生命保険会社の自己資本比率規制

生命保険会社の自己資本比率乗船rl
三隅 隆司
(-橋大学専任講師)
1.序
生命保険会社は、保険証書の発行によって調達した資金を運用する
ことによって利益をあげる企業である。このとき保険契約者との間に
締結される契約は、契約者の死亡という保険事故が発生した場合に、
あらかじめ設定された保険金を支払うというものである。当然のこと
ながら、生命保険会社は、この契約を遵守する義務をおっており、そ
れゆえ保険金の支払が確実に行なえるよう資産運用を行なうことが必
要となる。
経済が成長しておりそれゆえ資産価格が安定的に推移(あるいは傾
向的に上昇)している場合や金利が固定的である場合には、資産運用
の成果は容易に予見可能であるため、生命保険会社にとっても保険契
約の遵守はさほど困難なこととは考えられなかった。しかしながら、
金融の自由化・国際化にともない、資産運用の成果が金利の変動や為
替変動の影響を受けやすくなった現在においては、保険会社は保険金
支払をつねに確実に行なえるとは必ずしもいえなくなった。このよう
な状況においては、生命保険会社は保険金の確実な支払を保証できる
ようになんらかの用意をする必要がある。そのような用意として考え
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生命保険会社の自己資本比率規制
られているものが自己資本比率規制である。
本稿の目的は、支払能力の確保という観点から自己資本規制のあり
方を考察した理論を紹介し、その結論に基づいて、近年提唱されてい
る生命保険会社の自己資本比率規制を評価することにある。まず次節
で、金融機関が資金供給者(銀行の場合には預金者、生命保険会社の
場合には保険契約者)との資金供給契約を履行できない状況とはどの
ようなものがあるかを考察する。そのうえで、生命保険会社にとって
真に問題となる状況は何であるかを指摘する。次いで第3節におい
て、生命保険会社の支払能力に影響を与えるリスクとしてどのような
ものがあると考えられているのかを説明する。そして、第4節.におい
て、支払能力の確保という観点から、自己資本比率規制の有効性を考
察した理論を紹介する。さらに第5節では、第4節での理論に基づい
て、近年提唱されている生命保険会社の自己資本比率規制を評価す
る。最後に第6節では、本稿の議論をまとめる。
2.金融機関の支払能力
金融機関とは、基本的には、究極的貸手から資金を調達し、それを
究極的借手へと供給する経済主体である。このとき、資金調達のため
に発行される金融証書(間接証券)は、金融仲介機関にとっては債務
となるo それゆえ、調達した資金は後日究極的貸手に返済せねばなら
ないものである。
たとえば、銀行は、預金証書という間接証券を発行することによっ
て資金を調達している。定期預金の場合には、その満期時点において
元利合計金額を預金者へ返済せねばならないし、要求払預金の場合に
は、預金者の要求に応じていついかなる場合でも預金の払い戻しに応
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生命保険会社の自己資本比率規制
じなければならない。したがって、銀行の場合には、定期預金の満期
時点で約定支払いが確かに行なえることが必要であるし、要求払い預
金に対しても預金者からの払い戻し要求につねに応じうる体制にある
ことが必要である。さらには、定期預金の解約という不意の出来事に
も対処し得ることが必要である。
また、生命保険会社は、生命保険証書という間接証券を発行するこ
とによって資金を調達している。生命保険は、被保険者の死亡という
事象(保険事故)の発生に対して、あらかじめ契約で定められた保険
金を支払うというものである。それゆえ、そのような「人の死」とい
うある意味で不確実な出来事に対処し得る体制を整えておくことが必
要である。さらには、保険契約の解約という不意の出来事にも対応し
得る準備が必要である。
これまで述べてきた資金供給者からの払い戻し要求は、金融機関の
日々の業務におけるものである。このような要求に応じられないこと
は、負債契約の性格上一種の倒産ではあるが、それが手元現金の不足
に起因する場合には必ずしも致命的な問題ではない。すなわち、手持
ちの別の流動資産(あるいは固定資産の場合もあるであろう)を現金
化することによって支払いが行なわれ得るからである。もちろん、手
元現金の不足という事態は、経営者のミスではありそれ自身責められ
