希望は失望に終わることがありません ローマ人への手紙5章1節~5節 2015年11月22日(日)礼拝説教 皆さん、お早うございます。 いよいよ、今年も、あと残すところ、僅か、1ヶ月ばかりとなってまいりました。来週からは、イエスさまの、ご降誕の、 お祝いの、準備を始める、アドベントに入りますし、12月27日(日)の、今年最後の礼拝は、昨年、クリスマスの時 に、天に召された、石井フク姉妹の記念礼拝となっておりますので、実質上、今日が、今年最後の、通常の礼拝と、 なります。今年の通常の礼拝では、第一と第三が、マルコの福音書の連続講解説教、第二が、旧約聖書の中から、 私の聖書通読で示された箇所のメッセージ、第四は、新約聖書の書簡類の中から、私の聖書通読で示された箇所 のメッセージ、そして、第五が、ある月には、近隣の教会との、講壇交換を、行って、まいりました。 来年からは、第一と第三がマルコ、第二は創世記、第四は、エペソ人への手紙の連続講解説教とし、第五がある月 には、今年同様、同じ教団の中の、近隣の教会と、講壇交換を行ってまいりたいと存じておりますので、今日は、旧 スタイルの説教の最終日となります。そこで、ローマ人への手紙5章1節から5節までを、紐解きながら、‶希望は失 望に終わることがありません″という、御言葉が、私たちに、何を、語りかけているのかを、ご一緒に、想い巡らして、 まいりたいと、存じます。 最初に、ひとこと、お祈りさせて、いただきます。父なる神さま、御子イエスさま、聖霊なる神さま。今年最後の通常 礼拝となります、この礼拝に、あなたが、私たちを招いてくださったことを、心から、感謝いたします。どうぞ、あなた さま、ご自身が、この礼拝の、真ん中に立って、導き、祝福して、ください。イエスさまの、尊い、御名前によってお祈 りいたします。 アーメン。 ローマ人への手紙5章1節。 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和 を 持っています。 ‶神との平和″って、一体、どういうことでしょうか。私たちは、どうしてもイエスさまに背を向けて、歩みたくなってし まうという、罪の性質を背負って、生きている者たちなのですから、神さまと、和解しなければ、なりません。 それは、自分の力で、出来るものではなく、イエスさまの十字架の贖いによってのみ、出来るものです。 ‶神との平和″を持っている者は、実際に、どのような経験をするのでしょうか。 第一に、神さまとの関係が、正常になりましたから、心に、平安が、与えられます。 第二に、神さまが、自分のことを、愛していてくださる、ということが、解ります。 第三に、自分のありのままの姿を見て、それが、どんなに醜く、惨めであっても、神さまが、そのままで、義と、認め てくださったのですから、もはや、良心の呵責に悩むことは、なくなります。 第四に、サタンが、どんなに、自分のありのままの姿を指摘して、非難をして来ても、敢然と、その攻撃に、立ち向か うことが、出来るように、なります。 第五に、死に対して、また、最後の審判に対して、恐れが、無くなります。 第六に、たとえ、足を踏み外してしまって、罪を犯すようなことがあった場合でも、神さまから義と認められた者とし て、行動することが、出来ます。 ローマ人への手紙5章2節。 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、 神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 ‶神の栄光を望んで、大いに喜んでいます″とは、一体、どういう意味なのでしょうか。 実は、このみことばは、‶神さまの栄光という希望の上に立って、大いに、喜んでいるのです″という表現と、なって、 いるのです。人間的には、何も、望み得ない、絶望的な状況が、私たちの目の前には、広がって、いるのかも、しれ ません。しかし、そのような、厳しい状況の中に、在っても、イエスさまの再臨の御約束という、希望の上に立って、 喜んでいるのです、という、表現なのです。 すなわち、イエスさまの、御約束に、信頼して、希望を持つこと。この希望は、単なる気休めとか、勝手に、心に、描 き出された、ひとりよがりの幻想、希望的観測といったものではなく、イエスさまの愛によって、支えられている、希 望なのだと、記されて、いるのです。 ローマ人への手紙5章3節。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 ここで、‶患難″と、記されていることは、一体、どんな意味を、表しているのでしょうか。 それは、ただ一般的な意味での苦難や苦しみを表わすよりも、イエスさまを救い主であると告白するがゆえに、受 けなければ、ならない、苦しみ、信仰告白から生まれる、色々な苦しみを、表して、いるのです。 たとえば、イエスさまを救い主であると信じたために、世間の人と同じ行動を、しなくなる。世間さまの生活ぶりから は、身を引く。そのために、世間さまから、‶つきあいが悪い″と、疎んじられるような、場合です。 また、自分がクリスチャンであるがゆえに、受ける、厭がらせも含むのかも、しれません。 このみことばに記されている、‶忍耐″とは、一体、どんな意味なのでしょうか。