子どもたちの可能性を信じ学ぶ楽しさとともに 自身や講師

川口 孝明さん
開塾者たちの挑戦
子どもたちの可能性を信じ
学ぶ楽しさとともに
自身や講師の「経験」を
熱く伝えていきたい
学生時代は山岳部で普段は体験できない経験を重ねてきたと語る川口塾長。その物腰はある種、決めたこ
とを貫き続ける職人のようにも感じられる。自身で事業を起こすビジョンを描き、4年で企業を退職。ふる
さと松阪に戻り、さまざまな仕事にチャレンジしてきた。やがて、学生時代の家庭教師の経験を生かし、自
宅の納屋を改造して地域の子どもたちに勉強を教えるように。そして 年、川口進学塾は7校にまで学び舎
の頃から当たり前のように家の仕
三重県の松阪市に住む農家の次
男に生まれた川口塾長は、子ども
に及ぶこともあったという。
全く関係なく、時には作業が深夜
ない。もちろんテスト期間中など
…。仕事が終わるまで勉強はでき
り付け、乾いたら剥いでいく作業
漉き、脱水機をかけて専用台に貼
「 は ざ か け 」 作 業、 冬 は 黒 海 苔 を
強が好きだったわけではないです
の仕事をするのが当たり前と考え
羨ましかった。両親も勉強より家
「 子 ど も の 頃 は、 家 の 手 伝 い の
ないサラリーマンの家庭が本当に
なってしまったと苦笑する。
食べ過ぎたせいか、刺身が嫌いに
期は毎日だった。あまりに刺身を
に死と隣り合わせなだけに、状況
どる。危険だと感じれば引く。常
学びの場として、㈱ユニーに入社。
いがあった。そこで3年間だけの
大学卒業を迎えた川口さんには、
「商売をやりたい」という強い思
時半まで勉強
ステムの問題などで、将来的な展
からなかった。見つかっても、シ
だが、求める仕事はなかなか見つ
自らの求める仕事を探し求めた。
在職中に資本金300万円を作
り、4年目で退社。松阪に戻り、
得した。
じたという。上司の言葉に深く納
自分自身「油が切れてきた」と感
なくなった。すると半年くらいで
がなくなると、ほとんど本が読め
だった川口さんも、就職して時間
の頃は1日1冊読むのが当たり前
を読みなさい」と言われた。大学
をしなさい。そして、とにかく本
そこからまた深夜
になった手の痺れで目が覚める。
気付くと机で寝ており、うつ伏せ
学校から家に帰り、そのまま勉強。
まで、集中的に受験勉強をした。
そんな中でも、中学3年生の冬
には、1月2日から3月の終わり
兄はすごい存在でしたね」
んばってもオール4の自分には、
成績が良く、いつもオール5。が
を増やし、この春には国語指導の川口メソッドを確立、全国的に注目を浴びている。
事を手伝っていた。季節によって
仕事が忙しくなると、時間を惜
しむ母が、近くから刺身を買って
ていたと思う。自分もそれほど勉
仕事は変わる。秋は収穫された稲
が…。そんな中でも、兄はとても
は、止まることなく時を
刻み続けていた…。
、
「“ 命 ” と か“ 運 命 ”
そういう部分で深く考え
させられました」
穂高、富士山、立山な
ど国内の山々はもちろん、
のユングフラウも制覇した。そし
大学4年にはヨーロッパ
対的な存在として君臨し、理不尽
て、その命を懸けた登山経験でも、
財産として残るんだと感じました」
な思いも数多く体験したという。
ていく。
判断力は磨かれた。
子ども服売り場へ配属され、そこ
自営の夢をかなえるべく
奮闘した
社会経験〜
そして塾開校へ
川口さんは多くの自信を積み重ね
「 も と も と 理 不 尽 な こ と は 嫌 い。
納得できないことを自分は経験し
何かを自分で決めて、一生懸命
やりきる。そんな体験が自信とな
り、人生に幅を広げていく。子ど
たけれど、そういうことを自分は
いう。
念願の冬山登山に挑戦し続けた
川口さん。山岳部は命のやり取り
の世界。一緒に登るパートナーが