るべきものではあるが、時間的なロスが存在するとはいえ、結果的に
支払いが行なわれ得る場合には、問題は多少とも軽いといえるであろ
う。このように、手元現金の不足のために、資金供給者からの資金払
い戻し(支払い)要求に応じられなくなることを「流動性不足(illiquidity)の問題」という。
ところで、金融機関が資金払い戻し要求に応じられない場合は流動
性不足の場合には限らない。もっと深刻な状況が存在するのである。
-127-
生命保険会社の自己資本比率規制
既述のように、金融機関は、負債や自己資本の発行によって調達した
資金を、貸出や有価証券の保有という形で運用する経済主体である。
集めた資金で運用を行なうのであるから、運用時点においては、資金
調達額と運用資金額とは同じである。しかしながら、負債には利子を
付さねばならないし、自己資本に対してもある程度の収益率(企業金
融論ではこれを資本コストと呼ぶ)を確保しなければならない。それ
ゆえ、実際の負債および自己資本の「価値」は、調達資金額よりも大
きくなるのである。資産の「価値」についても同様である。貸出や有
価証券の保有に対しては、金融機関は利子や配当を受け取ることにな
る。それゆえ、実際の資産の「価値」も投下資金額よりも大きくなる
のである。そして、資産価値が負債および自己資本の価値を上回る場
合、その差額が金融機関の利潤となるのである。もちろん、この中の
一部は自己資本の提供者である株主に配当として支払われることにな
る。
いま、資産価値が負債および自己資本の価値を下回っている状況を
考えてみよう。この場合金融機関の利潤は存在せず、損失の発生とな
る。とはいえ、資産価値が負債価値を上回っている場合には、問題も
それほど深刻ではない。なぜならば、自己資本は金融機関にとって返
済義務のない資金調達方法であるからである。
したがって、金融機関がそのこうむった損失を、自己資本提供者
(株主)の犠牲によって補填することができるのである。この意味
で、自己資本は企業の営業リスクのバッファー(緩衝装置)として機
能するといわれているのである。
しかしながら、資産価値が負債価値を下回っている場合には問題は
深刻である。現代の有限責任制の下では、自己資本提供者にとって可
能な損失負担額はその出資金額に限られているため、資産価値と負債
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生命保険会社の自己資本比率規制
価値との差額を株主に負担させることはできない。他方、負債は返済
義務のある資金調達方法であるから、金融機関はいかなる場合であろ
うとも負債による資金供給者に対してはその元利合計を返済せねばな
らない。しかしながら、資産価値が負債価値を下回っている場合に
は、いかなる手法を用いようともその返済義務を履行することはでき
ないのである。資産を全額現金化しても、返済金額を越えることはな
いからである。ここにおいて、金融機関は真の意味で「倒産」という
状況に陥ることとなる。このように、資産価値が負債価値を下回って
しまったために資金供給者からの資金払い戻し(支払い)要求に応じ
られなくなる・ことを、 「支払不能(insolvency)の問題」という。
このように、金融機関の支払い能力の問題を考察する場合には、
「流動性不足の問題」と「支払い不能の問題」とを分けて考えること
が必要であろう。このうち、 「流動性不足の問題」は短期的な資金繰
りの問題であり、資産の現金化によって解決可能であるため、さほど
深刻に取り上げることは必要ないと考えられる。他方、 「支払い不能
の問題」は、金融機関が債務の支払い義務を果たせないという状況で
あり、実質的な金融機関の倒産を意味するものであるため、非常に重
要な問題であると思われる。そこで、以下では、金融機関の支払い能
力の問題としては、 「支払不能の問題」のみを考えることにする。
3.生命保険会社のリスク
生命保険会社にとって、資産価値の低下をもたらすようなリスクと
しては、さまざまなものが考えられる。アメリカにおいては、 1979
年にトローブリッジ委員会が3つのリスク(C.リスク、 C2リスクお
よびC3リスクと呼ばれている)を定義し、その後1985年には同委員
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生命保険会社の自己資本比率規制
会のタスクフォースによって、さらに1つのリスク(C。リスクと呼
ばれている)がつけ加えられた。現在では、このように定義された4
