限界革命と新古典派経済学の登場

経済学概論
第9回
限界革命と新古典派経済学
1、労働価値説と効用価値説
古典派経済学からマルクス経済学に継承された労働価値説に対して、商品の
価値・価格と市場における均衡の説明を、生産における人間の労働の側面から
ではなく、消費における人間の欲望の側面から説明しようとする理論が 19 世紀
末の西ヨーロッパにおいて、オーストリアのメンガー(Carl Menger,1840-1921)
、
イギリスのジェボンズ(William Stanley Jevons,1835-1882)、スイスのワルラ
ス(Leon Walras,1834-1910)、そしてイギリス・ケンブリッジ大学のマーシャ
ル(Alfred Marshall, 1842 - 1924)らによってほぼ同時期に現れた。
これらの理論に共通するのは、人間の欲望をみたす効用を数量化することに
よって商品の価値・価格を計測し、さらにアダム・スミスが「神の見えざる手」
と呼んだ市場における均衡を説明しようとしているところであり、労働価値説
に対して効用価値説と呼ばれる。そしてその理論は新古典派経済学と呼ばれ、
またこれ以降の効用価値説を基盤にした経済理論は、古典派経済学からマルク
ス経済学の流れと区別され、近代経済学と総称される。
2、限界効用と価値=新古典派経済学の経済理論
(1)限界効用逓減の法則と交換の理論(メンガー、ジェボンズ)
労働価値説を前提とする古典派経済学~
マルクス経済学においては、商品の価値=
価格は商品の生産に投下された労働量によ
って決定することになる。これに対して、
メンガーとジェボンズは 1871 年、ほぼ同時
に商品に対する人間の欲望を価値の基準と
する効用価値説を唱えた。そしてその効用
メンガー
ジェボンズ
は商品の最終単位の増加によって得られる
効用の増大(減少)を測る限界効用の理論に基づくものであった。1
※ カール・メンガー『国民経済学原理』(日本評論社、1871)
※ ジェボンズ『経済学の原理』(日本経済評論社、1871)
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① 価値の理論・・・価値の本質を、財(商品)に内在する実在的なものと
いう考え方をしりぞけ、人間の欲望の構造とそこから出てくる財(商品)
の評価と見る。
② 限界効用減少(効用逓減)の法則と価値・・・限界効用とは同じ財(商
品)を追加消費した場合、全体の効用は増加するが、消費者個人が追加
分から得る効用(限界効用)は減少し、この最終的な限界効用の部分が
その財(商品)の価値となる。
③ 限界効用均等の法則・・・消費者個人は一定の予算内で、限界効用が「い
ろいろな財」=商品について均等になるように消費し、彼の全部の効用
を最大にしようとする。すなわち、予算と商品の価格が与えられていれ
ば、消費者は自分の消費する商品の限界効用の比率が商品の価格の比率
と等しくなるように支出をする。
④ 交換と市場価格の理論・・・商品の交換は消費者の全部の効用を増やす
が、限界効用の損失となる点で(2商品の限界効用が均等となる点で)
交換はやめられる。この「均衡点」における交換比率が商品の交換価値
となり、商品の市場価格が決定される。
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(2)一般均衡理論の成立(ワルラス)
メンガーやジェボンズによる2商品の交換による限
界効用均等=価格比決定の理論は、ローザンヌ大学のワ
ルラスによって多商品の交換、生産物市場、そして生産
要素市場(労働、土地、資本)まで含めた一般均衡の理
論にまで拡充された。
① 富の分類・・・社会的富を消費目的物と消費用役
(サービス)、固定資本(土地・人的能力・資本財)、
ワルラス
そしてその継続的使用である生産用役に分類し、交換の理論を基礎にし
て順次これらの価格決定(数量決定)を行う。
② 交換の理論(消費財と消費用役と均衡価格)
・・・生産物のうち消費財と
消費用役における二商品の交換のケースにはじまり、三商品の交換、多
商品の交換へと展開。多数の商品交換の均衡が理論的・数学的に証明さ
れると同時に、満足の極大をめざす個別経済主体の行動が、市場(生産
物市場)での自由競争を通じて均衡状態をもたらす「模索過程」をつう
じでの均衡成立が証明される。
③ 生産の理論(原料と生産用役と均衡価格)
・・・商品生産物が生産物であ
る原料と「人的用役・土地用役・資本用役」という生産用役の結合によ
って生産されると想定される。それぞれの用役の所有者(労働者、地主、
資本家)はその用役を供給しその価格である賃金、地代、利子を受け取
る。一方、企業者が生産用役市場で労働者、地主、資本家から生産用役
を購入し、それらを結合して生産し、その成果物を生産物市場に供給す
る。労働者、地主、資本家は生産用役の供給と生産物の購買から欲望の
最大満足を得ようと行動し、企業者は生産用役の需要と生産物の供給を
行う際に利潤(生産物の販売価格と生産用役の購入価格の差)を得よう
と行動する。
④ 一般均衡理論・・・消費財と消費用役の市場(生産物市場)と同様に、
生産用役それぞれの市場(生産要素市場)で需要と供給を均衡にする価
格が成立し、最終的には生産物市場と生産要素市場を均衡させる価格お
よび数量=一般均衡が成立する。また均衡下では生産物の販売価格は生
産用役の購入価格と等しくなる(利潤=0となる)。すなわち企業者は絶
えずイノベーション(技術革新)によって利潤を獲得するよう行動する
