イタリア産業集積の変遷と現状 - 株式会社エイチ・ユー教育事業部

イタリア産業集積の変遷と現状
-産業支援政策の視点からみるエミリアン・モデルの再検討-
氏名 松本敦則(法政大学)
Keyword: イタリア産業集積、エミリアン・モデル、産業支援政策、ERVET システム
【目的】
1979 年に Giacomo Becattini は、マーシャルの産
ータや商工会議所のデータを使い、変遷と現状の分析を
行う。
業集積の理論を使い、プラート地区の産業集積を分析し、
イタリアの産業集積の理論を確立した。1980 年には、
Sebastiano Brusco が『エミリアン・モデル』を発表し
【研究内容】
エミリア・ロマーニャ州は、イタリア北部に位置する
た。1984 年には、Piore・Sabel が『第二の産業分水嶺』
人口約 430 万人の州である。州都はボローニャであり、
を著し、柔軟な専門化の生産組織を有するイタリアの産
州内にはモデナ、レッジョエミリア、パルマなどの都市
業集積を取り上げた。これらの研究により、イタリアの
があり、これらはどこも機械産業や繊維産業を中心とし
産業集積モデルが 1980 年代後半から 90 年代前半にかけ
て発展してきた。
て、世界中の研究者のみならず、地域政策担当者、中小
1.エミリアン・モデルとは
企業経営者などによるイタリア産業集積訪問ブームが起
・エミりア・ロマーニャの経済状況が他の地域と比べて
きた。
良く、経済危機への対応も柔軟である。
しかし、これらのモデルが発表されてから、30 年以上
・エミリア・ロマーニャ州の産業構造は他の地域にもみ
の月日が経った。この時期の大きな変化の一つが EU の
られるので、この地域の研究は他地域にも役立つ。
市場統合である。更にはイタリア経済の低迷や国際競争
・エミリア・ロマーニャ州の地方自治体は左派政権によ
の激化に晒されイタリアの産業集積を取り巻く環境は大
って運営されており機能している。
きく変化した。
・エミリア・ロマーニャ州は、10人以下の企業が、同
そこで、本研究の目的は、イタリア産業集積の変遷と
じ分野で産業集積を形成しており、
「垂直的な統合」では
現状を、
「エミリアン・モデル」
、その中でも特に産業支
なく、各生産工程は分業されている。使用されている機
援政策に焦点を当てて再検討することである。年代的に
械の水準が高く、また労働力の柔軟性がある。企業家と
は 80 年代から 2000 年代初期程度までを想定している。
して自立しやすい環境にある。
・州政府や地方自治体が多くの役割を果たしている。な
【研究方法】
第一に、先行研究の調査を行う。
「エミリアン・モデル」
とは何か、ということを改めて整理することから始めた
どの特徴がある(Brusco・1980)
。
2.産業支援政策
エミリア・ロマーニャ州は、1974 年に地域の産業と経
い。Brusco(1982)を中心に取り上げ、その後 Brusco
済発展のために ERVET(Ente
が所属していたモデナ・レッジョエミリア大学の経済学
valorizzazione
部を中心とした、いわば「モデナ学派」と呼ばれる研究
ア・ロマーニャ州経済開発公社)を設立した。
者によるエミリアン・モデルの再検討に関する研究も整
理する。
economica
del
Regionale
per la
Territorio・エミリ
この公社は株式会社の形態を取り、設立当初の株主の
比率はエミリア・ロマーニャ州が 80.04%、地域の金融機
第二に、モデナ学派の研究者、モデナ商工会議所、エ
関が 18.25%、地域の企業支援団体が 0.56%、エミリア・
ミリア・ロマーニャ州政府、州政府の産業支援機関であ
ロマーニャ州商工会議所連盟が 0.65%、地方自治体が
る ERVET、ASTER、現地の中小企業のなどのインタビ
0.50%となっていた。
ューを通じて現状を明らかにする。
第三に、1980 年代からの ISTAT(国立国家統計)のデ
以下、年代別の ERVET システムの変遷を整理してみ
たい。
1974 年に ERVET が設立されてから 1970 年代の最初
業支援システムを大幅に組織変革した。
の政策目的は、フェッラーラ地域や山間部など経済発展
が遅れていた地域で、新規企業や雇用を創出することで
【本報告向けて】
あった。具体的には工業団地の建設、労働者のための福
エミリアン・モデルの成功の一つに、州政府による産
利厚生施設などのインフラ整備に力を入れ、企業誘致や
業支援があった。特に ERVET システムと呼ばれる州独
新規開業を促進させる政策をとった。これはいわゆる公
