なぜ昔の戦闘で大砲を使うのは難しかったか

19 世紀軍事史・参考資料
なぜ昔の戦闘で大砲を使うのは難しかったか
この疑問に答えるのは比較的易しい。これを考察する前に砲撃に伴う諸問題を明らかに
しておく必要があろう。
海戦や陸戦の別を問わず大砲の武器としての性能は A.運搬難易度、
B.発射速度、C.射程距離、D.命中精度、E.破壊力の5点から考察しなければならない。こ
れらを簡単に説明しておこう。
A. まず運搬の問題。大砲の重量(砲車を含め)が重ければ、その運搬に多くの人馬を必
要とする。そして、登坂に際してはさらに多くの労力を要する。平地での邂逅戦なら
ば敵味方の不利・有利はあまり生じないが、それでもすばやく高地に陣取ったほうが
有利となる。だから、丘の天辺をめざしての競争が避けられない。また、もし性能・
威力が同じとして軽い大砲と重い大砲を較べると、軽いほうが労力と操作において有
利であるのはいうまでもない。
B. 発射速度というのは1発の砲弾を放って次の発射までにかかる時間をさす。この時間
が短いほうが有利である。現在の大砲では砲身1本あたり1分間に 100 発ぐらいは撃
てるが、大砲が出現した当時の大砲の砲身は錬鉄(つづいて鍛鉄、青銅、鋼鉄の順に
進化)でできていて非常に脆かったため、1発撃つと砲身が焼け、それが自然に冷め
るまで時間をおかねばならなかった。さらに燃焼物の残滓が砲身に残っているため、
それを掻きだす必要もある。冷えたのちに次の発射のため火薬を装填するのに時間が
かかる。砲弾(球体)を詰めるのも逐一人力に依存するのだ。爆発性の砲弾ではない
わりに、その重さは並大抵ではない。そういうわけで発射速度は恐ろしいほどに時間
がかかり、次の発射までに1時間はかかる。ここから、元は前装填の大砲だったが、
19 世紀後半には後装式の大砲に代わっていく。かくて、大砲にも薬莢が付いたのだ。
C. 射程距離とは、一人前の技術をもった砲手が標的に当てる意志をもって発射したとき、
砲弾が当たる距離のことである。射程距離は長いほど有利になる。射程距離と飛翔距
離とは違い、射程距離<飛翔距離になる。この関係は倍半分ほどの開きがある。もち
ろん射撃の上手下手にも依存する。しかし、絶対に射程距離=飛翔距離にはならない
要因は風向き、砲弾の直進性(球形の弾丸でも完全な球形ではなく少しの歪でも弾道
は曲がる)
、発射地点の高低、発射地点の傾斜、射撃目標の高低により命中率が落ちる
からであり、それら要素の即座の計算が難しいからである。たった1発で目標物に当
てることなど至難の業だ。よって、射撃角度や方向を調整しなければならない。当た
ったかどうか、そして、外れた場合どれぐらい目標着地点から外れているかが基準に
なるが、それを見届け誘導する兵員を高地に潜ませねばならない。日露戦争の日本海
海戦におけるロシア艦では 50mの至近距離でも当てられなかったといわれる。
D. 命中精度は上記 C と並んで重要な要素である。C で述べた射程距離に沿っていくら調
整しても(どんな射撃の名手が撃っても)なお目標物に当たらないことがある。その
原因は主に弾丸にある。弾丸に回転を与えると、風の作用を弛め弾丸の直進性を高め
ることができる。この回転は速ければ速いほど風圧の作用をコントロールできる。そ
のためには弾丸の推進力を高める必要がある。つまり、高精度の火薬をつぎ込まなけ
ればならない。
E. 破壊力とは着地した砲弾の破壊力のことである。初期の砲弾は目標物を破壊もしくは