ことになる。2→シュンペータ
※ ワルラス『純粋経済学要綱』(岩波書店、1885)
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(3)長期供給曲線と部分均衡(マーシャル)
限界効用に基づく市場価格の決定の理論では生産
=供給されたものは前提とされ、市場における均衡
において供給量を調整するのは不可能なほど「短期」
における均衡である。そこで市場価格を決定するの
はもっぱら需要である。これに対して、マーシャル
は実際の生産(「長期」)では企業は供給量を調整・
変化させることができ、さらに「超長期」になると
技術進歩や資本蓄積などによって供給曲線は水平と
マーシャル
なり、市場価格を決めるのは需要要因ではなくなる
と主張した。マーシャルは、調整期間が短いほど需要側の要因が市場価格を
左右し、長期になるほど供給側の要因が強まるとした。マーシャルによって
限界効用に基づく価格決定の理論(効用価値説)と、供給側の要因を重視す
る古典派経済学の考え方(労働価値説)が統合される。
また、ワルラスの一般均衡理論においては、二商品の交換から順次商品の
量を増やし、また生産、資本を導入して実態経済の姿に迫る構成とり、市場
経済を熱力学と同じような体系(数式)によって解く方式をとった。これに
対してマーシャルは、市場の存在を前提としながら、特定の財の市場におけ
る均衡を解く方式をとった(部分均衡)。両者の違いは、マーシャルの関心が
純粋な市場の理論を構築することではなく、現実の経済における企業の具体
的な行動様式を理解し、価格決定の理論を導き出そうとすることにあった。
この考え方は労働市場においても同様であり、賃金体系や雇用慣行などはあ
くまで労働市場内部の技術的・制度的要因を見極めながら解こうとした。
マーシャルの考え方はケンブリッジ大学のピグー(Arthur Cecil Pigou,
1877 – 1959)の所得分配の経済学(厚生経済学)、そしてケインズ(John
Maynard Keyns, 1883-1946)らに引き継がれ、ケンブリッジ学派を形成した。
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Cool Head,but Warm Heart.
マーシャルがケンブリッジ大学教授に選出された際(1885 年)の就任
公開講義に登場する言葉。ここでマーシャルは経済学研究の重要性、緊
急性を強調した上で、自らの経済学者としての姿勢を示した。
マーシャル『経済学原理』(1890)
3※
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3、新古典派経済学の意義と限界
新古典派経済学における完全競争のもとでの価格・数量の均衡分析は、アダ
ム・スミスの「見えざる手」の作用を理論化しようとするものでもあった。ス
ミスの場合は社会構成員の階級区分を行いながらも、その理論には階級間の深
刻な対立は存在しないが、スミス以降の古典派経済学からマルクス経済学につ
ながる流れはそれぞれの階級利害の対立を意識したものであり、いずれも階級
利害の対立ゆえに資本主義経済が自動的・安定的に均衡する保証をもたないこ
とを主張するものであった。これに対し、新古典派経済学、特にワルラスの一
般均衡の理論は、資本主義体制の成立の元で生じた経済の不安定性や階級利害
の対立を理論化する方向をとらず、全社会構成員を同質の個人に還元し、これ
らの個人欲望充足の極大化行動を経済活動の中心に据えたのである。
しかし、資本主義経済は 20 世紀に入り新古典派経済学が描く自由競争の理論
とは異なり独占資本主義(帝国主義)の段階へと突入する(→第 9 回)。また 1929
年にはじまり 1930 年代をおおった世界的大不況は、新古典派経済学自体にも大
きな危機をもたらした。新古典派経済学では生産要素の用役の供給は価格によ
って調節されながら企業によって需要され、またそれらの用役によって生産さ
れる生産物も生産物市場で必ず需要されるものと考えられる(「供給はそれに等
しい需要を作る」と定式化される販路法則のことで、フランスの経済学者 J-B.
セーにちなんで「セー法則」と呼ばれている)。しかし、長期にわたる不況のも
とでの生産設備の遊休と、大量の失業者の存在という 1930 年代の現実は、新古
典派経済学の予定調和的な理論の現実的妥当性を疑わせるに充分であった。
そこで、マルクス経済学の流れとは別に、新古典派経済学の流れの中からも
この不況の原因を経済学的に説明しうる理論の構築が試みられるようになった。
特にケインズは新古典派経済学以降の近代経済学の流れに大きな転機を画した。
一方、新古典派経済学の流れをくむオーストリアの経済学者シュンペータ
(Joseph Alois Schumpeter,1883-1950)は4資本主義社会の動態をイノベーシ
ョンの概念で説明しようとした。(→第 13 回)
※ カレツキー『景気循環理論』(日本経済評論社、1933)
※ ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社、1936)
※ ハロッド『動態経済学序説』(有斐閣、1949)
※ シュンペータ『経済発展の理論』(岩波文庫、1912)
※ シュンペータ『資本主義・社会主義・民主主義』(東洋経済新報社、1942)
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