The Second Chance

SECOND CHANCE
Three Presidents and the Crisis of American Superpower
By Zbigniew Brzezinski
Basic Books, 234pp, $26.95
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はじめに
カーター政権の安全保障担当補佐官を務めたブレジンスキーは本書でコミュニズム崩壊
後の 3 代の大統領、ブッシュI、クリントンとブッシュII の外交政策を評価し、2008 年以降
の大統領のとるべき外交戦略の指針を与えている。
「やり直しは利くか:3 人の大統領と超
大国アメリカの危機」は 200 ページ余りの極めて読み易く、地図や年表、何よりも 3 人の
大統領の成績表を作成したことから、各紙の書評に取り上げられたちまちベストセラーと
なった。セカンド・チャンスとは冷戦に勝利した後に世界戦略を構築すべきファースト・
チャンスを失した後のやり直しを意味している。
各大統領の章にはそれぞれ「原罪、伝統思考の陥穽」、「善意の無力」、「破滅的な指導
者」との副題が付されており、ブレジンスキーの彼らに対する評価が自ずと明らかになっ
ている。ブレジンスキーはポーランド出身ということもあり(本書でも随所に「連帯」贔
屓がみえる)、コミュニズム崩壊以後のロシアに対しても従来通り警戒感を隠そうとして
いない(これは中国の将来に対する評価と好対照をなしている)。
「理想主義的」ネオコン
の凋落により、キッシンジャーの「現実主義(reality-based)」アプローチはホワイトハウ
ス内部にも耳を持つようになっており、ブレジンスキーの主張が 2008 年の民主党ばかり
でなく共和党の大統領候補の外交政策に影響を与えることが予想される。しかし、彼の中
東政策、特にイスラエル・パレスチナ政策は彼が仕えたジミー・カーターが近著でイスラ
エルをアパルトヘイト時代の南アに疑してユダヤ人ロビーから激しい反発を引き起こした
ように、アラブ寄りとの評価を受けることは避け難い(本書では外交政策がロビー活動の
影響を受けていることに懸念を表明している)。
反全体主義の戦略家という従来のイメージから脱皮して、本書でのブレジンスキーは賢
者らしい雰囲気を漂わせるようになっている。西欧文化が次第に道徳的な羅針盤を欠くよ
うになり、快楽主義的な相対主義の価値観に陥ったアメリカを貧窮する絶対主義の旧ソ連、
政治的に覚醒した発展途上国と対置して、その拡大するギャップを埋める答えをアメリカ
の世界における役割の道徳的な定義、マニ教的な善悪観ではなく、人権に優先権を与えた
コンセンサスに基づくグローバルなリーダーシップによって正当性を回復することに求め
ている。
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ブッシュの外交政策:新しい世界秩序
3 人の大統領のなかで外交政策に関与した経験を持つのはブッシュI のみである。ブッ
シュは優れた危機管理者であったが、戦略的ビジョンを持った人物ではなかったというのが
ブレジンスキーの評価である。共産主義の崩壊とサダムフセインのクウェート侵攻という
歴史的な大事件を無難に処理した能力は評価されなければならないが、その成功をその後
の外交的な戦略に利用することができなかったことが問題なのである。天安門事件(1989
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年)に際して、スコークロフトを隠密裏に北京に派遣して中国政府に米国の非難はおざな
りな(perfunctory)ものとなることを伝えて安心させ、ウクライナ独立に反対するなど
ブッシュの新しい世界秩序は旧来秩序の安定を志向したものだった。
サダム・フセインのクウェート侵攻に対する多国籍軍の「砂漠の嵐作戦」の終結に関し
ては明快な説明が与えられていない。フセインの追放を内部で検討したが、バグダット進
攻によって多国籍軍を分裂させ、アラブ諸国の離反を生むという結論に達したという公式
的な見解に言及しているにすぎない。ブレジンスキーはイラク軍の壊走状況からみて、フ
セインへの最後通牒は軍指導部の離反を引き起こし、フセインの追放に効を奏した可能性
があり、軍事的勝利を政治的な成功に転換させ得たかもしれないとの推測を述べるにとど
