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<沖縄の祭祀>
沖縄はかつて独立していたのか?あるいは、支那の一部だったのか?表面的
な歴史だけを見ていただけでは、何とも言い難いのが沖縄だが、世界中、太古
は政祭一致だったという原則から見つめ直すと、大変興味深いことが解ってく
る。以下、主に「日本の祭り(扶桑社)」を参考に考察しよう。
(1)琉球神道史記に載る天地開闢神話
天から男神のシネリキヨと女神のアマミキヨが降臨し、3 人の子を産んだ。1
人目は所々の主の始、2 人目は祝女(ノロ)の始、3 人目は民の始となった。そ
れらを守護する神がキンマモンで、琉球王朝の最高神女(ノロ)である聞得大
君(きこえおおきみ)に依り憑く琉球古神道の最高神であり、陰陽二神がある
とされる。
天より下り給う神をニライ・カナイのキンマモン、海より上り給う神をオボ
ツ・カグラのキンマモンと言う。琉球古謡を集成した「おもろさうし」には、
ニライ・カナイは東方の海の彼方にあるとされるが、いずれにしても、遥か彼
方の楽土からすべての幸せが島々にもたらされるという観念である。
ここで注目すべきは“アマ”である。天は“アマ”であり、海も“アマ”で、
ニライ・カナイが天と海の両方に関わっていることは、邪馬台国の大王家、海
部(アマベ)氏が天神族から海神族へと降格され、天は海でもあり海は天でも
あることとの関わりが伺える。
キンマモンを祀る場所が御嶽(うたき、おたき)で、古くは祖先や村落の英
雄、偉人の墓でもあったという巨大な磐座である。沖縄本島南城市にある斎場
御嶽(せーふぁうたき)は最高の御嶽で、聞得大君が管理した。この御嶽のあ
る知念半島の東海上約 5 キロには、アマミキヨが天から降臨したとされる聖地、
久高(くだか)島がある。御嶽は普通“おんたけ”と読み、本土では典型的な
山の信仰だが、この元が“うたき”の巨大な磐座信仰ならば、矛盾は無い。
この御嶽で神に仕えるのが祝女ノロや司で、神の神託を告げる。潔斎したノ
ロや司は白衣(しるぢん)をまとい、忌籠りしてオタカベ(神口)を宣(の)
る。
初期邪馬台国では卑弥呼が祭祀を行い、孫の世代に当たるトヨが祭祀女王と
なって、ようやく統一国家となったが、いずれも山を神の降臨する場と見て(卑
弥呼の時代は都祁野岳、トヨの時代は初瀬山)、女性が祭祀を司るという点は、
古代ヤマトの祭祀がそのまま残っていると言える。
(http://iyasaka369.blog.fc2.com/blog-category-3.html の<日本の真相>
シリーズ一連。)
このノロに似た巫(かんなぎ、シャーマン)に、ユタがある。ノロは王朝に
関わるが、ユタは民間人の呪術的信仰に関わる。ノロや司などの神人(かみん
1
ちゅ)は神道と同様、死の穢れ、出産や月経の血の不浄を忌避するのに対し、
ユタは死者儀礼や死霊供養に密着する。これが本土では、恐山(青森)のイタ
コへと転訛しているのであり、沖縄から遥かかけ離れた東北の最北端との繋が
りが明白である。
なお、現在の沖縄では、ユタ信仰は迷信だとされている。特に、教育者や知
識人の間では、軽蔑すらされている。それは、支配階層にとって邪魔な存在で
もあり、また、いわゆる霊感商法的な金儲けなどの問題もあり、琉球王国行政
官によるユタ禁止令や明治時代のユタ禁止令、大正期のユタ征伐運動、昭和の
戦時体制下のユタ弾圧などの歴史を経て来た経緯がある。
(2)オナリ信仰
沖縄では、姉妹が兄弟を護るというオナリ信仰がある。オナリとは姉妹(う
ない)のことで、男兄弟(いきー)の守護神と信じられてきた。王朝では高級
