「話す」「聴く」そして「書く」「読む」

下関国際高等学校
「話す」「聴く」そして「書く」「読む」
――プロの中国語を目指して――
宮田
一郎(日本中国語検定協会名誉理事)
「満州国」皇帝溥儀と関東軍総司令官との厳秘会見録を残した林出賢二郎は,溥儀の第 2 回訪日に随行,
時の天皇の言われた「お懐かしゅうございます」の冒頭のあいさつを通訳できず,冷や汗を流したという。
日本外務省にその人ありと言われた林出にしてしかりで,心のひだを外国語に変えて伝えることはまこと
に至難のわざである。日中国交回復のさい宰相田中角栄が宴席でのべた「中国の皆さまに多大のご迷惑を
おかけした」が,“添了麻烦”と訳され,中国側の怒りを買ったが,田中が「ご迷惑をおかけした」にに
じませたしみじみとした思いは,少なくとも“添了麻烦”で片付けられるものではなかったであろう。機
械翻訳はさらに進むであろうが,言葉ににじむ思いまで伝えるようになるとは,先ず考えられない。どの
外国語にも,その国の言葉でしか理解されえないものがある。われわれが中国語を学ぶからには,その言
葉ににじむ中国の人たちの心のひだまで読みとれる,そういう中国語の力を身につけることを目指したい。
中国語のプロがいるとすれば,そこまでの力を身につけている人をこそ呼ぶものであろう。
このようなプロになるにはどうしたらよいか。それぞれが自分に合った学習法を見出し,上達をはかる
以外にないが,「聴く」「読む」に重きをおくことに終始することなく,「話す」「書く」を第一義に置
く,攻めの学習を進めるのも一つの方法である。私の知人に,中国語を習うからには話せなくてはならな
いと,毎日“洗脸”と言ってから顔を洗い,“刷牙”と言ってから歯を磨くという習慣を続けるほか,く
しゃみをしたり,すべって転んだり,宝くじに当たった場合,さていまのことを中国語ではどう言うかを
調べ,自分の中国語を伸ばしていった人がいる。もって他山の石とするに足るものといえよう。