つのリスクが生命保険会社のリスクとして存在することが広く認めら
1)
れている。
Clリスクとは、信用リスク・債権の貸倒れリスクのことであるO
生命保険会社は、保険証書の発行によって集めた資金を企業やその他
の経済主体へ貸し付けている。その際、借手を審査し、その結果得ら
れた信用状態にもとづいて貸付条件を決めることになる。しかしなが
ら、借手の信用状態という情報は、貸付決定時点では借手のみが知っ
ている「私的情報」である。それゆえ、借手は偽った情報を提示する
かもしれないし、貸付契約締結時に示したものとは異なった行動をと
るかもしれない。もちろん、貸手としてはこのような借手の行動をで
きるだけ抑制すべく、事前・事後の両時点においてさまざまな手をつ
くすであろうが、それも完全ではないo その結果、締結した貸付条件
が不適切なものとなってしまうことが有り得る。さらに、貸手の審査
は完全に行ない得たとしても、経済の諸条件が予想外に変化したため
に、当初想定していたのとは異なった状況に直面することもあるであ
ろう。このような場合には、貸付債権の債務不履行の危険が高くな
り、債権価値が低下することになる。このような債権価値の低下を導
くような危険がClリスクである。
C2リスクとは、保険料率設定にともなうリスクである。生命保険
の料率は、死亡率表等に基づいて大数の法則を用いて決定されてい
る。それゆえ、期待値の意味では保険料率不足ということは起こらな
いと考えられている。しかしながら、生命保険は長期にわたるもので
あるため、その間の経済・社会環境の変化によっては、保険金請求が
収入保険料を上回る支払超過が発生する可能性がある。このような危
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生命保険会社の自己資本比率規制
険がC2リスクである。
次に、 C。リスクとは、金利変動にともなうリスクである。生命保
険会社は、その資産運用として、貸付を行なう以外に有価証券の保有
も行なっている。これらの有価証券は、流通市場の売買を通じて価格
(金利)が決定されており、その値はその時々の需給状況に応じて変
化する。すなわち、場合によっては、購入価格よりも市場価格の方が
低くなり、キャピタル・ロスが生じる可能性があるのである。このよ
うに、資産価格の変動によって資産価値の低下を導くような危険が
C3リスクである。
最後に、 C4リスクとは経営上のリスクである。すなわち、経営者
のミスマネジメントによる損失や従業員が第三者に与えた損害に対す
る賠償を行なうことによる損失が生じる危険性のことである。このよ
うな経営上の失敗に基づく損失発生も生命保険会社の保険金支払能力
を低下させることとなるであろう。それがC。リスクである。
上記の4つのリスクはいずれも、資産価値の低下あるしゝは損失の発
生を通じて生命保険会社の支払能力に影響を与えるものである。した
がって、生命保険会社の支払能力を一般的に考察する場合には、これ
ら4つのリスクを総合的に考慮することが必要であろう。しかしなが
ら既述のように本稿は、 「支払不能の問題」にしぼって、生命保険会
社の支払能力を考察するものである。すなわち、資産価値と負債価値
との間の大小関係で生命保険会社の支払能力を考えていこうとするも
のである。それゆえ、本稿で対象とするリスクについても、資産価値
あるいは負債価値に関連のあるものに制限すべきである。このような
考えから、本稿では、生命保険会社のリスクとして考えられている4
つのリスクのうち、 ClリスクおよびC。リスクのみを取り上げること
とする。
-131-
生命保険会社の自己資本比率規制
注1)本節における4つのリスクについては、古瀬[1985]および田中[1991]を参考に
している。
2) C2リスクは、負債価値の変化に関連しているため、本稿での考察対象に含めるべき
との意見があるかもしれない。しかしながら、このリスクは本稿でいう「支払不能
の問題」に関連するものではなく、 「流動性不足の間愚」に関連するものであるた
め、考慮しないことにした。
4.自己資本比率規制の有効性
第2節で述べたように、自己資本は金融機関にとって返済義務のな
い資金調達手段であるため、金融機関による損失のバッファーとして
機能する。それゆえ、自己資本の額を高めることによって、資産価値
が負債価値を下回る可能性を低くし、金融機関が「支払不能」の状況
に陥る可能性を低くすることができると考えられる。本節では、この
ような観点から、自己資本比率規制が金融機関の支払能力確保に対し
3)