また、冬山で滑落した登山者の
遺体収容に向かったこともある。
で学べるだけ学んだ。
滑落すれば、自分も同じ運命をた
そ の 奥 深 さ に 魅 了 さ れ る。
「それ
雪溶けを待ち、約半年近くもたっ
目指す高校に受かり、晴れて高
校生活を満喫するかたわら、兄の
なりに勉強して」
、名古屋市立大
てしまった登山者の変わり果てた
当 時 の 上 司 に、「 2 日 の 休 み の
うち、1日は他社も含む、店周り
3年後には独立するつもりだった。
学に入学すると、さっそく山岳部
姿。しかし、その腕に残った時計
山岳部で
多くの山々に挑戦
得がたい体験を
刻み続ける
後輩にはやらない、と決めました」
もたちに伝えていきたいことだと
た”という感覚が自信になるし、
「 と に か く、 そ の 3 ヵ 月 は 徹 底
的にやりましたね。その“やり切っ
約3ヵ月も続けた。
行くというモーレツな勉強ぶりを
入り、朝は7時半に起きて学校へ
時まで勉強する。4時半に布団に
し、夜食を作って食べ、さらに4
きては夕飯の食卓に並べた。繁雑
(56歳)
を背負って運び、天日干しにする
勉強より
家業優先で育った
小・中学校時代
川口進学教室
塾長
影響で登山の世界に足を踏み入れ、
28
11・5 ● 塾ジャーナル 1
2 塾ジャーナル● 11・5
10
に入部した。山岳部では先輩は絶
山岳部冬山合宿にて(1974年)
。この頃は多くの山に
挑戦した
友人と富士山にて(1973年)
12
Challenger
持ちしていたこともあり、いい小
にならず、当時、最高5件を掛け
を思い出す。教えることは全く苦
学生時代の家庭教師のアルバイト
貯金も底をつきかけ、とりあえ
ず何か始めなくてはと悩んだ末、
て、少しずつ建物を増築していっ
敷地内に教室を移すに至る。そし
コミが広がり、1年後には実家の
た。後に、地元の保護者の間で口
ジネスを行いながらの塾経営だっ
の販売など、さまざまなサイドビ
最初はなかなか採算がとれず、
朝6時から弁当の配達や羽毛布団
イルにボーダーはない。
塾制作の教材も活用。教えるスタ
向けた一斉授業のほか、映像や自
ンの集団個別に加え、受験対策に
行錯誤を行ってきた。現在はメイ
など、積極的に学習スタイルの試
さらに東進衛星予備校や明聖塾
勉強会、外国人講師による英会話
望が今ひとつ、つかめなかった。
遣い稼ぎになった。
た。
「子どもたちに楽しく勉強に取
り組んでもらい、成績を上げて、
考えるようになった。個
3年ぐらいたつと、当時話題にな
指導するのは難しくなってきた。
どもたちをまとめて一度の授業で
スタート時は一斉指導だった川
口進学教室も、学力の差がある子
出にくいため、業界ではアンタッ
そんな中、平成 年にスタート
した「ブッククラブ」は、結果が
行われている。
パーティーなども年中行事として
リング大会、塾旅行、クリスマス
スには人気の漫画本も並び、ボウ
はこだわりません」
。フリースペー
な考え方です。そのため、形式に
苦しまなくてすむようにという思
のは難しい。子どもたちが国語で
「国語力はすべての教科につな
がりながら、一気に能力を上げる
行い、思考力を高めていく。
分けて、ディスカッションなどを
のがねらいだ。さらにグループに
思 う? ど う し て そ う 思 う?」。
子どもたちに徹底的に考えさせる
げ か け る。「 み ん な だ っ た ら ど う
もらうというのがこの塾の基本的
子どもも保護者の方々にも喜んで
「塾を始めよう!」
昭和 年のことだった。しかし、
資金はなく、実家の納屋を改造し
て、一から手作りした。ホームセ
別指導の先駆けである
チャブルとされてきた国語力強化
いから始まりました。今までとは
試行錯誤の末
国語力強化を目指した
独自のブランド完成!
