宇都宮宿∼徳治郎宿 宇都宮宿 ∼ 松 原

勝善神の碑
戊辰戦争 宇都宮戦死者の墓
【新政府軍】慈光寺、大雲寺、一向寺、報恩寺、光琳寺、 しゃぼん
観専寺、安養寺、台陽寺、桂林寺、清巌寺、高徳寺、林松 松原店
歯 小林歯科
寺、天勢寺、光明寺、能延寺、江曽島町、石井町、東刑部
東海ドミール
町、山本町、駒生町、簗瀬川沿い、雷神社、幕田堂ノ前、幕 松原2
星が丘2
田町会ノ畑
【幕府軍】常念寺、六道口、幕田町、光琳寺
小野塚製作所
星ケ丘中入口
⑲貫目改所
街道往来の荷物の重量を検査するた ⑰旧戸祭村
薬 天明堂
薬局
桂林寺
め、問屋場に設置された。日光道中では 「 開 発 の 年 代 詳 な ら
タイ料理
寛保3年(1743)千住宿と宇都宮宿に置 ず。むかしは一村なり
メナム
か れた。問屋2人、年寄2人、貫目方2 しを、後に二分して上
福田
人、同下役4人で宇都宮藩から役人1人が 下とし、日光のかたを
酒
柿渋屋
派遣されていた。文政5年(1822)には 上とさだむ。往古は宇
星が丘2
真岡代官所から役人1人が派遣されてい 都宮弥三郎正綱の舎弟
る。
戸祭備中守、当所に居
17 星野屋 星が丘1
住せしよし。今の村落
経行之宮
清住町の町並み
はその頃の城蹟なりと
沼尾病院
文星女子校
て、湟の跡など猶予せ
宇大付属学校入口
グラウンド
りと云」(日光道中略
記)
とんかつふくせん
星が丘郵便局
そば処みます
27 宇都宮一里塚
日本橋から27里の
一里塚。『日光道中
分間延絵図』には本
郷町と新田町の境に
杉が植えられ、木戸
があった。また新田
町は北の入口だっ
た。今は何の痕跡も
ない。
研修館
清住1
たまき
警察本部南
口 木戸があった。 清住2
清住町
この先街道の中央に
山中洋服
栃木県公館
土手があり、左側は
東館
桂林寺
新里村に通じる車
中山建築
道、右側が日光街道
飯塚輪業
16
で土地の人は二重街
県立図書館
薬
南館
道とよんだと、日光
琴平神社
慈光寺
道中分間延絵図に記 宇都宮一里塚
下野新聞社
昭和館
15
塙田1
県自治会館
されている。
東昭建設
県庁西
花周
県庁正門
旧新田町 布屋
宝勝寺
⑳粉河寺跡
鎌倉時代に
優橋
康平元年(1058)
宝勝寺
光明寺
宇都宮影綱が
64
に宗円が建てた
寺
延命院
建てたという
半田歯科 歯
県庁南庁舎
で、「此寺の称号は
栃木会館
田野茶舗
いかなる由来にかと
吉田病院 14
県総合
小幡2
思ひ侍りければ、紀
文化センター
池田竹店
塙田2
64
小幡1 シティハイツ
伊国粉河寺を移し侍
真福寺 神明宮
旧小伝馬町
真光寺橋
浄鏡寺
るとなん云へり」
旧本郷町
県庁前
泉町
三峯神社
正行寺
馬場通り1
20
蒲生君平
二里山橋 塙泉橋本町
県庁南庁舎
二荒山神社
生誕の地 13
座頭橋
1号館
泉町通り
栃木県庁
成高寺
崇神天皇の第一皇子で毛野国の開祖である豊城入
彦命(とよきいりひこ)を主祭神とする。古くは宇
都宮大明神とも呼ばれたが、その語源は、「一ノ宮
(いちのみや)」、「征討(うつ)の宮」、「移
(うつ)しの宮」など、いろいろな説がある。平安
時代の終わり頃、宇都宮氏が神社の祭祀や神社領地
の支配を行うようになり、鎌倉時代に、「宇都宮」
は地名としても用いられるようになった。
藤原秀郷、徳川家康などの名だたる武将らが戦勝
などを祈願し、寄進をしたと伝えられる。また、平
家物語で、那須与一が屋島の合戦で扇の的を射る際