神女が按司(あんじ)のオナリ神となり、聞得大君が琉球王朝のオナリ神とな
った。このようなオナリの血縁関係は、一族の先祖崇拝と深い関わりを持って
いる。
これなどは、卑弥呼を弟が補佐したという倭人伝の記述とは逆の関係だが、
倭人伝は外国人に依る伝聞のため、記述の間違いも多い。おそらく、実際に権
力を振るう男王を、祭祀女王である卑弥呼が御神託でもって支えていたのだろ
う。すなわち、オナリ信仰そのものである。
(3)芸能と神事
沖縄と言えばエイサーなどの独特な芸能が思い浮かぶが、これらは神祭りと
先祖崇拝を拠り所とし、各諸島で特色を異にしている。エイサーは盆の季節に
行われる盛大な祖霊供養の行事で、古くからあったエサオモロという舞踊に念
仏踊りの影響が加わったものである。念仏踊りは本土の影響であることは言う
までもない。他に、爬竜船による豊漁儀礼であるハーリーなどは競技に依る年
占(としうら)の祭りで、このような年占は本土でも様々な地域で見られる。
各諸島に伝えられてきた古い祭りとしては、シヌグとかウンジャミ(ウンガ
ミ)がある。シヌグは“災難に打ち勝つ”
“逃れる”という“凌ぐ”という意味
で、ウンジャミは“海神”の字を充てる。いずれも、豊漁と平安を祈る祭りで
ある。元は、シヌグは男性、ウンジャミは女性を中心とする祭りだったとされ
る。“海神”は、天神から陥れられた海部氏の神でもある。
例えば、沖縄本島大宜味村塩屋湾のウンガミでは、海の彼方にあるニライカ
ナイから神を迎えて豊穣を祈る。これなどは、龍蛇を迎えて神祭りする出雲の
神在月の神事と同義である。以下、各諸島の代表的な祭りである。
①宮古島
小正月や大晦日に来訪神が訪ねて来るという伝承がある。これは、秋田のナ
マハゲや鹿児島のトシドンなど、本土にも多く見られるものである。
2
宮古島の来訪神パーントゥは仮面を着け、体に蔓草を巻きつけ、ヘドロを塗
って支度した若者が夜になると集落に現れ、土足のまま家に上がり込んだり、
抱きついてヘドロを付けたりすることに依り、悪疫や災害を祓う神だとされる。
ナマハゲは悪い子が居ないか探すわけだが、形こそ違え、その家の悪疫や災難
を祓うことに違いは無い。
また、沖縄諸島では自然災害から逃れ、豊かな暮らしを求めるためのユーク
イ(世乞い)の祭りが行われていった。これは、天皇陛下の祈りと同様のもの
である。宮古の池間島を中心とする地域で行われるユークイは御嶽を斎場とし、
島生まれの中年女性たちが神女となって、白衣、蔓草の冠、手にはテフサとい
う木の葉の束を持ち、ヨンテルという神謡を唱和しながら祭りを進行する。島
民たちはその祭祀を見てはならないとされる。そのような他見を禁じる祭りと
して、宮古の島尻などのウヤガンがある。パーントゥが男性が扮するのに対し、
ウヤガンは“親神”の意で、神女の扮する祭りである。ここでも、女性が神祭
りに欠かせない重要な存在となっている。そして、宮中では、天皇陛下の御神
事を采女(現在では女性の内掌典)が補佐し、賢所内陣の皇祖神(親神)への
祭祀は他者が見ることはできない。神宮でも同様に祭祀の核は他見禁止で、か
つては天皇の娘である斎宮(斎王)が仕えていた。
②八重山諸島
石垣島や西表島などでは、世をもたらす神とされるアカマタ、クロマタとい
う神が来訪し、新しい年の豊作を授け約束していく。これも他見が禁じられて
いるが、形式としてはナマハゲと同様である。
波照間島ではムシャーマと称して、豊年をもたらすとされる、白い仮面に黄
色の衣服のミルク神(弥勒神)の道中行列をはじめ、棒踊り、獅子舞など、村
を挙げての芸能が奉じられる。黄色の服というのはインダス・道教由来で地上
