1 能勢の深い歴史と豊かな自然 山本 憲一 げっ ぽ う じ 昨年の11月に、大里にある月 峯寺 裏参道(東山辺側)の町石(丁石)巡り の散策に参加しました。長い年月の経過のなかで、深い山麓の奥に埋められて 失われつつあった遺跡を一鍬一鍬掘り起こして、再び陽の光を当てようと取り 組まれている方が、すぐ近所におられました。このような方がこつこつと歴史 の糸を紡いで後世に伝えていかれるのだなと思いました。かつて参道があった 辺りの、今は道なき道を辿りながらいにしえの人々が参詣する姿を想像しまし た。ゆっくりと地形や周りの植生を見ながら、いつもと違った目で自然に親し むのもいいものだと思いました。1400 年頃設置された町石28柱の内、半数が確 認されているそうで、600年の年月を経 てなお、この地に残されているのが奇跡と しか思えません。 ちなみに、私は、昨年別件で、月峯寺 を にち ら しょうにん 建立された日 羅 上 人 (父が日本人で母が百 済の人、百済国で高位につ き、583年敏 大阪市北区の日羅公慰霊碑 達天皇の要請で来日するも、随行員によって暗殺された。聖徳太子を教えたと 伝わる。)を研究している、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」でお馴染みの つき ほうでら 澤田先生を、その昔、月峯寺(当時は槻 放寺 ) が建立され、今は寺跡が残っている 剣尾山山 頂に案内し、当時の画家が実際に能勢に足を 運んで描いたことが伺える山容を 、観てもら いました。 先生は、その後、日羅上人の父上の出身地 である熊本県葦北町で、上人が描かれている、 熊本県葦北町で月峯寺 について話す澤田先生 つき みねでら 槻 峯寺 (月峯寺)建立修行縁起絵巻と能勢の 話をされました。今も、暗殺の地、大阪市北区で行われる慰霊祭には、葦北町 から多くの方がお見えになります。日羅上人は、三草山にも清山寺を建立され 1 ています。老爺から三つの草をもらい、それらから千手観音、不動明王、毘沙 門天を造ったと言われています。 滞日僅かの上人の伝承が、なぜ各地に多く残されているのか不思議です。そ れは多分、聖徳太子から、異国調伏(百済国の侵攻から国を守る)するための霊 地探しを命ぜられた為だと思われます。剣尾山や三草山に登ると京都や大阪が 一望でき、戦略的に重要な場所だったことがわかります。この上人にまつわる 、 いわれと戦略拠点としての剣尾山を利用したのが、15世紀末に大内氏と覇権 を争った細川政元です。百済王の末裔を称した大内氏を異国(百済国の侵攻) とみなし、これを調伏するとした日羅上人の古事を絵巻にしたそうです。 現在の静かな田園風景からは想像もつかない、血走った顔付 きのもののふ達 が駆け巡る、騒然とした光景が瞼に浮かんできそうです。そんな歴史を経て、 現在の豊かな自然に恵まれた里山の風景が、私達の前に拡がっているのです。 月峯寺に伝わったこの絵巻は、残念ながら昭和36年にワシントンのフリーア 美術館に納められました。せめて絵巻の精密な複写だけでも能勢に残すことが できたらと考えている方々がいます。町民の皆様のこの絵巻への御関心と能勢 町での保存に御協力をお願いします。次代にこの能勢の豊かな自然と文化を伝 えていきましょう。 槻峯寺絵巻の日羅上人と聖徳太子 つきほうでら *寺名の変遷: 槻 放 寺 (槻の木から放光あり)→槻峯寺→月峯寺 *絵巻にご興味のある方は、能勢町山辺の cafe soto(カフェ・ソト)にお問い合わせ ください。 *現在の月峯寺は剣尾山の麓(能勢町大里 555)にあります。 2
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