明治大学専門職大学院 2011年度 題 リサーチペーパー 名 地方における行財政改革と官民協働の果たす役割について ― 鎌倉市を例に探る ― ガバナンス研究科 ガバナンス専攻 指導教員名 北 大 本 人 氏 名 池 田 路 信 実 1 郷 目 次 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第1章 研究の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 1 研究の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 2 研究対象事例鎌倉市の特性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 3 研究の意義と分析の進め方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 (1) 研究の意義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 (2) 分析の進め方と本稿の構成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 第2章 1 「行財政改革」と「小さな政府」志向の経緯・・・・・・・・・・・・6 行財政改革の経緯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 (1) 1960年代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 (2) 1970年代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 (3) 1980年代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 (4) 1990年代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7 (5) 2000年代以降 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7 2 小さな政府志向 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 (1) 欧米における小さな政府志向のはじまり ・・・・・・・・・・・・・8 (2) 日本における小さな政府志向 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 (3) これからの政府の大きさの考え方 ・・・・・・・・・・・・・・・・10 第3章 1 鎌倉市の行財政改革と行政評価 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・13 鎌倉市における行財政改革 ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13 (1) 鎌倉市における行財政改革のはじまり (2) 鎌倉行政経営戦略プラン・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・14 (3) 職員数の削減 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17 ・・・・・・・・・・・・・13 2 行財政改革が自治体運営にもたらたしたもの ・・・・・・・・・・・・・18 3 鎌倉市の行政評価 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20 4 行政評価とマネジメント ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 2 第4章 地方分権の現状・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23 1 地方分権の経緯と地方自治体の現状・・・・・・・・・・・・・・・・・23 2 地方分権における市民参加・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25 3 地方分権における議会の役割・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26 第5章 1 民間活力の可能性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29 鎌倉市の市民活動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29 (1) 鎌倉の市民 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29 (2) 鎌倉市の市民活動のはじまり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・29 2 鎌倉市のNPO ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30 (1) 鎌倉市市民活動センターができるまで ・・・・・・・・・・・・・・30 (2) 鎌倉市のNPO ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32 3 鎌倉市の協働事業 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32 (1) 仕組みづくりの経緯 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32 (2) 協働事業の推進状況及び課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・35 4 公を支える民間活力の可能性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36 (1) 日本における地域コミュニティと市民活動の経緯 ・・・・・・・・・36 (2) 公を支える民間の力とは ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38 (3) 鎌倉市を支える民間活力の可能性 ・・・・・・・・・・・・・・・・38 第6章 これからの自治体運営のあり方について ・・・・・・・・・・・・・40 1 自治体運営の危機管理から見た官民の協働・・・・・・・・・・・・・・40 2 鎌倉市の財政状況から見た行財政改革・・・・・・・・・・・・・・・・40 3 官民の協働における対等の考え方・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 4 これからの自治体運営のあり方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42 おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45 参考文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48 3 はじめに 2010 年(平成 22 年)6 月 4 日に鳩山前首相の最優先課題の一つであった「新しい公共」 宣言が発表された。 「新しい公共」は、第173回国会における鳩山内閣総理大臣所信表明 演説の中で「人を支えるという役割を、 『官』と言われる人たちだけが担うのではなく、教 育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一 人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観」1で あると説明している。 同様の考え方は過去にも見られる。例えば、小泉政権時代の平成 17 年に総務省が設置し た「分権型社会に対応した地方行政組織運営の刷新に関する研究会」がまとめた報告書「分 権型社会における自治体経営の刷新戦略-新しい公共空間の形成を目指して-」では、市 民と企業、行政の協働による「新しい公共空間」の創出が提唱されている。橋本政権時代 の行政改革会議や、麻生政権時代の「国土形成計画」の中の「新たな公」もそうである。 政府を小さくすれば当然それに代わる公共サービスの担い手が必要である。過去から様々 な形で、官と民との連携を支える考え方や仕組みづくりの必要性が繰り返し提唱されてき ている。 今回の研究を進めるにあたっては、私が生まれ育ち大学卒業後は職員として関わり、現 在は市議会議員として携わっている鎌倉市を例に、今、行革が進む地方自治体ではどのよ うなことが起こっているのか、その現状を分析しながら、これからの官と民との協働をよ り前に進めるための新しい公共のあり方について、研究を進めることとした。 鎌倉市においては、平成 11 年(1999 年)6 月には「かまくら行財政プラン」が 7 年計画 で策定され、人員削減をはじめとする急速な行財政改革が進められた。毎年のように続け られるシーリングによる予算編成で、必要な経費までも見直しを迫り続ける行財政改革は、 一体何を目指してきたのか。行政の無駄を省くことは大切なことだが、際限のない行財政 改革を住民は本当に求めているのだろうか。住民の満足度とは一体何なのか。行財政改革 を進めてきた時間軸を追いながら、その時代に合ったより豊かなまちづくりを進めるため の、行政と市民との関係を改めて考えてみた。そして、特に3.11の東日本大震災を目 の当たりにしたことによって、行政と住民そして住民を代表する議員、それぞれの役割や 期待に何か変化が生じたのか。それによって、これからの自治体運営に何か影響があった のか。自治体運営をめぐる様々な環境変化のなかで、より良い地域社会をつくるために、 これからの新しい公共運営になくてはならない、官と民との協働を円滑に進めるための問 題点を明らかにし、その解決策の一つの考え方を提案していきたい。 1 「第 173 回国会における鳩山内閣総理大臣所信表明演説」 http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/200910/26syosin.html 4 第1章 研究の概要 1. 研究の目的 この研究の目的の一つは、国の政策により行財政改革を進め、より小さな政府を目指 してきた地方自治体の課題や現状を、鎌倉市を事例として明らかにし、これからの自治 体運営を進めていくために必要な、官と民との協働が思うように進んでいない原因を探 ることである。 二つ目に、官民協働が進まない理由として、自治体経営を担う関係者の間に、未だに 協働を小さな政府を作るための手段の一つであると見なす、誤った認識があるのではな いか、この根本的な誤った認識を払拭しない限りは、真の協働は進まないのではないか、 などいくつかの視点について検証していくことである。 2. 研究対象事例鎌倉市の特性 まず、研究対象事例とする鎌倉市のなりたちと特徴についてここで明確にしておきた い。 鎌倉市は、1939 年(昭和 14 年)年鎌倉町と腰越町が合併し鎌倉市となり、その後 1948 年(昭和 23 年)に深沢村と大船町が加わり、現在の鎌倉市ができた。市の規模は、平 成 23 年 10 月 1 日現在で、面積 39.53 ㎢、人口 174,290 人、世帯数 72,881 世帯である。 2011 年(平成 23 年)9 月末現在の 65 歳以上の齢者人口は 48,398 人で、全人口に占め る割合(高齢化率)は、27.3%である。特に昭和 40 年代に宅地造成された市内大規模 団地では高齢化が進んでいる。高齢化率の最も高い地域(寺分 2 丁目)では、高齢化率 が 48.38%(2011 年 1 月 1 日現在)となっている。 鎌倉市の産業は、サービス業など第3次産業が約8割を占めている(表-1 参照)。 製造業などの第2次産業が2割弱、第1次産業である農業や水産業が僅かであるが残 っており、今や鎌倉の知名度によって「鎌倉やさいやかま揚げしらす」などがブランド 化している。 鎌倉市の行政区域は、概ね旧町村別に鎌倉区域、腰越区域、深沢区域、大船区域、 玉縄区域の 5 つの行政区域に分かれている。この5つの行政区のうち、神社仏閣や文化 遺産などの観光資源が多く存在する鎌倉区域(旧鎌倉町)の賑わいが際立っており、観 光施策も鎌倉区域が中心に行われている。 5 表-1 鎌倉市の産業構造(平成17年国勢調査による) 産業別就業人口(人) 構成比率(%) 第 1 次産業人口 585 0.76 第2次産業人口 14,698 18.98 第3次産業人口 60,612 78.29 総数 77,422 100.00 ※各産業の就業者数の合計が総数と一致しないのは、分類できない回答があったため。 鎌倉のまちの歴史をたどると、12 世紀末源頼朝が、源平の合戦で平氏を滅ぼして征 夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開き、初の武士による政治が始まった 800 年の歴史を もつまちである。武家社会は禅宗などの宗教文化と結びつくことにより、鶴岡八幡宮 や鎌倉五山を代表する神社仏閣を創出し、今日でも「武家の古都・鎌倉」として、そ の魅力を後世に伝えている。明治以降は、保養の場としての海水浴場の開設や別荘文 化の隆盛が見られるとともに、多くの文学者が住むなどの新たな魅力も創出し、今で は年間1,800万人を超える観光客を迎える観光都市として国内外に知られている ところである。 一方で、首都圏のベッドタウンとして、その立地の良さから良好な住宅地としての 性格も有しており、歴史や伝統の中に市民が暮らす住宅・生活都市でもある。この観 光都市と住宅・生活都市の二面性を両立させることと、歴史・文化都市としての伝統 を継承することが「鎌倉らしさ」につながり、またもう一つの鎌倉の魅力を形成する 自然や景観の保全にも力を注ぐことによって、「住んでよかった、訪れてよかった」 といえるまちを目指して、現在、まちづくりに取り組んでいるところである。また、 同時に鎌倉の魅力を後世に伝えるために、文化遺産としての世界遺産登録の推進も行 っている。 特に鎌倉に住む住民の特色は、明治以降に鎌倉に住みついた人々が多いという点で ある。戦前においては、海と山に囲まれた歴史的風土を持つ旧鎌倉地域は別荘土地・ 観光都市として発展し、戦後は、首都圏からの多くの転入者により、住宅都市として 発展してきた。特に昭和 30 年代後半から山々が削られ宅地造成が始まり、次々と大 規模団地がつくられていった。 鎌倉は、歴史的遺産や社寺仏閣のほかは、近代が形づくった都市であり、まちなみ でもある。このような歴史的背景からも、鎌倉には地つきの市民よりも都心から鎌倉 6 の風土に魅せられて移り住んだ住民が次第に多くなっていった。そのような経過から、 元々住んでいる地つきの住民とは異なるまちに対する想いや見方を持った住民が多 く、ある意味特異なまちといえる。 このような鎌倉の背景からか市民活動には非常に熱心な住民が多く、NPO活動を している団体数は800団体を超えている。政治的に見てもいわゆる保守主義的な議 員は少なく、様々な考え方を持った議員によって様々な意見が交錯する、ある意味都 市的な政治風土を持った特徴ある土地柄である。 3. 研究の意義と分析の進め方 (1) 研究の意義 この研究の意義は、急激に進められてきた行財政改革によってバランスを崩してい る地方自治体の課題を明確にして、より良い公共を目指すために必要な官民連携のあ り方を一歩前に進めることによって、元気な地方自治体へ立て直し、新しいガバナン ス体制を推進するきっかけをつくることである。 (2) 分析の進め方と本稿の構成 これからの都市における公共経営の方向を見定め、取り組むべき課題を明らかにする ためには、過去の取り組みについての検証が欠かせない。本研究では、近年の日本の公 共経営改革において最も重要なテーマとされてきた行財政改革と地方分権の流れを振 り返りながら、その流れの中で鎌倉市がどのような経験をしてきたか、具体的な検討を 行う。 近年の公共経営改革を理解する上で欠かせないのは小さな政府への強い信奉である。 自治体の間に急速に浸透した協働の考え方でさえ、行政と住民のパートナーシップと言 いつつ、実はできるだけ行政の役割を縮小しようという小さな政府志向と同じ方向と捉 えられている嫌いがある。そこでまず第 2 章では、行財政改革や小さな政府志向の目的 や方向性を明らかにしていくために、その歴史をたどり、また同時に地方自治体へどの ような影響を与えてきたかを検証する。そして第 3 章では、鎌倉市において行財政改革 がどのように進められてきたか、そしてその結果どのようなことがもたらされたのかを 振り返る。また行財政改革のツールとして重視されるようになった行政評価について特 に焦点を当て、現在鎌倉市ではどのような行政評価が行われているのか、評価の仕組み やマネジメントには、問題がないのかを検証する。 近年の公共経営改革におけるもう一つの重要テーマは地方分権である。新しい公共推 進のために鍵となるのが、公共経営のあらゆる側面で住民参加が進み、住民自治が実現 することと考えられるが、その住民自治の前提となるのが団体自治、すなわち自治体の 自立的経営の実現である。そこで第 4 章では、行財政改革と並んで今後の公共経営のあ 7 りかたと可能性を議論するうえで欠かせない「地方分権」がどのように進められ、現在 どこまで進んでいるのか、その状況を確認する。そして、この地方分権の進展状況が新 しい公共へどのような影響を及ぼしているかを検証する。 第 5 章と第 6 章では、今後の都市経営のありかたと可能性について具体的な検討を 行う。まず第 5 章では、新しい公共の担い手となる民の力がもつ可能性について考察 するために、鎌倉市のNPOや鎌倉市の協働事業を例として取り上げ、協働事業の進 展の現況と、さらにこれが前へ進むための課題について検証する。最後に第 6 章では、 自治体運営の課題を洗い出し、課題解決のためにどのような対策を講じるべきか、そ してこれからの自治体運営における行政、市民、議員の役割と進むべき方向性を明確 にし、これからの自治体運営のあり方について検証する。 8 第2章 「行財政改革」と「小さな政府志向」の経緯 1.行財政改革の経緯 行財政改革の歴史をたどれば、近代日本の行政改革は明治維新から始まっていたとい われている。長い行革の歴史の中でも、わたしが経験した約 30 年間の行政職員時代に行 われてきた行革は、過去にもましてスピードの速いものであった。ここでは、その行革 の歴史の中でも第二次世界大戦後の 1960 年代から行われてきた行革から現在までの約 50 年間の行革の歴史の経緯を追ってみた。行財政改革の波は、概ね 10 年間隔で大きく変化 していった。 (1) 1960 年代 戦後の日本における行政改革は、高度経済成長を背景に昭和 30 年代と昭和 40 年代 に国の組織と人員が膨張したため、1961 年(昭和 36 年)に総理府に設置された「第 1次臨時行政調査会」において、行政制度とその運営の改善に関して調査・審議され たことが始まりである。1964 年(昭和 39 年)に出された答申では、内閣機能の改革、 中央省庁改革、国と地方の事務再配分、公務員改革などがあったが、これらはほとん ど実行されずに後の改革に引き継がれている。このときに実行された行政改革は「組 織や人員の膨張抑制と総量規制」であった。2 (2) 1970 年代 その後、世界では 1973 年(昭和 48 年)10 月、アラブの石油産出諸国が、原油の生産 制限と輸出価格の大幅な引き上げ(4倍)を行ったことに起因する第1次石油危機に よる世界的な経済の混乱が起こり、1979(昭和 54 年)には、原油価格がさらに2倍に 引き上げられたことによる第2次石油危機が起こった。当時、低価格の原油を多量に 輸入し高度経済成長を続けていた日本経済は、二度にわたる石油危機により受けた打 撃は大きかった。多くの先進諸国においても、政府部門が深刻な財政危機に陥り、行 政改革が重要な政治課題となっていった。大幅な財政赤字に苦しむ大平内閣は、一般 諸費税の導入を計画したが、世論の反対に遭い、 「増税なき財政再建」の途を歩むこと になった。 (3) 1980 年代 1980 年代は、サッチャー改革に代表される西欧諸国の「規制緩和」と「民営化」に よる「大きな政府」から「小さな政府」への転換を核とした新自由主義の経済政策に 同調した時期であった。 1981 年(昭和 56 年)3 月には、 「第 2 次臨時行政調査会」が設置された。ここでは、 財政再建の見地から、歳出削減、行政機構の簡素化、行政の減量化に重点が置かれ、 その結果として、国鉄、電信電話、たばこの 3 公社が民営化された。予算編成におい 2 岡本全勝、2011 年、「行財政改革の現在位置~その進化と課題『年報 9 公共政策学』vol.5,2011 ,p.50 ては現在では毎年のように行われている、予算要求段階でのマイナス・シーリングが 導入されている。3 第二臨調は一貫して「小さな政府」を志向し、歳出の徹底削減の ための方策を提言し、地方に対しては、定員の合理化・適正化や給与・退職金の適正 化などを提言した。第二臨調による提言は、国・地方をあげての「簡素化・合理化の ための行政改革」に向けて舵が切られる契機となった。 1983 年 6 月には、第一次行革審(第一次臨時行政改革推進審議会)が発足し、自治 体に対しても、減量化・効率化・歳出抑制を強く求める意見を提出した。これを受け て国は、1985 年 1 月に「地方行革大綱」を策定し、各自治体に対しても 1985 年 8 月 を目途に行革大綱を策定するよう求め、全国の自治体が一斉に行革大綱の策定に取り 組むこととなった。 1986 年に第一次行革審は終了し、1987 年から 90 年にかけて行われた「第二次行革 審」へ引き継がれた。第二次行革審では、国から地方への権限委譲などが提言された が、日本中がバブル景気の時期であったため、自治体に対する強い減量経営を求める 動きは顕著ではなかった。4 (4) 1990 年代 1990 年代は、地方分権改革が実質的に進展した画期的な時期であった。1995 年か ら 2001 年にかけて行われた「地方分権推進委員会」による勧告を受けて、1999 年 7 月 には、国と地方の役割分担の明確化や機関委任事務の廃止を含む「地方分権一括法」 が成し、2001 年 4 月には施行された。 (第一次分権改革)第一次分権改革では、国と地 方の関係が従来の「上・下」から「対等・協力」に改められた。このことにより、自 治体は自己決定権が拡充される一方で、自己責任を求められることになった。また第 一次分権改革では、国の役割を縮小する半面、自治体の役割を拡大する方向で改革が 進められた。1994 年には当時の自治省から「地方行革指針」が出され、1997 年には「新 地方行革指針」が出された。拡大した事務量・活動量を自治体が担うための自治体の 行政能力の向上が求められた。具体的には、行革大綱の見直し、事務事業の見直し、 組織機構の見直し、定員・給与の適正化、行政の情報化等が求められた。この 2 つの 指針によって、地方自治体の行財政改革のスピードがさらにアップしたといえる。 また一方では、1999 年以降、自治体の財政面での基盤強化をめざし、基礎自治体の 規模を拡大する「平成の大合併」が行われた。 (5) 2000 年代以降 第一次分権改革によって国と自治体との役割分担は見直されたものの、国から地 方への税源移譲が不十分であったことから、 「未完の分権改革」とされ、地方財源の充 実確保が次の課題であった。こうした流れを受け、小泉政権によって、 「三位一体改革」 3 4 岡本全勝、2011 年、「行財政改革の現在位置~その進化と課題」『年報 公共政策学』vol.5,2011 ,p.50 田中啓、2010 年、「日本の自治体の行政改革」『分野別自治制度及びその運用に関する説明資料』No.18,p.3 10 が行われた。具体的には、2004 年度から 2006 年度の間に補助金の廃止・縮減、地方 交付税改革、国から地方への税源移譲が実施された。 2007 年 4 月には、地方分権改革推進法(2006 年 12 月成立)に基づき地方分権改 革推進委員会が発足し、4次にわたる勧告が内閣総理大臣へ提出されている。 このような中で国は地方に対して、2004 年 12 月に閣議決定された「今後の行財政 改革」に基づき、2005 年 3 月には、総務省が策定した新たな「地方公共団体における 行政改革の推進のための新たな指針」(「新地方行革指針」)で5カ年度(2005~2009 年度)の「集中改革プラン」を策定・公表することを要請した5。その主なものは、 「事 務・事業の再編・整理」、 「民間委託等の推進(指定管理者制度の活用を含む)」、 「定員 管理の適正化(退職者数及び採用者数の見込み)」、 「手当の総点検をはじめとする給与 の適正化(給料表の運用、退職手当、特殊勤務手当等の諸手当の見通しなど)」、 「第三 セクターの見直し」、「経費節減等の財政効果」である。 このように国の地方行財政改革は、国の地方への統制の見直しとともに実施されて おり、市町村の行財政運営にかなりの影響を及ぼした。この国からの要請を受け、鎌 倉市においては、2006 年(平成 18 年)4 月に、目標管理による成果を重視する経営の 視点に立った行政運営計画として、 「鎌倉行政経営戦略プラン」を策定した。同プラン では、3つの基本方針と 16 の実施項目、102 の具体的な取り組み項目を設定して戦略 的な行政運営を目指して、2006 年度(平成 18 年度)から 2010 年度(平成 22 年度) の 5 年間を計画期間として推進を図ることとなった。 (この詳細については、次の第 3 章で述べる。) 2.小さな政府志向 政府の大きさについては、それぞれのメリット、デメリットを挙げ様々な議論がされ ているところである。ここでは、欧米における小さな政府志向のはじまりと日本への影響、 これからの政府の大きさの考え方についてまとめてみた。 (1) 欧米における小さな政府志向のはじまり 1960 年代以降、欧米諸国では多様かつ複雑化する経済社会に対応するため、専門的 能力を有する行政官僚の役割が大きくなり、いわゆる行政国家が進展したが、行政国 家はその一方で組織の肥大化をもたらすとともに、規則を重視する従来型ウェーバー 型官僚システムに基づく官僚体制は多様な課題に柔軟に対応できず、非効率を生んで いるとの認識を生むようになる。このような行政に対する批判が次第に高まる中、1970 年代以降の世界的な経済の停滞による国家財政の深刻な打撃が追い打ちをかけ、従来 の「大きな政府」を目指した国家運営は立ち行かないという危機的な認識が広がり、 5 田中啓、2010 年、「日本の自治体の行政改革」『分野別自治制度及びその運用に関する説明資料』No.18,p.5 11 新保守主義の台頭とともに「小さな政府」を目指して行政部門の効率化を図るための 動き、NPM(New Public Management)の導入に向けた動きが盛んになっていった6。 1979 年には英国のサッチャー政権が誕生、1981 年にはアメリカでレーガン政権が、 1984 年にはニュージーランドでロンギ政権などが誕生し、それぞれ新自由主義に基づ く改革が行われた。新自由主義は、市場原理主義の経済思想に基づく、低福祉、低負 担、自己責任を基本として「小さな政府」を推進し、経済政策では、均衡財政、福祉・ 公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、経済の対外開放、規制緩和による競争 促進、労働者保護廃止などを基本とする市場原理主義を極力活用した資本主義体制で あり、「小さな政府」を目指す原動力となった経済思想である。 (2) 日本における小さな政府志向 日本における小さな政府の動きは、第 1 章の1の(2)、 (3)における行財政改革の 中で述べているが、1973 年(昭和 48 年)の第一次石油危機のあと日本の経済成長は 大幅に低下し、大幅な財政赤字で苦しむ時代の中で、欧米諸国にはじまった新自由主 義の政策に同調して、1980 年代に入り、小さな政府を目指したことが「小さな政府志 向」のはじまりである。1981 年 3 月に発足した第二次臨調では一貫して「小さな政府」 を志向して、歳出の徹底的削減のための方策を提言した。 「小さな政府」という言葉が頻繁に使われるようになったのは、2001 年(平成 13 年)から政権を担った小泉内閣のころである。小泉首相による「構造改革」の最大の 目的が「小さな政府」をつくることであった。2003 年(平成 15 年)には、 「経済財政 運営と構造改革に関する基本方針 2003」いわゆる「骨太の方針 2003」が閣議決定(平 成 15 年 6 月 27 日)され、行政の効率化、歳出の縮減・合理化をはじめとする国・地 方を通じた行財政改革を強力かつ一体的に進め、行財政システムを持続可能なものへ と変革していくなど、「効率的で小さな政府を」実現することとした。2005 年の「経 済財政運営と構造改革に関する基本方針 2005」いわゆる「骨太の方針 2005」 (平成 17 年 6 月 21 日閣議決定)のなかでは、 「高齢化の本格化がもたらす高負担圧力とともに、 国民負担の増加をめぐる議論は避けられない」ことから「小さくて効率的な政府」の 原則を貫き、「歳出削減なくして増税なし」の考え方の下、歳出削減、行政改革を徹 底し、必要となる税負担を極力小さくすることが重要であるとした。2006 年(平成 18 年)には、「簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律」 いわゆる「行革推進法」が成立し、そこに定める数値目標と作業工程に従って改革が 進められることになった7。 6 7 鈴木敦・岡本裕豪・安岡義敏、2001 年、「NPMの展開及びアングロ・サクソン諸国における政策評価制度 の最新状況に関する研究」『国土交通政策研究』第 7 号,2001.12,pⅰ. 西川明子、2007 年、「政府の大きさをめぐる議論」『レファレンス』平成 19 年 2 月号,p.105 12 (3) これからの政府の大きさの考え方 敢えてここで「小さな政府志向」について触れたのは、行財政改革が進められる中 で、政府の大きさが良く話題にのぼり、未だに政府の大きさをめぐる議論を耳にする ことがあるため、その意味するところを明確にしておきたかったからである。 政府の大きさについては、国立国会図書館調査及び立法考査局の西川明子氏が「政 府の大きさをめぐる議論」の中で分かりやすく論じている。 政府の規模を議論する際に「公務員に携わる人員」及び「国民負担率」という2つ の指標から政府の大きさを言及することが多いが、いずれの指標によっても諸外国と 比べて日本は決して大きな政府ではなく既に小さな政府であることがわかる。例えば、 国際的な比較によく用いられる「国民 1000 人当たりの公務員数8」によると、日本は 31.6 人(2009)、フランス 86.6 人(2008)、アメリカ 77.5 人(2009)、イギリス 77.2 人(2008)、ドイツ 54.3 人(2008)となっており、諸外国と比べ、日本は決して公務 員の数が多くないといえる。