上田美和著﹃石橋湛山論 言論と行動﹄ 石橋湛山の個人主義 −上田氏

上田美和著﹃石橋湛山論 言論と行動﹄
石橋湛山の個人主義
−上田氏の石橋湛山論をめぐって
ることも必然である。﹁改憲と護憲の
は戦後の政治主張と政治姿勢に投影す
後を通じて変わらなかったので、それ
と経済合理主義の思想本質が、戦前戦
③以上のような石橋湛山の自立主義
上田氏は﹁愛国的抵抗﹂と定義する。
本の特徴について、著書自身は﹁新
の分析、評価などに絞られている。
の読者層、地位分析、戦後の政治姿勢
義、戦争抵抗の評価、﹃東洋経済新報﹄
体裁で、焦点は戦前の石橋の小日本主
従い、個別論題を取り上げた研究書の
そのため、本書は自らの問題意識に
である。
この本の元は大学に提出した博士論文
新鋭で、湛山の母校早稲田大学に学び、
大著となる。氏は一九七三年生まれの
ら刊行された。ひさびさの石橋研究の
論−言論と行動﹄が、吉川弘文館か
今年三月、上田美和氏著﹃石橋湛山
一 本書の特徴
憲・再軍備の﹁同居性﹂、﹁両義性﹂、
平和、戦争協力と抵抗、護憲思想と改
対して、石橋湛山の思想にある侵略と
来の肯定が主流となる石橋湛山評価に
義の利己主義的弱点を析出した上、従
経済発展論における自己︵国︶中心主
根本要素と捉え、それの、国際関係論、
軍備縮小の国際環境下でそれは植民地
ワシントン体制のような、協調主義、
の特徴を有する。
並立のような、﹁両義性﹂、﹁二重性﹂
和への親和性と侵略性﹂︵一五六頁︶
とする、利己的性格を持つため、﹁平
による支配を最上のもの﹂︵二七頁︶
合理主義﹂であり、本質には、﹁自己
任﹂論に基づく﹁自立主義﹂と﹁経済
①石橋湛山の思想根底は﹁自己責
の通りとなる。
の論旨を評者なりに整理すれば、以下
石橋湛山像の再構築にあると思う。そ
が、評者はむしろ、自らの理解による
資料﹂による実証をアピールしている
けではない ︵一八九頁︶。このような
もあり、決して﹁戦争責任﹂がないわ
抵抗と同時に、﹁戦争に協力した面﹂
二三七頁︶を結ぶ。すなわち石橋は
列強の﹁経済的侵略﹂と﹁共犯関係﹂
自立主義、経済合理主義もこの時期、
の同居性﹂が避けられず︵二︵七頁︶、
湛山の言論と行動には、﹁抵抗と協力
②この意味で、戦時下における石橋
れ去る︵五三−四頁︶。
は消滅してしまうと、小日本主義も崩
本主義を支える構造︶が変化しあるい
現出するが、この外部の環境︵=小日
放棄論のような小日本主義の形として
く1し1
両側面を持つ二重性﹂︵二五八頁︶の
﹁二重性﹂の性格を指摘したのである。
じやん
特徴はさることながら、戦後、保守政
上田氏の研究方法はこれまで多く見
克賓
治家の道を選んだ理由も、政界復帰後
られる、石橋湛山の言論主張に対する
姜
日本の外交独立を求めて、改憲、再軍
現象評価、時代的地位の把握ではない。
開拓した労も認められる。
二 論の問題点
上田氏は、以上のように、利己性の
本質をもつ﹁自立主義﹂と﹁経済合理
主義﹂の理論を中心に、石橋湛山の新
しい思想像を創出することに成功して
いるが、問題はこの二つの思想特徴は
果たして湛山思想の本質を代表するも
のか、﹁自己による支配を最上﹂とす
る利己性は果たして湛山個人主義の内
容なのか。またそれによって湛山思想
の全体像を捉えきれるか、である。
氏が指摘した﹁自立主義﹂は間違い
なく石橋湛山の個人主義要素の一つで
あり、正確に表現すれば、﹁自己本位﹂
の思想という。かつて評者はこの思想
の特徴を、石橋湛山思想の﹁原点﹂で
あると位置し、また、利己主義と区別
させるため、﹁原点﹂の意味は、思惟
の出発点と実践の帰結点のみを意味す
ると指摘してきた。
注目すべきは、﹁自己本位﹂は同時
に一般的に﹁個人主義﹂といわれる思
想の普遍的性格でもあり、決して石橋