て有効に機能するか否かという問題を考察する。
自己資本比率規制とは、なんらかの方法で定義された自己資本比率
の最低限度を変化させることによって、金融機関が支払不能に陥る確
率をある値以下に抑えようとする規制である。
自己資本比率として一般に用いられているものは、バランス・シー
ト上の自己資本額と総資産との比率(- [自己資本] / [総資産] )
である。このように定義される自己資本比率を規制することは、金融
機関の支払能力の確保に対して有効なのであろうか。結論からいえ
ば、この場合には、金融機関の支払不能確率を抑えるという当初の目
的は必ずしも達成されないのである。以下ではまず、期待値一分散ア
プローチを用いたKim and Santomero [1988]にしたがってこの点
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生命保険会社の自己資本比率規制
を考察してみよう。
金融機関の資産運用は、次の間題の解として与えられる。
Min∑n
i=。∑」空!X(x,olj
subjectto
E-(1-1/k)uo+∑"iX.u,
l/k-∑漂lXi
X,>0(i=l,…n)
0<k≦1
ここで、Ⅹ1は金融機関の自己資本に対する比率として求めた第i
資産の保有比率、u。は金融機関への資金供給者への期待支払利子
(or配当)率、uIは第i資産の期待収益率、kは金融機関の自己資
本比率、oilは第i資産と第j資産の収益率の共分散(oii-Oiは第i
資産の収益率の分散)である。
kの値の各々に対して、(資産運用の)効率的フロンティアが、期
待値一分散平面上に措ける。図1にはそのようなフロンティアが2つ
4)
(P'FPおよびR'GR)措かれている。∂♂2/∂k<0、∂E/∂k
<oであるから、R'GRの方がP'FPよりも高い自己資本比率に対
応したフロンティアである。さらに、自己資本比率が規制されていな
い場合には、効率的フロンティアは各自己資本比率に対応したフロン
ティアの包絡線として描かれる。図1におけるHGFIがそのような
フロンティアを示している。
金融機関が支払い不能に陥るのは、資産の期待損失(負の期待収
益)が自己資本額よりも大きくなる場合であり、上記のモデルに即し
ていえば、E≦-1の場合である。規制当局の求める金融機関の支払
不能確率の上限をpとすると、その支払不能確率線は、≠(′p)を標準
正規分布関数の逆関数として、
生命保険会社の自己資本比率規制
Eニー1-♂(蝣Pie
と表わされる。図1のL線は、これを図示したものである。容易に
理解できるように、この線の上方が支払不能確率がp以下の領域であ
る。
図1
いま、規制当局の要求する支払不能確率の上限がpであるとし、金
融機関がF点に対応する資産運用を行なっているとしよう。ここで、
規制当局が支払い不能確率を低下させるために、自己資本比率の最低
限を引き上げたとしよう。そしてこのとき支払不能確率線がLRとな
り、金融機関の直面する効率的フロンティアがHGRになったとしよ
う。もし、金融機関がGHの範囲の資産運用を行なえば、規制当局
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生命保険会社の自己資本比率規制
の目的は達成されたことになるが、金融機関の危険に対する態度(す
なわち効用関数の形状)によっては、必ずしもこのようなことは実現
しない。すなわち、バランス・シート上で定義される一般的な自己資
本比率を規制することでは、規制当局は金融機関の支払不能確率を引
き下げるという当初の目的を達成することはできない可能性があるの
5)
である。
このように、バランス・シート上で定義される自己資本比率規制が
必ずしも有効ではないのは、金融機関の直面する効率的フロンティア
にGRのような嶺域が存在するためである。もし効率的フロンティア
がHGG'のようになるならば、金融機関は必ずHG上の資産運用を
選択し、規制当局が当初期待した支払不能確率の低下が実現できるの
である。
そのような方法として、 Kim and Santomero [1988]は、自己資
本比率の算定において、金融機関の保有する資産の危険度を考慮した
危険調整自己資本比率を用いることを提唱している。すなわち、自己
資本比率算定式の分母を、総資産ではなく資産の危険度に応じたウェ
イトで加重平均したリスク・アセットとして自己資本比率を計算する
方式である。
Kim and Santomero [1988]によれば、 Gに対応する期待収益率