まっている。
後にブレジンスキーはブッシュII のイラク侵攻(2003 年)を植民地戦争と呼ぶことにな
るが、その萌芽をブッシュとサッチャーの緊密な関係はアラブ諸国の目にはアメリカがイ
ギリス帝国主義の継承者と映ったという書き振りにみいだすことができる。「陰謀説の好
きなアラブ人の目にはアメリカがダウニング街の影響の下で行動し、イギリス帝国主義者
が降りた車に乗り込んできたようにみえるのである」と。
ソ連の崩壊とフセインの撃退によってアメリカは歴史的な正当性を得たが、これをイス
ラエル・パレスティナ問題解決に利用していたら 10 年後の中東は変わっていたとブレジン
スキーは予想している。ブッシュは二期目に中東和平に取り組むつもりであったから、国
内問題をおろそかにせずクリントンに敗れなかったなら二期目で画期的な大統領になって
いたかもしれないと述べている。中東問題を解決できなかったこととイラクの停戦がブッ
シュの後継者にとりつき、アラブ諸国は植民地時代が再来したとみなすようになったとい
う認識をしている。
次ぎに取り上げられている問題は核拡散防止である。湾岸戦争の教訓は核がアメリカに
対する抑止力であることを教えてしまう。北朝鮮、インド、パキスタン、リビヤ、イラン
と核保有を目指すことになる。1992 年冬にリークされた「防衛計画ガイドライン」はアメ
リカが唯一のグローバルな超大国であることを宣言するが、それは伝統的な力の均衡の考
え方に立つものであった。これが核拡散に対する奇妙な無関心をもたらすことになった。
この文書の作成者であったチェーニー国防長官が 2001 年に副大統領となるが、単独の先制
攻撃や予防戦争という政策の種はここに蒔かれることになった。
「大いに成功した外交家、
断固とした戦士は約束した新しい世界秩序をお馴染みの帝国主義的秩序に変えてしまった」
とブッシュI の外交を要約している。
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クリントン:身勝手さの代償
クリントンはブッシュと違ってグローバルなビジョンを有していたが、それはグローバ
ル化を歴史的必然として捉える楽観主義であった。クリントンはクラウセビッツ的に言え
ば「外交は国内政治の延長である」と考え、外交政策の意思決定方法もトップダウンでは
なく、
「井戸端会議(kaffeklatsch)」的であったと述べている。国内政策の延長に外交を位
置づけることの弊害は外交政策がユダヤ系、キューバ系などの外交ロビイストによって支
配されることになったと批判している。
クリントン外交の成功としてソ連崩壊後の軍核競争の抑制、NATO の旧東欧諸国への
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拡大、ロシアと NATO を安全保障上のパートナーとしたことをあげている。ヨーロッパ
の政治的な結合が強まっていなかったならば、イラク侵攻の後の米・欧の離反がロシアに
よって利用され、新たな形で冷戦が復活したかもしれないと評価している。一方、ロシア、
中国の核の傘に不安を持った北朝鮮の核保有の強固な意志に有効な対策を打てなかったこ
と(韓国の宥和政策の影響もある)を批判し、イスラエル・パレスチナ問題を解決できな
かったことに失望を表明している(ゴアはイスラエルに圧力をかけては大統領選に勝てな
いと判断した)。結局、クリントンは就任時よりもイスラエル・パレスチナ問題を悪化さ
せ、中東情勢をより不安定にさせて去ったことになる。「彼の思いつきの、日和見的な意
思決定のスタイルは戦略的な明晰性に結びつかなかったし、グローバリゼーションの必然
性への信念は戦略を不必要なものにし」、自己満足の決定主義と、人格の欠陥と国内政治
の障害(共和党の議会支配)がクリントンの良き意図を圧倒することになる。最後にブレ
ジンスキーの次のようなコメントに注意を向けておきたい。「国内経済の成功が生み出し
た社会的な快楽主義はグローバルなリーダーシップにはある程度私的な権利を犠牲にする
とか、国家主権を制限する必要が伴うという観念とは適合的ではない。超国家的な協力や
グローバリゼーションを次第にアメリカ国民は疑問視するようになった」。そして、
「共和
党が支配する議会の富者のための減税や狭小な国益の支持はアメリカの道徳的、政治的な