湛山だけの思想特徴ではない。湛山思
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岡山大学教授
備論を掲げた原因も、この自己責任論
氏自身が強調したように、石橋湛山の
抵抗しながら協力する政治スタイルを、
に基づく﹁自立主義﹂の思想にある
済合理主義﹂の理論を基軸に、独自の
思想研究であり、﹁自立主義﹂と﹁経
このように、上田氏は自立主義と経
理論演縄を通じて、新しい石橋湛山の
︵二六〇頁︶。
済合理主義を石橋湛山の思想を支える
思想像を作り出す模索なのである。
経済活動における利己的性格の摘出、
国際関係における自己責任論の冷徹さ
の指摘、あるいは、﹁両義性﹂に代表
される二元論式、折衷基調の評価、
﹁愛国的抵抗﹂の造語など、研究自体
には独自性、創新性の面があり、理論
も体系をなし、かつ﹃東洋経済新報﹄
の読者層分析、政治、経済界における
影響力の分析など、先学未踏の領域を
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要であり、表面の言論からその真意を
のように、﹁眼光紙背﹂の判断力が必
国家像﹄、∇几八二年︶に示した方法
五年戦争下の石橋湛山﹂︵﹃近代日本の
正の方法ではない。松尾尊兌氏が﹁十
難するのは、研究者として取るべき公
なかった︵一五三頁︶理由でそれを論
が、戦争の﹁早期の終結﹂に結びつか
を以て変節とし、あるいは石橋の抵抗
既成事実に対する表面上の追認、黙認
戦前の植民地放棄論と比較する手法や、
時下の石橋湛山の言論をストレートに
主義の活動の場はない。この場合、戦
もちろん反戦の言論と自由主義、個人
争と国体、国家に至上の価値が置かれ、
想弾圧、言論統制が敷かれており、戦
する方法である。戦時下では厳しい思
時代に生きる人物、思想、行動を評価
史感覚とはその時代に身をおいて、同
対的方法も前提として必要である。歴
る人物評価には、歴史感覚の養成と相
﹁戦時下﹂という特殊の時期におけ
象認識から免れない。
上田理論の問題点は、まさに湛山が
する意図が明らかであろう。
﹁個﹂と﹁全体﹂とは、人類の社会
応はその主張の特徴であ。る。
国家との調和、個体の団体生活への順
の是正﹂の思想にあり、個人と社会・
程に現れた﹁欲望の統整﹂、﹁自由放任
もう一つの要素、いわば自己実現の過
想の独自性は、むしろ個人主義にある
のような、その時代における、戦争抵
絶対的評価を避けるため、評者は以下
皮相な言論比較や、歴史感覚を欠いた
戦時下の石橋湛山の評価に当たって、
問的対話の土俵が構築できない。
だけではなく、そもそも歴史研究、学
歴史の正義感、公正さを欠いてしまう
済的帝国主義﹂と否定してしまえば、
論も一律に﹁帝国主義﹂あるいは﹁経
にある世界経済、自由貿易、国際開放
圏の理論も、それと対抗、牽制の意味
目指す日本の東亜協同体、大東亜共栄
と性質を看過し、アジアの侵略制覇を
用すべきではない。第二次大戦の原因
対抗した国の場合、同じ評価基準を適
けた国とその侵略を牽制し、あるいは
主義列強であっても、侵略戦争を仕掛
張主義、対外拡張の傾向性をもつ帝国
り現実的意味がない。また、同じく膨
の石橋に求める︵五二貝︶のは酷であ
﹁弱小国と共に生きる﹂価値を戦時下
法も重要であろう。現在の人権感覚で
代の政治背景に即した相対的な評価方
的、超理想主義の価値観を避け、各時
もし湛山の個人主義の本質を把握でき
湛山論の特徴であるが、以上のように
性﹂﹁二重性﹂の指摘が上田氏の石橋
平和と侵略、抵抗と協力の﹁両義
三 石橋湛山評価の方法
れるものである。
経済方法の一部分として、位置付けら
湛山思想の本質ではなく、小国主義的
思想要素であり、﹁経済合理主義﹂も、