の王のシンボルだが、それが弥勒神ならば、イエスそのものである。
ミロクが転じてミルク、とも言えるが、これをイエスではなくフェニキアの
メルカルト=ミルク・カルト(=都市の王)と見なすと、更に興味深い。
フェニキアの 1 年は、農業の周期と連結した宴と祭りに支配されていた。特
に、新年や収穫の祝いには生贄が捧げられ、最大の年中行事が“春の目覚め”
で、テュロスではメルカルト、シドンではエシュムンの復活祭であった。メル
カルト祭(2 月か 3 月)では、メルカルトの人形が儀式用の薪で焼かれ、その後、
相方のアシュタルテとの儀式的な結婚=聖婚を通じて復活祭が行われた。アシ
ュタルテは言うまでも無くイナンナのことであり、その相方のメルカルトとは、
イナンナの婚約者ドゥムジに他ならない。そして、この二人はイエスの原型と
なっている。
(*)フェニキアの最高神はイナンナであり、海部氏の最高神も同
様で、何よりもフェニキアは優れた航海技術を有する海洋民であり、世界中に
航海していた。そんな足跡が、ここにも伺える。
与那国島では、祭りを意味するマチリがある。神在(かみあり)の旧 10 月の
3
25 日間、司を中心に島の役職者が島中の神々を巡り、島の安全と繁栄を祈る。
これなどは、出雲の神在月そのものである。
は男神
アヌ
60
エンキ
40
ニンキ
35
ニンリル
45
イシュクル
10
シャラ
アンツ
55
エンリル
50
ナンナル
30
ニンフルサグ
5
ニンガル
25
ニヌルタ
(50)
サルパニト
マルドゥク
ウツ
20
タシュメツム
バウ
アヤ
ナブ
双子
ネルガル
エレシュキガル
ドゥムジ
イナンナ
15
*イエスの原型たるイナンナとドゥムジ
ドゥムジはエンキの息子で、イナンナはエンキの腹違いの弟エンリルの孫で
ある。(上記系図。数字は王位継承数字。)エンキとエンリルは様々な面で対立
していたが、ドゥムジとイナンナが婚約したことに依り、両家の和平が保たれ
るはずだった。しかし、ドゥムジの腹違いでエゴの強い長兄マルドゥクの策略
に依り、ドゥムジはビクトリア湖に転落して死んでしまった。
ドゥムジの遺体はビクトリア湖から引き上げられると、
“下の方のアブズ”
(ア
フリカ南端)にあるネルガル(エンキの息子)とエレシュキガル(イナンナの
姉)夫婦の住まいに運び込まれた。
イナンナは遺体の安置されている“下の方のアブズ”に急ぎ、遺体を埋葬す
るために引き取りに行った。彼女の姉はイナンナの到着を知ると、常道を外れ
4
た企みがあるのではと疑い、7 つの門毎に、イナンナの装具と武器を 1 つずつ取
り上げ、イナンナは姉の前に、衣服を脱がされて無力で引き出され、杭に吊る
された。瀕死のイナンナにエンキからの密使が遣わされ、彼女に「生命の水」
を降り掛け、「生命の植物」を彼女の口に入れた。すると、イナンナは蘇った。
イナンナは密使にドゥムジの遺体を彼の住まいだった場所に一緒に運ばせた。
遺体は真水で洗われ、香しい油が塗られ、赤い経帷子が着せられ、ラピスラズ
リの厚板の上に安置された。それから、彼を眠りに就かせる場所を岩に掘り出
した。そこで“眠りから覚める日”を待つために。
“下の方のアブズ”がいわゆる冥界であり、冥界下り伝説の大元である。そ
こでイナンナは木に掛けられて死に、
“復活”した。イナンナはヴィーナスでも
あり、シンボルは金星で、イエスのシンボルもまた“輝く明けの明星=金星”
であり、イエスは十字架に掛けられて死に、“復活”した。
経帷子とは、一般的に仏教に於ける白い死装束のことだが、マタイ福音書の
中では、イエスが赤い外套を着せられ、茨の冠を被せられ、葦の鞭で打たれた、
