「第五回 国分寺寄席」 (馬玉・馬治の真打披露公演) 27

「第五回 国分寺寄席」
(馬玉・馬治の真打披露公演)
27 年
9月
3日
今年で 5 回目を迎えた、国分寺寄席も盛況のうちに、無事終えることが出来
ました。会場の申し込みを始め、宣伝チラシや入場整理券の印刷、整理券の販
売、また当日は各担当役を務めて戴いた役員諸氏の、肌理細やかな働きにお客
様から労いと感謝の言葉を沢山戴いたことを、先ずご報告致します。
国分寺稲門会の団結の成果と存じます。有難うございました。
清水 元 会長の挨拶も、国分寺寄席を後援して頂いた国分寺市教育委員会
国分寺市老人クラブ連合会、並びに(社)国分寺市社会福祉協会に謝辞を表し、
特に国分寺市が、日本宇宙開発の発祥の地であること、ペンシルロケット発射
60 周年であること等、来場の市民の皆様に周知して頂けたと思われました。
引き続き真打披露に入り、金原亭馬治・金原亭馬玉の両名が紋付袴の正装で
両手を付いて畏まり、馬治側には馬生師匠、馬玉側には私奴が椅子に腰掛けて
口上を述べさせて戴きました。馬治は前座で駒丸、二つ目で馬治、真打でも馬
治と名乗ることにし、馬玉は前座で駒介、二つ目では馬吉、真打で名を改め二
代目馬玉を襲名した次第です。この両名を約 15 年、成長を見て参りましたが永
かった様でもあり、また芸の修業の厳しさ、年季をかけて習得したものの力、
と言うものを感じております。益々精進されることを期待しております。
落語は、この 11 月には二つ目に昇進の、金原亭駒松が『手紙無筆』を演じ進
歩の程を披露、年配者の自尊心、最後まで先輩風を吹かせようとする見栄をど
う面白く演じるか、一工夫欲しい様に思えたのでした。
二つ目の、柳亭こみちは、『旅日記』を一席務めてくれました。流石二つ目。
流暢なしゃべりで、難なくこなしていましたが、方言が多い落語だけに、客に
良く判らない処があったりして、可笑し味をもっと上手に演じて欲しかった。
踊りは、名取だけに上手でお客さんから沢山の拍手を戴いたようでした。
真打、馬治の演目は『子ほめ』、寄席ではよく演じられる噺だが、それだけ難
しいともいえます。何気ない話しの様ですが、建前を尊重する世に生きる処世
術を年長者が後輩に教えてやる咄。
「赤ん坊の年齢は一つだ。一つでお若いなら
いくつに見える。」「どうみても半分だ」とか「どうみてもただです」と落ちは
いろいろ。年齢を数えるのに数え年に拠っています。
二代目馬玉は、『締め込み』、盗人に入ったいいが間が悪く、揚げ板の下に逃
げ込み、夫婦喧嘩の末に、煮え立つやかんが揚げ板の上に、熱くて堪らず夫婦
喧嘩の仲裁。一つの品物を巡って邪推を重ねていくところが重要で、切れのい
い啖呵と女房の泣きながらの言い返しを、テンポ良く演じて、夜になり戸締り
を夫が気にすると、泥棒はここに居るよと女房がいう。
「なら、外からしんばり棒をかって、閉め込んでおけ」が落ちの咄。
仲入りがあって、
『太神楽曲芸』の翁家和助の登場、昨年の茶番で演じて好評
であったのか、登場すると笑いと拍手が一斉におこり、面白い口上と息を呑む
曲芸が次々に演じられて、お客もオーと声をあげ演技に見とれて、楽しそうで
した。真打披露に打ってつけの『太神楽曲芸』は大成功でした。
愈々取りの登場。金原亭馬生師匠が高座に坐る、
「木挽町!」の掛け声。各出
演者にそれぞれ掛け声が、タイミングよく掛かってはいたが、
「たっぷり!」の
掛け声には、師匠も嬉しそうで「たっぷり!なんぞと・・」と言って噺に入り
ます。だしものは御存知『目黒のさんま』。さんまを秋刀魚というようになった
のは、明治以降。この殿様は世情には疎いものの、目黒でさんまが獲れると思
うほどではない。殿様は家臣が咎めを受けないよう、うまかった秋刀魚の話が
出来なかった。やさしい殿様と、客の年齢を考慮してゆっくりと丁寧な語り口
は、好評であったように思います。
茶番、かっぽれ踊り、大喜利といつものおまけ余興が賑やかに演じられて閉
会となり、野部明敬副会長の軽快なインタビュウ小話で笑いを誘い、最後に
会場一体の三本手締めにて目出度くお開きとなりました。
(以上)
眞宅康博(記)