資本をグローバルな世界の共益(commonweal)に役立てようとする努力を否定する社会
的な身勝手さを反映したものである」と。
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ブッシュII:恐怖政治
ブッシュII 政権の陥った傲慢の例をジャーナリストのズスキントのインタビューから引
用している。ホワイトハウス高官が「現実主義的コメント」に対して語った(2004 年 10
月)「そんな風には世界はもう動いていない.... アメリカは今では帝国であり、われわれが
行動して、我々の現実を創る。あなたたちがその現実を一所懸命分析している間に我々は
また行動する、そして別の新しい現実を創る、あなたたちがまたそれを研究する、そんな
風に進んでいるわけだ。我々が歴史の主役で.... あなたたちはわれわれがすることをただ
研究しているだけだ」。こうした発言の行く着く先の、まずイラク、次にシリア、それから
イラン、そしてサウジ..... という白日夢をブレジンスキーは想像している。
しかし、因果は直ちに巡る。戦争を始めたものの、終わらせることができない。ネオコ
ンのマニ教的二元論とブッシュ大統領の破滅的な決断によってグローバルな連帯が最低点
まで落ちた。ブレジンスキーは安全保障問題補佐官のライスとパウェル国務長官に対して
も厳しい評価を下している。ライスは NSC のアドバイザーとしてチェニー、ラムズフェ
ルドを差し置いて調整をおこなうことはできなかったし、彼らも彼女に諮るということが
なかった。NSC は大統領へあげる CIA の情報を精査する機能も果たさなくなり、ライス
自身イラクが大量破壊兵器を保有しているというデマゴーグの宣布者になってしまった。
しかし、ブッシュ家の友人として大統領の彼女に対する信頼は崩れなかった。ブッシュの
二期目に国務長官となったライスが「現状を鑑みて、大きな建築プランなどというものは
ないということを認識した」と語ったことに対して、「外交の建築プランと集団的意思決
定への嫌悪がブッシュ一期目を支配していた考えだ」と述べている。一方、パウエルに対
しては「出版を計画しているライター(ボブ・ウッドワード)に懸念を漏らすのではなく、
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国益にとって極めて重要な問題について堂々と自説を述べたらどうなっていたのだろうか」
とつぶやいている。
大統領の神から与えられた使命という思いを利用して、ネオコンの補佐官(デーヴィッ
ド・フラム)たちは傲慢、単純なマニ教的教条主義を吹き込み、
「さあ、かかってこい」と
か荒っぽい「悪の枢軸」の類のスピーチを用意し、NSC が大統領のスピーチ原稿をチェッ
クするということがなくなってしまったと嘆いている。
イラク侵攻のもたらしたダメージは アメリカのグローバルな地位に復旧不能な損害を
与え、 イランを利するだけの地政学的失敗であり、 アメリカへのテロの脅威を増した
と総括している。そして、明確に定義されない敵、しかし反イスラムの含みを強く持たせ
た、を対象にした「テロとの戦い」はイスラムのアメリカに対する敵意を固め、イギリス
植民地主義の後継者、イスラエルの同盟者としてのイメージを植えつけることになった。
ブレジンスキーはスエズ運河から新彊までの、その領域には5億人が居住している新たな
火薬庫を「グローバルなバルカン」と名づける。そして、人権も法の支配も確立していな
い伝統社会に早急に民主主義を与えようとすると暴力の応酬が生じると軍事的優位だけで
は解決できない見通しを語っている。
こうした状況の下でアメリカの誤った政策に乗じようとするライバルが出現するリス
クがある。中国とロシアのパートナーシップはそのようなリスクである。中国が中東の石
油の消費者として登場する。しかし、ブレジンスキーの「アメリカから中国へと中東がシ
フトすると、ヨーロッパのアメリカとの連携に小波がたち、大西洋コミュニティの優越を
脅かしかねない」という予言が真実味を持っているかは疑問である。しかし、ブレジンス
キーが次のようにいうことは正しい。「イラク戦争の唯一の救いはイラクがネオコンの墓
場となったことである。戦争が成功していたならば、正気の国益とはかけ離れたマニ教的
概念と疑わしい動機に基づいてアメリカは今頃シリアそしてイランと戦争をしていたこと
だろう」。
アメリカがイスラエル・アラブの調停者からイスラエルの徒党となったことによって、
