平成27年度 高崎社会大学院 平成27年9月3日 高崎市総合福祉センター 「 群 馬 の 万 葉 歌 」 群馬県立女子大学 雑 歌 5 国名判明 相聞歌 76 譬喩歌 90 9 1首 1首 2首 1首 遠江 駿河 伊豆 相模 武蔵 上総 下総 常陸 信濃 上野 下野 陸奥 2首 5首 1首 12首 9首 2首 4首 10首 4首 22首 2首 3首 遠江 駿河 相模 上野 陸奥 1首 1首 3首 3首 1首 川 和 ①天平勝宝七歳乙未二月、相替り 東海道 て筑紫に遣はさるる諸国の防人 等の歌 - 東山道 遠 江国 相 模国 駿 河国 上 総国 常 陸国 下 野国 下 総国 信 濃国 上 野国 武 蔵国 東海道 7 首/ 18 首 3 首/ 8 首 10 首/ 20 首 13 首/ 19 首 10 首/ 17 首 11 首/ 18 首 11 首/ 22 首 3 首/ 12 首 4 首/ 12 首 12 首/ 20 首 東山道 84首/166首 ② 昔年防 人… …… …8首 ③ 昔年相 替防 人… …1首 東海道 合計 東山道 東 国 地 93 首 図 (国名の下の数字は 東歌+防人歌の数) 国名不明 140 雑 歌 相聞歌 防人歌 譬喩歌 挽 歌 17首 112首 5首 5首 1首 出羽 陸奥 4+ 0 合計 秀 ◎万 葉集巻 二十 ・防 人歌 ◎万葉集巻十四(東歌)の配列 上総 下総 常陸 信濃 北 230首 佐渡 能登 北 陸 道 越後 下野 越中 東 山 道 越前 2 + 11 上野 飛騨 2 5+ 4 常陸 12 + 10 信濃 武蔵 5+3 9 +1 2 甲斐 若狭 相模 美濃 15+3 丹 波近 江 摂津 和泉 三河 山城 河内 紀伊 遠江 3 +7 伊賀 大和 - 1 - 駿河 尾張 6+ 1 0 志摩 5 + 11 上総 3+13 安房 伊豆 1+ 0 東 海 道 伊勢 下総 【碓氷】 ぐれ う す ひ せ 3402 日 の 暮 に 碓 氷 の 山 を 越 ゆ る 日 は 夫 な の が 袖 も さ や に 振 ら し つ ( 上 野 東 歌 ) (碓氷の山をあなたが越える日は、あなたも袖をはっきりとお振りになった。) くも う す ひ 4407 ひ な 曇 り 碓 氷 の 坂 を 越 え し だ に 妹 が 恋 し く 忘 ら え ぬ か も ( 上 野 防 人 歌 ) をさだべの こいはさき 右の一首は、他田部子磐前のなり。 (碓氷峠を越えるとき、彼女への思いが募って、もう忘れるなんてとてもできないこ とだなぁ。) 【伊香保】 ね かみ わ へ ゆゑ 3421 伊 香 保 嶺 に 雷 な 鳴 り そ ね 吾 が 上 に は 故 は な け ど も 子 ら に よ り て そ ( 上 野 東 歌 ) (伊香保の峰に雷よ鳴ってくれるな。私にとっては別にどうということはないけれど も、あの娘が怖がるものでね。) *「伊香保」の語源 ・現在の「伊香保」は渋川市の町名。旧伊香保町。 ・万葉集の時代の「伊香保」は榛名山のこと。 ・「いかほ」という語の構成は「いか(厳)+ほ(穂・秀)」と考えられる。 ・「ほ(穂・秀)」は、突き出ているもの、他からぬきんでているもの。例えば、稲 ほ 穂、槍の穂、波の穂などの「穂」。「炎(ほのほ)」は「火の穂」の意。ろうそく の炎の形は槍の穂とよく似ている。山の名には「高千穂」「穂高」など「ほ」の付 くものがある。「いかほ」の「ほ」も同じと考えてよい。 ・「いか(厳)」は「内部の力が充実していて、その力が外形に角張って見えている 状態」(『古典古語辞典』の「いかづち【雷】」の項)を表す語で、「いかし(厳 し)」「いかめし(厳めし)」「いかる(怒る)」「いかづち(雷)」などの「い か」も同じ。 ・「いかほ」の「いか(厳)」は、この山のもつどのような性格を「いか(厳)」と とらえたのであろうか。 ・山の姿 ・雷の巣窟 ・火山 あ 3422 伊 香 保 風 吹 く 日 吹 か ぬ 日 あ り と 言 へ ど 吾 が 恋 の み し 時 な か り け り ( 上 野 東 歌 ) (伊香保風は、吹く日も吹かない日もあると言うが、私があなたを思う恋心ばかりは、 止むときがないことだ。) からどまり の こ * 参 考 「 韓 亭 能 許 の 浦 波 立 た ぬ 日 は あ れ ど も 家 に 恋 ひ ぬ 日 は な し 」 ( 3670) あら つ しほ ひ 「 荒 津 の 海 潮 干 潮 満 ち 時 は あ れ ど い づ れ の 時 か 我 が 恋 ひ ざ ら む 」 ( 3891) かみつけの ね ふ よき 3423 上 毛 野 伊 香 保 の 嶺 ろ に 降 ろ 雪 の 行 き 過 ぎ か て ぬ 妹 が 家 の あ た り ( 上 野 東 歌 ) (上野国の伊香保の峰に降る「雪」ではないが、たやすく「行き」過ぎることができ ない、あなたの家のあたりよ。) - 2 - や ど * 参 考 「 わ が 屋 戸 の 君 松 の 木 に 降 る 雪 の 行 き に は 行 か じ 待 ち に し 待 た む 」 ( 1041) や さ か ゐ で のじ あらは 3414 伊 香 保 ろ の 八 尺 の 井 手 に 立 つ 虹 の 顕 ろ ま で も さ 寝 を さ 寝 て ば ( 上 野 東 歌 ) (伊香保の高い井堰の上に現れる虹がはっきりと見えるように、そのようにはっきり と二人の仲が明らかになってしまうほど一緒に寝ていられたらなぁ。) 【佐野】 ふなはし はな さ わ さか 3420 上 毛 野 佐 野 の 舟 橋 取 り 放 し 親 は 離 く れ ど 吾 は 離 る が へ ( 上 野 東 歌 ) (上野国の佐野の舟橋をばらばらにしてしまうように、親は二人を引き離すけれど、 私はあなたと離れたりしない。) 【多胡】 あ ま さ か た ご い り の お く 3403 吾 が 恋 は 現 在 も か な し 草 枕 多 胡 の 入 野 の 将 来 も か な し も ( 上 野 東 歌 ) お く (私の恋は今も切ない。そして(多胡の入野の奥ではないが)将来も切ないこと だ。) *参考 「……三郡の内三百戸を郡と成し、羊に給ひて、多胡郡と成す。……」 (多胡碑 七一一年) 昭和三十年まで存在した入野村は、明治二十二年の町村合併の折、小串・黒熊・深沢 ・石神・中島・小暮・馬庭・岩井・多比良の九ヶ村が合併して成立。村名は、東歌の 「多胡の入野」が黒熊附近に比定されるという説を採用して命名された。 【その他】 こもちやま わ か か へ る で も み わ も な あ も 3494 子 持 山 若 鶏 冠 木 の 黄 葉 つ ま で 寝 も と 吾 は 思 ふ 汝 は 何 ど か 思 ふ ( 未 勘 国 東 歌 ) (子持山の若いカエデの葉が秋になって色づくまで、あなたと共寝をしていたいと私 は思う。あなたはどう思う?) ただ 3413 利 根 川 の 川 瀬 も 知 ら ず 直 渡 り 波 に あ ふ の す 会 へ る 君 か も ( 上 野 東 歌 ) (利根川の浅瀬がどこなのかも考えずに、やみくもに渡って波を受けてしまったよう に、ばったりと出会ったあなただこと。) さ わ た り て ご あ が こと き 3540 左 和 多 里 の 手 児 に い 行 き 逢 ひ 赤 駒 が 足 掻 き を 速 み 言 問 は ず 来 ぬ ( 未 勘 国 東 歌 ) さ わ た り (左和多里の乙女に出逢ったけれど、私が乗る赤毛の馬の歩みが速いので、言葉を交 わさないまま来てしまった。) ま か ね に ふ ま そ ほ で あ 3560 真 金 吹 く 丹 生 の 真 朱 の 色 に 出 て 言 は な く の み そ 吾 が 恋 ふ ら く は ( 未 勘 国 東 歌 ) (丹生の赤土のようには、はっきりと表に出しては言わないだけだ。