貫通するだけであった。木製の目標物なら文字どおり木っ端みじんに砕くことができ
るが、目標物が石や土ではそう簡単にはいかない。当たった石は砕けるが、被害はそ
こで終わりだ。当たった先が土であれば、そのままめり込んでしまう。ここから 16 世
紀以降の要塞では土嚢を積み上げて敵砲弾に対処した。
この反省から発明されたのが榴弾である。古典的な砲弾は単なる金属球(岩石の場
合もある)であった。それに対して榴弾は、弾丸の内部に炸薬が封入されており、着
弾時など信管が定めるタイミングで爆発(炸裂)する。榴弾が炸裂することで弾殻が
破砕され、その破片が広範囲に飛び散り、周囲の物体に突き刺さる。陸上兵器や艦載
兵器で使用されている火砲の砲弾はほとんどが榴弾か徹甲弾である。徹甲弾は装甲し
た掩蔽物を貫き通す砲弾である。
徹甲弾がその運動量によって加害するのに対して、榴弾は主に火薬の爆発力によっ
て加害するため、徹甲弾のように高速度で飛翔させる必要性は低く、弾道は曲線を描
き、すこし時間をかけて落下するものが多い。これは曲射と呼ばれ、飛距離が伸びる
ことや、上から垂直近くで落下する砲弾を防ぐには困難が伴うために、目視できない
離れた地点の敵へ不意に攻撃を加えるような運用方法がとられることが多い。ただし、
小さな目標や移動する目標に直撃弾を当てることは難しく、比較的防護の薄い兵士や
軽車両、通常の建物などを広く加害する用途に向いており、直撃しないかぎり、戦車
などの堅固な目標の撃破は期待できない。
以上のような理由により、大砲が陸戦で使われるのは要塞攻防戦に限られた。要塞に拠
って守る側は要塞の高所に大砲を据えつけて眼下に迫る包囲兵を攻撃する。包囲軍が塊を
形成している箇所に 1 発見舞えば大きな戦果を挙げることができた。要塞を包囲する側は
敵要塞を破砕すべく平地に重砲を据える。城郭の一か所に孔を穿ち、ここを歩兵の突入の
通り道とする。
陸戦での要塞砲と野戦砲の戦いはどちらが有利となるか。これは要塞砲である。高所に
陣取っているため射程距離は延びる。そして、弾薬の補給も備蓄をしておけば事足りる。
しかし、要塞砲の欠点は高所に運び込むための手間である。要塞内に坂道は容易されてい
るが、ここを人馬の力で引っ張り上げるのは容易ではない。軽い重量の砲なら搬送はやさ
しいが、そのぶん威力が落ちる。一方、包囲軍がもつ重砲は弾薬補給という難事をかかえ
る。雨でも降ろうものなら防水のための覆いをしなければ、晴間ができても撃てない。そ
んな時にかぎって要塞側からの砲撃に晒される。また、要塞側からの攻撃は砲撃とは限ら
ない。夜討ちの急襲で犠牲になるのは砲兵隊である。それを運び去ろうにも重すぎて手に
負えない。
次に、海での戦いを検討しよう。海での戦いには面倒な問題がいくつかあった。波動に
より命中精度が著しく低下するのだ。砲列を舷側に並べて斉射をすると、その反動の力で
船が転覆してしまう。斉射をしないとポツンポツンの発射となり、砲弾は目標には滅多に
当たらない。斉射に堪えるようにするためにずんぐりタイプの船にすると、今度は船足に
速力が出ない。波のせいで船が揺れ、発射地点が絶えず揺れ動く。また、標的となる船も
揺れるわけで結局は弾丸は当たらない。
大砲が出現した当時の戦艦はすべて木造であり、舷側に命中しても、船室が細かく分か
れているせいで一か所爆砕ではなかなか沈まない。
結局、海戦での決定打は敵艦に乗り移っての斬りあいか、火矢によって敵艦の帆柱を焼
切るかのどちらかである。後者がうまくいけば艦全体を火の海にできる。