また、国民負担率については、租税と社会保障費を合計 し、国民所得で割った比率で表すが、このほか、国民の税負担と社会保障費に国と地 方の赤字を合計し、国民所得で割った比率で表す「潜在的国民負担率」を参考とする ことが多い。 図-1 は、主要国の国民負担率を比較したものである。日本の国民負担率は 38.8% (2011 年度)で、財政赤字を加えた潜在的国民負担率は 49.8%である。その他の国の 国民負担率及び潜在的国民負担率は、アメリカは 32.5%及び 39.9%(2008 年)、イギ リスは 46.8%及び 52.8%(2008 年)、ドイツはともに 52.0%(2008 年)、スウェーデ ンはともに 59.0%、フランスは 61.1%及び 65.6%(2008 年)となっている。これら の国民負担率を見る限りでは、日本の政府の規模はそれほど大きくないことがわかる。 大きな政府の代表とも言えるスウェーデンと日本を比べてみると、大きな政府である スウェーデンの方が「日本よりも財政規律に優れ、日本は小さな政府を提唱しながら も巨大な財政赤字を避けられなかった9」点について、加藤淳子教授らは、「小さな政 府を唱える政党が減税と支出削減を共に支持し、大きな政府を支持する政党が増税と 支出増をともに推進する」というのが一般的な先進国の対立軸であり、ウェーデンが 「赤字財政を避けるために高い税負担と公共支出を共に維持する政策」をとったのに 対し、日本の場合は「低い総課税負担で公共支出の水準を維持したことにより、景気 回復を見ないまま財政赤字の拡大」につながってしまったと解説している10。 また、スティーブン・ボーゲル カリフォルニア大バークリー校準教授は、 「効率化 8 総務省行政管理局「人口千人当たりの公的部門における職員数の国際比較(未定稿) <http--www.soumu.go.jp-main_sosiki-gyoukan-kanri-pdf-satei_02_05.pdf> 9 加藤淳子・ボー・ロススタイン(前田健太郎訳) 、2005 年、「政府の党派性と経済運営-日本とスウェーデン の比較」『レヴァイアサン』37 号,2005,秋,PP,52-53 10 同上,PP.68-70 13 と抑制」という点に関し、 「必ずしも大きい政府がいいと言っているわけではない」と 前置きしたうえで、 「歳出カットではなく、歳出の優先順位を見極めなければならない。 無駄な公共工事や特定産業の補助金など、非生産的な分野の歳出は削り、教育や保健、 その他社会サービス分野の歳出は増やすべきである。また、単に公務員を削減するだ けでなく、政府の効率を高めることにもっと目を向ける必要がある。つまり、より効 率的な歳出と効率のいい政府運営ができるよう人員を配置し、その一方で不要な人員 は削減していくべきである」と指摘している11。 このことからも、「小さな政府を目指したからといって、効率化や健全な財政が約束 されるわけではない、という点に留意すべきである12」と西川は言っている。「国民が 求めているのは大きい政府でも小さい政府でもなく『良い政府』」であり、 「『良い政府』 とは何かということの議論が十分になされず規模の大小を語るのは不毛」13であること は確かである。ただただ政府を小さくすることは、国民への負担を大きくするだけであ る。明治大学公共政策大学院 北大路信郷は、「小さな政府」批判の中で、「NPMは代 理人制度を使い、政府本体は出来るだけ小さくすることを志向したが、委任 (commissioning)の実践を通じて、 『官から民へ、民が出来ることは民に』という『小 さな政府』思想ではなく、『官と民とのパートナーシップ、官と民とのコープロダクシ ョン、社会の絆(ソーャルキャピタル)づくり』を志向するという考えが生まれている。 14 」としている。まさに政府の大きさではなく、国民にとって無駄がなく機能的な政府 が必要であり、住民と行政と事業者とが一体となって地域を形成していくことが求めら れてきている。 11 スティーブン・ボーゲル「(私の視点ウィークエンド)小さな政府論争 誤解を改める時」 『朝日新聞』2006.9.2. 西川明子、2005 年、「政府の大きさをめぐる議論」『レファレンス』平成 19 年 2 月号,p.112 13 蟹瀬誠一・竹中平蔵、2007 年、 「連載対談 蟹瀬誠一の Biz Scope これまでの日本 これからの日本 国・ 地方のあり方を変える」『Business data』269 号,2007.4,P.44 14 北大路信郷 明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科 2011 年度講義「公共経営研究」27.「小さな政府」 批判 12 14 図-1 国民負担率の国際比較 (出典)( (平成 23 (出典)財務省「国民負担率の内訳の国際比較」『わが国税制・財政の現状全般に関する資料 (平成 23 年 10 月現在)』 http://www.mof.go.jp/budget/fiscal_condition/basic_data/201011/sy2302o.pdf 15 第3章 鎌倉市の行財政改革と行政評価 鎌倉市では、行財政改革がどのように進められたか、そしてその結果どのようなことが もたらされたのか。そして、市民満足度の高い行政運営を目指していくために重要なツー ルである行政評価が、どのように進められてきたか。また、その評価手法が目指すべき住 民福祉の向上につながる手法であるのか等について検証したい。 1.鎌倉市における行財政改革 (1) 鎌倉市における行財政改革のはじまり 鎌倉市の行財政改革は、バブル崩壊により右肩上がりの経済成長が終焉し、鎌倉市 の税収が平成 4 年度(1992 年度)をピークとして減少に転じ始めた平成 6 年度(1994 年度)から、本格的な取り組みが始まった。特に平成 11 年(1999 年)6 月には、市税 収入の見込み額(図-2 参照)が、前年度当初予算額に比べ28億円減の363億円 (7.1%減)まで大きく落ち込んだことを受け、限られた行政資源を最大限有効活用し て、高まる市民ニーズに答えていくための指針として、「かまくら行財政プラン」(鎌 倉市行財政大綱)が策定された。平成 11 年度(1999 年度)から平成 17 年度(2005 年度)までの 7 年間を計画期間とし、 「協働」と「効率化」を柱とした行財政改革の取 り組みが推進されることとなった。これは、前期(4)でも示したが、当時の自治省か ら 1994 年に出された「地方行革指針」、ならびに 1997 年に出された「新地方行革指針」 に連動した動きであるといえる。 平成 14 年度(2002 年度)には、 「協働」と「効率化」の二つの目標に加え「行政サ ービスの向上」 「財政力の向上」 「運営プロセス効率の向上」 「運営資源の最大活用」と いうバランススコアカードの発想に基づく 4 つの視点を戦略目標とした「かまくら行 財政プラン後期実施計画」をスタートさせ、行財政改革をさらに推進することとなっ た。 この間、職員数の適正化、市民サービスの向上、行政評価の実施等に取り組み、そ の結果職員数の適正化では 200 名以上の削減を達成し、財政的な効果額も7年間の累 積額で 200 億円以上に達する効果があった。 その後国では、2005 年 3 月に総務省が新たな指針、 「地方公共団体における行政改革 の推進のための新たな指針」 (「新地方行革指針」)で5カ年度(2005~2009 年度)の「集 中改革プラン」を策定・公表することを要請した。これを受け、2006 年(平成 18 年) 4 月には、目標管理による成果を重視する経営の視点に立った行政運営計画として、 「鎌 倉行政経営戦略プラン」を策定した。同プランでは、3つの基本方針と 16 の実施項目、 102 の具体的な取り組み項目を設定して戦略的な行政運営を目指して、2006 年度(平 成 18 年度)から 2010 年度(平成 22 年度)の 5 年間を計画期間として、新たな行財 政改革が推進された。 16 図-2 鎌倉市市税収入の推移 45,000,000 40,000,000 市税収入(千円) 35,000,000 30,000,000 25,000,000 20,000,000 市税(千円) 15,000,000 10,000,000 5,000,000 1,975 1,977 1,979 1,981 1,983 1,985 1,987 1,989 1,991 1,993 1,995 1,997 1,999 2,001 2,003 2,005 2,007 2,009 0 年度 (2) 鎌倉行政経営戦略プラン 鎌倉市における行財政改革の基本となった「かまくら行財政プラン」については、平 成11年6月(1999年度)に策定され、7年間の計画期間が終了して一定の成果を得たが、 引き続き行財政改革を進めるために、平成18年4月には、目標管理による成果を重視す る経営の視点に立った行政運営計画として、 「鎌倉行政経営戦略プラン」が策定された。 同プランでは、3つの基本方針と16の実施項目、102の具体的な取り組み項目を設定し て戦略的な行政運営を目指して、平成18年度から平成22年度の5年間を計画期間として 推進を図った。3つの基本方針は次に示すとおりである。 ア 基本方針1 成果を重視した行政経営 ① 行政評価制度の推進 ② 目標と成果指標による施策展開 ③ 行政評価によるスクラップ・アンド・ビルドの実施 ④ 市民本位のサービス提供体制の充実 ⑤ 職員の意識改革 イ 基本方針2 新しい公共空間の形成 ① 行政の役割分担の明確化 ② 市民等との協働による地域経営 ③ 民間活力を活かした施策展開 17 ④ 市民と行政の情報の共有化 ⑤ 透明で公平・公正な行政の推進 ウ 基本方針3 健全な財政基盤を確立し変化に対応できる行政運営 ① 収入確保への積極的な取り組み ② 行政コストの縮小化 ③ 市有財産の活用及び公共施設の機能再編等 ④ 組織・機構の見直し ⑤ 電子自治体の推進 平成23年11月に、「鎌倉行政経営戦略プラン」(平成18年度~平成22年度)の実 績及び鎌倉行革市民会議の評価結果が示された。実績としては、102あるアクション プログラムのうち、目標値を設定したものは全体の63.7%にあたる65プログラムで、 そのうち目標値を達成したのは52.3%(34プログラム)という厳しい結果となった。 3つの基本方針の取り組み実績は次の通りである。 ア 基本方針1 成果を重視した行政経営 目標値の達成状況は31.6%と非常に厳しいものであった。市民本位のサービス 提供体制の充実と、それを支える事務事業の評価制度や成果指標を用いての施策 展開を目指したが、行政評価制度の進展には一定の成果があったものの、それに 基づくスクラップ・アンド・ビルドなどの施策展開は目標値を達成できず、市民 本位のサービスの提供体制の充実も満足のいくものではなかった。鎌倉市行革市 民会議の評価も5名中3名が不十分、評価不能としている。この原因は、目標値や 指標の設定されているプログラムが少ないこと、設定されていても不十分であっ たこと、行政評価やアクションプログラムの持つPDCAサイクルの構築が不十 分であったことなど、事務事業の見直しが市民本位のサービス提供体制の充実に 直結していないことなどを原因としてあげている。 イ 基本方針2 新しい公共空間の形成 目標達成状況は66.7%であった。鎌倉市行革市民会議の評価も5名中4名が、 概ね認められるとの評価であった。市民等との協働による地域経営が75%の達 成状況となっており、市民等との協働によるまちづくりが進んでいるといえる。 民間活力を生かした施策展開については68.8%の達成状況となっており、民間 でできることは民間で、との基本方針のもと、業務の民間委託や、平成18年度 より始まった指定管理者制度の導入が進み、一定の成果が見られた。一方、市 民や参加者等の満足度、理解度、認知度などの指標が明確でないため評価が困 難であるとの指摘もあった。財政効果と市民満足度とのバランスが求められて いる。 18 ウ 基本方針3 健全な財政基盤を確立し変化に対応できる行政運営 目標達成状況は52.3%であった。財政効果額指標を設定している13アクショ ンプログラムのうち、9プログラムがこの基本方針のもとで取り組んだが、第2 次収入確保プロジェクトの成果は目標に及ばず市税徴収率、職員数適正化計画 の結果も目標を達成することができなかった。財政効果額も、下水道使用料の 適正化など受益者負担の強化による項目が多い。行政コストの縮小化も補助金 の見直しなどさらなる見直しが必要。鎌倉市行革市民会議の評価も5名中4名が 不十分、評価不能であると指摘し、アクションプログラムが鎌倉市の財政に寄 与していない、財政効果が不十分であるなどの指摘があった。 平成23年3月には、先に示した「鎌倉行政経営戦略プラン」(平成18年度~平 成22年度)で課題となった点を踏まえて、新たなプランづくりと適正な進行管 理を行うために、平成23年度から平成27年度を計画期間とする新たな計画とし て「新鎌倉行政経営戦略プラン」が策定された。このプランの策定にあたり課題 となったのは、次の5つであった。 ① 具体的な取り組みであるアクションプログラムが102項目あり、内容が 細分化され過ぎているため総花的であるとともに、重点項目や優先順位が明 確ではなかった。 ② 成果目標の数値化されていないアクションプログラムが多く、適正な評価が 困難であった。 ③ アクションプログラムの実施前と実施後のコストと市民満足度の比較、また、 掛けたコストに対しての成果・効果の検証が不十分であった。 ④ 効果が上がらない項目の廃止、変更、新しい項目の追加や目標の再設定、改 善などが適宜行える仕組みが必要であった。 ⑤ プランの進行管理が不十分であった。 平成23年度から新たな行財政改革のための取り組みが始まった訳だが、次々と新た な課題が湧き出てくる行財政改革は、終わりが見えない改革であることがよくわかる。 「鎌倉行政経営戦略プラン」(平成18年度~平成22年度)における鎌倉行革市民会議 委員の意見の中には非常に興味深いコメントがある。 委員(1):5年間に及ぶ「鎌倉行政経営戦略プラン」の結果は、総体として前回の「か まくら行革プラン」と比較すると若干見劣りがする。行政側の”行革疲れ”ではないか。 行革の作業に追われてそれ自体が負担になることは避けなければならないが、そろそ ろ行革プランのあり方など、行革の進め方など見直しが必要な時期に来ているように 感じる。 委員(2):行革市民会議の存在意義を重視すべきである。一年間のアクションプログラ ムの実行結果を評価させるだけで、その後どう生かされているのかわからない。一応 19 市民の意見は聴いていますとの、市のアリバイ作りと思いたくなる15。 行財政改革を本格的に始めた最初の7年間では、200億円以上の効果額が出たが、ほ とんどが人件費の削減による財政効果(図-3参照)であり、ますます多様化する住民 ニーズや見通しの立たない厳しい経済状況などを考え合わせると、本来の目的である 住民の満足を満たすためには、形だけでなく広くガバナンスのあり方そのものの見直 しが迫られているのではないだろうか。 図-3 鎌倉市職員の人件費の推移 20,000,000 18,000,000 人件費(千円) 16,000,000 14,000,000 12,000,000 10,000,000 8,000,000 人件費(千円) 6,000,000 4,000,000 2,000,000 1,975 1,977 1,979 1,981 1,983 1,985 1,987 1,989 1,991 1,993 1,995 1,997 1,999 2,001 2,003 2,005 2,007 2,009 0 年度 (3) 職員数の削減(図-4 参照) 職員数については、「かまくら行財政プラン」の趣旨を踏まえたかたちで見直しを行 うための削減計画として、平成 11 年 12 月 6 日に「職員数適正化計画」が策定された。 