て、それらしくしつらえた。そう
佐々木塾にそのノウハウ
への挑戦となった。
ンターに通い、必要な木材などを
して川口進学塾はチラシ2,
000
を聞きに行き、指導を受
たちもすごく楽しみにしていま
の教科書朗読や大学受験のヒアリ
さらに生徒全員参加の速聴シス
テム「ことばの学校」では、国語
こから入塾にもつながったという。
スタート時はオープン授業とし
て、塾生以外の子も参加させ、そ
す。 日 本 独 特 の“ あ う ん の 呼 吸 ”
とのやりとりが多くなると思いま
バル化が進み、社会に出ても海外
んでほしい。今後、さらにグロー
ざまな意見があるということを学
「 自 分 の 頭 で 考 え、 自 分 の 意 見
を持つと同時に、人によってさま
関東圏の大手個別指導塾では、か
ある」と志を同じくする。また、
泉は商品そのものでなく、社員で
した。そこで「企業の競争力の源
業株式会社を知り、さっそく訪問
足度を最も大切にする伊那食品工
大切にしたい会社』で、従業員満
タートした。
枚 を ま き、
調達、黒板もベニヤに塗料を塗っ
人ほどの生徒でス
けた。個別指導を取り入
試験的に始めた授業では、講師
が本を読み聞かせ、途中で生徒た
す」。
ング対策などをメインに提供、生
は海外では通用しません。そのた
かわるすべての人々にアンケート
りつつあった個別指導を
れた塾は地域では初めて
ちの想像を広げるような質問を投
徒の国語力が着実に向上している。
めに、自ら学ぶ意欲を持った人材
客満足度)も大切ですが、やはり
ませんよね。いま話題のCS(顧
「 先 生 ら が 生 き 生 き 働 い て い な
いと、生徒にいい授業を提供でき
のが川口の使命である』というこ
ものを伝え、国語力を上げていく
の は、『 地 域 の 子 ど も た ち に い い
いきます。講師たちにいつも言う
らえるよう、これからも精進して
働いてくれている人の満足感も大
グローバル時代に向けての教育
と。塾を良くしていくのは、講師
いい先生ならいい循環が起
切。子どもたちと直接接する先生
こ り ま す 」。 そ の せ い か、
とは何か? それを国語力に見出
し、世界に羽ばたく子どもたちの
たちの向上も欠かせません」
スタッフ同士の会話やミー
成長をサポートする川口塾長。か
その志は今後も着実な前進を続け
ティングにもアットホーム
れる。
ていく源泉となるだろう。
かわるすべての人たちのために…、
「 地 域 に 根 ざ し、 読 書 の
歓び、楽しみをわかっても
でリラックスした空気が流
の質で、結果は大きく変わります。
ると聞き、自塾でも取り入れた。
ベストセラー本『日本でいちばん
しかも、一部自閉症の生徒の改善
を取り、それを運営に還元してい
を感じているという。
「生徒たちの顔つきが変わって
きましたね。語彙の数も増えて、
人の話もしっかり聞けるように
なっています。学校の授業で、先
生の話がゆっくり聞こえるように
なった生徒もいて、その分、勉強
顧客満足度から
従業員満足度へ
楽しく仕事が
できなければ
良い授業はできない
を育てていければと思います」
22
も見られ、塾長自身、確かな効果
㈱ユニーに入社。経営のノウハウを習
得しようと奮闘していた頃(1979年)
新しい取り組みは、従業員に向
けても行われている。川口塾長は
1989年に地域で初めて個別指導を導入
に余裕が出る」
。合わせて定期的
に「ことば検定」を実施。検定結
果からも読書量、読書スピードが
学力向上に欠かせないと実感し、
語彙力の定着・読書速度と読解力
の向上に力を注いでいる。
これらの授業内容のブランディ
ング化がこの春完成、今、全国の
学習塾で話題になっている。
ちょっと違うスタイルで、子ども
だった。
開塾当初に行ったキャンプにて(1983年)
。この中にいる
生徒の娘さんが、今年、高校に合格した
ブッククラブの授業内容見学に訪れる他県の塾スタッフ
も多い
10
11・5 ● 塾ジャーナル 3
4 塾ジャーナル● 11・5
58