とある。それから、ドゥムジの遺体は“眠りから覚める日”を待つために洞窟
の横穴に葬られたが、イエスは処刑後に洞窟の横穴に葬られ、3 日後に復活した。
このように、イナンナとドゥムジの物語には、イエスの象徴が満載である。
(http://iyasaka369.blog.fc2.com/blog-category-3.html の<神々の真相 1>
<宇宙維新-黄金の夜明け>)
(4)源為朝伝説
前述の琉球王国正史「おもろさうし」などには、源為朝が琉球王家の始祖と
なったことが書かれている。保元の乱後、為朝は伊豆大島に流刑となったが、
その途上で船が嵐に遭い、沖縄本島の今帰仁に漂着して豪族となり、その子が
5
琉球王家の始祖舜天になったと言う。これは、続く尚氏王統の権威付けのため
に創作された伝説とも言われているが、鎌倉幕府が建てた京都・建仁寺の文献
にも、為朝が琉球に渡り建国の主となったことが書かれている。
また、為朝上陸の碑や為朝が運を天に任せて辿り着いたことに因んで名付け
られた運天港、為朝が登った岩とされるハナリジー(為朝岩)、為朝が一時隠れ
住んでいたと言われるティラガマ洞窟などがあること、為朝が上陸したとされ
る今帰仁村の為朝琉球王始祖伝承、そして、沖縄では為朝に因んだ“朝”の一
文字を長男の名に使う風習があることなどからすると、単なる王統の権威付け
ではない。
1650 年に編纂された琉球王国初の正史「中山世鑑」に依れば、
“初代琉球王舜
天は為朝の子”と明記されており、尚氏王統の権威付けのためならば、尚氏一
族こそ初代琉球王と書くはずである。以下、その歴史概略である。舜天王は人々
に学問をすすめ、いろは文字を広め、暦を改め、政を良くし、人々も舜天王を
敬まったと言う。
・原始時代:紀元前~紀元後 7 世紀
・部落時代:7 世紀~8 世紀
・按司時代:10~14 世紀
12 世紀;舜天が初代琉球王
13 世紀;義本王、英祖王
14 世紀:察度王、武寧王
・尚氏時代:15 世紀に尚巴志が琉球統一
18 世紀、尚泰王を最後に琉球藩となる。
15 世紀の尚氏の時代、琉球には明から初めて冊封使が来て冊封されたとされ
ている。冊封とは、古代中華思想(支那こそが世界の中心である思想)を基に、
支那皇帝が近隣諸国との外交関係に於いて臣下の礼(貢物など)を求め、その
見返りに近隣諸国の交易や対外的な権威を認めることにより、皇帝の権力を世
界に遍く広げる体制である。これは、必ずしも支那の属国・属州になることは
意味しない。琉球の地勢から鑑みて、できる限りバランスを取って戦争を避け
たり、完全な属国とならないようにするための表面的一手段と見なすことが可
能である。邪馬台国でも大陸には朝貢していたが、それは国家としての独立性
を保つために便宜上行っていたまでで、最も重要な祭祀は、倭人伝が示すが如
く“鬼道”で、ヤマト独自のものであった。また、足利義満は日本国王として
冊封されたが、日本の国王はその時代も天皇であり、義満は政治権力を司って
いたに過ぎなかった。
このようなことから、琉球王国の冊封も琉球国王の権威を知らしめ、進貢貿
易を王府が独占することで経済力を拡大することが目的だった、と見なすこと
ができる。
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以上、沖縄の祭祀は本土の古い祭祀形態との類似性が見られ、むしろ、沖縄
から北上していったとも言えるものである。このように祭祀を通した歴史を振
り返ることに依り、あるべき未来の姿が見えてくるのではなかろうか。
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