主義と世界経済論︱−に繋がる重要な
資本主義︵ケインズ主義︶、国際協調
人中心の国内生産力発展論、国家管理
そ、湛山の小国主義︱−帝国主義批判、
実は、この﹁欲望の統整﹂の思想こ
してしまったのだろう。
立主義﹂﹁自己責任論﹂として倭小化
小日本主義も、利己主義と同義の﹁自
賦与した﹁正しき﹂意味を把握できず、
ないか。その結果、湛山が個人主義に
もっとも重要な要素を見逃したのでは
抽出し、逆に﹁欲望の統整﹂という
人主義から﹁自己本位﹂の側面のみを
て誤解したことにある。氏は湛山の個
己主義の要素を、湛山思想の本質とし
峻別、排除しようとする自己中心、利
九〇〇円︶
︵吉川弘文館、二○コー年三月刊、三
たい。
決して戦争の協力者ではないと結論し
から判断すれば、評者は、石橋湛山が
主義の思潮を批判し続けてきた諸事実
由主義、正しき個人主義を堅持し全体
体化を主張し続けたこと。思想面で自
地域分割主義の思想を否定、世界の一
東亜協同体論、大東亜共栄圏のような
済論を批判し続けたこと。政治面で、
念を固く守り、ブロック経済、広域経
経済面で一貫して﹁世界経済﹂の理
か、である。
国益至上の全体主義鼓吹者に変わった
橋湛山は、戦時下日本全体を鹿かせた、
三、思想面で、自由主義者だった石
割主義論者だったか。
同体論、大東亜共栄圏のような地域分
争の政治理論、指導思想である東亜協
二、政治面で、言論人石橋湛山は戦
広域経済論の主張者だったか。
用の戦争経済論であるブロック経済・
一、経済人としての石橋湛山は、御
評価の土台としたい。すなわち
退﹂や、﹁屈折﹂のような、皮相の現
まえば、当然、戦時下における﹁後
地放棄﹂の﹁対外認識﹂と解釈してし
を見逃し、小日本主義を短絡に﹁植民
あると言わなければならない。これら
展論の二要素は、さらに重要な地位に
法、根拠を提供した人中心の生産力発
供した欲望の統制の思想と、経済的方
に過ぎず、湛山の思想哲学の根底を提
と植民地放棄論は対外認識面での表出
この視点からみれば、帝国主義批判
思想である、と指摘してきた。
の要素より有機的に構成された体系的
と帝国主義批判の国際認識との、三つ
展論、国際経済論、三、植民地放棄論
思想哲学、二、人中心の国内生産力発
外認識のみではなく、一、欲望統制の
はかねてから、小日本主義は決して対
対する正しい理解が必要である。評者
小日本主義の概念、内容、理論構成に
石橋湛山の思想本質を捉えるため、
か現象評価に陥るのではないか。
戦時下後退論と同様、皮相の折衷主義
も結局これまでの小日本主義変節論、
なければ、﹁両義性﹂﹁二重性﹂の指摘
機的関係で結ばれている。自己を実現
し、自国の利益を図るためには、国家
と国際社会全体との利益調和、行動協
調が不可欠であり、そのため、自己
︵自国︶の欲望に対して、自律、他律
的統制、制御をしなければならない、
という。石橋湛山は、明治から戦時下
まで繰り返してこの王堂哲学の哲理を
主張し、またこの﹁自己本位﹂と﹁欲
望の統整﹂の二要素が一体化した個人
主義を、﹁正しき個人主義﹂、﹁新自由
主義﹂と表現して一般の自由放任主義
と峻別する。この峻別には、上田氏が
いうような﹁自己による支配を最上の
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もの﹂とする、利己主義的発想を排除
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汲み取る作業も必要であろう。
抗の本質を表す三つの基準を提起し、
生活を構成する不可欠の二側面で、有
そのほか、研究者である以上、絶対
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