われわれはエーリックエベッカーの保険市場モデルを基本的フレイ ムワークとし、その中で保険市場の特徴である非対称不完全情報とシ グナル概念の保険市場への応用という2つの事柄について考察してき た。 第1にわれわれは保険市場の特徴である非対称不完全情報について 分析した。これは非対称不完全情報という仮定が高リスクの被保険者 および低リスクの被保険者にいかなる影響を与えるかを分析したもの であり、前者に対しては過剰保険が発生し後者に対しては過少保険が 発生することがわかった。このような結果は、被保険者のもつ完全情 報と保険会社のもつ不完全情報という情報偏在下の虎争市場を分析す ることから生じたものである。したがって、ここにおいて保険会社が 直面する不完全情報という問題を克服する手段が必要とされるのであ る。そこで第2にわれわれは保険会社のもつ不完全情報を克服する手 段として保険市場にシグナル概念を適用することにした。その結果、 われわれは非対称不完全情報のもとにおいても保険市場にシグナル概 念を通用することによって、保険会社が被保険者を高リスクの主体か あるいは低リスクの主体かを識別することが可能であることを示した0 つまり、被保険者がどれだけシグナルを手に入れるかによって保険会 社は彼を高リスクな主体かあるいは低リスクな主体かを識別するので ある。保険市場が成立するためには非対称不完全情報という保険市場 固有の問題を克服しなければならない。そのことを考えるならばリス ク識別ということは保険市場成立にとって極めて重要なことである。 われわれはこの間題を保険市場へのシグナル概念の通用によって解決 -232- 非対称不完全情報下の保険市場 したが、しかしながら、われわれの示したリスク識別手段は1つの方 法にすぎない.したがって、今後一層多くのより良い1)スク識別手段 を発見することが必要であろうO 〔 1 〕 KJ.Arrow, "The Role of Securities in the Optimal Allocationof Risk-Bearing," Review of Economic Studies, vol.31, Apr. 1964. 〔 2 〕 I.Ehrlich and G.S.Becker. "Market Insurance, Self-Insurance, and Self-Protection," Journal of political Economy, vol.80, July/ August 1972. I 3 J R.E.Kihlstrom and M.Pauly, "The Role of Insurance in the Allocation of Risk," American Exonomic Rewew,yo¥」¥, May 1971. 〔 4 〕 J.Mossin, Theo叩of Financial Markets, Prentice-Hall 1973. 〔 5 〕 M.V.Pauly, "Overinsurance and Public Provision of Insurance : The Roles of Moral Hazard and Adverse Selection," Quarterly Journal of Economics,vo¥.88, Feb. 1974. 〔 6 〕 M.Rothschild and J.E.Stiglitz, "Equilibrium in Competitive Insuranee Markets," Technical Report No.170, IMSSS Stanford Unlversity, 1975. , HEquilibrium in Competitive Insurance Markets : An Essay on the Economics of Imperfect Information,"伽rterly Journal of Economics,vol.90, Nov. 1976. 〔 8 〕 E.Sheshinski, "Adverse Selection and Optimum Insurance Policies," A.S.Blinder and P.Friedman, ed, Natural Resources, Uncertainty, and General Equilibrium Syste耶: Essays in Memory of Rafael Lusky, Academic Press, 1980. 〔 9 〕 A.M.Spence, "Job Market Signaling," Quarterly Journal of Economics, vol.87, Aug. 1973. -233- 非対称不完全情報下の保険市場 and R.Zeckhauser, "Insurance, Information, and IndivictualAction," American Economic Review, vol.61, May 1971. CMl (1)事故が生じない状態を1、事故が生じたときの状態を0としている。そ れゆえ、記号Ilは事故が生じないときの所得を示し、記号I。は事故が生 じたときの所得を示している。 (2)被保険者が危険回避者であると仮定するo (3)はじめに示したように不完全情報下の保険市場を分析した代表的論文に ロスチャイルドニスティグリッツ〔6〕〔7〕がある。そこでは分離契約 の親争均衡ばかりでなくプ-I)ング契約の競争均衡も分析している。 (4)スペンスは観察可能で不変的な特質をインデックスと呼び、観察可能で しかも変更可能な特質をシグナルと呼んでいる。 (5)ここで述べている費用は単に金銭的費用ばかりでなく精神的に影響を及 ぼす費用およびその他の費用も含まれている。 -234-
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