をERとするとき、
u】-uo
if ui-uo>O
ER-u,
if ui-U,≦0
a,- 0
となるようにウェイトを設定すれば、金融機関の直面する効率的フロ
6)
ンティアはHGG'となるというのである。
-135-
生命保険会社の自己資本比率規制
さらにこのウェイトを求める際に必要な情報は、 (1)資産および負
債の期待収益率、 (2)資産の分散および共分散、 (3)規制当局の求める
支払不能確率の上限、の3つのみであり、金融機関の危険に対する態
痩(効用関数の形状)に関する情報は不要なのである。
したがって、以上のようにして求めた危険調整された自己資本比率
を規制することにより、規制当局は金融機関の支払不能確率を低下さ
せることができるのである。
注3)本節の記述は、基本的にKimチnd Santomero [1988]によっている。
4)効率的フロンティアの導出については、 Koehn and Santomero [1980]を参照の
こと。
5) Blair and Heggestad [1978]は、同様のアプローチを用いて、ポートフォリオ規
制も金融機関の支払不能確率低下をさせるという目的にとっては必ずしも有効ではな
いことを示している。また、 Kahane [1977]は、バランス・シート上の自己資本比
率規制を用いる場合には、金融棲関の支払不能確率を低下させるために、ポートフォ
リオ規制を併用する必要があることを指摘している。
6)このリスクウェイトの求め方については、池尾[1990]をも参照のこと。
5.生命保険会社の自己資本比率規制
1980年代に入って本格的に始まった金融の自由化の波は、生命保
険会社へも大きな影響を与えた。高金利商品の登場により、保険商品
に対しても有利な資産運用手段としての性格が求められるようになっ
た。そのため、生命保険会社は、高収益の期待できる保険商品を販売
しはじめるようになったが、これは負債価値の増大を発生させること
となった。他方、高金利金融商品の登場は生命保険会社の資産運用の
-13&-
生命保険会社の自己資本比率規制
幅を広げることとなる。しかしながら、これら高金利金融商品は自由
金利商品であるため、価格変動リスクの存在が無視できなくなった。
その結果、生命保険会社はさまざまなリスクをいかに管理していくか
という問題に直面することとなるo このリスク管理の重要な目的のI
つが、生命保険会社の支払能力の確保であったことはいうまでもな
い。
リスク管理はなにも、生命保険会社のみが重視したわけではない。
規制当局も、生命保険会社が支払い不能に陥らないようにさまざまな
手を打とうとしてきた。その一つとして、ソルベンシーマージンの確
保があった。すなわち、ある一定の額を生命保険会社に損失発生の
バッファー手段として保有させることで、支払不能に陥らないように
しようとしたのである。
このようなソルベンシーマージンの保有を規定したものとしては
7)
ECディレクティブがある。 ECディレクティブでは、資産と負債と
の差額をソルベンシーマージンと規定し、原則として、最低限度「責
任準備金の4%+危険保険金の0.3%」にあたる額を必要ソルベン
シーマージンとして資本金、法定・任意準備金等で保有しなければな
らないとされている。
このようなECディレクティブによる支払不能の回避策の有効性は
前節での考察から容易に理解できる。このソルベンシーマージンは、
「責任準備金の4%」と「危険保険金の0.3%」との2つから構成され
ているが、このうち前者は投資リスクに対してのマージンであり、後
8)
者は死亡リスクについてのマージンであると考えられる。本稿で考察
している「支払不能の問題」については、前者のみが関連するもので
あるが、この定義から明らかなように、このマージンは運用資産の内
容は全く考慮していない。すなわち、運用資産の期待収益率やリスク
-137-
生命保険会社の自己資本比率規制
とは全く無関連に、一律に「責任準備金の4%」を保有することを要
求しているのである.したがって、このソルベンシーマージンは、前
節で考察したバランスシート上の自己資本比率規制に相当するもので
あり、 生命保険会社の支払不能の回避策としては、必ずしも有効な
ものではないと考えることができよう。
上記の例はEC加盟国内の生命保険会社に対するものであるが、カ
ナダやアメリカでは別の方策がとられている。カナダでは、資産につ
いて株式、債券、不動産といったポートフォリオ別にリスクの度合を
9)
考慮して外形基準によりソルベンシーマージンを規定している。ま
