国指定史跡 富貴寺境内

富貴寺関係年表
仁安 3年
(1168)
六郷二十八山本寺目録に蓮花山富貴寺の名あげられる。
(太宰管内志)
貞応 2年
(1223)
宇佐公仲、蕗浦阿弥陀寺に一町五段を寄進
仁治 2年
(1241)
広増、富貴寺笠塔婆を造立。
(銘)
仁治 4年
(1243)
広増、富貴寺笠塔婆を造立、宝阿弥陀仏長円(銘)
文永 5年
(1268)
広増、富貴寺笠塔婆三基を造立。
(銘)
弘安 8年
(1285)
田染郷糸永名三十町を肥前国御家人曽根崎淡路法橋慶増領す。
(豊後国図田帳)
永仁 6年
(1298)
蕗寺の院主祐秀、宇佐宮法華不断経の経番職となる。
(宮成文書)
建武 4年
(1337) 「六郷山本申末次第並末寺四至」
に高山寺末寺蕗寺の寺領、
調幸実に押領さる。
(永弘文書)
康永 3年
(1344)
糸永名の蕗寺の免田一丁。
(永弘文書)
文和 2年
(1353)
富貴大堂修理。
檀那調行実、
仲実、
口実、
大工藤原実吉ら、
鍛冶職忍海、
願主学頭僧祐禅。
(銘)
延文 6年
(1361)
七月、祐禅七年忌の富貴寺大日種子板碑。
(銘)
応永21年
(1414)
蕗寺阿闍梨定祐、下作職妙蔵坊に年貢三百五十文を督促。
(富貴寺文書)
享徳 2年
(1453)
富貴寺歳大明神一宇を造営。
(旧棟札)
天正18年
(1590)
富貴寺蔵不動明王及童子画像。
(裏書)
天正年間
(1573 ∼) 大堂を修理、茅葺に改める。
(安養閣記)
慶長 8年
(1603)
富貴寺国東塔。
(銘)
延宝 5年
(1677)
領主松平忠房、
富貴寺領五斗七升七合を寄進。
(富貴寺文書)この頃、
大堂を修理する。
(同)
元禄15年
(1702)
大堂前庭の石灯籠。
(銘)
正徳 6年
(1716)
弁財天石像及び石殿。
(銘)嚢 享保 3年
(1718)
大乗妙典一字一石書写塔。
(銘)
享保15年
(1730)
庚申塔。
(銘)
延享元年
(1744)
権現社大般若経箱。
(銘)
寛延 4年
(1751)
富貴寺指出帳。
国指定史跡
富貴寺境内
宝暦 5年
(1755 ∼) 仁王像前の石灯籠。
(銘)
明和 5年
(1768)
田辺惣左衛門、田地を寄進。
(富貴寺文書)
安永 5年
(1776)
天保 8年
(1837)
この頃、富貴寺の檀家三十軒。
(六郷山寺院名簿) 坐像」は高さ85cm、榧(かや)材の寄木造り
柏木章、豊州蕗村大堂記を す。
(天沼俊一論文) で、現在は素木ですが、もとは華麗な漆箔
明治25年
(1892)
大堂記により安養閣記を書写。
(奥書)
富貴寺大堂の内陣。本尊「木造阿弥陀如来
像であったと考えられています。
利用案内
宇佐市
豊後高田
市街地
宇佐駅
真玉
日豊本線
655
※豊後高田市街地より県道34号から標識にそって10km(所要
時間約15分)
※堂内の壁画保存のため、悪天候の場合は公開を停止します。
また、寺の事情によりやむなく公開・入堂を行わないこともあ
りますのでご了承ください。
熊野磨崖仏
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杵築市
杵築駅
香々地
富貴寺
田染荘
真木大堂
■ 拝観時間 8:30∼16:30
■ 拝 観 料 200円
■ 住 所 大分県豊後高田市田染蕗2395
■ 電話番号 0978−26−3189
国東市
◆ 発行 お問い合わせ先 ◆
豊後高田市教育委員会
大分県豊後高田市中真玉2144-12
TEL 0978−53−5112
FAX 0978−53−4731
平成25年11月発行
◆ 豊後高田市のホームページ ◆
http://www.city.bungotakada.oita.jp/
豊後高田市教育委員会
富貴寺の歴史と保存
富 貴寺境内の歴史的遺構と文化財
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富貴寺境内図
・赤 枠 今回の指定範囲
・黄 枠
今後保護の必要な範囲
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▲ 富貴寺大堂
「国宝富貴寺大堂」で知られる富貴寺は、豊後高田市蕗
地区にあり、天台宗六郷山寺院のひとつとして、現在まで