に「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈っ
たという。
現在の社殿は戊辰戦争による焼失後の再建だが、
鎌倉時代の鉄製狛犬・南北朝時代の三十八間星兜
(ともに国選択重要美術品)や、徳川家康の寄進に
よる本殿高欄擬宝珠(宇都宮市指定有形文化財)な
どが伝えられている。
旧篠原家住宅
㉕旧篠原家住宅
江戸時代から続く豪商。明治28年に建
てられた母屋と石蔵。黒漆喰や大谷石を
用いた外壁、店先の格子などがすばらし
い。
㉘興禅寺
文亀4年(1504)に寺と
宇都宮氏最古の木造建託物
の一つ地蔵堂を建立し延命
院と改名。蒲生君平が学問
東小
を学んだ「蒲生君平修学の
寺碑」がある。
宇都宮定綱の開
基。境内には寛永山
馬術の一人筑紫市兵
衛、浄瑠璃坂仇討の
発端奥平内蔵允正輝
などの墓がある。山
門前の甘酒地蔵尊は
乳の出がよくなると
かで有名。
延命院
28
㉖ 三峯神社 「季衡は奥州泰衡の一族にして
天勢寺
栄町
塙田3
63
歯
大通り1
大通1
馬場通り3
35
幸橋
妙正寺前
三峯神社
歯宮嶋歯科
駅前通り
26
10
大通り2
10
宝蔵寺
24
宮の橋
一番町
宮の橋
大通り3
「 む か し 明 神 社 壇の
影、池中にうつりしゆゑ
この辺は城下町の中
宮園町
この名ありといふ」(日
心で、商人の町とし
中央本町 みはし通り
光道中略記)明神社とは
て栄えていた。
宮の橋前
三日月堀跡 二荒山神社のことで昔は
二番町
中央1
宇都宮明神社といった。
報恩寺
三番町
今小路橋 ㉓おしどり塚
松が峰教会
中央局前
「土人の説に、むかし阿曽沼にて鴛鴦の雄鳥を射た
宇都宮中央局
今小路門跡
教会前
る狩人あり。その雌の雄をしたふさまのくるしげなる
を見て発心し、供養のため此所に塚を築き、其身は仏
松が峰1
中央5
大イチョウ NHK前
門に入りしと云」(日光道中略記)鎌倉時代に猟師が
中央3
松ケ峰2
雄のおしどりを撃ち、首を切り落として持ち帰りまし
た。翌日さらに雌を射止めたところ羽で雄の頭を抱え
松ヶ峰2
中河原町 ていました。そこでここに塚を建てました。
公園入口
善願寺
八幡神社
㉔宝蔵寺
天安元年(857)、慈覚
大師の創建。宇都宮氏寄進
の 楼門 の 中にある「 時の
鐘」がある。
駅
宮の橋
上河原
ホテル
ニューイタヤ
23
大通り4
歯
大工町
二荒町
㉒鏡ヶ池
25 旧篠原家住宅
病院前
仲町
専門学校前
奥州街道北の出口
27 妙正寺
妙金寺 大通り5
宇都宮記念病院
神社下
馬場通り4
本
亘 十 郎 清 綱 の 二 男 な り 。東 鑑 に 云 、 文治 年
(1189)頼朝、奥州の泰衡を征伐して発行し、
当国宇都宮の社前に報弊し、無為に征伐せしめ
ば生虜一人神職に奉らんと立願あり。其年奥州
悉く退治し、凱旋のとき社前に報賽し庄園を寄
附し、剰へ生虜樋爪五郎季衡を以て明神の職掌
となすと云々」(日光道中略記)樋爪五郎季衡
と弟俊衡の墓がある。
仙浪水天宮
㉗清巌寺
高 さ 3 . 6m 、 厚さ
6.6㎝の日本唯一の 千波町
鉄塔婆がある。「母
は四恩の先であり、
孝行は百行の源であ
る」という意味の碑
清厳寺
生福寺 文がある。
宮島町十文字
御橋
㉑二荒山神社
塙田十文字
日野町通り
旧曲師町
中央小
22
http://nikko-kaido.jp/
[email protected]
二荒山神社
塙田4
パルコ
馬場通り2
バンバ通り
