腰 等 閲 織 茂 吉 岩 その場でできることをできる人がするo困っている人がいれば、自分の ごく当たり前のことだったのだ。数年ぶりに、そのことを思い出した0 エレベーターで、私のドキド辛が伝わったのだろうか。やわらかく声をか できることをもてあげるoいつの閏にか'そんな行動に、無意識でl方通 「何階ですか?L慣れない町の、初めてのビル。緊張しながら乗り込んだ けてくれる人がいたo「あ-六隔てすoL答えながら'声の主を探すがも私 行の矢印をつけていた自分がはずかしくなった。 テンツと軽い舌がして、私の降りる階がきた。彼女はまだ降りないよう の目線の先に'想像している人がいないo思っていたよりも低い位置から、 その声は発せられていたのだo私に声をかけてくれた人は、車いすに乗っ 人は人と助け合い生きていくo華いすても使いやすいエレベータ∼が' だ。「ありがとうございました.L顔をむけて、今度ははっきりと、声に出 奥には大きな鏡へ贋の高さにぐるりと手すりが付けられているエレベー そのことをさらに手助けしてくれたのだうう。ユニバーサルデザインとい ていた.あわてた私は、もごもごとお礼空rfnIつと'エレベーターの中をそっ ター0車いすの人が、一人ぞも乗り降りしやすいように作られたエレベー うものがあるCこれは、文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異' して言えた。 タ∼は、最近よく目にするタイプだ。代々の家風として'「おせっかい」気 障がい・能力の如何を問わずに利用することができる施設、製品、情報 と見回したo 質である母も私も'声をかける側になることが多く、声をかけられる側に の設計のことだ。町のバリアフリー化や商品のユニバーサルデザイン化は 日々進歩をとげている。それを完成させるのは、その中で辱flす人の心だ。 みんなが使いやすい道具と、支え合う気持ちがあれば、誰もが、手をきし なることがあまりなかったoそのため、声をかけられたことと、その人が、 「私がお手伝いをしてあげる」側というイメージの、車いすに乗った人で あったことで'二重におどういたのだ。そして、おどろいている自分に気 のべたり、さしのべられたりできるのだ。 とはほんの少し違うような、そんな気がした。 この次、大丈夫ですか?と誰かに声をかける時'私の気持ちは、今まで とができるのだ。 人が人を支える輪の中に私もいるご」の輪は、いくらでも大きくするこ がついて'またおどういた。 困った様子の私に気がついた人が、車いすでも押すことのぞきる行き先 ボタンを押してくれた。このことは、普段私がしていることと全く同じだQ それなのに、相手が車いすに乗っていることを目にしたとたん、そのこと を特別に感じた自分の心に、ハツとしたのだ。 百五才ぞなくなった曽祖母は、私が物心つく前から車いす生活だった。 私にとって、その車いすを押したり、曽祖母にとって難しいことをお手伝 いすることは、特別なことではなかった。お世話焼きの曽裾母から、色々 なことをしてもらうことも、琴見てもらうことも、声に特別撃」とではな かったoお互いに「ありがとう」と言い合って、できることをし合うのは,
© Copyright 2024 ExpyDoc