削減目標は、自治省が公表している類似団体別職員数の修正値と比較して超過している 325 人(19.3%)を目標としている。計画期間は「かまくら行財政プラン」と同期間の 平成 11 年度(1999 年度)から平成 17 年度(2005 年度)までの 7 年間とし、当面の目 標として 1998 年(平成 10 年)4 月 1 日現在の職員数 1,802 人を、7 年間で 217 人(12%) 削減し 1,585 人とするものであった。実際には、平成 16 年 4 月 1 日現在までに 228 人 の削減を達成することができた。しかし、依然として厳しい財政状況にあるため、「か まくら行財政プラン」に基づく「鎌倉市の組織運営の基本的な方針」(平成 16 年 1 月 15 鎌倉市経営企画部行革推進課「鎌倉行政経営戦略プラン」(平成 18 年度~平成 22 年度)2011 年 11 月 20 22 日政策会議決定)を推進し、多様化・複雑化する市民ニーズに対して、最小の経費 で最大の効果を上げるために、また、さらなる職員数の適正化を図るために「鎌倉市第 2 次職員数適正化計画」が策定された。計画期間は、平成 16 年 4 月 1 日から平成 22 年 4 月 1 日までの 7 カ年間とし、150 人以上の職員を削減することを目標とした。この結 果、平成 16 年度の職員数 1,574 人を基準として、平成 22 年 4 月 1 日までの 5 年間で 150 人以上を削減する目標に対して、技能労務職の退職者不補充、指定管理者制度の導 入、非正規職員の雇用などにより削減を進めたが、消防出張所の新設など新たな行政需 要への対応が必要となり、平成 22 年 4 月 1 日現在の職員数は 1,428 人で、削減数は 146 人となった。平成 23 年 11 月には、後期実施計画のローリングに合わせて「鎌倉市第 3 次職員数適正化計画」(平成 24 年度~平成 27 年度)が策定された。目標は、平成 23 年 4 月 1 日の職員数 1,379 人を基準とし、平成 27 年 4 月 1 日までに、さらに 103 人削 減し 1,276 人とすることとした。 図‐4 鎌倉市の職員数の推移 1900 1800 職員数(人) 1700 1600 1500 1400 1300 1200 1100 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 1000 年度 2.行財政改革が自治体運営にもたらしたもの 岡本全勝は、 「戦後の行政改革は、予算や人員の削減というスリム化から始まり、近年 は行政のあり方の見直し、すなわち社会における行政の役割の見直しと、国民による行 21 組織の統治の見直しへと、目的が広がってきた。16」と言っている。しかし、地方自治体 では、行財政改革の限界を感じつつも、依然として予算や人員の削減に重点が置かれた 行財政改革が行われている。 鎌倉市を例にとると、1999 年頃から始まった現行の行財政改革に基づく職員数適正化 計画の影響が出始めたのが、2 年後の 2001 年頃からである。 図-5 に示す通り、休職者 に占めるメンタルによる休職者の数が、職員数の削減が進めば進むほど増加傾向にある ことがわかる。この図に表れたメンタルによる休職者数は僅かではあるが、潜在的には もっと多くの職員が心の病すれすれのところで頑張っていることが推察される。一般企 業のメンタル面での平均水準の疾患者は約2%程度(IT系は4~8%)といわれている 図-5 鎌倉市の休職者の推移 (人) 30 25 25 20 15 10 18 17 11 8 0 4 3 5 8 5 6 12 12 1 11 21 4 8 3 11 9 20 11 その他休職 メンタル関 係 8 7 6 2 10 20 17 13 8 5 12 19 17 12 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 (年度) が、鎌倉市では職員数の約 1.4%(2008 年度)の罹患率となっている。民間と比べると 低い疾患率ではあるが、急激な罹患者の増加による職場への影響は大きい。もちろんメ ンタルによる罹患者が、必ずしも職員数の削減によるものだけに限定することはできな いが、図-5 で見る限り、急激な職員数の削減による職員一人当たりの仕事の過重負荷が メンタルに影響していることが推測できる。急激な職員数の削減は、長い間に培われて きた事務や技術の継承へも影響が出ている。行政の公平性を保つためには、職員の判断 の元となる知識が同レベルであることが望ましい。しかし、住民のニーズが多様化・複 雑化する中で、ますます業務が細分化・専門家してくる傾向があり、3年から5年の人 16 岡本全勝、2011 年、「行財政改革の現在位置~その進化と課題」『年報 22 公共政策学』vol.5,2011 ,p.37 事異動のスパンを考えると、法体系のまったく異なる部署へ異動し、短期間で多くの知 識と経験を受け継ぐことは容易いことではない。特に採用されて間もない職員は、抱い ていた役所のイメージとは裏腹に、知識が十分でない中での責任ある事務に困惑し、メ ンタルへと移行する職員も少なくない。人事異動が原因でメンタルに罹患することが多 いのも理解できることである。こんな職員の内情も受け入れられずに、行財政改革は待 ったなしで進められている。 近年は、人件費削減のため時間外労働の制限も厳しくなってきているが、一方では、 住民ニーズの多様化・複雑化に加え、時代の移り変わりの早さから頻繁に行われる制度 改正などによって業務量の増加が余儀なくされている。このような板挟み状態も職員の メンタルヘルスには大きく影響していると考えられる。小さな政府へ向かう過渡期とは いえ、自治体職員にとっては厳しい時代である。住民が求めているのは、無駄のないよ り効率的な自治体運営であることは理解できるが、住民の思いと住民にとっての満足度 が一致しているとは考えにくい。自治体が元気でなければ、行政サービスが低下するの は必然である。ただただ行財政改革を進めて、小さな政府を目指す時代は終わったので はないだろうか。まずは閉塞感があふれた自治体職員のやる気と元気を取り戻さなくて はならない。そして、岡本全勝のいう「社会における行政の役割の見直しと、国民によ る行政組織の統治の見直し」を真に進めていかなければならない時代がきているといえ る。 3.鎌倉市の行政評価 鎌倉市の行政評価は、第3次鎌倉市総合計画第2期基本計画における「行財政運営」 において、「成果志向の行政経営への転換」「行政の効率化と財政の健全性の確保」「政 策立案機能の強化」等の6点を基本方針としており、行政評価の取組については、都市 経営を行っていく上での必要なツールとして位置付け、継続的に実施してきている。 鎌倉市の行政評価の取組の経緯を見てみると、事務事業評価については、平成14年度 に試行、平成15年度に本格導入している。施策進行評価では、第3次鎌倉市総合計画第 2期基本計画の政策・施策体系の分野を対象とし、平成18年度の試行を経て、平成19年 度から本格導入している。 また、外部の意見を反映するために、平成16年4月1日から専門評価委(行政評価ア ドバイザー)による外部評価が実施され、また平成18年10月18日から、市民評価委員から なる鎌倉市民評価委員会による施策進行外部評価(全分野評価・スポット評価)が実施さ れている。 平成22年7月には、「鎌倉市事業仕分け」が実施された。構想日本の仕分け人3人、公 募により選出された市民評価人2名と外部からのコーディネーター1名の計6名を1班と して3つのグループをつくり、事前に選定された個別事業30事業について、国と同様の手 23 法で仕分けが行われた。結果として、不要事業(11)、民間委託により行うべき事業(2)、 国・県・広域で行うべき事業(1)、要改善事業(19)、現状通り(0)という仕分け結 果であった。財政効果としては、5,321万7千円の減となった。 平成23年7月には、前年に続き第2回目の事業仕分け「平成23年度鎌倉市民事業評価」 が実施された。前年度との手法の違いは、コーディネーターを除き仕分け人が全員市民公 募によって選出された市民評価人である点と、また、選定した事業は個別事業ではなく、 鎌倉市の施策体系における中事業単位で実施した点である。 現場を詳細に知らない仕分け人が、短時間で事業を不要と判断する行政評価の手法には 疑問が残る。平成22年度と平成23年度と手法に多少の違いはあるが、傍聴者の数が、平 成22年度に比べて平成23年度は激減していることも、事業仕分けという手法のパフォー マン性の強さがうかがえる。先に国で行われた事業仕分けが、実効性の乏しいことを目の 当たりにしている住民にとって、その信頼度が高いとは思えない。事業仕分けという手法 に頼らなければならない鎌倉市の現状に、行政評価の手法だけでなく、自治体自身の行き 詰まり感を覚える。 4.行政評価とマネジメント 現在、鎌倉市では、内部評価として、施策進行内部評価と事務事業評価を中心とした 行政評価が行われている。また、外部評価としては、専門家と市民で構成する鎌倉市民 評価委員会が行う、総合計画の基本計画に掲げる施策の進行評価を行っている。外部評 価の目的は、 「行政が実施している施策や事務事業が、市民のため、かつ無駄なく適切に 実行されているかを評価検証すること」としている。行政評価は、1995 年(平成 7 年) に三重県で当時の北川知事の下で NPM の考え方に基づく「事務事業評価」が導入された ことで始まり、一気に全国の大規模自治体へ広がった。国においては、2001 年(平成 13 年)に施行された「行政機関が行う政策の評価に関する法律」に基づき各省庁で政策評 価が実施されている。 鎌倉市では、2003 年度(平成 15 年度)に正式に導入した。鎌倉市における事務事業 評価の目的は、 「客観的な基準や成果指標から妥当性や有効性、効率性等を評価して事務 改善することにより市民サービスの向上を図り、また同時に説明責任を果たすこと等に ある。」としている。目指す目標としては、①数値等を用いた事務事業の目標管理(達成 度(成果)の測定による目標管理) 、②数値による業績測定(客観的で透明性の高い、市 民にわかりやすい行政運営)、③マネジメントによる事務改善(評価結果を予算編成や総 合計画の進行管理との体系付けを図り、次年度以降の事務事業の改善に活用するため、 PDCAによるマネジメントを意識した事務事業執行を促す)④市民と情報共有化(評 価結果を公表し、市民との情報の共有を図り、広く積極的に市民から意見を求める)の 4つを掲げている。明治大学大学院の北大路は、政策評価研究「9.事務事業評価の意義と 24 マネジメント・ツールとしての限界」として次のように述べている。 9‐1 意義 「予算や人員の投入の価値があるかどうかを『必要性』だけでなく、『成果』 から評価することの意義は大きい。資源(予算・人員)の最適配分を考えるに は効果がある。(中略)一定の期間実施して、価値の低い事務事業を洗い出 した後は、役目を終えるという性格の評価手法と考えられる。」 9‐2 マネジメント・ツールとしての限界 「PDCAというマネジメントの機能は、本来投入(予算・人員)の見直しの ためではなく、作戦(行政活動)の見直し、改善改革の創出のためのものであ る。このマネジメント機能を発揮するための評価のしくみとしては、事務事業 は全く向いていない。作戦内容が体系的に記述できないからである。」17 鎌倉市の事務事業評価は、平成 15 年度から正式導入し、すでに 8 年が経過している。 事務事業評価導入当初は、行財政改革を進めるため「かまくら行財政プラン」も同時に 推進していた時期であり、経費削減や事務効率化に一定の効果が認められたが、その後 平成 18 年度以降は財政効果も顕著ではなくなっている。このことは、価値の低い事務事 業を洗い出す目的はすでに終了しており、事務事業評価の役目も終わっていると考える ことができる。 事務事業評価は、わたし自身も行政職員時代に携わった経験があるが、評価の目的す らはっきりしないまま、本来業務の合間に限られた時間の中で、ある意味やっつけ仕事 で進めなければならず、とても十分な評価内容とは言えないものであった。評価を実施 する側も、手探りで実施しており、毎年のように少しずつ形式が変動し、ようやく最近 落ち着いてきたところである。しかし、問題はその成果であり、住民への説明責任は果 たせたとしても、本来の行政目的としているアウトカムの達成に結び付いているか、ま た、評価結果を今後の計画や予算に反映できる仕組みとなっているかは、はなはだ疑問 である。 事務事業評価によって、PDCAサイクルによる組織のマネジメントまでも行おうと してきたことにも、そもそもの間違いがあるのではないだろうか。一方で、行財政改革 と題して職員の急激な削減を行い、削減にもともなう手当も十分にしにまま数合わせ的 な人事管理を行ってきたことによって、組織がちぐはぐとなってしまっている。現場の 職員は目指すべき共通目的もはっきりせず、モチベーションは低下するばかりである。 事務事業評価とマネジメントは、本来別物であり、はっきり分けて考えるべきである。 そして、予算や人員管理も含めた組織全体のマネジメントを進めるためには、現在の鎌 倉市の特性に合った、新たな行政評価手法の検討が必要と考える。 17 北大路信郷 明治大学公共政策大学院 ント・ツールとしての限界」 2011 年度講義 「政策評価研究」 「事務事業評価の意義とマネジメ 25 第4章 地方分権の現状 ここで地方分権を論ずるのは、これからの自治のあり方を論ずる上で避けては通れな いからである。地方分権とは何なのか。その経緯と地方自治体の現場から見た現状を論 じたい。 1. 地方分権の経緯と地方自治体の現状 地方分権という言葉が脚光を浴びたのは、2000 年(平成 12 年)に「地方分権一括法」 が施行されたころである。地方分権という言葉の経緯を遡れば、 「地方分権の推進に関す る決議」がされたのが、1993 年(平成 5 年)の宮沢内閣の時である。1995 年(平成 7 年)5 月には「地方分権推進法」が成立し、同 7 月に「地方分権推進委員会」が発足した。 地方分権推進委員会による 4 回にわたる勧告ののち、平成 10 年(1998 年)5 月に「地方 分権推進計画」が閣議決定され、第 5 回目の勧告ののち、翌年 1999 年(平成 11 年)3 月には「第二次地方分権推進計画」が閣議決定された。同年 7 月に「地方分権一括法」 が成立し、翌年 2000 年(平成 12 年)4 月から施行された。主な内容は、①国及び地方 公共団体が分担すべき役割の明確化、②機関委任事務制度の廃止及びそれに伴う事務区 分の再構成、③国の関与の見直し、④権限委譲の推進などであった。地方分権という言 葉が世に出て、一括法として法になるまで 7 年間を要した。 2001 年(平成 13 年)4 月 28 日には、森内閣から小泉内閣へ代わり、2006 年(平成 18 年)9 月 26 日までの約 5 年半に及ぶ政権の始まりであった。同年 6 月に地方分権推進 委員会が最終報告を行い、「今後の経済財政運営及び社会の構造改革に関する基本方針」 (基本方針 2001)が閣議決定された。同年 7 月に「地方分権改革推進会議」が発足。2002 年(平成 14 年)5 月に「地方財政の構造改革と税源移譲について」(片山試案)を発表。 同年 6 月に「経済財政運営と構造改革に関する基本方針 2002」 (基本方針 2002)が閣議 決定され、三位一体で改革を進めることを初めて決定した。2003 年(平成 15 年)6 月、 「基本方針 2003」を閣議決定(4 兆円の補助負担金改革を決定)。