自の支援機関によるシステムが強みを発揮した。このシ
共事業型支援というものであった。
ステムはイタリア各州に広まっていた。しかし、評価の
1980 年代に入るとイタリア政府の国家財政の赤字が
高かったエミリアン・モデルの産業支援システムは 2000
拡大したため、州政府に資金を分配することが難しくな
年代以降の改革により、現在はこのシステムが崩壊に近
ってきた。同時に、イタリア政府と州政府の関係も悪化
い状態になっている。かつての輝きを失い、他の地域の
してきた。そのため州政府は国土全体のインフラ整備よ
一般的な産業支援機関に成り下がってしまった。ERVET
りも、地域産業システムの整備により州政府の収入を増
システムの崩壊が、エミリアン・モデルの評価が低下大
やしていくことを検討し始めた。
きな要因の一つとなっている。本報告では、上記に論じ
そこで、州政府は、政策の基本的考えを、従来の公共
てきたERVET システムの90 年以降の変遷を明らかにす
事業型支援から地域産業システム支援への大転換を行っ
るとともに、2000 年代以降の ERVET システムの現状に
た。地域にある産業集積の重要性を認識し、産業集積へ
ついて検討していきたい。
の支援に重点を移したのである。これまで州政府は地域
生産システムを構成する産業集積の重要性を認識し始め
【今後の展開】
ていたが、積極的には支援をしてこなかったのである。
80 年代後半から 90 年代を通して、世界中の研究者や政
そのため、それぞれの専門分野に特化した産業集積に
策担当者の牛耳を集めたエミリアン・モデルは、いまや
サービスセンターを設立することにしたのである。国際
注目を集める対象ではなくなってしまった。EU の市場
競争や市場個別の企業がより高度な情報と技術、マーケ
統合等やイタリアの経済危機により、大きな変化を余儀
ティングが必要とされてきたためである。(Daniele・
なくされてきている。
1996)
サービスセンターは、ASTER(エミリア・ロマーニャ
州技術開発公社)
、BIC(エミリア・ロマーニャ州イノベ
本研究はエミリアン・モデル、特に産業支援政策に限
定してきたが、
「第三のイタリア」論やイタリア産業集積
全体に関する議論は今後の研究としたい。
ーション・センター)
、CENTRO CERAMICO(セラミ
ック・センター)
、 CERCAL(エミリア・ロマーニャ
【引用・参考文献】
州靴産業センター)
、CERMET(品質研究測定センター)
、
・Daniele Mazzonis(1996)
“The Changing role
CESMA(農業機械サービスセンター)
、CITER(エミリ
of ERVET in Emilia-Romagna” Local and
ア・ロマーニャ州繊維情報センター、DEMOCENTER
regional response to globalpressure:tha case of Italy
(自動化普及サービスセンター)
、QUASCO(建設業品
and its industrial districts. ILO.
質発展サービス)など9つのサービスセンターがある。
その他、外郭団体として5つの機関を有する。
これらの ERVET とこれらのセンターからなるネット
ワークは ERVET システムと呼ばれている。
1990年代に入っても、
このERVETシステムは機能し、
エミリア・ロマーニャ州はこのシステムにより、地域産
業が発展し、イタリアの他の州の産業支援政策のモデル
となった。
・Giacomo Becattini (1979)
“Dal settore
industriale al distretto industriale Alcune
considerzioni sull’unita’ di indagine
dell’economia industriale.”Rivista di economia e
politica industriale. Anno V,n.1 pp.7-21.
・Piore M e Sabel C(1984)
『第二の産業分水嶺』
筑摩書房。
・Sebastiano Brusco(1980)
:”Il modello
2000 年代に入ると、EU の市場統合や国際競争の激化
Emilia:Disintegrazione produttiva e
などで、産業集積の構造も変わり、環境に対応できなく
integrazione sociale” Problemi della
なってきた。そこで、2001 年に州政府は、これまでの産
transizione ,no5,pp.86-105.