私が恋している ということは。) しらまなご み つ は に ふ * 参 考 「 白 真 砂 御 津 の 埴 生 の 色 に 出 で て 言 は な く の み そ 我 が 恋 ふ ら く は 」 ( 2725) - 3 - かみつけの を ど た ど り 3405 上 毛 野 乎 度 の 多 杼 里 が 川 路 に も 子 ら は 逢 は な も 一 人 の み し て ( 上 野 東 歌 ) を ど た ど り こ (上野国の乎度の多杼里の川へ行く道で、あの娘が逢ってくれたらなぁ。一人だけ で。) かみつけの を の た ど り あ は ぢ せ 3405或 本 上 毛 野 小 野 の 多 杼 里 が 安 波 治 に も 夫 な は 逢 は な も 見 る 人 な し に ( 上 野 東 歌 ) た ど り あ は ぢ (上野国の小野の多杼里の安波治ででも、あなたが逢ってくれたらなぁ。誰にも見ら れないで。) か ほ や つら あ 3416 上 毛 野 可 保 夜 が 沼 の い は ゐ 蔓 引 か ば ぬ れ つ つ 吾 を な 絶 え そ ね ( 上 野 東 歌 ) (上野国の可保夜の沼のイハヰツラが、引っ張ればずるずると寄って来るように、私 に寄ってきて、いつまでも仲を絶やさないで欲しい。) いり ま ぢ おほ や つら わ * 参 考 「 入 間 路 の 大 家 が 原 の い は ゐ 蔓 引 か ば ぬ る ぬ る 吾 に な 絶 え そ ね 」 ( 3378) 武蔵国東歌 か は 「西の方はるかに川嶋と聞えて、こゝにも甲波すくねの社を見やりたるは、これなん光 明院がつかさどれるなりけり。うのとしのわざはひに、其地さへながれうせて、その 社は南の方三四町ばかりひきしりぞきて作りたてたるとぞ。……名に高きかほやが沼 も、むかしこの境内に有けるを、近き頃となりては俤すらなくなりしうへ、また其地 な さへぞうせはてたる。」 さ かつ たか ( 奈 佐 勝 皐 『 山 吹 日 記 』 天 明 六 年 1786五 月 十 三 日 条 ) * 「 う の と し の わ ざ は ひ 」 は 天 明 三 年 1783の 浅 間 山 の 大 噴 火 に よ っ て も た ら さ れ た 災 害 な に は ぢ く わ ぎ も こ を 4404 難 波 道 を 行 き て 来 ま で と 吾 妹 子 が 着 け し 紐 が 緒 絶 え に け る か も ( 上 野 防 人 歌 ) すけのよぼろ 右の一首は、助 うしかひ 丁上毛野牛 甘のなり。 (難波への道を無事に行って帰ってきてくださいと言って妻が縫い付けてくれた紐が ついにすり切れてしまったことだなぁ。) い も こ わ 4405 わ が 妹 子 が し ぬ ひ に せ よ と 着 け し 紐 糸 に な る と も 吾 は 解 か じ と よ ( 上 野 防 人 歌 ) ますひと 右の一首は、朝倉益 人のなり。 (妻が、思い出すよすがにしてほしいと言って縫い付けてくれた紐は、たとえすり減 って糸になっても私はほどいたりするものか。) いは や 4406 わ が 家 ろ に 行 か も 人 も が 草 枕 旅 は 苦 し と 告 げ 遣 ら ま く も ( 上 野 防 人 歌 ) ふし 右の一首は、大伴部節麻呂のなり。 (わが家に行く人がいてくれたらなぁ。そうすれば、私が苦しい旅をしていると家族 に知らせてやれるのに。) - 4 -
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