2004 年(平成 16 年)、 「基本方針 2004」を閣議決定(3 兆円の税源移譲を目指し、地方に改革の具体案のとり まとめを要請)。同年 8 月、地方 6 団体の改革案を政府に提出した。同年 9 月、三位一体 改革に関する国と地方の協議の場が発足。同年 11 月、「三位一体改革について」政府・ 与党が合意した。2005 年(平成 17 年)6 月、 「基本方針 2005」を閣議決定。 (2006 年ま でに三位一体改革を確実に実現するための取り組みを決定)。2006 年(平成 18 年)7 月、 「基本方針 2006」が閣議決定。小泉内閣を引き継いだ安倍内閣により、同年 12 月には 「地方分権改革推進法」が成立し、2007 年(平成 19 年)4 月に「地方分権改革推進法」 が施行された。同時に「地方分権改革推進委員会」が発足。同年 6 月には、 「地方財政健 全化法」が成立。「基本方針 2007」が閣議決定された。 その後 2009 年(平成 21 年)8 月の衆議院総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が行わ 26 れた。安倍内閣の時に発足した「地方分権改革推進委員会」が第 4 次まで勧告を行い、 代わって、鳩山内閣によって 2009 年(平成 21 年)11 月 17 日に閣議決定された「地方 主権戦略会議」が後を引き継いだかたちで設置された。その内容として、10 項目が示さ れた。「規制関連」では、法令による自治体への義務付け・枠付けの見直しと、基礎自治 体への権限委譲の 2 つ。 「予算関連」では、一括交付金、地方財財源の充当確保、直轄事 業負担金の廃止、緑の分権改革の4つ。「法制関連」では、地方政府基本法制定、自治体 間連携、出先機関改革、国と地方の協議の場の法制化の4つであった。2010 年(平成 22 年)6 月には「地域主権戦略大綱」としてまとめられ、閣議決定され、審議が進められる こととなった。義務付け・枠付けの見直しと、基礎自治体への権限委譲は一定の成果を あげたが、一括交付金と出先機関改革は現在難航している。 2010 年(平成 22 年)6 月に、鳩山首相から菅政権に代わって、菅首相の関心の薄さか らか地域主権改革に失速感が出ていたが、2011 年(平成 23 年)4 月 28 日にようやく、 2010 年(平成 22 年)の通常国会から継続審議となっていた、地域主権改革関連 3 法案 (「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための整備に関する法律」、 「国と地方の協議の場に関する法律」、 「地方自治の一部を改正する法律」)が可決、成立 した。2011 年(平成 23 年)9 月に菅政権から野田新政権に代わり、「地域主権戦略」が どれだけ引き継がれるかは、まだ未知数である。しかし、改革のスピードには緩急があ るにしても、少しずつ分権に向けて歩んでいるように見えることは確かである。 1993 年に「地方分権の推進に関する決議」がされてから 18 年がたち、今、地方自治 の現場では何かが変わったのだろうか。残念ながら、大きく変わった印象はない。それ は、市町村へは肝心の財源である一括交付金(地域自主戦略交付金)がまだ交付されて いないことが大きい。2012 年度(平成 24 年度)に向けても市町村への交付は現段階で は不確定な状況である。もう一つは、先にも述べたが、出先機関改革が進んでいないこ とである。九州では、7 県知事らで、国の出先機関の事務や人員をすべて引き受ける「九 州広域行政機構」(仮称)構想を打ち出している。設立の狙としては、①よりスピーディ ーで地域にあった政策展開、②二重行政と批判のあった国の出先を一体化することによ る県行政との連携強化、③縦割り意識が強い出先機関の統合による効率化などを挙げて いる。閉塞感の強い我が国の現状を変えていくためには、地域活力の創造が不可欠であ るにもかかわらず、その現実に向けた取り組みは遅々として進んでおらず、関係省庁は 消極的な姿勢を崩していないとしている18。 現在、神奈川県から鎌倉市への事務の権限委譲については、対象項目 73 項目のうち 63 項目(80.8%)の権限委譲(平成 23 年 9 月 6 日現在)が済んでいるが、分権が進んだと いう実感には乏しい。今まで権限委譲された項目が、住民や社会に大きな影響を及ぼす ほどの権限移譲ではなかったことを示している。これは政府官僚の権限(集権)への執 18 毛利聖一、2011 年、「地方出先機関改革と受け皿」『都市問題』2011 年 10 月号,p.70 27 着があるのではないかと考える。地方分権推進法第2条では、地方分権推進の基本理念 として、「国と地方公共団体とが分担すべき役割を明確にし、 地方公共団体の自主性及 び自立性を高め、 個性豊かで活力に満ちた地域社会の実現を図ること。 」としている。 本来、権限、財源、人間、情報を地方に分散させ、地方が自律的に政策を決定できるよ うにして、地域的な多様性への対応、行政サービスの効率化、住民の意思の反映、権力 の集中による濫用防止などを目的としているはずである。今の、鎌倉市を見る限りでは、 目指す目的にはまだまだ遠い。自治体で働いている職員をみても、分権化への意識も心 構えも体制もまだまだ整っていないように感じる。 2. 地方分権における市民参加 ち 地方自治は、地域の住民自らが自らの地域のことを考え、自らの手で治めていこうと する「住民自治」と、地方自治体が自主性や自立性を持って、自らの判断と責任の下に 地域のことを考え、自らの手で治めていこうという「団体自治」の二つの自治を基本と しているが、これまでは、住民が行政への依存を強め、住民自治よりも団体自治にバラ ンスが傾いていた時代であったと思われる。分権時代にふさわしい地方自治の確立を目 指すためには、肥大化した行政の諸課題を解決していくとともに、弱体化した住民自治 の再構築を図っていくことが必要である。 分権が進んだかどうかをみる二つのポイントがあると前総務大臣片山善博氏は言って いる。 一つは、団体自治から見て「国から団体に権限が移りつつあるだろうか」とい うこと。もう一つは、住民自治の観点から「団体の中で意思決定をするが、より住民に 近い方にいっていますか」ということである。「県よりも市町村、市町村の中でも首長 より議会、できれば議会からさらに住民に近づいているだろうか」19という物差によって 分権が進んでいるかどうか判断できるとしている。議会が住民に近づいているかどうか といえば、まだまだ十分とはいえない。地方分権と議会との関係については次の項目で 述べたい。 真の地方分権は、地域住民が自分たちの公益を増進するために自由に意見を述べ、自律 的・主体的に行動し、地方行政機関と協力していくことで実現すると言われており、現代 社会では市民参加が自治や地域主権の基本であることには異論はないと思われる。一般 に「市民参加」と言う場合、2種類の市民参加がある。一つは、行政機関の外で主体的 に展開される公益増進活動(NPO等の諸活動)への市民参加であり、もう一つは、政 治・行政活動、とくに政策・施策の形成及び決定過程への市民参加である。現在、市民の 公益活動を活性化させるために、NPOを積極的に活用し、支援していこうという動き が自治体の中で強まっている。しかし、将来にわたって公益事業の権限を含めた行政か 19 片山善博、2007 年、『地方分権はすすんでいるか』日本記者クラブ http://www.jnpc.or.jp/files/opdf/294.pdf 28 らの事業委譲が行われないままで、行政によるNPOの活用を行っていくことは、NP Oの主体性を失わせ、行政機関の安価な下請組織を育てることにつながりかねない。権 限を含めた全面的な事業委譲は難しいとしても、できるところから段階的に事業委託を 超えて事業委譲は行われるべきであり、NPO活動を促進する施策において、支援する 行政機関も、支援されるNPOも、NPOの主体的な判断を尊重することに十分配慮し て、育ち、育てる必要がある。このことを考えれば、もう一つの政治・行政活動への市 民参加、特に政策・施策の形成及び決定過程への市民参加が非常に重要となる。自律的・ 主体的な市民と行政が政策的に合意し協力していけば、自治のありかたを変えていくこ とも可能と思われる。政策・施策の形成過程への市民参加に積極的でない理由としては、 公益に対して自分の意見を述べ、責任を持って行動する個人が育っておらず、日本には 市民社会が確立していないといえる。地方分権の実現には、社会に対して責任と能力を 備えた市民団体が育つことが必要であり、市民であることを自覚した地域住民が増えて いくことが大切であると考える。それは、日本社会においては、自治・権利・責任・参 加の意識が非常に希薄であることに起因している。元来日本では、イギリスで行われて いるようなシチズンシップ教育が行われて来なかったからである。グローバル化がます ます進む中で、日本人としてしっかりとした自治・権利・責任・参加の意識を持つため には、初等教育からのシチズンシップ教育20を行うことが大切と考える。 鎌倉市を例にとると、前者の「行政機関の外で主体的に展開される公益増進活動(N PO等の諸活動)への市民参加」については、平成 19 年度から、市民活動団体や市が協 働事業を提案する仕組みをつくりを現在も継続的に行っているところである。後者の「政 治・行政活動、とくに政策・施策の形成及び決定過程への市民参加」については、平成 6 年に行われた「鎌倉市都市マスタープラン」の策定や、平成 15 年~平成 17 年にかけて 行われた鎌倉市第 3 次総合計画第2期基本計画の策定時には、市民100人による「明 日の鎌倉を創る市民100人会議」を立ち上げ、市民参画による基本計画の策定が行わ れた経過がある。また、市民と市の協働によって、鎌倉市自治基本条例の素案を策定す ることを目的として「鎌倉市自治基本条例策定市民会議」が 2006 年(平成 18 年)5 月 16 日に発足し、2009 年(平成 21 年)3 月 31 日までの約 3 年に渡り市民を中心に議論が 行われた。結果としては、鎌倉市自治基本条例(案)が一つに絞り切れずに、委員の中 で3つの考え方に分かれ、3つの案が策定されている。現在、市の担当部局において、 策定に向けて検討を重ねているところである。 3.地方分権における議会の役割 地方分権における議会の役割は重要である。先にも触れたが、片山善博氏の言うよう に、住民自治の観点から「団体の中で意思決定をするが、より住民に近い方にいってい 20 キース・フォークス著・中川雄一郎訳、2011 年、『シチズンシップ』.日本経済評論社. 29 ますか」ということが重要と考える。議会制民主主義が本当に民主主義として機能する ためには、代表者(議員)の構成が、民意を正しく反映するものでなければならない。 そのためには、住民の意思を可能なかぎり反映できるような選挙制度が要請される。ま た、議会においては、多数決による決定の前に、少数意見を最大限に尊重した冷静な討 議がなされなければならない。そのためには、議会と住民との距離をいかに縮めていく か、いかに議会と住民とが共通認識を持つことができるかが大切と考える。現在、分権 改革の中では、住民による直接民主制の強化、特に住民投票制度の法制化についても様々 な議論がされているところである。 鎌倉市では、2006 年度(平成 18 年度)を初年度とする第 3 次鎌倉市総合計画第 2 期基 本計画において、 「真の地方自治の確立をめざす」として、市民主権の自治体運営の基本 理念、制度、基本原則を明らかにする(仮称)自治基本条例を制定することとしている。 自治体の憲法とも言われる自治基本条例制定への取り組みが進められる中で、議会とし ても自治基本問題について議論し、一定の考え方をまとめることが必要であるとの観点 から 2006 年(平成 18 年)6 月から 2008 年(平成 20 年)5 月までの 2 年間、「自治基本 問題調査特別委員会」を設置して議論を進め、2008 年(平成 20 年)6 月に議長あて報告 書を提出している。2011 年(平成 23 年)12 月現在、 「自治基本問題に関する調査研究報 告書」を元に議会運営委員会の中で、議会基本条例の制定を視野に入れながら議論を深 めているところである。分権時代に合った議会の役割を明確にするために検討を深めて いるところであり、主な検討内容は次の通りである。 ア 議会の権能と責務 ① 地方分権時代における市民自治の確立のためには、議会の権能と責務を再認識す る必要がある。 ② 議会の権能とは、地方自治法の定めるところにより、条例の制定改廃、予算の決 定などの議決、市政に関する事項で別に法令及び条例で定められた事項について 議決することであり、市民の意思が市政に反映され、適正に市政運営が行われて いるかを監視し、牽制することである。 ③ 議会の責務は、会議を公開し、議会が保有する情報を市民と共有し、開かれた議 会運営に努めることである。そのためには、自らの権能と責務に関し基本的な定 めを行い、市民に対し議会の役割を明確にすべきである。 イ 議員の責務と倫理 ① 議員は、立法機関の一員として、調査研究、政策立案活動及び審議を通じて、そ の役割を果たす責務を負う。 ② 議員は、議案提出権を積極的に行使し、条例などの制定に努める。 ③ 政治倫理に関する規定については、条例化を見据えてその確率を図る。 ウ 情報の収集と公開 30 ① 議会と市民あるいは団体との距離を縮めるために、議会情報の公開と意見聴取・ 収集等の新たなルールづくりが必要である。 ② 議会図書室の機能を充実させ、一般の利用も含め、活用を図る。 エ 議員立法などの政策立案機能の強化 ① 議員の政策立案能力の強化という観点から、情報を確保するルールが求められて いる。 ② 議会として政策立案機能を向上させることは重要な課題であり、議員立法の機会 をふやすための環境整備が必要である。 ③ 政策立案機能、監視・牽制機能の強化の観点から、専門家の知見を効率的に活用 できるようにすることが重要である。 ④ 政策立案機能の強化の観点から、議員間の円滑な意見交換を行う場として、政策 研究会、懇談会等の設置を検討する。 オ 監視・牽制機能の強化 ① 監視・牽制機能を強化するために、必要に応じて、議決事件の範囲拡大を検討す る。 ② 監視機能の強化の観点から、行政から議会への報告については、より積極的な対 応を求める。 ③ 諮問機関等各種審議会における審議経過を担当の常任委員会に適時報告するこ とが必要である。21 エの④の政策研究会、懇談会等の設置については、現在超党派の議員により「政策 法務研究会」を立ち上げ、2012 年(平成 24 年)2 月議会を視野に入れながら(仮称) 「鎌倉市自転車の安全利用促進を促進する条例」の制定を目指して活動しているとこ ろである。また、オの①における議決事件の拡大においては、地域主権改革 3 法案の 一つである地方自治法の一部が、2011 年(平成 23 年)5 月 2 日付けで改正、同 8 月 1 日で施行され、市町村基本構想の策定義務、いわゆる義務付けが撤廃されたため、今 後の検討課題としている。 昨今、議会改革は多くの地方自治体で盛んに行われている。その中心となる課題は、 地方議会における二元代表制のあり方である。住民と議会、議会と首長との関係であ る。先にも述べたが、議会は住民との距離を如何に縮めるかが最大の課題であり、住 民の代表としての機能を充分発揮できるような仕組みづくりが急務である。 21 自治基本問題調査特別委員会、2008 年、『自治基本問題に関する調査報告書』 31 第5章 民間活力の可能性 1.