アメリカの影響力とイスラエルの長期的な安全保障を損なうという逆説的な影響が生まれ
たとみている。そしてアメリカはアラブの友人をすべて失い政治的に中東から駆逐され、
イスラエルはますます非対称的紛争に長期間巻き込まれ、軍事的な優位を利用できず、イ
スラエルは存亡のリスクに直面するおそれがあると述べる。
次期大統領はアメリカのグローバルな安全を保証する者としての正当性を回復しなけれ
ばならないとし、トインビーが「帝国の崩壊は指導者の自殺的な政治によって起こる」と
いう言葉を引用し、アメリカにとっての救いは大統領はどんなに破滅的な人物であっても、
その任期が 8 年しかないことであると結んでいる。
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2008 年以降:アメリカの第二の機会
15 年間を総括してブレジンスキーはアメリカの指導力については最低点をつける。「グ
ローバルな指導国として戴冠して 15 年、アメリカは政治的に抗争する世界で恐れられ、
孤独な民主国になりつつある」と総括する。この危機を挽回する第二の機会はあるだろう
か?これに対してはイエスと答える。アメリカは 1766 年の独立宣言で自由の意味を定義
し、20 世紀に入ってアメリカは全体主義に対するデモクラシーの擁護者となった国であ
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る。そのためには今日の不安定な世界でアメリカは地球規模で人間の尊厳を追求する必要
がある。尊厳は自由と民主主義の両者を含むが(これだけではネオコンと差がなくなると
考えてであろう)、文化的な多様性を尊重し、人々の境遇に付きまとう不正を正すという
文言を付け加えている。
今後のグローバルな政治的覚醒は歴史的には反帝国主義、政治的には反西欧、感情的に
はますます反アメリカ的になっていくと予想する。この過程でグローバルな重心の大移動
が起こって力のグローバルな分布に変化が生じ、アメリカの役割も変わらざるをえない。
その最も大きな地政学的影響は帝国の時代の終焉である。帝国は支配される民族の受動性
を前提にしているが、技術の進歩の下で民族主義的な政治的覚醒は短期間に帝国の支配を
覆す。反西欧の動きは東アジアで中国を中心とした超国家的な政治経済的な共同体への契
機となる。インド、ロシア、ブラジルや日本がスウィング・ステイトとなる。この動きと
反米感情が合体するとインド、中国、ロシアにイランの連携が生じるかもしれない。こう
した複雑な状況のなかでアメリカがイスラムとの間の関係で礼節(comity)を回復するこ
とに成功するかが鍵となる。それに失敗すると、中国はインドネシア、パキスタン、イラ
ン、湾岸諸国へと影響力を強めることになる。伝統的な西欧優位の綻びに対処するために
はウクライナ、トルコを大西洋同盟に引き込むだけでは十分ではない。
そして、最後に日本が登場する。日本はほぼ確実にまもなく平和主義の衣、それは広島
と長崎での恐怖への理解可能な反応であるが、その後アメリカの作った憲法によって神格
化された、を捨て、より自主的な安全保障政策をとるようになり、日本は不可避的に軍事
大国になると予想される。これに対して、日本を NATO へ参加させることを提案してい
る。それによって単独の軍事増強やアメリカの極東における軍事的プレゼンスの延長とし
ての立場よりも、中国にとって脅威は少なくなるだろうと推測している。アメリカにとっ
て日中の協調関係の増進は国益であり、その協調関係を通じて中国がグローバルなシステ
ムのなかで役割を果たすことが可能になるとみている。
ブレジンスキーはレイモンアロンを引いて、「アメリカは早急に冷戦後のグローバルな
外交政策を立案することを迫られている。大国の力は理念に立たなければ減殺される1 こ
とを認識し、次ぎの大統領はアメリカの力を目にみえる形で政治的に覚醒した人類の願望
に結びつけることができるならばそれに成功するであろう」と結んでいる。
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Raymond Aron, The Imperial Republic:1945-1972
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