旧鉄
砲町 二荒山神社
下之宮
MEGAドンキー 本
( 歩行距離 2124m 27分 )
歩く地図でたどる日光街道
東塙田1
赤門通り
表参道スクエア
二荒山前
馬
場
通
1
鏡ヶ池
総合福祉
センター
馬場町
都橋
県庁前
旧松
原町
栃木県宇都宮市
宇都宮宿 ∼ 松 原
⑭延命院
歯 「一名鴨川。幅二間余、橋あり。池
宮町
H
上橋と名づく」(日光道中略記)
一つ橋
オリオン広場
大手門跡
六道の町並み
宇都宮結城線
天神1
中央3 ④六道通りの町並み
常照寺
日光街道と交差する現在の
「もみじ通り」は、西に向かう
と六道通りを経て壬生宿に至る
脇街道で、江戸時代には「佐野
道」と呼ばれた。六道通りに面
して江戸時代末期、明治期、昭
和初期に建てられた店舗や蔵な
どがあり、往時の景観が残され
天神1
ている。
釜川
2
本町
4
⑦蓬莱町の鍵の手
街道が城下に入ると街道以
外の道を通行できないよう商
コーポ伊藤
家や職人の店を並べた。また
西原1
町境や街道への出入りに佐野
もちづき
1
西3 口木戸や番所を設け枡形にな
松崎 家具店
っており蓬莱町の鍵の手とよ
報恩寺
米殻店
旧蓬莱町 ばれた。城に行く道筋は四の
ヤマガタ
筋から一の筋までありすべて
文具
鍵の手となっていた。
酒
やまだ酒店
西原小
サロン
カナザワ
虎屋跡
もみじ通り
7 ヘアー
張番木戸跡
蓬莱町の鍵の手
6
米兵質店
駅前
松ヶ峰1
21
58 宇都宮宿∼徳治郎宿
一の筋
光琳寺
西2
東亜サーベイ
本
江野町
H
東武西口
二の筋
六道の辻一帯は、戊辰戦争で宇都宮城
を奪還しようとした新政府軍と、迎え撃
つ旧幕府軍が激戦を繰り広げたところで
す。ここに会津で戦死した長岡藩士など
の戊辰役戦士墓がある。飯寺で捕らえら
六道町
れた山本帯刀と長岡藩兵は、明治に改元
された9月8日に、長岡の方向に別れを 3
告げ粛々と異郷の地に散っていった。
焔魔堂
六道の辻には捕らえられた長岡藩兵と、
捕らえた宇都宮藩兵との友好の証となる
六道の辻
ような墓標が残されている。
5
西原1
旧挽路町
中川商店
10
県庁南庁舎
2号館
オリオン通り入口
旧伝馬町
西小
H
池上町
伝馬町
三の筋
②六道の辻
ねずみ穴通り
⑧材木町木戸口
西1
(不明の御門あかず
のごもん)と呼ば
れ、木戸番所が置か
れていた。木戸を入
ると武家屋敷で筋違
いの道が今も残る。
四の筋
宇女校入口
この付近は日光街道を
開くまでは竹藪や雑草の 歯 中山歯科
サンクス
生い茂る原野であった。
「茂みを破って」まちづ
くりをした。酒造屋、油
カワツ
屋、質屋、紺屋、湯屋な
クリニック
どが並んでいた。
18
8
川村木材
西校入口
旧代官町
セブン
イレブン
本陣跡
⑥旧茂破町
丸井質店
池上町
宇都宮駅
大寛2
旧材木町
材木町
貫目改所跡
9
八百長食品店
ビジネス
専門学校
⑨材木町
宇都宮
藩の材木を商
う材木問屋が軒 肛門胃腸
を並べていた。 清水歯科 歯
清水屋、江戸
屋、などの遊郭 大寛1
が15軒ほど並
び、また、旅
籠、荷鞍屋、油 歯 中山歯科
屋などもあり賑
やかだった。
東湯
上野医院
鈴木歯科 歯
問屋場跡
本陣跡
中山産婦人科
H
伝馬町
伝馬町の屋台
奥州街道の追分
六つの道が集ま
る。仏教の六道
(仏教において迷
いあるものが輪廻
するという、6種
類の迷いある世界
のことで、天道、
人間道、修羅道、
畜生道、餓鬼道、
地獄道)になぞら
え、六道閻魔堂を