鎌倉市の市民活動 (1) 鎌倉の市民 第 1 章でも述べたが、鎌倉に住む住民の特色は、明治以降に鎌倉に住みついた人々 が多いという点である。海と山に囲まれた歴史的風土を持つ旧鎌倉地域は明治以降別 荘土地・観光都市として発展した。昭和 30 年代後半からは山々が削られ宅地造成が始 まり、次々と大規模団地がつくられ、首都圏からの多くの転入者により住宅都市とし て発展してきた。次第に、鎌倉の地つきの市民よりも、都心から鎌倉の風土に魅せら れて移り住んだ市民の方が多くなっていった。これらの新しい住民は、地つきの住民 とは異なるまちに対する想いや見方を持った住民が多く、ある意味特異なまちの形態 であるといえる。 (2)鎌倉市の市民活動のはじまり 市民活動の先駆けになったのは、大正4年に、明治の元勲陸奥宗光の子息であり外交 官であった広吉の主導によって政財界人たちで結成された、鎌倉同人会であった。駅舎 の改築、郵便局の開設、松並木の保全、国宝館の開設など、市民レベルを超える積極的 な活動を行ったことが、市民活動のはじまりといえる22。 1960 年代の高度成長期にお ける宅地開発は、鎌倉のシンボルである鶴岡八幡宮の裏山、御谷(おやつ)の森まで迫 り、大佛次郎を中心とする文化人・市民・学者・僧侶が立ち上がり、わずか1週間で2 万人を超す署名を集めて、市と県へ陳情を行った。1964 年(昭和 39 年)のことであっ た。19 世紀の産業革命によって急速に失われていく自然を守るためにイギリスで始ま った「ナショナルトラスト」の考えを取り入れ、御谷の森を買い取るための募金活動も 行った。2年で住民からの寄付金は900万円にのぼり、市からの600万円を合わせ た1,500万円で1.5ヘクタールの土地を買い取り、御谷の森を守ることに成功し た23。この運動は、通称「御谷騒動」といわれ鎌倉の市民にはよく知られているが、こ の市民による果敢な反対運動によって、日本初のナショナルトラストとして(財)鎌倉 風致保存会を生み、全国へナショナルトラスト運動は広がり、1966 年(昭和 41 年)に 「古都保存法」が制定されるきっかけともなった。 この鎌倉市民の思想と運動は、その後の市民活動の原動力として後世へ引き継がれて いったが、時として、先駆的であるがゆえに市民と行政との対立の要因ともなった。そ のような経過を経て市民の意識や行動も徐々に成熟していった。平成8年には、市民の 22 23 藤井経三郎「鎌倉の歴史と風土と市民」http://www3.ocn.ne.jp/~npo-kama/htdocs/kamakura.htm 渡辺光子、2009 年、「市民力を活かす」『ランダムハウス講談社』.p.5 32 参画によって、環境自治体の創造を理念とする第三次総合計画が策定された。 行政と 適度な緊張関係を保ちながらも協調し、かつ協働しようとする多くの市民がその中核と なっていった。鎌倉の環境自治体づくりは、市民と行政の協働で進められていった。都 市マスタープランの策定では、ワークショップ等へ積極的に市民が参画し、パークアン ドレールライド交通実験やゴミ半減化などの政策を進めていった。また、鎌倉風致保存 会では会員制度を導入し、市民の汗で活性化しようと山林の手入れと保全活動を展開し ていった。鎌倉の世界遺産登録推進を目指す活動も、市民が中心となって活動が始まっ ていった。 先人から引き継いだ歴史や文化そして風土を受け継ぎながら、次の世代に何を遺せる のか、市民と行政との協働のしくみやミッションもそのひとつであり、その成果がます ます期待されている。 2.鎌倉市のNPO (1) 鎌倉市市民活動センターができるまで 平成8年7月、市民活動団体代表者による「鎌倉市市民活動支援検討委員会」(愛 称 市民サポート委員会)を鎌倉市の呼びかけで組織し、市民活動への支援のあり方 と方策の検討が実施された。 まず、委員会によって市民活動支援を検討する素材として、市内の市民活動団体を 対象にしたアンケートによる実態調査が行われた。調査は83.5%(発送総数86 3件 回収数721件 有効回収数696件)という高い回収率で、それによって鎌倉 市の市民活動団体は非常に多様であることがわかり、市民活動団体の可能性と課題が みえてきた。 可能性とは、透明性の高い運営や他団体とのネットワークの形成や行政とのパート ナーシップの構築など。そして、課題は団体によって様々ではあったが、人、モノ(場 所)、金の3要素だった。委員会による13回に及ぶ検討を経て、平成9年3月、鎌 倉市長に対して、「鎌倉市の市民活動支援のあり方について」提言書を提出した。そ の提言の中で、『市民は社会における主役であり、市民一人ひとりの知恵と力が結集 した市民活動に期待が高まっており、社会の多様性の創出と安定に大きく貢献する。』 とした。しかし、市民活動団体の多くは規模が小さく、自立の道を模索していた。そ こで、支援の基本的な6つの方策を提案した。 6つの方策とは ① 市長から支援の理念と方策の表明 ② 会議室・作業室などの空間と機能の提供 ③ 参画・協働・課題解決のための情報提供 ④ 学習・研修の機会の提供 33 ⑤ 人材の紹介・派遣・交流 ⑥ 活動資金の助成・融資 この提言を受け、平成9年度に提言の具体化をめざし、公募による第2次市民活動 支援検討委員会を設置し、市役所の関係各課と継続した検討をすることが、鎌倉市長 から表明された。 第2次市民サポート委員会では、13回に及ぶ全体会議を開催し、NPOセンター の運営の仕組みや組織体制等の検討が行われた。また、全体会議のほかに次のような 3つの分科会チームを設け、全体会議で議論されたことの具体化を図った。 ① 「場の支援」の検討をするAチーム ② 「情報の支援」の検討をするBチーム ③ 「学習・研修の支援」の検討をするCチーム 公設市民運営という方式が実際に可能か否かどうかを確かめるために、NPOセ ンター鎌倉の運営実験が約1カ月に渡り行われた。委員の所属団体が当番となって、 原則として土・日・休日を含めた朝9時から夜9時まで窓口に常駐した。 利用状況は、件数73件、利用人数251人で、コピー機・簡易印刷機の利用が非 常に多く、またミーティングルームを利用した打ち合わせもかなり多く、センター機 能の役割が確認された。 Cチームが中心となって、公開フォーラム「元気な市民活動を目指して」(平成1 0年2月7日)を開催したほか、委員会の検討経緯を広く知ってもらうため、Bチー ムが中心となって、ニューズレター「鎌倉パートナーズ」も4回発行した。こうした 検討や実験を重ねた末、平成10年5月1日、日本初の公設市民運営による鎌倉市市 民活動センターが、鎌倉と大船の 2 か所に開設された24。平成 18 年 4 月 1 日からは、 特定非営利活動法人「鎌倉市市民活動センター運営会議」として、鎌倉市の指定管理 者となり、市と協定を結び、施設の管理を行っている。 業務内容は次の通りである。 ア.NPOセンターの仕事 ① さまざまな活動に対する市民活動団体の自立を助ける ② 市民活動団体と行政との協働の土壌づくり ③ 活力ある市民社会の実現をめざす イ.支援内容 ① 活動の場所の提供 ② 相談・コーディネート ③ 情報の提供 ④ 学習・研修の機会の提供 24 「鎌倉の NPO センターができるまで」http://www3.ocn.ne.jp/~npo-kama/htdocs/history.htm 34 ⑤ 資金の助成 (2) 鎌倉市のNPO 現在、鎌倉市市民活動センター(通称「NPOセンター」)が中心になって鎌倉の NPO活動が行われている。平成 23 年 10 月現在のNPOセンター登録団体数は、403 団体であるが、登録外の団体を含めると 800 団体を超える団体が鎌倉市で活動してい る。日本では珍しくNPO(市民活動)に対する市民意識の高い土地柄であることが わかる。活動内容は、環境、国際交流、まちづくり、福祉、子育てなどの活動が多く を占めている。1 団体の規模は比較的小さく、平均的に 30 人から 50 人くらいの規模の NPOが多い。現在のNPOセンターの運営上の課題としては、登録団体数に比して 活動拠点となるNPOセンターが狭く、事務所を持たないNPO団体が集まる場所が 少なくて、思うような活動ができないことである。もう一つは、運営の財源が少ない ことである。財源の確保と安定的な運営が、現在の最大の課題である。 財源に関しては、NPO法人へ対する寄付に対して税制上優遇する範囲を拡大する 改正NPO法が、2011 年 6 月 15 日の参院本会議で、全会一致で可決、成立したことは 大きい。寄付文化の定着と財政的に厳しい環境に置かれている日本のNPOの組織基 盤の向上にむけて、一歩前進したといえる。神奈川県においても、2011 年 12 月議会に おいて、 「NPO法人に対する寄附促進の仕組みに関する条例」が可決している。鎌倉 市においても現在、市税に関する優遇措置の条例化に向けて検討を進めているところ である。 3.鎌倉市の協働事業 (1) 仕組みづくりの経緯と協働関係の課題 平成 14 年 7 月に、「NPOと行政職員による協働推進研究会」が発足し、研究会での 協働の基本的な考え方や協働における問題解決のための具体的な検討が行われ、平成 17 年 3 月に最終報告書『NPOと市が共に汗する仕組みづくり~システム「協働事業の循 環」~』が市に提出された。これを受け、同年 5 月、関係課職員による「鎌倉市NPO 等との協働事業推進庁内連絡会」を設置し、最終報告書で提案された仕組みの実現に向 けて、平成 18 年 3 月『協働事業の拡大に向けて鎌倉市協働事業推進の仕組みづくり』の 報告書をまとめた。 その後、「協働事業推進の仕組み」の制度化を検討するため、平成 18 年 6 月、関係課 職員による「鎌倉市協働事業推進連絡会」を設置し、適宜、特定非営利活動法人鎌倉市 市民活動センター運営会議と合同会議を設け、「協働事業推進の仕組み」の流れの検証 と協議を行い、平成 19 年 1 月に平成 18 年度報告書『市民活動団体と鎌倉市との協働事 業推進に向けた取組みについて』を作成した。 これまで、市民活動団体と市が協働で事業を行おうとする場合には、団体も担当課も 35 協働の相手を自分で探し、直接交渉しながら事業を実施していが、平成 19 年度から市民 活動団体や市が協働事業に取り組む方法の 1 つとして、市民活動団体や市が協働事業を 提案する仕組みを設けた。 事業の種類は次の 2 種類とした。 1) 市民活動団体提案協働事業 市民活動団体に公益的な事業の実施プランを市へ提案してもらい、市民活動団体と市 が提案内容について協議しながら協働事業の実施に取り組むもの。 2) 市提案協働事業 市が示した事業の構想及び概要に対し、市民活動団体から事業の具体的な実施プラン などの提案を受け、市民活動団体と市が協議しながら協働事業の実施に取り組むもの。 この官と民との協働事業(相互提案協働事業)がかたちになるまでの、市民活動団体 と鎌倉市との話し合いを改めて見てみると、官民協働の永遠のテーマがあるように思え る。 ここでその一部に触れてみたい。表-2 は、 「NPOと行政職員による協働推進研究会」 の中間報告の中で、協働事業を進めるにあたっての 7 つの課題を解決するために、NP O側 10 名と行政職員 10 名が本音の話し合いをした時の記録である。この記録を読めば 読むほど、NPO側と市の職員側との発想の根本的なずれを感じる。例えば、NPO側 の(A)-Ⅰ-②「行財政改革の視点だけで見ないで」、(A)-Ⅴ-①「NPOを下請けと見な いで」などに対して、現在でも市側に行革的な視点が全く入っていないとは言い難い。 市側の、(B)-Ⅰ‐⑥「困難な事が発生しても逃げないで」、(B)-Ⅴ-③「自主財源の確保 に努力して」や(B)-Ⅵ‐「①メンバーのスキルアップする方策を考えて、③しっかりし たボランティアではない事業体制を確立して、④次の世代を担う人材を育てて」という 意見は、NPO自体の組織の確立が未完成であることへの不安の現れではないだろうか。 (A)-Ⅱ-③「対等であることを忘れないで」という「対等」については後でも触れるが、 本当に対等という考え方で行われているか疑問である。NPO側の(A)-Ⅶ-⑤「NPOを 作って育てることを考えて」は、今後協働事業を進めていく上で、市として十分配慮し ていかなければならないことと考える。これら一部を見るだけでも課題は多く、協働事 業には、まだまだ根本的な課題が多く残っているといえる。 36 表-2 協働する関係を築くための 7 つの課題に対する本音の意見 Ⅰ 信 頼 関 係 の 構 築 Ⅱ 意 見 交 流 の 促 進 Ⅲ 情 報 交 流 の 活 性 化 Ⅳ 周 辺 の 理 解 促 進 Ⅴ 資 金 の 確 保 Ⅵ 事 業 の 安 定 し た 継 続 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ① ② ③ ④ ⑤ (A)NPO・市民の意見 もっと柔軟な対応をして 行財政改革の視点だけでみないで 市民活動を率先して行って 責任を持って役割を果たして 説明責任を果たして リップサービスで協働を使わないで 当該部署だけでなく全ての部署で協働を意識し て 対応の早さは信頼関係の近道 話を聞いてその本質をしっかり理解して 定期的な交流の場を設けて出席して 対等であることを忘れないで 本音を言って 「行政の立場の見解」と「個人の意見を」をわけ ることでざっくばらんな交流が図れるよう会議等 の運営を心がけて 建前の議論は不要、本音の意見交換を積み上げる ことが結果的に進められる もっと情報を公開して 対等と言える情報を提供して もっと先進自治体を勉強して 要望を提出するタイミングや時期を教えて 市もNPOも、透明度をひたすら高めること ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ (B)市職員の意見 目指す方向を合わせて まずNPO同士で構築して 役所のシステムを理解して 早急な結論を求めないで もっと、担当を信頼して 困難な事が発生しても逃げないで ① ② ③ ④ 思った事を発言して 対等な立場で発言して 具体的な提案をして 会議のルールを守って ① ② ③ 情報を上手に利用して 一方的に求めず、提供も忘れないで 提供した情報はメンバー全体に伝えて ① ② ③ ④ ⑤ 率直で正直な意見を言って 担当以外の部署へのPRに努めて 縦割り行政を止め横断的に対応して その部署のトップに協働を理解させて いかに「市民のため、市民のために」対応してい くかだ ① ② ③ ④ 前向きの発言をして 解らない事は遠慮せずに質問して 他のNPOとネットワークを形成して 自身の活動をPRして ① ② NPOを下請けと見ないで 「委託金」から「負担金」にするなど、単なる委 託業者にしないで NPOの活動に見合った予算措置をして 枠組みの中で可能な方法を一緒に考えて 予算の枠組みを教えて 結果だけでなく、プロセスが大切 NPO同士でも競争させて 継続した協働による事業を確立して バックアップ体制を怠らないで 「やりたい」と言うから「やらせてやる」という 考えは改めて NPOの提案を理解するセクション、コーディネ ーターが必要 ① ② ③ 「ただでもいい」の考えはやめて 要求時期を考えて 自主財源の確保に努力して ① ② メンバーを増やして メンバーのスキルアップする方策を考え て しっかりしたボランティアではない事業 体制を確立して 次の世代を担う人材を育てて ③ ④ ⑤ ⑥ ① ② ③ ④ ⑤ 37 ③ ④ Ⅶ 協 働 体 制 の シ ス テ ム 化 (2) ① 市民は無償でボランティアが前提という考えは やめて 内部の水平展開を忘れないで 事務だけでなく信頼関係もきちんと引き継いで 役所のシステムを押し付けないで NPOを作って育てることを考えて 「共同推進」を市長以下幹部は真剣に実施して 人によって上手くいくのでは、駄目、上手くいく システムを確立しなければならない ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ① ② ボランティアだからと言って逃げないで 担当の交代時には業務引継ぎをしっかり して 協働事業の推進状況及び課題 平成 19 年度から始まった、鎌倉市市民活動団体と市による協働事業(相互提案協働事 業)の 5 年間の提案件数と採用件数は表-3 のとおりである。 