光は上より

霊降臨後 第17主日
聖書
説教
礼拝説教
(2015年9月20日) 飯川雅孝 牧師
マタイによる福音書4章12-17節
『光は上より』
(説教) 日本点字図書館の創立者・本間一夫 「光は上より」
イエスはバプテスマのヨハネがヘロデ王に捕えられたことを聞き、ヨハネを尊重して活動を控え
ていたが、伝道活動を始められる。福音記者マタイは殊の外、異邦人の地を強調している。なぜな
ら、ユダヤ人は1000年以上に渡って自分たちは聖なる神に選ばれた民との自覚の下に生きてき
た。ゼブルンとナフタリはイスラエルの国の中でも北の大国から責められ、混血が行われそこに住
む人たちは乱れた生活に陥った。エルサレムの人たちは彼らは聖なる神から離れた暗闇にいる人た
ちである。神はそこをあえて選ばれた。福音はユダヤ人から世界の民に伝えられるのである。
キリスト者の大多数が、自分が神の前に立てない暗闇にある時、イエスの光に当てられて神の祝福
の中に入れられたと告白している。と同時にわたしたち罪ある者には、どのような努力をしようと自
分の力では及ばない現実の苦しみがある。そこから救われることでもある。たまたま昨日のテレビで
日本に来ていたペルー人容疑者が6人の殺人を犯し、その兄が弟に「お前の大切な人生は1回だ。正
直に話しなさい。
」という報道を見た。絶望的な深淵に神の光が届くことを切望した。
本日ご紹介する日本点字図書館の創立者・本間一夫氏も高い志を持ちながら、全く苦悩のどん底に
あった。その時神に救われたことを告白している。わたし自身は盲人の方の苦しみをとても理解でき
るとは言えないので、そのつもりで今日のお話をしなければならない。
毎年かつて努めていた会社の同期会が行われる。数年前、同じ職場にいた同僚がちょうどテーブ
ルの対面に座った。退職後は盲人の方がパソコンを使うお手伝いをしている。彼は奥さんを天に送
り、お子さんがいないので一人で生きていると言うことで、
「君はたいへんだなあ。
」と話しかけた
ところ、
「40-50年も、物の見えない人がいる。それに比べたら自分の苦労なんて、苦労ではな
いよ。
」わたしはその言葉を聞いて彼が盲人の方の苦しみを真剣に受け止めていることの真摯さを焼
きつけられた。
数十年前、
「光は上より」という言葉をNHKのラジオ番組「人生読本」の中で締めくくる言葉と
して聞いた。朝7時前の10分間、人生を真摯に生きて来た方々の言葉の口調そのものが違うこと
に印象つけられた。その中に、盲人の本間一夫氏が、日本の点字図書館の設立のためにどれだけ尽
くして来たかを語っていた。この言葉を思い出す度に、天から神の光がわたしたち地上の暗闇にい
る者に降り注ぐ神の救いと受け取ることができる。
大正4年北海道の西海岸増毛町に生まれた本間氏は5歳で脳膜炎の病により視力を失ったが、両
親に子どもの本を読んでもらい本の面白さを知る。このことが後の点字図書館への創立に結びつい
たと考えられる。しかし、物心ついて友人が小学校に通うのに字の読めない自身は実にやるせない
思いをする。将来の自活のために13歳で盲学校に通い始めた頃、点字に出合い自分で読めること
はなんと大きな喜びであったか。また、同じ悩みを持つ者同士の分け隔てない共感があった。しか
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し、点字が読めるようになっても、はり、灸の類の本は有っても文学・教養の点字図書がないこと
に大きな悲しみを抱く。しかし、そこに朗報のように同じ盲のキリスト者の先生に出会い励まされ
る。またイギリスには点字図書館があること知る。向学心に燃え、当時盲人に解放された唯一の関
西大学への門戸を開かれ、卒業後同じ苦しみを盲人の方にさせたくないという思いは点字図書館づ
くりを自らのライフワークにしようと決意する。昭和15年雑司ヶ谷の借家に「日本盲人図書館」
を設立する。戦後ヘレンケラーにも会い励まされたと言う。しかし、インフレの激しい時代、財政
的困窮のため挫折しかけ6-7人の従業員の給与も払えないほどの苦境に追い込まれる。自分の始
めた仕事は間違っていたのではないかと苦しんだ。しかし、その時、盲目の人であった本間氏にイ
エスは語り掛ける。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人
に現れるためである。
(ヨハネ9:3)
」また、パウロの「わたしたちは、四方から苦しめられても
行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされな
い。
(コリント4:8-9」
」の言葉を何度も繰り返して読み、目を覚まされ、
「自分がこの仕事をこ
れまでやって来たのは自分と共に苦しむ人のためだった。だから必ず道は開ける。
」と神に助けを求
めた。ラジオでの反響や心ある人たちの尽力で、その公共性が認められるようになり、昭和28年
「朝日社会平和賞」の受賞に与ったことは、氏自身ならびに氏を支援していた人々の活動が社会に
認められた。氏は「暗闇を破って大きな光がやって来た喜びに」満たされたと言っている。その後、
昭和30年点字図書の製作と貸し出しが厚生省委託事業となる。その後多くの協力者が出て次第に
地歩を確立して行く。
氏は自分の仕事を振り返っていう。社会福祉事業というのは人に理解してもらえない仕事である。
多くの企業に何度足を運んでも「自分の企業と何の関係がありますか。
」と追い返されてしまう。だ
から関係する企業の総務課長の名前は全部覚えてしまう。その中で経団連副会長の名刺をもらって
企業を訪問したことは力になった。慈善事業に関心のある企業や人々の支援を本間氏はつぶさにそ
の名を挙げている。また、その中で彼の尊い使命を理解し、無償で翻訳に協力してくれた多くのボ
ランテイアの一人一人を数えている。それは一番十字架を負って苦労しているからこそ、この事業
の成功は自分の力ではない。神のなせる業であるとの信仰が伝わって来ます。氏は次のように語る。
盲人が社会人として生活して行くためには、教育も福祉も適切な職業も必要ですが、次元
を異にして考えれば、盲目といういやしえない肉体的欠陥を持つ者が最も幸せになる道は「信
仰を得ること」
、聖書を知り、学び、それによって力を得ている先輩や友人をわたしは多く持
ち、自分もその一人です。この言葉こそ、氏がラジオで語られた盲人の方が神に救われた「光
は上より」の思いを伝えている。
最期に、氏は訴ったえている。
「わたしたち盲目な者と共に歩んでください。わずかなことでもい
いのです。
」わたしは元同僚が第二の人生として歩んでいるパソコンのボランテイア「40-50年
も、物の見えない人がいる。それに比べたら自分の苦労なんて、苦労ではないよ。
」の思いを深く受
け止めている。
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