指揮者とパン屋(日本語訳)

指揮者とパン屋(日本語訳)
パン屋が店にいる。彼はパンを並べていると、燕尾服を着た男が店に入ってくる。
パン屋
何かご用ですか?
客
こんにちは。困っておりまして、あなたに会いにやって来ました。
パン屋
ああ・・・、いつもなら困っているのは私なのですが。
客
説明いたします。私はオーケストラの指揮者で、今晩コンサートがあるのです。それなのに指揮棒
が折れてしまいまして。
パン屋
ああ、なるほど。それは困りましたね。でも私があなたにできることとはなんでしょう・・・。
客
そこをなんとか・・・。
パン屋
(考えながら)ううむ・・・。いや、わからない。サンドウィッチかな。あなたに元気をだしてもらう
ためにね。
客
いいえ、違いますとも。
パン屋
田舎風のパンかな。
客
いいえ・・・。
パン屋
パン・ブリエかな。パン・プリエかな。それともパン・ド・“ミ・ド・レ”かな。
客
いや、いや、いや・・・。違いますとも。
パン屋
わからないですな。ブリオッシュかな。
客
ブリオッシュではないですよ。わたしのブリオッシュのようなお腹で、もうじゅうぶん。いやはや
バゲットがほしいのですが。
パン屋
バゲットですか・・・。
客
ええ。バゲットです。私の折れた指揮棒の代わりになるような。
パン屋
ああ・・・、なるほど・・・。しかしお客さん、ここはパン屋ですよ。コンサート会場ではないのですが・・・。
客
でも“フルート”がありますよね。
パン屋
ええ、でもそれはですね…。
客
(さえぎって)では、バゲットが必要なのです。バゲットを売ってはもらえませんか。
パン屋
ええ、もちろんですとも。でもそれはですね・・・。
客
(さえぎって)では、バゲットを一本!!!お願いします!
パン屋は驚いてバゲットを取って、客に渡す。客は不満そうな顔をする。
客
ああ、これで役が務まるかどうかわからないな。
パン屋
どういうことですか。
客
まあ、見てみましょう。
客は目を閉じ、バゲットを手にもち、指揮者の動きをする。
思ったとおりだ。
パン屋
何ですって?
客
だめだ。
パン屋
驚くこともありませんよ。あなたはパン屋にいらっしゃるのです。オーケストラの指揮棒とパンの
バゲットを入れ替えることなど頼んでも無理なのですよ。ええ、お客さん、無理なのです。
客
できますとも。ただ、調度いい種類のものではないのです。これはミュゼット用ですが、でも他は、
ご覧なさい。あれは少しアコーディオンの様にしわがよっているでしょう。でも私のミスです。も
っとあなたに細かく伝えることを忘れておりました。
パン屋
(我慢できなくなってきて)
何ですか。
客
今晩のコンサートは全部ヨハン・シュトラウスものなのです。ご存知でしょう。数々のオーストリ
アンワルツ、『美しく青きドナウ』など、わかりますか。
パン屋
ええ、わかりますとも。ただ私のわからないのは結局、あなたがどうなさりたいのかということで
す。
客
ただ単にですね・・・私が欲しいのは、このバゲットではないのです。私が欲しいのは・・・ウィーン風
のバゲットなのです。