表-3 協働事業の提案件数と採用状況 区 分 平成 19 年 平成 20 年 平成 21 年 平成 22 年 平成 23 年 提案 4 2 2 2 0 10 採用 4 2 2 2 0 10(100%) 市民 提案 5 3 4 3 2 17 団体 採用 2 1 2 1 0 6(35%) 提案 9 5 6 5 2 27 採用 6 3 4 3 0 16(59%) 市 計 合計(%) 市提案の事業については 100%採用されているが、市民団体による提案事業については 約 35%の採用となっている。市の提案事業については、相乗効果の期待できる実務的な ものが多く(表-4 参照)、行政実務の中で市としてはやらなければならないが、現状で は手が届かない隙間をカバーするような内容のものが多い。 市民活動団体からの提案事業については、すでに市民団体で活動しているものを、市 との協働ベースに乗せていこうとする内容が多く、新たな相乗効果が期待し難いものや、 公費を使うべきものなのか等市との協働になじまない内容のものが不採用となっている。 また、2011 年(平成 23 年)4 月現在で、最大 3 年間の協定期間を過ぎたもののうち、 市の原課対応(担当原課で予算化)で継続されている事業が 2 事業ある。市の業務とし て経常予算化される事業が増えれば、協働事業の目指す官と民との協働型ガバナンスに 向かっていると考えることもできる。しかし現状で、市の継続事業となった協働事業が 2 件というのは、市側としての努力不足もあると感じるが、行財政改革を進め人員が削減 される中で、職員が横断的に受け入れようとする余裕がないのではないだろうか。協働 38 事業を本格的に推進しようとしたときには、市全体をあげて取り組むべきであり、それ に掛かる時間や労力は並大抵なものではないと思われる。市としての、職員たちのそれ なりの覚悟が必要ではないだろうか。 表-4 平成 19 年度から平成 23 年度の 5 年間に採用された協働事業 № 年度 区分 1 19 市 不用品登録制度 鎌倉シチズンネット 2 19 市 不用品登録制度 知的協調参画型地域振興協会 自主防犯活動の連携、強化を図るため 知的協調参画型地域振興協会 3 19 市 事業名 NPO団体名 の防犯フォーラムの開催及び防犯事 例集の作成 4 19 市 5 19 民 6 19 民 7 20 市 落書きのないまちづくり事業 キープ鎌倉クリーン推進会議 8 20 市 子ども会館運営事業 NPO法人輝き・遊っ子楽っ子 9 20 民 失語症等成人中途言語障害者への地 湘南失語症者を支援する会 10 21 市 WE LOVE 若宮大路 鎌倉市政を考える市民の会 11 21 市 WE LOVE 若宮大路 NPOかまくら緑の会 12 21 民 地デジ普及活動事業 鎌倉シチズンネット 13 21 民 玉縄民族資料館のリニューアル事業 玉縄城址まちづくり会議 14 22 市 認知症の相談事業 かまくら認知症ケア研究会 15 22 市 障害就労支援・雇用促進普及啓発事業 NPO法人地域生活サポートまいんど 16 22 民 障害就労支援(ジョブサポーター)養 鎌倉福祉・教育ネット ハイキングコースパトロール事業 鎌倉風致保存会 在宅高齢者の生活支援サービス調整 鎌倉市ホームヘルプサービス連絡会 機関の検討委員会設置及び運営事業 図書館とともだちになろう(図書館振 図書館とともだち・鎌倉 興)事業 KCC 域コミュニケーション支援事業 成・派遣事業 市;市提案協働事業、民;市民活動団体提案協働事業 注)平成 23 年度は、市民活動団体提案協働事業が 2 件あったが採用されていない。 4. 公を支える民間活力の可能性 (1) 日本における地域コミュニティと市民活動の経緯 ここで、地域コミュニティと市民活動(NPO)とを同時に扱うのは、ほぼ同時期 39 に大きく進展していったからである。 地域コミュニティと市民活動(NPO)の、大きな流れは表-5 のとおりである。 1990 年代に入ると、行政サービスの穴埋めといった補完的役割だけでなく、より積 極的に新しいニーズに応える、提案型の市民活動が広がってきた。そして、1995 年の 阪神・淡路大震災で、行政をうわまわる機動性と多彩な救援活動で復旧に大きな役割 を果たした活動が、NPO の社会的評価を大きく上げ、行政とは異なる「新たな公共活動 の担い手」という役割が意識されるようになった。このことにより、行政も、より積 極的に NPO との協力関係を結んで、様々な社会的課題に取り組むという姿勢を示すよ うになり、NPO の独自の社会的意義が確立され、99 年 12 月にはNPO法が施行される までに至った。 また、日本におけるコミュニティ政策は、1970 年代に展開されたコミュニティ施策 に始まった。この時期のコミュニティ政策の特徴は、コミュニティ・センターなどの 地域集会施設の建設と管理を契機として新しい地域組織を作り出すことであった。こ のコミュニティ施設の建設を通じて自治会町内会と市民活動団体の合流を期待した 表-5 地域コミュニティと市民活動(NPO)の大きな流れ 年代 戦前 地域コミュニティ 市民活動(NPO) 町内会隣組の整備 戦後~1960 年代 1959 年~高度成長期「戦後復興から経 済大国へ 町内会体制の成立 1960 年~1970 年 60 年代後半~70 年代前半 1970 年~1980 年 市民運動「ベ平連」 1980 年~1990 年 コミュニティ施策の試み 公害・開発への反発、NGOの登場、 冷戦の終息 ・90 年代;国家から市民社会への変容 1990 年代以降 協働=パートナーシップへの展開 ・98 年;阪神淡路大震災によるボランティ ア活動の重要性の認識 ・99 年 12 月;NPO法施行 が、管理運営は自治会町内会で、市民活動団体は施設の利用者として多様な市民活動 を展開していった。自治会・町内会としては、施設を使うだけの市民活動団体は自分 たちの好きなことしかやらず、公的な事には関心を示さないという、根強い不信感が 今でもお互いに距離感の原因の一つといえる。だが、この時期に市民活動団体の創成 を促したことは、コミュニティ政策の大きな功績といえる。 しかし、1990 年代以降に展開した地方分権改革によって、権限と引き換えに交付金 の削減が求められ、今までのような行政サービスの提供を断念せざるをえなくなった。 40 また同時に、財政危機による行財政改革の推進も重なって、民間への肩代わりを求め ざるを得なくなり、不要なサービスの削減や住民自身の負担についても、住民組織と 合意を得なければならなくなった。従来までのコミュニティ行政は、基本的に住民の 地域での連携を深めるため条件整備が目的であったが、サービスの削減や民間への肩 代わりを求めるものではなかった。このことは、明治地方自治制度以来の行政と住民 組織とのあり方を根本的に変える大きな出来事であった。行政の権限の一部を放棄す る覚悟でなければ、住民の参加を得ることができない状況となった。近年の、協働= パートナーシップへの転換が行われた。 (2) 公を支える民間の力とは 公を支える民間の担い手を、手法と人・組織に分けて整理してみると次の通りであ る。 ア. 手法 民間への業務委託(アウトソーシング)、指定管理者制度の活用、PFI、PPP NPOとの協働など イ. 公を支える組織・人 住民、自治会、町内会、老人会、PTA、自主防災組織、防犯団体、消防団、社 会福祉協議会、市民活動団体(NPO;)、ボランティア、社会福祉法人、公益法 人、協同組合、社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)、ソーシャル・ビジ ネス、コミュニティ・ビジネスなど (3) 鎌倉市を支える民間活力の可能性 現在鎌倉市では、民間活力として、民間への業務委託、指定管理者制度の活用、N POとの協働事業に取り組んでいる。わたしが見る限りでは、基本的には小さな政府 志向に伴う行財政改革の目的が根底にあることは拭えない。 指定管理者制度の運用については、平成 22 年 12 月 28 日付け総務省自治行政局長よ り出された通知「指定管理者制度の運用について」で本来目的についての助言があっ た。指定管理者制度は、 「民間事業者が有するノウハウを活用することにより、住民サ ービスの質の向上を図っていくことで、施設の設置の目的を効果的に達成するため」 であるが、多くの市町村では、直営事業を指定管理にすることによるコスト削減効果 を期待していた。鎌倉市も同様であった。もし、コスト削減を主な目標に指定管理者 制度を導入しているとしたら、市民サービスは低下し、本来目的とは全く反する方向 へ向かってしまうことになる。持続可能な民間活力として指定管理者制度を継続する ならば、少なくとも本来の目的が達成できるような見直しが必要である。 NPOとの協働については、前段で触れたのでここでは触れないが、これから自治 体を支えていく可能性とその期待度は大きい。 ここでは、他の民間活力についても言及したい。2000 年代に入り、社会的企業(ソ 41 ーシャル・エンタープライズ)やSCR(企業の社会的責任)が世界的に注目を集め るようになってきた。これは、経済のグローバル化による貧困の格差拡大、環境破壊、 少子高齢化、子育てなどの多様な課題の顕在化や人口減少による限界集落の増加によ り、従来の支えあいのシステムの崩壊や、農協や個人商店の撤退による買い物難民の 顕在化などに対して、企業に対する新たな役割を期待する社会からの働きかけや、政 府や行政からの要請に応えたものである。基本的には、営利を目的とせずに社会的な 課題にビジネスの手法を用いて取り組む事業体であって、形態としてはNPOもあれ ば協同組合も、会社もある。社会的企業の特性としては、社会的革新性(ソーシャル・ イノベーション)と複合性(ハイブリッド性)があげられる。例えば、病児保育など 採算がとりにくく誰も手をつけない分野で、新しい事業を立ち上げている企業がある。 広い意味で公を支える民間活力の一つとして期待される。 また最近では、社会的企業の事業と一般企業の社会貢献と本業の両立を目的とする 事業をあわせて「ソーシャル・ビジネス」という概念が登場した。典型的な例として はパタゴニアである。ソーシャル・ビジネスの定義は、 「社会的課題を解決するために、 ビジネスの手法を用いて取り組む。」こととしている。ソーシャル・ビジネス研究会が 提示した要件は、①社会性、②事業性、③革新性の3つであり、主体は、社会志向型 企業、事業型NPO,一般企業(経営活動の過程で社会的課題の解決に貢献する)、中 間組織(非営利と営利の中間)としている25。未来へ続く持続可能な社会貢献組織であ るためには、ビジネスの要素が欠かせない。今後に期待する民間活力と考える。 すでに自治体では、公を支える様々な社会貢献型組織や人、手法によって支えられ ているが、まだまだその数も少なく、新たな担い手の確立には程遠いといえる。 25 大室悦賀、2011 年、『ソーシャル・ビジネス』中央経済社.p.1~p.6 42 第6章 これからの自治体運営のあり方について 1. 自治体の危機管理からみた官民の協働 2011 年(平成 23 年)3 月 11 日に起こった東日本大震災によって、地方自治体の防 災対策に対する市民の信頼が大きく揺らいだのではないだろうか。1995 年(平成 7 年) に起きた阪神・淡路大震災において、市民活動団体の活躍が契機となって、1998 年(平 成 10 年)3 月にはNPO法(特定非営利活動促進法)が制定された。東日本大震災で も多くのNPOやボランティアが応援活動を行い、ますます市民活動団体の存在が大 きくなってきたといえる。今回のような大規模災害では、公の力だけでは到底なしえ ない、民間のマンパワーが発揮されたといえる。市民活動団体のほかに、地元消防団 の活躍も大きな力となった。災害時には、自助が 7 割を占め、共助が 2 割、公助は 1 割とされている。公ができることは、限られている。非常時に表れる、平常時の体質 や課題が、今回の東日本大震災でも多く露呈したと考えられる。住民は、公の限界を 大災害の中で目の当たりにして、まずは自助の大切さ、そして地域や家族との絆の大 切さに改めて気付いたのではなかと思われる。 これからの自治体運営においては、そこに住む住民一人一人が、地域の一員として の自覚を持ち、公を支えながら、お互いの絆を大切にして、皆で支えあう仕組みづくり を築いていかなければならないと考える。そのためには、非常時の課題を明確にすると 同時に、公と地域の役割の見直しを明確にしていくことが必要である。官民の協働を進 めるには、お互いの役割と立ち位置を明確にしていくことが一つの課題である。 2. 鎌倉市の財政状況から見た行財政改革 これまで行財政改革の推進による自治体運営の課題や今後の自治体運営のあり方等に ついて、マクロな視点と鎌倉市を地方自治体の事例としたミクロな視点とを同時並行的 に研究を進めてきた。ここでは、ミクロな視点から鎌倉市の平成 22 年度(平成 23 月 31 日現在)の財政状況を例に見てみると、財政力指数 1.167、経常収支比率 94.2%、将来 負担率 48.4%、実質交際費比率 1.7%、自主財源比率 68.3%と、今のところ財政的には 全く問題のない自治体である。財政力指数については、昭和 32 年以降、常に 1.0 を超え、 普通地方交付税の交付は受けていない。しかしながら、鎌倉市における第 3 次総合計画 第 2 期基本計画後期実施計画(平成 24 年度~平成 27 年度)における 4 カ年の財源不足 は、マイナス 106.8 億と推計されている。健全な財政状況の地方自治体であっても、財 源不足が生じている時代である。当然、予算の査定では、不要不急の事業は削り、厳し い社会状況を考慮した上で必要最低限の事業に留めていることは言うまでもない。おそ らく今後、財政状況が急激に好転することは考えにくい。歳入は縮小し、少子高齢化が 進む中で、人々のセイフティーネットである扶助費は減ることはない。新たな起債は抑 43 制しつつも、公共施設やインフラなどの老朽化に対する修繕など必要経費も減ることは ない。持続可能な行財政運営を考えた場合、更なる行財政改革を推進せざるを得ない状 況にあることは確かである。一方では、住民の満足度を上げるためにあれもこれも受け 入れる時代でもなくなってきている。住民がある程度不満であっても、最終的に納得し てもらえる政策の選択と予算の使い方を明確にしていく仕組みづくり(行政評価も含め た)が、一つの行政課題である。 3.官民の協働における対等の考え方 鎌倉市における協働事業の説明の中で、「協働とは」の説明の中で、「市民活動団体 と市が、互いに対等の立場で、互いの特性や持てる資源を活かしあって、その取り組む 課題や目的およびプロセスを共有し、協力して新たな公共サービスの形成や公益性の高 い事業に取り組むこと。」26と記されている。行政職員とボランティアで行っている市民 活動団体とが対等であるとは思えない。方や給料をもらって組織で働いている行政職員 と、方やボランティアで働いている市民活動団体とが対等であるはずがない。協働は、 お飾りではなく、住民参加を実質的なものに高めていく契機として見ることはできるが、 「協働の実質化にあたっては、両者がそもそも対等ではないという関係性を前提として、 そうした異質性を是正しようとする過程を構想することが必要と考えられる。」