それは、受身的な辛抱、我慢、とい う意味ではなくて、ひとつの目当てのために、それを、つかむために、それまでの、色々な事を、耐えて行く、という 意味です。ひとつの望みがあって、その望みを手に入れるために、苦しかったり、重かったりして来たことが、あっ ても、それを、じっと、持ちこたえる、という、ことなのです。 患難の中で、神さまが意図しておられる意味を、読み取ろうと、追及する、努力のことを、意味して、いるのです。 ‶患難さえも″という表現は、実際には、‶患難の中に在って″という、表現を、とっております。人間的には、患難の 中に在って、絶望的な状況の真っ只中に、あるのかも、しれません。しかし、その中に在って、イエスさまの、再臨の 希望の中に、喜んで、いるのだという、表現なのです。 人さまには、絶望せざるを得ないような、患難の、真っ只中に、在って、イエスさまの再臨の希望の中に、喜んで、 歩んでいるのです、という、表現なのです。 ローマ人への手紙5章4節。 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 ‶練られた品性″って、一体、どんな意味なのでしょうか。それは、鉱石を溶かして、かなかすと、採取しようとしてい る金属とを、分ける精錬を意味している、みことばなのです。火で溶かすような、激しい試練を耐えた結果としての、 資格のことなのです。JISマークのような、ものなのです。その人に、神さまが、付けてくださる、認証、ということな のです。だからこそ、希望が、持てる、わけなのです。神さまが、公認し、認証してくださったので、希望を、生み出 すのです。 ローマ人への手紙5章5節。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が 私たちの心に注がれているからです。 ‶失望に終わる″とは、一体、どういう状況を、指して、いるのでしょうか。それは、‶恥を来らせる″という、意味で す。 何かを、待ち望んで来た、本人が、がっかりして、しまったとか、諦めてしまったとか、いうような、本人の気持ちの 動きを、指しているのではなく、もっと、客観的に、たとえば、‶神さまが、イスラエルを救ってくださると、約束してお られたのに、それがダメになってしまって、イスラエルは、滅んでしまった、じゃあないか。ざまあみろ。″といった 具合に、周囲の国々から嘲られてしまうようなことの無いために、その恥ずかしめを避けるために、神さまが、約束 を成就してくださった、というような状況で、使われる言葉なのです。 私が、頑張って、神さまを愛し、神さまに信頼して、絶対に、希望を捨てない、というような、私たち、人間の側の努力 や頑張りでもって、恥ずかしめられないようにする、ということではなくて、神さまが、私を、愛していて、くださること が、確かなので、私の持っている望みは、決して、失望に終わりません、と言っているわけなのです。 その、神さまの愛が、私たちの心に、注がれているのです。私たちに注がれている、神さまの愛によって、私たちの 信仰と希望は、支えられて、いるのです。 その、イエスさまの愛を、私たちに注いでくださるのは、一体、誰なのでしょうか。 それは、イエスさまの御霊、すなわち、聖霊なる神さまなのです。父なる神さまと、私たちの間には、平和が、樹立さ れておりますので、私たちは、安心して、父なる神さまに、祈りと、聖書のみことばを通して、語りかけ、また、父なる 神さまの、みこころを理解することが出来ます。それを可能にしてくださるのが、父なる神さまの御子・イエスさまで す。イエスさまは、十字架の上で、私たちのために、血を流してくださり、その血潮によって、私たちを、罪から、贖い 出して、くださいました。それによって、父なる神さまと、私たちの間との平和を、樹立して、くださったのです。 そして、私たち、ひとり、ひとり、全員に、もれなく、イエスさまに在って生きて行くという、‶永遠のいのち″を、プレゼ ントしてくださったのです。 イエスさまは、今、天に上げられ、再び、私たちの肉眼の、この目で、見えるかたちで、私たちの住んでいる、この地 上に、やって来てくださる、タイミングを、はかって、くださって、おられます。その間、いつも、私たちの傍に、いてく ださって、何くれとなく、私たちの、お世話をして、くださっておられるのが、イエスさまの御霊、すなわち、聖霊なる 神さまなのです。聖霊なる神さまが、私たち全員に、もれなく、与えられているからこそ、私たちの心には、父なる神 さまの愛、イエスさまの愛が、いつも、注がれて、いるのです。ですから、私たちは、信仰と、希望とを、持ち続ける ことが、出来て、いるのです。 お祈りさせていただきます。 父なる神さま。御子イエスさま。聖霊なる神さま。御言葉を、ありがとうございました。あなたの、ご栄光を、賛美いた します。あなたに在って、歩ませていただいている、私たち、ひとり、ひとりが、大切に、抱いている希望が、恥をか いて、失望に終わってしまうということはない、という、聖書のメッセージを、感謝いたします。 これから、だんだん、寒くなってまいりますが、あなたが、私たちの、心身ともなる、健康をも、支えてください。 感謝して、イエスさまの、尊い、御名前によって、お祈りいたします。 アーメン。
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