古来、火矢はもちろん用いられたし、敵味方分かれての火矢の飛ばしっこもおこなわれ
た。その合戦はローマ時代にすでに存在する。当然のことながら、火消し専門要員(防火
用水もあるが、矢の突き刺さった部分を叩いて消す)も備えていた。それよりもっと効果
的な方法は船全体を燃やして敵船に衝突させる、いわゆる「火船」である。中国の『三国
志演義』の「赤壁の戦い」にも火船が登場する(DVDも市販されている)
。
しかし、火矢の欠点は射程距離が短いところにあり、敵船に近づく前に鎖砲弾や伸縮式
砲弾を食らうことだ。鎖砲弾とは2個の砲弾を鉄鎖で繋いだもので、伸縮式砲弾は大砲か
ら飛びだすと弾体が伸びて命中精度が高まる砲弾である。これらが帆柱に当たると柱をへ
し折る。また、攻撃のため不用意に近づくと敵側からする火矢の逆襲を受けたり、舷側を
体当たり船の攻撃を受けたり、船舷移乗した敵水兵のなだれ込みを受けることである。
「火
船」の欠点は向かう方向が風下に限られていたこと、操縦性に難点があったことである。
臼砲(弾体は放射軌道を描く)やカノン砲(弾体は水平軌道描く)は 14 世紀に登場し
たが、前装式滑腔砲では装填に手間がかかるほか、砲塔の角度調整がきわめて面倒で命中
精度に問題があり、1 時間に 1 発しか撃てない状況では使いものにならない。臼砲やカノ
ン砲は敵に対する威嚇の意味しかなかった。真に有効になるには、後装式旋条(ライフル)
砲が出現する 19 世紀を待たねばならない。曲射砲も同様であり、19 世紀中ごろに威力を
もちはじめる。
最後に海と陸との戦い、つまり艦載砲と要塞砲の戦闘についてふれよう。この戦いでの
勝負の決着はきわめて難しい。クリミア戦争(1853~56)と旅順攻撃(1904~05)に端的
に示される。この2つの戦闘は 19 世紀中葉と 20 世紀初におこなわれたが、大砲の性能や
艦船の巨大化が成し遂げられていても、勝負がつかず、結局は両軍に消耗を強いた。
つまり、艦載砲と要塞砲には一長一短があり、いたずらに攻撃を仕掛けると仕掛けたほ
うの損傷が大きくなる。艦載砲は射程距離に問題があり、陸地に近づいて海に張りだした
要塞を狙うと、要塞砲の餌食になってしまう危険性がつきまとう。あいだに距離を置いた
のでは戦闘にならない。陸戦隊を陸上に揚げて戦おうにも、要塞側の砲門の前に前進を阻
まれる。要塞砲は射程距離外に離脱した敵艦に撃ったのでは意味がない。夜陰に紛れて敵
艦を急襲しようにも、よほどのことがないかぎり戦果は期待できない。目標とする敵艦に
肉迫できても、近くにいる僚艦に発見される可能性が高い。
こういうわけで両軍睨みあいのまま時間だけがすぎていく。艦隊側には糧食の不安が大
きくなり、要塞側には補給がつづくかぎりは大丈夫だが、この補給路が絶たれると直ちに
飢餓の問題が生じる。クリミア戦争で英米連合艦隊が勝利したのはセバストポリ要塞に通
じるロシア側の通信を断ち切ることに成功したからである。旅順攻撃で日本軍が最終的に
勝利したのは海戦でロシア艦隊を全滅させ、自軍の通信線を安全に確保したうえ、日本本
土(東京お台場)からもちこんだ要塞砲により丘地越えの砲撃で旅順艦隊に損傷を与えた
からである。
<参考文献>C.M.チッポーラ著、大谷訳『大砲と帆船』
(平凡社、1996 年、481 ペー
ジ)
;ダイヤグラムグループ編、田島・北村訳「武器 ―歴史・形・用法・威力―」
(マー
ル社、1982 年、381 ページ)
(c)Michiaki Matsui 2015