27 コプ ロダクションの造語としての協働を日本へ本格的に導入した荒木昭次郎によれば、「協 働とは、市民と行政が対等の立場に立ち、共通の課題にお互いが協力し合って取り組む 行為システムである。」28と定義される。多くの自治体で、「対等」の原則を組み込んだ のは、荒木による定義が理論的端緒となっていると考えられる。荒木は、協働の具体的 仕組みを構想する際に、「行政は法令と強制によって目標の実現を図ろうとするのに対 し、市民は自発的に自由な活動を通じて創造的活動を展開しようとする。」29と、両者の 異質性について言及している。すなわち、荒木の協働概念には、「システム構成要素と しての行政と市民はその本来的役割においてお互いに排他的関係にある。」30という前提 が置かれている。したがって、「協働において『対等』を構築するにあたっては、両者 がそれぞれの持つ固有性を発揮しつつも、そのあいだで、いかにして対等を築いていく 26 鎌倉市、2011、「市民活動団体と市との協働事業について」 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/npo/kyodo.html 27 丹間康仁、2010 年、「コプロダクション論に基づく『協働』概念の内実化―学校統合をめぐる住 民と行政の関係性に着目して」、日本社会教育学会紀要 28 荒木昭次郎、1990 年、 『参加と協働―新しい市民=行政関係の創造―』、ぎょうせい、P.3 29 前掲 10、P.240 30 前掲 10、P.240 44 かという『表裏一体』での関係性の構築がそうていされるものといえよう。」31としてい る。このように、市民と行政が、協働における「対等」の認識をお互いに誤っているこ とが、協働における合意形成を誤らせてしまい、しいては協働事業の進展が遅れている 原因を作っていると考える。 4.これからの自治体運営のあり方 日本の国も地方も未だに小さな政府を目指して、行財政改革を繰り返している。確か に国も地方も多額の借金を抱え、グローバル化の影響で海外の財政悪化の影響を受ける 時代である。先行きが見えない中での行財政運営は非常に困難であることも理解できる。 先に示したが、鎌倉市の財政状況もけして裕福とは言い難い。行財政改革を進めなけれ ばならない状況も理解できる。無駄を省き限りある資源を有効に使うことにも全く異存 はない。では、何が問題かといえば、短期間に推し進めてきた行財政改革によって表れ たひずみを解決しないまま先へ進んでいることである。更なる行財政改革は、時代の流 れの中で進めざるを得ないとしたとしても、急激な改革によるひずみを見逃してはなら ない。鎌倉市においては、1999 年から本格的に始まった職員数の削減によって、10 年間 で約5倍ものメンタルによる休職者が増加したことは先に述べたとおりである。メンタ ルによる休職者が一人出ることによって、組織の歯車が狂い、他の職員への負担が増加 し、その結果住民サービスも低下するという負のスパイラルに入る可能性は高い。組織 の効率性を正しく評価し、組織のマネジメント力を高めることが求められる。もうひと つ問題がある。それは、政治家が行財政改革をうたい、無駄を省くことのメリットしか ないかのような大きな声を出していることである。選挙で戦うには、 「行財政改革を進め ます」という文言は必須のアイテムである。しかし、日本の住民は低福祉低負担を求め ているわけではない。高福祉低負担はありえない。今、国では、社会保障と税の一体改 革を進めようとしている。本当に福祉の目的で税を使うならば、理にかなった話である。 住民は、行財政改革が何をもたらしているのか、それが本当に求めているものなのかを、 しっかりと見極めなければならない。 行財政改革が進み、職員数が減るということは、災害時に助けてくれる行政職員も減 るということである。先にも述べたが、住民の満足度を上げるためにあれもこれも受け 入れる時代ではなくなっている。では、行政は何をして、職員が減った部分を何で穴埋 めするのかである。現在鎌倉市では、指定管理者制度や業務委託(アウトソーシング) へ移行できるものは順次移行している。職員 1 人の減を、非常勤嘱託員 2 人で補うケー スも多い。 (実際には、職員1人がイコール非常勤嘱託員2人にはならない。)そして、 31 丹間康仁、2011 年、 「住民と行政の協働における『対等』概念の検討」、日本地域政策研究第 9 号、2011 年 3 月、P.18 45 大きな期待を寄せているのが、官民連携あるいは官と民との協働である。鎌倉市では、 市民活動団体と約 5 年をかけ入念な話し合いを進め、2007 年度(平成 19 年度)から正式 に制度を開始している。2011 年度(平成 23 年度)までの 5 年間で、16 件の協働事業が 採用されたが、そのうち市の経常経費で予算化される事業に移行したものが、2 件だけで ある。決して、官民による協働事業が上手く機能しているとは思えない。 本来、協働事業に期待するものは、住民ニーズの多様化に伴って、個人の多様なニー ズや質の追求に、官がきめ細かく対応することが難しい課題に対して、協働という形で 民の力を借りることであると認識している。 では何故、協働事業がうまく機能していないのか。いくつかの問題点がある。一つに は、協働を進めるに当たっての合意形成のあり方である。事業を始める前の、官と民と の役割分担の合意が明確でないことが挙げられる。民はその事業のミッションに最も重 きを置き、自分たちが行った仕事が、官の目指す計画や目的に本当に役に立っているの かが大切なのである。事業を始める前にお互いに目標に対して十分な共通認識をもつこ とがまずは重要である。そして、そのためには事業の政策立案過程からいかに住民が参 加していくかが重要である。 二つ目は、一つ目とも関連するが、お互いの意識のギャップである。本研究の主眼で もあるが、官は小さな政府を実現するための行財政改革の一つとして、協働事業を見て いる誤った認識があるのではないかと考える。この意識が払拭されない限り、官民の真 の協働はありえないといえる。このことは、市が行ってきた職員数削減によって、市が 担いきれなくなった事業に対して、現状では、将来にわたって公益事業の権限を含めた 行政からの事業委譲を行うまでには至っておらず、将来的に民の主体性を失わせ、行政 機関の安価な下請組織を育てることにもつながりかねない危険性がある。もう一つのギ ャップは、合意形成の上での「対等」の考え方である。先にも述べたが、協働の実質化 にあたっては、両者がそもそも対等ではないという関係性を前提として、そうした異質 性を是正しようとする過程を構想することが、協働を先へ進ませるために必要である。 市民と行政が、協働における「対等」の認識をお互いに誤っていることが、協働におけ る合意形成を誤らせてしまい、しいては協働事業の進展が遅れている原因を作っている と考えられる。 また、鎌倉市に存在するNPOは、規模が小さいものが多く、まだまだ官との協働事 業の実績も多くはない。官がNPOに対して絶対的な信頼を置いていないために、事業 委譲にまで至っていない。現在行っている協働事業自体が、市の担当部署から見れば、 協働に値するNPOを育てることが事業の目的の一つとなっている。 「官から民へ」という世の中の流れの中で、この協働事業に限らず、 「コスト削減」を 中心とする合理化ばかり重視されていることが、手段の本来目的を失わせ、新しい公共 をつくるための大きな阻害要因となっているといえる。パートナーとしてのお互いの立 46 場を理解した信頼関係と、人と人との絆を築き上げない限り、更なる協働の進展は難し いのではないだろうか。 47 おわりに 本研究では、一つ目に、国の政策により行財政改革を進め、より小さな政府を目指して きた地方自治体の課題や現状を、鎌倉市を事例として明らかにし、これからの自治体運営 を進めていくために必要な、官と民との協働が思うように進んでいない原因を探ってみた。 また、二つ目に、官民協働が進まない理由として、自治体経営を担う関係者の間に、未だ に協働を小さな政府を作るための手段の一つであると見なす、誤った認識があるのではな いか、そして、この根本的な誤った認識を払拭しない限りは、真の協働は進まないのでは ないか、などいくつかの視点で検証していった。 まずは第2章で、マクロな視点から、行財政改革と小さな政府志向の経緯を辿ってみた。 行政改革は、1961 年(昭和 36 年)に総理府に「第1次臨時行政調査会」が設置された時か ら始まり、概ね 10 年間隔で大きく変化し、地方自治体は、1994 年の「地方行革指針」、1997 年の「新地方行革指針」そして、2005 年 3 月に策定された新たな「新地方行革指針」の 3 つによって、段階的に行財政改革が進められてきたことが分かった。また、政府の大きさ については、「公務員に携わる人員」と「国民負担率」の2つの指標からみた場合、いずれ の指標によっても、諸外国と比べて日本はすでに小さな政府であることが分かった。そし て、国民が求めているのは大きい政府でも小さい政府でもなく「良い政府」であり、近年 では、「官から民へ、民が出来ることは民に」という「小さな政府」思想ではなく、「官と 民とのパートナーシップ、官と民とのコープロダクション、社会の絆(ソーャルキャピタ ル)づくり」が志向されている。求められているのは、政府の大きさではなく、国民にと って無駄がなく機能的な政府が必要であり、住民と行政と事業者とが一体となった政府で ある。 第 3 章では、鎌倉市における行財政改革と行政評価について研究を進めた。鎌倉市の行 財政改革は、税収が減少に転じ始めた 1994 年(平成 6 年)ころから本格的に始まった。国 で策定した「地方行革指針」に基づき、1999 年度(平成 11 年度)には、7 年間を計画期間 とし、「協働」と「効率化」を柱とした「鎌倉行財政プラン」を策定し、200 名以上の職員 を削減し、200 億円以上の財政効果があった。その後、2006 年(平成 18 年)4 月には、5 年間を計画期間とした「鎌倉行政経営戦略プラン」を策定し更なる改革を推進した。この 2 つの改革プランによって、鎌倉市の行財政改革はかなり前進したといえるが、改革の中心 は職員数の削減であった。その急激な改革によって、メンタルによる休職者が急増するな ど、職場は疲弊し、職員のモチベーションにも大きな影響を与える結果となった。このよ うな結果をもたらしたのは、行政評価をマネジメント・ツールとして考えていたことにも 誤りがあり、予算や人員管理も含めた、組織全体のマネジメントを進めるための、新たな 評価手法の検討の必要性が明確となった。 第 4 章では、地方分権の経緯と地方自治体の現状、地方分権における市民参加や議会の 48 役割について研究を進めた。地方自治体の現場では、まだまだ分権が進んでいる実感に乏 しく、そのための心構えや準備が十分できているとは言い難い。分権が実感出来ない理由 は、一つには一括交付金が交付されていないこと、もう一つには出先機関改革がまだ進ん でいないことなどだ。また、権限委譲については、県から市へ予定とする項目の 80.8%が 済んでいるが、その項目が、住民や社会に大きな影響を及ぼすほどの内容ではなかったこ とも分権が進んでいる実感がわかない理由の一つであった。地方分権における市民参加が 進んでいるかどうかの判断基準として、片山善博は「団体の中での意思決定をするが、よ り住民に近い方に行っていますか」としているが、行政と市民の間も議会と市民の間も、 まだまだ十分に近づいているとは言い難い。それは、行政や議会側だけでなく、市民側に も原因がある。日本では、公益に対して自分の意見を述べ、責任を持って行動する個人が まだまだ育っていないために、市民社会が熟成していないからである。鎌倉市における市 民参加の一つである協働事業は、平成 19 年度に立ち上げて積極的な市民参加の仕組みづく りを行っている。また、政策形成過程への市民参加については、基本計画の策定や自治基 本条例の策定などに多くの市民が参加している。しかし、いずれもまだ完成に至っていな い。行政も議会も、市民との距離を縮めることが最大の課題であり、その役割分担ととも に、仕組みづくりを今後明確にしていかなければならない。 第 5 章では、鎌倉の市民活動の現状と課題について研究を進めた。鎌倉市は明治以降、 首都圏からの転入者が増え、その割合は地つきの住民より多く、様々な人々による様々な まちに対する思いが混在する特異なまちである。1964 年の御谷(おやつ)騒動をきっかけ に、市民活動も活発な土地柄である。そんな中で、2007 年には、市との協働事業を制度化 し推進してきたが、十分な官民協働には至っていない。5 年間で 16 件の協働事業を採用し たが、そのうち経常的に実施されている事業は 2 件のみである。協働事業が思うように進 まない理由は、行政側とNPO側のそれぞれの思いにギャップがあるためである。市側の 主な課題は、協働事業を行政と住民のパートナーシップと言いつつ、実はできるだけ行政 の役割を縮小しようという小さな政府志向と同じ方向と捉えられている嫌いが未だにある ことである。また、NPO側の主な課題は、組織が未成熟であるがために、行政の信頼を 十分に得られるまでに至っていないことである。両者に共通のもう一つのギャップは、合 意形成の上での「対等」の考え方の誤りである。先にも述べたが、協働の実質化にあたっ ては、両者がそもそも対等ではないという関係性を前提として、そうした異質性を是正し ようとする過程を構想することが、協働を先へ進ませるために必要である。市民と行政が、 協働における「対等」の認識をお互いに誤っていることが、協働における合意形成を誤ら せてしまい、しいては協働事業の進展が遅れている原因をつくっている。 第 6 章では、自治体運営の課題を洗い出し、課題解決策とともに、これからの自治体運 営のあり方を検証した。自治体の危機管理における信頼は、東日本大震災で揺らいだ。住 民は、公の限界を知ることによって、家族や地域の絆の大切さに改めて気づいた。非常時 49 の公と地域(民)の役割を明確に示していくことが一つの課題である。また、鎌倉市を財 政の視点からみると、行財政改革を進めているさ中ではあるが、財政状況は決して悪くは ない。しかし、住民の満足が得られていない。これは、住民の思いをすべて叶える時代で はなく、現状を納得してもらう努力が必要であり、そのためには行政評価を含めた、住民 に納得してもらう仕組みづくりが一つの課題である。これからの自治体運営において、官 と民との連携は必須のものである。官と民とをつなぐために必要なことは、お互いを理解 し信頼することである。官は民の活用を、経費削減の視点で見てはいけない。ともに助け 合うパートナーとして、信頼と絆を築き上げなければ、新しい公共のさらなる進展はない だろう。 最後に、この論文を作成するにあたり、根気強く最後まで適切なご指導をいただき、完 成まで導いてくださいました北大路教授に、心より深く感謝申し上げます。 また、ゼミの中で多くの意見やアドバイスをいただき、最後まで一緒に頑張ってきた北 大路ゼミの皆さまに、心よりお礼を申し上げます。 50 参考文献 Ⅰ.書籍・論文 安達智則・久保木匡介・中村重美・加藤久忠・坂野法夫、2009 年、 『地方分権改革の嘘と実』、 東京自治問題研究所 荒木昭次郎、1990 年、『参加と協働―新しい市民=行政関係の創造―』ぎょうせい 井川博、2008 年、『日本の地方分権改革 15 年の歩み』、自治体国際化協会 伊佐淳、2008 年、『NPOを考える』、創成社 今川晃・山口道昭・新川達郎、2005 年、 『地域力を高めるこれからの協働』 岩崎忠、2011 年、『地方自治法 2011 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