建てたという。
高札場跡
材木町
10
うさぎや
観専寺
裁判所前
たかしま
クリニック
歯
19
12
本陣跡
横町
「慶安3年(1650)まで粟
野鹿崎に在しが十六世願能の
とき、城主奥平氏に乞て鹿沼
道に移れりと云」(日光道中
略記)
伝馬町
六道の辻と戊申の墓
旧新石町
11 旧材木
⑩観専寺
裁判所
桜1
安養寺
法務合同
庁舎前
親鸞が大蛇を済度したゆか
りの池。その折天から花が降
ったので名付けられのが、壬
生 道飯塚宿の北、思川沿い
の、花見ヶ岡で、紫雲山蓮華
寺という寺がある。
裁判所前
⑪安養寺
③六道閻魔堂
焔魔堂
法務局
慶長10年(1605)に
現在の地に移された寺
です。境内には貞享5
年(1688)に鋳造され
た鐘がある。明治元年
(1868)の戊辰戦争で
諸堂が焼失。 官軍
「官軍因州藩士之墓」
と旧幕府軍の墓「戊辰
の役幕府軍桑名藩士之
墓」が向かい合って建
っている。
県警本部
⑮宇都宮宿北の入
伝馬町の交差点から1㎞ほどの間は道
の拡幅が行われておらず、道幅4間(約
3.7m)で、明治から昭和初期までの大
谷石でできた伝統的な建築物が残り、宿
場の面影を感じさせる。道の両側には質
屋、穀物屋、紺屋、竹細工商などが並ん
⑫奥州街道の追分
でいた。
「此辺より伝馬町、池
上町のあたりは、屋壁
ともに石にて作れる土
蔵多し。又人家の屋上
に多く石を置り。此地
しばしば風損ある故な
り」「日光街道・奥州
街道の分かれめなれ。
両道の荷物貫目改所及
び本陣、伝馬会所など
ありて、賑はへる町な
り」(日光道中略記)
光琳寺
⑤光琳寺
延命院のトチノキ
石塚畳店
鈴木電気
釜島時計店
議会庁舎
⑬清澄通りの町並み
この奥に、城守稲荷、星宮神社、
30 地下司令部跡
桂林寺は応永3年(1396) 八幡山交通公園、宇都宮競輪場があります。
宇都宮家第12代当主満綱が建
㉚地下司令部跡
立。元和6年(1620)に現在 祥雲寺本堂
栃木・茨城・群馬
宇都宮タワー
の場所に移された。戊辰戦争
の3県を管轄する
の宇都宮の戦いで長州兵と大 29
「宇都宮師管区司令
祥雲寺
垣兵が立て籠もり会津藩の焼
部」が置かれ、大戦
八幡山公園
き討ちにあった。その後再建 しだれ桜
末期、米軍の本土爆
された。境内には蒲生君平、
撃が激しくなるにつ
岡田貴吾らの墓がある。この
八幡山神社 れ、本土決戦を想定
あたりに木戸があり宇都宮宿
し司令部の地下施設
の北の入口だった。
が計画され八幡山地
下司令部を建設。
⑱青木本陣跡
本陣を勤めた青木家は、伝馬
「村の鎮守なり」
町交差点を右に入ると大きなイ
(日光道中略記)
チョウの木が見える。ここが青 蒲生神社
木本陣跡。伝馬町交差点先、左
㉙祥雲寺
駐車場はかつて貫目改所、問屋
「 文 明 2 年
東妙寺
場、本陣上野家があった。
(1470)…戸祭備
さらにその先に本陣石塚家が
中守高定の創建」
あった。
(日光道中略記)
樹齢300年という
枝垂桜がある。
警察本部前
大きなイチョウの本陣青木家
⑯桂林寺
洗橋
応願寺
南大通り1
南大通り4
①報恩寺
江戸時代初期と思われる美しい山門が
ある。奥平家昌の正室による寛永16年
(1639)開山といわれるが、鎌倉時代か
それ以前と見られる大五輪塔があること
から、古くは別の寺があったといわれ
る。鉄製板塔婆は現存する日本最古の鉄
製の塔婆といわれている。戊辰戦争で戦
死した官軍の薩摩藩や長州・大垣諸藩の
「戦死烈士之墓」がある。