その法灯を伝えています。
富貴寺のある蕗谷一帯は、かつて宇佐八幡宮の重要な
荘園である田染荘の糸永名に属していました。貞応2年
(1223 年)の『宇佐公仲寄進状案』によれば、蕗谷の阿弥陀
寺(富貴寺)に宇佐大宮司の直営地の一部が寄進され、以
後、富貴寺は宇佐大宮司家累代の祈願所となりました。そ
の後、鎌倉時代後期から南北朝期にかけて、国東半島に展
開した天台系の寺院群、いわゆる六郷山寺院のひとつに
位置付けられるようになり、今日に至っています。
このように富貴寺は、もともと阿弥陀堂である大堂を
中心としてはじまった寺で、六郷山寺院のひとつとなっ
てからも、大堂は何度かの修理を経ながら今日まで保存・
継承されてきました。そして、平安時代を代表する阿弥陀
堂建築として国宝に指定され、その内部の壁画と木造阿
弥陀如来坐像は国の重用文化財に指定されています。
現在の富貴寺境内には国宝の大堂のほかに本堂、薬師
岩屋(奥ノ院)、白山社(六所権現社)などの堂舎のほか、笠
塔婆や仁王像、十王石殿などの石造物、護摩堂跡や妙蔵坊
等の坊跡の遺構など、富貴寺の永い歴史を映す数多くの
文化財が所在しています。
これらを含めた境内全体が、その中心にある大堂を今
日まで守り続ける役割を果たしたといえます。
このような歴史を経て、平成25年(2013)10月、
「富
貴寺境内」は、いわゆる六郷山寺院の中で初めて国の史跡
に指定されました。
今後も調査研究を進めながら、保存や管理を計画的に
行っていきます。
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平安時代後期の建立とされる大堂は、
日本を代表する阿弥陀堂建築の一つ
で、九州最古の和様建築物として国宝
に指定されています。
大堂
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富貴寺境内の
史跡指定範囲
(航空写真)
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本堂・庫裡
(院主坊跡)
▲ 富貴寺参道
現在の石段とその上の仁王門は近世以
降に整備されたものです。石段両脇に
は、板碑や石幢等の一群の石造品が置
かれています。
仁王門
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▲ 六地蔵石幢
石幢は、六角形の笠と龕部、円形の中台
と幢身、方形の基礎から成り、龕部側面
には六道の救済者である六地蔵が一躰
ずつ陽刻されています。
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▲ 十王石殿
参道の両側にあり、左右で一対の石造
物です。それぞれの正面に三躰、参道内
側の面にニ躰、左右で計十躰の十王が
刻まれています。
▲ 石造仁王像(阿形)
参道階段の途中にあり、造立
は江戸時代中期と伝えられ
ています。現在は仁王門に収
められ、両像の台石正面には
蓮華座が刻まれています。
富貴寺境内
史跡の概要
所在地:大分県豊後高田市田染蕗2395番地 外18筆
国史跡指定日:平成25(2013)年10月17日
指定面積:17,834.90㎡
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▲ 富貴寺本堂
▲ 石造物群(大堂西側)
▲ 白山社(六所権現社)本殿
▲ 薬師岩屋(奥ノ院)
桁行18.22m、梁間9.15m、入母屋造、桟
瓦葺。現在の本堂は正徳5年(1715)建
立と伝えられています。本堂安置の阿
弥陀三尊像は県の有形文化財に指定さ
れています。
大堂の西側には、仁治2年(1242)を最
古とする笠塔婆5基、大小2基の国東
塔ほかの石造物があります。この2基
の国東塔は「国東塔」命名の由来とも、
なったものです。
大堂西側の石段を上がると白山社境内
があり、南北に拝殿と本殿が建っていま
す。本殿は宝暦11年(1761)の建立で、
六郷満山の神社景観を伝えるものとし
て重要なものです。
大堂後方の石段を上った場所に石造の
薬師像が安置されています。六郷山寺
院では、
「講堂」
(大堂)の背後に六所権
現と奥ノ院としての薬師堂(岩屋)を配
するのが通例です。