た、アメリカでもカナダと同様の方法をとっている。とくに、 NAIC
は1992年12月に、リスク・ベースド・キャピタ>v システム(Risk
Based Capital System)を採択した。これは、保険会社の商品や資
産運用のリスクに基づく新しい資本準備基準である。このシステムで
は、生命保険会社の4つのリスクを区別し、その各々に対してある一
定の額の保有を求めたものである。たとえば、信用リスクであるCl
リスクに対しては、連邦政府債の場合には簿価に対して0%、 A格債
券に対しては簿価に対して0.3%の準備を保有することを要求してい
る。また、金利リスクであるC。リスクに対するものとしては、責任
準備金に対して1.5%の額を保有することを要求している。このよう
な資本基準は、ある程度運用資産のリスクを考慮したものである。そ
の意味で、 ECでの方策に比べれば、実効性を有していると考えられ
る。しかしながら、資産の区別がまだ粗雑である(とくに金利リスク
に対する準備に対して)と考えられるため、今後よりきめ細かい取扱
いが必要であろう。
注7) ECディレクティブのより詳しい内容については、古瀬[1985]を参照のこと。
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生命保険会社の自己資本比率規制
8)古瀬[1985]を参照。
9)田中[1991]参婿O
6.結論
本稿では、生命保険会社の支払能力の確保のための手段としての自
己資本比率規制の実効性について考察してきた。資産価値が負債価値
を下回った場合には、生命保険会社は実質的に倒産という状態に陥っ
てしまう。そのためにこのような状況が発生しないようになんらかの
準備を保有しておく必要がある。本稿では、このような準備保有の基
準としては、バランスシート上の項目に対する一定比率として計算さ
れる額では不十分であることを指摘し、より実効的な方策としては、
運用資産ごとにウェイトをかけて準備保有額を決定する必要があるこ
とを示した理論を紹介した。そして、この理論的指摘を受けて、現在
提唱されている支払能力確保対策の評価を行なった。
金融機関の支払能力確保対策としては、国際決済銀行(BIS)による
自己資本比率規制が有名である。これは、銀行の運用資産をその信用
リスクに応じていくつかのカテゴリーに分けて、そのカテゴリーごと
に与えられたウェイトを用いて自己資本比率を計算し、その値を規制
する(8%以上を要求)ものである。このBIS規制は、対象とされ
ているリスクが信用リスクだけであるという批判があり、第2次自己
資本規制として、価格変動リスクをも考慮して自己資本の充実を促そ
うとの改正がなされている。
このようなBIS規制に比べて、生命保険会社の自己資本充実策
は、さまざまなリスクを考慮しているという点では評価できるもので
ある。しかしながら、運用資産のリスク分類が粗雑であるという問題
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生命保険会社の自己資本比率規制
も存在している。さらに、 (BIS規制も同様であるが)資産の分散投
資から得られるリスク分散効果が考慮されていないという問題も指摘
されている。
金融機関の支払能力不足問題の顕在化は、経済に信用不安を生じさ
せる可能性があるため、ぜひとも避けなければならないものである。
したがって、金融機関の支払能力を確保するための規制は非常に重要
なものであり、それゆえ細心の注意を払ってより実効性のあるものを
構築していかなければならない。本稿での考察により、そのような実
効怪のある自己資本比率規制の構築のためには、より細かなリスクカ
テゴリーの確立というものが必要であることが理解される。このよう
な作業は容易ではない。また、あまりにも細かくし過ぎると運用が困
難になるという問題もある。しかしながら、現在の状況で十分とはい
えない。今後は、資産のリスク分類にともなうコスト・ベネフィット
を勘案しながら、できるだけ効率的に金融機関の支払能力の確保が行
なわれるような自己資本比率規制の構築が望まれる。
参考文献
池尾和人[1990] F銀行リスクと規制の経済学』東洋経済新報社
田中淳三[1991] 「ソルベンシーと収益性」生命保険新実務講座編集委員
会・生命保険文化研究所(宿) 『生命保険実務講座第6巻』 「経理お
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